青い小鳥
一
毎夜、私が一心不乱に、青い小鳥を追う夢を見る。私が此の様な夢を見るようになったのは、何時頃からであろうか。真白の空間が何処までも続いていて、其の空間には、真直ぐに飛び行く青い小鳥と、其奴を追う私とだけが存在している。
真白な空間と言っても、真白とは、雪のことでもなければ、光のことでもない。とりあえず私は、説明し難い、神秘と不思議とに満ちている奇妙な空間にて、毎夜、青い小鳥を、寝床に朝日が射す時間まで、永遠と追いかけているのである。
私は夢の中にて、掴むことのできない小鳥に、常に憧れを抱いていた。そして、小鳥は私にとって、美しさの究極体の象徴であった。此れは、夢の中での私の話しであるから、私の小鳥に対する想いは、夢の暗示であると言っていいであろう。
私は毎夜、青い小鳥を、此の手で捕まえようとした。しかし、何程に夢を見続けても、私は一向に、得れないでいた。唯、到達が不可能的な理想の物体化のようなものを追いかけ続けている私の胸には、もどかしさばかりが存在していた。だが、夢を見続けて、了解したことが一つあるのだ。此れまで不様な程に、捕まえることができずに、青い小鳥を追いかけ続けてきたわけだが、夢を重ねる度に、夢が終わるときの私と小鳥との隔たりが、日に日に小さくなってきているのだ。もどかしさを生む距離も、日々が経つに連れて、少しずつ小さくなっていった。そして、やっとの思いで、昨日の夢にて私は、青い小鳥に手が掠るまでに至った。きっと今宵の夢では、私が今までずっと、胸に焦がれてきた小鳥を手に入れることになるであろう。
青い小鳥は、決して私の手では触れることができなかった、叶うはずのない望みであり、私の心が最高とする理想であった。いわば、永遠の希望であった。
私は夢の中にて、其れを自分のものにすることができない定め事に、何程に、虚しさを目の前にして、儚さが溢れる胸に、涙を流したことであったであろう。しかし、もう此の様な苦しみも、今夜、寝床に就いてしまえば、終止符を打つことになるのだ。
一応、断っておくが、先程に述べた苦しみは、全て、夢の中の私が感じているものであり、目を覚ましてからといっては、苦しみなんてものは、まったく感じていない。
私は夢の結果を楽しみにして、寝床に入った。
二
私はもう既に夢を見終えている。結果、私は青い小鳥を捕まえることができた。私が晩に見た夢について、記していきたいと思う。
これまで私は、胸に雪のように冷たい切なさが積もりゆきて、完全に冷えきった陰鬱な心で、雲の上の存在のような小鳥を、夢を重ねて追いかけ続けてきたのだ。 其の青い小鳥も、一回、一回と、夢を見ていくうちに、やっと私は、永遠に手に入らないと諦めていた望みを叶えることに成功したのだ。
私は定めを了解していて、日々の叶わない望みは、切なさと悲しみを帯びた恋心に似ていた。寧ろ私は、青い小鳥に恋をしていたのであろう。以前にも述べたが、私の恋の相手は、美しさの最高的な理想郷であり、美しさの完遂された姿でもあった。其れは誰もが知る由も無い「真実」であったのだ。もちろん其れら全ては、夢の暗示によってである。私はとうとう、其の真実やらを知るに至ったのだ。
私が毎夜に見る夢と同じく、青い小鳥を追いかけていると、やはり、今までに夢を見てきた何の日よりも、小鳥に近づくことができたのである。小鳥を目の前にしたときに手を伸ばせば、一晩前に見た夢とは違って、掠るだけではなくて、青い小鳥を掴むことに成功した。
青い小鳥を捕まえた私は、走り続けていた足を止めて、掌に存在する温かみに、言葉では表せれない程の、大袈裟に言えば、神秘的とも例えれる喜びに浸った。
しばらく青い小鳥を握って、喜びと喜びが生み出した幸福感とに、うっとりとしていたのであった。
