番外短編2.凍えた街

 読み終えた小説をそっと閉じた。
 カーテンから見える外の景色が明るいのに気づき、僕は時計を見る。午前8時。

 「もうこんな時間か」
 早いがそろそろ出かける準備をしよう。そう思いつつカーテンをゆっくりと開け放つ。

 見慣れない景色が目に飛び込んできた。それは、その景色は、そこに広がる風景は、とても綺麗な白だった。
 僕の目に、美しく荘厳な白の世界が飛び込んできた。
 灰色と時折緑色だった街は、それはそれは美しい白に満たされていた。一面、どこを見ても白の世界だ。

 その白の世界を見つめていると、否が応でも過去が思い出される。
 昔の僕はこの景色を近くでみようと、上着を着るのも忘れ玄関にあったサンダルを軽くはくと同時に扉を開け、刺すような冷気とすれ違う形で、外の世界へ勢いよく飛び出していた。
 白い雪景色への風景を心に染み渡らせて、いつもとは違う世界、いつもとは違う公園、いつもとは違う街、それらに何かを見出して、感動を覚えていたことを思い出した。

 感動、久しく抱いていない感情だった。僕は昔ほど、感受性豊かではなくなっていたのだ。
 いつだったか、いつからだったか。僕から感動や感銘を失われたのは。
 いつだったか、いつからだったか。僕が感動せず感銘も受けなくなったのは。
 いつなのか。いつからなのか。そんなものもとうの昔に忘れてしまった。
 僕は変わってしまったのか。そう、僕はもう寂しい大人になってしまったのだ。そう僕は感傷に浸っていた。さらに思考を深く深く。
 
 ――しかし、いつのまにやら僕はそれを放棄。

 ふと気が付くと僕は白い世界にいた。
 いつかと同じようにろくに上着も着ずに、いつかと同じようにサンダルをはいていた。

 小さい頃によく遊んだ小さな公園は、今も止めどなく降り注ぐ雪によって白く白く染められている。あの時と同じで、やはりそれはいつもより特別に見えた。
 服や髪に容赦なく降り積もる雪。そして、それにより凍てつくような鋭い冷気。
 すごい。僕はシンプルにそう思った。
 
 そして僕は自然に、ポケットからスマートフォンを取り出す。
 
 携帯の性能はあの頃より数段上がった。
 携帯の画質もあの頃より数段上がった。 
 僕も成人を迎え、大人になった。
 だが、それは、大人になったのは年齢だけで、根っこの自分は何も変わってなどいなかった。
 
 「そうか、なんだ、ただ変わったように見えただけじゃないか」

 そして僕は、景色を見る。
 カメラアプリを起動して、夢中で画面を押す。
 何回も何回もシャッター音が鳴り響き、何枚も何枚も写真が保存される。
 画面は絶えず白い世界を映し出している。ずっとずっと写している。
 それでも僕は公園を歩きまわり、何枚も何枚も撮り続ける。

 何分たっただろうか。
 気がついた頃には公園の反対側にいた。
 僕の家がある方角を見つめる。
 黒い屋根が白く染まった茶色の家が見えた。
 ああ、あの頃はここまでは見てなかったな。
 
 大人でも、夢中になれる。感動できる。
 大人になったからと言ってすべて失われるわけじゃない。
 むしろ、大人になり、考えることで視点も増える。
 すると、数年前は見えなかったものが見えるようになる。
 それは、自分のことだったり、いつもとは違う景色の家だったり。
 
 僕は何にとらわれていたのだろう、僕は何を悩んでいたのだろう。
 悩みなんて、この白い世界の下とは関係がなかったというのに。
 
 僕は思考を巡らせる。が、その思考は物理的に邪魔された。

 なにやら足がとてつもなく冷たい。冷たすぎて痛い。
 どうやらサンダルの中に雪が入ったようだ。
 僕は少し笑う。微笑む。
 「何も変わってなかったな」
 誰に言うでもなくそう言うと、スマートフォンをポケットにしまう。
 
 そして走る。帰るために。
 
 身体が風を切る代償に冷気が身体を裂く。寒い。
 足が地面を蹴る代償に雪が足に侵食していく。冷たい。
 
 それでも走る。帰るために。

 自宅は目の前だ。もう少し、あと50メートルほど。


 ――唐突に世界が逆転した。
 
 視界に入っていたはずの僕の家がない。その代わりに空があった。
 曇っているが、重々しくはない。白いわたがしのような雲ではないが、どこか柔らかく白い白い不思議な空だ。
 空からはたくさんの雪が舞い降りてくる。
 どうやら僕は転んだようだ。転ぶのも久しぶりだ。
 いい年した大人になって走って転んで。なかなか愉快な気分だ。
 そして、楽しい。子供の頃に戻ったような楽しさと清々しさだ。
 楽しい。すごく楽しい。
 
 僕は四肢をばたつかせ、その場でうごめく。
 雪はいいものだ。感動するし、感銘を受ける。
 冬はいいものだ。綺麗だし、美麗だ。

 だが、少し寒い。

 寒さに耐えかね、僕は起き上がり、立ち上がる。
 手のひらにくっついたたくさんの雪は僕の体温で溶けて水になってゆき、僕の手に冷たさだけを残す。
 上を見上げる。雪は降り止むことを知らないようだ。
 前を見据える。僕は転ばないように歩き出した。
 
 
 自宅まであと10メートルほどだろうか。いつかの僕は今いるここから風景を見ていたな。
 そういうことを考えながら、僕は自分の手のひらを見つめる。
 さっき転んだときに雪で濡れて少し光っている。
 そんな手のひらには絶えず降り注ぐ雪が重なってゆき、少し白を残してすぐ溶ける。
 そのまま僕は振り返る。いつか見たあの風景を視界に収める。


 そして


 目の前に広がる"大きく美しい白"と、手のひらにある"小さく冷たい白"を眺めつつ僕は思う。

 「やはり凍えてみるのは悪くない」

番外短編2.凍えた街

番外短編2.凍えた街

短編作品"凍える街"から5年から6年後の世界

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-02-14

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