UNINSTALL

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一体、何がこんなにも自分を駆り立てるのだろうか。
普通に考えればまともじゃない。完全にイカれている。そこまでする必要なんて、どこにも無いではないか。

どうしたい?何がしたい?何ができる?

自分の頭の中はいつからこんな風になってしまったのだ…。
大切な人がいなくなったからか。ただ、それだけの事で?

別れはいつか必ずやってくる、どうしようもない必然なのだ。わかっているさ、そんな事は。ただそれが、堪らなくつらかっただけだ。
知らなかった。今生の別れとはこんなにも、断続的な何かを植えつけて行く物なのか。或いは、今まで繋いでもらっていた枷や鎖が、別れを経てじわじわ劣化し、今にも引き千切そうなだけなのかもしれない。

だが、どんな理由を挟もうと、自分が狂人だと言う事実の言い訳にはならない。
めちゃくちゃだ、無茶苦茶だ。支離滅裂だ。……それ以前に、人間失格か。


──いや、違う。この答えを自分はとっくに気づいているはずだ。
欲しい物はわかっている。やるべき事も自覚はしている。ならば後は実行に移すのみ。他人にとって如何に不必要な事であると言われても、他でもない自分自身には必要なのだ。命を賭して、壊し、組解き、構築して、組み立てる。
取り掛かろう。迷うのは構わない。しかし時間なんて物は、自分が思っている程残っちゃくれないのだ。「悔いは残さず、金残せ」ってか。ははは──。





誰しも、頭の中からどこかともなく沸いてくる「幸せ」という奴は、実に厄介な代物だ。
どこにどんな形で存在するのか、まるで不明確なくせに、必ずどこかにあると皆が信じ、追い求め、命を削っている。そこに例外は無い。言わば脳が造り出している妄想であり、幻だ。「神様」と同じ。 

人の「心」と呼ばれる部位も、それに酷似していると考えている。
「人格」とも言えばいいのだろうか、どんな思想や理想も、所詮は先人が築き上げた物に流され乗っかっているだけであって、決して自らが突発的に組み立てた物では無い。結局の所、与えられた刺激や情報に対して、流動的に且つ主観的に自分の都合よく思考を組み直しているに過ぎない。



「同調行動」と言われる人間の本能がある。
集団の中では、「個」の意思とは関係無く、「大多数」の意思が「個」の意思まで侵食し、それが「全体」の意思となる。強制されているのではない。自らが強制しているのだ。本人ですら気づくこと無く。

他人に優しくできるのも、自分に優しくしてくれる誰かがいるから。
嫌いな奴がいるのも、その者を嫌いな誰かの意思を汲み取っているから。

その意識の優劣は、親しい者、あるいは憧れている者、等の思考で大きく左右される。逆に言えば、それだけ自分自身も他人の思考に干渉している可能性が高い、ということだ。友人、恋人、家族然り。そもそも「人間」という生き物に対して、自分はどうしても解せない部分が多い。
ここまで「生」に執着する生き物は人間くらいなものだ。さらに人間には、どうしようもない程の「欲」がデフォルトで備わっている。しかもそれは、何かを経験する度に随時上乗せされていくのだ。面白いくらい人間は、その欲望に忠実だ。



欲と言っても、ご存知の通りその種類は数え切れない程存在する。
主に挙げられる物として、三大欲求である「食欲・睡眠欲・性欲」が生物学上に置ける軸だが、人間においてはこの「生理的欲求」に対して「社会的欲求」、つまり心理的な影響からくる欲が圧倒的に世界を脅かしている。

本来、「社会的欲求」と呼ばれるそれらは、人間が只単純に生きるには全く必要の無い物だ。しかし、生きとし生ける物、本当の意味で一人だけで生きることのできる物がいるとすれば、それは十中八九「神様」であろう。
どんな形であれ、我々は集団の中で生きることを余儀なくされているのだから、この「社会的欲求」とどう向き合っていくかが、それぞれの人生を決定づける重要なファクターだと自分は考えている。けれども、実際こんなことは口に出さなくてもどこかで理解できている人は多い。



わかっていても抑えることが現実問題、出来ない。それが、真の「欲望」なのだ。

CHAPTER1/sideM

僕の人生は自分で言うのもなんだが、とてつもなくつまらない。
毎日決まった時間に起床し、とりあえず朝食を取り、とりあえず電車に乗って学校へ行き、とりあえず授業を受け、とりあえず知り合いと会話を合わせ、とりあえず金の為に働く。そんな毎日だ。

「大学は人生の夏休み」、周囲の人間からはよくそう言われたものだ。
しかし、いざ入ってみれば、確かに勉強量こそ受験の頃と比べれば激減したが、だからといって気を抜いていると、レポートが提出期限に間に合わなかったり、出席日数が規定の数に達していなかったりして、あれよあれよと言う間に単位が取れなかったりする。

入学して一年でようやくその事に気付き、在学二年目となる今年は去年の教訓を生かし、とりあえずなんとかやれている。
ちなみに、毎朝決まった時間に起床とは言ったが、決して同じ時間に起きているわけではなく、その日の予定に合わせて自らが決めた時間に起きているだけなのだ(昼から起きる日もあったりする)・・・。

とはいえ、今日の授業は一限目からなので、頑張って九時開始の授業に参加している。
大学生の朝は意外と早いのだ。とにかく瞼が重い。

只でさえ、昨日はバイトで帰りが遅く、大して寝られなかったというのに、今日はのっけから「心理学Ⅱ」などと、眠気を駆り立てられる科目。更には、受講している生徒が十数名といった状況なので、寝たら即アウトだ。
これで大教室ならばまだ救いはあったかもしれないが、生徒の出席率が高いと、座る席に困るくらいの小教室である為、選択科目として選んだ事を本気で後悔した。そして極めつけは、その授業内容だ(というか、その教師だ)。

基本的に大学の授業というものは、教師が熱心にまとめたプリントを配布することもあれば、おそらく毎年毎回配布しているであろう物を配ることもある(寧ろこの方が多い)。また、到底教科書とは思えない程の馬鹿高い書物を購入し、持ち込み有のテストに参加しさえすれば単位を頂けるありがたい授業もある(去年は随分とお世話になった)。
まぁ、そういう授業に限って、教師が平気で三十分以上遅刻してきたり、授業内容が独りよがりでお粗末な物だったりするのだが、これに関して言えば、この授業は別次元を駆け抜けている、と言ったほうが聞こえは良いだろう。


まず、この授業に配布物は無い。言わずもがな教科書の類いも存在しない。
そして、本来ならば教師が目一杯書き込んだ用語や解説を丸写しするはずのホワイトボードにも、一切の文字が無い(たまに昨日の授業の消し忘れがそのまま残っていることもある)。そこにあるのは教師と生徒だけ。
つまりは、教師の話をひたすら延々と聞かされるだけの授業なのである。

