つもるはなし、つまりよもやま―夏の巻―

序幕

「30分だけ。30分だけ、私の些細な夢、叶えさせてもらえますか? こんばんは。午前1時のシンデレラ、ステファニー・アームストロングです。今宵もどうぞお付き合いください。早いものでこのネットラジオ、『今宵、星降る時間』も今日7月1日でまる六ヶ月経ちました。最初はとても自分で自分をシンデレラと口にする事が恥ずかしくて仕方なかったのですが今では自称シンデレラとして名前売っています。素敵な王子様を探し求めて。ふふふ」
「えーそれはともかく。何よりこうして六ヶ月も続けて来られたのは本当に。ここ強く言いますね。ホン・トウにっ! リスナーの皆様のおかげです。毎回色々と応援メッセージを頂いたり、時にはお声を直接いただいたりと、私たちの方がたくさんの元気、勇気をいただいてきました。本当に感謝いたしております。これからも(わたくし)、自称シンデレラのステファニーと番組制作スタッフの面々……と言ってもスタッフは私以外一人しかいないんですけどね、ふふ。そしてリスナーの皆様と一緒に、突っ走って行きたいと思いますのでこれからもどうぞ応援よろしくお願いします」
「さて、皆さん。月が変わりまして7月です。もう熱帯夜間近か! と言うような暑さが続いていますけれど、みなさんは夏って好きですか? それとも嫌いですか? よく夏と冬はどっちが好き? 暑いのと寒いのどっちが良い? なんて話をしたりしないですか? そんな時私は決まって夏と答えます。寒さは着込めば耐えられるなんて言いますけれど私は寒いのが、ほ~んと苦手で、すぐ手足の指先が冷たくなって辛いんですね。あら、私の手を温めくださりますか? どうもありがとうございます。ナイト様たちから一気にコメント来ました。ありがとうございます。それで夏の話に戻りますけど夏はやっぱりですねぇ、暑いとかそういうのは横に置いて、とにかく晴れた日の眩まぶしすぎるくらいの日射しが好きなんです。私。気持ちもしゃんとするような爽快感と言うのでしょうか? そんな風に私は感じるんですね。名古屋の夏は特に蒸し暑いとよく言われますが住めば都。遠くにお住まいの方で名古屋の夏を知らない方、お見えになりますか? そんな方、よろしければ一度味わってみてはいかがでしょうか? まだ梅雨明けではありませんが、ちょうど今週末には私達の劇団、まほろば一座の第二十回公演もありますからね。お時間ある方はどうぞいらしてください。まだチケットあります! 間に合います! と、軽く宣伝を入れたところで今宵の一曲目と参りましょう。一曲目はですね、私の顔見知りのバンド。この場でも何度か紹介させてもらっていますSalty DOGさんの新曲です。今日この番組が音源初公開だそうです。宇宙初公開だと言っておいてくれと言われております。ジャケットにはですねぇ、このように、美しい満天の星空の写真となっております。流れ星は……見当たらないかな? ふふ。でもこの番組にもピッタリなジャケットですね。ではでは、Salty DOGの皆さーん、聞いてますか? 言いますよ? それでは、今日、2059年7月1日火曜日、最初の曲は、宇宙初公開となります! Salty DOGで、Night Train」

 駆け出すように聴こえて来たのは軽く歪めたクランチ・サウンド・ギターによる16ビートカッティング。7小節の刻みが続くとそこへ硬く芯のあるベースと同時に4つ打ちアクセントのドラムで勢いがつき曲は一気に疾走感帯びたイントロダクションとなって明けた。そしてそのリズムサウンドをバックにきらびやかで伸びのあるギターのメロディが滑らかに入り躍動感を付け足す。全16小節のイントロダクション。

 そして艶やかで湿り気を帯びた男の歌声が始まりを告げた――



  逃げ出す様に去ることを望んだのは僕だけど
  今までの時間(とき)放り出し 出て行くことを決めたくせに もう……

  偽りのない明日(あす)を探し見つけるためにと(うそぶ)く僕
  心は側にあるからと呟いた僕を星たちは笑う

  嗚呼、そうだね 全部
  独りよがりの感情
  これ愚かに
  たしかに純情
  嗚呼、戸惑い落ちて行く

  あまつさえ遠ざかって行く 揺れることのない君の心
  (いま)だ見えぬ明日(あす)へ向かう 揺られているのは僕の心

  輝く君に近づけば
  誰かを蹴散らす勇気も萎えて
  愛した事 置き去りにできず
  みすぼらしく成り果て去る

第一幕 其の一 桂介と智之

 西暦2059年7月1日の昼下がり。真夏の匂いを引きつける暑さに梅雨のなごり蒸した暑さが混じる名古屋地方の空は活気無い単調な色合いに満ちた退屈で憂うつな空模様であった。
 しかし、そんな空模様と蒸し暑さに包まれた空気などものともせず暑さを暑さとして満喫していた桂介(けいすけ)智之(ともゆき)は今日も『集い処きらめくあまた』で過ごしていた。

 『集い処 きらめくあまた』は愛知県名古屋市の東に隣接する長久手市は長久手古戦場駅近くにある古びた倉庫を改造した店舗である。ここには平日休日問わず老若男女、数多(あまた)の人々が出入りしている。時には子供たちが小遣い片手に賑わい、時には老人方が寄り合い喋り戯れれば、若者たちが音量最大限にバンドサウンドを響かせ、まばゆい光のシャワーを浴びて叫んでいることもあるかと思えば、暗転した静寂の空間に一筋の明かりを灯らせ演技を興ずる者たちがいる。と、多種多様な人々が集まる場所。それが『集い処 きらめくあまた』である。

 桂介は「やっぱ夏はコレだな」と独り言のように言って苺シロップのかかったかき氷に夢中になってスプーンを入れている。そしてその桂介の言葉に呼応し「やっぱそうだな」と智之もまた夢中になって抹茶色の氷を味わっている。
「ううーっ、キターッ!」
 桂介は陽気に顔をしかめ体全体をじたばたさせながら頭痛を楽しんでいると智之はその姿をいつものように指差して笑い自分もかき氷の冷たさを堪能していた。そしてかき氷が氷水の様になって崩れてきた頃、桂介はスプーンで氷をすすりながらまた独り言のように言葉を発した。
「智之。ちょっと頼まれて欲しいんだけど」
「おお、ええよ。何よ?」と智之は快活な声をあげ正面にいる桂介を見た。すると桂介はその智之とは対照的に淡々とした口調で智之を見ること無く言った。

「今度の舞台、話全部変えるからみんなに伝えといて」

 この桂介のあっさり放った言葉は二人の空間にほんの少しの()を作った。桂介のただ氷をすする音しか聞こえないような硬直した間。

 言葉失くし驚きに満ちた顔で桂介を見つめる智之――
 智之などいない者のように氷に夢中の桂介――

 その間を壊したのは耳を突き刺すような智之の裏返し声の叫びだった。
「はぁぁぁっ?!」
 智之の快活さに勢いを増した声量の叫びに店主、彩乃は70歳という年齢を感じさせない切れと張りのある声で言った。
「こらっ、ともちゃん! 今はお芝居の時間じゃないでしょ! お客さんがびっくりするじゃない!」
 言葉とはかけ離れた気品をも感じる深く皺の入った笑顔で彩乃は智之たちにひと声上げると彩乃の目の前、鉄板テーブルを挟んで座っていた30歳前後のカップルに向かって「ねぇ」とにこやかに声をかけた。するとカップルは振り向き智之たちを見て優しく笑った。
 智之は彩乃に対し振り向くことなく「はーい、彩乃さん」と気の無い言葉だけの返事をすると勢い止めず桂介へと迫った。
「おまえ、今日、火曜日だぞ! 金曜日までに何ができるって言うんだよっ!」
 突き刺さす智之の視線などものともせず今もなお氷を味わって口にしている桂介。呆れた智之は深い溜め息の後、(さと)すように桂介へ言った。
「仮にな、別の本がすでにあったとしてもだ。誰がハイそうですかと言うんだ? みんな時間ギリギリの中、今まで稽古やってきたわけだ。全部チャラにしてゼロからってどうなん? 24時間フル稼働でやるってか?」
「まぁそうだわな。俺も嫌だ」
 他人事そのものの口調で応える桂介に対して智之は大げさに体を仰け反らしたかと思うと即座にテーブルへ両手を叩きつけ項垂れた。そして再び深い溜め息ひとつ出すと一呼吸置いて桂介へと言った。
「オマエ、ナニ余裕ぶっこいてんだ? 意味わかんねぇこと急に言いやがって。その態度、信じられねぇわ。で、理由は? お前がこんなつまらん冗談言う人間じゃねぇ事くらい分かってるぜ、桂介」
「つまらねぇか? 俺は面白いと思ったけどなぁ」
 相変わらず桂介は智之と対照的な淡々とした口調で首を傾げて言うとそのまま皿を片手で持ち上げ溶けた氷を体へ流し込んだ。そして智之を構う事無しに「キーンと来たよ、これ。おお来た来た」と言って微笑んでいる。その桂介の独り身勝手な姿にあからさまの呆れ顔を作る智之。そして止まない溜め息。
「ああ、やっぱ氷は“あまた”が一番うっめぇーわ。彩乃さん、ごちそうさま!」
 桂介はそう言って立ち上がった。
「おい、桂介! で、さっきの話は冗談なんかて! おい、黙って行くなって!」
 桂介の言った事に本気で腹を立てていた智之は声を荒げて立ち上がり桂介の腕を掴み睨んだ。
「おお、ごめん。今日は立て替えといて。悪ぃ」
「いや、そうじゃなくて話変える理由言えよ。俺が皆に伝えといてやるからよ。理由がなくちゃそんなことみんなに俺だって言える分けねぇよ。で、今回は延期にしようぜ。無理にやるこたねぇよ。お客さんにまともなもの見せられなくちゃ申し訳ないだろ。オマエがいつも言ってる事じゃねぇかよ。銭取ってる分楽しんでもらわなくちゃダメだ。何かを持って帰ってもらわなくちゃダメだってよぉ」
 智之は本気で怒りを感じながらも桂介が芸には妥協しない、そのためには無理無茶言う奴だと言うことは十分理解していた。だからこそ桂介の言動に嘘、言い換えれば裏があると思えて仕方なかった。


 十代の頃から一緒に回してきた仲間。いや、親友と言える域まで達しているだろう二人の関係。例えるなら夫婦関係のような関係。時代錯誤な表現承知で言うと妻として家計のやりくりと子供たち(団員)を世話してきたのが智之で、一家の主人、大黒柱として家庭の責任を背負って立ってきたのが桂介である。そんな二人の関係がまほろば一座を築き上げ今の存在感あるものとしてきた。その土台がある桂介が演劇に対してこんな軽率な行動をとる男じゃないことは智之自身重々承知している。故に今の自分の感情、吹き出した怒りと(いきどお)りを押さえ込む思考、これは桂介の意図ある行動だということを智之は信じたがっていた。

 ではここで桂介は智之のこの心情というもの察して理解していたか?

 桂介本人は智之の懐深さは分かっていたし、そこへ甘えられる、それができるからこそ自分の表現手法の正当化ができ、劇団を回して来られたと無意識下で理解していた。だから今回のような行動として表れたと言える。そして、こうした形で一見捻くれたような、遠回しの態度を見せるのは裸の自分自身をさらけ出してしまうことへの(わず)かな羞恥心の存在であり、桂介が智之を信頼していることの証、裏返し愛情表現とも言える。

 これが座長・桂介と副座長・智之の関係なのである。

第一幕 其の二 Salty DOG参上

 桂介の腕を掴み凝視したままの智之は桂介からの納得いくまともな言葉を待っていた。それに対し桂介の方は真剣な眼差しを向けている智之へ、からかいに満ちた作り笑顔を作ってみせ確認するかのように発声した。
「つもるはなし、つまりよもやま」
「はぁぁっ!?」
 期待から大きく外れた意味不明の言葉に智之は大声をあげると共に大きく顔を歪めた。桂介はというと白々しいほど落ち着いてまたも言う。
「つもる話、つまり四方山(よもやま)。そーいうことだ」
「はぁぁっ!?」
 歪めた顔を固めたまま今や口癖かのように声をあげる智之は理解できない桂介に怒りが理性の壁を破壊しかけていた。が、その寸前に桂介は相変わらずの淡々とした口調で別の言葉を発した。

「ヒメが抜ける」

 智之はこの言葉に異常なほどの反応を示し、人とは思えぬ奇声で叫んだ。
「はぁぁぁぁぁっ!? お前、ナニ言ってんだよっ!?」
 これに対し微塵の動揺なくマイペース決め込む桂介はさらりと言う。
「理由は言った。ってことでみんなに伝えといてくれ。明日の夜7時にここに集合」
 そして桂介は何事も無かったように去ろうとした。それを智之は黙ったまま桂介の腕を掴み引き寄せ睨みを利かせたが桂介は智之の顔を見てニヤリ顔で応えただけで口を開かず智之の手を振りほどくと出口へと体を向けた。するとそこへ靴音を立てて暖簾(のれん)をくぐって入ってきた青年がからかい口調で言った。
「おいおい、聞こえたぜ。何、ついに来ましたか? 織姫脱退」
 その青年は短い髪を逆立て、所々破れ色褪せたブルーのデニムパンツに暑い中でも年季の入ったエンジニアブーツを履き、肩にはギターバッグを掛けていた。インディーズバンドSalty DOGのリーダー、英秋(ひであき)である。
 桂介は英秋の顔を見るや否や「盗み聞きとは趣味悪ぃなぁ、さすが塩漬け犬」と言い放った。
 その言葉に英秋は冗談の怒り顔で「塩漬け犬言うな」と応え桂介に歩み寄るとお互いニヤリとして握り拳を軽くぶつけ合った。
「マジなの? ヒメちゃん脱退って? もしかして大手プロに行っちゃうの?」
 と慌て口調を英秋の後から聞かせたのは長方形のギターケースとエフェクターケースを手にした金髪青年、誠だ。
 そして誠のすぐ後にいた長身で、がたいの良い青年は英秋や誠とは対照的に「こんにちは」と低い声で一言だけ口にし、ゆったりとした動作で入ってきた。彼の名は一郎。ブルーに輝くレンズのサングラスをかけ表情は見えない。手にしていたのはベースバッグであるが言われなければギターバッグにも見えなくない。
「ってことは、もう会えなくなっちゃうの?」
 男としては甲高く愛らしい声を響かせたのは一郎に隠されているようにいた青年。ドラム担当の茂である。彼はパナマ帽を載せるように被り、大きな眼鏡をかけ額を汗で光らせていた。そして、かたつむりの殻のように背負ったスネアバッグと両手に大きな手提げ袋を持つ姿は目を引く。
「おい、何勝手に言ってんだよ、お前ら?」
 智之は桂介に向けていた感情の勢いをそのまま乗せて楽器を持った彼らに言うとそれを受けて英秋は「随分荒れてるなぁ。こりゃヒメが抜けてまほろばも解散ってところっすか?」と茶化すように言った。
「冗談でもそんなこと言うんじゃねぇよ!」と声を荒げる智之。この時、智之はヒメ脱退という寝耳に水の話に内心かなり動揺していた。
「これでここのハコはウチらが気兼ねなく使えるな」
 バンドと芝居の共存は無いと思っていた英秋は冗談半分、本気半分で言った。
「勝手にハコ言うんじゃねぇよ、ここはウチらの小屋だ」
 智之はイラついた気持ちをぶつけるべく喧嘩ごしで言った。すると英秋は「小屋言うなて。ここは俺らのハコだ」と受けて立つが(ごと)く智之を睨みつけ言い返した。その二人のやり取りを桂介とSalty DOGの三人はまるで子供の喧嘩だと笑って見ていた。

 Salty DOGの四人と桂介、智之の関係であるが、実は同じ高校の同級生であったのだ。
 この時、桂介と智之は芝居を始め、英秋や誠たちはバンドを始めたのだが、その中でも桂介と智之、そして英秋は同じクラスであったものの友人という形の接点はなく、文化祭の舞台にもお互い立ったがそれでもジャンルの違いからか、さほど互いを意識することなく高校時代は過ぎていった。

 しかしそれから三年後、ここ集い処きらめくあまたで彼らたちは偶然対面し、「まだやっとったんか」と笑って握手を交わしたのが繋がりの始まりであった。

 そのようにしてジャンルは違っても互いの活動を認め合い冗談を言い合える関係になって八年近くになっていた今現在。それ故の裸の感情のぶつかり合いもしばしばであった。
 それをまるで孫ほど年の離れた彼らを自分の子供のように見守るようにしてきたのが店主の彩乃である。彼女には子供はいない。つまり本物の孫は存在しない。またこの店を立ち上げた夫、孝明(たかあき)はすでに他界していた。

 話は戻り、智之と英秋が騒いでいた時、額に汗を浮かべ焼きそばを作っていた彩乃であったが、彼らのあまりにも騒がしく子供染みた言い合いに呆れ彼らに負けない気迫で叫んだ。
「もぅー、騒がしいったらありゃしないっ! ここはアンタたちだけの場所じゃないでしょっ!」
 そして彼らに睨みをきかせさらに続けた。
「ケンカやりたきゃ外でやる! ケイちゃん、トモちゃん、氷食べ終わったんでしょ? さぁ、氷代代わりに働く! すぐそこ片付けて中の椅子をどかして。次、オールスタンディングだから!」
 彩乃の若々しい張りのある声と気迫は簡単に彼らの口を閉じさせた。

 桂介も智之も黙ったまま揃って自分の食器を彩乃の立っている横のカウンターに空いた器を置くと智之はカウンター脇にある扉を開けた。
「トモっち、そういうことで俺、用意があるから俺の分も頼むな」
 あっけらかんと桂介はそう言って智之に背を向けた。
「おい」
 智之は桂介の背中へ声をかけた。が、振り向くことなく立ち去る桂介。智之は乾いた小さな笑みで桂介の背中を眺め見送ると溜め息混じりで呟いた。
「ま、いいか。どうせこれ以上言ったところで気が変わるわけじゃあるまいし」
 その二人の別れを見ていた英秋は智之の耳元へ囁くようにして聞いた。
「で、ホントなのか? ヒメの脱退って?」
「アイツが言うならそうだろ」と投げやり口調の智之。
「そうだろって……なんでトモちんが知らないんだよ?」
「知らないものは知らないさ。ヒメがアイツだけに言ったんだろ。つれねぇ可愛くない女だぜ」
 智之はそう言って舌打ちをした。
「トモちんがそんな口聞くとはマジで知らなかったってことか……」
 納得したかのように英秋がそう言うと他のバンドメンバーは揃って唸るような声を出し悩ましげな顔をした。
「今週末だよな、舞台?」
 英秋は心配げに聞いた。
「ああ。で、ヒメが抜けるから話変えるんだってよ」
 英秋の質問に立て続け吐き捨てるように言う智之は不機嫌最高潮だ。その表情と口調に同情するように英秋は言った。
「は? 俺、芝居のこと詳しくねぇけどさ、そういうのって代役っていうので対応するんじゃね? ウチらだってメンバーが不調とか都合つかない時はサポート頼むの日常茶飯事だぜ」
「だよな。それがいきなり話変えるっていうからよぉ。参っちまってるわけ」
 智之は項垂(うなだ)れ、気の抜けた表情でお手上げのジェスチャーを見せた。
「なんだったらもうトモが仕切っちまえよ」
 そう言って智之を肘で小突く英秋。
「冗談。そういう器じゃねぇよ」
「またまた。謙遜しちゃって。実際トモちんがいるからアイツを(かしら)にして回せてるんだぜ」
「私もそう思ってますよ。おはようございます!」
 突如二人の会話に元気よく入ってきた女性の声はまほろば一座の団員さくらであった。
「うっす、さくらちゃん」
 英秋は笑顔でさくらを見る。他のSalty DOGメンバーも「おはよ」とさくらへ言った。
「で、何の話してたんですか?」
 さくらは興味津々で智之と英秋の間に入ってきた。
「ん? ん、まあね」
 さくらと目を合わせることなく応えた智之を見て英秋は即反応した。
「歯切れ悪っ! 俺が言ってやるよ。実は」
「オマエは口出しするな! さくら、いいよ、みんなが集まってから話すから」
 智之がさくらへ作り笑いで応えるとさくらは目をキョロキョロとさせ智之へと聞いた。
「みんなが集まってから話すってなんですか、それ? めっちゃ気になる。別に集まる前でもいいじゃないですか。教えてくださいよ」
 眉をハの字にさせ小さな地団駄(じたんだ)を踏むさくらを見てにこりと笑った英秋は智之の肩へ軽く手を載せ言った。
「だろ? そうやってメンバーに不安を与えちゃダメだ。俺が言ってやる。実はヒメちゃんがな」
「なあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 静けさを取り戻したはずの店内に智之の叫びが響き渡り店内にいた客を含めた全員が黙って智之に注目した。
 
