Grimhilde
白雪姫の女王グリムヒルデの物語。
若きグリムヒルデ
17のグリムヒルデは美しい王女であった。
窓辺では長い長い黒髪を金の櫛でラララ口ずさみながら梳かし、紅の唇は魅惑だった。
その背後には金枠の姿鏡が置かれ、彼女の美貌を映している。
石で出来た室内には父王から先日、誕生の祝いにいただいた孔雀が歩いていた。
誰もが王女グリムヒルデを愛で、そして称えた。
グリムヒルデは流し目をくれると微笑み、伏せ目で再び視線を戻す。窓のそとは今の時期は緑がこまやかにゆれ、そして白馬の馬車がやってきた。蹄の音が止む。
グリムヒルデを愛する隣の国の王子が降り立つと、窓を見上げた。彼女を認めると微笑み、太陽の光りが彼のこげ茶の瞳にさす。
彼女は微笑しては身を返し、姿鏡に向かった。その姿が天井の鉄のシャンデリアに彩られ、薔薇の薫りがたつ。
「鏡よ鏡……。ねえ。鏡。世界で一番美しいのはだあれ」
姿鏡はゆらめきを持ってゆれ、そして次第にグリムヒルデの背後に背の高い男を映し出した。
「我が王女よ……グリムヒルデよ」
その細く蒼白い手は彼女の腰元に優しく添えられ、耳元に静かにささやかれた。風の声で。
「それは貴女に他ならない」
グリムヒルデは強く肩越しに微笑み、鎧戸がたたかれたことで扉を見た。
ふぁっと男は立ち消え、彼女は魔法の姿鏡の前にビロードの垂れ幕をたらした。
「グリムヒルデ」
扉が開けられ、若き王子が姿を現した。
「ああ。麗しくも美しい……」
王子は彼女の足元に膝をつき、そしてその手をとって優しげなキスを柔らかく添えた。
彼女は微笑み、その背を見つめる。
ドレスの裾を翻し少女の背を蹴散らし、彼女は一度天を仰ぎまわして微笑んだ。
グリムヒルデは冷たい目で王子の妹姫、ラエラを見下ろした。
その背は血に濡れ、だんだんと広がっていく。
真っ青になった王子は城内の柱裏、愛するグリムヒルデを見て、倒れた姫を見た。
「ラエラ!」
グリムヒルデは引っ張られた髪を手の甲で翻り意地悪に眉を吊り上げ目を伏せさせて無礼者の兄を見た。
王子はラエラ姫に駆け寄り既に息が無いことを知った。
「何故……何故、グリムヒルデ」
夜の庭は白い石と柱の回廊に囲まれて薔薇が咲き、甘く薫る。
まさか16年しか生きられなかった哀れな妹姫に、涙を流して立ち上がった。
薔薇が彩る美しいままのグリムヒルデは蛇の様に冷たい口元をして、王子を見据えた。薔薇苑の地面には生え変わりの孔雀の羽根が落ちている。
「ラエラはとてもよい事をしてあたくしを悦ばせてよ」
それでも低い声で言った。
「夢中になりすぎて、髪を掴んで来たから刺してしまったけれど」
グリムヒルデは歩いていき、薔薇の園に剣を刺して歌いながら歩いていった。
王子は彼女との別れをその瞬間描いた。信じられずに首を左右に振り、目をきつく閉じた。
薔薇の薫る城で東屋、グリムヒルデの奏でる竪琴が響く。
それは王子の魂を慰めることもせずに、姫君の姿を責められるが如く聴こえた。
王との出逢い
宴では各地の王子や首領の息子等が来ていた。
誰もが美しい王女に心奪われた。
そのなかでもグリムヒルデは一人の男を見つけていた。それはまるで媚薬を一滴垂らされたが如く。
男は視線を上げずに窓際におり、月光に照らされている。端正な横顔は気強いものを感じるものを、何をあんなに宴の場所で落ち込んでいるのか。
「もし……」
グリムヒルデは男に話しかけ、王は顔を上げた。
「これは、王女グリムヒルデ」
控えめに他国の王は微笑み立ち上がると彼女の手をとりこうべを垂れてキスをした。
大人の雰囲気に彼女は彼を見つめる。絡まる視線は王がそらし、そして目が閉ざされた。
「前王妃を亡くされて」
「あまりの悲しみに未だ国葬を挙げられず、現実を見ることは出来ないのだ」
その国の国民にも伝えられないのだろう。父王からでさえこの話を聞いたことはなかった。
「こちらにいらして」
雪の降る国の王を連れ、グリムヒルデは自室へと招いた。
本当は姿鏡に住む美の魔王が嫉妬をするから、男という男、殿方という殿方の前ではビロードの垂れ幕は引かないのだが。
「この鏡の前へ」
彼は言われるがままに進み出て、姿鏡で自身を見た。悲しみにくれて佇む男がそこにはいて、彼は顔を覆い片膝を突いて泣き崩れた。
「今のあなたには、誰かが必要ね。問うてみるといい。あなたの奥方がどうなったのかを。真実しか話さない声に耳を傾けて、そのあと、あたくしがあなたの傍にいてあげる……」
顔を上げ横に膝を着くグリムヒルデを見た彼は何かの影に驚き姿鏡を見上げた。そこには自分等の背後に、黒紫のローヴを纏った男が立っていた。
「鏡よ鏡。彼の奥方は死の世界へ旅立って?」
悪魔の鏡は頷き、硬い口元を開いた。
「王妃ツネライケは上弦の月の夜、善の排出と共に魂の流動は天の国へと穏やかに向かわれた」
確かに王妃はそんな美しい夜に帰らぬ人となった。
王は彼女を見つめ、すうっと消えていった鏡の男さえも見えなくなっていた。
