冬枯れのヴォカリーズ vol.5

冬枯れのヴォカリーズ vol.5

   都内の女子大に通う、理美の、大学生活の日常を描く、恋愛小説。

11月3日の文化の日は、今年は月曜日だったので、三連休になった。

  それで、前からこの連休には、サークルの皆で母の実家に泊まりに行くことにしていた。

 母の実家は福島県伊達市霊山町、という所にある。祖父母は既に他界しており、この家は、七年前から空き家状態になっていた。それで、母の兄弟が交替で掃除をして、家を守っている。

 霊山では、父が野菜を作っている。今の季節だと、大根、牛蒡、人参、白菜、京菜、葱…などがあるとのことだったので、皆で鍋を囲もうと考えていた。

 メンバーは、池上、早苗、修平、奈歩、そして松崎と私の六人だ。

 車はレンタルにした。池上はお父さんが不在で、お母さんも車は運転しないし、修平のお父さんは小型の普通車だし、松崎のお父さんはトヨタのクラウン。

 レンタカーは七人乗りのにした。
 運転は男性陣が交代でしてくれることになった。私は今年の夏二か月実家に戻り、やっとの思いでマニュアル免許を取得していたが、できることなら運転はしたくなかった。


 前日の金曜日、松崎は私のアパートに泊まった。終電ギリギリまで研究をし、東西線に乗って、落合駅まで来てくれたのだ。久しぶりだ。

 普通は直接家に来てもらうのだが、今日はお気に入りの赤いPコートを着て、駅まで迎えに行った。目白祭のデンマーク体操の発表会を見に来てくれて以来だから、実に二週間ぶりだ。

 早稲田通りは七割かたタクシーだった。テールランプの赤い光がずっと先まで続いている。

 0時40分、松崎が現れた。いつもの着慣れたラルフ・ローレンの紺のダッフルコートに、グレーのマフラーをしている。髪は軽い天然パーマで、やわらかい髪質だ。染めたことは一度もない。染めなくてもいい自然な栗毛なのだ。まゆはわりとしっかりしたヘの字で、目はお人形さんのようにパッチリしている。表情は常に穏やか。松崎のことを私は『大ちゃん』と呼んでいる。


「大ちゃんお疲れさま。明日の朝食、トヨクニで買ってくね」

 私は松崎に付き合ってもらい、駅とアパートの間にある深夜までやっているスーパートヨクニでパンと牛乳とヨーグルトを買った。普段は一番安い食パンにするのだが、松崎に食べさせるから、ちょっと高めの美味しそうなのにした。

「理美ちゃん、最近会えなくてゴメンね」

 肩を並べて歩きながら、松崎が謝った。

「ううん、ほら、私だって夏ずっと免許取るのに実家帰ってたじゃん。でも、大ちゃん、待っててくれたもん」

 心とは裏腹なことを口走っていた。本当はこの二週間、松崎がいなくて寂しかったし、もともと、夏実家に戻ったのも、少し距離を置いてみよう、としてのことだったのだ。

 それからしばらく無言で歩く。

 今日久しぶりに松崎が来てくれるということで、いつになく早めに帰り、家じゅうをピカピカにしていた。玄関の派手なサンダルは靴箱にしまい、ロフトのベッドスペースには、ベッドメーキングした後ラベンダーの香りをスプレーした。近くの花屋で小ぶりのピンクのバラとかすみ草を買ってきて、テーブルに飾った。トイレもきれいにして、お気に入りのサボテンの位置を直し、トイレットペーパーの端を三角に折った。

 料理は、カボチャのポタージュスープと、トマトソースのスパゲッティと、スモークサーモンのカルパッチョにした。

 もしも、松崎も一人暮らしだったら、そして彼がおぼっちゃまでなければ、もう三年目でこんなに気を遣うことはないのかもしれなかったが、一年の時からお泊まりは多くて月一、松崎の実家に初めてお邪魔したのは二年の秋で、それ以来2~3か月に一回ほどお邪魔しているが、未だに泊めてもらったことはない。