以前、この科目を選んだ事をサークルの先輩に話したところ、一言「只では済まんぞ。」と言われた事がある。去年の段階ならば、先輩の言う事を大人しく聞いていたところだが、選んでしまった手前もう遅い。サボるのも一つの手だが、就活が始まる来年以降のことを考えると、ここで一単位でも落とすわけにはいかないのだ。腹立だしい事に、こちらの科目は授業数2/3の出席と、学期末のレポート提出が単位修得の条件になる為、休講でもない限り後二回程しか休めない(今季は既に寝坊で一度休んでいる)。

こう言っては失礼だが、実際のところ大学の授業なんてものはどれも、イマイチよくわからない話を少しでもわかるように努められるかが、単位の有無を左右するのだが、これではどうにもお手上げだ。何せ、肝心の教師に全くやる気を感じないのだから(ちなみに、容姿は黒髪、長髪、黒縁眼鏡、さらには無精髭といった、ある意味絵に書いたような中年男性である)。

そして本日も、少しでも気を抜くと聞き逃してしまうくらいの小声で、持参の折りたたみ椅子に座りながらボソボソ喋っている。
いつも通り、通常運転である。

しかしながら、こんないつ生徒から苦情が来てもおかしくないような授業にも関わらず、誰一人として文句を言うことなく黙々と授業を受けているのには理由がある・・・。


本日の授業内容は、「学習性無力感」についてだ。
学習性無力感とは、簡単に言えば、人は長い間ストレスを回避できない状況下に置かれると、次第にその状況を打破しようとすらしなくなる、といった人間(動物)の習性みたいなものだ。よく、この例え話としてあげられるのが、犬を使った実験だ。

1967年、米国の心理学者であるセリグマンが、マイヤーらと行ったその実験は、犬を二つの集団に分断し、それぞれの集団に対して予告信号を発信した後、電気ショックを与える、というような物だ。しかし、二つの集団には前段階として、次の状況下で電気ショックが与えられた犬に分けられている。


A.足元のパネルを押せば、電気ショックを回避できた犬。
B.電気ショック回避が、不可能だった犬。

 
そして、実験では犬のいる部屋は壁で仕切られてはいたが、予告信号の後、壁を飛び越えさえすれば電気ショックを回避できる状況で行われた。

結果、前者であるAのグループは電気ショックを回避できた犬がほとんどだったのに対し、後者のBグループでは、回避成功を果たしたのは本の数匹だったそうだ。
これは犬が前段階において、電気ショックと自分達の行動が全くの無関係であると学習しそれを認知した為、実験で回避できる状況となったにも関わらず何もしなくなってしまった、と言う事らしい。
要は、これと同じ現象が心理学上において、大いに人間にも当てはまるようだが、僕から言わせれば、こんな事は当然の生理現象としか言い様がない…。


さて、今のような話を、あの喋る輪転機から聞けたのかと言われれば、当然、答は否だ。
相も変わらずあの男は、始業ベルという名のスタートボタンから、ストップボタンの終業ベルまで、決して止まる事のない文字の羅列を只々空中に印字しているだけである。

もし仮に、この授業に配布物が存在していたならば、生徒一人くらいノイローゼに追い込む事も容易かったかもしれない。まぁ、おそらくそういう生徒に限って恐ろしく勤勉なのだろうが。

では、だ。
一体僕は何から先程説明した知識を得たかというと(これがこの授業の別次元たる由縁なのだが)、なんとこの授業、教科書や配布物が一切無い代わりに、情報端末の使用を全て黙認しているのだ。
ちなみに、「学習性無力感」については、人類の英知「Wekipedia」から拝借させてもらった。

このように、この授業では皆が卓上に携帯電話等を出し、当たり前のようにそれを弄っている(まれにノートパソコンを思い切り動かしている輩もいる)。これが大学でなければ、ただの学級崩壊だ。
まぁ、かくいう自分も、当たり前のようにスマートフォンで情報検索しているのだから、あまり偉そうなことは言えない。

そして、九十分間の情報検索を終えた僕は、眠気覚ましに飲んだ缶コーヒが全く効果を発揮していない事に不満を感じながら、次の教室へと移動していた(どうしてカフェインの効き目は、こうも差が激しいのか)。

一号館と二号館を繋ぐ渡り廊下で、同じ学科の知り合いとすれ違った。

向こうは4、5人の集団に対してこちらは一人。最初のうちはすれ違う度に適当に会話を合わせ、「じゃあ、また後で。」というような感じで流していたが、次第にお互い「おう。」でだけで済ませるようになった。当然、本日もだ。
知り合いと授業を合わせるのは、もちろん利点も多いのだが、僕にとっては、誰にも邪魔されず一人の空間で集中できる方が魅力的に思えたので、授業はできる限り一人で受けられそうな物を選んでいる(まぁ、その結果が「心理学Ⅱ」なのだが)。

とはいえ、全ての授業を知り合い無しで受けるのは、到底不可能なので、次の授業ではサークルの友人と仲睦まじく勉学に励んでいる。

二限目の科目は、「論理学」だ。
実際、僕自身の学部とはあまり関係ないが(心理学も全く関係ないが)、この授業は出席さえきちんとしていれば、(教科書等)持ち込み有りのテストで簡単に単位を修得できるのだと、サークルの友人から聞いていた為、その恩恵に肖っている。
もちろん授業内容はよくわからないが、こちらは教師がキーワード(なのかどうかも実はわかっていないが)をホワイトボードに記入してくれるので、こちらとしても写し甲斐がある。

さぁ、これから九十分、ルーズリーフとひたすら向き合う作業だと、徐ろにリュックの中から筆記用具とその他諸々を取り出そうとチャックを開いた瞬間、明らかな異変が視界に飛び込んできた。


「何だ、これ…。」

ACT1

「先輩。起きて下さいよ、先輩。」
「……。」
「全く、先輩ってば!」
「…うるさい。」
「なんで職場の屋上で寝てる人に、そんな睨まれなきゃならないんですか!?」
「……。」
「いや、だから睨まないでください!署長が呼んでますよ。」
「…なんで?」
「そんな事知りませんよ。僕はただ、“逢見(おうみ)を呼んで来い!”って署長から言われて来ただけなんですから。それじゃあ、伝えましたからね!」
「おい、欠塚(かけつか)ぁ!」
「は、はい。なんですか?」
「お前今、俺のこと呼び捨てにしただろ。」
「……。」
「……。」
「…すみませんでした。」
「行って良し。」
「…失礼します。」

全く。何なんだ、あの昼行燈は。
碌に仕事もしない癖に、人使いの悪さと態度のデカさだけは一人前じゃないか!
オレがこの仕事に就いたのは、あんな奴のお守りをするわけじゃないのに。いつの間にかコンビにさせられて、最近じゃ周りの連中に“逢見の相棒”なんてレッテルを張られる始末だ。…本当に、署長は何を考えているんだろう。

