こっち側、あっち側
プロローグ。【交差】
「はぁ…はぁ…。げほっ、げほっ。」
息が苦しい。体が酸素を求めている。何時間走ったのだろう。ひたすらに走っていたものだから、ここがどこかだってわかってない。いくつかの街灯が夜道を照らしている。周りは住宅街のようだが、明かりが一つもついていない。時間がわからない。もしかしたらもう夜中になっているのかもしれない。
鴨也夜春は考える。ここはどこで、なんなのか。ちゃんと家に帰れるのだろうか。ただ、どこかわからなくなったとはいえ走っていける距離なんてものは限られていくわけで、だからこそそこまで遠くには来てはいないはずだ。歩きながら少しでも前向きに考えているが、それでも胸の中にうずく不安はどんどんと募っていくばかりだった。
「くそっ本当に何もないな。はぁ…。」ここがどこで何があるのか、さっぱりだった。ただはっきりしたことは自分が絶望的に迷子ということ、助けがないこと、そして何かに追われていたということ。これだけがわかっていることだった。何に追われているのかはわかっていない。
ただアレが人間や動物の類ではないことはよくわかっている。気配というか、空気というか、感じるものが人と決定的に違う何か、例えば、怪物といった方がいいのか。ともかく感じたことがないような気配とおぞましさがあった。
「もう追ってきてはないな…。あぁくそっ!どうしてこうなったんだ?」わからない。考えて考えても答えは出ない。さっきまでは、学校から家に帰っていたはずだ。その途中、ちょうど曲がり角を曲がってから急にあたりが暗くなって、気付いたらアレに追われていた。
恰好はそのまま制服だったが、スマホも鞄もない。どこかで落としたのだろうか。記憶が曖昧で覚えていない。自分がこれからどうなるかもわからないままこの暗闇を歩き続けていた。
次第に足はだるくなり、疲れもたまっていく。街灯は一定の感覚を保ちながらぽつぽつと立っている。街灯とうっすらとぼやけながら闇の中でたたずむ住宅街、ドアをたたいたり、助けを読んだりしたが返事がない。寝てるにしても少しは反応してもいいだろうに、状況は一切好転しない。むしろ悪くなっているような気もする。
「はぁ…だめだ、疲れた…。いったん休もう。」明りの下、座って休むことにした。不安と緊張で思いのほか体力がなくなっていたのか、意識が少しずつ少しずつ、削り取られていく感じがした。一瞬目が閉じたが、アレのことを思い出す。寝てしまえばアレに捕まる。そう思うと全身が恐怖で支配されていくのがよくわかった。体がぶるぶると震えだす。この異常な空間で自分とアレが一緒に空間にいるのだと思うととてもおぞましくて考えてられなかった。
「どうにか逃げないとヤバイな……。」ここに長くとどまればその分アレと遭遇するかもしれない。少しだけ休憩もできた。なんとか足も動く。どこまでも暗いこの道が、どこに続いているのかはわからないがとりあえずは歩くしかない。諦めるな、ここからだ。絶対に元の世界に帰ってやる。
さっきまで、心がつぶれそうだったのに今は少しだけ頑張れる。休んだからか、昔から前を向くことを諦めるのが嫌だった。そして、立ち上がり歩き出そうとした瞬間だった。急に足に力が入らなくなる。膝からがくんと体が前のめりに倒れていく。それと同時に意識さえも刈り取られていく。よくわからなかった。自分が倒れていく感覚でさえも感じることができないまま、僕の意識はぶっつりとそこで途切れてしまった。
朝、【歪み】の始まり
ぴぴっぴぴっ、目覚ましのアラーム音でハッと目が覚める。しかも体中が汗でビショビショになっていた。朝に鳴るように設定しておいた目覚まし時計のアラームがいまだにけたたましくなっている。ちょうど7時をさしていた。
時計を止めて、僕は気怠い体をさっさと起こして一階の洗面所へ。顔を洗って歯を磨いて寝癖を直して、ついでに風呂にも入り、その後ご飯を食べて学校へ行く支度をするのだが、今日は土曜日だ。この空き時間は何で潰そうか、そんなことを考えていた。いったん自分の部屋に戻ることにして、今頭の中を支配している、昨日の悪夢について考えていた。あれが一体何なのか、夢だったのか、頭の中は昨日の夢のことでいっぱいいっぱいになっていた。
「考えてもわかんねぇな……。」
あれこれ悩んだところで、今はわからない。知ってることが少なすぎる。ともかくあの夢のことは気になるが、今は大事な休日だ。楽しむことにしよう。あっさりと考えるのをやめ、別のことを考え始めていた。
ちょうど欲しい本やらゲームがあったはずだ。それの買い出しにでも行ってくるか。
そそくさと出かける準備をして、財布に金が入っているかどうかの確認もした。よし、ちゃんと今日の分だけある。ひとまずここから隣町の方までいこうか、と思った時だった。後ろから思い切りどつかれ、そのまま前へよろけてしまった。驚いて後ろを振り向けば、そこには同級生である金住三春がニコニコしながら立っていた。
「なんだ、お前かよ……。」
怒りよりむしろ安心した方が大きかった。僕の住んでいるところは見た感じはいいが意外と治安が悪い。喧嘩やカツアゲ窃盗に強盗など、なんでもありな感じだ。ちょっとした裏道なんかに入ればやばい人たちとも出会えるんじゃないだろうか?帰れるかどうかの保証はないし、俺は行く気など全くないが。
「なんだってなによ?男のくせにびくびくしすぎ!」
金住三春という女は、男勝りな性格だ。そのせいなのかどうなのかはよくわからないが、女にモテる。そりゃあもうそこら辺の男子なんかよりずっとモテてる、ような気がする。男女どちらともに優しく分け隔てなく接することができてるし、ルックスも悪くない。勉強そこそこ、スポーツに至っては万能という、かなりのハイスペック系女子である。中途半端な男子とであれば力とかでも勝てるんじゃないだろうか?むしろこいつに勝てる男子を僕は見たことないが。
「はぁ……。お前がもう少し静かだったらなぁ…なんでこんなうるさいんだ?」
思わずため息とともに本音が出てしまっていた。まずいと思い口をふさぐが時すでに遅し、三春はすでに鉄拳を俺にねじ込む準備をしていた。ズゴンっ!!容赦のない全力の一撃とも思える右こぶしに一瞬で目の前が真っ暗になってしまった。
我ながら非力だ…。そう思ってしまう自分が情けなかった。
……。……。目が覚めた。腹と頭が痛い。腹部の痛さは多分三春の鉄拳制裁を食らったからだと思うが、頭は倒れた時にぶつけてしまったのか。鈍い痛みが後頭部の全体を覆っていた。とにかくこの痛みから復帰し、周りがおかしいことに気付く。建物はそのままだ。だが人がいない。さっきまで通っていた車もない。三春もいなくなっていた。そしてこの、ここの雰囲気を僕は知っている。夢で見た、あの場所とそっくりだった。
また、また始まるのか。そう思うと最悪の気分だった。前回見た夢よりも、まだ周りは明るい。逃げるにしてもここの道はわかる。それなら、逃げ切れる。あれにつかまらないで済む自信はある。まずは目の前の壁を取っ払ってしまおう。そう考えてひとまず心を落ち着かせる。はぁ、と、ため息を漏らしながら目の前を見据える。よし、ここから逃げて帰るため、生きて帰るため、地獄の鬼ごっこ第2ラウンド、絶対に生きて帰ってきてやる。
こっち側、あっち側