忍びの逆卍 第一章
戦国時代と、現代の融合した、不思議な世界。
主人公、浮城蒼太は、高校に進学したばかり。
元服したことによって、戦にかり出されることに。
しかし、そこに、上月茜と呼ばれる少女が現れ、少年を、とんでもない世界に引き込むことに。
それは、忍びの世界。
忍法や、妖怪を使い、城主を、戦国の覇者として押し上げるべく、陰で暗躍する、極秘集団を描いた、SF時代ファンタジーです。
戦国時代と、現代の融合した、不思議な世界。
人々の緊張を切り裂くような、一薙ぎだった。
甲冑が、肩から腰に掛けて、紙を裂くように切れてゆく。完全に刀を振り終えると、ひゅっと、鳥の鳴き声のような、鋭い音を立てて、男は鞘に、銀の刃を収めた。
ざわざわと、森に風が舞い込むように、歓声が広がった。
広い体育館には、学ランやセーラー服姿の生徒達が整列して、ステージの様子をうかがっていた。拍手をしながら、今し方、ステージの上で、甲冑を両断した男に、声援を送っている。
「いやー、素晴らしかった!ありがとう、ありがとう。元服式の幕開けにふさわしい剣技でした!大春日(おおかすが)先生に、もう一度、大きな拍手を!」
少ししわがれた、しかし、剽軽な声が聞こえた。ベージュのスーツに包まれた、恰幅のいい初老の男性が、演台の前で、マイクに声を轟かせている。その隣で、日本刀を持った男が一礼をし、そのまま舞台幕の奥へと消えた。
ドドン!と、太鼓が鳴った。まるで、道場で響くように、重々しく聞こえる。
演台に立っている校長先生の左右には、のぼり旗が整列しており、その後ろには陣幕が張られている。陣幕やのぼりには、五枚の花弁が、瓜の断面のような輪郭の中で花咲く、家紋が刻まれていた。
凛と引き締まった緊張が、ステージだけでなく、その周りにも漂っている。体育館の右側には、袴や着物姿の先生達が整列して、威圧感を放っていた。ステージの正面には、胸に花を挿した新入生達が、碁盤の目の如く並んでいる。
「高校生になる皆さんは、同時に、元服する事になります。元服すると、戦に出陣する義務が課せられます。大人としての、責任が伴うのです」
と、校長先生の演説が、遙か遠い場所で響く鐘のように、ぼんやりと聞こえる。新入生の中、宇佐見(うさみ)泉美(いずみ)は、首をキョロキョロ振って、誰かを捜していた。
栗色のボブカットが、子供のような小顔に似合う、瑞々しい顔立ちの少女である。
「も~、あいつ、こんな日に、遅刻なんて、何考えてんのよ」と、小声で愚痴った。
会場がまた、どよどよとなった。泉美が、ステージを見ると、校長先生の隣に、黒ずくめの男が現れた。黒い軍服の上に、機械的なプロテクト・スーツを装着している。腰には、長刀を一本挿しており、頭には、漆塗りの陣笠を被っている。
「甲冑や刀は、国から、生徒一人一人に支給されます。元服式では、一人一人に、刀を贈呈して、祝いの儀とします。それでは、教頭先生が、名簿順に、名前を読み上げるので、一人一人、ステージに登壇してください」と、校長先生。
新入生達は、いよいよ身構えた。ただ、一人だけ、宇佐見泉美は、他の事で心配になった。「はぁ、どうしよ~」と言って、目を泳がせている。そうこうしている内に、教師陣の席から、着物の老先生が現れて、マイクに口を寄せた。
「浮城(うきしろ)蒼太(そうた)くん」と、スピーカーが叫ぶ。
びりびりと、体中が、霜で凍りつくみたいだった。泉美は、口を結んで、引きつった顔で、辺りを見回した。やはり、誰も答えない。新入生の波は、いたって静かである。
「あの、馬鹿~」
泉美は気まずそうに言った。
ちろちろと、春の暖かな空気を、更に引き延ばすような、メジロの鳴き声が聞こえる。
浮城蒼太は、しゃがみ込み、両手をだらりと膝に乗せ、口をぽか~んと開け、校庭の桜並木を眺めていた。玄関の段差に座り込み、一人きりである。
「はぁ、かったりぃ~」と、水彩画のように柔らかな青空に向かって、呟いた。
穏やかな顔つきである。しかし、細身で、背は高い。ショートヘアーを、春風に崩しており、切れ長だが、溢れるように柔和な目は、この春の日差しに微睡んでいなくても、あまり変わりないだろう。
「おい、お前も、さぼりか?」