――コン、コン

「失礼します。」
「あぁ、欠塚君。ご苦労さん。」
「一応伝えましたけど、あの様子だと来るまで時間掛かりそうです。」
「案の定、屋上で昼寝しとったか。」
「えぇ、何故か豪い剣幕で睨まれました。」
「ガハハ!いつもの事だろ。あいつは人一倍、低血圧だからなぁ。寝起きはすこぶる悪い。」
「それを承知で私に逢見さんの元へ向かわせたのですか…。」
「まぁ、そんな顔をするな。あれでいて奴も君の事は気に入っとるんだからな。」
「はぁ。」
「それはそうと欠塚君。」
「はい、なんでしょうか?」
「ワシは君に、“伝えて来い”ではなく、“呼んで来い”と言ったんだがな。」
「……。」
「……。」
「…すみませんでした。」
「そうだ。若い者はそういう素直な心持が大切だ。君も配属からこの短期間で色々大変だったろうが、その心構えは忘れてはいけない。少なくとも、ワシが君の事を“君付け”で呼んどる内に、身体に染み込ませた方が懸命だぞ。」
「…肝に銘じます。」
「わかればいい。それじゃあ、ワシはここであの阿呆を待っとるから、君は奴をきちんと“呼んで”来てくれ。」
「…わかりました。失礼します。」
「頼んだぞ。こういう時の為の“コンビ”でもあるんだからな。」
「……。」

――バタン

こういう時の為の“コンビ”、ねぇ。
結局オレは、厄介事を押し付けられているだけなのかもしれない。
これでもやっとの思いでここまで来たのに、このままじゃ完全に飼いならされて終わってしまう気がしてならない。

それでも、あんなのと組まされた事にはそれなりの意味があるって思わなきゃな。
誰も教えてくれそうに無いし、頑張って自分で探すしかないか…。

「欠塚、煙草持ってねぇか?」
「ぅわ!ちょっと先輩、いるならいるって言って下さいよ。」
「お前がそんなとこで突っ立てるからだろ。」
「少し考え事してただけですよ。僕の手に余る仕事が多いんで。」
「そりゃあ、仕事熱心で結構だ。で、煙草は?」
「持ってませんよ!ていうかこの前、僕は喫煙者じゃないって言ったばかりじゃないですか。」
「んな事いちいち覚えてるわけねぇだろ。」
「そもそも署長室を前にして、煙草なんか必要ないですよね?」
「必要ある。」
「何故ですか?」
「俺が吸いたいからだ。」
「……。」
「……。」
「…中で署長がお待ちです。早く行って下さい。」
「わかってる。行くぞ。」
「行くぞって、僕も行くんですか!?」
「当たり前だ。俺一人で日下部の爺ぃ相手にしろってか。」
「それを今まさに僕はやってきたんですが。あなたのおかげで。」
「そうか。なら、もう一回頑張れ。」
「…昼、何か奢って下さい。」
「お前も言うようになったな。特別にうまい棒買ってやる。それも二本だ。嬉しいのはわかるが、礼はいい。…さっさと行くぞ。」
「……はい。」

とりあえず、この男といる事で覚えた事が二つある。
 
一つは、他人の世話なんか焼くもんじゃない、ということ。
もう一つは、どんなに駄目な上司でも、ちゃんと言うことを聞いていれば、うまい棒ぐらい奢ってくれるようだ。それも二本。

CHAPTER2/sideM

僕の家は、大学から電車で二十分程の場所にある。
元々、実家の方が大学の近くに位置しているのだが、一昨年に大学受験を両親の望む形で成功を収めた際、その報酬として実家を離れ、一人で暮らすことを許されたのだ。もう随分と長いこと、謳歌するはずだった青春時代を弟と同じ部屋で過ごしてしまった(念の為付け加えるが、青春時代を謳歌できなかったのは決して弟のせいではない)。

一人暮らしを快諾してもらった時、両親が唖然とするくらい弟と舞い上がった。
それもその筈、なんせ弟とはしゃいだのなんて後にも先にもそれっきりだ。


弟は、僕の二つ下で歳は割と近い。
両親からしたら、僕が受験戦争を一つ乗り越え、よくやったと歓喜した矢先に、今度は弟がそれをしなくてはならない、と言う悪循環が長いこと巡っていたのだから堪ったもんじゃなかっただろう。僕と違って中学受験もさせられた弟は、本当に不憫でならない。

幼い頃は、喧嘩が日常茶飯事だったと言われたが、正直あまり覚えてない。
弟が生まれた当初から「お兄ちゃんなんだからしっかりしなさい」と両親に叩き込まれ(何故かその記憶はある)、小学生になる頃には、ある程度の事柄を弟に譲るようにし、弟もそれを察してか、些細な事で突っかかって来る事など皆無だった。

周囲からは本当に仲の良い兄弟だと言われ、僕も弟も嫌な気分では無かったが、普段から一緒に何かをしたり、お互いの悩みを打ち明けたりする事も全く無かったので、「仲が良い」と言うよりは、「踏み入って無い」と言われた方がしっくり来る(そもそも、あいつの事を名前で呼ぶ事がほとんど無い。同じ部屋で暮らしていたのに)。

それ故に、お互い何とも言えないストレスを抱えていたのだ。衝突が無い代わりに、互いに一定のラインを保っていなければならかったのだから、やはり何をするにも窮屈だった。

受験が絡む時などはもう最悪で、その時期(ほぼ二年間)は、とにかく顔を合わせないように勤めていた。二人が同時期に受験ならまだ良かったのだが、弟が受験した翌年は僕が受験生なので、三回に一回しか気の休まる年が無い。そんなえげつない輪廻も、僕が大学受験を突破した事により、弟は次の戦争への準備に余念無く専念でき、僕は晴れて自由の身となった。

しかしながら、弟の事なんてテンで懐かしく思えるほど、入学してからたったの半年で母親の偉大さを思い知らされた。どうやら僕は、家事のできる家庭的な男にとてもじゃないがなれる気がしない。どうしてもっと几帳面に生まれてこなかったんだろうか…。

先日の宅飲みで、サークルの連中に散々荒らされた我が城を嘆く日々が続いていたが、そんなことを思いつつも今は部屋を片付けている場合では無い。



二限目の開始直後、この封筒の存在に気付いてから、とても気が気ではなかった。
封筒は、一般的な茶封筒ではなく、真っ黒な材質の紙で包装されている。手に取って見ても、宛先や宛名の様な印字は一切見当たらない。そんな得体の知れない物が何故だか自分の鞄の中にいつの間にか入っていたのだ。今朝、家を出る準備をしていた時には間違いなく無かった筈の物が、だ。

最初はあまりに不気味だったので、封を開けるのを躊躇ったが、その非日常的な物体に異様な興味を惹かれ、授業が始まったばかりで周りの生徒がざわついていたのを良い事に、隣の友人に気づかれないようこっそりと封を開けた(思えば、この時点で友人の目を避けたことや、封筒が自分への物だと確信を持っていたことが不思議でならない)。
封筒の中身は、一枚の手紙であった。手紙にはたった数行で、短い文章がまとめられていた。


【選考結果のお知らせ】

宮坂 脩(みやさか しゅう)殿
この度、貴殿が当委員会による選考基準を全て満たしております事を、ここにお知らせ致します。就きましては、裡面記載のURLから、以下のIDとパスワードでログインして頂き、ご登録の程よろしくお願い致します。

