カノン
一
私達とは、掛け離れた精神を持った、少年の話をしよう。
少年は、日々を、読書や美術、音楽鑑賞などで送った。文学作品ならば耽美派を、美術作品ならば印象派を好んだ。音楽に関しては、クラシック系統のものばかりを聞いていた。
少年は、美しさを愛した。そして、求めた。しかし、今までに味わってきた、書物にも、絵画にも、彼を感激させたものはなかった。彼は非常なロマンチストであり、その彼を納得させるものは、実際、神々しいオーラを、帯びたものだけなのかも知れなかった。数々のクラシック音楽も、唯一つを除いては、彼を満足させたものはなかった。しかし、唯一つだけ、彼を納得させた、そればかりか、彼に、普通ではないほどに、感銘を与えた作品があったのだ。それは、パッヘルベルの「カノン」というものだった。
少年は、芸術家を気取っているが、文学、美術、音楽に対しての知識も中途半端で、上手な絵が書けるわけでも、ピアノが弾けるわけでもなかった。唯、作文だけは、多くの書物を読んできたためか、得意なほうではあった。そんな彼ではあるけれども、美しさに対する執着心だけは、中々なものだった。
これから、この物語を読み進めていく、読書には分かるだろうが、芸術家気取りの、言わば、芸術家もどきにもなれない彼だが、美しさに対する執着心が、まるで薬物のように、少年の心身を滅ぼしていくことになるのだ。
少年は、パッヘルベルの「カノン」を、非常に愛した。音楽の教養が皆目無い彼が、何故その曲を、気違い染みるほどに、愛したのかは、作者には分からない。
カノンを知ってから少年は、一日に何十回と、CDプレイヤーで、カノンを再生しては聴いた。勉強をするときはもちろん、一日に三度の食事のときも、食卓にCDプレイヤーを持ってきては、音楽鑑賞を楽しんだ。
こんな様であるから、毎日の入浴の時間でさえも、カノンを耳にしたかったので、彼は防水のCDプレイヤーを買った始末だった。とりあえず、少年は異常なほどに、カノンを愛していたのだ。
もう読者はお気づきだろうが、少年にとっての一番の苦しみは学校だった。
彼の通っていた学校は、取り分け、規則の厳しさで有名だったので、校内では当たり前だが、登校時や下校時での電車でも、携帯などといった、いわゆる、不要品の使用が禁じられていた。もしも、その使用が、学校の教職員に見つかってしまえば、没収されるだろうし、返してもらえるのが、いつになるのかさえ分からなかった。
少年は一時期、愛する曲の誘惑に負けて、クラシック音楽が溢れたWALKMANを、学校に持っていった。しかし、或る日の登校時に、名も顔も知らない教職員に、没収されてしまって、その日の昼休みに、みっちりと指導を受けた。幸いにもWALKMANは、没収されてから一週間後に返して貰った。しかし担任によっては、没収された物の返却が、半年や一年後になることも、この学校では普通らしいのだ。そして、少年も担任から、次の早期の返却はないと言われた。
少年にとって、WALKMANを没収された一週間というものは、残酷としか言いようがなくて、その一週間は、学校に行く以外は、家に引きこもっていたぐらいだった。外出をするときの移動時に、カノンを聞けないのが嫌で嫌で仕方なかったからだ。少年にとって、一人でいる時間というのは、孤独の対象だった。少年は一人でいるときには、必ずカノンを聞いていたし、それができない一週間だけは、孤独を紛らわすために、普段は一人の時間を楽しむ電車も、何人かの友達と一緒に乗っていた。しかし、その賑わいのなかでも、彼は、恋人を思うかのように、カノンの曲を無理矢理、頭に流しては、周囲の話しに、耳も傾けないで微笑だけしていた。
もう既にこの頃には、彼のWALKMANに埋もれている多々の曲も、カノン以外は、飾りと同じようなもので、常に、パッヘルベルの「カノン」ばかりを聞いていたのだ。
一度、少年にとっては、生きがいとも、愛の向け先とも言える、不思議な力を備えた、カノンという、美という幻の具現化との、連携手段を奪われ恐怖を、身に沁みるほどに味わった彼が、学校にWALKMANを持って行くようなことは、もうこれ以来なかった。カノンを奪われることへの、大きな、言葉では表せなれないほどの、不安を感じていたのだ。また、その不安が、学校への不満へと変わっていった。
