柳川くんの多忙な一日
柳川くんの取り扱い説明書
1. 極度の方向音痴で、道に迷う事がよくあります。一度行ったところでも迷いますし、反対側から行けば、間違い無く迷います。そして、迷った事に気付いた時に、さらに混乱を大きくするようなルート選択をしてしまうこともよくあります。
2. 粗忽者で、忘れ物が多いです。右手と左手に荷物を持てば、三つ目は確実に忘れる。あわてている時にはもちろん、通常の時でも、必ず何かを忘れると思った方が良いでしょう。
3. 基本的にはお人好しです。頼まれると大抵の事は断れません。でも引き受けるときちんと約束は実行します。
上記三点がデフォルト仕様ですので、お取り扱いには十分注意をお願いします。
「一志!一志!」
意識の奥の方に、不快な重低音が響いてくる。
目を開けなければいけないんだろうが、体は意志に反して行動を起こしてくれない。
ドライアイなんだから、目を開けっていう要求は、普通の人よりは、ハードルの高い要求だぞ。そこのところを解ってくれよ。
「一志。今日は臨時休校かい。もう七時半過ぎだよ!」
ガバッ!!!と効果音が聞こえそうな勢いで、体を起こす。
眼だって、ドライアイなんて言ってられない。意志の力でぱっちり全開になる。
五秒でパジャマを脱ぎ棄てる。二十秒で服を着る。鞄をつかみ、階段を駆け下り、台所を通り過ぎる時には、マラソンの給水と同じタイミングで食卓の上の食パンをつかみ取る。歯磨き、洗面はパスだ。
玄関から、食パンをくわえたまま、猛ダッシュでバス停に向かう。もう、向こうの通りの角をバスが曲がって来るのが見えてる。
・・・あ~あ、これが女子高生なら、コメディアニメの主人公なのに、野郎じゃ、単なる寝坊で遅刻寸前の高校生だ・・・なんて、自虐的に考えてしまう。
なんとかバスにも間に合って、口の中のパンを飲み込みながら、ようやく一息。
ふっと頭の中を、何かが通りすぎる。
「しまった。ギター忘れた!!」
柳川一志。日陽学園高校、二年C組。軽音部のギター担当。
あの学園祭のステージから一か月が過ぎた。当時はあれほど伝説や仮説や推測が飛び交ったのが、そろそろ静まって普通の日々が戻って来ている。
僕は、観鞠ちゃんの伴奏でギターも弾いたし、Rスクイーズでもサイドギターを担当したので、その一時期だけは有名人になった。
まあ、主役はあくまでも観鞠ちゃんと菜実ちゃんだし、バンドだってリードギターで目立ってたのは諸田さんだったから、僕はあくまでも脇役のはずだった。
ところが、学園祭が終わり、三年生の四人が部活を引退した。
残った二年生は、男子二人女子四人だ。
諸田さんからは
「お前がギター部門のメインだからな。しっかりやれよ。」
なんて、プレッシャーをかけられてしまった。
唯一の同級生(男)の雨賀は、ドラム担当だし、このところ部活からちょっと足が遠のいている。
女子四人組は部長やリーダーをやっているしっかり者も居るが、何かと言えば
「男なんだから、しっかりして」
という無言の視線が飛んでくる。
なかなか肩の荷の重さを感じるこの頃だ。
そんな事で、昨夜もベッドの中であれこれと考え込んでしまって、眠れない夜を過ごして、あんな慌ただしい朝になってしまったのだ。
(というのは、自己正当化の言い訳に過ぎないのだが・・・)
まあ、軽音の中で新しいバンドも出来つつあるし、新曲の候補もいくつか出て来ている。
それを聴いていたら寝るのが遅くなったというのが、本当のところ。
ともかく、遅刻もせずに学校にたどり着く。今日はギターを持ってこなければいけなかったんだが、まあ、それは放課後の話だ。
高校二年生の授業は、現実と夢の狭間。まして二時限目の物理の授業なんて、チンプンカンプンな数式が飛び交ってる。
「柳川!ここの式のGっていうのは何だ?」
授業をやってるのは、四津田先生。去年の担任だし、部活での関わりも有る先生だ。
「え~と・・・Gですか・・・解りません。」
素直に降参する。
「お前は!先生の話と夢が一緒になってただろう。」
だって、ちょっと寝不足で、今朝も遅刻しそうになったんだから・・・なんて、正直に言い訳するわけにもいかない。
「Gは重力加速度。グラヴィティーのG!」
「はい。すみません。」
「じゃあ、Gマイナーの構成音は?」
「ソとシのフラットとレです。」
いきなりの変化球。それに素直に答える僕もどうかしてる。
