吸血鬼とプロテイン
「ちょっとー、何するんですか」
止めてようとなんとも間の抜けた声で言われて、私は一気に脱力してしまった。男の胸元から手を放し、勢いで後ろに押す。押されたほうは素直に後方のソファへと倒れこんだ。
「あーあ、一張羅がしわくちゃだ」
男はそう言ってはだけた胸元を一張羅――ただの白いシャツで隠した。尋常でなく青白い肌が見えなくなって、部屋の明かりが数段落ちたようにさえ思えた。
「なんでこんなこと、したんです」
細く長い、器用そうな指がシャツのボタンをとめていくさまに見とれていた。それを悟られたくなくて、わざと顔をそらす。
「いや……吸血鬼って、血も涙もないっていうから」
「はあ」
「心がないのかなーって」
「はあ」
今回の「はあ」は相槌ではなかった。呆れたため息だ。
「それで、シャツを開いたら心が見えるとでも? あなたはどうなんですか」
人間は心があるんでしょ、と諭されて急に恥ずかしくなった。心なんて見えるはずがないのだ。
ではなぜこのような愚行に及んだのか。つまるところ私は――。
「僕に触ってほしかった?」
いつの間にか至近距離にいた吸血鬼がそっとささやいた。驚きに体が揺れる。さすが吸血鬼なだけあって、動く気配を感じさせない。
言葉に詰まってしまった私を無視して、男は私の腕をとった。顔を近づけ、においをかぎ、小さく口を開いて肉に牙をつきたてる。鋭い痛みの後で肉がさけたのを知る。
私が痛みと血を失う感覚に小さくうめき声をあげると、男は吸血を止めた。
「うっ、くそまず」
口をぬぐった第一声がそれだ。殴ってやりたくなる。
「勝手に吸っておいて」
「それもそうですね。すみません、あなたの血がまずいことはとっくに知っていたのに」
口直しだと言って吸血鬼はキッチンへ消えていった。たぶんプロテイン飲料を作ってくるのだろう。今日はイチゴ味と推測する。
私の血はまずいらしい。確かに貧血気味だが、あんな顔されるほどなのか。私の血よりもプロテインやバランス栄養飲料を飲むほうがいいのだとか。はじめは吸血鬼とプロテインの組み合わせに納得がいかなかったものの、血液を摂取するのはそこに含まれるたんぱく質やミネラル、ビタミンのためだと説明されてからはまあ、一応、折り合いはついている。
そんなわけで我が家には吸血鬼がいる。というよりも居ついてしまった。
美形吸血鬼を養っている、なんて少女漫画のような話ではない。捕食者と被捕食者だ。加えてあの男、経済的に自立している。プロテインやバランス栄養食品、そのほか私のために鉄分補給食品まで買ってくる始末だ。ついでに言えば家賃も折半、3食きっちり作ってくれる。これではまるで私が飼われているようではないか。
「いつまで突っ立ってんの。貧血でまた倒れますよ」
カップにピンク色のプロテインを揺らめかせて、吸血鬼がキッチンから戻ってきた。ソファに座ったのを見て、私も倣う。ふと差し出されたのはプルーンだった。ありがたくちょうだいする。吸血されると後で急にくらっとくるのだ。
プルーンをかじる私の傍らで、吸血鬼がプロテインをすする。なんだかおかしな光景だなあといつも思う。
「プロテインでいいならさ、それだけ飲んでいればいいのに」
首をかしげる仕草だけで疑問を呈されたので、詳しく説明する。
「人を襲って血を飲むなんて、面倒くさいし危険じゃない。プロテインで済むなら人間ともうまくやっていけそう」
「えー……」
その言葉は抗議しているのか、やる気がないのかどっちだ。
「あなたは一生サプリメントだけ摂取して生きろって言われたらどう思います?」
「えー……」
「今さっきあなたが言ったのはそういうことです」
なるほどなるほど。私はかなりひどいことを言ったらしい。種族の違いというのは難しいものだ。
「ごめんね」
吸血鬼は肩をすくめた。
「そんな気にしなくていいですよ。冗談だし」
さらっと言われた一言に私が固まっていると、吸血鬼はコップをローテーブルに置いた。
「いまどき、プロテインもずいぶんおいしくなりましたから」
「あ、そう」
呆れた。どうせ私の血はプロテイン以下だ。
「そんなことないよ」
ふと吸血鬼が否定する。あまりにも軽い言葉だった。
「最初のころは吐くくらいの味だったけど、最近はまあ飲めなくはないレベル」
確かに、初めて吸血されたときは、青白い顔をさらに白くして「トイレはどこだ」と尋ねてきたのだった。
そもそも、なぜ吸血鬼は血がまずい私のところなんかにいるのだろうか。
「それこそプロテイン飲んでるような女の子のところへ行ったほうがいいんじゃない?」
吸血鬼はあからさまに嫌な顔をした。
「苦手なんですよ、体育会系」
言われてみればそうだ。こんな青白い吸血鬼が小麦色の肌した健康少女と一緒にいられるはずないのだ。ミスマッチもいいところだろう。
「それに、僕育成ゲーム好きなんだよね」
私は画面の中のキャラクターか。
「愛着がなければ育てませんよ」
へーえ、と呆れたあいづちしか出なかった。なのに吸血鬼は楽しそうだ。
「安心してください。死ぬまでちゃあんと面倒みるから」
「死ぬまでって、私が?」
「うん。永遠は嫌でしょ?」
それって――。
「私がおばあちゃんになっても一緒にいるってこと? 絶対に嫌」
吸血鬼は年をとらない。永遠の命を持つ。ずっと若々しい彼のそばで、1人年老いていかなければならないのか。そして最後には彼を置いていくのだ。
「絶対に、嫌」
「大丈夫、大丈夫」
何が大丈夫なのか。
「僕は君の心を愛しているんだから、少しくらい年とったって変わらないよ」
やはり吸血鬼には血も涙もない。彼の気持ちは痛いくらいわかる。私には想像もつかない、永遠を生きる苦しみ。道連れにするのは酷だと考えているのだ。私が死んだあとはたった1人で永遠を生きていく。
でもそれは、私の気持ちを無視したやさしさだ。
「あなたの心遣いはとてもうれしいけど――」
「おや」
吸血鬼が私をさえぎって笑う。
「吸血鬼に心はないんでしょう?」
「……ばか」
ないはずの彼の心に、少しだけ触れた気がした。
吸血鬼とプロテイン
人外と女子高生っていいよね、と思ったんですが1人暮らしの女子高生に違和感を覚えた結果年齢不詳の女性になりました。