春の間は、薄暗い玄関の影さえも、眠りこけているように感じる。その影の中に、学ランの少年が立っており、頬を柔らかく撫でる風や、桃色に染める日差しの中に、踊り出してきた。
「うお!」と、蒼太は驚いた。
小柄なのに、凄い威圧感というか、存在感が、隣に座った。氷のように鋭利な白に、髪をブリーチングした少年で、ジェルで刺々しく逆立てていた。顔は小さいが、目鼻立ちが中央に集まり、とても端正である。
涼しげで、凛々しい顔つきだが、どこか子供のように、幼くも見える。その少年が、学ランのボタンを全部外して、ズボンからシャツを出し、しかも、ポケットからライターを取り出していた。既に、右手には銀色のキセルが握られており、そこに火をつけると、加えて、鼻から煙を吐き始めた。
「いい度胸してるな?入学、早々」
そう言う少年も、さぼっているのであり、しかも、校内喫煙中である。
「あんな甲冑と刀、貰ったって、結局は、自分の死装束にしか、ならないのにな」
この言葉に、驚いていた蒼太も、少しだけ、うん、と頷き、平和そのものの空を見上げた。
「俺、度胸なんて、ねえよ。ただ、怖がってるだけなんだ」と、言った。
「おう」と、銀髪は吐いて、今度は、隣の蒼太を見つめた。
「正直な奴だな…。でも、それ、他の奴に言うなよ。いじめられるぞ」
と言うが、蒼太は、何も答えず、二人の間に、メジロの声が、ただただ響いた。
メジロだけではない。よく響く、しかし、腑の底まであさって、じわじわ広がるような快音が、轟いた。
法螺貝である。それが青空に高鳴ったので、二人は、寝ぼけた雰囲気から、少し気を削がれた。
黒い波が、どどどど、と横薙ぎに進み、平和な風景に、毒を流し込んだようになった。
校庭を挟んで、校門が立っている。そこから覗く車道の中を、人が大量に移動している。
ぞっとするような、黒だった。胃にタールを流し込んだような、錯覚を覚える蒼太。
黒い軍服の上から、艶やかな流線型の甲冑を着ている、兵士達だった。頭には、光沢艶(あで)やかな陣笠を被り、腰には長刀を差し、わっせわっせと走り抜けてゆく。
「こらー!お前達!」
心臓が飛び上がり、二人は事実上、お尻が少し、玄関の壇から浮いた。
染みいるような、古木を滑らかに研いだような、男の声だった。二人が振り返ると、黒い袴の男が立っており、上品な鷲鼻の上に、皺を刻んでいた。黒い前髪は、くるりと丸まり、細長い顔で、その西洋的な目が、しかめっている。
「お前達、元服式に、出席しないとは、なかなかの度胸だ。そこに直れ!」
「うおー!」と二人は、春の日差し暖かい、校庭の中に飛び出した。
覚悟はしていたけれど、こんなに早く見つかるとは。男は、和弓を右手に持っており、その足下に、矢筒を落とした。鷹の羽を配した矢を、弦に掛けて、ゆっくり引くと、校庭でおどおどしている生徒二人に、すんなりと向けた。
「その根性、たたき直してやる。走れ!」と男。
さーっと血の気が引いた。二人は、互いに顔を見合った。走り出す。走り出す前に、足下が躓いた。二人同時に、である。
ズボンの裾を矢が貫いて、それが、土に刺さっている。二人とも、土に顔を埋めて、苦々しい顔で、う~と呻いた。
月が出ている。闇に切り込むような、三日月だった。
ロープの軋む音がする。弓道場の射場の上。学ラン姿の二人の生徒が、ロープに縛られ、梁の上から吊されている。
塀の外から覗く、桜が散る様は、かなり美しく、そして、儚く見える。
二人はロープに吊されたまま、ほとんど、この数時間、話していない。矢道はだだっ広くて、芝生が夜闇に沈み、人っ子一人いないこの空間を、更なる静寂に演出していた。
「…お前、名前は?」
夜の風が冷たくて、蒼太は、今し方、目を覚ましたのである。隣で、銀髪の少年が起きている事を確認すると、徐に聞いた。
「大東(だいとう)一羽(かずは)だ。お前、扱(しご)かれ慣れてない、顔してるな」
一羽は、やや皮肉と、親しさを込めて言った。
夜の桜、散った花弁が闇に溶ける時に、血のような艶めかしさを、残光のように輝かせて、地面に落ちてゆく。
暗闇の中で、遠くから聞こえる、法螺貝の音や、勇ましく響く群衆の声が反射して、そう見えるのかも知れない。夜なのに騒々しい様は、ひしひしと、この射場に吊された二人にも、感じ入る何かを与えた。