「ほう。そういうジャンルは即答出来るんだな。さすが軽音の名ギタリストだ。」
「えへへ、ベーシストからの質問ですからね。」
「じゃあ、次はディミニッシュの構成音も覚えとけよ。」
そう言って、四津田先生は僕に座るように合図する。
なんとか午前の授業をやり過ごす。
お昼休みには、菜実ちゃんが話しかけて来た。
僕の席の前の机に座り、挑発的に膝を突きつけて来る。残念ながら、今日はジーンズだ。
「ねえ、柳川くん。今日は『ムジカ』で初セッションなんだよね。あのメンバーで大丈夫かな?」
学園祭が終わって、三年生も引退して、新たなバンドを編成をするにあたって、軽音の部内でさまざまな問題が、浮かび上がって来ているんだ。
「う~ん。大丈夫かって言われると、不安は有るけどね。」
先月の学園祭のステージは大成功で終わった。それぞれの個性を生かした四組が、ステージ上で最高のライヴを見せた。それには、一年生も良い刺激を受けたんだろう。来年はあのステージに立ってやる、という熱意も湧いてきた。
だけど、それがおかしな意味での、水面下の争いになっているんだ。簡単に言えば「上手いヤツと組みたい!」という話だ。
一年生の中で、今回のステージに出たのは二人だけだ。上級生と組んだ二人がステージに出た。それは、実力ではなく、組んだ相手が良かったからだという認識が、一年生に拡がった。
本人達は、上級生の演奏の足を引っ張らないように、互角に見てもらえるようにと、見えない努力をしてきたんだが、それより何より、組む相手を選ぶ事の方が、ステージへの近道という認識が出来ちゃったようだ。
ことに、今の二年生では、楽器担当は、ギターの僕と、ドラムの雨賀、キーボードの裕ちゃんの三人だけだ。サイドギターやベースのポジションは空いている。いや、菜実ちゃんに取って代わって、ヴォーカルの座に就きたいなどと考える者まで、さまざまな思惑が乱れ飛ぶ事になった。
そのために、僕と雨賀が二人で提案したのだ。課題曲を決めるから、その曲を皆で演奏してみて、よさそうな人材を選抜しよう、と。
まあ、セッション大会でもやって、みんなの演奏を聴いた上で、メンバー構成を考えれば良いんじゃないか、という安易な考えでもあるし、ある意味では逃げでもある。
どんな上手な演奏をしたところで
「どうもお前の演奏とはフィーリングが合わない。」
なんて言えば、いくらでも逃げられるんだから。
「で、柳川くんは大丈夫なの?ギターも持ってきてないようだけど。まさか、不戦敗で逃げ出すんじゃないよね。それとも、観鞠のように、こっそりと秘密のプロジェクトでもやるつもり?」
「いや、そんなつもりはぜんぜん無いよ。あの・・ギターは単に忘れただけ。放課後、一旦帰ってギターを持って『ムジカ』に行くからさ・・・」
「お願いね。しっかりしたギターが居ないとバンドが決まらないからね。」
「大丈夫。俺だって来年もステージに乗りたいし、軽音がつぶれても困るからね。」
授業もなんとか無事に終わって、放課後。部活に行かなきゃならない。
今日は雨賀も来てくれるだろう。
実は、雨賀が部活に来ない理由も聞かされているから、あんまりその辺りは追及出来ない。話を知っているのは、僕と大野さんと諸田さんの三人だけだ。
話のきっかけは、諸田さんが雨賀に聞いたところから始まった。
「ところでお前、今川さんとはどういう知り合いなんだ?」
学園祭のステージから一週間くらい後、三年生も引退するために、今まで部室に置いておいた機材なんかを片付けている時のことだ。
「実は・・・」
雨賀は話し難そうに、口籠る。
「いいじゃないかよ。いまさらごまかしたって、お前と今川さんが親しいって事は、みんなにばれてるんだから。」
「いや、その事だけじゃないんです。ちょっと事情が複雑なんです。」
「どんな話なんだ。」
「きっかけは、中学時代の友達と遊びでやってたバンドなんですけど。スタジオで音を出してた時に、今川さんと知り合ったんです。最初はそんな凄い人だなんて知らないから、『ドラム上手いですね。どうしたらそんなに上手くなれます?』なんて、平気で話しかけてたんですけどね。」
「そりゃ凄いや。あの今川さんに、上手いですね、なんて。大物だな。」
「いや、だって、そんな凄い人だなんて知らなかったんですよ。」
「それで?」
「それから、いろいろとドラムの事を教えてもらったりしてるうちに、今のバンドを紹介されたんです。
