practice(50)



五十





 所持品検査のゲートを鳴らして,「すみませんが,こちらへどうぞ。」と続くであろうお客の列の流れから外して,正面から向き合ったのが小さい博物館になら展示されていそうなサイズのティラノサウルスの露骨な標本だったら,探知機を持った検査官として一体どうすればいいのだろうか。見た目からして骨以外の何かを持っていないし,上下の牙は入れ歯のようにかぱっと外し(たところをゲートから離れた所定の位置で見ていた),手荷物として別のゲートを無事に通過して所在無げに持ち主を待っている。そこに危険性はない,あるいは,骨の中に何かを仕込んでおり全身が想像だにしない凶器としての危険性を有している,その無防備であからさまな怪しさは,人の思考の逆手にとったとある組織の作戦なのだ,という可能性は否定できない。と,言いたかったのだけれどうねうねと動いている尻尾が第三関節ぐらいからひゅっと壁際に飛んでいって,ばかんと簡単に壊れてしまった。ありゃっ,というリアクションをしたように下顎を開けたまま,私に向かってティラノサウルスが両手を合わせてお辞儀をして,穴でしかない目の部分をこちらの視線に合わせ(ているとしか思えず),申し訳なさそうに横に縦にと首がひねられ,おまけみたいに小さい手の指の骨をかちゃかちゃと回している。私との距離感は一応把握できているようで,顔の骨の,鼻にあたる部分が私の顔に特に近づいてはぶつからず,離れてからまた近づく。していればその鼻息で,私は生温かくなっていたかもしれない。
 とりあえず仕事は果たそうと,見える骨すべてを調べるために私はティラノサウルスに向けて言葉を発しながらも探知機を見せて,あちらこちらを調べる動作を交えながら所持品検査を行うことを伝えた。頭の骨を興味津々に動かし,ティラノサウルスは探知機の動きばかりを追っていたが私自身の身体の上を滑らせるようにしたところで大きく頷き,さあどうぞ,とばかりに喉元の骨を存分に見せて動かなくなった。ご協力に感謝します,と私は淡々と言ってさっそく喉元から探知機をかざし,すぐに胸骨,尾骨,脛から足への骨といって,何を言うにも足らなくなった尻尾を持ち上げてもらい,背骨から頭蓋の上を進んでから鼻,開いた両顎の内側まで調べて小さい手。念のための喉元をもう一度通してから探知機を下ろし,ティラノサウルスを見た。探知機は鳴らなかった。
 そこ,もともとこうですか?
 そう言ったつもりで探知機の丸い頭を下にして,空いた手の方で私のそこを示したのは骨として同じ箇所の部分と見比べて,尻尾と同様に短かったからで,もしここでそれを落としたと思われるのなら探してから見つけて,手渡そうと思ったからだった。
 捻じりこむように顔を近づけて来たティラノサウルスは,やはり嗅いでいるようにしながら近くの指と区別をするようにしてああ,合点がいきましたというように元の(ティラノサウルスにとっての)位置に頭を戻しながら,小さい手を目一杯に伸ばしているように強調した。
 これでしょ? 
 と,首も角度で聞いていた。
 「はい,そうですそうです。」
 と私もすぐに仕草で応じて,落としたわけじゃないことに納得をした。ティラノサウルスの尻尾もぐるんと身体を回り込んできて,それから戻り,カーペットが敷かれた検査場の床を擦らない程度にうねうねと左右に動いていた。
 私が促し,ティラノサウルスも促された場所は丁度もう一列の,検査ゲートに手荷物を流すベルトコンベアーが行き着くところで,そこに手荷物を乗せるトレイが数枚と重なっていた。ティラノサウルスはその,ないはずの眼でそれを見つけては一番上の一枚を入れ歯式の牙を付けていない上顎と下顎で挟み込んで,私の前に渡そうとした。のだろうけど,やはり難しいようで結局は順番に重なった二,三枚ごとトレイを挟んで,私の前に差し出した。
 私はそれを片手で受け取った。まあまあの重さで,落としたりしないように両手で持った。そして見た。渡すため,上下の顎の挟み具合を緩めて,それからもう一段と口を開けたティラノサウルスはそのままどこも,動かさなかった。
 どうしていいのか分からない。というのはトレイとティラノサウルスをしきりに見ている私の様子からすぐにティラノサウルスに伝わったのだろう。上下の顎の骨をかちっと鳴らして,うんうん,なのかそうだよね,分からないよね,と言いたげに頭蓋から腰から尻尾まで,骨である身体を大きく揺らした。私の見立てでは,多分ティラノサウルスは笑っていた。
 からからともいっていた。
 それから再度鼻がぐいっと,さっきまでより低く近づいてきて,探知機の前で止まった。手首に通した紐とともに,持ち手を頭にしてぶらんと下げていた,私がトレイの片手で持って,調べた時と同じように丸い頭を上にして持ち上げるまで,ティラノサウルスはそのまま動かなかった。私は探知機をティラノサウルスが食べやすいように横に向けて,軽く開かれたその下顎に渡すように乗せた。二箇所で取れるバランスを確認して,手は離した。
 壊さないように,ティラノサウルスは上顎を重ねて動かした頭で,受け取ったことを私より高い頭上から見せて,これこれ,とばかりにうんうん,と頭を振っていた。