ID:EVADE
パスワード:4ESZ5D6F7


正直、全く意味がわからない。
「選考基準」って、一体何を選考したのだ?そもそも「委員会」って何の委員会だ?あまりにも言葉足らずではないか。それに、自分の鞄に自分宛の手紙が入っていること自体、不可解でならない。今朝家を出る時には、こんな物無かった筈だ。何て薄気味悪い…。

授業自体は、二限目の途中で早退する事にした。
今日の授業は四限目まで取っていたが、残りの授業は学科やサークルの友人達に代返をお願いした。僕自身、日頃から授業を休むことは滅多に無いし(まぁ、それは今年に入ってからの話だが)、普段はサボり癖がある連中の代返を引き受けていたので、向こうも快く頼まれてくれた。やはり、恩は売っておく物である。

自宅にあるノートパソコンの起動が余りに長いので、手紙を見つめながらそんな事を考えていた。URLの手入力は些か面倒だが、「委員会」で検索を掛けても人類の英知がトップに出てくるだけなので、致し方ない。
ログインIDとパスワードを入力してから表示されたのは、背景が全面黒の状態で文字が白と言う、胡散臭い程の不気味さを感じさせる文章だった。


【当委員会・試験について】

当委員会は、人間の先天的に培っている“欲求”ではなく、後天的に身に付けた“欲望”に対して、原因の究明及び多角的解釈を元に、人類の躍進を目指す団体であります。
本試験では、選考通知を受け取った皆様が規約に同意をして頂いた時点で参加となります。以降の注意事項・規約をよく読み、ご検討下さい。


〔負傷・死亡時の負担〕
本試験中に負傷または死亡された場合、当委員会より治療費・入院費及び必要経費は全て負担させて頂きます。

〔参加費用〕
本試験では、参加者に掛かる費用は一切御座いません。また、規約に同意して頂いた時点で参加報酬として十万円を支払わせて頂きます。

〔報酬〕
本試験の課程を全て終了された場合、最大で一千万円の報酬が支払われます。
※尚、試験の内容によっては参加者にペナルティが科せられる場合が御座います。その際は試験終了時の報酬から減額させて頂きますので、予めご了承下さい。


「一千万!?」
思わず声に出してしまった。

この飛躍した金額が、胡散臭さに拍車を掛けているのだが、果たしてこの得体の知れぬ「試験」とやらに、本当にそんな多額の報酬が支払われるのだろうか。いや、それ以前に、だ。試験内容について全く触れていない所が怪しすぎる…。

新手の詐欺に違いない。何を真剣になって考えているのだ。参加するだけで十万?…馬鹿馬鹿しい。
俗にいう「治験」を彷彿させるような文面だが、こんなもの本物と比べればケタが違いすぎる。考えるだけ時間の無駄だ。


「……。」
──カチッ


気が付けば僕は、「次へ」のボタンをクリックしていた。
頭ではハッキリわかっている筈なのに。踏み込む必要なんてどこにもないのに。

思えばこれは、とんでもなく軽い気持ちだった。
とりあえず最後まで見て、それから鼻で笑おうと思っていたくらいだ。僕にとって「金」という媒体は、その程度の価値しかない(一千万にのけ反った後なので、非常に説得力に欠けるが)。

例えば、ギャンブルをする人間がいる。
ああいった人種は、申し訳ないが理解に苦しむ。大学生にもなると、合法的にギャンブルができてしまうので、僕の周りにもパチンコやスロット等といった、遊び感覚でギャンブルをしている輩がいる。
実際僕も、話のネタになるかと思い何度かホールでやってみた事はある(内のほとんどが友人の付き合いだった)が、正直何故あれに熱中できるのかわからない。

僕の家庭は確かに裕福ではなかったが、死ぬほどお金に困っていたわけではなかったので、金銭面の苦労もない代わりに、“甘い蜜”も吸っていない。しかし、だからこそ金というのは、生きる上では単なるツールでしかないと理解しているつもりだ。

お金があれば大抵の事はできるが、それはそれだけの価値を他者に提供した者が得られる権利であって、決して簡単に得られる物であってはならない。そこを履き違えると、結局考え方がおかしくなって、本当に欲しい物など得られない気がするのだ。

だからきっと、今こうして片足を突っ込もうとしているのは、自らの肥やしの為ではない。断じて、無い。
恐らくは、好奇心によるもの。「怖い物見たさ」だ。

自分宛の謎の手紙。内容の知らされない試験。報酬は一千万…。
 
 

結局僕は、後になって知ることになる。
金なんてきっかけに過ぎない。真に恐ろしいのは、その先に有る物なのだと。

CHAPTER1/sideY

「ここ…だよね?」
都内屈指の有名ホテルを前にして、私は口を半開きにしながら遥か上空へと突き刺す鉄の箱を見上げ、半ばあほ面でその中に入っていった。

予想通り、中は何を取っても高そうな装飾で埋め尽くされており、私は相変わらず目線を上げたまま、天井から突き出したシャンデリアを見つめて、どうしてもあれがシャンパンタワーがひっくり返ったような陳腐な物に見えてならなかった。

(あんなの彼氏と見ても、“見て!シャンパン降って来るかもよ!?”とか言いたくなっちゃうな私…。まぁ、そんな事言える彼氏もいないけどね‼)

そんな身も蓋もないような事を考えながらロビーをうろついていたが、暫くしてロビーを物色する事にも飽き、詰まる所どうすれば良いかもわからないので、近くのソファーに腰かけて例のメールを読み返してみた。

「十六時にここのロビー、で合ってるはずなんだけど・・・。」
改めて、周りを見渡してみる。
時間が時間なので、キャリーバッグを転がして早々とチェックインしているお客さんが目立つ。とはいっても、私もキャリーは持参しているので、見た目上はまさにそんなお客さんと対して変わらない。
ただ、私がこのホテルに来たのは、チェックインする為でも空き部屋があるか聞きに来たわけでもない。
ましてや、何処ぞの男とシャンパンを浴びに来たわけでもないのだ。


あの手紙を受け取ってから一ヶ月。
前の彼と別れてから、二週間程経った時の事だった。

初めは、何が何だか全くわからずに困り果てていたけれど、彼と別れて日が浅かったのもあり、ほぼ勢いで参加の意思を固めた。正直あの頃は、食事に気が回らないほど落ち込んでいたので少し有難かった。
 
前の彼とは、一年程前に知り合った。
ウチの会社のお得意先で、受付として働いていた私とは月に何度か顔を合わせていたのだが、その時から雰囲気がなんとなく好印象だった。

そんなある日、彼の方から私に連絡先を渡して来たのだ。
大企業の受付にでもなれば、いつかはそんな日が来るかもとは思っていたが、まさか入社して半年でそれが現実になるとは思わず、ついはしゃいでしまった。