 浴びるべき時でない、自分の望まない視線、注目とは(はなは)だ恥ずかしいものだと智之は改めて思い知る。

 そして自分で分かるほど耳が熱くなっていた智之は彩乃のいる方へ黙って一礼すると扉の向こう側、『表現会場』と書かれた部屋へそそくさと入って行った。

第二幕 其の一 噂話

『表現会場』
 集い処きらめくあまたの店内にそう名づけられた空間がある。広さは間口、奥行きともおよそ15メートル。高さは約6メートルほどあり天井の下には間口方向へ柱が数本渡され様々な形をしたライトがいくつもぶら下がっている。そして床、壁、天井はすべて艶消しの黒色で塗装され、壁には畳サイズほどの黒い吸音材が等間隔に貼りつけられている。
 この空間はライブハウスとして使用される時もあれば、芝居小屋となる時もある。また絵画や立体作品を披露するギャラリーになることもあるし、他に自主制作映画の上映や講演会など様々な用途として利用されている。

 集い処きらめくあまたとは今から約30年前に現在の店主、彩乃の亡き夫、孝明が始めたコミュニティ・ショー空間をメインとした鉄板焼屋なのである。

       *

 表現会場の中ではSalty DOGのメンバーが会場突き当たりにすでに組んであったステージに上がり会場隅に置かれていたスピーカーや楽器用アンプをステージへと運び出し、ドラム担当の茂はドラムセットの組み立てと自分たちが演奏するための準備をしていた。

 英秋と誠はそれぞれ自分が好んで使っているきらめくあまた所有のギターアンプをいつもと同じ自分の演奏場所へと配置するとシールド配線やエフェクターのセッティングなどをしながら『まほろば一座』の話をネタに盛り上がっていた。
「まあ、なんだな。人数が多い劇団っていうのは大変だわな。色々お守りが」
 と口にした英秋はボリュームペダルしか使わずエフェクターは一切使わない主義のため準備というほどの作業も無く、すでに愛用のセミホロータイプのエレキギターをアンプにつなぎ弦のチューニングに入っていた。それに対しギター、コーラス、ラップ担当の誠はSalty DOGの曲に彩りを加える役目があるため様々なエフェクターを駆使している。大きめのエフェクターケースを足元に置きケースのフタを開けながら英秋に対応した。
「俺らみたいな単純な音楽は適当に個人練習やっといて当日一発ドンでもやってけるからな」
「おい、誠。それはちょっと言い過ぎじゃねぇの? ってその通りだけど。間違いないわ」
 そう言って英秋は声を出して笑うと続けた。
「ヒメが抜けるとなると動員数激減だろうな、まほろばさんは」
 と口にしながらステージ下で椅子の片づけをしていた智之をちらり目に入れた。
「それは確かに。オレはヒメを見るために顔出してたからな」と誠。
 すると茂がようやく組み上がったドラムセットの太鼓位置を調整しながら「オレもオレも!」と声を出した。茂の声を聴いた英秋は智之へ聞いた。
「ヒメが入って客が倍にはなったよなぁ。なあ、トモちん?」
 それまで聞いて聞かぬ振りをしていた智之であったが英秋のわざとらしく聞いてきた言葉に一瞬の苛立ちが湧き横目で英秋を黙って睨みつけた。
「おっと、ごめんごめん。別にからかってる訳じゃないぜ、トモちん」
 と両の掌を広げ制止を促すような動きを見せた英秋だが顔つきは誰が見てもからかい顔だ。智之の近くでほうきを使って床掃除をしていたさくらは手を止め、英秋へ口をとがらせ言った。
「ヒデさん。ちょっとそれはキツイですよ。確かにヒメが来てからお客さんが増えたけど……なんかそれって、みんなの存在感ゼロみたいじゃないっすかぁー」
 そんな少し本気の怒りを含ませたような不貞腐れ顔で言うさくらを愛らしく感じていた誠は大げさなほど申し訳なさそうに「さくらちゃん、ごめんな。こいつ遠慮とか気づかいを知らない奴だからさぁ」と小さなウインクを付けて言った。
「誠はそうやって俺を悪者に持っていくぅ。汚ぇなぁー」
「俺は頭ん中で思っても口にはしない気づかいくらいはするぜ」
 威張り口調で言った誠に対し嘘バレバレだと凝視して英秋は聞いた。
「じゃあ思った、って訳だな?」
「ちょっとね」
 英秋の問いに誠は右手の指先で何かをつまむようなジェスチャーを見せて言った。
「ええっ! 嫌だぁ、誠さんまでも? なんかショックぅーっ!」
 さくらは英秋の言葉を素直に受け、力の抜けるような感覚で手にしていたほうきの長い柄にもたれかかりつまらなそうな顔をした。
「冗談に決まってるじゃん、さくらちゃん。ヒメを見に来てるだけの客なんて本当の客じゃねえだろ? やっぱちゃんと役者の演技と物語を観てかなくちゃな。アイドルと違うわけだし」
 さくらへ落ち着いて真面目に語る誠に対し(ナニ真面目にフォローしてんだよ)と思った英秋は誠へ向かってまっすぐ指差し、真剣な眼差しで断言するように言った。
「でも事実上ヒメはアイドルだった」
 英秋の指先にある誠は「またそうやって水を差すー」と邪魔するなと言わんばかりの顔で言った。
 するとここで三人の会話の中に一郎が鳴らす8ビートのベース音が入ってきた。一郎はサングラスをかけたまま彼らの話に気を取られることなく黙々とベースを鳴らしている。そこにドラムのセッティングがほぼ完了した茂はドラムを軽く叩きながらの微調整に入り、二人のセッションが始まった。
 その音に誠は自然と頭と体が動きだし、作業途中だった自分の仕事へと取りかかった。
 英秋も二人のセッションに合流するべくアンプのボリュームをあげ、音の歪みを薄くかけた状態で思いつくままにギターコードのストロークプレイを始めた。
 
 さくらは手を止めたまま彼らの演奏に見入る。

 そして誠もセッティングとチューニングを終えると左指を滑らせるようにギターの指板(しばん)の上を(おど)らせ、絞り鳴く様なディストーションサウンドでリズミカルなメロディを奏でメンバーと合流した。

「かっこいいなぁ……」

「楽器と言えばリコーダーでピーッて鳴らすくらいしかできないんですよぉー」とよく彼らや他のバンドメンバーに口にしていたさくらは様々な楽器を操る彼らを羨望の眼差しで見ていた。
 その頃の智之はと言うと相変わらずの不機嫌な顔つきで一人椅子の片づけをしていた。

第二幕 其の二 織姫には彦星?

 ドラムを流すように柔らかく叩いていた茂はリズムに乗りながら誰に向けて言うわけでもなくマイクを通して声を出した。
「でも、なんで急にヒメちゃんが抜けることになったの?」
 ステージ両脇に置かれたメインスピーカーから出た茂の言葉が会場内に響く。
「何それっ!? ヒメが抜けるって!?」
 Salty DOGのサウンドに交じって入った大声。その声の主は、まほろば一座の晴男(はるお)の声であった。
 晴男が入口に突っ立った状態で呆然としていると彼に気づいたSalty DOGは誰が合図したわけでもなく全員演奏を止めた。
 晴男の声に気付かなかったさくらはSalty DOGの動作を不思議に思い彼らの目線を追うように振り向いた。そしてようやく晴男の存在に気づくと笑顔で言った。
「おはようございます!」
 晴男はさくらへ軽く手を挙げ「おは!」とあいさつを交わし、そして今もなお一人で椅子の片づけをしていた智之へと目を移す。
「ども、おはようございます、トモさん」
 晴男のあいさつに智之は「オッス」と気の無い返事だけ。それを見て晴男は不穏な空気を察知しすぐ椅子の片づけを手伝い始めた。
「で、ヒメの話ですけど……」
 晴男は智之の顔色をうかがいながら小声で聞いた。
「全員そろったら話すわ」
 と、意外に晴男の問いかけにさらり答えた智之。
「ってことはマジな話?」
 晴男は智之の返答にすっと背を伸ばし確認するかのようにさくらを見た。
 晴男からの視線を受けたさくらは(それを私に聞くのか?)と思い慌てて首を横に振った。しかし(でもトモさんの雰囲気とSaltyさんの話からしてマジの話に違いないよな、これ)と思うと真剣な眼差しで首を縦に振った。
「って、どっちやねんっ!」
 そう言って晴男は体ごと大きく前のめりに転ぶような動作を見せ笑った。
「まあ、トモちんの顔見りゃあ、マジでしょー」
 晴男を見てステージ上から英秋は(あざ)笑って言う。
「きっとさぁー、金にでも釣られてスカウトされたんじゃねえの?」
 と同じくステージ上から腕を組み言った誠に対し、さくらは即返した。
「今さら? それは無いでしょー」

 誰しもがヒメ(姫)と呼んでいる香織のスカウトされ率(低俗卑猥なものも含め)の高さは誰もが知っていた。まほろば一座に入団後も人ごみまみれるような場所へ団員同士で行くと香織だけは必ず声を掛けられていた。特に関東、関西などの大都市ではその確率は数倍上がった。

 魅惑的な大きな瞳を持った端整な顔立ち、そして胸の位置まである艶やかなストレートの黒髪にメリハリがありながらも細すぎない体つきと長い四肢。この(たぐい)(まれ)な恵まれた天然の美貌に振り向かない男はいなかったし、同性でも憧れる嫌味のない(たたず)まいは痛烈なほどの存在感であった。
 そんな彼女を見事にまほろば一座へ引っ張り込んだのが座長の桂介である。

『まほろばの奇跡』

 香織のまほろば一座入団当時にはそんな言葉が広がるほど話題となり、他の劇団主宰や関係者が何かとかこつけて香織へ接触を図るということも続出していた。
 この『まほろばの奇跡』に関しては当初色々な憶測が団員をはじめ周囲に噂されていたが入団して半年もした頃には誰も気にしなくなっていた。
 通説は桂介と智之が今までやってきた『スカウトという名のナンパ』によるものと言うことになっている。
 桂介と智之の二人は、観劇に来た客で関係者でない女性を取りこぼしないよう細かくチェックし声をかけていた。それには彼らの共通意見として『看板女優』というものがオレらには必要だという規律正しい下心によるものであった。
 二人の容姿は並の並であり、突出した何かを持っていたわけでなかったが、二人が自然に放っていた人懐っこさは武器としてそれなりに通用はしていた。
 しかし、それが成功をもたらしたかというと現実は厳しかった。結果として現在その『スカウトという名のナンパ』が成功し残っているのはステファニーのみ。
 彼女曰く、「彼らに普通にナンパされた。暇を持て余していたところに声をかけられ面白そうだったからついて行った」と明言。また明言はしていないが、どちらかとそれなりの関係に至った過去の現実はあった。

 そんな力量の二人であったわけだが、近寄り難さまでをも感じるオーラを発していた香織がまほろば一座に入団した事は誰もが信じ難い事実であり、それは正に奇跡であったため誰かしらが香織の入団を『まほろばの奇跡』と呼んだ。

 ちなみに智之とタッグを組んでやっていたので香織入団の経緯を彼は知っているはずなのだが彼は口が堅く、桂介、智之の二人だけの秘密となっている。が、しかし。なぜ香織が入団を決意したのか?  その動機、キッカケは実際誰も知らない。桂介自身、「ダメ元で声をかけてよかったぜ」と智之へ口にしたほどだ。つまり理由は香織本人の胸の中にあるということである。

 まほろばの奇跡とまで言われた香織が脱退となれば他者にとっては格好の話ネタになるのは当然で、ステージの中央に立つ英秋と向かって右に立っていた誠はマイクを前にして漫談のごとく会話する。

英秋「もしかしてさぁ、ヒメに男でもできたんじゃねぇの? 俺の勘だけど。さしづめ、織姫、ついに彦星現る! ってところで」
誠「んー、七夕にかけてそう来ましたか。洒落(しゃれ)てるねぇ。男でもできりゃあ考え方が変わることは無しじゃないわな。あっ、でもそうだとしたら俺マジショックだわ。かなり俺、本気で狙ってたのに」
 大げさに胸を両手で押さえ項垂れる誠。
英秋「ウソつけ。いつだったっけ? 名前忘れたけど、ちっちゃい童顔女がでら可愛い、付き合いてぇってしきりに言ってたくせに」
 からかいに満ちた顔で英秋は言うと誠は英秋の言う女性の顔が誰であったかを思い浮かべた。

 誠は街中(まちなか)で自分好みの女性を見つけると周りから笑顔が可愛いと評される得意の笑顔で電子チケットを配布していた。これを英秋は『撒き餌』と呼びからかっていたが誠自身は『広報活動と称する自己投資』と言っていた。

 その数々の女性の中から一人思い出すと顔をにんまりさせ言った。
誠「おお、おお、ユイちゃんのことな。カワイイからカワイイって言っただけで俺はヒメの方がタイプ。ただ、ありゃ美人過ぎるって、実際。口説きに行く気まではならんのだよね。怖くて」
英秋「ああぁ、それは分かる。ちょい性格キツくて、とっつきにくそうに見えるしな。実際、普段話す分にはそうでもないけどさぁ、どっか冷たい印象はあるよな」
誠「ま、だから美人。高嶺の花ってやつだな。ヒメと釣り合い取れる奴なんてそうそういないわな」
英秋「だわな」
 ここで一郎がボソッと低い声を響かせた。
「で、彦星って一体誰?」
 それを聞いた英秋と誠は揃って目を丸くして一郎に注目した。ステージ向かって左側にいた一郎はいつのまにかサングラスを額に載せ細めた目を英秋たちに真っ直ぐ向けていた。その一郎の表情に英秋と誠は二人顔を合わせる。
 それは最近めっきり見なかった一郎の本気の気持ちが悟れる冗談のない真顔であったためだ。
「誰?」
 英秋は一郎の言葉をそのままステージ下の智之へと渡した。
 ご機嫌斜めそのままの智之は「俺に聞くなよ」とぶっきらぼうに言い放ち最後のパイプ椅子を重ね運んでいた。
 さくらは自分もヒメのプライベート、特に男の話なんて聞いた事ないなと今改めて思い、智之へ気をかけながらも聞いてみることにした。
「ねぇ、トモさん。私も聞きたい。ヒメって彼氏いたんですか?」
「なんだよ、さくらまでそんな。俺は(なん)も知らねえよ。アイツ、いつも桂介と連絡取ってたからよぉ。っていうかなんで今回の件とヒメの男とかが関係してるってことになんだよ? 俺はスカウトだと思ってるけどよ」
 だんまりを決め込んでいた智之がついに吐き出した言葉に晴男は眉が持ち上がるほど目を見開き声をあげた。
「今回の件って? トモさん。やっぱり本当なんですね? ヒメが抜けるのは?」
 晴男は今までの話を統合させるとそういう答えしか導き出せなかった。
 その晴男の疑いに満ちた鋭い視線を受けた智之は小さく「しまった」と口から漏らすと唇を噛んだ。

第二幕 其の三 つまり井戸端会議(ステファニー登場)

 香織脱退疑惑の話題一色に染まっていた表現会場。その中での智之の心境はと言うと、香織の脱退に最初は驚いたものの『ついに来たか』という感覚。しかしなぜ今日、20回公演を目の前にして降って湧いてきたのか? いやいや。智之に言わせれば、桂介が『降らせ湧かせた』になる。
 そう。智之は悩んでいた。腹立たしさを抱えながら。しかしそれは香織の脱退の事でなければ、それを告白したタイミングではない。香織の事を理由に急きょ『話を総替えする』という事他ならない。
 桂介の言っている意味が今もなお理解できずにいた智之。今日(こんにち)までの彼のやり方を加味して彼の言うがまま流される事にしたがやはり解せない。
 自分自身解せない事柄をどうやって伝えれば良いのか……?
 智之は団員が一斉に自分へ声を上げる、集中砲火を浴びる自分の姿が脳裏に浮かび続いており内心かなり怯えていたのであった。

(なんで俺がこんなに悩まなくちゃいけねぇんだ? 畜生! 桂介のアホたれ! Saltyの連中は茶々入れまくりだしよぉ)

 (さじ)を投げて逃げ出したい気持ちを胸に智之は運んできたパイプ椅子を静かに置くと一人ひっそり項垂れた。表現会場の隅っこで。

 智之が一人悩み考え込み、団員さくらと晴男、そしてSalty DOGのメンバーがやんややんやと騒いでいた所へ、さらに場を盛り上げてくれるだろう人物が新たにやって来た。
「もーにんっ!」
 明るい声を響かせ入ってきたのはピンク色の細い金属フレーム眼鏡をかけた女性、まほろば一座の劇団員ステファニーだ。少し潤んだ瞳が魅力的で、一見、落ち着いた雰囲気を醸し出している女性であったが、それとは対照的にサバサバした物言いはバンドマン達からのウケが特に良かった。
「もーにんっ! ティファニー!」
 ドラムの茂は立ち上がってスティックを持った両手を振ってステファニーへ言うとステファニーは目を細めた柔らかい笑顔で手を振った。そしてその後ステファニーは、緩いウェーブのかかった天然の明るいアンバーカラーの長い髪を揺らしながらステージ前まで来ると腕を組み、ステージ上にいるSalty DOGのメンバーたちへ向かって抜けの良い声で聞いた。
「ねぇねぇ、ちゃんと聴いてくれた? ラジオ?」
 ステファニーの問いかけに英秋は「もちろん」と自慢げに応えるとすぐさま誠は「これ嘘。ごめん、寝てた」と英秋の脳天を遠慮なしにポンッと平手で叩いて言った。
「うわっ! 何それ?」
 ステファニーはそんなことだろうと思っていたものの大げさに顔を歪め彼らの言葉に反応した。
 そのステファニーの歪めた表情に対し英秋は申し訳なさそうに「ウソウソ。ちゃんと聴いたって」と応えればまたもや誠が「録画で」と付け足す。
「ええっ!? どうせならちゃんとライブで聴いてよ」と今度は大げさに目を見開いた驚きの表情を見せた後、ステファニーは口をすぼめ尖らせる。

