あなたと見た風景は実はもう記憶にない
あぁ!仏様!!
彼を連れて行かないでください!!
彼はこの世に生を受けてまだ二十にも満たないのです!!
彼を殺さないでください!!
どうして彼なのでしょう
なぜ彼なのでしょう
なぜまだ終わらないの?
いつになったら終わるの?
分からない
分からない...
”死の紙”の存在
隣の家の次男と三男宛にあの”死の紙”が届いたと、母が言った。
私より三つ上と一つ上の子たちだった気がする。正直私は近所付き合いというものは得意ではなかった。
私の家は茶屋をやっている。一緒に出される草餅が結構評判が良い。私もこの草餅は好きだ。
今日もなんでもないように、朝早くから店の前にのれんを出す。相変わらず店の雰囲気と合っていない。
店の前に水を無造作にはき、そろそろ熱くなる季節だなぁと思っていたその時、
「お春さん!」
若々しい声が私の耳に入ってきた。声の方へと顔を動かせば、真新しい学生服を着た黒髪の青年が走ってくる最中だった。髪の毛は寝癖がまだあるが、彼の顔を見ると自然と顔が綻ぶ。青年は私の前で止まった。
「たつ君・・・・・・こんな朝早くから今日は学校なの?」
「へへっ今日はカメに朝ご飯やらなくちゃいけないんだ!」
学校でカメを二匹飼っているんだと私に説明してくれた。私には知らないことだった。私は家業を手伝うことに決めたから、二年近く学校にはいってない。その空白の二年を彼はうめようとしてくれた。彼の名前は雨宮(あまみや)たつや。雨宮家の次男だ。長男とちがって彼は少々悪戯がすぎる男の子だ。
「いけない、友達待たせてるんだった!!じゃあね、お春さん!!」
「うん、また後でね」
慌てたように、彼は走り出してしまった。落ち着きがないと言ってしまったらそれまでだが、案外私は彼のことを気に入ってるようだ。
ふと、母の話を思い出し、あの”死の紙”がちらついた。心配になって彼の方へと目がいった。大丈夫、きっと大丈夫よ。彼はまだその歳じゃないのだから。彼がその歳になるまで、必ず終わる。私は唇をきゅっと引き締めて、店の中へと入っていった。
※
「なぁ、」
たつやは学校で二匹のカメに餌をやっていた。隣にいる自分と同じ真新しい学生服を着た三白眼の青年が話しかけているが、たつやはそれに応じなかった。
しびれを切らした青年はもう一度強くおい、っと呼んだ。諦めたようにわざとらしくたつやは鼻息をだし、如何にも不機嫌ですっと顔にだしながら
「なに」
応じた。
「さっきの茶屋での女の子、確かお春さんだっけ?俺と一緒じゃん。」
「そうだけど、何?」
にやにやといやらしく笑う青年が嫌で、花瓶に水を入れに廊下に出た。青年までもがついてくる。
「綺麗な人だな。」
「そうだね。」
たつやが蛇口をひねったことによって、水が花瓶の中へと納まっていく。
「すきなのか」
水がいっぱいになった花瓶の中に名前も知らぬ花を適当に入れ、教室に戻ろうとした。
「答えろよ。」
たつやの無言でこの話が終わるとはどちらも思ってはないだろう。
「だったらなに!」
いったいどれほどの人がこの学校にいるかは知らないが、今日大きな声を一番初めに出したのはたつやだろう。むきになったたつやがよほど面白いのか、青年はなおもたつやを刺激する。しかし、青年はもうあのいやらしい笑みを浮かべてはいなかった。
「やめておけ。」
「なんだよ・・・・・・。」
青年の無表情ともいえる顔はたつやをなだめた。青年はいつもこの顔でたつやを抑える。感情的になるたつやが子どものように見えてしまう。まるで犬と主人の関係だ。
「お前、聞いたか?あそこの茶屋の隣の家、長男以外”死の手紙”届いたって」
「知ってるよ。」
「実はよ、お前にも黙ってたけど、俺郵便屋の配達手伝ってんだわ。」
驚きの言葉だった。たつやは言葉を失った。青年は渋い面持ちで続ける。
「今回のあの”紙”さ、若い連中が多いんだ。」
「だから?まだ俺たちは関係ないだろ?」
「本当にそうか」
何故だろう、たつやは青年のことがだんだん分からなくなっていった。何年も一緒にいる友人が今は別の人のように見えるのだ。
「俺たちだって三年四年たてば同じだ。」
「あたりまえだろ?陸軍士官学校目指してるんだからよ。」
「まだ分からないのか」
心底呆れたというような青年の物言いに、たつやは腹が立った。
「俺が思うに、今回の収集めちゃくちゃ多いぞ。」
「・・・激化してるってことか。」
「そ。きっと俺たちが戦地に立つ頃は荒んだ世の中になってんだよ。」
困った顔をされても、たつやにはどうしようもなかった。この青年が非国民的な意見を言っているように聞こえる。
いや、そんなことはありえないだろう。彼も自分と同じく陸軍目指しているのだから。
「”生き残れる者は一人もいない”」
「え」