私が俄然ノリ気であったのもあり、彼とはすぐに関係を持った。
年齢二十六歳。細見ですらっとした体形。顔立ちもイケメンではないが、所謂二枚目って感じで私好みだった。
女性に対する気遣いもバッチリで、気になるのは身長が高く、私と結構差ができてしまう事だったが、低いよりは断然マシなので然程問題ではない。
二十三で少し早い気もしたが、当然、結婚も視野に入れていた。

しかし、付き合い始めてから半年で、彼が既婚者だった言うことがわかり、社会人一年目が愛人一年目だったという事実に、私はショックを隠し切れなかった。

ぶっちゃけてしまうと、愛人もありかなとは思ったが、それ以前に、既婚者と言うのを彼の口から直接聞いたわけじゃなかった事、問い詰めた際に、奥さんと別れる気はないと言われた事が、別れる決め手となった。

(そういえば彼、こういうホテルには連れて行ってくれなかったな…。)

目の前を通り過ぎるスーツ姿の男性にちょっとだけ彼を重ねながら、ひたすら物思いにふけっていたが、いつの間にか十分近くが経っていた。間もなく、約束の十六時だ。


参加規約に同意した後、個人情報の入力フォームへ移動し、そこに書き込んだアドレスへ今日の集合時間と場所、それと持ち物が記載されたメールが送られて来た。
持ち物に関しては、二、三日分の着替え以外は特に明記されていなかったので、旅行でもするような面持ちで、キャリーバッグに色々と詰め込んだ。

その後、試験日程に関してのメールも送られて来たが、これから三日間で私が行うのは第一次、第二次試験。日を改めて、第三次試験を行うらしい。
最終的に、第三次試験の終了で報酬が支払われるそうだが、その金額は試験の内容で上下するみたいなので、一千万が手に入る保証はどこにもない。
ただ、同意してからすぐに参加報酬の十万が口座に振り込まれていたので、やはり色々と胸が膨らんでしまう。

(もう時間じゃない。私名義で部屋でも取ってくれてるのかな?ちょっとフロントの人に聞いてみよう。)

そう思って徐に立ち上がると、背後から女性の声が飛び込んできた。

「失礼ですが、柳瀬茉優(やなせまひろ)様でいらっしゃいますか?」
振り返ると、そこには全身黒のスーツに身を包んだ年配の女性が立っていた。

「え、ええ。柳瀬は私ですが…。」
「この度は私共の試験にご参加頂きまして、誠にありがとうございます。さっそくでは御座いますが、試験会場の方へご案内致しますので、どうぞこちらへ。」
「は、はあ。」
そう言って彼女は、私から荷物を取り上げて何故か出口の方へとツカツカ歩いて行くので、慌てて呼び止める。

「あの、すみません。試験会場ってこの中じゃないんですか?」
私がそう言うと、彼女は少しばつの悪そうな顔をしてこう答えた。

「大変失礼致しました。試験会場へは車で移動致しますので、誠に恐縮ではございますがご協力下さいませ。」
「あ、そうなんですか…。」
てっきり、今日は高級ホテルに泊めてくれるものだとばかり思っていたので、年齢の割にビシッとした彼女の背中を見ながら、私はトボトボとついていった。

「お待たせ致しました。こちらです。」
美しい顔立ちの老婆は、そう言って車のドアを開け私をエスコートする。
しかし、私は目の前の光景に唖然としてしまい、幾許か彼女を無視していた。

(これ、リム…ジン……だよね!?)

眼前に広がる車体は、宛ら巨大なワニのようにどっしりと構えて私を待ち受けている。私にとっては、フィクションの世界でくらいしか見た事もなく、自身がそれに乗ろうなどとは微塵も考えていなかったので、この状況はどちらかというと、歓喜よりも戸惑いの方が大きい。
人は、自分の身に余る出来事が起こると、素直には喜べないようだ。

「柳瀬様、どうかなされましたか?」
「い、いえ!何でもないんです。すみません。」
どうにも今日はどもりっぱなしだ。
私は、ホテルに入った時以上のあほ面で車内に乗り込むと、とんでもなく座り心地の良いシートに座って、とにかくそわそわしていた。

(どうしよう…実は私、とんでもないことに首を突っ込んでるのかな。)

いまさら何を、とは思うがやはり怖くて仕方ない。
私が乗り込んですぐに、何故か彼女も私の向かいに座り、間もなくして車が動き出す。この淑女は運転手ではなかったようだ。

「本日は色々と驚かせてしまい、誠に申し訳御座いませんでした。」
頭を下げる彼女に、テンパっているなりに出した私の質問をぶつけてみる。

「あの、他の参加者の方はいらっしゃらないんですか?」
「参加者の皆様は、それぞれ別の場所から試験会場へとお連れしておりますので、あちらのホテルでの待ち合わせは柳瀬様お一人で御座いました。」
「…参加者って一体何人なんですか?」
「参加者は全部で七名様で御座います。」
「え?たった七人…ですか?」
「この度の試験は大変特殊な物ですので、人数は最小限にと私共は考えております。」
「そう、ですか…。」
「これから試験会場到着まで、少々お時間が御座います。お飲み物や軽食等はこちらで用意させて頂いておりますので、何なりとお申し付け下さい。」

よくよく考えれば、この時にもっと試験の事だとか報酬について聞いておけば良かったのだが、ろくに頭も回らなかったし早々に話も切られてしまったので、とりあえず紅茶を一杯お願いして、私は窓ガラスに写る自分の顔を見ていた。


この試験の規約に同意する際、注意事項に記載されていた文面に背筋が凍った事を、私はよく覚えている。


【注意事項】

試験に参加して頂く前に、以下の事項は必ずご確認下さい。

〔ペナルティ〕
試験中に規定を破るような行為する、又は試験のノルマを達成できなかった場合、原則としてペナルティが科せられます。ペナルティは報酬から減額となりますので、その場で参加者様への負担は御座いません。
※但し、ペナルティが報酬額を上回る事により、試験終了後にその差額を参加者様へ請求する場合が御座います。

〔選考基準〕
本試験を執り行うにあたって、選考通知を送らせて頂いた皆様は、当委員会の調査員がその生い立ち、家族構成、趣味趣向、私生活に至るまでを全て審査した結果、本試験への資格を有していると判断した方々です。
当然、参加の義務は御座いません。しかし、今後皆様が生活をされる上で、誰かわからない人間に常に監視されている、と言う不安は消えないのではないでしょうか。試験終了時には、そういった数々の非礼をお詫びすると共に、調査員自ら皆様へ謝罪を致します。
※尚、調査員は皆様の身近な人間である可能性が御座いますので、以降の生活を考慮して、知らなくて良いと判断されましたらその旨お伝えください。

〔試験終了後〕
先に何点か試験終了後の対応について触れましたが、基本的に試験終了後のアフターケア等は御座いません。試験中に薬物を使用する事は御座いませんが、身体的、精神的な負担が参加者様に掛かる場合も御座いますので、試験中は事故等のないよう一つずつ柔軟な姿勢で取り組んで頂きたく存じます。