 そんな仕草を素直に可愛いと感じるのは一郎と茂で、年甲斐もなくと感じるのが英秋と誠だ。

 そういう訳で英秋はステファニーに対して率直に言う。
「あんな時間、起きてられるかよ。俺らは朝型なんだ」
「バンドやってる人が年寄り染みて朝型だなんて……って、まぁそうよね。みんな仕事で朝ちゃんと起きなくちゃいけないもんね」と笑ってステファニーは言うと肩に掛けていたポーチから髪止め用ゴムバンドを取り出した。そしてゴムバンドを口に挟み少しうつむき加減で髪を持ち上げ動きしなやかにゴムバンドで一つに束ね、うなじ(あら)わのポニーテールスタイルへと変身した。

 その姿に女性らしさを感じ、ちょっとドキドキが茂と一郎で、その姿に女を感じ、ちょっと興奮が英秋と誠である。

 そんなSalty DOGメンバーの目線など気にも留めず動いたステファニーはステージ横に隠すように置かれた掃除道具入れから柄の長いほうきを取り出し笑顔で会場の掃除に取り掛かった。

第二幕 其の三 つまり井戸端会議(盆回り)

 椅子を全部運び終わった晴男は何の脈絡もない話題を突如持ち込んだ。
「で、なんで僕らがいつもソルティーさんの手伝いやってるんです?」
 何も無くなった広々としたステージ前を丁寧に掃き掃除していたさくらは手を止めることなく淡々と言った。
「当たり前じゃん。古い付き合いなんだもん。座長とトモさんの学生時代から」
「さくらちゃんの言う通り」
 誠はエレキギターのボリュームをゼロの状態で会話をしながら指と手を動かしギターを鳴らしている。
 英秋はマイクスタンドのマイクを片手に観客にでも語るように喋った。
「昔は俺らもまほろばの手伝いやってたんだぜ。でもよぉ、さくらちゃんが入る前くらいからかなぁ。徐々にまほろばの人気が上がってきて、団員も増えてきたらアイツ、「お前らの手は要らねぇから」って言いやがって。つれねぇ奴だと正直思ったぜ」
 英秋の言葉を補足するように誠は言う。
「結局ウチらは四人しかいないから四人で全部処理してるけど、皆んとこは何だかんださぁ、いつも客演だの照明さんだ、音響さんだとか言っていつも人がいっぱいいるからな」
「だよな。だからウチらのようなバンドがソロライブやる時は人手が足りないって訳でさぁ。で、昔からのよしみでお互い足りないところを支え合ってたんだけどな」
 英秋がそう言い終えると誠はハッと思い出したように言った。
「そういえば! 昔はさぁ、大道具作りにも参加したこともあったよな」
「あったあった。そういえば。組みも、ばらしも昔は必ず手伝ってたんだぜ、晴男ちゃん」
「へぇー」
 晴男は初めて聞く話に腕を組み大きく頷いた。英秋はその晴男のリアクションに少し自慢気だ。そして晴男へ続けて語る。
「バックなんざCGで済むだろうにわざわざ時間かけて大そうなものを作る。お宅の座長さんはリアリティーが無いとか抜かしやがって。芝居にリアルもアンリアルも()ぇだろうってそん時は笑ってやったけどな。結局いつも人手が足りない、時間が無いって俺らに泣きついて来てたんだ、あの頃は。ティファニーはよく知ってるよな?」
 と英秋はステファニーのうなじを眺めて言う。
「ええ。もちろんっ! あの頃は純粋に皆で集まってワイワイやってるのが楽しかったなぁ」
 と天井を見上げ思いふけるステファニー。
「なんですか、ティファニーさん。そんな今はつまんないみたいな?」
 晴男はステファニーの視界に入り込んで冗談交じりに笑って言った。
「もちろん、今は今で楽しいわよ。でも今はプロ意識が強くて、ちょっと嫌な緊張感が続くことが多かったりするし。昔はサークル感覚だったから」
「なるほどぉー」
 ステファニーの言葉に納得し晴男は小刻みに頷いた。
 そんな会話を耳にして英秋は少し顔をしかめマイクを使って言った。
「俺思うんだけどさぁ。なんかさぁ、桂介の奴。アイツ一人天狗なってねぇか? なぁ、トモちん?」
 指名を受けた智之はステージの反対側の壁にもたれ不機嫌顔。そして口開くことなく目を閉じた。

 たしかに昔はSalty DOGのメンバーとも和気あいあいでやっていた。ステファニーの言う通りサークル感覚でもあった。自分たちが年齢を重ね、経験を重ね、確かな自信がついた。智之はそう考えると今回の桂介の行動は気に入らない。納得がいかない。合点がつかない。

 俯き、目を伏せたままの智之に英秋は言った。
「その顔、トモちんもそう思ってんだろ?」
 自分の言ったことが確実に智之の頭を射抜いたと思った英秋はしたり顔で続けて言った。
「アイツ、自分好きの自信家だからな」
「自己顕示欲の塊はお前だろ」
 英秋の言ったことへ反射的に言った智之。この時の智之は目をしっかりと見開き英秋を真っ直ぐ見ていた。その眼光は鋭い。
「俺は違うって。何か決める時は皆と相談して決めるし。コンセプト決めとか。なぁ?」
 英秋は智之の厳しい目付きに何の感情も持つことなく当たり前な風に言って左に立つ誠へ同意を求めた。
「まあな。格好だけだけど」
 にやり笑って言った誠。その誠に英秋は「なんだとぉ」と言って手にしていたギターピックを手裏剣の如く垂直に投げつけた。すると、ふわり飛んだギターピックを簡単に誠は右手でつかみ取り英秋の顔を見て口元を緩めた。その誠へ英秋は指差し笑って言った。
「ナイス・キャッチ!」
 智之の不愉快さなど気にしていない英秋。誠も同様に智之に気を使うことなく言う。
「アイツ歳だけ食って変わらねぇよな」
「確かにな。よくトモちんと言い合いしてるもんな、今も。副座長なんて肩書き付いてても結局は奴の世話役、ケツ拭き役だよな」
 英秋が言い終わると黙って聞いていたステファニーは昔話から桂介の陰口に変わっていることがあまりに妙なので智之に聞いた。
「ねぇねぇ。なんでさぁー、そんな話してんの? それになんかトモさん変だよ?」
 ステファニーはピリピリ感いっぱいの智之へ首をかしげて聞いた。
「あと清二(せいじ)が来たら話すから」
「トモちん。まだ無意味な出し惜しみかよ」
 英秋は智之の対応に呆れ口調で言った。
「ヒデ。もうお前いいから黙っててくれ。これはウチらの問題だから」
「何、問題って?」
 ステファニーは目を丸くして振り向きステージ上の英秋を見た。
「ほら。トモちんがまた中途半端な言い方するから」
「ティファニーさん。どうもヒメが抜けるらしいんです」
 晴男が智之の動向に構うことなくサラっと言った。それを聞いてさくらはすぐに晴男へ駆け寄り声無く叱る。
 しかしそれに対しステファニーはつまらない風な顔をして言った。
「なんだ。そうなんだ。別に大した問題でもないじゃん」
 ステファニーの反応に英秋は言う。
「だろ? ほらほら、トモちんが変にビビッて言わないもんだから。でもって話を全部変えちゃうんだってよ、今週末の舞台のさ」
 この英秋の言った言葉に智之を除くまほろば一座のメンバー一同は叫んだ。

「はぁぁぁぁぁぁあっ!?」

 そしてそれぞれが智之の方を見て言った。

「何それ?」としかめ顔のステファニー。
「ウソでしょ」と目を丸くする晴男。
「意味不明……」と超不機嫌顔になったさくら。
 智之のイメージ通りの反応をしてくれた団員達。おかげで智之は体が硬直して動けなくなった。言葉も出ない。
「あ……悪ぃ。俺が言う事じゃなかったな。ごめん、トモちん」
 と、白々しく言った英秋に対し智之は言い返したい気持ちが噴出したが言葉は出て来ることなく口がぎこちなく動くだけだ。それをいいことに英秋は申し訳なさを装った気まずい顔を作って逃げ出すことにした。
「トモちん、よかったらここ使っていいよ。音合わせなんて今更そんな時間かけてやることでもないし」
 そして英秋はSalty DOGメンバーへ目配せしてステージから降りるように促した。それに対しメンバーは素直にステージから離れ出口へと向かった。

 誠は声を出さずに「ごめんごめん」と口だけ動かし退場。
 一郎はサングラスをかけ黙したまま退場。
 茂は「ティファニー、ライブも観てってね」とにこやかに退場。
 そして英秋はと言うと……
「あ、そうだ。ミキサーの設定変えとかなくちゃ。忘れるとこだった」
 と言って表現会場を出る間際に音響ブースに入りミキサーの設定を自分たち用のセッティングへとパソコンで切り替えた。そしてステージやや前方の(はり)に吊り下げられたマイクから音を拾える状態にして部屋を後にしたのだった。

第三幕 其の一 集い処きらめくあまた

 ぞろぞろと揃って表現会場を出てきたSalty DOGの面々。
 誠は笑いをこらえながら彩乃の前に座ると鉄板の上を掃除していた彩乃へ声をかけた。
「彩乃さん、玉せん一つください」
 誠の言葉に続いて茂も彩乃へ言った。
「あ、俺、そばせんでお願いします!」
「ヒデ。ヒデは要らねえか? 玉せん?」
 誠は表現会場入口で中をチラチラと覗のぞいている英秋へ向かって言った。
「ん? おおー、頼む」
 と、英秋は気無しの返事。誠はその英秋を見てくすり笑うと「玉せん、もう一つ追加で」と彩乃へ人差し指を立てて言った。
「あいよ。玉せん二つに、そばせん一つね」
 彩乃は彼らの注文を聞くと両手に握られたコテを使い、手慣れた手つきで鉄板から残りカスを取り除き、キッチンペーパーで一通り汚れを落とすと油引きで薄く油を引いた。
「あれ? そういえばアンタたち、音合わせは?」
 この時間にSalty DOGがいるのは変だと思った彩乃は手を休めることなく誠へ聞いた。
「ちょっと、まほろばさんが打合せするそうで」
「あら、そう」
「彩乃さん、これもらってきますね」
 彩乃と誠のやりとりの中へひょいと現れた茂は、冷蔵庫から取り出したアイス片手に100円玉を鉄板テーブルの端へと置いていった。
「はい、毎度。茂ちゃん」
 茂に笑顔で応えた彩乃はすぐに不思議そうな顔つきで誠へ聞いた。
「で、何? まほろばで何かあったの? 打合せ、いつもここでするのに」
「ええ、なんか色々あったみたいで。さっきもここでちょっと騒いでたでしょ?」
「トモちゃんがずいぶん一人騒いでたけれど、何があったの?」
「さぁー」
 意味深な含みある笑いで首をかしげた誠。それに対しカラりとした笑顔で彩乃は言った。
「何よ、その分かりやすい知ったかぶりの顔は。ふふふ。ま、共に過ごす時間が長くなればその分色々あって当然だわよね。特にあなた達と違って年頃の男女に、年齢も様々とくればなおさら」
 その頃の彩乃の前では黄身をつぶした二つの玉子がそれぞれ手のひらサイズほどに広げられ、その横で二口ふたくちくらいの量の焼きそばを炒め始めていた。その様子を眺めながら誠は彩乃へ淡々と言った。
「劇団さんは大変ですよね、そう考えると。ウチらはもう十二年一緒にやってきた気心知れた男同士ですからね。今いま更さらどうこうって言う問題も起きないですし、お互いをよく分かってるんで自分らの好きな適当なペースでやれるから」
「そうだわよね。でもあなた達のように同じメンバーで続けられるバンドは意外と少ないから。いい面子めんつが揃ってると思うわよ、Salty DOGは」
 彩乃は会話を進めながら両手を広げ合わせたくらいの大きさの小判型エビせんべいを三枚、鉄板の空いているところへ並べると、そこへお好み焼きのタレを刷毛はけで均一に手際よく塗った。誠はその手つきを眺めながらも彩乃へちらり目を向け言った。
「彩乃さんにそう言ってもらえると嬉しいです」
 彩乃は誠の言葉を耳にすると照れた顔つきをしていた誠をちらり見て微笑んだ。
 ちょうどその頃に焼き上がっていた二つの玉子。それを彩乃はそれぞれタレのついたせんべいの片側へと載せた。そして口の細いマヨネーズ・チューブを手に取り片手で玉子の上へマヨネーズを間あいだの詰まったS字状に手早くきれいにかけたかと思うとすぐさま、せんべいをコテで半分に割り玉子を挟んだ。そして流れるようにさっとテーブル下から紙を取り出すとせんべいを包み彩乃は誠へ手渡した。
「はい、玉せん二つ、できたわよ」
「ありがとう」
 誠は百円玉四つをテーブルに置くと自分と英秋の分を受け取り立ち上がった。

 彩乃と誠がそんなやりとりをしていた時、英秋は一郎と茂が座るテーブルまでゆったりと歩み寄り一郎の背後から彼の肩に手を載せ言った。
「相変わらず一郎はうまい棒だなぁ。しかも飲み物無しで。歯の裏にくっついて気にならねぇのには感心するわ」
 一郎はサングラスで表情を隠したまま黙ってうまい棒をぽそりとかじっては味を噛みしめていた。
「で、茂はガリガリ君か?」
 英秋は一郎の肩を揉もみながら正面に座る茂へ言った。
「夏はやっぱしガリガリ君でしょー」
 茂はそう言って食べかけのアイスを自慢げに誠へ見せる。
「お前は一年中だろ」
 軽く笑って言った英秋は彩乃の様子をちらり横目で見た。
(大丈夫だな)
 すると英秋は二人から静かに離れ忍び足で店舗内に設置された店舗側音響ブースへと近づき体を縮めて入った。そして音響ブースでしゃがみこんだ英秋はミキサーの上に無造作に置かれたヘッドフォンを手に取り頭へ取り付けた。

 誠が玉せんを受け取り立ち上がった頃、太く落ち着いた声で「こんにちはー」と言って入ってきた色白で肉付きがいい男がいた。まほろば一座の団員、清二せいじである。
「はい。いらっしゃい」
 彩乃が優しい声と笑顔で応える。
「あれ? 誰もいないんですか?」
 清二は店舗内を見渡し言うと誠は清二へと言った。
「おお、清二くん。まほろばさんなら中にいるよ。中」
「中ですか?」と清二は表現会場へ指差し言った。
「そう」
「そうですか。あれ? 今夜ってソルティーさんのライブでしたよね?」
「そう」
「で、今、まほろばが中にいるんですか?」
「そう」
「なぜ?」
「なぜだろ?」
「そうですか……」
「そうなんですよ」
 清二は誠の言葉に大きく首を傾げ「そうなんだ……なんでだろう……」とボソボソ言いながら納得いかない表情でそのまま表現会場へと入っていった。
 それを小さく手を振って見送った誠は英秋を探した。
「ヒデ?」
 玉せんをかじりながら英秋を探した誠は音響ブースでヘッドフォンをしてしゃがみ込んでいる英秋を見つけた。
「おい、ヒデ。何こんな所でコソコソやってるんだ? 何聞いてんだよ? 俺にも聞かせろよ」
 誠はそう言って玉せんを口に咥くわえると英秋の頭からヘッドフォンを取り上げた。
 その瞬間、英秋は声を出すことなく誠へ大きく見開いた目を向けた。そして英秋はヘッドフォンを取り上げたのは誠だと認識すると慌あわてて「しっ!」と人差し指を口に当て、目と頭を使ってしゃがむよう誠へ催促した。
「あ、オマエ……」
 誠は英秋の顔を見て彼の企みを察知すると素早く英秋にくっつくようにしゃがみこんだ。そして二人はヘッドフォンの耳当てを外側へ向けお互い片耳を押しあて神経を耳へと集中させた。

第三幕 其の二 果てなき、まほろば会議

 表現会場ステージ前では副座長・智之を中心に扇状に団員4名が座っていた。いつもなら智之の横には桂介が、そしてさくらの横に香織がいるのだが今はいない。
 前屈みで不機嫌顔を下に向け座っていた智之は床に向かって声を出した。
「これで全員集まったな?」
 智之の言葉に清二は表現会場をちらちらと見渡し(座長とヒメさんがいないのは明らなのに変な事を言うな)と思った。そこで何だか様子がおかしい智之に向かっていつも通りに尋ねた。
「トモさん。座長がいませんよね? それにヒメさんが来てないですよ。珍しいですね。遅刻なんてしたことないキャラなのに」
 この清二の問いかけを気に止めることなくステファニーは刺々しく智之へと言った。
「別にヒメが脱退するのは彼女自身が決めたことでしょうから、格別異論は無いけれど、話変えるって言うのはどういう事?」
「えっ!? ヒメさんが抜けるんですか?」
 清二はステファニーの話に驚きメンバーの顔をきょろきょろと見渡した。

 表現会場に入った時から清二が感じていた、いつになく張りつめた団員間の空気感。普段であればみんな談話をしたり、本読みしたり、体動かしたりと何か緩やかに空気が動いている。しかし、今は無駄口無用のとてつもなく嫌な雰囲気の緊張感に満ちている。その中で突如ステファニーが飛ばした驚きの言葉。
 清二はヒメ脱退と同時に聞こえたもうひとつの言葉の意味を恐る恐る聞いてみた。
「で、話を変える? というのは……」
 しかし清二の出した貧弱な声は智之に届くことなく、さくらの普段よりも低い調子で気迫ある声が簡単に清二の言葉を押しやった。
「ヒメの役なら、別に代役立てれば済む話じゃないですか?」
 そしてさくらの意見にすぐ様同調したのは晴男。
「そうですよ。ティファニーさんがいるじゃないですか。ちょっと歳行ってますけど」
 真剣な眼差しで言い切った晴男のこの言葉を聞き逃すわけがないステファニー。
 ステファニーは晴男が言い終わる否や勢いよく立ち上がり左隣りの清二を挟んで向こうにいる晴男へ他人に見せる印象とは違う、眉間へきつくシワを寄せた上にすこぶる大きく見開いた目というコミカルな表情で声を上げた。
「おい、君! 言ってくれるなぁー。女花盛りはこれからよ!」
 そしてステファニーは髪の毛を束ねていたゴムバンドをすっと外すと首を振り、おおげさに両手で髪の毛をかき上げて女をアピールした。
「冗談やってる場合じゃないですよ、ティファニーさん」
 とさくらは緩みの全く無い本気の表情でステファニーへと言う。するとステファニーは右に座るさくらの顔を見て、うんと一つ頷き「そうだよね、ゴメン」と言って立ったまま両手を腰に当て、正面でうずくまっているように見える智之に向かって言った。
「で、トモさん。説明してもらえる? この場にヒメが来てないのは分からないでもないけど座長がいないのは明らかにオカシイ」
「そうだそうだ」と晴男とさくら。
 
