境界線上にて

わたしとあなたを隔てるもの、越えられない物質と物質の狭間。

 物質と物質の合間には、到底触れられない壁、境目があって、ただの一人の人間があがいたとしてもそれは根本的に到底取り除けないものだ。
 たとえばこの白く薄い皮膚だって。僕の体を包んで、「体内」と「体外」を明確に分けている。それは僕の体を柔らかく包み、外気の寒さや乾燥や外的干渉からもっと中にある筋肉などの体組織を守っている。もし、この皮膚がなくなったら。僕の体からは血、内分泌液があふれだして、もうそれだけで僕は死んでしまう。終わってしまうのだ。こんなちっぽけな境目でさえ、薄くて壊れる境目でさえ僕を隔てて生かしている。
 でも、僕は時々境目という定義自体がわからなくなる。先ほどのようにもし僕の皮膚が全てなくなったときに僕が仮に生きているとして、次に僕と外との境目を生み出すのは僕の肉なのだ。そうして骨があって、内臓があって。
 そういった境目を、ひとつひとつ紐解くようにほどいていって、無くした先になにがあるのだろう。僕は、どの境目を失った時点で「僕」という概念を失くすのだろう。そうしてもし「僕」という概念が消えてなくならないものと仮定して、「僕」はどの時点で境目をひとつも無くし、「全て」になるのだろうか。「全て」になって「世界」と溶けて混じりあった僕は、果たしてそこで、何を考えるのだろうか。
 きっと、そうしてしまえば生きていけない。境目を一つも無くした先には無限しか広がっておらず、そうしてそれは一人の人間の思考が到底到達できる域ではないのだ。
 話は変わって、僕の今、目の前、目と鼻のさきには僕の愛する女性がいる。当然僕は触れたいと思い、手を伸ばす。しかしその柔らかな頬を撫でるあろう手は一か所で止まり、冷たいものに触れてとどまる。
 僕の愛する女性は眠っている。黒い箱に囲まれて、眠っている。
 事実としてはそれまでだが、彼女は死んでいる。死んで、僕に反する反応をすることも、呼び掛けに答えることも、二度とないし、ありえない。
 あんなに愛していた人なのに、あんなに見飽きるほど見た顔なのに、安らかに横たわっている彼女の顔はどこか別人のようで、そこから何の意思も感情も見いだせない。本当に少しも見いだせないのだ。僕は確かにそこに「生」と「死」の境目の厚さをまがまがと見せつけられた気がする。
 いっそ、分厚いガラスを破るように、その狭間すら壊せたら。その先には、また二人で笑いあえる未来があるのだろうか。
 しかし思考とは裏腹に、僕の震えた指先は彼女の薄い皮膚を撫でるのすら恐れて踏み出せないままだった。頬を伝った涙は彼女の肌に落ちると、そのまま溶けるようにしてなくなった。僕はすこしだけ、それをうらやましいと思った。

境界線上にて

境界線上にて

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-02-28

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