突然青年が低い声を出して、驚いた。まだこの教室には二人しかいない。ともすると、さっきの言葉は青年が言った言葉となる。たつやは驚いた。
「戦死したじいちゃんがそういったんだ。」
青年が初めて
「だから俺の親父も、お前の父さんも、もう帰ってこない」
たつやに苦しい笑顔を浮かべた。
※
夕方頃、平日だからかあまり今日は儲けなかったであろう茶屋の前に、茶屋の娘、春(はる)はそこにいた。
「お春さん。」
そんな声が聞こえた。振り返ると、学生服を着たお馴染みのたつやとたつやの隣に一人、同じく学生服を着た青年が立っていた。学校帰りらしい。
「紹介するよお春さん、この人春也(はるや)。」
紹介された青年、春也はペコリと春にお辞儀をし、慌てて春も春也につられてお辞儀をした。
「たつや君から、いつも聞いてます。お春さん。」
いったいたつや君は自分のことをどんなふうに友だちに言っているのだろう。そう、ふと春は思ったが、男の子が話すことはだいたい決まってると思い、考えることをやめた。どうせ話してはくれまい。そんなことを考えてるなど悟らせないために、顔に笑顔を貼り、そう。と言った。
「今日は飲んでいく?」
「はい!よろこんで」
「・・・え」
何を・・・とは春也は言えなかった。なんせここは茶屋。飲むものと言えばお茶である。
外に並べている赤い長椅子にたつやと春也は腰かけ、春はお茶と和菓子を取りに、店の中へ入っていった。
「で?どういうつもりだよ。俺を紹介してよ」
ブスっとした春也のものいいに対して、たつやはご機嫌のようだ。
「いいから、いいから。ここの茶菓子とお茶は相性がいいんだ。」
「鼻歌でも歌いそうな雰囲気だな・・・。」
諦めの詰まったため息を吐いても、たつやは表情を変えなかった。
「お待たせしました」
春がおぼんを持って出てくると、春也はスッと背筋を伸ばし、さっきまでの雰囲気を変えた。
淹れたての香りが濃い湯呑を手渡され、春也は思わずほぉっと息を吐いた。それを見た春がふふっと笑い出した。
「良い香りでしょう?」
「はい」
春の笑顔を見ているとこちらもその気ではないのに頬が緩む。きっとこの人が暖かい人だから、と春也は結論付けた。
そんな二人の様子を見て、たつやまでもが頬を緩めてニコニコと笑っていた。いつまでもこんな平和な世の中になればいいのに。ふと、たつやの頭にそんな考えが浮かび上がった。大丈夫、この戦争に勝てば皆が暮らしやすい長くいい時代がくるはずだ。きっとその時自分も生きている。たつやは小さく拳をつくった。
※
そんなたつやの考えは春也と帰るときも変わらなかった。少しだけ暗くなった道を春也と一緒に歩いていた。ふと、思い出したように春也がたつやに何かを言いようとした。たつやの方へぐるっと体を向け
「紹介してくれてありがとな」
「え、あぁ・・・いや別に」
大したことではないよ、とたつやは言うのだが、ありがとう、と何度も春也はたつやにいうのである。何故だろうとたつやは思ったのだが、聞かない方がいいだろうと思い、別の話題に切り替えようと頭を動かした。しかし、当の気遣わされている春也は理由を言ってくれるらしく、たつやも黙った。
「いやさ、俺って本当は姉がいるんだってさ。でも、産んだら死んじまってたんだってよ。」
「えぇ!?」
なんなのだろう今日は。親友であるはずの彼のことが実は何も知らないと実感させられるのは。
「姉がいたらあんな感じなんだろうなぁ、って思ってよ」
春也は無邪気に笑う。春也につられてたつやも笑った
「俺もそう思うよ」
ほんっと、この時間がいつまでも続けばいいのに・・・
そして数年後、春がまだ寝ている朝方、一人の青年が茶屋の隣にある家にやって来た。帽子を深くかぶり、布製のカバンを肩に下げている。
彼の握られた右手には”死亡告知書”と書かれた紙が二枚あった。
約束を破らないで
時は経ち、彼らは見事立派に成長した。
とある日、まだ春までもが寝床で寝ている時、こんな時間に不謹慎な輩が茶屋の窓を叩いた。まだ眠気が残る頭で春はひたすら考えた。
―――――誰だろう。こんな朝早く…新聞もとってないはずなのに
春はまず厨房に向かい、包丁を手にした。普段から使っている包丁である。だが、包丁を持った途端持っている手が震えた。心なしか体までもが震えている。
茶屋の扉を少し開けて誰なのか、まず顔を確認した。帽子を被っているが、顔はよく見える。春也だった。
急いで玄関の扉を開けた。
「どうしたの?こんな朝早く……っ!」
春也は泣いていた。彼の手には赤い紙が二枚あった。
「どうしよう俺っ、……ったつやが…」
いつかはくるであろうと、春は分かっていた。だが、分かっていてもなおその現実は受け止めることはできなかった。
「俺と、たつや宛てなんです。」
春也は落ち着きを取り戻してそう言った。部屋に通そうと思ったのだが、春也に頑なに断られた。