 この時、清二は一人置いてきぼりの会話に寂しさを覚える。香織と同い年で最年少。尚かつ在籍歴は一番短いということもあり、口を出したくてもなかなか出しづらい心境となっていた。とにかく今までにない緊張感あるこの現場に飲み込まれそうで、できればトイレを理由にでもして外へ抜け出したかった。
 がしかし、このままの状態ではまほろば一座での存在感が無くなってしまうのではないか? 『オマエはいらない』という空気が作られ押し出されてしまうんじゃないか? と逃げ出したい衝動を押さえ込む不安な思考も同時に沸き起こった。

 清二にとって〝まほろば一座〟はようやく見つけた自分の居場所。そんな思いを(つちか)う事ができた、空間、集団なのである。

(逃げちゃダメだ)

 清二は自分にそう強く言い聞かせると危険なオーラを放って俯いている智之へ緊張しながらも勇気を振り絞り大声で聞いた。その声はやや裏返りぎみで。
「あ、あのぉぉ、トモさん!? 一体、何があったんでちゅか?」
 清二の物言いに即座に反応したステファニーは大きな声を出して笑い腹を抱えて言った。
「清二くーん! ここで『でちゅか?』は無しでしょうー、モぉーっ!」
 ステファニーの言葉も合わさり、さくらと晴男の二人も耐えかねて小さく吹いた後、必死に口を一文字にして笑いをこらえていた。
 
(なんでこのタイミングで、僕は……)

 この時、清二は顔を真っ赤にして、しくじった自分を心底呪っていた。

 さて、ここで清二から『でちゅか?』と問いかけられた智之であるが、彼はと言うと俯き黙ったまま肩を小刻みに揺らしていた。そして我慢しきれなかった智之は俯き黙ったまま立ち上がると清二へ向かってすたすた歩み寄り清二の両肩を両手でがっちり掴んだ。その瞬間、清二は智之の顔を見ることができず目を強くつむった。
 そして智之は目を細め清二の顔を薄く睨むと、声になっていないような押し殺した声で言った。
「オマエ、ココデ、ソウ イウノ、ハンソク」
 言い終わると智之は俯いたまま後ずさりして椅子へ座り再び太ももに両肘をつき、額に手をやり目をつむった。

「トモさん、まだ肩揺れてますよ」
 笑って言うステファニー。
「うるせー」
「あ、しゃべった」
 今度は指差して言ったステファニー。
「しゃべった言うな!」
 智之は俯いたまま言うと頭を上げることなく団員へ手でバツ印を作って見せた。そして額に戻した両手の指を少し広げ、メンバーにちらちら覗くような目を見せ普段の智之らしい快活な声で言った。
「ちょっと、仕切り直しな。清二、ホントさっきの反則。ここであれは禁じ手ね」
 そして最後、智之は大きくひとつ深呼吸をすると小さく肩を揺らした。

 清二は智之に肩を掴まれた時はどうなるかと怯え、後のダメ出しの事が気がかりで仕方なかったが、今ではなんだか皆に近づけた感じがして純粋に嬉しかった。

第三幕 其の三 壁に耳あり、まほろば会議

 椅子に腰掛けうずくまった状態の智之はさっきまでの事は何も無かったかの様な落ち着いた声で、こそっと言った。
「ヒメが脱退する」
「え?」と清二。
「で、今度の舞台、話変える」
「え? 今度のって、今度の?」と、また清二。
「そう、今度の」
「今度って、今週末の?」と、またまた清二。
「そう、今週末の」
 そして目を点にした清二は一呼吸の()を置くと声をひっくり返して叫んだ。
「はぁぁぁぁぁぁあ!?」
 清二の反応にステファニーはすぐさま清二に対し小さく指差し「でしょ、でしょー?」と興奮して言い、さらに清二を真似て「はぁぁぁぁぁぁあ!? ってなるわよね? はぁぁぁぁぁぁあ!? ってさぁ」と言って智之を睨みつけた。
 しかし清二はステファニーのこの反応に(なんだかちょっと嘘くさいな。もしかして僕を騙そうとしてるんじゃないのか?)と思い、智之へ直接聞き直した。
「本当に話を変えちゃうんですか? それはヒメが抜けちゃうからですか?」
 するとそこに晴男が清二の質問は無視して自分の見解を述べた。
「もしかしてこないだ東京行った時にさぁ、ヒメの奴、スカウトされたんじゃねぇの? でさぁ、座長怒っちゃって腹いせに、みたいな?」
 晴男の意見に対しさくらは不貞腐れた顔で言い放った。
「スカウト? そんな今さらでしょ? 散々今まで断ってきて何を今さら」
「何かあるよね」とステファニー。
「無いわけないっすよー」と晴男。
「あのぉ、僕の話は……」と清二。
 ここで大きく溜め息を吐き出したステファニーは勢いよく腰を下ろした。そしてパンツスタイルだったから良かっただろう勢いで足をしっかり広げ、胸の前にてガッチリ腕を組み、背筋を伸ばした。その姿はまるで戦国武将。そんな姿のステファニーは嫌味混じりで叫んだ。
「まあ、結局座長たちがぁ!? そう決めたわけですからぁ!? まあ、今さらウチらがぁ!? どうのこうのと言うことは無いですけれどねっ!」
「ですよね……」
 さくらは自嘲気味に小さく言った。
「それでなんだけど……」
 智之がようやくここで話を進めようとする言葉を口にした。がしかし、今もなお団員たちに顔を見せること無く俯き、そして目はつむったままである。そして大きく溜め息を洩らす。
 その智之の態度に苛立ち隠せないステファニーは言う。
「何? そのトモさんらしくないモジモジさ。もういい加減ハッキリ、あっさりと言っちゃってください。洗いざらいに本当のことを」
 そしてステファニーの言葉に間を置くことなく晴男も言う。
「まぁウチの看板女優がいなくなるのは残念ですけど、ティファニーさんもさくらちゃんもいるし、またスカウトと言う名のナンパすればいいじゃないですか、トモさん」
 晴男に続いて再びステファニー。
「そうですよ! 元々彼女が入る前から客入り悪かったわけじゃないですし、まだまだ私の人気も捨てたもんじゃないでしょ? トモさん。今宵、星降る時間も伊達に続いてるわけじゃないし」
「だから、トモさん。ヒメの代役をティファニーさんがやって、ティファニーさんの変わりを誰かに頼みましょう」と晴男は勢いつけて進言。
「じゃ、私がティファニーさんの役やって、そして私のを他の役に乗っける、ってことでいいんじゃないです?」とさくらからも補足提案。
「んー……まぁなぁ……」
 と生半可な返事をする智之を見てステファニーはこの様子では(らち)があかないと悟ると、濁らせた低い声で言った。
「で、トモさんよぉー、ナンして話を変える話になったぁん? これ、どーいう事なん?」
 このステファニーの不自然な調子の言葉に晴男はすかさず突っ込んだ。
「それ、どこの言葉っすか? ティファニーさん」
「んー、知らない。何かこう、ちょっと脅しが入ってる感ない?」
「いやぁー、ティファニーさんが言っても迫力ないっすよ。かわいいっす」
 と、にやけた照れ笑いに頭を掻く晴男。それに対しステファニーはキラキラとした女の子なトーンで言った。
「嫌だぁー、嬉しいこと言ってくれちゃってぇー。もう、晴男ちゃん! 後でガリガリ君買ってあげるね。何味がいい? やっぱし味噌カツ味?」
「お前ら、ナニ俺の目の前でちんけな猿芝居やってんだよっ!」
 智之は体をお越し強烈な勢いで怒鳴った。するとこの智之の態度にギリギリまで耐えていたステファニーの感情の防波堤は完全崩壊した。全ては感情の(おもむ)くままに彼女の口から言葉が刺々しく飛び放たれた。
「そんな言い方ないでしょ、トモさん! この状況! 一体誰のせいだと思ってるんですか!? 少しでも雰囲気を和らげたいと努力してるのに! みんな一緒にピリピリしてるのが正しいとでも言うんですか!? どうせ座長が一人で決めた事なんでしょ!? で、トモさんが了解したんならもう私たちが意見したって別に何も変わらないんじゃないですか!? 違います!? 何をいつまでモジモジしてるんですか! みっともない!」
「ま、まあ、否定はしねぇけど……」
 ステファニーの気迫に押しやられた智之は極めて弱気だ。そして興奮さめ止まぬステファニーは続けて叫んだ。
「っていうか、今ごろになって話し変えるって話を簡単に受け付けるトモさんもどうかしてるでしょ? おかしいんじゃないですか!? ヒデさんや誠さんが言ってた事もまんざらでも無いってハッキリしましたよね、これで。トモさんは座長のケツ拭き役だってことっ! それとも提灯持ちの方がいいですかっ!?」
「ティファニーさん……そこまで言わなくても……」
 さくらはステファニーの怒り様に動揺した。未だかつて見たことのない険しい目をしているからだ。
 その時、晴男と清二はステファニーの剣幕に「女は怒るとこうも怖いものか」と思い二人そろって椅子を一歩ほど静かに後ろへ下げると口をつぐみ小さくなっていた。

 そしてステファニーの言葉が終わってしばらく表現会場内は無言の時間が流れた。

 焦れったさが沸き起こる沈黙の空間にしびれを切らした晴男は大人しい声をしっとり響かせた。
「しかし、おかしいですよね。今ごろになってヒメが抜ける。で、話を変えてしまう……この構図、変ですよね……なんか臭う……」
「晴男、何が言いたいんだよ?」
 低い声で言った智之は前屈みのまま晴男を険しい目付きで見ている。晴男はその目をちらちらと見ながら極めて遠慮がちに言った。
「えーっと……あのぉー、なんつぅーか、そのぉー……枕営業、なんて言葉もあるし、みたいなぁ……っていう冗談。てへ」
 すると智之は勢いよく立ち上がって吠えた。
「冗談でもそんなこと言うんじゃねぇーよっ! ぶっ殺すぞ!」

       *

「おいおい、これ、面白れぇーな」
 にやつきが収まらない英秋が小声で言った。誠も同様ににやついて英秋へ小声で言った。
「激しいな。智之は相変わらずだけどティファニーの怒り様はハンパねぇーわ。枕まで飛び出すしな」
 とブース内でしゃがみくっつき、コソコソにやにやとやっていた英秋と誠へ影を作るように彩乃がいつの間にかブース入り口に立っていた。
「コラッ! アンタたち! やけに静かだと思ったら盗み聞きしてたの!?」
 彩乃の声に一斉に驚き飛び上がった英秋と誠。二人揃って目が飛び出そうなほどの顔つきで彩乃を見た。そして二人は彩乃を見上げたまま言った。
英秋「いやいや、そりゃ気になりますでしょー」
誠 「ヒメが抜けるって話ですよ」
英秋「それにこの時間、ウチらの貸し切り時間ですしね」
誠 「そうそう。貴重な音合わせ時間を削ってまほろばに貸してるんですから」
彩乃「誠ちゃん、さっきは随分と(てい)のいいこと言ってたわね。で、貸しているから盗み聞きはオッケーって言うの?」
誠 「いやぁ」
英秋「ですよねぇ」
英秋・誠「すみません」
 ヘッドフォンをミキサーの上へ載せゆっくり立ち上がった英秋と誠は自分達よりもはるかに小さい彩乃に恐縮し背中を丸めた。
「それぞれ事情ってものがあるでしょ。それを理解してアンタたちは貸してあげたんでしょ?」
「はい」と二人。
「みっともない真似は止めなさいっ!」
「はい」
 二人は背中を丸めたままブースを後にすると彩乃はミキサーの電源を落とした。

第四幕 其の一 山田家の食卓

 親の心子知らず。そしてまた子の心親知らず。永遠に親は親であり、子は子であり続けるという関係。それ所以の争いもまた永遠――?

「まだオマエそんな金にならないようなことやってんのか!」
「うっせーなー」
「まともに自活できてない奴が未だにそんな遊びごとに時間費やしやがって! いい加減にしろ!」
「遊び言うんじゃねぇーよ。こっちは真剣なんだ」
 父の声に対して落ち着いた低い声を鳴らす桂介。その桂介を見て一つ小さな溜め息を漏らす父はやや落ち着いた口調で諭すように言う。
「まだそんな子供じみたことを口にする。高校野球やっている高校生か? 真剣にやっているのはわかる。でも高校生じゃないだろ? 部活や同好会やっているのと変わらないじゃないか。自分たちが好きな事だけわいわい楽しんで。それを数珠繋ぎにして誰が楽しいって言っているんだ? 誰が喜んでいるんだ? 違うか? 桂介?」
「一度も観たことねぇー親父が言うな」
「お遊戯ごとを観ている暇があるかっ! 家族を守るためにこっちは必死で毎日仕事に明け暮れているんだ! これがどれだけ大変だと思っているんだ!」
 桂介の言葉に癇癪(かんしゃく)を起こした父。そんな父親の言葉に対し桂介は表情一つ変えず「説教は聞き飽きました」と淡々と言う。そして食事を済ますと箸を置き立ち上がった。
「桂介、ご飯済んだならもう行きなさい」
「また母さんは桂介をそうやって甘やかす」
 父は桂介の母に対し桂介に言うのと同じように強い口調で言った。そこへ兄、陽介が助け船を出す。
「父さん。別に桂介の奴、ちゃんと自活しているじゃないか。それでちゃんと団員抱えて責任もってやっているわけだからさ。それこそ子ども扱いしているのは父さんの方だろ?」
「……」
 兄の言葉に顔をしかめるも口をつぐんだ父。母は桂介を見上げると「とにかく体にだけは気を付けるんだよ」と心配顔で言った。
「ああ。ごちそうさま。やっぱ母さんの味噌汁が一番うめぇーわ」
 桂介は大きな笑顔で明るく応えると、父はその態度が気に入らなかったのか再び大声を上げた。
「桂介! 聞いているのかっ?!」
 しかし桂介は驚くわけでも、また反抗心に火をつけるわけでもなくただ黙ってゆっくりとダイニングを後にした。陽介は両親の目を黙って見ると立ち上がり桂介を追った。

「桂介」
「あ?」
 靴を履きながら気の無い返事で顔をあげた桂介。そこには腕を組んで立っている陽介がやや困り顔で桂介を見て言った。
「分かっていると思うが、親父はやっぱオマエのことを心底心配しているからつい口を出してくるんだ。みんなオマエのやっていることはそれなりに理解している。だからオマエも大人なら大人としての態度を考えろ。オマエが本気で話を創作している人間なら尚更だ。たまに顔を出すのは親孝行のうちかも知れんが、オマエのは親孝行じゃなくてやっぱり甘えだ。節約程度のためにウチに来るならウチに来るな。でないならちゃんと親父の話を聞く態度くらい示せ。そして本気で考えろ。じゃないと結局はいつまでも子ども扱いだ。一人前だと認められたいならその辺を考えろ」
「へいへい」
 いつものことだと桂介は兄の目を見ることなくあしらった。
「かく言う俺も30過ぎてもまだ親と同居しているような人間だ。たいそうな事言える立場じゃないしオマエは立派だと思うよ。だからこそ俺は立場をわきまえているつもりだ。俺の言うことに耳を貸す貸さないさないはオマエの勝手だがもうちょっと現実ってものを考えろ」
「現実ね……」
 鼻で笑った桂介。
「まあ、とにかく体には気を付けろよ。あと帰ってくる時は親父のいない時にしとけ。じゃあな」
 兄が軽く手を挙げると桂介も苦笑いの挨拶を交わし桂介は家を出ると独り言を大きくもらした。
「ったく口うるさい男衆だぜ、ったく……」
「またお父さんと喧嘩ですか?」
 玄関を出て小さな階段を降りた先、桂介の目の前に小振りな顔に大きな瞳を持った女性が立っていた。

第四幕 其の二 桂介と香織

「ヒメ……あ、もうそんな気安く呼べないか。香織さん」
「もう、そういうからかい止めてもらえませんか?」
 会って早々(そうそう)の桂介の口ぶりに気分害し、つまらなさそうな声で言った女性。それは、まほろばの奇跡とまで言われたまほろば一座の看板女優、遠藤香織であった。

 ボディラインに(なら)った白い無地Tシャツにコバルト色のホットパンツ、そして足元にはターコイズ・ブルーのハイカット・コンバースとシンプルな()で立ちの香織。しかし住宅街特有の薄明かりは彼女の長い四肢を演出するかのように辺りを照らしシルエットだけでも十二分に人目を引く美しいものであった。

 桂介は香織から漂うほんのりと甘い匂いを気にしながらも軽い笑みを作って言った。
「悪ぃ、悪ぃ。で、どうした? よく俺がここにいるってわかったなー」
「家にいなかったのでもしかしてと思って」
「ああー、そっか。で、どうした?」
「お別れの挨拶(あいさつ)でもと……」
「なんだ仰々しい。お別れ言うなら皆のいる時に言えよ。わざわざ言いに来なくていいよ、別に」
「すみません。私は直接座長に言いたかったので……」
「そっか。じゃあ、ちょっと茶でもするか? メシは食った? なんなら付き合うぜ」
「別に大丈夫です」
「そっか。俺コーヒー飲みたいと思ったんだけど。コメダでもどう? そうだ、シロノワール食おうぜ。向こう行ったら食えないだろ? シロノワールは小さいやつよりノーマルの方が美味いんだよな。一人で食うのはちょいと恥ずかしいし」
 桂介は軽い照れ顔を作って言うと考える間を作る事無く「すみません」と香織は目を反らして応えた。
「じゃ、用事は済んだろ? まあ元気でやってくれよ」
 桂介は香織の反応に反応すること無くさらり言うと香織を残し一人歩き出した。
 香織は俯き加減で小さく唇を噛むと桂介の背中を追った。
「あの、座長」
「お、何だ。まだいたのか」
「すみません。ひとつ良いですか?」
「ああ」
「コメダは東京にも、いくらでも有りますから」
「なんだよ、そんなことかよ」
「すみません、冗談です」
「ヒメらしくない冗談だな。ティファニーに仕込まれたか?」
「いえ。それを言うなら座長にです」
「俺?」
「こんなネタ多いですよね?」
「さりげなく痛い所をグリっとやってくれるねぇ。さすがヒメ。惜しいな。ヒメのアドリブにはかなり俺、惚れてたんだけどな」
「アドリブにですか……」
「ああ。それが用事だったのか?」
「いえ、まさか」
「じゃ、なんだった? 俺、こう見えてもなかなか忙しくてな」
「すみません」
「いや、そんなに謝らなくていいよ」
「すみません」
 苦笑いの桂介。
「で、何?」
「ミオさんとは付き合ってるですか?」
「なんだ、そんな事が聞きたかったのか?」
 桂介の目線にあった香織は表情を変えることなく黙ってこくり頷いた。
「へぇー。あ、そう。ああ、付き合ってるよ」
 淡々と口にした桂介。香織は少し不機嫌な顔つきで桂介へと言った。
「いつもミオさんが一緒にいても詰まらなさそうですよね。と言うか、舞台の上、お客の前でしか座長の笑顔を見たことない気がするんです」
「それは気のせいだろ。俺もちゃんと笑うぜ。犬じゃあるまい。こうやって」
 口角を持ち上げ目尻に皺を寄せた作り笑顔の桂介に香織は絶句した。
「ヒメの言う笑顔ってどんなんか知れねぇけど俺はこういう男だ。俺が大切なのは一番に芝居、二番にまほろばの皆、そして三番目にミオだ」
「やっぱり一番にはなれないんですね。ミオさんでも」
「だな。彼女はそれを分かってるからな」
 この時の香織は険しい顔つきであった。対して桂介は退屈顔で辺りをちらちらと見ている。
「私は一番でないとダメ……」
「それだから香織はウチから巣立っていくことになったんだろ? 俺はそう思っているけど」
「巣立つ? ですか……」
「そういう言われ方、嫌か?」
「いえ。そうですね。巣立つんですね」
「そう言わせてくれ。でないと……」
「でないと?」
「一応これでも親心(おやごころ)的に香織を育ててきたと思っているからさ。座長として」
「そうですか……」
 歩みを止めていた二人。二人の間にほんの少しの()ができると桂介は面倒くさそうな作り笑顔で小さな溜め息を漏らした。
「分かっていたんです、自分でも。結局私は……私は、座長の才能に恋してたんだなってこと……」
 この香織の言葉を受け桂介は曇っていた表情が明るくなった。
「お、そうなんだ。有り難いな、それは。嬉しいわ、そうやって言ってもらうと」
「そうやってまた私に意地悪言うんですか?」
「いやいや、ホントホント。実のところ自分で自分に暗示かけてハッタリの気合でやってたからさぁ。今まで。俺に才能あるのかな? って本当はいつも不安だった。特に最近は。動員数も頭打ちしてたしさ、実際。でもそうやって人に言われるとホント嬉しいわ」
 そう言って楽しげに夜空を仰いで歩く桂介。それに対し香織は桂介の言葉に苦々しい笑みを作ると俯き歩みを止めた。その香織に気づくことなく歩き続ける桂介に香織はついて行くことができなくなった。
「そういえば大事な話、忘れとったわ。あの件はオッケーなんだよな? あれ? ヒメ? どこ行った?」
 横にいたと思っていた香織がいないことに気付いた桂介は振り向き辺りを見渡したが香織はいなかった。
「ま、いいか」
 桂介は鼻で笑うと一人ゆっくり歩き始めた。

