鶴の恩返し
むかしむかし、心の優しくて気弱なおじいさんとおばあさんがいました。ある寒い冬の日、おじいさんは罠にかかった鶴を一羽助けました。 その夜、日暮れ頃から降り始めた雪がコンコンと積もって大雪になりました。おじいさんがおばあさんに鶴を助けた話をしていると、表の戸をトントンと叩く音がします。「こんな雪の日に誰だろう」とおじいさんが戸を開けると、今日おじいさんが助けた鶴が立っていました。
「こんばんは。鶴っす」
「うわ、鶴じゃ」
「マジ恩返しにきました」
「うわ、鶴が恩返しにきた」
「失礼するぜ」
「うわ、ちょっと」
「あん?家にあげてもらえねえと、恩返しができねえだろ?わかってんの、おまえ」
「でも、ちょっと」
「ちょっと、なんだよ」
「いろいろとその、整理する時間が」
「恩返しなめんなよジジイ。鶴にさんざん恩着せといてよー、恩返しされる覚悟はできてたんだろうな。お?コラ」
「お、おもってたのと」
「なんだあ?」
「おもってたのと、ちがくて」
「ちがくてじゃねえよ。『ちがって』だろうが。気になるんだよ、そういうの。年長者が積極的に日本語乱すんじゃないよ」
「す、すいません」
「まあいいよ。上がるぞ」
「あ、はい。どうぞ上がってください」
おじいさんは気弱な性格です。勢いに負けて鶴を家にあげてしまいました。気弱なおじいさんは鶴を上座に座らせると、同じく気弱なおばあさんと一緒におどおどしはじめました。
「おい」
「は、はい。なんでしょう」
「そうかたくなるなよ。これから恩返しされようってんだからよ、じいさんはドーンと構えてりゃいいわけよ」
「はい、すみません」
鶴はおじいさんおばあさんの晩ご飯を勝手に食べながらくつろいでいます。おじいさんおばあさんはもちろん気弱ですから文句はおろかツッコミもできません。おじいさんがお酌をしながら鶴に聞きました。
「あのお」
「あん?」
「すみません。許してください」
「まだ何も言ってないぞ」
「恩返しとは、一体なにをしてくださるんでしょうか」
「まだ考えてねーんだ」
「はあ…」
「頭より先に体が動いちゃうタチでよ。動物なだけに。まずは家まで殴りこみかけてみたのよ」
「そうでしたか」
「まあその気持ちっていうかさ、ハート?みたいなのがまずは伝わればいいなって思ったわけ。伝わってるかな、コレ。ビンビンきてる、じいさん?」
「ビンビン、とはなんでしょうか」
「ビンビンは、ビンビンだろうが。あんたがビンビンじいさんなのか、聞いてんだよ」
「ビンビンじいさん、ですか」
「そうだよ。さあ、どうなんだよ」
「わしはビンビンじいさん、なのでしょうか」
「知らねえよ。あたしに聞くなよ。なんだかフレーズも卑猥だよ」
「すみません」
「とりあえず風呂でも入るわ」と言って鶴は無断で風呂場に向かいました。その間におじいさんはおばあさんと作戦会議です。
「どうするんです、おじいさん」
「どうしようかね、おばあさん」
「下手に鶴なんて助けるからこんなことになるんですよ」
「すまない。わしが下手に鶴を助けたばかりに」
「あの鶴さんはどうやったら帰ってくださるんですか」
「なんでも恩返しがしたいけども、どんな恩返しをするかは決めていないそうじゃ」
「恩返しはけっこうですから、もう帰っていただきましょう」
二人は話し合って、今回は恩返しを辞退する方針に決めました。鶴が気持ち良さそうに風呂から出てきます。
「ああ気持ちよかった。おいビール出せ、ババア」
「あの」
「あん?」
「すみません。殺さないでください」
「殺しやしないよ。なんだよじいさん」
「あの、恩返しはもう、けっこうですから」
「けっこう、てのはなんだよ」
「大丈夫、ということです」
「そういうことを言ってるんじゃねえ。あたしはな、あんたに感謝してるんだよ。じいさん。もうな、こっちは恩返ししないと落とし前つかないんだよ」
「しかし」
「受けて立てよ、あたしの恩返しを。腹決めろよ、いい加減」
「どうしても、ですか」
「どうしてもさ。恩返しさせないと大変なことになるよ」
「勘弁してください」
「選びな。恩返しさせるか、大変なことになるか」
「…恩返し、してください」
「しょうがないね。頼まれちゃったもんはね。仕方がないよ。よし。そしたらしっかりと恩返しさせてもらうよ。じっくり腰を据えてね」
