やさしい刑事 第二話 「少年と宇宙人」
これは俗に言う『刑事ドラマ』ではありません。凶悪犯罪を解決する訳でも無く、アクション・シーンもありません。
あくまでも、非日常的な視点から『心の綾』と『命の絆』を捉えて描いたファンタジー・ドラマです。
従いまして、警察組織・その他の考察も曖昧です。実在する地域・団体・人物とも無関係です。
主人公:やさしい刑事
名前:不明。周りから「ヤマさん」と呼ばれているので「山田」とか「山本」とか、ありふれた名前と思われる。
年齢:不詳。どこにでもいる風采の上がらない中年男。独身。過去に婚姻歴あり。
所属:本庁(多分警視庁?)と思われるが、詳しい所属は不明。
特徴:人に見えないものが見える。なぜそうなったのかは、物語の中で明かす予定
やさしい刑事 第二話 「少年と宇宙人」(前編)
衛里病院の院長宅では、捜査官たちが緊張した面持ちで電話に張り付いていた。
昨日、院長の幼い長男が誘拐され、犯人から身代金を要求する電話が掛かって来ていたのだ。
「奥さん。お気持ちは分かりますが…もう少し落ち着いて下さい」」
電話の前で、何も手につかずにおろおろしている院長の妻に刑事は言った。
「でも、信二の身に何かあったらと思うと…私、生きている心地がしなくって」
「大丈夫ですよ。犯人は金が目当てだ。金が手に入るまで、信二君には何もしませんよ」
「でも、そう言われても…」
「あぁ~、済みません。刑事さん。妻は去年、上の女の子を失くしたばっかりで…」
衛里院長が、ひどく動揺している妻をかばうようにそう言った。
「あ、そうだったんですか~。そりゃあ、失礼いたしました」
「とっても、弟思いのいい子だったんですけどね~。去年、急性白血病で…あの時ほど、医者の無力さを感じた事はありませんでした」
そう言いながら、院長はサイドボードの上に飾られている写真に目をやった。
そこには、大きなぬいぐるみを抱いた信二君と、亡くなった姉の杏子ちゃんが、仲良く並んで笑っている写真が飾られていた。
「そうとは知らずに申し訳ない。信二君は、たった一人残されたお子さんなんですね~」
「杏子は信二とは歳が離れてましてね。まるで自分の子供のように可愛がっていました」
「えぇ、よく分かりますよ。世話を焼きたくなるんでしょうね~。女の子は…信二君はぬいぐるみを抱いてますね」
「おと年の祭りの縁日でね。杏子が自分の小遣いで、信二にあのぬいぐるみを買ってやったんですよ。自分の欲しい物も買わずに…」
「やさしい姉だったんですね~…ありゃあ、何かの動物ですか?」
「いぇ、宇宙人です。信二は小さい頃から宇宙人が好きでね。『宇宙人はいる』って信じて疑わないんですよ」
「よく分かりますよ。子供は純粋ですからねぇ~」
「そんな純粋な弟が好きだったでしょうねぇ~。杏子は…あれから信二は、片時もぬいぐるみを手放しません」
「そうですか~。それはお気の毒でしたねぇ…」
「信二は最後の最後まで、姉にしがみ付いて離れませんでした『お姉ちゃん、死なないで!僕、ひとりぼっちになったら怖いよ~』って…」
「うん、うん。可哀そうにねぇ~」
「そしたらね。『大丈夫!信二が危なくなったら宇宙人に変身して助けるから…約束するよ』って…それが杏子の最後の言葉でした」
そう言うと、院長は顔を伏せて目頭を指で押さえた。
しばらくして、院長宅の居間に、電話のベルが鳴り響いた。
院長の妻は、震える手で受話器を取り上げ、捜査官たちは傍聴器のスイッチを入れた。
受話器の向こうからは、犯人が身代金を要求する声が聞こえて来た。