夜には、あまり聞きたくない声と、炯々と光る眼光が見えた。二人の足下を、月明かりに照らされて、三毛猫が歩いている。口には、どこぞの鮮魚店から盗んだと思しき、青魚を加えている。
「あ~、腹すいた」と蒼太。
「もし、このまま、戦とかになったら、俺たち、腹ぺこのまま、戦場へ行かないと、いけないのかなぁ」とも言う。
り~んと、夏に鈴虫の鳴く、その一間のような、曖昧な時のあと、
「お前、意外と、のんきだな…」と一羽が言った。
そんな一凪ぎの後、ぷつりと、悪餓鬼二人を吊していたロープが、切れた。
ふわっと、無重力気分の後、射場に体のぶつかる音が、静寂に大きく波紋を投げかけた。
蒼太と一羽は、床の上で蹲って、いた~と悶絶打っていたが、その縛られた腕首が、しゅっと耳障りのいい、ロープを切る音と共に、自由になると、嬉しい驚きを覚えた。が、蒼太は、詰め襟をぐいっと鷲掴みにされると、とっとっと、と、射場を引き摺られて、挙げ句、壁に背中を打ち付けられて、ひ~と喚いた。
「こんの、馬鹿息子が~!」
と、怒鳴り声。
しかし、磨き抜いた雪壁のように、滑らかで、涼々とした声だった。和服姿の、三四十代の女性が、蒼太を壁に押し当て、喚き散らしている。切れ長で、優しく包み込むような目は、蒼太そっくりで、顔は丸く、顎は尖り、絹のように肌は白い。
「わー!母ちゃん、ごめん!ごめん!だから、その小太刀、下げて、下げて!」
「ぬ~、元服式をさぼるなんて、なんて奴だ!この!この!」
軽い殺人現場の、実況みたいだ。女性は小太刀を、蒼太に突き刺そうし、それを、蒼太の右手が何とか止めている。
「お、お母さん。冷静に、冷静に!」
「ぬあ!は、な、せ~!」
そこに、校庭で、蒼太と一羽を、弓矢の腕で扱いた先生が、慌てて現れ、女性の腕を掴まえた。
「こ、こわい…」
床に倒れながら、一羽がぽつり、と呟いた。
翌日。
蒼太は、登校早々、嫌気が差した。
玄関の下駄箱置き場は、飛んでもなく広く、高さ二メートルほどのロッカーが、ずらりと並んでいた。蒼太は外履きを脱いで、簀の子に上がり、ロッカーを開いて、驚いた。
暫く言葉が出ない。
ロッカーの中には、軍服が吊され、甲冑の部位が、専用の器機にまとめられ、陣笠が円い輪郭を輝かせ、掛かっている。朝日が照らし、まどろみのベールが漂う中、これは夢だろう、と思いながら、蒼太は内履きと外履きを交換して、ロッカーをしめた。
「おい、浮城蒼太…。あの後、母ちゃんと、どうなったんだ?」
次々登校してくる生徒達の波の中、一つだけ違う、異質な空気に、蒼太は大して、驚かなかった。
相変わらず銀髪の、大東一羽が、白流の光注ぐ、窓際の廊下を歩きながら、蒼太に聞いてきた。蒼太は、やや項垂れながら、一羽を見ずに「思い出したくない、止めてくれ」と、げっそりしながら言った。
「よ!蒼太!」
影も形もなく、それは突然、蒼太の背中を打った。
「うおー!」と、蒼太は仰け反りながら、つんのめって、階段の手すりに掴まって、何とか倒れずに済んだ。一羽は腕組みして、目をしばたかせている。
「あははは―」と、子供みたいに笑っている。
白い関東襟のセーラー服を着た少女が、お腹を押さえながら、笑いこけている。栗色のボブカットが頬に揺れ、顔はくりっと丸く、白い歯で微笑みを作って、溌剌とおかしんでいる。
「あんたね、今、仮にも戦時中なんだよ。こんなので、驚いているなんて、ほーんとに、へっぴり腰なんだから」
背はちんこいのに、態度は堂々、軽々(けいけい)である。一羽は、少し戸惑いながら、お前誰だよ、と聞いた。
「あんたこそ、誰よ。私は、宇佐見泉美よ。蒼太のか・の・じょ」
ふふふ…と、また、くしゃっとした可愛い笑顔を見せるが、蒼太は、「勘違いすんな!」と叫び返した―「ただの、幼なじみだ」
「それより、刀無しは、あんた達だけよ。みんなを、見てみなさいよ」と泉美。
二人は、顔を見合わせて、呆然と、周辺を観察した。学ランにセーラー服の生徒達が、肩からベルトを薙いで、腰の辺りに長刀をぶら下げている。全員である。
「あ、そうだった。俺たち、元服式に出てないから、刀を貰ってない!」
蒼太は驚愕した。おう、そうだった。と、一羽も、軽く驚いた。泉美は、腰の日本刀を持ち上げて、かちゃかちゃと、見せびらかすと言った。
「今日は、一年生だけ、戦の特別講義があるのよ。早く、先生から、貰ってきなさい」
