【学生戦争】雨の日と蛇の子供
歴史とはつい先日の記憶と何ら変わらないものであり、対して面白くもない小説やエッセイなどと大差はないものだ。
ふと思い出した今こそが歴史のワンフレームになる可能性だってある。いま君は瞬きをした。それが歴史的進化の予兆となる可能性だって捨てきれない。
世界とは常に進化し続けているんだ。世界とは悪意に満ち溢れている。
昔を懐かしむ黒軍の人たちと、国を守ることしか考えていない白軍の人たち。そして、赤い彼岸花を背負った赤軍という彼らは僕の心を大きく弾ませてくれる。だって期待通りの結果だから。
京都、祇園の街で産まれ育った僕は世間的な常識だとか一般教養だとかそう言った世間一般的でいう「普通」を知らない、尊い存在なのだと両親は言っていた。
口を開けば媚びへつらうような声を出す両親が何を言っていたのか、僕には分からなかった。今でも本当はわからない。わかったふりをするのは簡単だけれど、本当に理解しようとするには大きく時間が足りないから。
考える前に行動してしまう「本能」で全てを行う。だから、人間じゃないなんて非難の目を浴びるのは日常的なものだった。
望めばなんでも手に入った。望めばなんでも消えて行った。
気付けば僕は丁寧に梱包された世間知らずな美品の子供で、なんだろうと思ったときには両親は彼岸花の赤色で染まっていた。
僕の首に真っ白な刺青が入ったのはその時から。多分、これが罰というものなんだろう。誰に入れられたかも覚えていない。どんな模様なのかも僕は知らない。
けど確かなのは、白軍の人が僕のことを知っていて、みんな片付けてくれたこと。やっぱり僕は守られた存在だったってこと。僕は箱から出られないってこと。
あの時僕はただ一本の小さな斧を持って呆然と佇んでいた。
∴ ∵
ぱたぱたと雨が降る。雨の音は嫌いじゃない。遠くで鳴くカエルの声が沢山聞こえて、僕の嫌いな自動車の音や人の声が聞こえにくいから。
僕は人の声が苦手なんだ。理由はあんまり覚えてない。けどきっと両親が関わっているってことは、なんとなく理解してた。だって他に心当たりがないんだもの。
故郷である祇園から少し離れたところにある、蛇の棲む軍「白軍」に僕は世話になっていた。
国を守るだとか、そういうのはよくわからない。けれど僕は何故か、ここで保護され不自由ない生活を送っている。何故かは、本当にわからないけれど。
本拠地である学校から少し離れたところにある寄宿舎の一角に僕はずっと一人でいるんだ。必要なものは持って来てくれるし、食事だって同文。外へ散歩だって行かせてくれるし学生たちと喋ることも自由。どこへ行こうと束縛は一切されない。
けどじゃあ僕は何故ここで保護されているんだろう。僕の存在価値とは一体なんなのだろう。
時々そんなことを考えてしまう。無論、いままで結論は出たことがなかったけれど。
季節外れの風鈴がチリン、と音を鳴らした。そういえば飾りっぱなしだ。早く片付けなければ。
意識はしても、そう簡単にはいかないもの。ぽたり、ぽたりと垂れる雨を僕は窓からずっと眺めていた。窓の淵に体を垂らして、じいと見つめる。
雨は柔らかそうだ。きっと僕は雨に濡れるのが好き。
そうだ、外に出よう。思い立ったが吉日。赤と白の咲く古い唐傘を持ち僕は外へと歩き出した。
赤い雨はきっと甘い。イチゴのような優しい甘味があるにに違いないから。
黄色い雨はきっとすっぱい。レモンのように冷たい酸味があるに違いないから。
青は、緑は、紫は?色々な色を眺めて楽しむ雨はとても楽しいものだ。
けこ、と遠くでカエルの鳴き声が聞こえる。
ぱしゃぱしゃと水を跳ねさせ遊びながら歩くねは楽しいものだ。
小さな少年に大きな唐傘とはなんとも不思議な組み合わせ。
くるくると傘を回せばひゅんひゅんと水は飛ぶ。たしか、これのこと遠心力って言ったんだっけ?
学校に通うことも許されてなかったから、僕あまり頭が良くないんだ。今も通うのは自由だけど、どうしても居心地悪いからすぐ抜けてきちゃう。
環境とか、そういうのが嫌いなわけではない。ただ、なんとなく。なんとなく、窮屈な威圧感を感じてしまうから。
先の嫌な気分を払うように大きく足を踏み出した。
水たまりがばしゃりと跳ねる。足がぐしょりと濡れた。
こんな悪いことをしても怒る人はいないんだな、なんて子供じみた嫉妬に暮れる。誰に嫉妬しているのか、具体的な人物像を想像しても何も浮かばない。きっと僕は嫉妬する対象を知らないから。
「はあ」
短くため息をついて傘を閉じた。雨はぽろぽろと降り続いている。
風邪でも引いたら誰か心配してくれるだろうか。
水を含んだ制服の重みを感じながら、再び歩き出す。
ああ、直ぐそこにバス停がある。彼処でちょっと休もう。
ゆったりとした足取りで、僕は小さなバス停へと向かった。
雨よけとなっている小さな小屋には先客いたようで、僕は小さく声をもらした。
驚き、感嘆、恐怖。
幾つかの重なったその小さな声を、先客は聞き取ることが出来なかったらしい。
足元から赤色が垂れ、雨と混ざっては地面に吸い込まれてゆく。
アスファルトで舗装された道路は小さく罅が入っており、一目見て彼女が何かしたのだろうと把握できた。きっと彼女は戦闘でも行なっていたのだろう。
雨音に混じって聞こえる微かな呼吸音は僕の心臓を掻き立てるには十分すぎて、背筋がぞわぞわする。
艶のある黒髪も、所々血がべっとりと張り付きお世辞にも綺麗とは言い難い。
ーー助けてあげなくちゃ。
そんな自己満足の庇護欲が湧き上がってくる。
きっと彼女は疲れているだろう。僕より身長は大きくとも、時間をかければ背負って運ぶことも不可能ではない。
傘で隠しながら歩いてゆけば大丈夫。この時間帯はみんな学校で授業を受けている筈だ。
一種の誘拐のようなものだろうか、そんな引き止めるような警告すら無視して僕は歩き出す。
少し重さでフラフラするけれど大丈夫。
雨はしとしとと降り続いている。遠くで鳴くカエルの声は気付けば聞こえなくなっていて、心なしか雨脚が強くなったように音が大きく聞こえ始めた。
大粒の雨がバラバラと降り注ぐ。
こんな白い雨こそが、僕と彼女の出会いの日。
【学生戦争】雨の日と蛇の子供