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五十一






 プラスチック製でピンクの洗濯かごには何十枚と積まれた。等しく黒い,一頭だけは羽根がどうも畳めなかったようで,どうせだから蓋のように用いてしまおうと担当者がこれを最後に『被せて』,これらをかごごと受け取った。きつい匂いを予想していたので息を止めて,鼻声になりながら受け渡しの際に必要な手続きを口頭で済ませていたけれど,担当者がその念の入れようを笑いながら,大丈夫大丈夫と言うから覗き込む気分で鼻を開いて匂いを呼び込もうとした。さっき洗った手の石鹸,担当者が身に付ける男ものの香水と無味乾燥な保管室に漂うどこかの薬品らしきもの以外に,鼻を突く匂いがない。
「皮だけだったみたいだ。所長がうるさいから一枚ごとに手を突っ込んで調べもしたが,付着しているものは無かった。おかげで汚れはしなかったし,冷たい水仕事も無事に避けられた。謎はばっちり残ったけどな。報告書には,分かりませんということを長々と書き連ねることにするよ。」
 紙を数枚ペラペラさせて,ホッチキスをステンレスの台の上に置く担当者とは,お疲れ様を言い合って別れた。ドアは閉めなくていいので,そのまま洗濯かごを持って廊下を歩き始めた。
 フロアごとの特徴はない。白い壁面とリノリウムの床の色は施設の中をどこまでも続く。白色蛍光灯は恐らく,深夜のこの時間に付けられていない数も間隔も同じだろうと思われる。洗濯かごの中身には目を落とさず,鍵が閉まっているであろう部屋の前を順調に通り過ぎて,「本来は,…」ということを恐らく電話口に伝えていた声の主は,存在を響かせては姿を見せなかった。先の担当者と同じく何かあって呼び出されたか,それでもこれらのこととは関係はないだろう。これらはもう処分することが決まっている。階段を下りて先,緊急の電話を受け付けるためだけに開けている窓口にこれらをかごごと手渡すのは,少なくとも再利用をしない。もう一度と用いられることなく,必要な書類と羽根を広げて,一緒に朝に出されるところは壊れた傘を思わせる。折り畳みのものは確かに壊れやすい。ビニールのものとそう変わらない。ただ袋を突き破らないように心配をする必要が無い分だけ,これらの皮は付き合いやすい。黒い胴体の,中身はないが。謎,担当者が分からないということをつらつらと書き始めているかもしれないフロアの広い場所には,別棟に繋がる渡り廊下に上にも上る階段がある。
 靴底でこつこつと叩いて,一段ずつをゆっくりと下りるころには中庭でキイっと鳴いて翔ぶものがあった。厚い磨りガラスに阻まれて,それを認めることは出来なかった。
 等間隔で続く,スポンサー企業の広告がここぞとばかりに掲示されている窓口から漏れる光が一番強く,担当者は丁度席を立って,書類棚に何かを収めにいったのがここから分かった。ボリュームを絞ったラジオも付けていないことから,いつもの担当者ではない。すいません,と声をかけて初めて顔を合わすその人は随分と明るい髪をした,新たな担当者であった。はい,という返事をもらい,これを,と言いつつ真四角に開かれた窓口の前に洗濯かごをどんと置く。その黒い色は暖色系の灯りをはじいて,弾力まで改めて感じさせた。
 その新たな担当者ははいはい,聞いております。と丁寧な対応を見せつつもそれらにとても興味津々で「うわーっ,」と言いながら,一番上の羽根を広げているそれを引っ張り出して両手で掴み,その体長のすべてを自分にも見せていた。
「すごいですね,図鑑の通りですね。どうしてこうなったかは分からないけれど,これはこれで見ものですね。」
 新たな担当者はそう漏らして,「あ,すいません。」と慌てて謝った。気にしないで下さいということに,確かに見ものですねと同意を示して記入が必要な書類をもらいたいことを伝えた。
「はいはい,」
 と応じる新たな担当者は広げたその皮を,広げたままかごの上の元の位置に被せて,夜勤の間にそこに座り続けるであろう背後の机に戻るとボードに留めた書類と黒いボールペンを持って,「どうぞ。」と丁寧に渡した。
 有難うございます,と言い挟まれたボールペンを持って日時,場所,氏名と記載欄を一つ一つ確認しながら書く。新たな担当者は洗濯かごにまだ興味津々のようで,被せた羽根の先を今度は指先で摘まみながら,その下の皮がどうなっているかを見たがっていた。
「小さい頃,スタンドライトだけを点けっぱなしにしてホットミルクと図鑑を机の上に置いて,毛布を被ってから読むのが好きだったんです。」
 そう言う新たな担当者は二番目,三番目の皮も捲って,またも「うわーっ」と漏らした。
「夢中になるといつもミルクを零しました。それでまたすぐに慌てるものだから,被っている毛布の角で,ばっと拭いちゃう癖があったんですよね。最後まで。綺麗になったらそれで良かったから,すぐにまた読み始めるんです。そうするから匂いは中々,だから毛布は定期的に洗ってもらいました。」
 そういう経験,ありましたか?と聞かれているような沈黙があって,書くのをとめて,新たな担当者の方を見るがその担当者は未だ皮に夢中なようで「うわーっ」と声に出さないだけで,口の形ではそう言っていた。場所の住所の続き,氏名を性から書いたら,備考欄に『手渡しの為』とだけ書き,詳細は担当者に求むということも記載した。そしてそれをボールペンとともに,改めて髪が明るいと感じた新たな担当者に手渡して,後のことをよろしくお願いしますと言った。
「了解です。」
 新たな担当者はそう言い,洗濯かごのものからばさっと手を離して,差し出したボールペンと留められた書類を確かに受け取った。軽い挨拶を交わし,掲示されている広告の数枚を丸ごと見て,リノリウムの床を叩いて窓口のすぐ近くの,出入口に向かった。洗濯かごはそれから,窓口の内側にズズッと引き摺られたことが音で聞こえた。
 気温は夜半に下がる。出た外でネクタイを締め直して白い息を吐きながら,正面の駐車場に向かった。所有車以外に数台。離れて停められた配置は抜き忘れた大きな動物の歯のように思えるかもしれない,それなりに高く翔べたらの話だがと思い直しながら所有車に小走りで向かって,背広のポケットから取り出した鍵で運転席の鍵を開けた。それから後部座席のドアを開き,ハンガーにかけた厚手のダウンを上から着て,チャックを閉めて,両手を入れた。煌々とする宙に,白い息が幾度も混じってキュッと鳴く,赤い車体はコンパクトに造られて,鍵を回せばワイパーが左に戻った。
 暖房は,強くはしないのだった。

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-02-23

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