外の景色を見せない為なのか、目の前の窓ガラスは真っ黒だ。
それにより、私の不安に満ちた表情がよく見てとれる。

ここまで色々誤魔化してみようと試みたが、いざこれからとなると、どうしてもあの脅迫じみた文面を思い出してしまう。
このまま私は、何かとてつもない事に巻き込まれてしまうのではないか。
しかし、そんな事言ってもここまで来たら流石に帰れないし、私自身帰るつもりもない。

今はっきりわかるのは、この老人が脅迫を仄めかすような集団の人間とは思えないという事だ。だって、こんなに美味しい紅茶を入れられるんだもの。

久々に甘美な紅茶を飲み、少しだけ上機嫌になった私はもう一度窓へと顔を向ける。先ほどまでこの漆黒のガラスが暗闇にしか見えなかったが、今はその先に一筋の光明が見える。…気がする。
人の思考回路は、些細な事で簡単に切り替わるのだと改めて思い知らされる。

緊張がやっと解けたからだろう。急激に眠くなってきた。
遠退く意識の中、私は今までの不安が嘘のようにこんな事を考えていた。

(一千万ゲットしたら、何に使おうかなぁ…。)

そんな私の幼稚な考えを見透かしたように、白髪がよく似合う老婆が微笑みかけてくる。あぁ、私もお婆ちゃんになったらこんな顔できるのだろうか…。
まるで母親に見られているかのような懐かしい感覚に陥り、次第に私はシナプスの海へと誘われていった──。

ACT2

──コン、コン

「失礼します。」
「…失礼します。」
「おお、やっときたか逢見。それと、欠塚君は何度もすまんな。」
「いえ、これも仕事の内ですので。」
「なんと!この数分でしっかり考えを改めたか!さすが若者は呑み込みが早い。」
「…恐縮です。」
「頼むから逢見も少しは見習ってくれ。」

誠に仰る通り。

「…で、俺に何の用ですか署長。」
「ああ、例のヤマ…どうなってるのか気になってな。」
「……。」
「例のヤマとは何の事ですか?」
「欠塚、お前は知らなくていい。」
「何を言っとる。欠塚君にもお前の手伝いをしてもらうのだから、知らなくては駄目だろうが。」
「え?私はまだ何も聞かされてませんが…。」
「当然だ。今初めて言った。」

おいおいおい。

「本気で言ってるんですか。」
「当たり前だ。お前一人でやらせても一向に先へ進まんからな。それにあれは事件性が低い。というか、立証が極めて難しい。お前だけでは酷な話だ。」
「それでもこのヤマは、俺が追わなきゃ意味が無い。」
「そうか?寧ろあれは、欠塚君のような若者が知って何ぼだと思うがな。」
「そう思うなら、署長も少しは協力して下さいよ。」
「たわけ!何度も言っとるだろうが。ワシがあんな危なっかしいヤマ追えるか!逢見、まさかお前、ワシのモットーを忘れたわけじゃないよな?」
「…わかりました。ではもう一度、事件関係者から洗い直します。」
「なんだ。お前も少しは聞き分けが良くなったじゃないか。とにかくあんなヤマはさっさと終わらせるに限るんだ。二人で一刻も早く終わらせてくれ。」

なんだ?話に全くついていけない。

「あの、捜査員が二名だけって…一体どんな事件なのですか?」
「まぁ、詳しい話は逢見から話してやってくれ。何なら、事件の資料くらいしっかり見せてやれよ。」
「了解しました署長殿。おら、行くぞ欠塚。」
「は、はい。…失礼します。」

──バタン

「ったく、何が“お主、ワシのモット―を忘れたわけじゃあるまいな?”だ。あんなもんモットーでも何でもねぇってんだよ。」
「そんな古風な物言いでは無かったと思いますけど…。ところで、署長が言うモットーって何なんですか?」
「あのオヤジの口癖だ。“やって後悔するより、やらずにホッとしたい”だと。」

─ッ。あの中間管理職め。

「とりあえずお前は、資料室行ってヤマの概要でも調べて来い。」
「ある程度は先輩が直接教えて下さいよ。」
「うるせぇ。これから俺は忙しいんだ。」
「先輩の忙しいは、他の人から見れば十分暇です。」
「……お前、俺と組んでどれくらいだ?」
「もう三ヵ月です。」
「まだ三ヵ月だバカ野郎。その程度で一体俺の何がわかんだよ。」
「それだけあれば、先輩が昼寝を忙しいと言う人だって事くらいわかります。」
「…あ?」

ヤバいっ、飛ばし過ぎたか。

「と、とにかく。このままじゃ全く調べようがないです。せめてヤマの名前くらい教えてもらわないと。」
「チッ、“委員会”で探せばすぐ見つかる。なんてことない詐欺紛いの事件だ。」
「委員会、ですか…。」
「わかったら早く行け。うまい棒は後で買ってやるから。」

その約束はちゃんと守るのかよ!

「わかりました。先輩はこれからどうするんですか?」
「さっき爺ィに話したろ。まずは関係者を洗い直す。その後は…。」
「その後は?」
「昼寝だ。お前に起されたせいで、いつもより三十分寝れてない。」
「…忙しいのはよくわかりました。それじゃあ行ってきます。」
「…おい、欠塚!」
「はい?なんですか?」
「お前何が一番好きだ?」
「…?言ってる意味がよくわからないのですが。」
「何味が一番好きかって聞いてんだよ。」

ああ、そこか。

「えっと、明太子ですかね。コーンポタージュとかはあまり好きじゃないです。」
「……。」
「あの、なんでそんなに怖い顔してるんですか?」
「お前には絶対、コーンポタージュの良さをわからせてやる。」
「…期待してます。」

一体何が悲しくて、警察官にもなって上司からうまい棒の話をされなきゃならないんだ。しかもオレは、うまい棒よりチョコバットの方が好きなのに。

CHAPTER3/sideM


ジリリリリリッ――――。


けたたましい音が室内に広がり、僕は慌てて飛び起きる。頭がはっきりしないまま、音の元凶を突き止めスイッチを止めた。


なんだこの馬鹿でかい目覚まし時計は。


概ね今の状況が理解できていない。
確か、都内のホテルからリムジンに乗らされて、そこから試験会場に移動するとあの紳士は言っていた筈だ。この部屋がそうなのか?