刀を持っているというだけで、随分、偉そうである。泉美は、含み笑いで、目を流し、すましながら、二人に背を向けた。二人は暫く無口になった後、また、顔を見合わせた。
「国を盗る、領土を拡大するという事は、つまり、城下町に攻め入り、城を落とし、城主の首をとる、と言う事である」
鋭い太鼓の号令を、人の声に変えると、このようになる。目は蝮(まむし)のようだが、ふっくらとしており、頭は丸く禿げているから、恐いんだか親しげなのか、分からない。黒いスーツを着ており、襟の両脇には、白い家紋が刻まれている。
薄暗く、カーテンは閉め切られ、春先の埃が、すいた体育館の床を、ほわほわと舞っていた。蒼太は、体育座りする人波の中、ぼーっとステージを眺めている。プロジェクターが、闇を切り取りながら、スクリーンに、光の放射線を伸ばしていた。
蒼太にはそれが、ギャンブルで、ディーラーが、チップを配る時に使う、ダイススティックのようにしか見えない。兵棋演習(へいぎえんしゆう)の地図と駒が、スクリーンに映されている。先生が、ステージの上で広げたテーブルで、棒を伸ばし、駒を押しやると、スクリーンの駒も動いた。
「また、他国が攻めてくるとあらば、応戦し、我が国を守らなくてはならない」
浪々、蛇が蝦蟇を睨み潰すように、話している。
「かーつ!」
と、空気を破裂させるような、怒声をあげた。プロテクターの幽霊みたいな光と、暗闇に眠っていた生徒達に、びくっと、痺れが走った。先生が、腰の刀を抜き、兵棋演習のテーブルに、一薙ぎ、入れたのである。
「戦場において重要な事は、軍規を守り、命令に従う事である。合戦場では、備(そなえ)と呼ばれる部隊に所属し、それぞれの役割を、果たさねばならない」と先生。
ずぼっと、何でもない事のように、刀を落とし切って、鞘に戻した。
「…旗組、長柄(ながえ)組、騎馬隊、太鼓・貝、弓組、小荷駄(こにだ)、それぞれに、重要な役割がある」
先生は、朗々とした声を止めない。生徒達は、目が冴えたようで、首を上げて、しっかり聞いている。
「しかし、元服したとはいえ、高校生は高校生だ。最初は皆、足軽から始まる。また、大きな合戦には駆り出されない」
先生は、鞘を持ち上げると、ここで、話に区切りをつけたいのか、掌に当て、金属のカチリといった音を吐かせた。
「高校生が駆り出されるのは、城下町に、敵国が侵入し、城を守るために、市街戦をしなければならない時である」
先生は、体育館に座る、新入生を、ずらりと一瞥した。
「市街戦では、足軽は、足軽組頭に従い、小回りの効いた機動力を求められる。分隊や班に分かれて、任務を遂行しなければならない」
蒼太は、それを、ぼーっと聞いている。
先生はここで、もう一度、どんっ、とステージから音を轟かせた。
手に握るのはのぼりである。中央に正方形の穴が空いた永楽銭の文様が、三つほど縦に並んでいる。それを、ステージに突いて、先生は胸を張って言った。
「我が、尾張の国は、北は美濃、西は三河、東は伊勢に囲まれている。また、美濃には斉藤家、三河には徳川家があり、我が国を、虎視眈々と、狙っている」
瞬きをするように、兵棋演習の映像が、日本地図へと、切り替わった。蒼太の隣には、一羽が座っている。一羽は頭を掻きながら、かったるい、の言葉を、態度で表していた。
「特に今、隣接する、沓掛(くつかけ)城が、今川軍の手によって、襲撃を受けている。戦時中である。いつ、出陣しても、おかしくない状況である。気を引き締めるように!」
生徒達の背に、びりびりする、興奮とは違う、奇妙な意気込みが走った。蒼太はそれを聞くと、膝に顎を埋め、溜息を吐き、映像から目を逸らした。一羽は、闇の中、溶けゆく黒水晶のような瞳で、蒼太をちらとだけ見た。
「我が仁赦(ひとし)城を有する、この城下も、もはや安全ではない。尾張第二高等学校、全員でもって、警戒に当たるよう!それでは、これより、甲冑を用いた、実践に移る!」先生は、怒号をもって、そう言い放った。
うぞうぞと、何やら、悪事でもはたらきそうな、黒塗りの集団があった。
四つ足で立つ、大きな倉の屋根がある。その下は、一段、土が多く盛られ、平らになだされ、結った紐が円を描いて、横たわっていた。土俵である。
人の肌に、甲羅を生やしたかの如く、至極、滑らかで自然な動きをした。