「あっ、大ちゃん、ねこいるよ」

 早稲田通りを右にまがりアパートへ続く細道に入ると、猫が二匹いた。この辺りでよく見かける猫で、一匹は茶トラ、もう一匹は乳牛のような白に黒ぶちの模様だ。その二匹はまるで立ち話しているみたいに見えた。
 私たちに気付いても逃げる様子もない。

  「そうだ、ルルは元気にしてる?」

 その猫を見ながら私は尋ねた。

「バリバリ元気だよ。最近寒くなったからよくオレの寝床に上ってくるんだ」

 松崎はルルの話になると、いつも目を輝かせる。

 アパートに着いた。四月の誕生日に松崎からもらった、コーチの花の形をしたキーホルダーで、鍵を開ける。

 私は4月1日生まれだ。だから誕生日を聞かれるのは好きではない。理由は、ややこしいから。4月1日生まれっていうのが、学年の最初なのかそれとも最後なのかわかっていない人が多い。そもそもたった一日違いで一学年上になるなんていう制度自体おかしくないか?本人の希望で選べるべきだ。因に4月1日生まれは、その学年で一番最年少だ。


「先入って。私ブーツだから」

 松崎は、かがんで、履き慣れたこげ茶色の革靴のひもを、外す。私は韓国で買った黒い革のロングブーツを脱いで、手を洗い、早速パスタを茹でる鍋とポタージュスープに火を点ける。


 私の部屋は1LDKのロフト付きだ。天井が高い。キッチンから松崎の様子が見える。松崎は見慣れているはずの私の部屋をキョロキョロ眺めまわし、テーブルの花を見て、にっこりしている。

 松崎には、特に指図をしないことにしている。松崎が誰よりも束縛を好まない自然児だということを、付き合い三年目で充分知っているからだ。

 松崎は、あまり話し好きではない。頭がいい人というのは、必要以上にあまり話さないものなのだろう。しかも松崎は、いたってトゲがなく、めったに怒ったりすることもない。

「パスタ茹でるまでちょっと待っててね」

 私が言うと、松崎は「うん」と言ってマフラーを外し、ダッフルコートを脱いで、自分でハンガーにかける。コートの下には、おじいちゃんからもらったという、お気に入りの、紺と茶の千鳥格子のシャツを着ていた。


 松崎はTVを付けてゆったりソファに凭れかかっている。

 食事は美味しくてほめられた。松崎はいつも残さず食べてくれる。私がスパゲッティを少し残したら、

「理美ちゃん、残しちゃだめだよ」  と言った。

「どうして?自分の作ったものだもの、残したっていいじゃん」

 私は大笑いした。松崎のそういう生真面目さもすごく好きだ。きっと、お母さんの教育が行き届いているんだろう。

「明日早いから、もう寝ようね」

 小学生の子どもに話しかけるように、松崎に言う。松崎は何も言わずにお風呂場に行く。


「あっ、バスタオル置いておいたから」

 私は松崎が、まるで自分の家のように私のアパートを使ってくれるのが好きだ。



 ロフトに二人が落ち着いた時には、既に二時を回っていた。私はいつものように枕元のCDラジカセで、バッハの無伴奏シャコンヌをかける。明日の朝早いし松崎も疲れている様子だったので、手をつなぐだけにして、目を閉じた。

 それでも、ちょっとして、松崎の方にぴったりとくっついて、右手はにぎったまま、左手を松崎の心臓にあて、鼓動を確かめてみる。松崎の心臓は世界中の誰よりも正確なリズムだ。こうして、松崎のぬくもりを感じながら眠りに就くことは、どんな精神安定剤よりも効き目がある。私は握った手に力を込めた。

 翌朝は、西早稲田で池上くんがまず車を借り、早苗と修平を拾い、その後七時に、私のアパートの前まで来てくれることになっていた。池上くんは西早稲田が実家、早苗は兵庫の姫路出身で、西早稲田に一人暮らしをしている。宮前平が実家の修平は、前日に西早稲田の友達のアパートへ泊まっていた。