幾つか時の経った頃には、少年のカノンに抱く想いは、気違い染みたものになっていた。その想いも、日が経つと共に、だんだんと、膨らんでいった。想いと言う空気が、心という器、例えれば風船に、割れそうなほどにに膨張していった。限界まで膨らみきった風船の終末の話を、これから話していくことにしよう。
二
カノンを始めて聞いたときから、どれほどに、時が経ったのだろうか。季節は、校庭を雪色一色に染めて、校庭の隅に並ぶ桜の木は、寒さのため裸になっていた。
少年は、一章の終盤で述べた学校への不満が、溜まるに溜まり、その不満も学校に対するものではなくなり、行く方向を知らずに、散漫と心に渦巻いて、彼の心は、病むに病んで、教室の窓の向こう側のように、冷たくなっていた。枯れ木を見て、知らぬうちに、自分の心の鏡と察知して、美しいと感じていたのも、少年の精神的衰弱を、表しているのかも知れない。その様なときに、確か、倫理の授業のときだったと思うが、彼は、先生の口から、音楽葬の存在を知った。既にそのときには、彼の精神は、常人とは掛け離れていた。
少年は、カノンとの誠の繋がりを夢に見ていた。誠の繋がりと言えば、あまりにも抽象的すぎるが、彼の欲望を、常人で例えるならば、人が、富や名声を欲しがる心理にも似ているし、男と女とが、互いの体を求め合う、肉体的要求(本能的と書くべきかも知れない)にも似ていた。
彼のカノンへの想いは、何度も言うが、気違い染みていた。日頃から、「美しさ」という、不思議な魅力を帯びた言葉(あるいは観念)に憧れて、その言葉の象徴となるような作品を探し続けてきて、彼にとっては、パッヘルベルの「カノン」だけが、美しさが持つ絶対的な響きと調和しているのだった。
彼は、自分のお葬式が、音楽葬で行われ、会場いっぱいに、カノンが流れているのを想像してみると、自分と「美しさ」との合体が、実現されているような気がして、その思惑が少年の心を支配したのだった。
もともと、妄想癖が酷かった彼だから、音楽葬の存在を知ってからは、一日中、自分の憧れとする、お葬式のことを考えていたのだ。その憧れは、私達が夢と呼ぶものと、本質がほとんど一緒であったから、彼はもう、狂気混じりの変人としか言いようがなくて、彼が思うには、お葬式というのは、人生との別れ、この世とのお別れの儀式でもあるが、それと同時に、カノンが流れる音楽葬で、この世界とお別れするということは、「カノン」、もっと言えば、「美しさ」との繋がりだった。
カノンの姿は、ギリシャ神話が好きな彼にとっては、彼の崇拝するもので、女神、アプロディテを連想して、崇拝するものの実態としては、ボッティチェリの絵を頭に描いた。そして、美の最高潮(美のイデアとでも言うべきか)との、精神的、肉体的な合体を思い浮かべて、興奮して、顔がにやけて、吐息が乱れた。
毎日、毎日、淫乱的な、自分と美との合体を、頭にあるのか、心にあるのかは知らないが、少年のキャンパスに描いているのだった。そして、少年の歯車を狂わせた、あのときから約一ヶ月、彼は遺書を書いたのだった。
少年の遺書は、長々とした退屈なものなので、ここには載せないことにする。内容の大半が、文学好きな少年が書く、人生の追憶、家族への感謝と謝罪などが書かれた、文章だと考えて貰えれば良い。しかし、自殺に至る原因、動機といったものは、常人からは、大変、信じられないものだったので、作者からしてみれば、逆に、メルヘンチックにも思えた。
少年の家族が、あれを読んで、何を思ったのかは、作者は知らない。
三
雪の降る早朝だった。或る公園のベンチに、一人、貪欲な瞳で、口はニヤリとさせながら、少年は、オーバードースによって死んだ。彼が服用した薬の名前を私は知らない。
狂気が心身からグツグツと沸騰しすぎて、病的な熱さが溢れるばかりのベンチを、さらさらとした細雪が、まるで、天からの使者のように、そのベンチを冷やしている様は、作者から言えば、感嘆のために興奮してしまったほどの、素晴らしい光景だった。
少年は最期まで、美しさに執着した。ベンチに腰掛けた少年は、背もたれに、全体重を掛けて、頭はだらりと項垂れて、よくよく、顔を覗いて見れば、非常に満足したかのように、ほくそ笑んでいた。ずっと夢に見ていた事を、実現させたためだろうか。その事実は、私には分からない。唯、少年の死体を、オリュンポス山からの使者のように、優しく、柔らかく、さらさらと、細雪が包んでいた。天使達が、太陽の光のせいか、きらきらと、輝いて見えて、少年の肌には、住民に通報されてから救急車が来るまでの間、体温が残っているかのように思えた。
カノン