勢いです、若さの過ちです。

「できれば僕は蟹になりたい…」

 深夜二時に呼び出されて、人気のない公園で彼は突然そんなことを言った。

「笑ってくれてもかまわないんだ、でも誰かに聞いてほしくて…ごめん」

 彼は思い詰めたような顔で真剣に語る…よく言えば彼はそこまで僕のことを信頼してくれてはいるんだけど、できればチラシの裏か何かでも書いてほしい。とは言え僕は彼の信頼に応えなくてはならない、それ故に彼が蟹になりたい理由を問いただす必要があった。

「えっと、なぜ蟹になりたいの?」

 そう僕が訪ねると彼はしばらく深くうつむいてからゆっくりと経緯を語り出した。

「…あれはとても天気が良い日だった、僕は君も知っているとは思うけど、散歩がてら道ばたの花を撮影するのが趣味なんだ」

 15年のつきあいでようやく彼の趣味が聞けたのが驚きだった。

「そんな道端の花を撮影していると、道行くお嬢さんが蟹が好きだと言ったんだ」

「それが理由?」

 思わず僕は聞き返していた。しかし僕の問いに彼は首を振った。

「まさか、見ず知らずのお嬢さんが何気なく口にした『蟹が好き』で、僕は蟹には成りたいとは思わないよ」

 すこし考えれば当然だとわかる、そんな雰囲気を含む口調で彼は僕に言った後、

「見ず知らずならね」

 と付け加えた。

「つまり知っている人なんだ」

 彼は少し気恥ずかしそうに言い続けた。

「お嬢さんはね、近くの豪邸に住む高校2年生で、朝6時に起きてから身繕いをして、綺麗になった体を制服で覆い私立花園女学園へ登校して、それはもう毎日楽しそうに過ごし、部活のラクロスでいい汗をかいて、夜7時にリムジンで帰宅して、部活でシャワーを浴びたにもかかわらずお風呂に入り…」

 妙な時間入り解説に何か背筋が寒くなった僕はたまらず彼に厳しい口調で詰問した。

「ちょっ…何でそんなに詳しいんだ?」

「え…それは僕が彼女を好きだから…」

 背筋を走る悪寒はおそらく正解なのだろう、間違いなく彼は犯罪を犯している。僕は言いようのない恐怖を感じた。彼は先ほど制止されたところから彼女の生活行動を語り続けて、おまけに彼女の個人情報を余すことなく語ったが、僕の耳はしばらく聞こえなくなっていた。

「え?」

「だから、彼女が蟹が好きだと言ったから僕は蟹に成りたいんだ」

 僕はトラックで轢かれたことを忘れて瀕死の状態にもかかわらず彼の話を聞いているのだろうか、それとも何か角が鋭利な鈍器で頭を妙な角度でぶつけてしまったのだろうか、彼の言っている結論の内容が理解できず、思わず何度も聞き返していた。

「だから彼女が生理上非常に蟹が好みであることを、往来の道で公言したのを僕が聞き、それを受けて彼女に非常に好意を抱いている僕は彼女の為に蟹に成ることを切望しているんだ!」

 論理的に妙なものへの変態を大声で切望するな変態。内心冷たいものが心に生まれたのを記述しておきたい。とはいえこんな彼でも非常に数少ない友人ではあるのだ。

「で、遺伝子工学を専攻している僕にお願いする訳だ」

「そうだ」

 少なくとも遺伝子の複合は第一世代は行われない。第二、第三世代…つまり子孫へ遺伝子の持つ特性を引き継ぐのが本来だ。第一世代を変化させる遺伝子変性などあってはならない。体内の細胞は遺伝子を元に構成されている。仮に今ある遺伝子を取り替えても、まず体内の免疫反応で押さえられる。つまり変性させた遺伝子情報を持つ細胞が異物として体内から排除されるのだ。あまり知られていないが、化学調味料や紫外線などの外的要因や環境やストレス、活性酸素などの内的要因で体内では毎日遺伝子が変性した細胞が生まれている。これは正常な遺伝子情報を持つ細胞とは違い、無限に増殖していく。よく知られるところの『ガン細胞』である。組み込んでも毎日生まれ変わる1兆近い細胞群の中では異物にしかならない。つまり同時に丸ごと細胞の遺伝子を変性させる必要があるのだ。しかも生態系の違う遺伝子情報が組み込まれても使われる可能性は非常に低い。人間の細胞に限らず様々な生命の細胞内には使われていない遺伝子も存在している。これは環境などの変化などにも対応できる様に保管されている遺伝子で『ジャンク遺伝子』などと呼ばれているのだが、そういった下位の遺伝子に変わる確率が高い。仮にすべてクリアできたとしても、変態への道のりがある。オタマジャクシがカエルに変態するように、彼が蟹へと変態するには時間もかかる上に、苦痛や心理的な負荷にも耐えなくてはならない。すべてをふまえた上で僕はゆっくりと答えを出した。

「無理だ」

「なぜだ!カフカも毒虫になれたんだ」

 さすがに哲学科の助教授をしているだけあって妙なものが引き合いにだされたが、少なくともフィクションである。ちなみにカフカが書いた作品が『変身』であり、毒虫になったのは『変身』の主人公のグレゴール・ザムザであり、カフカが毒虫になった時点で彼の小説家人生は終わりであり、後世に本など残らなかっただろう。

「現実を見ろ!どこの世界に蟹になった奴がいるんだ!」

「なら僕が新たな歴史を刻む!」

「そういう問題じゃねー!」

 いい年した大人が夜中の三時の公園で騒いでいれば当然通報もされる。二人仲良く拘置所へと行き、共に午前の講義を行えず互いに教授から大目玉を喰らったのは言うまでもない。

 そんな話を酒が入った席でほろ酔い気分で助教授仲間に愚痴ると思わぬ答えが帰ってきた。

「ふつうに冷凍便で蟹を送る発想がないあたり、おまえも充分おかしいんだが…」

 実に普通なのだが、目から鱗が落ちた。

「考えつかなかった…」

 僕は同僚に慰められながら夜は更けていくのであった。

んな馬鹿なって話しです。

いやいや、本当「こよくあご」「そまよもうで」サヨナラー♪

え?コメディとかじゃないの?知らない

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2010-10-09

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