甲冑は、上手いこと鉄細工がなされ、籠手も胸板も、臑当てや肩当てまで、硬そうな割りに、自由自在に動いた。その下に着る軍服も、所々、布ではなく、頑丈な化学繊維や特殊カーボン製であり、甲冑と上手く馴染んだ。蒼太は、これを、制服の上から着て、屋外に施された土俵周りで、生徒達と一緒に集まっている。
「よし、集まったな?これからは、甲冑を着けて、自由に動く練習を行う。軽いといっても、総量、十キロはある。まずは、体に慣らしてゆく」
先ほどの先生が、もはや黒い甲冑を羽織れば、刺々しい蛇のように見え、それが、土俵の真ん中で声を上げている。
「足軽が覚えなければならない武芸は、槍に弓、刀、それに組討など、主に、この四つである。このいずれも、甲冑を着たまま行う体力が、必要とされる。そのため、今日は、相撲で、その体力を慣らす」―「それでは、陣笠をかぶれ!」
蒼太は、黒光りする、しかし、さほど重くない陣笠を、頭に乗せた。腰には長刀を挿しているのだから、もはや、一足軽兵にしか見えない。
春は盛りで、青は澄み渡り、風が菜の香りを運んでくる、静かな午前である。
蒼太は、この尾張第二高等学校がある場所を、時たま、気に入ることがあった。土俵の屋根から目を逸らし、校門を振り返り、更に、右を向けば、城が見える。
遠目ながらも、沓掛城の天守閣が、一際抜けて、顔を覗かせている。平城である。
「それでは、がたいの大きい者から、始める。自負のある者は、好きなように出てこい!」
何やら、楽しみのような、にわかな盛り上がりが、甲冑姿の生徒達を動かした。やはり、背の大きな男子生徒が、二人ほど、土俵に上がる。先生は、軍配を持って、やはり、楽しそうな笑みを浮かべ、生徒に「見合って」と声をかけている。
「あんな直ぐ隣の城下町で、戦が起こりそうなんて、信じられないな…」
すーっと、まるで空気のように、蒼太の呼吸の間合いに入って、隣に立つ一羽。
両手を柄の先にかけて、城を眺めている。蒼太は一羽を見て、もう一度、平和にしか見えない沓掛城に目を戻した。
「戦なんて、馬鹿みたいだよ…」と、瓜でも割るように、蒼太は軽妙に言ってみせた。
「きゃー!」
絹をも裂かん、女生徒の声である。これには、春眠に暁を放り出している少年達も、振り返ざるを得なかった。土俵の上である。相撲にて、組み合う二人の生徒、その間である。
先生は首をゆっくりと、下に向けた。軍用ブーツの片方に、矢が刺さっている。
世界が色褪せ、朱色の液だけが、煌々と見えた。ブーツの下から、血が流れている。
生徒は相撲を止め、先生は、すっと姿勢を上げた。
「…退けい」とだけ、呟いた。「退くのだ!」今度は、怒号である。
ひゅんひゅんと、空を鳴らして、針のようなものが見えた。それは、山なりに線を描き、飛びかかる全てのものに、深々と、一点で刺さってゆく。ぽたぽたと、小雨が、足下を頼りなく濡らすように、蒼太や一羽の近くにも、それは突き刺さった。矢である。
青に、一滴の墨を投じて、それが逆さにのぼるように、一本の矢が、蒼太の視界を縦断してゆく。そして、みるみる、平面ではなく、具現化してゆく。
「おい!逃げろ、蒼太!」と一羽。
蒼太の足は動かない。これは、心底から込み上げる、怯えのせいだった。
「この、馬鹿!」と少女の声。
キン―、一滴の火花と、拉げる矢の亡骸が、砂利の近くに、身を落とした。泉美が刀を抜いて、矢を弾いたのだ。
黒い波が、公舎の周りを、覆い尽くすようだった。甲冑姿の生徒達が、次々、窓や戸を割って、公舎に雪崩れ込む。一羽や蒼太は、矢の刺さって動けない先生を担ぐと、はらはらしながら、窓から公舎に、先生を放り込んだ。
「全生徒、集合!出陣準備!いいか、お前。職員室に行って、教頭先生に、次第を伝えろ。全生徒、ただ今より、出陣準備!」
血のたぎる形相で、先生は、蒼太の肩を掴むと、うんうん揺らして、怒鳴り散らした。先生は、足から血を流して尚、飛び跳ねそうに、のたうっている。蒼太の顔は蒼白で、口もなく、微少に頷いた。
騒々しくなった。針で耳を刺すように、けたたましい。
全校生徒に、出陣命令が下された。スピーカーから、その旨が叫ばれ、緊急ランプが、廊下の壁を赤く染め上げた。