「あっ!はい。お前一人でタクシーに乗って…はいっ!稲荷神社まで…5000万円ですね。あの~、信二は無事なんですか?」
「ホシからの要求だな。発信源は特定できそうか?」
刑事は電話を傍受していた平野刑事の耳元でささやいた。
「しっ!ヤマさん。ホシが電話口に信二君を出します」平野刑事がそれを制して言った。
「信二っ!大丈夫なの?怪我してない?…お母さん、すぐにお金用意して行くからね」
院長の妻は、電話の向こう側にいる信二君に懸命に呼び掛けていた。
「切れました」平野刑事がそう言った。
「どうだ!発信源は探知できたか?」刑事は尋ねた。
「こりゃあ、携帯電話じゃないですね~。ヤマさん。多分、公衆か何かから掛けて来てますよ」
「今どき公衆か~。手の込んだ事をするやつだな」
「取りあえず、ホシの要求に従うしかなさそうですね~」
「そうだな。だが、黙って従う手もない。こっちにも考えがあるさ」
そう言いながら、刑事は顔を上げて宙を見つめた。
衛里病院の院長宅から、身代金の入った鞄を抱えて出て来たのは、婦警の大鳥刑事だった。
ホシが知能犯だと睨んだ刑事は、院長の妻と背格好がよく似た婦人刑事とすり替えたのだった。
しかも、大鳥刑事にはどんな事態にも対応できるように、発信機の付いた携帯電話を持たせていた。
衛里院長の自宅前でタクシーに乗った大鳥刑事は、身代金の受け渡し場所である稲荷神社に向かった。
刑事は、犯人に気づかれないように、充分な距離をとってタクシーを追跡した。
ところが、もう少しで稲荷神社に差し掛かると言う手前で、タクシーは突然方角を変えた。
発信機から送られて来るナビゲーターを見ていた刑事は、急いで大鳥刑事の携帯に電話を掛けた。
「どうした?大鳥刑事。方角が違うぞ!」
「タクシー無線がジャックされました。ホシはS駅で、東行きのT線に乗れと指示しています」
大鳥刑事の報告を聞いて、刑事と同じ車に乗ってタクシーを追跡していた平野刑事が言った。
「やはりか~、ホシは一筋縄ではいかないようですね」
「分かった。ホシの指示に従え。後は何とかする」刑事は大鳥刑事にそう伝えた。
「ヤマさん。私らも電車に乗りましょうか?」と、平野刑事は尋ねた。
「いや、その必要はない。ホシの意図は大体分かった」と刑事は答えた。
「でも、電車の中で身代金の受け渡しをされたら…」
「いや、ホシは電車には乗っていない。逃げ場のない車内で金の受け渡しはせんだろう」
「じゃあ?」
「東行きのT腺は、C駅で他社と相互乗り入れになる。そのために、C駅の手前で若干の信号待ちをするはずだ」
「あ!ホシはその隙を狙って、身代金を受け取ろうって寸法ですか?」
「所轄署に手配して、C駅の手前に張り込みを依頼しろ。すぐにだ!」
「了解しました。ヤマさん」
刑事の読み通り、大鳥刑事の乗った電車は、C駅の手前で信号待ちのために一時停車した。
「ホシからの電話です。電車のデッキから身代金を入れた鞄を投げろと」大鳥刑事がそう報告して来た。
「言う通りにしろ。もう所轄署の刑事を張り込ませてある」刑事はそう指示した。
「はい」大鳥刑事は電車のデッキに出て、鞄を線路脇の田んぼに投げた。
「来ましたね~、ヤマさん。ぴったりの勘です!どうしてそんなに勘が働くんですか?」
「まぁな…それは内緒だ」刑事はそう言ってはぐらかした。
刑事は平野刑事と共に、大鳥刑事が身代金の入った鞄を投げた現場へと車を走らせた。
そして、郊外の田舎道で、前の方からやって来たタクシーとすれ違った。
タクシーはかなりスピードを上げて飛ばしていたので、車を路肩に避けなければならなかった。