 私は、はりきって五時半に起きた。松崎を起こさないようにして、梯子を下り、朝食を作る。フライパンを熱して、オリーブオイルをさっと引き、ベーコンを敷いて卵を落とす。松崎は半熟が好きだ。

 6時10分に、松崎を起こして朝食を食べる。カーテンを開けると、快晴だった。いい日になりそうだ。

 朝食の後片付けを手早く済まし、いつもより少し丁寧に、お化粧をする。ベージュのVネックのニットに、ブルージーンズを履き、松崎からクリスマスにもらったハートのネックレスをつけた。6時50分にはスタンバイOKだった。

 七時十分頃、下で車の音がしたので、行ってみると池上くんたちだった。みんな上機嫌だ。

 私は、松崎と一緒に、後部座席に乗り込んだ。 「それじゃあ出発」

 助手席に乗った早苗がそう言って、オーディオを操作する。修平オリジナルセレクトのJポップが流れ出した。この日の為にパソコンで編集したようだ。最初の曲はゆずの『いつか』だった。

 車は奈歩の住む羽生へ向かって、山手通りを北上する。奈歩とは八時半に羽生インターで待ち合わせだ。そこから高速に入ることにしていた。

 連休の初日だからか、さすがに道は混んでいたが、渋滞するほどではなく、順調に流れている。

 本当に清々しい日だった。空には一点の雲もなく、どこまでも突き抜ける青さだ。

 途中、コンビニに寄り、飲み物とガムとお菓子を買った。松崎はKOOLで一服している。


 風景は次第に郊外っぽくなっていく。ドン・キホーテや安楽亭といったファミレス系が目につく。

 私は早苗に、高村優くんのことを聞きたかったのだけれど、松崎が隣にいるのでやめておいた。それに、しばらくの間は、早苗にも内緒にしておいた方がいいかもしれない。
 

 羽生インターに着いた。奈歩はここまでお母さんに送ってもらったそうで、ちゃんと時間通り待っていた。お母さんもまだ帰らずにいて、

「いつも奈歩がお世話になっております。よろしくお願いしますね。運転くれぐれも気をつけていってらっしゃい」

 奈歩に似て小柄な、明るいお母さんだ。

 修平がやけに上機嫌だ。それもそうだろう。六人のうち池上と早苗、松崎と私が付き合っているわけだから、必然的に奈歩は、修平の隣に座ることになったからだ。

 奈歩は、黒いコートに真っ白のマフラーをして、ヴィトンのボストンバッグを持っていた。肩からは赤い小さなショルダーバッグをさげている。よく見ると、爪はきれいなローズ色だ。


 車は高速へ入った。スピーカーからはスピッツの『ローテク・ロマンティカ』が流れ出した。修平はかなりご機嫌で、

  「おい池上、あの車のろくねぇー。抜かしちゃえよ」

 と身を乗り出して言っている。修平はスピード狂だ。

 奈歩はそれを聞いてすかさず、

「ちょっと修平やめてよ、事故ったらどうするの?」

 修平は、ごめんごめんと言って、機嫌を直してよ、的な目線を奈歩に送る。それを後ろから見て、松崎と顔を見合わせて肩をすくめ、声を立てずに笑った。



 車が一定のスピードで、単調に果てしなく北上して行く間、車窓の景色をぼんやり眺めながら、一年前の夏、松崎と那須に行った時のことを思い出していた。紺のヴィッツを借りて、松崎はその頃免許取ったばかりで…。初めてのドライブだったから、隣で運転する松崎の姿がとてもかっこよくて、写真もバシバシ撮った。松崎は、その性格そのままの運転の仕方だった。いたって安全運転、無理は一切しない。

 那須ではコテージに一泊した。前から行きたかったニキ美術館や、銀河高原ビール、ステンドグラス館、世界の絵本館、南ヶ丘牧場、ボルケーノハイウェイ、殺生石などに行った。二人の仲がいっそう深まった素敵なお泊まりデートだった。


「そろそろ運転交代しようか?」  SAに車を停め、トイレ休憩をし、ここからは修平の運転になった。修平は一気に二台、三台と抜かし、恐ろしい運転だったが、みんなスリル満点で楽しんだ。