少年は闇雲だった。濁流のように、人波に乗ると、蒼太は、コンクリートの壁にぶち当たった。感情のない剥き出しの壁、そこから下は薄暗く、地下室へ繋がっていた。
ひんやりとした闇の中、ヘッドライトが、目のように開いて、閃光を放った。地下室には、何台か、軍用トラックが置いてある。甲冑に着替えた先生達が、エンジンを掛け、生徒達を誘導し始める。
砂埃が、機械的な断面に吸い込まれ、鉄板に、乾いた土が流れ込む。校庭の地面が、正方形に切り取られると、そこからスロープが覗いた。地下から、トラックが這い出し、タイヤをバウンドさせて、颯爽と校門までハンドルを切ってゆく。
自分が何処へ行くかなんて知らない。荷物みたいに、トラックの荷台に載っている。蒼太は、腰の刀を手に取り、それを股の間に挿して、柄を呆然と眺めていた。隣には一羽がいる。正面には、泉美がいる。トラックが止まった。
蒼太は目玉を落としそうになる。心臓が張り裂けても、奇妙ではない。左に、トラックの壁を突き破って、鏃(やじり)が貫通している。後数センチ、右ならば、蒼太の脳を食らっていたはずだ。それから、物々しい音がした。取っ組み合いの音である。光が漏れて、荷台の扉が上がると、そこには、血を被った、甲冑姿の先生が立っていた。
赤い滴が、刃の峯(みね)を、狂々と走っている。平凡な車道の上に、甲冑の男が腹ばいになっており、血の波を広げている。先生は、荒々しい息を吐いて、「全員、下りろ!」と言った。
生徒は、針で口を縫ったように、静かである。「全員だ!」の後押しで、三十人ぐらいの生徒が、甲冑の体を持ち上げ、外に出た。交番の前である。画一的な白い壁と、煉瓦塀の交番で、提灯の形をした「御用」文字のランプが、門構えの左右についている。
緊迫した空気の中、先生の吐息が、一度一度(ひとたびひとたび)、辺りを凍らすようだった。交番からは、颯爽と、甲冑の男が出てきて、先生が「よろしくお願いします!」と、敬礼した。その男は、陣笠だけ、他とは違い、金属質な青色だった。笠に配された家紋も、銀色である。
蒼太は、ゴクリと鍔を飲んだ。
「私が、このトラックの小隊指揮を執る、足軽小頭だ。今から、沓掛城の応援に向かう!心してかかれ!」男はそう言った。
町の中が騒々しい。それは見えない。トラックの荷台に、窓は開いていない。交番で、足軽小頭が乗り込み、先生が荷台に座って、数分が経った。扉が開くのは、意外と早かった。下りてみると、そこには町があり、大通りの向こうには、大きな城が見えた。沓掛城である。
町は、人をそのまま吸い取ったように、人気なく、閑散としている。足軽小頭は、生徒達を呼び集めると、商店街の入り口前で整列させた。手前のコロッケ屋は、油を煮立たせたまま、人だけが消え失せている。
「今から、城下町の住民が逃げ遅れていないか、探索をする。ここは、沓掛城の戦線から離れているため、敵も少ないだろうが、用心して、取り組むように」
と、足軽小頭が言った。
みな、何事かと、安堵した。戦わされるかと思いきや、逃げ遅れた住民の、探索である。
足軽小頭は、列を何等分かに区切って、班を作らせた。次に、班の中から志願者を募り、小型のトランシーバーを渡した。
だが、蒼太は、気が動転する様子を隠せない。思わず、隣の泉美に、抱きついた。「この馬鹿!」と、びんたを食らうが、「見ろよ!あれ」と、とにかく騒ぎ立てる。ゴーストタウン化した商店街には、陽気な音楽が、うら寂しく響いているのだが、白いタイルの上に、何人か、人が倒れている。みな斬りつけられたり、矢を食らったりしている。
「住民を発見し次第、援護し、このトラックまで誘導すること。まず、この商店街から、一時間探す。班は決して乱すな。敵があれば、トランシーバーで知らせること。こちらの指示で、援軍をよこす」
生徒の目は、どれも真剣である。探索といえど、いつ、敵が来るとも限らないからだ。蒼太と一羽は同じ班だった。泉美が強引に、そうさせたのである。しかも、足軽小頭から、トランシーバーを貰い、しっかり、班長になっている。班は、この三人切りである。
「それでは、商店街に入る…」
刹那のことだった。
歩道に、血の飛沫が飛んだ。一瞬、全ての音が消えた。目の前で、号令をかけかけた足軽小頭が、突然だまり、そして、倒れたのである。生徒全員がざわざわ退くと、男の首後ろには、矢が刺さっていた。