 持ったトレイの上で,うんうん悩んだ私。ティラノサウルスは暫くを待ったのだった。
 そのうちに「ああ!」と私は言った,トレイを差し出し,「交換ですね?」と聞いたことがティラノサウルスに伝わり,ティラノサウルスは大きい頷きを数度と繰り返した。つまりティラノサウルスは何かと交換したがために骨として,尻尾の他に短いところをもつようになったということだった。物々交換といってよかった,しかしその物は見当たらない。
 では,その物は?
 私がそう聞こうとする前に私が渡した探知機をトレイの上に口を開いて,落としたティラノサウルスはそのまま自分に向いているトレイの厚い縁を噛んで,探知機をそこからまた手に取るまでティラノサウルスはじっと動かなかった。手に取ったらすぐにティラノサウルスは二,三枚のトレイを元の位置にかちゃんと返していた。
「渡し,た?」
 かくんかくんというのはティラノサウルスの返事,もう渡したのですね?と確かめればがくんと一回,首(こうべ)が垂れた。一人と一体で,検査場で笑った。
 ご協力には二度目の感謝をして,ベルトコンベアーに乗って手荷物検査を終えた入れ歯式の牙を手に持って,私がティラノサウルスの上顎からはめ込み終わった頃にゲートを鳴らして通って来た男性は背広姿にノーネクタイといった格好で,困った感じで私以外のもう一人の係りのものに誘導されてすぐ近くにやって来た。ベルトコンベアーが動いている先でこの男性のものであろうと思われる黒い袋も二枚に畳まれて,口を開けるティラノサウルスにどんどんと近づいていた。
 見ればそれはハンガーにかけた衣装の上に被せる,例えば埃除けとかの袋のようだった。
「早くしてね,お姉さん。急いでるんだから。」
 と言う男性はさっさと両手を真横に伸ばして,係りのものが検査をしやすいようにしている。係りのものは探知機をもって淡々と検査をしている。
「マネキンがさ,私に似合う衣装を持って来てって言うんだよ。」
 と男性はほとほと呆れて,それでも困った風に出発時刻を表示している検査場前のパネルを見ているように言う。
「どんな衣装でも着て,それなりに似合う。それがマネキンでしょ?だから重宝される,デパートなんかで普通に見かけるわけだ。なのにさ,マネキンの一体が今着させられているのは私が着たい服じゃないって言うんだよ。しかも大事な場で,他のお客様にも迷惑をかけてさ。」
 係りのものはそう溜息をつく男性の後ろに回り込み,さっと探知機をかざす。その衣装のためのなのか,例えば泥除けの袋がティラノサウルスの下顎の牙を乗せたトレイに軽くぶつかる前に,私はそれを取り上げ,ティラノサウルスの空洞である口に手を入れた。
「困るよね,ホントに。しかも現場で対応しているものに聞いてみたら,マネキンも何が来たいのか分かってもいないっていうんだよ。まったく,いったい全体どうなっているんだか。」
 そう言って男性はティラノサウルスを見た,ところを私は横目で見た。それから下顎の所定の位置を奥まできちんと確認して,入れ歯式の牙をかちゃっとはめこんだ。かちかち,からかちゃかちゃと上顎と下顎の噛み合わせ具合を確かめたティラノサウルスはこれで大丈夫とばかりに頭を左右に振って,ありがとうございますというように頭を下げた。ゆっくりと視線が下がっていった男性の視線は,もう見上げていた。それから背広のポッケがピピっと鳴った。取り出せばそれはガムの銀紙で,探知機がそれに反応するわけはなかった。
 はい,宜しいですよと係りのものに促された男性はティラノサウルスから視線を外し,トレイにあった衣装のための黒いその袋を取りながら,困ったということを何も言わずに検査場をあとにした。
 その係りの同僚は次に向けて,所定の位置に戻った。
「博物館の仕事ですか?」
 トレイを所定の場所に重ね置きながら,私はティラノサウルスに聞いた。
 そう,とばかりの頭の返事。勢いで胸骨もぶつかる。
「じっとしてるの,大変ですか?」
 ティラノサウルスは首を傾げて,肩は恐らく上げていた。それはまあねとばかりで,私はティラノサウルスとともに検査場でかたかたと笑った。通路も含めてずっと敷かれたカーペットはふかふかのものとは言い難かったけれど,歩くことには適していた。
 ぴんぽんぱん,とチャイムがいう。
 探知機を,手首に通した紐とともに下にぶら下げた私はどうぞと促して,ティラノサウルスはぶんぶんと頭を振り,検査場の先にかちゃかちゃと歩き始めた。露わな骨身,牙まで白い色を晒して,前傾姿勢になりながら通路に入る,硝子窓を通して見える外を眺めながら設けられた手摺にどこもぶつけないようにしながら。
 もう見えなくなる前に,ティラノサウルスは最後になって伸びる尻尾を私に向けた。それを短い挨拶のように,さよならと二回振った。



 

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-02-21

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