「随分、乱暴な運転をするやつだなぁ~」平野刑事が言った
「ん、今のタクシーなぁ~」少し小首を傾げながら、刑事は言った。
「はぁ、タクシーがどうかしましたか?」
「いや、何でもない」
やさしい刑事 第二話 「少年と宇宙人」(後編)
刑事と平野刑事が現場に着くと、どうやら所轄署の刑事が、すでに犯人を逮捕したらしく、報告にやって来た。
「あぁ、本庁の刑事さん。ご苦労様です。たった今犯人を検挙しました」
見ると、一人の農夫らしい男が、手錠を掛けられたまま、懸命に刑事たちに無実を訴えている。
「俺は誘拐犯じゃないってば~!田んぼを見に来たら鞄が置いてあったから、それで…」
どうやら張り込んでいた刑事たちは、完全に人違いの人物を捕まえたらしかった。
さすがに勘の鋭い刑事も、土壇場の番狂わせまでは読む事ができなかった。
多分、犯人は張り込んでいた所轄所の刑事に、農夫が逮捕されたのを見て、あわてて逃げ出したのだろう。
身の危険を感じたのか?それっきり犯人からの音信は途絶えた。
誘拐事件の場合、時間が経てば経つほど、人質の命は危険になる。『信二君誘拐事件捜査班』の焦りは募った。
ところが、信二君誘拐事件は意外な急展開を見せた。
港町付近を巡回パトロールしていた巡査から、目撃情報が入ったのだ。
「目撃情報が入りました。港町付近で、ぬいぐるみを抱いた子供連れの男を見掛けたと…」
「何!それは本当か?」
八方ふさがりになっていた捜査班は、その報告を受けて色めき立った。
「それが、職務質問しようとしたらしいんですが、旧倉庫街付近で見失ったと…」
「よしっ!みんな行くぞ~」刑事の指示が、捜査室に詰めていた捜査官たちに飛んだ。
応援の警官も含め、捜査班は全員でパトカーに分乗して、港町に向かった。
港町は新旧二つに分かれ、小さな方の旧港には、古い倉庫が立ち並んでいる。
新しい大きな港ができてから、この小さな港の倉庫は、あまり使われなくなっているらしかった。
「目撃情報があったのはこの辺りですね~」目撃報告を受けた刑事が言った。
「手分けして探せ。特にタクシーを見掛けたら、すぐに俺に連絡しろ!」
刑事が全員にそう指示すると、平野刑事が怪訝そうに尋ねて来た。
「タクシーですかぁ~?」
「地理に詳しくって、電車の運行状況にも通じ、タクシー無線をジャックする知識がある、そんな職業は何だ?」
「あっ!タクシー業界の関係者か乗務員」
捜査官たちと応援の警察官は、全員でしらみつぶしに旧倉庫街を捜索した。
しばらくしてから、刑事の警察無線に、捜査官からの報告が入って来た。
「倉庫の側でタクシーを見つけました!傍に信二君がいました!ぬいぐるみを抱いて…今、無事保護しました」
「そうか、良かった~。で、ホシは?」
「それがえらい事になっています。すぐに来て下さい」
刑事と平野刑事は、ただちに信二君が保護された倉庫の前に駆けつけた。
子供がやっと通れるほど開いた、倉庫の鉄の扉の向こうからは、男のわめき声が聞こえていた。
刑事は倉庫の扉を開けようとしたが、重い鉄の扉はピクリとも動かなかった。
「みんな手を貸せ!しっかし、重いなぁ~、この扉」
刑事たちが開けようとした扉に掛かっていたはずの錠は、バールで捻じ曲げられたように歪んでいた。
「錠が捻じ曲げられてますねぇ~。何かものすごい力で捻ったみたいだ」平野刑事が言った。
やっとの思いで扉を開けて、倉庫の中に入った捜査官たちは、目の前に信じられない光景を見た。
「なんじゃ!ありゃぁ~?」
倉庫の中に入った刑事たちは、あっけに取られたまま上を見上げた。