衝撃的である。足軽小頭が、倒れた直ぐ後、大通りのビルの屋上という屋上から、大量の人影が覗いた。
皆、弓を持っている。弓組の足軽だ。それが、ぐぐぐと弦を退いて、構え始める。
「みんな、乗れ!トラックに乗り込め!」
先ほどから引率している、先生である。荷台から弓と矢筒を取り出し、電光石火で弦を引くと、次々放ってゆく。生徒は入り乱れて、荷台に乗り込んだ。
なんとも健気である。背後の生徒を庇いながら、先生は、弦を引き続ける。屋上から、何人か、肩や膝を打ち抜かれて、落ちる者もいる。だが、あまりの大人数だ。矢の雨が降り注ぐ。先生も、間一髪で、トラックの中に乗り込んだ。
だだだだだだ―。トラックは、ヤマアラシのようになる。先生は、尻込みつく生徒達を掻き分け、運転席に繋がる小窓を破壊し、中に滑り込んだ。そのまま、バックである。矢は、次々降りかかる。生徒は、壁から身を離した。扉は地面についており、火花を飛ばしながら、それが車道を擦ってゆく。
蒼太は、先生は何をしたいんだろう?と思った。軈て、その答えのようなものが見えた。
歩道には、蹲る人影がある。矢を肩に受けていた。アスファルトを擦る扉が、ブルドーザーのように、その人影を掬い上げると、トラックは止まった。先生が、間髪入れず飛び出して、その人を引き摺り込み、刀を抜いた。
「おい、お前!殺されたくなければ、安全な道を教えろ!沓掛城までは、どう行くのだ!」
先生は冷静である。と、いうより、殺す気はないだろう。戦場では、これが正しい、ものの聞き方なのだ。切っ先を、甲冑の男の、のど仏に傾け、怯えきって尻込みつく、その若者に聞いた。蒼太達と、年端の変わらない、学生である。唾も飲めないほど、怯えている。
「こ、この大通りは、完全に、ふ、封鎖されて、います!」
「どこだ!どこへ行けば、安全なルートだ!」
「は、はは、反対側です!商店街を抜けた、通りの、はずです」
「お前は、こいつを見張っていろ!」―「はい!」一羽は、乗り出して、掴まえた兵士の腕を背中へ回し、床に頬を押し当てた。
先生は、物怖じしない。トラックの壁からは、鏃が次々生えて行くのだが、先生は、そそくさと運転席に帰り、エンジンを起こした。トラックは、歩道を乗り上げ、串カツ屋の電光看板を粉砕し、五百メートルはある商店街を、踏み荒らしながら、通り抜けた。
生徒は生きた心地である。矢が、壁を貫く音が、もうしない。扉が、ギギギ―と、荒々しい車道を擦って、火花を飛ばすようになると、今度は、そこから、平和な通りの景色が覗いた。一羽が抑えている男が言ったとおり、反対側の通りは、安全であった。
そこからが、混戦だった。賑やかになったのはいい。しかも、全て、味方の声である。
蒼太達が、ぞろぞろと、トラックの外に出てみると、同じような軍用トラックが、大量に停車しているのだ。だが、解せない、目を落としたくなる光景が広がっていた。ビルである。
怪獣が通り抜けたかのように、反対側のビルが倒れ、その向かいのビルが、少し後ろで倒れ、コンクリートの山が、重なり合っている。道が塞がれているのである。その巨大な残骸の向こうには、沓掛城の天守閣が、かなり大きく覗いている。
「くっそ。敵が、爆破したんだ。応援を、入れさせない気だ」
乾いた風が、砂埃を乗せて、辺りの慌てふためく熱気を、更に煽っていた。先生は、運転席から降りると、生徒達の波に入って、そう愚痴った。
「よし、敵兵を、ここに連れてこい!何か、情報を知っているかも知れない」
蒼太は、先生の目と、まともに合った。それから、トラックの荷台に、蒼太が駆け寄る。
穴だらけのトラックは、もはや、墓場のようだった。その中で、未だ、一羽が、敵兵にロックを掛けているのだが、蒼太が来た途端、敵兵は、一羽の腕を振り払い、荒々しい声と共に、立ち上がった。
日本刀を抜き、肩に矢が刺さったまま、蒼太に突進してくる。
なすがままである。この若者、組討が得意らしく、多勢が見えなくなった途端、豹変し、一羽を払いのけ、屋外の蒼太の肩を掴んで、刀を喉元に押し当てたのである。
その場は、すぐに、凍りついた。生徒達が、がやがやと押し寄せ、人質に取られた蒼太を、凝視している。
「下がれ!下がれ!こいつが、死ぬぞ!」と敵兵。
「うお!」蒼太は、情けなく叫んだ。