同級生のお遊びバンドは、皆が高校進学したら自然消滅しちゃったんですけど、スタジオで一人で叩いてたり、今川さんに教わってたりしてたんで、お前もちゃんとしたバンドでやってみないかって、今川さんに言われて。」
「今のバンドって?」
「メンバーは、俺以外は全員社会人で、リーダーはギターの古谷さんっていう三十代の人。他にヴォーカルとベースとキーボードが居て、ヴォーカルとキーボードは女の人。」
「なんだ。そんなバンドを組んでたのか。それで、ライヴとかやってたりするの?」
「今川さんたちとブッキングしたり、それ以外のバンドと一緒だったりして、やってるんですけどね。」
「ネクストブルースクリエイションと一緒のステージに出てるのかい。それはすごいな。どんなライヴハウスなんだ?」
「『王様鼠』っていう店なんかですけど。」
「あそこって、けっこうマスターがうるさい人だろう。あんなところでやらせてもらえるようなバンドなのか。」
「はい。まあ、二か月に一度くらいなんですけど。」
「いや、一度でもあそこに出たんなら立派なものだよ。」
「でも、あそこって結構遅い時間にライヴやってるし、酒や煙草が当たり前の店だから、あんまり高校生が行くのって、いい顔されないんだよね。」
「そうなんですよ。だから俺もあんまり話さないようにしてたんですよ。出来れば、秘密にしておいてください。」
というような話が有って、この話は僕と雨賀と大野さんと諸田さんの四人の秘密になっている。
雨賀のバンドの次のライヴが近づいて、そちらの練習も有るという話なので、軽音の方に足が向かなくても、あまり大騒ぎしたくないのだ。
そんな事を考えながら、第三校舎の方に向かって歩いてたところを、途中で呼び止められた。一年生の女の子が二人だ。
「柳川さん!あの~、ちょっとすみません。」
そう声をかけてきたのは、ショートカットの元気そうな子で、その後ろに半分隠れるようにして、もう一人の子が付いて来ている。
「あ、ハイ。なにか?」
「私、一年D組の山本春香って言います。この子は同じクラスの水沢のぞみです。」
「二年C組の柳川一志です。はじめまして。」
我ながら、お行儀が良いんだか、とんちんかんなんだか、間抜けな返事をしてしまう。
「あの~・・・」
春香ちゃんは、そう言ったきり、なかなかその先の言葉が出てこない。
のぞみちゃんは、その背中で小さくなっているだけだ。
「どうかしたの?」
春香ちゃんは、のぞみちゃんを自分の前に押し出そうとするが、なかなか動かずに、押し合いになる。僕があっけにとられて眺めていると、春香ちゃんが口を開く。
「え~っと。軽音に入部したいんですけど、今からでも入部させてもらえますか?」
「うん。それは大丈夫だと思うよ。二人ともかな?」
「はい。」
「それで、楽器とかは、なにか出来る?」
「私はピアノをちょっと。この子は歌うだけです。」
「まあ、ヴォーカルも一つのパートだし、いろんな連中が居るから、適当にグループを組んで、いろんなことも出来ると思うよ。」
「ハイ!よろしくお願いします。」
そう言って二人で頭を下げる。
「こちらこそよろしく。これから部室に行くんだけど、一緒に行く?」
「いえ、今日はここで。また改めてうかがいます。」
そう言いながら、のぞみちゃんが手に持っている封筒を、春香ちゃんが奪い取る。
「これ。この子から柳川さんへのお手紙です。受け取ってください。」
そう言って、その手紙を僕に押し付ける。
「じゃあ、失礼します。」
二人は、一礼すると、逃げるように校舎の方に戻って行った。
僕は事の成り行きが理解できず、ポカンとしたまま、そこに立っていた。
手には、さっき渡された手紙。表には「柳川さんへ」とかわいい字で書かれ、裏には「のぞみ」という名前、ハート型のシールで封がしてある。
これって、もしかして・・・
入部申込書じゃないよね。二人とも入るって言ってたんだし、のぞみちゃん一人からの、僕宛ての手紙って事だよね。
どうすればいいんだろう。ここで封を開けて読んだ方がいいんだろうか。こっそり家に持って帰って、ひとりになれるところで、静かに読むべきか。
女の子から手紙をもらうなんていう、人生初の出来事に混乱している。
混乱・・・混乱・・・
そこに、僕の混乱と脳内フィードバックを断ち切るように、おなじみの二人が登場する。
菜実ちゃんと観鞠ちゃんだ。
「見たぞ。見たぞ。」
ニコニコしながら菜実ちゃんが言う。
「かわいい一年生の子と、お話してたね。」