そう言うと、鶴はこの家に居座りはじめました。何日たっても出ていかないので、おじいさんおばあさんはまた作戦会議を開きました。
「どうするんです、おじいさん」
「どうしようかね、おばあさん」
「あの鶴さん、この家に住みつくつもりだよ。実際、すでに住みついてるよ」
「実際、住みついてるねえ。どうしようかねえ」
「おじいさんが恩返しさせるなんて言うからですよ」
「しかしおばあさん。あれは脅迫だよ。恩返しをかさにきた脅迫だったよ」
「そしたら、恩返しをさせましょう。どんな小さいことでも恩に着て、恩返しを終わらせましょう」
それから二人は鶴のやることなすことすべてに感謝しました。鶴が部屋を散らかせばありがとうございます、屁をこいてもありがとうございますと、なるべく恩に着て、恩の厚着をして、鶴の恩返しを一刻も早く終わらせるように努力しました。
「ごちそうさま。ゲプー」
「鶴さん。今日も晩ご飯、わしらの分まで残さず食べてくださってありがとうございます。おかげでわしらの分はもう一度作り直さなければなりません。本当にありがとうございます」
「いいってことよ」
「恩に着ます」
「お風呂借りたぜ。ふぅ」
「鶴さん。今日も一番風呂で翼をやたらとバタバタさせて浴槽の湯をあふれさせていただき、ありがとうございます。おかげでもう一度お湯を沸かさなければなりません。本当に感謝します」
「なに、気にすんな」
「恩に着ます。鶴さん、わしらはもう十分恩を返していただきました。これ以上恩を返していただくわけにはいきません。だからもう、恩返しは勘弁してください」
「いや、まだまだよ」
「後生です」
「そんなに遠慮するなって」
「これ以上の恩返しは困るんです。恩が、辛いです。苦しいです」
「あたしもね、恩返しがこんなに難しいものだとは思わなかったよ。苦しいのはお互い様さ。音をあげるのはまだ早いよ」
「そうですか」
おじいさんおばあさんは懸命に恩返しを終わらせるよう切ない努力を重ねましたが、鶴はなかなか帰ってくれません。鶴が住みついてからとうとう三年がたち、ようやくおじいさんが鶴に向かって言いました。
「鶴さん」
「あん?」
「すみません。ぶたないでください」
「別にぶたないよ。どうしたんだい」
「わしらはもう、恩返しの限界です。もう恩を返さないでください」
「そういうわけにはいかないよ」
「なぜです」
「あたしはまだ、恩を返し終わっていないからさ」
「もう恩はいいですから。むしろ仇で返してください。そのほうが、早いです」
「馬鹿言っちゃいけない。あたしは義理堅いんだよ。恩返しが終わるまで、あたしはテコでもここを動かないよ」
「そんな、大した恩でもありませんし」
「いいや。あたしはじいさんから受けた恩を忘れないよ。今でも思い出して、涙が出るよ。ズシーンときたね、アレは。あたしも同じように、ズシーンとした恩返しをじいさんにするまでは帰れないんだよ」
「わしらはそんな重い恩返しは望んでおりません」
「いいや、一つあるはずだ」
「え?」
「最初にこの家の敷居をまたいだときから感じていたんだ。あんたらには一つ、叶えたい願いがある。そしてそれはあたしにしかできない願いだってね。直感的にわかったのよ。動物の勘ってやつさ。あんたらにはわかっているはずさ。さあ、あたしにとびっきりの恩返しをさせてくれよ。あんたらの願いはなんだい」
おじいさんは考えました。叶えたい願い?そんなもの、わしらにはないはず…。いや、待てよ。一つだけあるじゃないか。わしらがどうしても叶えたかった、大きな願いが。そうじゃ、そうじゃよ。なんだ、答えなんて最初からあったんじゃないか。おばあさんがとなりで優しい笑みを見せる。おばあさんも同じ考えのようだ。鶴がうれしそうにおじいさんを見ている。ようやくおじいさんに恩返しができる。うれしくてたまらないといった様子だ。鶴がおじいさんの言葉を待つ。おじいさんはおばあさんと目を見合わせ、優しくほほえみあい、鶴に向かって言った。
「帰ってください」
鶴の恩返しは成就した。
鶴の恩返し
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