白雪の国
純白の雪の国へ来た美しいグリムヒルデは王妃として出迎えられることとなった。
その美しさは瞬く間に国に広がり、彼女が城の窓から姿を浮かばせる毎に、庭を歩く姿を見かけるごとに誰もが目を見張った。
彼女は馬に乗り森を散策してはよく男達が泉の横で愛をさえずったり、木々の上から愛を歌ったりした。王妃グリムヒルデはそれを受け微笑んだ。
毎夜王は妃を愛し増えていく孔雀の羽根に永遠の愛を近いグリムヒルデに装飾を贈った。
姿鏡に映る二人をいつでも静かに鏡の悪魔は闇から見つめていた。そして毎朝、毎夜、自分のものであると信じてきたグリムヒルデが自己に一番の美しい笑顔を見せて問いかけてくるのだ。
「世界で最も美しいのは誰」
姿鏡はいつでも悦として歩いていくグリムヒルデの背と、そして王の姿を見据えた。
寝台の幕が下ろされる。
純白のビロードに金糸刺繍と孔雀の羽根で裁縫をしていたグリムヒルデは、ふと窓際で視線を上げた。
音もなく羽根のような雪が降り始める……。
「あっ」
彼女は咄嗟に針を落とし、血が流れる白い指を見た。
「………」
王のために縫っているローヴは、どこか雪よりちがう白に見えた。どこかしら何かを感じたものだ。引き換え、雪を見つめる。
風が吹き、血が吹かれて雪にてんてんと花を咲かせ、空を見上げた。
何かの予兆だった。
「もしも子供が生まれたら、白雪と名づけよう……」
白い林の奥から白鳥達が飛び立っていく。
白雪姫
白雪姫は6才の年齢であり、いつでも愛らしく微笑んだ。母であるグリムヒルデ王妃は25の年齢になっていた。
グリムヒルデは長くなった姫の黒髪を丁寧に艶が出るように梳かしてあげている姿が金枠の鏡に映っている。
乳母がこのところは姫の愛らしさは目を奪うと言って来る。
髪を梳かすさなか、グリムヒルデはどこか冷たい目で幼い姫を見た。雪肌に、薔薇色の頬で微笑んでいた。
「ありがとう。母上」
「ええ」
彼女は微笑み、すっと立ち上がり歩いていった。
廊下を進み、自室に来ると彼女は姿鏡を出し、自身の姿を隅々まで見つめる。
焦げ茶の毛皮と黒皮のドレスを放って裸体になり、真っ白い身体を見つめ見回した。そして黒髪を垂らし姿を見る。
「美しいまま……」
顔立ちも、裸体も、髪も、声も。
「鏡を鏡……」
彼女は金枠にそっと手を当て、鏡の悪魔を呼び出した。
「王妃グリムヒルデ」
彼女は強く微笑み。鏡に触れた。それは悪魔の胸部に触れ、グリムヒルデを見た。
「この世で最も美しいのはだあれ」
悪魔の瞳がつやめかしく静かに光り、彼女を見つめながらも言った。それは陶酔……。
「グリムヒルデ。貴女の極上の美は美しいままに」
彼女は微笑み、突然の音に振り返った。
「母君!」
ふぁっとすぐに悪魔は鏡に消え空間と彼女を映し、大きな扉が開けられ白雪姫がやってくると鏡にいる美しい裸体の母に抱きついた。
「どうしたの」
白雪姫はきらきらと光る黒い目を上げた。そこには確固とした光りの若さがあった。
グリムヒルデがそれが気に食わず、颯爽と進み白雪姫をその場に残すと香水壜を手にして微笑み自身にふわっと吹きかけた。
薔薇とジャスミンの調香が彼女をヴェールの様に包み、白雪姫は美しい母をうれしげに心躍らせ見ていた。
「母君。白雪も母君のお馬で森へ行きたい。泉の白鳥を窓から見たのです」
「それはそれは。白鳥がこの国へやってきたのね。この時季も」
白雪姫はにっこりと無垢に微笑んだ。
魔法の鏡
グリムヒルデは魔物の鏡を見た。
ぎりぎりと歯をかみ締め、美に雁字搦めに狂うグリムヒルデをまるで望むかの様に繰り返される言葉。
「白雪姫がこの国で一番お美しくございます」
彼女は背を向けその場を歩き回り始めた。
「お前」
顔を向けると、慈悲深い国王が颯爽と歩いてきてなにやら恐い顔をする王妃の顔を覗き見た。
「どうしたんだい。美しいグリムヒルデ。今日は白雪姫の誕生日じゃないか。さあ、行こう」
このところは彼の言う「美しい」さえ煩わしく思えてきた。鏡は真実を言う。
今日は髪を背中に長く流し王冠を被るグリムヒルデを引き寄せると庭に出て見渡した。春から初夏の陽気に生まれた白雪姫は一重咲きの薔薇がよく似合う。王はその薔薇を笑顔で鋏で切り束にしている。
彼女の心は凍てついていた。彼女が痛いほどに輝く冷たい星の元に生まれた時季のように。
王の背は鼻歌を品良くうたいながら薔薇を貯めていて、振り返った。
そして歩いてくると、その薔薇の花束をグリムヒルデの前に差し出した。
「あんなに気立ての優しく心根のある子を産んでくれてありがとう。貴女は私の自慢の妻だ」
「………」
グリムヒルデは花束と王の顔を見て、王が彼女の肩を引き寄せた。
王妃の間の開かれた巨大な観音扉。その先に、あの巨大な姿鏡がある。魔性の鏡はグリムヒルデの美しい背を見ていた。嗅覚など無いが、二人のいる庭は薔薇が薫るのだろう……。
彼女は今はあの鏡のなかの悪魔のことは忘れていた。その言葉も。
つづく
Grimhilde