しかし、敵兵の口から、直ぐに血が滴った。目玉を押し上げ、刀を籠手から落とすと、そのまま、前に倒れて、絶命した。蒼太は振り返った。泉美が、敵兵の背中に、日本刀を突き刺している。その目は、冷静だが、居たたまれない狂気に満ちていた。
「泉美。お前…」
蒼太は、目を広げて、絶望的な、しかし、感謝の念を覚えた。親友に、助けてもらったとはいえ、そのために、人を殺させた。何と言っていいのか。こんな、あどけのない少女に、俺は、人を殺させた…。荷台から一羽が踊り出すと、泉美の後ろに立った。泉美は刃を持ったまま、硬直し、息を切らしている。
「お前…」一羽は、声を落として言った。
「よし、全員、集合!これから、徒歩で、沓掛城に向かう。俺から離れるな。途中、敵の罠があるかも知れない!絶対に、歩を乱すな!」
先生は、まるで、何事もなかったように、号令をかけた。泉美は、最初は弱々しかったものの、刃を薙いで、血を飛ばし、落ち着いた声で、呆然とする蒼太に、「行くよ」と、常の声色で言った。
トラックの横で、全員が、整列をしている時だった。
しゅっ、と音を立て、ジリジリと、焦がすような虫音が響いた。ぞっとする瞬間である。
「逃げろ!」先生の声だ。
トラックのドアに、矢が刺さっている。鏃は、三日月のようで、その後ろに、壺状の物が付いている。そこから火縄が伸びており、火がついており、徐々に短くなって行く。
水鳥の集まる池に、岩を落としたようだった。生徒達は、散り散りばらばらに逃げまどい、蒼太達も例外なく、トラックから逃げ出した。しかし、先生だけは違う。その矢は、鏑矢という物だが、それを引き抜くと、一人だけ、生徒達とは別の方向へ、駆けだした。
何をするかは分かった。歩道の隅につくと、先生は腕を振り上げ、鏑矢を放ろうとしている。火縄の長さには、いくらかの遊びがある。しかし、それまでだった。先生の首後ろに、矢が突き刺さっている。先生はそのまま倒れた。暫くして、手の中で握る鏑矢が、爆発した。隣のビルを、半分消し飛ばすほどの、爆発である。その爆風で、辺りのトラックが、玉突きを起こし、トラックの荷台と荷台を、がらがらとぶつけ合った。
蒼太は、しゃがみ込んで、俯せになり、トラックの下に逃れた。タイヤが目の前を通り過ぎ、荷台と荷台が、激しい音を立ててぶつかり合う。
これが、戦(いくさ)か…。
蒼太は、トラックの下から、アスファルトの地面に顎をつけ、歯を食いしばった。
タイヤの直ぐ脇に、再び、矢の雨が降り注ぐ。
* * *
もはや扉は外れ、四角い空が、町並みが、そこから絵のように切り取られて見えている。
蒼太の目は死んでいた。穴だらけのトラックの壁から、光が絹のように流れ込み、甲冑姿の生徒達がぐったりする、荷台の中に、オレンジ色の日溜まりを落としていた。
何もかも、陽光に包み込む、晴れた夕時である。
エンジン音は、すこぶる悪かった。蒼太は、刀を肩に掛け、背を壁に預けている。一羽は、入り口近くで、足を投げ出し、夕暮れの町並みや車道を、眺めている。泉美は、蒼太の肩に頭を乗せて、眠りこけていた。
無言が、全ての騒音を切り裂いて、何もかも殺してしまったかのように、穏やかに、さめざめと聞こえた。帰りである。今は、仁赦(ひとし)の城下町の中だった。
随分、昔のことのような、そんな風景が見えた。尾張第二高等学校の校門を抜けて、校庭に入り、地下に潜った。
地下は、夕暮れ時とあって、どことなく、物寂しい。階段を上り、廊下を歩き、ロッカーに向かう。甲冑を外す。確か、数時間しか、戦場にいなかったはずなのに、かなり、傷がついている。肌に通す学ランの上着が、羽のように、軽く感じた。
安堵以外、なにものもない。戦が終わったのである。下校である。通学鞄を持ち、長刀を腰に垂らし、蒼太達は、混み合うはずの保健室へ向かった。
その時、職員室から、ラジオか、テレビか、どちらかの声が聞こえてきた。
「―沓掛城は、今川軍の侵攻により、落ちた模様です。ただ今、休戦状態にあり、戦線は、沓掛城下町と仁赦城下町の間に、敷かれています。戦況は、一方的な織田軍の敗退に終わり、戦死者は…」
蒼太は立ち止まり、物憂げに、それを聞いていた。
忍びの逆卍 第一章
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