しかし其の様な時間も長くは続かずに、時が経つに連れて、青い小鳥を手に入れた私は、私が存在している奇妙な空間にて、何処に向かって進んで行けば良いのかに悩み始めたのである。今までに中々の距離を走ってきたわけだが、目の先に広がっている光景には、青い小鳥しか映っておらず、其れ以外は全てが白い空間であった。私は此れからの未来を、考えれば考えるほどに、目の前に漠然と広がっている、虚無的な時間と空間とに対して、不安と遣る瀬無さとを覚えていくのであった。そして、掌に存在していた筈の温かみも、何時の間にか冷めているように感じたのである。
しばらく時間が経過して、不安も最高潮に達したときには、私は掌にいる青い小鳥のことすら忘れていたのである。私が小鳥を忘れたときぐらいであろう。信じられない事実が私を襲った。私の掌に抱かれている小鳥が、砂の如くさらさらと、私が力を入れて曲げれば、ぽきっと折れてしまいそうな嫋やかな二本の足から、鋭く尖った嘴、次に頭、と全身が、私の掌を擦り抜けて、私の目の前で、ゆらゆらと舞っていたのだ。私は、青色に輝いている不思議な粉塵を、空っぽを握っている右手に寂しさを感じながら、其の粉塵の美しさを恍惚と見ているのであった。少し時間が経った後に、私は起こり得た現実を飲み込んで、おどおどと、私の目の前で揺れている粉塵に叫んだ。
「お前はどうしてしまったんだ!私の青い小鳥よ!お前は私のすべてであったのだ!何故に、其の様な姿になってまで、私の掌から去ろうというのか!答えておくれよ!」
私が問いかけると、耳という感覚神経を通じてではなくて、私の心に直接(此れは私の直感である)、不可解な生命体が、其の訳を話した。
「貴方は、私を捕まえようとして、大層に心を躍らせて、熱心に私を追い掛けたことよ。最終的には、私を捕まえることに成功したわ。でも結局、私は貴方に捨てられたのよ。貴方の心が一番に知っているはずよ。でもね、其れで正しいのよ。其れが心の理っていうものじゃないかしら。貴方の心から言ってみれば、其れが、美しさの真実なのかも知れないわね。」
青い小鳥は、言い終わるのと同時に、上空に儚く消えていった。
寂然とした世界には、私一人だけが残されて、失ったものを顧みて絶望していた。
私は欲していたものを手に入れたが、結局は其れを失って、今としては、生きていくことへの気だるさ、空虚感に私の胸は埋め尽くされた。私は悲しい現実を受け止めて、美しさといった永遠の憧れを呪いながら、自身の首を締め付けて、自ら命を絶ったのであった。夢の中の私には、自殺するよりほか、選ぶ道は無かったのであろう。青い小鳥が、私の彼の世界での存在意義であり、小鳥が粉塵と化して消えてしまった以上、私の生きていくための理由が無くなったに違いない。運命が、私に自死を命じたのであろう。
夢の中での私は、唯、心いっぱいに、最高とする理想の象徴として現れた青い小鳥に恋い焦がれて、私はずっと掴むことのできない神秘を真実と呼んだ。私は彼れを必死に追い掛け続けた。彼れが私の求めた全てであったのだ。しかし其れも一度手にしてしまえば、私の心が、憧憬の的を自らの手で壊してしまった。其の行為は、私の強欲ともいえる。しかし、粉塵と化した小鳥は、私が先に述べた愚劣が真実であると告げたのである。最終的には、私は自殺をしてしまったわけだが、其の愚劣も真実の一部分であるのかも知れない。追憶をしてみれば、何と悲しい夢であったことであろうか……
私は幾つもの夜を通して、夢からの教訓を得た。少しだが、やはり、人生に対する虚無さを覚えた。しかし此の様な気持ちですら、何時かは消えてゆくのであろう。永遠こそが、青く広大な大空のように虚無であるのだから。
嗚呼、私は此れからの夜を、何の様な夢で送っていくのであろうか。少しだが、心持ち楽しみである。
青い小鳥