 紅葉がちょうど最盛期を迎えていて、車窓からも、赤や黄色の木々が見える。

 東京に住み始めて、何か違和感があった。それは山がないってことだった。私は今、久しぶりに山々を眺め、言いようもない安心感に浸っていた。

 あっという間に、本宮インターまで来る。安達良SAで、今度は松崎がバトンタッチをする。私は助手席へ移動した。

 福島西インターで高速を下り、国道115号線を走り、フルーツラインに入り、しばらく行ったところに、ひろしおじちゃんの経営するそば屋「麺善」がある。

 ひろしおじちゃんは父の末の弟で、おじちゃんにはあらかじめ、今日12時半頃六人でお邪魔すると伝えておいた。時間もちょうどいい。


 「麺善」は実は去年の秋にオープンしたばかりで、ひろしおじちゃんは、それまでは電気屋を営んでいた。小さい会社だったので、不況の影響で、経営が苦しくなっていた。そんな時、趣味で始めたそば打ちが功を奏し、まずは電気屋を続けながら土・日・祝日だけで営業を始めた。それが思わぬヒットをし、今では電気屋をたたみ、ほぼ毎日休みなしで営業している。

 麺善のそばは、十割そばと言って、そば粉を100%使用した本格的なそばだ。そば粉にもこだわって、北海道の農家から特注しているそうだ。

 店に入ると、一階は全部席が埋まっていたけれど、ひろしおじちゃんは、普段は使っていない二階の座敷に私たちを通してくれた。座敷には長テーブルが二つ置かれていて、その上に、六人分の割り箸やコップ、小鉢などが既にきれいに並べられていた。

(ひろしおじちゃん……)  私は、親戚っていいもんだなあ~と身にしみて感じた。
 VIP扱いをされて、みんなの表情にも、疲れは見当たらない。

 しばらく待って、六人分のそばと天ぷらが揃ったのは一時を過ぎていたけれど、待った分だけさらに美味しく、みんな大満足の様子だった。お代は、シコシコのそばに、天ぷらと、山菜の小鉢と、サラダなどが付いて、たった千円だった。東京では考えられない値段だ。

 そこから、母の実家までは引き続き松崎の運転で、私がナビをしながら向かった。  霊山は、そば屋から車でさらに40分ほど北東に行ったところにある。

 福島にいた頃は、何回も通った道だったけれど、実際にナビをすると意外に難しく、何度か曲がるはずのところで通りすぎてしまったりしたが、なんとか辿り着くことができた。

 周りは紅葉した山々に囲まれ、近くには広瀬川という阿武隈川の支流が流れている。

 母は1947年、終戦の二年後に、この地に生まれた。広瀬川で昔よく遊んだそうだ。雄大な自然があり、美味しい川カニもたくさん取れたという。昔の方が、そういう意味では贅沢な暮らしだったんじゃないだろうか。昔は笹薮だった両岸は今ではコンクリートで固められ整然としてしまった。それによって生態系にもかなり影響があって、川カニはもちろんいなくなったし、魚も種類が激減してしまったそうだ。
 母は六人兄弟の三番目だ。女女女男男女という構成だ。小さい頃は、アンゴラうさぎを飼っていて、そのエサをあげるのが仕事だったこと、秋になると栗を拾いに裏山へ行き、いくつ拾えるか兄弟で競い合ったことなどを、母は前に話してくれたことがあった。

 「すごーい、広いねー。うちのおばあちゃんちに似てるわ。」

 早苗が珍しくはしゃいでいる。早苗は兵庫県姫路出身でご両親も確か関西か九州の人のはずだが、日本全国、田舎の家というのはどこも似ているのかもしれない。

 霊山では、夏はスイッチを入れないだけで、炬燵が一年中出ている。大きな炬燵なので、スイッチを付け、六人であたる。私は、裏の戸から外に出てガスの元栓をひねり、お湯を沸かしお茶を淹れる。