観鞠ちゃんもそう言ってにっこり笑う。
僕は思わず、手にした手紙を背中に隠してしまう。
「あれ?今、なにか隠さなかった?」
「背中にまわした手に持ってるのは、何かな~?二年生のお姉さんも見たいな~。」
二人がかりで僕に向かって来られたら、どんな手段だろうと勝てるわけが無い。
(まあ、腕力で対抗するわけにもいかないんだけど・・・いや。ひょっとしたら、体力勝負でも、二人掛りじゃ負けてしまうかもしれない・・・)
両側から腕を取られて、刑事に逮捕される犯人のように捕まってしまった。
「あら、柳川さんへ、だって。」
「キャー、ハートマークでシールしてあるよ。ラブレターかな。」
「柳川くん、やったね。真剣に相手してあげるのよ。女の子を泣かすような事しちゃ、ダメよ。」
「お年頃の高校生なんだから、ムフフへの第一歩だったりして・・・」
「こらこら、それはお互いの自由意志なんだから・・・」
この二人に勝手に話をさせておくと、どこまでエスカレートするのか、心配になってくる。
「まだ、封も開けてないんだから、何が書いてあるか解んないよ。それより、あの二人、軽音へ入部希望だってさ。」
「なんだ。それなら、部室に連れてくればいいのに。」
「僕もそう言ったんだけど、また改めて来るってさ。」
そんな話をしながら、三人並んで、部室に向かう。
さすがに手に持った手紙を奪い取るようなまねはしないから、その手紙は胸のポケットに大事にしまいこむ。
(良かった。見つかったのが諸田さんたちなら、この場で開けてみせることになってたかも知れない・・・)
そんなことを思いながら、両手に花というよりは、逮捕された犯人状態で、部室に連行されたのだった。
部室にはメンバーがバラバラと集まって来てた。
最初からコンビが決まってる者や、ソロでやるつもりでバンドには参加する気が無い者も居る。まだ何をやろうか迷っていたり、出来れば参加したいっていうヤツは、これから『ムジカ』に移動して、みんなでセッション大会をやることになってる。
候補としては、ドラムは雨賀だけ、ギターが僕も含めて四人、ベースは二人、キーボードが二人だ。
キーボードとピアノの裕ちゃんと綾香ちゃんは、本当なら二人でコンビを組んでいるから、参加しないって言ってたのだが、それだと、組み合わせのヴァリエーションが少なくなるから、参加してくれるようにお願いしたんだ。
この前の学園祭のステージでは、鍵盤が入ったバンドは『千秋トリオ』だけだった。
あれはピアノメインの洋楽なんかのバンドだったから、あんな真似はよっぽど上手なピアニストが居ないと出来ないが、普通のロックバンドでも、キーボードが入っているのはよくある。
それに、本音を言えば、ギター弾きだけでバンドを組むのには不安があるんだ。
僕自身がバンドの中で、フロントでリードギターを弾きまくるのもやった事が無いし、その時にバックに入ってくれるギターで、こいつなら任せられるって思うようなヤツが、この軽音の中にまだ育っていない。
みんなそれぞれ上手いと言えば上手いのだが、バンドを組んで音を出すという経験が無いんだ。
まあ、そんな心配や不安が、先輩達にもあったんだろうな、
僕だってバンドを組むのは初めてだったんだから、かなり心配されたんじゃないかなと、今になれば思ってしまう。
ともあれ、僕のギターを取りに帰らないと、セッションにも参加できなくなってしまう。
みんなには、先に『ムジカ』に行ってくれるように頼んで、一旦家に帰らなくちゃならない。
いつもは自転車通学なんだけど、今日は学校に戻って来るわけじゃないから、あれでも良いかな。
実は、夏休みに原付の免許を取ったんだ。うちの学校は、免許を取る事に関してはうるさくない。取りますよという届け出と、安全運転をしますという誓約書を書けば、OKなんだ。
バイク通学は、バスの便が無いとか、距離が何キロ以上離れてるとか、いろんな条件があるから、なかなか許可は出ないんだけどね。
そして先月、いとこの大学生から、原付を譲ってもらった。
いとこの兄ちゃんは、車を買ったから、もう原付はあんまり乗らないって言ってたんで、じゃあ、僕に譲ってって言ったら、あっさりOKしてくれた。
諸田さんや山崎さんは、夏休みの部活にもバイクで来てたから、来年は僕もあんな風に出来るかな、なんて、今から楽しみだ。
今朝は寝坊して、バスに飛び乗ったから、またバスで帰らなきゃいけないけど、その後は、原付に乗って『ムジカ』に行けばいいや。