「うそ……う…そ…。」
手を口元に持っていき、目から涙が溢れてきた。
どうしようどうしようっと頭の中で何かを改善させようと巡らせているが、もうどうしようもない。とうとうきてしまったのだ。
思わず春也にしがみついた。
「死んではだめっ!死んではだめよっ!!」
「お春、さん……」
泣きながら春也に向かって叫んだ。春也も同じく泣いていた。春は春也を抱きしめた。震えている春也を抱きしめた。
泣くことしかできなかった。
※
「さよならです。お春さん。」
「たつや君、根性なしね。一度でいいから安心できる言葉を頂戴な。」
「しょうがないですよ、お春さん。なんせたつやはたつやですから。」
出発の前に改めて茶屋にたつやと春也は訪れた。
昔より断然大人っぽくなった二人に春は頬を緩めて、昔から変わらないお茶を二人に出した。
「やっぱり、このお茶は美味しいですね。」
ははは、と笑いながらたつやは笑った。そんなたつやの顔を悲しい顔で春は見つめた。
「お願い…行かないで」
はっと気づいたときには遅かった。春は自分の口を両手で塞ぐと、二人の顔を見た。
二人とも悲しい顔をして俯いていた。言ってはいけない言葉を春は言ってしまったのだ。なんと声をかければいいのだろうと、春が考えていた矢先、おもむろにたつやが口を開いた。
「僕、またこのお茶飲みたいです。」
真面目な顔でそんなことをいったものだから、春はまだ飲み足りないと思った。
「え?あぁ、お注ぎしますよ?」
「えぇ!?あ、いや。違います。そういう意味じゃなくて、ですね…」
「俺も、また帰ってきたらこうして三人で飲みたいです。」
なんだ、そういうことか。と春は理解した。こうしてまた三人でっというのは難しいだろう。しかし、先ほど自分が”安心できる言葉”が欲しいと言ったので彼なりの約束事をしてくれたのだ。そう理解すると、なんだか彼がすごく大人っぽく見えてきたのだ。小さな恋の花が咲くような、そんなときめきを覚えた。でも、彼と結ばれることはないだろう。運命がそうした。もっと前にこの感情にたどり着けたらよかったのに。
「…どんな姿でもいい。足が片方なくっても、目が見えなくなってもいい!だから、」
必ず帰ってきて
※
新しくできた病院に一人のおばあさんが来た。白髪が混じっていて、服装も清潔そうな老婆は近くにいた女性の看護師にここに入院している患者の名前を教え、その患者がどこの部屋なのか教えてもらおうとした。
「まぁ、おじいさんからお話は聞いてますよ。」
意味深げな看護師の言葉とともに、患者の病室を教えてもらった。おばあさんの手には何故か分からないが、小さな松があった。
おばあさんの後ろ姿を見届けた後、その女性の看護師の周りにいままで近くで働いていた看護師たちが一斉に集まって来た。
「ねぇ、あのひとが茶屋の娘さん?」
「かわいいおばあちゃんね」
「そう?そっけなかったけどなぁ…」
「でもさぁ、おじいさんの話聞いてるとなんでくっつかなかったんだろ?」
「そりゃぁあの状況でしょ?生きて帰ってくるか、死んで帰ってくるかわからないでしょうが」
「お見舞いにくるぐらいなら両想いだったんじゃないの?」
「昔の人は分からないわ。好きな人と一緒にいたら幸せなのに。」
※
「久しぶり、元気にしてた?お互い歳を取って難儀だねぇ。」
おばあさんはベットに寝ている白髪のおじいさんに話しかけた。物腰柔らかな高い声だった。
「その状態じゃ元気とは呼べないわね。」
おばあさんはカバンから水筒とコップを三つ出した。
「昔の約束覚えてる?君が来れないと思って、私から来たんだよ?」
おじいさんは眠っているが、おばあさんは語りかける。おばあさんはまたカバンに手を伸ばし、写真たてを立てた。
「はい、春也君の分。」
暖かな目で学生の服を着た三白眼の青年の写真たての前にお茶の入ったコップを置いた。
「これがたつや君の分だよ?」
おばあさんはおじいさんに手渡そうとしたが、おじいさんはまだ寝ていたので、顔の横に置いた。
「ここ、空気が悪いわ。」
そう言って部屋の窓を開けた。冷たい風が入って来たからか、おじいさんの息が小さくなってきた。それの気づいているのか、おばあさんはおじいさんの手を握りしめた。
「ねぇ、」
お帰りなさい
あなたと見た風景は実はもう記憶にない
はい、シリアスですみません。高梨恋ですごめんなさい。
今回実は時代がめちゃくちゃだったりするんですよ。話の筋は帝国時代だったりするけど、建物が明治時代みたいな
すごく見にくかったですねごめんなさい←
”死の紙”はお気づきの方もいますが、赤紙です。あんなん届いたらいややわ。
戦争って悲しみしか生まないってことを書きたかったと思うんですが、伝わったでしょうか。
ここまでお読み頂きありがとうございました。