僕が目覚めた部屋は、八畳程の全体が白で統一された奇妙な形状となっている。

置いてある物は、僕を叩き起した特大サイズの目覚まし時計の他、簡易ベット・洗面台・戸棚・引き戸が二つ、そして部屋の中央に円形のテーブルが置いてあり、その上に僕が持って来た着替え等の荷物が入ったドラム缶バックが乗っていた。色が黒い為、これだけが酷く浮いてしまっている。

僕自身、いつの間にか患者衣のような物を着せられており部屋と同化していた。
部屋に窓やベランダのような物は一切無い。

出入口であろうドアが一つあるが、鍵が掛かっているようで開かない。ただ、ドアにはこの状況を説明してくれるA4サイズの紙が貼り付けられていた。


【宮坂 脩様】
おはようございます。本日は十五時より第一試験を開始致しますので、御準備の程よろしくお願い致します。特にお持ち頂きたい物は御座いません。衣服も現在お召めしになられている物のままで結構です。

第一試験会場へはこちらからお進み下さい。尚、部屋の施錠は十四時四十五分に解除されます。


今一度、時計を確認してみる。
何故だかもう十四時を過ぎていた。

あの時、車内で飲んだコーヒーに睡眠薬でも入っていたのだろうか。リムジンに乗った時間から計算しても丸一日近く寝ていた事になる。

未だ頭が重い。しかし、喉が乾き腹を空かしている事は自覚できる。何か口にできる物はないだろうか。


自然と目線が引き戸へ移る。


引き戸はベットの反対側の壁に二つ並んでいる。特に何も考えず、まずは僕から見て左側、ドアに近い方の引き戸を開けてみた。
…どうやらビンゴのようだ。


引き戸の中にはご立派な冷蔵庫が用意されていた。カラーは言わずもがな白。

高さは僕の丁度頭一つ分低いくらいで、横幅も空間に対してみっちり納まっている。まるで業務用のそれだ。そして中身はさらに驚くべき物がある。

飲料水はジュースから炭酸系、ミネラルウォーターが完備されており、何より助かったのは、食糧は全て調理済みでラップをされ、どうぞ召し上がれと言わんばかりに勢揃いしている事だ。

寝起きの空腹感は、やはり何時如何なる状況でも変わらない。

まずはコーラの蓋を開け思いっ切り口に流し込み、食事はおにぎり、ミートソーススパゲッティ、カレーと言う謎の組わせを冷蔵庫の上にある電子レンジで温め、物凄い勢いで貪り全て掻き込んだ。

あまりにも寝過ぎていた為、満腹による睡魔は襲って来ない。一息ついてから、念の為もう一つの引き戸も中を確認してみた。
どうやら中はシャワールームのようだ。

扉を開けてすぐの棚にアメニティーセットが置いてあり、タオルもフェイス・ボディ用が何セットか備わっている。

ただ、残念なのが二点。浴槽が無い上に、トイレが内接されているのだ。これはどちらかと言うと、安いアパートというより監獄のような印象を受ける。



――ウィィン、ガチャッ



遠くで電子ロックの外れる音が聞こえた。
雑音が殆ど無いので、然程大きくない音でもよく聞こえる。
 


…さて、どうしたものか。
 



進むしかないのはわかっているが、こんな無防備な恰好のままで良い物なのかも微妙だし、ハッキリ言って怖い。
 
この扉の先には、得体の知れない何かが待っているのだ。

客観的に見れば、この状況も悪くないのかもしれない。おそらく普通に生きているだけでは体験できない事に僕は関わっている気がする。しかし、得てしてこんな物は終わってみないとその良し悪しは判断できない。

所詮、単なる結果論なのだ。

わかり易く言えば、一千万手に入ればこの選択は正しいし、命を落とせばこの選択は端から間違っていたって事になる。


――あぁ、そうだ。
所詮は結果論なんだ。悔しいけど。


断わっておくが、これから先へ進む事に後悔なんて無い。人生の決断の良し悪しが、結果論でしかないのは僕自身痛い程理解しているから。


問題は、果たしてこんな装備で大丈夫か…と言う所にある。

CHAPTER2/sideY

「大丈夫…問題ないわ。」
とは言ったものの、自分の恰好を見直し改めて落胆する。どう見てもこの簡素な服の中に、可愛いさの欠片も見出せない。

ドアの施錠が解除されてから、十分近くが経とうとしていた。

張り紙には、この服のままで“結構です”と書いてあったが、逆に言えば、この服のままで“来い”と言う事ではないか。

メイクは軽く済ませたが、服が服なので思った以上に浮いている。でも、流石にすっぴんで出歩きたくはない。

仕方なく決意を固め、恐る恐るドアを開けてみる。

ドアの向こうは五十メートル程の廊下が続いており、さらにその先にも同じようなドアが見える。


(あそこへ行けってことだよね…?)


先刻、靴だけでもと思い試してみたが、如何せんハイヒールは似合いそうに無いので、素足のまま廊下を歩きだす。

この通路自体には、特別気になる所はない。

ドアまで辿り着き、さっきとまるで変わらないたどたどしい手つきで怖々とドアを開いた。



現れたのは、ドアを開けて入ってくる私自身だった。

ドアの向かいにある壁は全体が巨大な鏡になっており、鏡越しに見えたのは私以外にも数人。皆椅子に座っている。

部屋の大きさはざっと12畳くらいだ。


ゆっくりと部屋の中に入り、私も設置してある椅子に腰かけた。椅子はご丁寧にそれぞれのドアの真横に設置されており、後頭部がしっかり密着するくらいまでの背もたれがあるが、材質が固いので返って座りづらい。


一連の動作をしながら、周囲から集まる視線が気になって仕方ない。


(あぁ、やっぱり浮いてるのかな。見た感じ女性でメイクしてんの私だけじゃん!ヤバい…逆にすごく恥ずかしい。)


本来ならすっぴんで人前に出るのは恥ずかしい事ではあるが、周囲の人間が誰もメイクしてない状況で自分だけしていたら、なんだかとても場違いなことをしてしまった気がしてしまう。



――ガチャ


と、私が頭の中であたふたしている内に、別のドアからまた一人入ってきた。入ってきたのは、かなり幼い感じの男の子だ。


(…え?子供⁇)


子供といっては失礼かもしれないが、小学校5,6年生くらいと言ったところだから、今年で二十四の私からしたら十分子供だ。悔しいけど!

話に聞いていたこの試験の参加者は七人。
どうやらこれで全員揃ったみたいだ。

横目で室内にいる人たちを確認する。

椅子の並びはやや半円を描いていて、部屋の広さ的に端と端の椅子は向き合うような形になっている。
私から見て一番左端にいるのは、二十代後半の男性。座っているからわかりづらいが、なんとなく元カレを少し小さくしたような印象を受ける。それでも背は高い方だと思うけど。

それに顔もなかなかの物で、きっとたくさんの女性を泣かせてきたに違いない。チャラそうな感じではないので、きっと本人の知らないところでかな。

その横にいるのは高校生くらいの女の子だ。

若いのを羨むには正直気が早い年齢だが、それを踏まえても彼女にはあまりそういった感情が湧かない。寧ろその逆と言ったところか。
はっきり言って顔立ちがあまり良くない。酷い人間だと思われてしまうかもしれないけど、多分誰が見ても意見は同じだと思う。

けれど、体型には色々気を使っているように感じた。

女の私が言ってはなんだけど結構男好きされそうな身体だ。だからこそ顔がもったいない。と、身勝手にも無意識で思ってしまった。

その隣は四十代と思われる男性。細見でそれなりに身長もありそうではあるが、全身から不健全さを漂わせている。黒縁眼鏡に無精髭、眼つきが悪いと言う以前に死んだような目をしている。できることなら関わりたくない人種だ。