第五幕 其の一 集結(ただし香織を除く)

 2059年7月2日水曜日。19時ちょうど。集い処きらめくあまたの表現会場に定刻通り香織を除いたまほろば一座所属の団員が集結した。
 今日から来週月曜日までまほろば一座貸し切りとなっていた表現会場。当初は本日より資材搬入、仕込み取りかかりの予定であったが桂介の指示により搬入は中止され、ステージも解体された状態の表現会場はかなり広く感じる空間となっていた。
 そんな何も無い表現会場の中央では桂介と智之が並んで座り、そして彼らを中心に残りの4名が扇状に座る打ち合わせスタイルとなっていた。さくらの横には香織のための椅子が用意されていたが空席である。

 場内天井部に設置された空調機が出すわずかな音だけが団員たちの耳に届いている静けさ。そして空調機から吐き出されるほのかな冷気は程よい室温を作っている。しかし団員たち一同の沈黙が生み出す緊張感は各々を火照らせ汗ばませる。この凝り固まった場の空気は息を飲む事さえ勇気がいる。
 そのような雰囲気の表現会場にてまほろば一座のメンバーは皆、劇団の(おさ)である桂介が口を開くのをじっと待っていた。


 その様子を伺おうかと思っていた彩乃であったが、未だかつてない固く険しい表情の面々に気づかい店内のモニター全てをきらめくあまたのイベント情報へと切り替えた。
 当初の予定では仕込み風景をそのまま店内で映し出す予定であったのだが深刻な様子のまほろば一座一同。今回ばかりは見世物にするものではないと思っての彩乃の行動であった。

 
 一人アイスコーヒーを口にしていた桂介は喉を鳴らし飲み干した。そして氷だけ残ったグラスを床へことり音を立てて置いたのを皮切りに桂介は団員が待ち望んでいた第一声を口にした。
「じゃあ今から台本渡すから」
 一同黙したまま注目し凝視している中、桂介は自分が持ってきたリュックからノートのような物の束を取り出し智之から順番にひとりずつ席を回り手渡していった。
 それを手にした団員たちは誰もが唖然とした表情となり、智之だけ声を漏らした。
「おい、桂介……」
 団員たちが手にしたものは今時めずらしいB5サイズの紙ノートで、表紙は緑色基調の外周に中央には見慣れない大きな花の写真が大きく印刷されており、その写真の上には『ジャポニカ学習帳』と書かれていた。そして写真の下には白地の四角い枠に小さな黒字で『白無地』と印刷され、続いて大きな青い字で『自由帳』と表記されていた。
「あ、私これ、おばあちゃん家で見たことあるぅー!」
 と表紙を眺め笑って言ったのはステファニーである。そのステファニーの反応に桂介は嬉しそうな笑顔で自慢げに言った。
「いい感じだろ? そう。昔あったっていうジャポニカ学習帳を真似て作ったんだ」
「表紙の質感、このざらつきが妙にリアルな気がするぅー」
 ステファニーは表紙を撫でながら言う。
「だろ? この紙探すの、すんげぇー苦労したんだわ。これマジ」 
 桂介は一人誇らしげに言って笑った。それに対しこの時、誰よりも本気で腹を立てていた智之は声を荒げた。
「こんなくだらねえ事に時間かけてんじゃねぇよ、桂介っ! まさか経費使ったんじゃねぇだろうなぁ?!」
「堅いこと言うなよ、ト~モち~ん! これも必要経費でしょー。これ、こういうセンスも必要だって芝居やるには」
 と言って桂介は智之と対照的に極めてご機嫌だ。そしてご機嫌斜め当然な智之は舌打ちをするとノートを開いた。
「で、何だこれっ!?」
 智之は座ったまま小さく跳ねた。そして彼のこの一言を合図に残りの団員たちもノートを開いた。そして示し合わせたかのように皆声を出した。
「何これ?」
 一同綺麗な合唱を響かせると即座に桂介を睨んだ。それに気づかい寸分見せず自分の席へと戻った桂介は床に置いたグラスを手に取ると小さく砕かれた氷を口へ含ませた。その姿を睨み続ける劇団員の面々。
 団員の鋭い視線を真っ向から受けている桂介はひとつひとつ何かを確認しているかのように頷きながら団員一人一人へと目をやる。口の中で音を立てて氷を砕きながら。その様は挑発的すぎる光景だ。
 そしてこの挑発的な態度をとる桂介に乗せられていては不味いと感じた智之は団員たちの手前、自分のポジションというものを考慮し吹き上がる怒りを無理矢理に抑え静かに言った。
「おまえ、これ、中まっ白じゃねえか。何だよ、これ? これじゃあ本当のただの落書き帳じゃねぇか」
 そう言って智之は隣に座る桂介に受け取ったノートをパラパラと開いて見せた。
 しかし桂介は智之の言ったことにまったく動じることなく、握りこぶしで口を隠すようにして笑いをこらえていた。
「おい、笑ってねぇで何か言えよ、桂介!」
 徐々に声量は増し、音圧も上がる智之。
 桂介は一人にやつきが止まらず肩を揺らし笑いをこらえながら今度は鉛筆の束をリュックから取り出し一人一人へ配った。
「何、これ?」と異口同音。
 そして不機嫌な顔つきでステファニーは「ウチらに絵でも描けと?」と問う。
 それに対し桂介は「紙には鉛筆。夫には妻のようなもんだな」と、にやけ顔のままで応える。
「桂介、お前ナニ一人で……」
 智之は桂介の一方通行な行動に怒りの感情が一気に沈むほどの呆れ果てる気持ちが湧くと無性な脱力感に覆われた。
「まぁ、ホントは俺としては小刀ないしカッターナイフで鉛筆削りから始めたいところだったが……」
「ってオマエ、だから何言ってんだって?」
 嫌々ながらも自然と桂介の言葉に反応してしまう智之は吐き捨てる。そんな反応を楽しんでいるかの様な桂介は大声で団員を見渡しながら言う。
「まあまあ、いいから聞けって。まずは。まずは聞け。それから聞くわ。な? それからでも遅くねぇだろ?」
 
 皆、不愉快さ丸出しの表情のまま口を閉ざし息を呑む。

 この桂介の台詞口調は口出し無用の合図である。このモードに入った桂介には誰が何言っても無駄だと全員が知っていた。最も分かっているのはもちろん智之だ。

第五幕 其の二 ネタばらし

 白紙の単なる紙ノートを手渡され当惑していた劇団員たち。座長・桂介は椅子に座り直し前|屈みになると真剣な面持ちで並ぶ団員たちを見渡す。すると桂介から視線を外す四人の団員。桂介は最後に隣に座る智之を見ると彼は腕を組み桂介に対しそっぽを向いていた。それらを確認してから桂介は言った。
「じゃ、今からみんなで台本作りにとりかかる」
「は?」
 絶妙で息の合った団員たちの反応に隙はない。
「聞こえなかったか?」
 桂介は目を丸くするとひどく瞬きを繰り返し団員たちを見やった。そして幼児に語り聞かせるようにゆっくり、丁寧に発声した。
「いまから。みんなで。だいほん。づくりに。とりかかる。これならちゃんと聞こえたろ?」
「はぁ?!」
 指揮者がいないにも関わらず寸分のズレも無い見事な団員たちの美しい「はぁ?!」のハーモニー。そして不信感あらわの表情までも皆ズレなく揃っている。
 その団員たちの反応を面白楽しそうに眺める桂介は団員たちへ笑って応える。
「皆、俺が何か一言言えば、はぁ?! だなぁ。ウケるわ、ホント」
 この桂介の口振りに口を利く気さえも消え失せていた智之。面倒極まりないと思いながらも副座長としての立場、皆の代表として桂介に意見した。
「桂介、オマエなぁ、説明が足りないんだって。全然。それに本書くのオマエの仕事だろ? で、自分が話変えるって言い出したくせして今日になって皆で考えるって無責任にもほどがあるだろ?」
 すると桂介は右拳を左掌へぽんっと軽く打ち当て言った。
「あ、どうやって書くか? ってことだな?」
 桂介の言葉に智之の大きな溜め息が即座に出る。そして団員たちのあんぐり顔が立ち並ぶ。
「だから何ふざけた事言ってんだって言うの、桂介。オマエが変える言っておいて。で、今日になって白紙の紙を渡して俺らに書けって。これ、戯曲セミナーか何かか? 俺らが書くっていう事自体、全く意味が分からんわ」
 この智之の意見にうんうんと唸るように同意する団員達。
「ごめん。確かに本来は俺の仕事だ。本当に申し訳ない。謝る」
 そう言って立ち上がって頭を深く下げた桂介。それに口を閉じたまま驚きの表情になった団員たち。しかし智之は冷静だ。
(こいつのこの態度、すげぇ嘘臭ぇんだよ)
 と、隣で頭を下げていた桂介に疑いの目を一人かけていた智之。
 そしてさっと頭を上げ腰に手をあてた桂介は演劇調で滑舌の良い会場全体に響き渡る明瞭な声で言った。
「簡潔に言うな。それぞれ自分のセリフは自分で書いてもらう」
「はぁ?」
 今や説明不要のまほろば一座ハーモニー一団。
「それ説明になってないですよね?」
 しかめ顔で言ったステファニーのこの言葉をきっかけに続けて疑問を口にし始めた団員たち。
「思い付くままに適当に。とでも?」と晴男。
「リレー小説的に?」と続いてさくら。
 すると桂介は団員たちの前をうろつきまわりクイズ番組司会者気取りで言った。
「んー、ちょいと違うけどぉ……ぼちぼち近い!」
「アホか……」
 団員たちを前にして一人芝居やっているような桂介に智之は心底呆れかえった。
 桂介の話したことに対し真剣な受け答えをするのは晴男。
「僕らが考えて話を作るなんて博打も同然でしょう?!」
「お、うまいねぇー、芝居も博打のうちだからな」
 笑って言った桂介の言動に智之は頭を掻きむしりながら叫んだ。
「お、うまいねぇー、じゃねぇーよ! 馬鹿! アホ! 田分け!」
 智之はこの事態をどう収拾つけて良いのか分からず、ほざき倒すことしかできなくなっていた。
「おお、おお、もっと言ってくれ。俺は馬鹿でアホで田分けだぜ! ヌハハハーッ!」
 ()け反って天井に向かって大声で笑うおどけ具合と桂介のリアクションに智之はついに(さじ)を投げた。
「何笑って言ってんだ、こいつ? ああーもう、止めだ。止め止め! 今回はさすがに呆れたわ。ワタクシ、モー呆れました」
 そう言って立ち上がった智之の正面に桂介は仁王立ちになって言った。
「香織と一緒にオマエも辞めるか?」
「おお、もうオマエと一緒にやってらんねぇーわ。辞めた辞めた。(いち)ぬーけた」
「一はヒメだからオマエは二だろ?」
 と、渋い表情の智之へと桂介は遠慮なしに言うと智之は返した。
「そうか、じゃ、二ぬーけたっ! って別に一でも二でもいいんだよ、アホ!」
「ごめんごめん。みんなで考えるっていうのは。冗談だよ」
 桂介は気楽に笑って言った。
「なんだ、びっくりした」と安堵の表情のステファニー。
「それで話変えるのはマジなんですか?」
 と晴男は今もなお冷静に桂介へと尋ねた。
「それはマジ」
「はぁ!?」と智之も含めた一同。
「と、言うことで」と桂介はうっすら笑みを浮かべながらパンツの後ろポケットへと手をやった。そしてそこから何か取り出し高く掲げると叫んだ。
「まほろば一座、第二十回公演! つもるはなし、つまりよもやま! こいつで(ひと)芝居! 打ったりますがねぇ!」
 そして桂介は呆然と団員が見つめる中、ひとり目をつむり満足げな顔をして肩を揺らしていた。
「座長……すみません。それ、何ですか?」
 晴男はそう言って素早く立ち上がり興味津々に桂介へと近づき手にしているものを凝視した。
「なんですか? この少女アニメのカード? これ、かなり古いっすよね?」
(すごい! まどマギのトレカだ……)
 静かに座っていた清二は胸の中でつぶやくと桂介の手にしていたものを物欲しそうにジッと見ていた。
「しまった……親父の部屋で見つけてパクってきたんだった。ケツに入れたままなの忘れとったわ」
 桂介はそう独り言のように語りながら少女アニメキャラクターが印刷されたカードを数枚広げて眺めた。すると晴男は大げさに驚きを見せた。
「ええー! 座長のお父さんがそんなもの持ってたんですか? 意外だなぁー」
「ティファニー知ってるか、これ?」
 桂介はステファニーへとカードを手渡し聞いた。
「うーん、なんだろー、このキャラ? さくらちゃん知ってる?」
「あー、私全然疎いんで、アニメ」
 さくらとステファニーのやりとりの間に桂介はステファニーからカードを受け取ると清二が黙ったまま視線が自分の手元に集中していることに気付いた。
「清二、オマエこう言うの好きなんか?」
「え?」
「じゃ、やるわ」
「え? いいんですか?!」
「おお」
「あ、ありがとうございます」
 するとステファニーは身をのけぞらせ清二へ言った。
「やだ清二くん、ニヤニヤしてるー」
「ち、違いますよ! 座長からの贈答品なので、ひ、ひとまず慎んで」
 と言った清二あるが、ステファニーとさくらの極めて冷ややかな視線に負けて桂介から受け取ったカードを投げ捨てた。
「あ、オマエそれでいいわけ?」
 桂介は厳しい顔つきで清二へ言うと、カードをすぐに拾い集め清二の目の前に突きつけた。
「え? い、いやぁ、そのぉ」
 清二は動揺した態度を見せながらも目が寄り目になるほどカードへと視線が集中していた。そして思わず固唾を飲む。
「もらっとけ」
 桂介はそう言って清二のTシャツの首からカードを放り込んだ。
「ええ?」と慌てた清二。
「嫌だぁ、なんか清二くん、すごい嬉しそぉ」
 ステファニーの軽蔑視線。
「やっぱし、清二くん好きなんだ、そういうの」
 さらにさくらの軽蔑視線。
「え? え? い、いや、え?」
 女性二人の軽蔑視線に清二は顔を真っ赤にすると、あたふたして目の前の桂介を見た。そしてその後、智之に向かって無言の救援要請をした。
 しかし智之は清二と目が合うと素知らぬふりで視線を反らす。すると桂介は笑って清二の肩を叩いて言った。
「人前で演技見せる人間がこれごときでドギマギしてちゃ、あかんな。こんな時は『僕、こんな二次元少女より三次元熟女が好きなんです!』ぐらい言っとかないと」
 清二は頭を掻(か)いて照れ笑いを見せる。
 そんなやりとりを見ていた智之は呆れて冷めた笑顔を作り小さな溜め息を漏らした。
(本題はどーすんだよ、桂介。オマエが何をやりたいのか俺にはさっぱり分からんわ……)
 そして智之は疲れ切った体を休めるように椅子へどすり腰を下ろし項垂れた。
 桂介はというと楽しげな表情のまま自分の座っていた場所、立ち位置へ戻ると両手でパンッと心地よい音を鳴らし皆へ言った。
「さて、本題へと戻りますか!」
 桂介の一声で再び団員たちは座り直し真剣な顔つきとなると桂介へと視線を集中させた。
「と、言うことで」
 桂介は再びうっすら笑みを浮かべ言うと今度はアロハシャツの胸ポケットから何かを取り出し叫んだ。
「まほろば一座、第二十回公演! つもるはなし、つまりよもやま! こいつで一芝居、打ったりますがねぇぇぇぇっ!」
 表現会場全体に大きく響いた桂介の声。
「座長! そ、それは!?」
 と晴男が何か新たな発見でもしたような嬉々(きき)とした表情と声で言うと桂介は目を瞑ったまま叫んだ。
「よしっ! そのまま続けてくれ! みんな!」
さくら「それって」
ティフ「もしかして」
清二 「モバイル」
晴男 「レコーダーぁ?」
桂介 「ククク」

 冷めた表情で見ていた智之は止まらない溜め息を吐き出しつぶやいた。
「なんだオマエら、口裏合わせたみたいに……気持ち悪ぃ……」

 表現会場の中央でたいそうな笑みを作り立つ桂介にそれを不思議がって見ている智之を除くまほろば一座の団員たち。その姿は滑稽と言えるあまりにも芝居がかった風景であった。

