椿おちるやう

私はたしかに「それ」を殺めた

 最初はどうだったか、まったく思い出せない。確か、庭の椿を切っていたときだと思う。あんなに固い椿の茎なのに、園芸用の茎切ハサミを買ってから、ずいぶんと手折るのが易しくなった。親指と人差し指に少し力を入れるだけでそれはいとも簡単にパチン、と切れる。容易いな、と思う。普通のハサミでは刃こぼれするばかりでちっとも切れやしないのに、道具を選ぶとこんなにも、こんなにも生き物の命を奪うのは、容易い。
 椿を手折っていくと、その細い枝の一つ一つがまるで人間の指のように思えてくる。椿も人間も、どちらも生きているもので、切られれば液体を流す。けど、それは「私」ではないのだ。大きく考えるとこの世には二つの物しかない「自分」と「他」。それだけでこの複雑な人生が成り立っているのだから笑ってしまう。
 こういう風に道具を扱っているとき、わたしはまるで血の通っていないものであるかのように、ひどく、ひどく残酷な気持ちになる。見ろ、この両手の椿を。床の間に飾っておくはずだった椿はいつのまにか飾るはずもない花のこぼれたのや虫に食われたものまで含めてたくさんだ。抱えきれないほどに。そして、しっかりと重い。
 花は土から離れては生きてはいけない。水に差してもそれは不自然な死だ。生と死の狭間で眠るように腐っていく。人間も同じ、パチン、と切ってしまったら切られたところは自然には二度と戻らない。わたしは、椿を殺めたのだ。
 すこぶる残酷な自分をまるで俯瞰するかのように冷静に見ている自分が嫌になる。ほとんど発狂したい気持ちを抑えるようにして椿を放り出し、戸棚の引き出しを開ける。ここに隠しておくのだ。便利な道具さえなければ、こんな残酷にならずに済むのだ。そうに違いない。ここに「魔」を閉じ込めておきさえすれば、わたしは、ふつうの。
 ……戸棚の引き出しは、もう、だいぶあふれかえっていた。これで小動物をすりおろしたらどうなるんだろうと思ったミキサーの刃、私が片思いしてた人と結婚した友人の話を聞いていたときに使っていたボールペンとメモ、厳格な父の話を聞く時にいつもにぎりしめていたハンカチ。夫が出て行ったときに朝食につかったフォーク。ぜんぶ、ぜんぶ、ひどく醜悪で、禍々しかった。
 わたしはそっと引き出しを閉めた。そこに知らない女が居たから。ひどく残酷で、禍々しい、血の通っていない女。
 「もう、無理なのかも」
 そう呟いた私を庭の椿は雨に濡れながら「醜悪だ」と嗤っていた。

椿おちるやう

椿おちるやう

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-02-28

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