 この家には、皿もコップも箸も、何でも20~30人分揃っている。母は六人兄弟で大家族だったからだ。

 松崎は早速、各部屋を探険し始める。こういうところは、まるで小学生の坊やみたいだ。  池上くんは、奥の部屋にあった「霊山町史」という分厚い本に興味を示し、ペラペラめくっている。

 床の間に、生け花が生けてあるのを見つけた。おそらく母が生けてくれたんだろう。紫色の清楚な菊を中心として、すすきや野の花をあしらってあった。布団もちゃんと六人分きれいにたたんで重ねられていた。

「お布団、この間の日曜日干しておいたから、押し入れに入れずに手前に置いておいたからね」

 電話で母がそう言っていたのを思い出した。


 時刻は四時を回ろうとしていた。明るいうちに温泉に行こうと思っていたのでみんなに伝えると、各自準備を始める。

 温泉は、ここから車で三十分ぐらいのところにある両親がお得意さんの穴原温泉『元岩荘』にした。そこは、今どき珍しく商売っ気のないところで、しかしお湯は源泉100%、私の母は、ここに通って更年期のアトピーがすっかり良くなったという。きっと乳ガンの再発防止にもなっているんじゃないだろうか。

 玄関は木枠の硝子戸で、右端に、『郡山 安斎 様』と言うように、今日の泊まり客のお所とお名前が、ご主人の毛筆で書かれてある。今日は連休初日とあって、いつもより多い、五組のお客さんのお所とお名前が書かれてあった。
 お客さんが多くても、ここの温泉は客室にそれぞれ温泉が付いているので、ご主人は快く六人を迎えてくれた。母が事前に頼んでくれていたようで、400円で入れてもらえたのもありがたかった。

 内風呂で、まず髪や体を洗う。化粧は取らないでおく。
 ゆっくりあったまってから、今度は階段を下りて、露天風呂へ。ここも商売っ気がないからか、本当に天然という感じで、落葉が水面を埋め尽くしていた。

「なんか私たち、サルやタヌキみたいね」

 奈歩がタオルを全身にあてて苦笑している。

 男湯がすぐ隣で、少なからず意識しながら、早苗と奈歩と私は、まず洗面器で落葉をすくい、夕焼けに染まる晩秋の山を眺めながらゆっくりとお湯に浸かる。空気は冷たいが、お湯が熱めなのでかえって気持がいい。虫の音がリンリーンと涼し気に聞こえる。男湯からは修平の笑い声が聞こえてくる。どうやらわざと大きい声を出しているらしい、困ったやつだ。

 昨日あまり寝ていなかったので、ふーっ、と眠くなって、しばらく目を閉じ、じんわりと温まる。

 それから内風呂に戻り、体を拭き、脱衣所で着替えて、ロビーに行くと、男三人は既に上がって待っていてくれた。めいめいスポーツドリンクやお茶など冷たい飲み物を飲んでいる。

 松崎が私に、

「どれがいい?」  と言って飲み物を買ってくれた。

 早苗は池上くんの飲んでいたお茶を横取りして、飲む。

 修平は、ちょっと考えて、

 「奈歩ちゃん何か飲む?」  と聞いたが、

「いいよ、自分で買うから、ありがとう」  爽やかに断られて、ちょっとがっかりしている様子。

「昨日も、ご両親お見えになりましたよ」  とご主人が言う。

 私たちはご主人にお礼を言って、車に乗り込んだ。

 霊山に帰る途中のスーパーで、鍋に入れる材料を買うことにした。海鮮鍋にしようということになって、海老、鱈、帆立などがセットになっているものを二セット、それにきのこや豆腐などを買う。

 松崎が、

「これもいいかな?」  と言ってかごに入れたのは蛤だった。

「んじゃこれもいい?」  と言って修平は白子をかごに入れそうになったので、

「何それ!気持悪いからやめて」  と奈歩にピシャリと言われて傷付いた様子。

 お酒とおつまみも買った。買い物袋三つ分になったので男性陣が持ってくれた。松崎は普段も、私の荷物を持ってくれる。


           (つづく)

冬枯れのヴォカリーズ vol.5

  ご拝読、ありがとうございました。

冬枯れのヴォカリーズ vol.5

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-11-02

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