第五幕 第二場 雪村こころの部屋

 桂介から今回の舞台についてのネタばらしを受けたさくら。さくらは帰宅後、桂介の指示通りやってみることにした。

(こんな面白いことないじゃない!)
 という興奮を抑えて。

 さくらは姉、こころの部屋の扉へ聞き耳でも立てているかのように耳を扉へ近づけノックすると申し訳なさそうな声を出した。
「オネェ、ちょっといい?」
「ん? うん、いいよ」
 扉の向こう側から姉の軽やかな返事が来ると一人したり顔を作ったかと思うと、すぐさま陰のある表情に作り変えゆっくり扉を開けた。
 部屋ではベッドの上で寝転がりフィルムノートを広げ何やら見ていたこころは起き上がるとぺたんこ座りとなってさくらへ聞いた。
「どうしたの? すごく暗い顔しちゃって? ヒメちゃんのこと、かなり深刻なの?」
「んー、深刻っていうか……私、今日初めて聞いたんだけど。どうもヒメと座長って付き合っていたらしいのね……」
「あれ? 前、座長さん、他の名前の彼女がいるって言ってなかったっけ?」
「そう。いや、現在進行で二股とかいう話というわけではないらしいんだけど……」
「前彼だったってこと?」
「うーん、微妙っちゃあ微妙らしい……」
「何それ?」
「そう、何それ? なの。だからさぁ、なんかモヤモヤしてさ、ウワーッてなるわけ」
「それは誰から聞いた話?」
「トモさん」
「トモさんって言うと、たしか線の細い人?」
「そう」
「たしか二人は高校時代からの付き合いだって言ってたよね?」
「そう」
「じゃあ、そのトモさんの話が正しいんじゃない? 色々と」
「いやぁー、それがハッキリ言わないからさぁ、余計雰囲気悪くなって。他のメンバーもさ、後入りってことであまり突っ込めないしさ。だから、しゃあないよね、で終わっちゃって」
「で、何? 昨日言ってた内容をそっくり変えちゃう話はそれが原因なの?」
「これがまた曖昧も曖昧でさぁー。座長はトモさん任せで逃げたらしくってさぁ。明日、詳しく話があるみたいなんだけど、今さらどうするんだっつーの! もう明後日なんだよ、本番。絶対ありえない! 無理。絶対ムリっ!」
 さくらはカーペットの上で悶えるようにゴロゴロと一人転がっている。
「代役ってそんなに簡単に見つかるものじゃないんだ?」
「そうよ」
「さくらは?」
「私はそんなタマじゃないわよ! 私はコミカル担当だし、ヒメのおかげで固定客がかなり多かったのは実際事実だからね」
「そうかぁー……難しいね」
「そうなのぉー……ああー、なんかスッキリしないなぁー、スッキリしたいなぁー」
「じゃあ気分転換に銭湯でも行こうか? 久しぶりに?」
 さくらは跳ねるように飛び起き、こころを指差し言った。
「あ、いいねぇー。オネェ、ナイス! 行こう! 行こうぜ、銭湯!」
「じゃ、すぐ行こ。準備しなくちゃ」
「オネェ、ブルーな私に生中おごってね」
「何言ってんのよ。何でも私の財布を頼らないの」
「じゃあ、サウナ勝負で負けた方がおごるっていうのは?」
「あ、それ、ひっさしぶりぃー。オッケー。その勝負、受けて立つわ」
「お父さん達にも声かけない?」
「そうだね。100パーセント一緒に来るね」
「そうしたら入場料はタダになるし」
「ふふ。そうだね」
「よぉーっし、汗流しまくってやるぞぉ!」

第五幕 第三場 表現会場

 打合せスタイルにて香織を除いたまほろば一座が座っている。
 皆、神妙な面持ちで。

智之 「で、確認だけど、今回でちょうど二十回公演の節目になるけど、このタイミングでヒメから辞めたいと言ってきたわけだな? 桂介?」
桂介 「ああ。でも別に脱退するメンバーが今回初めてな訳じゃないのは、もちろんみんな知ってるわな? 来る者拒まず去るもの追わず」
智之 「俺たちの方針だからな」
桂介 「だな。で、ふと思ったわけよ。今さらながらに」
智之 「何思ったわけよ?」
桂介 「芝居って何だろう? って」
ティフ「またまた。座長がそんな事考えるなんて不気味すぎる」
桂介 「だろ? 俺も自分で思ったわ」
 団員苦笑。
桂介 「10代の頃から始めて、10年以上芝居ってやつをやって来たわけだけど……まぁつまりだな、芝居って空想の世界、絵空事を現実の空間で見せる。そして観ている人達をその作られた世界へ引き込ませたり、それらを含めて見世物としたりする娯楽、だよな?」
智之 「教科書みたいなこと言ってホント不気味だぞ、桂介。一体何が言いたいんだよ?」
桂介 「不気味。正しく不気味かも知れないな。何がって、現実と空想事の境界線どこにあるんだろう? ってことを真剣にこの俺が考えちまったんだからさ」
 団員、桂介を真剣な眼差しで見る。
桂介 「それはこの舞台と客席の真ん中? それとも、あの表現会場の扉を境にこっち側と向こう側? それとも店の外と中? それとも一人一人、皆の頭の中? 考えようによってはどれも現実であり現実じゃない」
智之 「おい桂介、どうしたんだって本当に。今さらそんな小難しいこと考えて?」
桂介 「まあな。ぐだぐだ理屈こねて何かやるのは性には合わないけどな。それに別に今まで節目なんて意識したことはない。旗揚げの日は記念日として一応記録はしてあるけれど十周年の時も気に留めなかった。あ、でもあの時は二人でしょっぽり呑んだっけか?」
 桂介、智之を見る。
桂介 「だからさぁ、十回も、二十回も。そして百回目の舞台になろうが俺らは一回掛ける十回。一回掛ける百回。毎回初回のつもりの心意気のつもりだった。ちょっと格好つけすぎか? トモ?」
智之 「だな。そこまで考えたことないから」
桂介 「やっぱ? で、なんだっけ……そうそう、結局、節目だ、なんだと言って意識して今まで何かやって来た事は無いってこと。たまたま今回二十回だった。そして旗揚げ丸十二年という偶然のタイミングが今回だった」
ティフ「今年で十二年だったの?」
桂介 「そう。ただ、不思議なことに今回、このタイミングでヒメから退団したいと申し入れがあった。そして、ふと思った。今さらながらの事を。正直言ってやっぱりヒメが入ってからはヒメの人気に頼っていたところはある。そんな気持ちがふと湧きあがった」
智之 「それは無いって。桂介も、そして皆も手抜き無しでやって来たし」
桂介 「んー、まぁもちろん手を抜いたことは無いと思ってるし、その時できることを目一杯やって来た。ただヒメから直接抜けたいと言われて、現実として彼女がまほろば一座からいなくなるんだと思ったら怖くなった。これは本当のことだ。彼女が入団してくれた時を思い出して、そして彼女がすごく頑張ってくれてすぐに頭角を現して俺の目に狂いは無かった。そんな事すら俺は思ってちょっと調子に乗ったところはある。彼女に厳しく当たったこともあったし……自分が何様だったと改めて思った……」
 神妙な顔で桂介を見る団員達。
桂介 「一応は俺が土台を創作して、そして皆で積み上げて表現する。そしてミせる。ミせるのミは魅力の魅な。そう、みんな一人一人がいてくれたからこそ、俺の絵空事の物語が現実となって目の前に現れた。そうなんだよ。みんな一人一人が俺に力を貸してくれてた。それをヒメからの事をきっかけに、ホント今更なんだけど心から気付いた。みんな、本当にありがとう。感謝してる」
 桂介、静かに立ち上がり深々と頭を下げる。
 智之、慌てて立ち上がる。
智之 「ちょっと待て、桂介。その口振り、オマエ。これを機にまほろばを解体する気じゃねぇよな?」
 頭下げたままの桂介。
智之 「オマエ一人で勝手に決めんなよ、そういうの。俺とオマエと、あとナカムラとヨシコで旗揚げして、それからなんだかんだ二人で引っ張ってきたんだ。オマエの勝手な判断でそんなこと口が裂けても言うな。それこそオマエがこの劇団を私物化してたことになる」
 
 間

 桂介、目を瞑ったまま頭をあげる。そして小さな溜め息に苦笑。
桂介 「智之、悪いな、変な気を使わせて。大丈夫だ。そんなことは思ってもいないから。俺にはこれしかできることないから」
 香織、登場。
香織 「皆さん。ごめんなさい、こんなことになっちゃって……」
一同 「ヒメ……」
桂介 「お、いいところで来たな」
香織 「座長の指示通りのタイミングのはずですが?」
桂介 「容赦ないなぁヒメ。それ言っちゃたら芝居にならないでしょ?」
香織 「え? これってお芝居なんですか?」
桂介 「だよな。俺もやっていて分からなくなった」
 一同微笑。
桂介 「ヒメ、こっちへ来てもらえるか?」
 香織、黙って頷き桂介の横へ。
桂介 「とにかく、彼女がまほろば一座から抜けるのは事実だ。理由は何であれ彼女から申し入れを受け、引き留めるだけの理由はない。それは彼女の下した決断であり、その彼女の人生に介入する権限は誰にもない」
香織 「色々と考えて今回を最後に退団させてもらうことになりました。約2年弱でしたがとても充実した時間でした。よく言われる事ですが過ぎれば本当に短く早い時間でした。少し大げさかも知れませんが、私の今までの人生の中で一番充実した時間だったかも知れません。それくらい素敵な時間を過ごせました。本当にみなさんの存在のおかげだったと思います」
桂介 「家族都合で東京へ行くんだそうだ」
ティフ「そうだったんだ。そうならそうって座長も最初に言えばそれで済んだ話なのに」
さくら「そうですよ。変に私たちが動揺しちゃってゴチャついちゃったじゃないですかー」
ティフ「辛いことがあったらいつでも連絡しといでよ」
晴男 「そうそう。それに遠くにいてもネットで会えるしな」
智之 「24時間365日団員募集してるから。いつでも復帰オッケーだぜ」
ティフ「うん、そうだよ。いつでも帰ってきてくれていいからね」
桂介 「ヒメ。今まで色々と俺から無理言ってごめんな。本当に今まで一緒にやってくれてありがとう。達者でな」
 桂介、香織を抱擁しようとする。
 そこへ桂介と香織の間を阻むようにオモチャの楽器を手にした塩漬け連中登場。
英秋 「ちょっと待ったぁ!」
誠  「俺達!」
一郎 「四人揃って!」
塩漬け「ヒメを守り隊!」
茂  「シャキーン!」
 塩漬け、決めポーズ。
 客の反応を待って英秋がセリフ続ける。
英秋 「ごめん、桂介。やっぱここまでが限界だ。思った以上に受けねぇし」
桂介 「おお。許す。これは俺の責任だ」
英秋 「だったら責任とってオマエが辞めろ」
桂介 「なんだよ、そのデケぇ態度?」
 一同笑
香織 「まほろばのみなさん。そしてSalty DOGのみなさん。あっと言う間の二年でしたが大変お世話になりました。ありがとうございました」
 深々と頭を下げる香織。
英秋 「また、大げさな」
智之 「サヨナラは無しで」
ティフ「うー、臭いセリフ」
智之 「やっぱし?」
桂介 「でも、そうだろ?」
智之 「だな。いつでも会える」
桂介 「ちゅーことだ」
ティフ「じゃあ、みんなでヒメを送り出しましょう、笑顔で」

 桂介と智之を残して一同はける。

智之「ヒメ、行っちゃったな」
桂介「ああ」
智之「やっぱり寂しいな、なんか」
桂介「ああ」
智之「オマエ、本当にそう思ってる?」
桂介「ああ」
智之「ホントかよ?」
桂介「ああ」
智之「で、みんな知りたがってたんだけどさあ、桂介」
桂介「あ?」
智之「ヒメとオマエの関係って本当はどうだったの?」
桂介「さあ」
智之「水臭ぇなぁー。なあ、俺には本当の事言えよ」
桂介「さあ」
智之「ちょ、マジでマジで。ちょっと教えろて」
桂介「じゃあ、オマエとティファニーはどうなの?」
智之「ティファニーとは単なるビジネス・パートナーだよ」
桂介「ビ、ビジネス・パートナー? でら笑える」
智之「何だよ、うるせぇなぁー」
桂介「オマエの方がうるせぇんだよ。過ぎたことは過ぎたことだろ。いちいち気にすんじゃねぇよ」
智之「ってことは……?」
桂介「人の数だけ、過ごした時間だけ誰しも積もり積もった何某(なにがし)があるっていう事だ」
智之「つまり?」
桂介「四方山(よもやま)。そういうことだ」
 桂介、静かに立ち去る。
智之「おい、桂介! なんかオマエ、含み持たせてそのまま立ち去るっていうこのスタイル。妙に格好良くないか? なんか俺、結局こんな小うるさい役多いんだけど? なぁ、桂介! 俺にもたまにはそういう渋くて格好いい役やらしてくれよ! おい、桂介! 逃げんなって!」
 智之、桂介を追いかけるようにはける。

第六幕 幕引き(千秋楽) 前編

 暗闇と静けさに幾ばくかの時間包まれていた表現会場が光を取り戻すとステージ上には桂介を中央にまほろば一座一同が立ち並び、その両端にはSalty DOGのメンバーが二人ずつ立っていた。
 そして自然と沸き起こった観客からの拍手の中、桂介が開口一番を上げた。
「この度はまほろば一座、第二十回公演! つもるはなし、つまりよもやまを御観覧いただき、誠に有り難うございました!」
 桂介が深く頭を下げると団員とSalty DOGも合わせて「ありがとうございました!」と声を上げ頭を下げた。
 客席より続く拍手喝采。そして少しの(あいだ)、頭を下げたままでいた面々。
 しばらくして桂介が頭を起こし「えー」と声を出すと皆頭を上げ客席を見渡した。そして桂介は観客へと話を続けた。
「えーっとですねぇ、それでですね、実を申しますと、今回の舞台なんですが、すべて実話でございます!」
 桂介の言葉に客席からどよめきが湧く。
 桂介は笑みを浮かべ続ける。
「正確には、『ほぼ』なんですが……えーっと、つまりどういう事かと申しますと……」
「つまり、よもやま?」
 と、桂介の横にいた智之はニヤリ桂介の顔を覗き込み言った。
「こっちは真面目に喋ってるっつぅーの」
 と言って桂介は智之の足へと軽く蹴りを入れた。
「痛ッテーッ!」
 智之は飛び跳ね大声で叫ぶと客席に笑い声が広がった。
 桂介の軽い蹴りであったが、みごとに智之の脛へと当たり智之は「お、おまえ……これ、マジ……あ~痛ってぇー……」と涙目で訴える。
「おお、トモちん! ごめんごめん! ちょっと練習不足だったな?」
 桂介は済まなさそうに見せかけた後、大きな笑顔を作って智之へと言うと観客へと声を張り上げた。
「皆さん、気にしないでくださいね! こいつ丈夫なんで!」
「オマエ、そんな言い方あるかって……くぅー……」
 涙目の智之は渋い表情だ。その横にいたステファニーは笑いながらも「大丈夫?」と気に掛ける。
「トモ、あとで赤チンつけてやるから。すみません、えーっと、で、何を言おうと思ったんだっけ?」
 と照れた表情で左右に並ぶ団員たちを見渡した桂介。
「あ、思い出した! あのですね、うちのアイドルで看板女優でありました、織姫こと遠藤香織がですね、本公演をもって退団いたします」
 この桂介の言葉に客席より再び大きなどよめきと声が上がった。
「ええーっ! マジでヒメちゃんいなくなっちゃうの?!」
「冗談だろ?」
「行くなぁー! 俺のヒメーっ! カムバーック!」
 最後のこの中年男性の悲痛な声に場内は笑いの渦を巻いた。
 その時の香織は片手で口を押えながら笑顔で客席を見渡していた。その彼女の瞳は濡れ始め、鼻は心なしか赤みを帯びていた。
 そして桂介の話は続く。
「ええ、本当に。本当にですね。あ、ここ、強く言いますね。ホン・トウにっ!」
 桂介が最後に口にした変に甲高い口調の言葉にステファニーは目を大きく広げて言った。
「何それ? もしかして私の真似? うわぁー、似てなぁーい、可愛くなぁーい」
 口を尖らせるステファニーへ智之は痛み引かない右足の脛をさすりながら「ティファニー、オマエ、こんな感じだて」と真顔で言った。
「ウッソォー、もっとカワイイでしょー。トモさん、なんなら左足にも一発いく?」
 二人のやりとりに客席の笑い止まず。
「まあまあ、二人とも。で、たいへん我々としても残念で仕方ないんです。本当に。そこで皆さん、私からのお願いです。ウチからヒメがいなくなってもどうか我々の舞台にお越しなってくださいませんか?」
 桂介は大袈裟な物言いでそのまま膝を付き土下座した。
 すると香織とSalty DOGを除く劇団メンバーはそれを見てすぐに土下座を始めた。香織はあわてて一同の前へ出て困惑顔で言う。
「ちょっ、ちょっと、やめてくださいよ、もうそんな冗談を。皆さん」
 香織の声を聞いた桂介は顔を持ち上げ香織を見ると柔らかい笑顔で「そ、そうか。じゃ、やめるわ」と言うと素早く立ち上がり左右の土下座状態の団員たちに向かって低音の効いた声を響かせた。
「よし、みんな止めろ!」
「へぃっ!」
 即座に息の合った反応をした劇団員たちは声を上げると同時に立ち上がった。このチームワークに英秋は大笑いでつっこむ。
「お前ら、何もんだ?」
 他のSalty DOGのメンバーもまほろば一座の行動に英秋と同様な笑顔を見せている。
 そして桂介は一同が立ち上がったのを見計らって話を続けた。
「冗談はさておき。彼女の方の諸事情でですね、実際、私達と一緒に芝居を続けるのは難しいという事でして、やはりこればかりはですね、無理強いできないものですから……では、香織さん。一言いいですか?」
 物腰柔らかい口調で語った桂介はそのまま落ち着いた表情の顔を香織へと向けた。
「はい」
 引き締まった表情をしていた香織の心地よく抜けの良い声は簡単に場内一体に響き渡り皆落ち着き静まり返った。そして香織が一同より一歩前へと出る。
 場内の人々の視線は自ずと彼女へ集中する。そしてその香織の様子が映し出されたモニターを黙って見つめる会場外の店舗内を埋め尽くす客たち。さらには店の入り口横壁面に設置されたフィルム・モニターに群がる人々も彼女に注目していた。

第六幕 幕引き(千秋楽) 中編

 様々な人々の視線を受けていた香織は一つ小さな深呼吸をすると観客席をゆっくり見渡しながら丁寧に言葉を発した。
「今日はお忙しい中、まほろば一座二十回公演、つもるはなし、つまりよもやまにお越し頂き、皆様ありがとうございました」
 深々と頭を下げた香織はしばらくそのままでいた。するとその香織へと柔らかい拍手が客席より起きる。
 そして頭を上げた香織。その時の彼女の瞳は涙であふれ返り、スポットライトの光を受けたその表情は見る者すべてに慈しみの感情が沸き立つほどのものであった。
 そして小さく息を吐き出した香織は照れ笑いを見せて言った。
「ごめんなさい。あの……なんて言ったら良いのか悩んでしまうんですが……今回、とても変な舞台でしたよね? 面白かったですか?」
 香織の涙を溜めながらの真顔の問いかけに会場は湧いた。それに苦笑いの桂介は香織の横顔に向けて言った。
「ヒメ、大胆だな。それをこのタイミングで聞いちゃう?」
 桂介の声を聞くと香織は輝く目を細め照れ笑いを見せた。そして流れた一筋の涙。香織は涙をさっと手で拭い深呼吸をすると目をしっかり見開き真っ直ぐな視線と真っ直ぐな声で言った。
(わたくし)、遠藤香織は、今回の公演をもって、まほろば一座を退団いたします! 色々な形で応援してくださった皆様、本当にありがとうございました!」
 そして香織は深く頭を下げしばらくすると、一気に舞台から飛び降り舞台上の面々を視界に入れ言った。
「まほろば一座のみなさん! そしてSalty DOGの皆さん! 今回はもちろん、今まで、若輩者の私を温かく受け入れ見守ってくださり、本当にありがとうございました!」
 観客を背にし、深々と頭を下げる香織。目の前に降りてきた香織に驚きの表情を見せた最前席の観客であったが、すぐさま温かな笑顔で拍手を送った。
 そして香織は何度も観客席と舞台上の面々に対しお辞儀を繰り返した。そして鳴り止まない拍手に香織は少し戸惑いながらも客席へ向かって声を張り上げた。
「あのー、すみません!」
 香織の声が穏やかに拍手を止めた。そして会場内が落ち着いたのを確認すると香織は言った。
「最後に私のわがまま聞いてもらえませんか?」
 そこへ透かさず「ヒメちゃんのわがままなら幾らでも聞くぜ!」と誠がステージの端から声を出した。すると同意の拍手が会場からすぐさま湧いた。その拍手の中、智之が割って入った。
「ヒメ! 最後なんて言わずにたくさん言っちゃってよ! ティファニーなんてさぁー、殆ど毎晩、私のわがまま聞いてくださいって気取って言ってんじゃん!」
 するとステファニーは間髪入れず智之へと叫ぶ。
「また、私かい!」
 そして智之の左足くるぶし辺りを軽く蹴ったステファニー。
 そのやり取りを見て場内は笑いの渦を巻き誰もが笑顔に満ちていた。
 そしてその様子をゆったりと眺める香織。その頃の香織の顔には留まることを知らない涙が輝き放っていた。香織はたまらず上を向きパンツのポケットからハンカチを取り出すとおもむろに広げ顔へのせた。そして観客へ背を向けた香織はハンカチの上から両手で顔を押さえると俯きむせび泣いた。
 ステファニーはその香織を見て堪らずステージを飛び降り香織へ寄り添い肩を強く抱いた。真っ赤な目で涙を流していたさくらもまた香織へと飛びついた。
 その彼女たちの温もりに香織の心は震え容赦なく彼女の顔を濡らしていく。