「バ・ケ・モ・ノ・ガァ~!ばけものがぁ~!助けてくれ~!」
一人の男が、天井からクレーンに吊るされて、手足をバタつかせながら、何やら訳の分からない事を喚いていたのだ。
「あぁ、大人しく逮捕されりゃぁ~、助けてやるよ」刑事は、吊るされている男に言った。
「分かった、分かった。何でも言う事を聞くから、早く降ろしてくれぇ~!」
すっかり何かに怯えきってしまっていた誘拐犯は、こうして無抵抗のまま逮捕された。
母親に連れられ、ぬいぐるみを抱いて警察署にやって来た信二君に、刑事たちは手を焼いていた。
今回の誘拐事件の事情聴取が、一向に進みそうも無かったからだ。
「ねぇ、信二君。誰が君を倉庫から出してくれたのかな?」担当の刑事が尋ねた
「宇宙人だよ」信二君はそう答えた
「鉄の錠を壊したのも?重い扉を開けてくれたのも?」
「そうだよ。全部宇宙人がしてくれたんだよ」
「じゃ、閉じ込められていた君を助けてくれたのは宇宙人なのかな?犯人の他に人はいなかったのかな?」
「だから、宇宙人だってばぁ~…宇宙人が僕を助けてくれたんだよ」
担当刑事と信二君のやり取りを聞いていた平野刑事は、部屋に入って来た刑事に言った。
「さっきから、ず~っとあの調子なんですよ。ヤマさん」
「あの調子って…何をシケタ面してんだよ、平野刑事」
「だって、子供に鉄の錠が曲げられますか?重い倉庫の扉を開けられますか?絶対に誰かが居たに違いない!」
小さな子供が、どうやって頑丈な倉庫の錠を壊して、外に逃げられたのか?…捜査官達は誰もが首をひねっていた。
刑事はニコニコしながら少年の傍らに行き、彼の目線と同じ高さにしゃがみこんだ。
少年は、自分の言う事を分かってもらおうと、一生懸命に刑事に訴えた。
「宇宙人が助けてくれたんだ。ねぇ、おじさん。宇宙人はいるんだよ…本当だよ」
「あぁ…宇宙人はいるよ。君を助けてくれたんだから…」
そう言って刑事は、少年が抱いていた宇宙人のぬいぐるみの頭をなでてやった。
それから心の中でこうつぶやいた。(ちゃんと約束を守ったんだよな…お姉ちゃん)
どうせ、誰にも事の真相は理解できないだろう…ならいっそ、本当の事は言わない方がいい。
それが刑事にできる せめてものやさしさだった。
「ヤマさん。どうやって調書をまとめりゃいんですか~?」
平野刑事が、困り果てたような顔をして刑事に聞いて来た。
「信二君の言った通りに書いときゃいいだろ」刑事はそっけなく言った。
「宇宙人が誘拐犯をやっつけて、子供を救出したってですか?」
「ありのままの事実を、ありのままに明らかにするのが刑事の仕事だろ」
「そんな~、怒鳴られますよ~。お前頭がどうかしてるんじゃないかって…」
「なら、お前さんが助けた事にすりゃあいい。そうすりゃ、警視総監賞ものだな…出世できるぞ~、平野刑事」
そう言うと刑事は、情けない顔をして突っ立ている平野刑事を残して、笑いながら部屋を出て行った。
「ちょっと、ちょっと、ヤマさんってば~。もう~」
困り果てた平野刑事の声が、その後を追いかけて来た。
そのまま知らん振りをして、警察署の庭に出た刑事は、上着のポケットからゴソゴソとタバコを取り出した。
そして、くしゃくしゃになったタバコに火をつけて、うまそうに一服吸った。
(大人には世界の半分も真実が見えちゃぁいない。純粋な子供には全部が見えているんだろうな~)
そうつぶやきながら刑事が見上げた空には、ぽっかりと白い雲が浮かんでいた。
第二話 少年と宇宙人 (完) 第三話は(http://slib.net/29348)にて公開
やさしい刑事 第二話 「少年と宇宙人」