グラジュエイト

 春は、何だか間抜けになる。春は一番忙しくて大切な季節だと思うけれど、気がつくとどうにも、春のことはあまり詳しく覚えていない。春風が頭のネジを飛ばしちゃうのかなー……なんて、呑気に空想を膨らませてみる。
 隣の席に座っていた北崎が、こちらに向き直った。
「なんか、長かったようで、あっという間だったよなー」
「ん?あー、そうだなー」
「お前、大学、絵画の専攻じゃなくて良かったのかよ?」
「……いいんだよ、もう。今の時代、出来るだけ就職率が高い大学に入っとかないと将来不安で仕方ないだろ?」
「絵、上手いのに。もったいねぇ」
「うるさい、ほっといてくれ」
「……まぁ、お互いキャンパスライフ、エンジョイしようぜ!」
「……おう」
 こうやって、北崎とくだらない話をするのもこれで最後、か……。終わりは何だかあっけないな……。

 そう言えば、あの人はどうするんだろう?このまま留年を続けるのだろうか。
もう二十歳なんじゃないのか?いつまで高校に留まるつもりなのだろう……。
何が彼女をそうさせるんだ?
そう言えば今まで、聞いたこと無かったな……卒業も近いんだし、聞いてみようか。

「あ、柊さーん」
「ん?」
 卒業は目の前だと言うのに、この人は相変わらずだ。頭のネジが何年外れっぱなしになったらこんな風になるんだろうか……。思わず苦笑い。
「お、真くんだ、元気?」
「元気ですよ」
「それは何より!」
 にこにこと笑う。嬉しそうだ。この人がここまで楽観的で居れるのは何故だろう?
「卒業も近いですし、会えなくなる前に聞いておきたいことがあるんですけど……」
「あー、真くんも居なくなっちゃうのか……寂しくなるなぁ」
 ちぇっ、と言う代わりに、ふてくされたように柊さんの足が地面を蹴る。スカッ。
「……やっぱり、また留年するつもりなんですか?」
 数秒の沈黙。
 とぼけた顔。
容姿が良いから、思わず見とれてしまいそうになる。柊さんと居ると、いつもこの事で困る。無防備すぎるんだ、この人は。まるで悩みを知らない純粋な子供のようだ。
「うん、多分ねー。でも、これで最後にしようと思ってるんだよ」
「え、そうなんですか?意外……」
「真くんは私を何だと思ってるわけ?」あはは、と笑いながら、柊さんが言う。
「生粋の変人?」と、少し意地悪な返事をしてみる。
「ひどいなーもう。ふふっ」
 可愛いなぁ……っておい、しっかりしろ自分。
「あの、結構前から気になってたんですけど……」
 なんだか変に緊張してしまう。
「柊さんって、どうして留年ばかりしているんですか?」
 さすがにこの質問はまずかったかな……。さっきよりぽかーんとしてるよ、柊さん。
(まぁ、普通は突かれたくないところだよね……謝ろう……)
思った途端、「うううううん」と、腕を組んで柊さんが唸る。
 あ、もう少し待とう。うん。
何で始めから唸らないんですか、紛らわしいですよ!とツッコミたい衝動を抑えて、返事を待つ。
「逆に聞くけどさ、真くん。卒業って何だと思う?」
「え?」
 珍しく真剣な口調だったので、少し驚く。卒業とは?
卒業って何だろう……今まで考えた事が無かった気がする。
「人生の一つの通過点……?」とりあえず、それらしい事を言ってみる。
「ふーん……なるほどね、そういう解釈もあるよね」
 質問を投げてきたという事は、何か言いたいことがあるのだろうか?柊さんが卒業についてどう思っているか。聞けるなら聞いてみたい。
「柊さんは、どう思っているんですか?」
「……私はね」小さな深呼吸を一つして、
「人生の一つの“終わり”だと思ってるんだ。だってさ、卒業って結局、そこに通い続けただけの結果だよ?通い続けた。ただそれだけ。何にも通過しちゃいないんだよ。何にも変わっちゃいない」
 その場をくるくると回りながら、柊さんは続ける。
「地球は回るし、お日様は昇るし、歳は取るし、進級もする。そうしている内に、いつの間にか大学受験……で、卒業式。自分が変わろうが、変わるまいが、関係ない。卒業式の日になれば、そこでもう、一度きりの高校生活は“終わり”なんだよ。取り戻せないんだ。さっきの真くんの質問に応えるなら、私はそれが怖くて、ずっと留年を続けてるってわけ」
 小さく笑う。
「周りの目よりも、自分の中に何も無い事の方が怖かった……。何かを成し遂げないとこれから先、生きていけない。自分の価値なんて無い。って、そう思えちゃうんだ……」
 柊さんは悲しい顔をして、僕を見る。
 柊さんの心の声を聞いたのは、初めてだった。普段のとぼけた柊さんと違って、包み隠さずに発せられたその想いは、とてもとても、綺麗だと思った。
「だからさ、真くん。私は真くんを応援するよ!これからは、私の憧れの卒業生だもんね」
 背中を優しく押される。
 優しいけれど、引き離すような。僕はもう、柊さんとは違う種類の人間になったんだと、神様に告げられたような気分になった。
 俺だって……。
「俺だって、そうですよ、柊さん。」柊さんへ振り返って、
「俺、ほんとは大学でもずっと、絵の勉強したかったんですよ。でも……描いても描いても、自分にはもう無理だ。自分は誰にも勝てない。自分には資格が無いって……そう思えるんです……」
 胸のあたりで何かが溶けだす。
「でも、卒業を目の前にしてみると、あぁ、これで良かったんだ。これで正しいんだ。これが俺の本当の姿だ。って……」
 柊さんは何も言わない。
「叶わない夢ばっかり見てるのは“こども”のする事だ。周りに合わせて、良い会社に入って、良い生活をして、きちんと社会に貢献出来る立派な“大人”になる時が来たんだ。もう夢を見るのは終わりだ……って、そう言われてるように思えて……」
 突然。
 柊さんが僕の手を握った。
「……え」
「ふふっ、情けない声出さないでよ。私の知ってる真くんは、誰にも負けない、誰より強い、誰より懸命に生きている人なんだよ?」
もう片方の手が添えられる。僕の右手が、柊さんの両手に包まれる。
「私は、真くんが必死で頑張ってたの、知ってるよ。どうか、どうか夢は諦めないで。きっと、あなたなら大丈夫だから」
 そう言って、また柊さんのあどけない笑顔が浮かぶ。
 この人って、こんな人だったんだなぁ……と、今更ながら思う。頭のネジが外れていたのはどっちだったんだか。俯いて、泣かないように。ふっ、と息を漏らす。
「柊さんも、きっと大丈夫ですよ。きっと……大丈夫です」
泣き虫のこどもみたいに、震えた声だった。
顔をあげて、僕と柊さんは、目を合わせて言う。

「「ありがとう」」と。

グラジュエイト

「卒業」をテーマに書きました。
なんて言うか、もう、もの凄く妄想全開です。
柊さんと真くん好きです。

ありがとうございました。

グラジュエイト

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-02-16

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