 その様子をしばらく見守っていた会場内の人々であったが客席にいたある男の一人が手拍子と共に「泣くな! 泣くな!」と声を出した。すると瞬時にして客席全体に「泣くな」コールが広がった。そしてステージ上のまほろば一座メンバーとSalty DOGメンバーも香織へ朗らかな笑顔で観客と一体になって手拍子と一緒にコールした。

 香織は「泣くな」の声を耳に顔をハンカチで覆ったまま天を仰いだ。

 そして香織に寄り添うステファニーとさくら。彼女たちもまた堪えきれず香織の体で隠すように涙を流す。その彼女たちを見ていた客席にいた人々はもちろん、表現会場の外にいる人々もモニター越しに映るその姿を目にし、もらい泣きが広がっていた。
 その時、PAブースにいた彩乃も例外ではない。

 しばらく続いた手拍子だけの時間。そしてそこにいる人々のすすり泣く音が手拍子に隠されるように聞こえていた。

「ありがとうございます……」
 上ずりながらも囁くように口にした香織。香織の両脇にいたステファニーとさくらはその言葉を耳にすると何かに気がついた様にそっと体を離し香織を見つめた。
 涙をしっかり拭い取るも治まりを知らない涙を流す香織はその涙で濡れた大きな瞳を輝かせステファニーとさくらへと微笑んだ。そして二人の手から伝わってくる温もりを感じながら香織は観客たちへ向かって力を振り絞り腹の底から声を出した。
「それでお願い事なんですが! 折角(せっかく)ですから皆さんと! お客さんと一緒に! 写真をお願いしたいなと!」
 そして香織は振り向きステージ上を見た。
「それいいねぇ」
 英秋は即座に香織へ指差し応えた。
「皆さんいいでしょうか? 私達と一緒に写真?」
 香織は再び客席へ向かって言うと観客から一斉の拍手。そして「いいに決まっとるがねぇー」と男の声も届き会場は賑わう。
 
 うっすら目に光るものをちらつかせていた智之は笑顔で言った。
「じぁー、もし、お客様の中で写真に映ったらヤバい! って方がいましたら皆様にお配りしたアド・シートで顔を隠してくださいね! 取りあえず警察の網にはかからないかと」
 すると英秋が笑って観客へと言った。
「じゃあ、その時はウチらの宣伝表示にしておいてください! 来月ここでサマ・フェスやるんで!」
 そこに桂介が英秋を見て叫んだ。
「オマエらの告知は最後の最後だ!」
「ウルセー、桂介っ!」
 英秋の声を大きな口を開けて笑って受けた桂介。
 そして桂介はそんなやり取りをしている間に清二が持ってきた三脚の付いたカメラを受け取り「みんな下に降りて適当に並んで」と口にしてステージ中央辺りにカメラを置いた。
 
 挙ってステージを降りたまほろば一座とSalty DOGのメンバーたち。皆、観客へ会釈をしながら香織を中央にずらり並んだ。それを桂介はカメラのモニターに収まるようにステージ奥へと下がって位置を決めると声を張り上げた。
「では皆さん、いいですか!? 私がハッピィー! って言ったら最高の作り笑顔でお願いしますね」
「おい、作り笑顔かい!」
 安座していた智之が言うとすぐさま桂介は言い返した。
「おお、作り笑顔だ!」
 笑い止まぬ表現会場。そして会場外でモニターを見ていた人々も笑顔だけでいっぱいであった。

桂介「じゃあ、行きますよぉー、みなさん、頬の筋肉柔らかくしといてくださいよぉーっ!」
智之「桂介! オマエ、長いっつぅーの! もう俺、顔くたくただって!」
桂介「おおー悪ぃ悪ぃ。でもオマエはどうせ素体不良だろ?」
「こらっ! いい加減早くしなさい! 年寄りだっているんだから!」
 どこからか彩乃の声が会場内に響き渡り表現会場は更に笑いが増した。

第六幕 幕引き(千秋楽) 後編

 桂介が一人ステージ中央で一同を見送り、両手を前ポケットに入れ佇む姿をセンタースポットライトが捉えている。
 その姿を静かに見守る観客。
「桂介!」
 そこへ突如男の声が鳴り響くと同時に舞台下手より一人の男が現れた。それは桂介の兄、陽介であった。
「あれ? 兄貴。来てたんか?」
 桂介は振り向き笑顔で応えた。
「ああ。桂介。面白かったじゃないか」
 陽介はそう言って桂介の胸へ拳を当て押した。桂介は少し大げさによろめいてみせ照れ笑いを作って言った。
「サンキュー。実際、生で観てみるもんだろ?」
「桂介、悪いが別に今日が初めてじゃないぞ」
「あれ? そうだったっか?」
「初公演。お前とあのトモとかいう彼とあと何人かで学校でやったやつ。あれが初公演だろ?」
「ああ。それはそれは随分昔だけどな」
「あれは観たぞ」
「マジで? それは知らんかったわ」
「でも俺は面白いとは思わなかったけどな」
「マジかて? なら言うなよ。ちょっと傷付いた」
「嘘つけ。オマエ心にも無い事をしゃあしゃあと言うな。今回の事で改めてオマエの事が良く分かったよ。詐欺師レベルだぞ、オマエ」
「失礼な。自分の弟をそんな言い方するとは」
「こういう時には弟顔か?」
「兄貴、容赦ないな。これ、人が見てんだぜ」
「オマエの演出だろ。俺が知るか」
 桂介は陽介の言葉に思わず中腰になり苦笑いを見せた。客席からは静かに笑いが聴こえる。
 陽介は客席に向かって小さく舌を出しおどけてみせると桂介へ言った。
「しかし、やられたよ。あれ、録音してたんか? 俺たちの声」
「ああ。ごめん。勝手に」
 頭を掻きながら小さく頭を下げた桂介。それを見てはつらつとした声で笑った陽介。
「ハハハ! 本気で謝ってんのか? 悪いなんてこれっぽっちも思ってないくせに。お前は呆れるほどホントすごいわ。プロだね。自分が納得いく作品にするためには手段選ばずだ。親父がいたらそれこそ発狂してたぞ」
 桂介はそれを受け少し照れてみせる。
「ホント、心底感心したよ。で、お前が夢中になって芝居やってるのはなんとなく分かった。結局この空気なんだろうな。映画とかと違って客に囲まれてスポットライト浴びて。その前で自分でない自分を演ずる。そして拍手喝采。気持ちいいと思うわ」
「兄貴もやるか? 面白いぞ」
「俺はそういう柄じゃない。それに芝居観て面白いとは思わない。悪いな」
「ああ、知ってるよ。言ってみただけだ。でもそんな兄貴が来てくれたってことに感動してるぜ」
 すると目を細め陽介は言った。
「口だけだな」
「そんなことねぇよ。興味の無い人間にはどうしたってダメだってことは散々思い知らされてきたからよ」
「でも親父たちには観て欲しい。一度くらいは。そう思ってるんだろ? そして面白かった。すごいなって言わせたいんだろ?」
 陽介の覗き込むような視線に桂介は小さく苦笑して言う。
「まぁ、昔はね。少し」
「褒められたいって気持ちは分かる。わかってると思うけどウチの家族はこういうのには反応しない。お前は異端児だからな」
「異端児。正解」
 そう言って桂介は指差し少し大げさに声無く笑った。陽介はその様子を見て軽く鼻で笑うと言った。
「とにかく今日は来て良かった。楽しかった。少し羨ましくも感じた」
「羨ましく思ったんなら、なおさら一緒にやろうぜ」
「少し。一瞬だけだよ。俺はお前みたいに若くない」
「ちょっとトゲある言い方だな」
「オマエはオマエだ。オマエ流の生き方をしていけばいい」
 そして少しだけ二人の(あいだ)に静寂の()が及んだ。そして思い出したように陽介が口を開いた。
「そういえば、この店。ガキの頃に玉せん食いによく来たな」
「だったな。あん時に俺は芝居にハマったんだ」
「俺は音楽」
「もうバンドやらねぇのか?」
「やりたいけどな。みんな家庭を持っちまってなかなか集まるのが難しい。家庭を持つと家族中心の生活になるから。仕事も忙しくなるしな」
「そんなこと言ってたら何もできねぇじゃん」
「だから親父に子ども扱いされるんだ。家族を持つ意味なんて考えたことないだろ?」
 陽介の言葉に桂介は小さな溜め息を漏らし陽介から視線を逸らした。
「悪い、桂介。ちょっと気持ち入っちまった。親父のコピーだな、これじゃ。結局オマエが心から羨ましいんだと思う。俺自身が」
「兄貴たちの言ってることは十分分かってるよ」
「ああ。こっちも分かってる。みんな分かってるさ。何度も言うようだけど、ただ心配なんだよ。ただそれだけだ」
「ありがとう」
「ああ。それと最後に。俺にこんなことさせるな。芝居は性に合わねぇよ。こんなことよく人前でやるな、オマエは」
 そして陽介は観客側を向き会釈すると言った。
「すみません。私のような素人が皆さんの前に立って。今日は千秋楽で、そして香織さんのお別れの舞台だってことで渋々、弟の無理を聞いて今日だけ出演させてもらいました。みなさん、本当に弟の、じゃないな、まほろば一座さんの芝居をわざわざ見に来てくださってありがとうございます。正直自分は劇に興味がなくて弟にこの話を持ちかけられた時はぶん殴ってやろうかと思ってちょっと手が出かかったんですけどね」
 そう言って陽介は桂介をちらり見て笑った。
「余分なこと言うなよ」
 素直な照れ笑いを見せた桂介に観客、温かい笑みを浮かべる。
 するとここで舞台袖から智之が顔だけひょいと出して言った。
「おい、桂介! 外でヒメを送るぞ! みんな待ってるから!」
 そう言い終わった智之は陽介と目が合うとバツ悪そうにして軽く会釈し下がった。
「桂介。そろそろ行くわ」
「ああ。今日はありがとう、兄貴」
「こっちこそ。久しぶりに生バンド聴けたし。やりたくなってきたわ」
「よかったら今日みたいに一緒にやろうぜ。冗談抜きで」
「そうだな。ひとまず押し入れからギター引っ張り出して久しぶりに弾いてみるか」
「また俺に兄貴の演奏聴かせてくれよ」
「ああ。あ、最後に一ついいか? 桂介?」
「ん? なんだよ?」
「あのカードってマジで親父の部屋で見つけたのか?」
「ああ。メモリーカードをくすねてやろうかと親父の部屋を漁ったらあんなもんが出てきた」
「マジか? そいつは収穫だなぁ。でもバレないか、親父に?」
「かなりダブってたやつを数枚だけ持ってきたからバレやしないって。それにバレたって向こうは何も言ってこれないだろ?」
 そう言う桂介の勝ち誇った顔へ陽介は薄ら笑みを浮かべ言った。
「あれは武器になるな」
「だな。兄貴、困ったらいつでも言ってくれ」
 桂介が手を差し出すと陽介も手を伸ばし固く握手した。そして陽介は笑顔で言った。
「ああ、頼む。じゃあな。引っ張ってゴメン」
「いや、俺こそゴメン。じゃ、またな兄貴」
 手を上げて別れた二人。陽介は静かに去ると桂介が一人ステージ上に佇む。そして桂介は客席に俯き加減の横顔を見せて微笑んだ。

 ふた呼吸ほどの短い()をおいて桂介を消すように闇の空間となった表現会場。観客の静かな呼吸だけが音を鳴らしていた。

 そして観客の気づかぬ間にステージ前に下ろされた大型フィルム・スクリーン。そのスクリーンの裏側ではSalty DOGメンバーが息をひそめ演奏開始の合図を待っていた。

「やっぱ夏はコレだな」
「やっぱそうだな」
 突如、桂介と智之の声が鳴り響いた表現会場。気がつくとスクリーンにまほろば一座の練習風景らしき映像が流れ始めていた。
 それを合図に茂はスティックを歩くほどの速度で四つ打つとSalty DOGのゆったりとした演奏がBGMとして始まった。

 スクリーンには今日の客入りから舞台終盤、香織が立ち去るまでの写真と動画が入り交じり映し出されている。
 観客たちはスクリーンを指差し、笑顔で言葉少なく語らう。
 
 しばらくすると映像はそのままでSalty DOGの演奏は『Night Train』のイントロへと変わっていた。そして画面には出演者名のテロップが流れ始めた。



 瞬く()の出会いは微か
 戯れ合いの日々、まほろば
 ありきたりに塗れ隠れた
 麗しきあの()の喧騒

 映り行く景色は知らないものばかり
 旅立ちの感触 落ち着かない心

   嗚呼、そうだね 全部
   誤魔化しだらけの感情
   まやかしの言葉紡いで感傷
   嗚呼、砕け散ってく

 嫌味なほどに蘇る思い出に阻まれ眠れぬ僕
 眩く夢を手繰り寄せ
 (みやび)やかな笑み
 きらめくは君

 憂うつな朝焼けの出迎えに
 いたいけな涙 頬つたい呆れ
 醜いほど壊れ朽ちれば
 何も残すものはないだろう

 輝く君に近づけば
 誰かを蹴散らす勇気も萎えて
 愛した事 置き去りにできず
 みすぼらしく成り果て去る


 
 Salty DOGの歌の途中から観客たちの名前が「観客」という役名で流れていた。そして曲が終わる頃には観客名も流れ終わりスクリーンは真っ白となった。
 そこへぼんやりと浮かび上がってきたのは今日、香織を中心にまほろば一座とSalty DOG、そして観客と一緒に撮影した集合写真。
 そしてスクリーン一面に大きく映し出された集合写真は静止することなく緩やかに消えて行くとすぐ、会場内にいるすべての人が一度は目にしている風景が映し出された。それは、ここ『集い処きらめくあまた』の玄関口である。そしてその映像は玄関へとゆっくり歩み寄るように近づいていくと入口横に置かれた寄せ集めの木材で作られた立て看板が画面いっぱいに映された状態で静止した。
 その立て看板には黒いペンキを使った手書き文字で次のように書き記されていた。


口上

 スポットライトなんて必要ない
 いつだってみんなが輝いているから
 人生という大舞台ではみんなが主役
 煌めく数多の人々と永遠に
 ここは煌めく数多の人々が集まるところ
 集い処きらめくあまた

店主敬白


       ―劇終―

終幕 桂介と英秋

「で、お前、ヒメのこと好きだったんか?」
 桂介は静かに言うと飲み干した缶ビールを潰した。その顔は薄暗闇の中でも赤身帯びていることが分かる。その桂介の向かいに座っていた英秋は目で細く笑って応えた。
「何だて、突然。気味悪ぃ」
 英秋の反応を桂介は鼻で笑い言った。
「お前は隠してたつもりかも知れねぇけど丸分かりだったぜ」
「それが言いたくてこんな時間に俺を誘ったんかて?」
「まぁ、それもある」
 桂介はそう言ってゆっくり立ち上がった。

 桂介と英秋の二人は薄暗いきらめくあまたの店内で駄菓子をあてに缶ビールを飲んで過ごしていた。耳に聞こえるのは雨粒が騒がしく屋根を叩く音。

 桂介は自販機の前に立つと振り向き言った。
「ドライでいいか?」
「驕ってくれるんか? 羽振りいいなぁ」
「今日は七夕だからな」
 桂介の言葉に口へ含んだビールを噴き出しそうになった英秋は軽くむせると、笑いをこらえるかのような表情で言った。
「笑わせるんじゃねぇよ。柄にもねぇこと言いやがって。七夕なんざ、なんの記念日にもならねぇだろ。それに野郎二人しかいないって言うのによぉ」
 桂介は何も言わず自販機で買った二本の缶ビールのうち一本を英秋の前に置き、桂介は立ったままで栓を開けると喉を鳴らして体へ流し込んだ。そして二人のいるテーブルから少し離れた壁面に張り付けられた大型フィルム・モニターを眠たい目付きで見て言った。
「もうすぐ始まるな」
 モニターには7.July AM 0:58と大きく浮かび上がるように表示されていた。
「ん? ああ、星降る時間か……ティファニーも頑張るな。こんなの生でやらなくてもいいだろうに」
「生だからいいんじゃねぇか」
「オマエの仕業か?」
「違うよ。これは智之。あいつのアイデアだよ」
 桂介がそう言いながらゆったりとした動作で座る頃、モニターの日時表示が左上隅に向かって小さくなって行き、同時にマイクを前に涼しげな表情を見せるステファニーの姿が徐々に現れた。

『30分だけ。30分だけ私の些細な夢、叶えさせてもらえますか? 今宵もどうぞお付き合いください。こんばんは。午前1時のシンデレラ、ステファニー・アームストロングです。2059年7月7日。今年もやって参りました、七夕。調べましたところ去年、一昨年と天気が悪く、今年はマーみごとな雨、雨、雨。ダダ降りもダダ降り。ふふふ。もーホント笑ってしまうほどの降りようです。でも、厚い雨雲の向こう側では織姫と彦星が一年ぶりの再会を果たしていることだと思います。と、ロマンチックな思いを胸に始める今宵、星降る時間です。ふふふ』

「なんだ、ティファニー、いつになく楽しそうだな」
 頬杖をついて、まったりとした時間を味わう雰囲気を醸し出していた英秋は独り言のように言った。その時、桂介はモニターを黙って眺めたまま笑いをこらえるような仕草をしていた。

『さて。突然ですが今夜はいつもと違うオープニングで行きたいと思います。それはですね、今回。なんと番組始まって以来、初めて番組宛てに手紙が届きましたぁ。パチパチパチィー。はい。えー、とても爽やかなブルーの封筒に綺麗な字で今宵、星降る時間 気付、まほろば……一座……ん? あれ? これ……あ、ごめんなさい。すみません……。ええーっと、そういうことで、初めて番組に来たお手紙ということで紹介、するんですね? はい。リスナーの皆さん、失礼しました。この番組のプロデューサー兼まほろば一座のサブリーダー川田と少しコミュニケーションをですね、あ、怪しい意味ありげな作り笑顔をしてますねぇー。あごを使って早く読めと言っております。読んでいいんですね? わかりました。では、お手紙の方、読ませていただきます』