(僕の家は、学校から自転車で三十分、バスだと十五分くらいの処にある。バス停が家の目の前に有るから、遅刻しそうな時の非常手段として、バスっていう手を使う事もあるんだ。)
そういう事情を菜実ちゃんと観鞠ちゃんに話して、学校前のバス亭から家に向かった。
バスに乗ってる間も、胸ポケットの手紙が気になって仕方ない。今すぐにでも、何が書いてあるのか読んでみたい気持ちで、ドキドキしてる。でも、バスの中で開いて読むのもどうかなと思って、帰ってから読むことにした。
でも、みんなが待ってるんだから、すぐに行かなきゃいけないよな。夜、帰ってからゆっくり読んだ方がいいかな、なんて、あれこれ考えてしまう。
家にたどり着くと、母さんがビックリしたような顔をしてた。
あれこれ聞かれるのを適当に返事をして、部屋からギターを取って来て背中に背負う。ヘルメットをかぶって、キーを持って、準備完了。
みんなの前に、これで行くのは初めてだ。なんて言われるのか、ちょっと気になる。
さっきバスで来た道を反対にたどって、学校に戻る。学校の目の前を通り過ぎて、左手に公園が見える。いつもなら、この公園を突っ切って、右に折れるとすぐに『ムジカ』が有るんだけど、今日は公園を通るわけにはいかない。その先の大通りまで行って、左に曲がる。
次の公園通りの信号を右折すれば、『ムジカ』はもうすぐだ。
結局、家で手紙を読んでいる暇も無く、胸ポケットに入れたままだ。
まあ、この手紙の事を知ってるのは、あの二人だけだし、二人も大騒ぎはしないだろうから、黙ってればいいか。
そんな事を考えながら、快適に原付は走る。
いつもは自転車を頑張ってこぐ道も、エンジンが付いていればこんなに楽だ。
「遅い!柳川くんは何してるのよ!」
菜実が腕を組んで、仁王立ちして言う。
「まったく、さっきバスに乗ってから、もう一時間以上経ってるのに。」
「三十分か四十分で戻って来るって言ってたのに・・・」
「携帯鳴らしても、ちっとも出ないし。」
観鞠と葉子と裕も、同じ表情で続ける。
この四人のお姉さま方の表情を見ると、一年生はとても口をはさめない。
雨賀はドラムのポジションについて、様子をうかがっている。
「あいつ、まさか部屋でゆっくりとラブレター読んでるんじゃ無いだろうね。」
「なになに?そのラブレターって。」
「実はさっきね、あいつ、一年生の女の子二人に捕まってたの。」
「そう、入部希望者って話だったけど、そのうちの一人は、柳川くん目当ての入部みたいな様子だったんだ。ハートマークのシールで留めたお手紙なんて渡しちゃってたから。」
「いよいよ、柳川くんにも春が来るかな。」
「それはいいんだけど、どうしてこんなに遅いのよ。」
「そう言えば、バイクで来るとか言ってたけど、まさか事故ってるわけじゃ無いよね。」
「う~ん。ちょっと心配だな~。」
その頃、噂をされている柳川くんは、不安に思っていた。
「おかしいな。曲がってからすぐのはずなのに、三十分走っても、『ムジカ』が無いよ。
どうしちゃったんだろう?」
了
柳川くんの多忙な一日
これは、私が書いた「菜実と観鞠」のサイドストーリーです。
本編ではあちらこちらの良いシーンで活躍した柳川くんですが、
その本質は・・・というお話です。
キャラ設定は、本来これだったのですが、本編では
主役二人や教師陣、その他脇役の方がクローズアップされていましたので
心残りな部分を書かせてもらいました。
軽音部以外のキャラを出して、という声や、柳川くんに彼女を!なんていう
要望も有りましたので、そんな声にも答えたつもりです。
(まあ、この新キャラは軽音部に入部するのですが・・・)
その辺りは、この続編の「菜実ちゃんの楽しい一日」に続きます。
そちらも近日公開しますので、お楽しみに。
ぜひ、本編をお読みいただいて、こちらと合わせて楽しんでいただきたいと
思います。 よろしくお願いします。
20140228
「菜実ちゃんの楽しい一日」を公開しました。
軽音の卒業生を送る会の日の
菜実ちゃんが主役のストーリーです。
彼氏が出来た菜実ちゃんのベタ甘のお話。
今回登場した柳川くんと彼女のその後も描かれています。
よろしかったらこちらも読んでみてください。
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