 こんばんは、午前1時のシンデレラさん。そして、まほろば一座のみんなさん。ごめんなさい。突然こんな手紙出してしまって。

 本当に今回の件は突然の事で申し訳ありませんでした。
 ご存知の通りとすべては座長の企みです。
 座長にこの話、私自身が脱退することを座長へと伝えた時、この事実の話をそのまま舞台にしたいと言われ目眩がしました。そして私はこの時、座長自身ではなく座長の才能に恋をしていたのだと気づかされました。全く私の気持ちなど気づかう事なくあっさり、ハッキリと、よくあの空気で言うなと。正直に言って、あきれました。
 でも今では座長らしいなと思っていますし、おかげで見えなかったものが見えるようになりました。
 普段、なにげなく自分を自分で演じているんだな。そんなことにも気付かされました。少し嫌味な感じもしましたけれど。

「ったく……言いたいこと書きまくりやがったな……アイツ……」
 楽しげな笑みを浮かべ桂介は囁くように言った。


 でも、団員のみなさんにすぐ伝えてくれると言っていたのにギリギリまで黙ってましたよね? 本当に。あれには驚きました。おかげで私が悪者扱いですよ。最初に伝えたのは二カ月も前だったのに。意地悪にもほどがあります。
 でも、それも含めての企みが座長の才能なんでしょうね。そうやってみんなの引き出しを上手く開けていくんですよね。


 英秋は頬杖をついて手紙を読むステファニーを眺めたまま「桂介。オマエって、エロいよな」と力の抜けた声と表情で言った。
「なんだて、エロいって?」
 桂介の挑発的物言いに英秋は姿勢を正し、モニターへ指差して言った。
「こうやって人を利用する。エロいよ」
 それに対し桂介は苦笑すると噛みつく様な仕草で英秋に向かって言った。
「じゃあお前はむっつりエロだな」
「なんで俺がむっつりなんだて?」
「今回の芝居でお前にオーダーかけたらあんな曲作って来やがって」
「オーダー通りだろ?」
「お前、分かりすぎ」
「何が?」
「ま、いいや。しかしあれを一週間もかからずアレンジまでして完成させるんだからスゲェな。感心するよ」
「何だて? 人をむっつりエロと言った後にお褒めの言葉か? 気味悪いな」
「別に褒めてるってほどでもないぜ。ただすげぇなと思ったからそう言っただけで」
「劇作ることに比べりゃ大したことないだろ。曲なんて基本のメロディが決まれば後は繰り返しだ。アレンジはメンバーであれこれ言いながら適当にくっつけてやってるだけだ。ちょっと詞は工夫してるけどな」
「俺には無理だ」
「それそのまんま返すわ。俺にも無理だ」
 英秋が言うと二人は互いの顔を見合わせ、照れくささ混じる笑顔で握り拳を軽くぶつけ合った。
「しかし、塩漬け犬のみんな、なかなか上手かったじゃねぇか、演技」
 桂介の言葉に英秋は声無く笑い、右手を左右へぶらぶらとさせて黙って否定すると言った。
「そうか? そう座長様に言ってもらえるとありがてぇな。まあそれはさぁ、ウチらは所詮外野の人間だったからだって。だからこれと言ってプレッシャーは無かったし毎回アドリブで適当にやらせてくれたから。それにこれでも一応ウチらもステージに立って人前で芸事やってる人間だぜ?」
「じゃあ、また出てもらおうか?」
「冗談。勘弁してくれ。今回はヒメの餞別代りに記念ってことで了解したんだ。結構ウチらも揉めたんだぞ、桂介」
「そうだったんだ。ゴメン、それは知らんかったわ。てっきりみんな即決オッケーかと思ってた」
「最終的にはヒメの記憶に俺たちが残ればいいよなってことでみんな楽しみながらやったけどな。いい経験にはなったよ。ホント楽しかったわ。気の毒なのはお前んとこの役者勢だろ。酷いな」
「酷いとは大袈裟だな」
「じゃあ、エロいで」
「それは潔く認めるわ。俺はエロい」
「だな。オマエは真正エロだ」
 緩いペースで男同士の会話を楽しんでいた桂介と英秋。そこへ突如、女の声が割り込んできた。
「あら、まだアンタたちいたの?」
 それは寝巻き姿の彩乃であった。
「ああ、彩乃さん。ええ、すみません。もうじき行きますわ」
 桂介は苦笑いを見せて言った。
「しかしアンタたち、随分と飲んだねぇ」
 テーブルはもとより足元にまで転がっていた空き缶たち。
「まぁ男同士色々語ることがあって」
 桂介がそう口にするとそこへテーブルの上にあった桂介のスマートフォンが光り、呼び出し音が流れた。視線が集まるスマートフォン。それを黙って桂介は手に取り出た。
「おお、ヒメか。おお、すぐ行く。待っとって」
 英秋は桂介の話を聞き逃さなかった。笑顔で電話を切った桂介をアルコールの回ったうつろな目で睨み付けると英秋は突如立ち上がり迫った。
「おい、桂介! ヒメってどういう事だて!? ヒメは昨日東京行っちまったんじゃねぇのかよ? で、なんでこんな時間にお前に電話なんだて?!」
 英秋は大声で言いながら倒れ込む様に桂介へと近づき胸ぐらを掴んだ。
「まあまあ落ち着けて。外出ようぜ。そうすりゃあ分かるって」

終幕 御膳立て

 酒に酔って少し足下がおぼつかない英秋。その彼を桂介は抱き抱えるようにして出入口へと向かうと引き戸を勢いよく開け放った。すると生温さと湿気を帯びた外の空気が一気に流れ込み激しく地を打つ雨音が二人の耳に明瞭に聞こえた。
 英秋は身体中を包み込んだ生暖かい空気のせいで桂介の熱さがうざったく感じ、唸り声を出して桂介の体を突き放すとそのまま暖簾をかき分け外へと出た。
 外に出た英秋の目に入ってきたのは店の前に横付けされた一台の白い小型車だった。英秋は目を細め運転席を凝視すると待ち構えていたかのように運転席側の窓がすっと開いた。そして目に映ったのは満面の笑顔で両手を振る香織であった。
「ヒデさぁん!」
「ヒ、ヒメ……?」
 桂介は固まっていた英秋の肩へ軽く手を当てるとそのまま香織の乗る車へと歩み寄った。
「ヒメ、雨の中よく一人で運転してきたなぁ」
「すごいでしょ?」
 香織は親指を突き上げ自慢げに言った。
 それを唖然とした顔で見る英秋。
「おいヒデ! 何つっ立ってるんだよ! はよ(早く)来いって!」
 そう言って桂介が手招きするも気が進まない英秋。

――何か気にくわない。なんなんだ、これは?

 英秋はたんまりとビールを入れた体が今一つ言うことをきかない状態であったが香織が現れた途端、意識がハッキリと目覚め無性な腹立たしさが沸き起こっていた。
 そんな英秋へと桂介は、英秋が気づかぬうち背後へ回り込み英秋の首へ襲いかかる様に腕を巻き付けて言った。
「ったく、面倒くせぇ男だなぁ」
「痛いっ! 痛いって。な、何が面倒くせぇだよ。これはどういうことだよ?!」
 騒がしく雨が降り注ぐ中、びしょ濡れになりながらも桂介は英秋を無理矢理助手側へと引っ張っていきドアを開け助手席へ押し込んだ。

「こんばんは、ヒデさん」
 爽やかな笑顔と明るい声を弾ませた香織。それに対し英秋は簡単に動揺した。
「お、おお。こんばんちは。ん? 俺何言ってんだ?」
 英秋の応対の様に香織は口に手を当てクスクス笑う。
「で、何? 免許、取ったんだ。おめでとう……」
「ありがとうございます!」
 そう言って香織は英秋へ小さく頭を下げた。
「で、なんでここにヒメがいるの?」
 英秋は車の外で雨に濡れながらもご満悦顔で覗き込むように二人を見ていた桂介へ聞いた。
「ヒメがあっちへ行くのは明後日だ。ヒメの奴がよ、ヒデを乗せてドライブしたいって言うもんだから。しゃあねぇからお膳立てしてやった。感謝しろよ」
「すみませんヒデさん。私がわがまま言ったんで」
「俺は実験体か?」
 香織の言葉を受け確認するように桂介へと聞いた英秋。香織は英秋の肩をぽんぽんと叩き自慢げな顔で言った。
「違いますよ。嫌らしい言い方ですねぇ。これでも技能試験は一発だったんですよ」
 桂介は香織に続いて英秋の肩を叩いて言った。
「危ないと思ったらお前が横でそうなる前にサポートしてやるんだよ」
「はぁ?」と顔をしかめる英秋。
「ヒメが最初にお前を乗せてドライブしたかったんだと」
「はぁ?!」
「わからねぇのかよ?」
「ん? だから実験体だろ? ヒメの運転に耐えられるかどうか? って」
 英秋の子供染みた態度と言葉に呆れ加減最高潮になった桂介は大きな溜め息を吐き出すと手に持っていた台本を丸め英秋の額を容赦なく叩いた。
「痛ってぇ!」
「分かっててとぼけた振りすんなよ、ったく。つまりお前が彦星様だったってことだ」
 桂介のこの言葉に英秋は一瞬固まった。そして香織に横顔を見せて小さく洩らした。
「俺は一年もじっと待てる人間じゃねぇよ」
 香織は英秋の横顔を見つめたまま黙ってこの言葉を聞いていた。
 桂介は呆れ顔で言う。
「お前は思春期のガキか? 三十目前のオッサンが何言ってんだよ、パータレ。ステージの上では一丁前のくせして。別にあの世とこの世ほどの距離じゃねぇだろ? ぐだぐだ言っとらずにドライブしてる間に話でもして考えろ、ヒデ!」
 そう言うと桂介は助手席の扉を閉め、香織に向かって顎を使い行けと合図を送ると香織はぺこりと頭を下げた。そしてウインカーを点灯させると香織は車をゆっくりと発進させた。

閉幕

 信号待ちの二人を乗せた車。雨は今もなお疲れることなく降り続け、ワイパーは忙しくフロントガラスの中を行ったり来たりしている。
「実は東京行く話、嘘なんです」
「ん? なんだって?」
 突然の香織の告白の声が英秋の頭に鳴り響いた。

 もういないと思っていた香織が車に乗って現れ、その助手席へと座っている自分。そして思わぬ言葉を言った香織。すべてが意表をつく、現実とは思えないこの状況。酒の飲み過ぎか? と、酒のせいにしてみたかったが、そうしたところで何か変わるものでもない。英秋は緊張した。

 せっかく倒した背もたれも無意味な状態で英秋の体は垂直になっており、そして英秋はそのまま美しい香織の横顔を凝視した。
「正確には行くつもりだったんですけど止めたんです」
 香織は真っ直ぐ前を見たままそう言った後、英秋の方へと向き「実はこれ、誰にも言ってないんですけどね」と言って肩をすぼめ控えめな照れ笑いを見せた。そして大きな瞳を長いまつげで隠し、ふっと軽く一呼吸した香織は再び大きな瞳を英秋へ向け言った。
「当初は家族と一緒に東京へ行くつもりだったんですけど、やっぱり私はここが好きだということがわかって。一人になるのは不安でしたけれど、どうせいつかは自立しなきゃいけないわけで」
「ん。まぁ、そうだな……」
「で、私、トリマーにやっぱりなりたいと思って来期から学校通うことにしたんです」
「トリマー? ああ、犬の美容師さん? そういえばペットショップでバイトしてたんだったね……」
「です。で、そっちの仕事も自動車の免許持ってないとやりづらいこともあって取ったんです、私」
「そうなんだ……そうだったんだ……なるほどね……頑張ったね、お金もかかるだろうし」
「そうですね。親からいくらか援助は受けてますけど」
「そりゃ一人娘にびた一文出さない親もいないだろー」
「ふふ、そうですかね? で、私。そもそも芝居って向いてないんですよ。実際。別にみんなと違って好きでやってたわけじゃないんで」
「そうなんだ……」
 香織の瞳は薄暗い車内であっても十分な輝きを放っている。英秋はその瞳を見ることができない。この頃の英秋は視線を香織から外し前を向いていた。香織はと言うとその英秋の横顔をしっかり見つめていた。
「私、本番に弱いんです」
「ほぉ……」
「人前で演技するって私にとっては人前で裸になるくらい恥ずかしい事で、全然、本当は苦手なんです。人前に立つの」
「そうだったんだ……そんな風には、見えなかった、けど……」
「いい経験にはなりましたけどね。それに、おかげで英秋さんと知り合えて、今こうやって一緒にいる時間ができたんで」
 香織が言い終わった時の英秋は香織へ後頭部を見せていた。そしてその英秋は香織の物言いにどぎまぎし、雨が流れ落ちる窓に映る自分からも目をそらし言った。
「そ……そういう事を、さらっと、い、言うんだな……」
「これが私です。私は人の作った言葉で話したくないんです。とにかく今夜は朝まで付き合ってください。私の運転で」
 香織は視線を英秋へ真っ直ぐ向け凛とした態度で言った。その香織と対照的な英秋は視点定まらぬ様子で言った。
「あ、ああ。まあ、とにかく安全運転で。あのぉ深夜だから、車は少ないだろうけど、この辺り街灯が少ないから、人には注意して」
「はい!」
 ステージの上ではもちろん、ステージ以外の場所で今まで見たことのない英秋のこの態度と助手席の窓に映った表情に香織の心は確かなものを手にした感覚に包まれた。

『ええー、そんな訳で、まほろば一座からヒメこと香織さんがですね、二十回公演をもって卒業してしまったわけですが、まほろば一座はですね、変わることなく、まほろば一座として一本筋の通った相も変わらずのまほろば一座であり続けますので、どうぞ皆さん、応援をよろしくお願いいたします。私たちは変わらずこのまま突っ走っていきますから』

 英秋が突如声を上げた。
「おいっ! ここ一通だって! 進入禁止だぞっ!」
「えっ!? ウソ!?」
「オマエ標識見えなかったんか!?」
 この英秋の怒り声に香織は肩を揺らして俯(うつむ)き、声無く笑った。
「な、ナニ笑ってんだ。たまたま対向車がいなかったからいいものを。あぶねぇー。こんなんで高速なんて乗れるかよっ!」
「今、オマエって言いましたよね?」
 いたずらな笑みで言う香織の言葉に英秋は目を点にして固まった。
「初めて英秋さんに『オマエ』って言われたから。嬉しいです。英秋さんにそう言われて」
「そ、そうだっけ? そういえば……そういえば……か」
 香織の免許取り立てほやほやの運転と一方通行の逆走に焦って体を起こし硬直していた英秋だが、香織に妙なことを言われ一気に脱力感に覆われシートへ体をどすりと預けた。その姿を見て香織はまたも今まで見たことのない英秋の表情と動作が目にでき喜びをあらわにした。
「ふふ。やったぁ!」
「やったじゃねぇよっ! と、とにかく笑ってないで方向転換しろよ。ちょうどそこの駐車場使えるから」
「はーい」

『それでは! 今宵のお別れの曲ですが。ホント、このまま夜の街を駆け抜けたい。もうじっとしていられない! そんな気持ちの私を連れ去って! て言うくらいの勢いでお送りしたいと思います。今宵のお別れの曲は、Salty DOGでNight Driving! では、またお会いしましょう。おやすみなさい! Night Night!』



 案外 気安さが無くて ぐだぐだと遠回りして
 口当たりのいい言葉ならべて遊んでる
 その口塞いで連れ去ってあげる

 行き先知れずの深夜の密会
 夜通しのDrive
 二人秘密Drive

 見え透いた嘘に嵌められる罠
 それが恋であるわけでしょ?


  今も今だけの感触信じて
  飽きもしないでお道化てみせましょう

  思い付きは衝動
  動かせば行動
  夜更けにまみれて見過ごしちゃダメよ
  感覚感情
  (よこしま)感情
  本気で酔わせたい理屈抜きのpropagation

  よそ見しないで
  甘く見ないで
  俺のアクセル優しくないから
  言わせたいから
  インチキじゃない
  聞かせておくれよ君の言葉で


 朝焼けが作る影の狭間に見えた
 ちっちゃな勇気の印乗せて突っ走っていく

 I wanna come over to my place.
 Are you ready to go?
 I wanna come over to my place.
 Are you ready to go?


 
      *


 桂介は降りしきる雨の中、独り満足げな笑みを浮かべ香織と英秋を見送った。そして二人が乗った車のテールライトが見えなくなったところで、きらめくあまたの店内へと桂介は体を向けた。するとさっきまで桂介が座っていた椅子に腰かけた彩乃が頬杖を突き、涼しげな表情で桂介を見つめていた。
 彩乃と目が合った桂介は少し照れくさそうな表情で頭をかいた。そして桂介はその場で姿勢を正し彩乃へ真っ直ぐな目を向けると雨音をかき消すほどの声を張り上げた。
「つもるはなし、つまりよもやまっ! これにて閉幕っ! 御観覧、誠に有り難うございましたぁぁっ!」
 深々と頭を垂れた桂介に彩乃はゆっくり立ち上がると柔和な笑顔でたくさんの拍手を送った。

―完―

つもるはなし、つまりよもやま―夏の巻―

つもるはなし、つまりよもやま―夏の巻―

舞台は愛知県長久手市にある古びた倉庫を改造した店、『集い処 きらめくあまた』。ここを拠点に活動していた劇団『まほろば一座』の座長、桂介は公演三日前にして突如、話を全部変えると切り出した。それを聞いた智之は吠えた。その理由とは? そして、このまほろば一座の騒動を傍観者のごとく振る舞うインディーズバンドSalty DOG(ソルティドッグ)のメンバーたち。それを見守るようにいるのは『集い処 きらめくあまた』の店主、彩乃。果たして公演は実施されるのか否か? まほろば一座の行方は? 2059年シリーズ第2弾。西暦2059年を生きる若者のたちのほんの小さな初夏の出来事。 全22チャプター

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • 恋愛
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-02-22

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 序幕
  2. 第一幕 其の一 桂介と智之
  3. 第一幕 其の二 Salty DOG参上
  4. 第二幕 其の一 噂話
  5. 第二幕 其の二 織姫には彦星?
  6. 第二幕 其の三 つまり井戸端会議(ステファニー登場)
  7. 第二幕 其の三 つまり井戸端会議(盆回り)
  8. 第三幕 其の一 集い処きらめくあまた
  9. 第三幕 其の二 果てなき、まほろば会議
  10. 第三幕 其の三 壁に耳あり、まほろば会議
  11. 第四幕 其の一 山田家の食卓
  12. 第四幕 其の二 桂介と香織
  13. 第五幕 其の一 集結(ただし香織を除く)
  14. 第五幕 其の二 ネタばらし
  15. 第五幕 第二場 雪村こころの部屋
  16. 第五幕 第三場 表現会場
  17. 第六幕 幕引き(千秋楽) 前編
  18. 第六幕 幕引き(千秋楽) 中編
  19. 第六幕 幕引き(千秋楽) 後編
  20. 終幕 桂介と英秋
  21. 終幕 御膳立て
  22. 閉幕