そして、その隣は真ん中の私。
今度は、逆方向に目線を向けてみる。


 
私の隣は、同い年あるいは年下の男の子。
なんというか、全体的に特徴が無い。一言でいうと、可もなく不可も無いようない顔をしている。街中で出会っても、本人から声を掛けられでもしない限り、私が認識できそうない。…我ながら酷い言い方。

兎に角、見た目だけでは特に気にするところが無いって事だ。見た目だけでは。

その彼の横には、二十代後半の女性がいる。
見た目から大らかさが滲み出ている。特に胸のあたりを自分と見比べて、純粋に敗北を認めざるを得ない。この試験が終わったら、秘訣でも聞いてみよう。


更に視線を横にやる。


そこには、先ほどの少年が他の参加者同様大人しく座っていた。

体格こそ少年のそれだが、表情と言うか眼つきと言うか、彼からはこの場所にいる誰よりも危なっかしい物を感じる。そもそもあれ程の年の子が何故こんな試験に選ばれるのか、本人はこの試験自体を理解しているのだろうか、そんな若くして多額のお金が必要なのか。保護者張りの疑問が絶えない。



それにしても、私の独りよがりな人間観察が始まってから幾許が経ったが、一向に試験が始まる気配が無い。この場にいる全員がこの違和感に気づいている筈だが、誰も行動は起こさず様子を伺っているようだ。

確かに、下手な行動は取りたくない。
私もこの場は大人しくするつもりだ。…するつもりだったのだ!

「あ…。」
部屋中から一気に視線が集まる。
無意識に声が漏れてしまった。真っ白になる頭を必死に食い止めて、乗り掛かった舟をこれまた必死に漕ぎ出す。

「あの、そこに紙…ありませんか?」
今度は、私が指差した先に視線が集まる。
紙は、高校生くらいの女の子が座っている席の少し離れた所に置かれていた。床も白なら紙も白なので、とてつもなくわかりづらい。

「え…っと、ここですか?」
女子高生(仮)が席を立って、地面を手触りで探し出す。
 
「違います。そのもっと先です。」
私も中腰になってもう一度指を指す。目が悪いのか、女子高生(仮)はだいぶあさっての場所をペタペタと探している。
そうこうしている間に、元カレ(小)が見かねて席を立ち紙を手に取る。

「これか。…ん?」
彼は、その場で紙を読みながら考え込んでいる。

「なんて書いてあるんですか?」
眼鏡掛け機(人)が尋ねた。見た目の割に落ち着いた声なので、最初は誰が声を出しのかわからなかったくらいだ。
これに対し、即答では無いが少しの間を置いて元カレ(小)は口を開く。

「とりあえず、自己紹介しろだと。その後、それぞれに質問をして行くからそれに答えりゃいいみたいだ。」
「それが試験ってことですか?」
男の子(普)が会話に割って入る。

「あぁ、おそらくな。」
「…なら、順番的にあなたからお願いしてもいいですか?」
男の子(普)は思った以上に、話の流れを自分の思うように進めたいタイプな様子。

「わかった。俺は江葉克己(えばかつみ)。まぁ、普通の会社員だ。」
改めて彼の顔を見ると、やはりモテそうな顔をしている。鋭い眼つきに整った顔立ち、受け身な女性ならイチコロだろう。いや、多少高圧的な女性の方がこういう男性に弱いな、うん。

「別に話さなきゃいけない事も書いてないから、俺からは以上だ。」
そう言って彼は隣の女子高生(仮)へ目線を写す。

いつの間にか彼女は、自分の席へ戻っていた。誰も指示はしていないのに、自然な流れで江葉は自分の席に座り、それと入れ替わりで彼女が席を立つ。

「…ふぅ。私は佐倉茜(さくらあかね)と言います。十六歳です。よく、どっちが名前かわからないねって言われます。」
深呼吸を挟んでから、思いのほか流暢に言葉を紡ぎ出している。
やはり、年の割には落ち着いた雰囲気を感じる。私がこれくらいの時はもっと……ううん、やっぱりなんでもない。

「いつもはコンタクトを入れているのですが、ついさっき起きたばかりなので今は裸眼です。」
「ああ!だからさっきぃ……。」
もう嫌だ。また思うより先に口が動いてしまった。
これは全部、女の性のしからしむる物に違いない。…そうであってほしい。

「はい、先程はすみませんでした。なにせ裸眼では色の識別くらいしかできないもので…。皆さんのお顔を見られないのは残念ですが、どうぞよろしくお願いします。」
深々と頭を下げる彼女に、こちらも軽く一瞥する。

「私は藤峰透(ふじみねとおる)。この試験の目的は、兎に角金だ。以上。」
佐倉の自己紹介が終わるや否や、私の隣から淡々と短い文章を話す眼鏡掛け機…ではなく藤峰と名乗るこの男。

見た目さえシャキッとしていれば、もう少し印象も変わりそうな物だ。せめてあの黒縁眼鏡を外せば、一見みっともない無精髭もワイルド風な何かになるのでは…っと、こんな事考えている場合ではなかった。次は私の番だ。

こんな妙な環境での自己紹介なんて、緊張し過ぎてどうにかなりそうではあるが、もうどうにでもなれだ。緊張で固まる身体を無理やり動かす。立つ必要も無いのだろうが、その方が気が引き締まって良い。

私は、さっきから地道に考えていた文字列をゆっくりと言葉にしていった。

「えー、私は柳瀬茉優と言います。私も普通の会社員です。この試験には正直言って出来心のような部分もありますが、やるからには精一杯頑張ります。よろしくお願いします。」
よし、なんとか言えた。とても気の利いた自己アピールではないが、面接ってわけでもないんだしこの程度で大丈夫だろう。
それにしても、この頭が真っ白になる感覚は一体なんなのか…。

本当に不思議な事だけど、自己紹介っていうのはいついかなる時も緊張してしまう。

きっと、自分の言葉がちゃんと相手に届くと無条件に信じているからかな。人の紹介は適当に聞き流している癖に、なんて都合良くできた頭なのだ。

(……って、あれ!?)

私が自己反芻している内に、いつの間にか男の子(普)の話が終わっていた。

(え!?ちょっと待っ…空気読みなさいよ‼私のォ‼)

これで暫くは、彼の事を男の子(普)と呼び続けなくてはならなくなった。全く、大体早い男は女の子に嫌われるっていうの…いや、優柔不断の方がダメか…。

人って表情から色々読み取れる割に、無表情の時の方が考えてる量は多いんだろうな。と冷静に分析してしまうくらい、この時の私の顔に感情は無かった。そこにあるのは、薄く塗られた場違いなメイクだけ。

(…あ、完全に引きずるやつだわこれ。)

自分の羞恥心の尺度が若干ズレている自覚はありつつも、やっぱり潜在意識レベルの感情は頭じゃ簡単にどうこうできる物じゃないと、御胸様(巨)の話を聞きながら頭の隅に追い遣ろうとする。

ただ一番気になるのは、こんな私の下劣な考えを見透かしてるんじゃなかろうか、と思わせるような少年(危)の真っ直ぐな視線を度々感じるという事だ。

CHAPTER4/sideM

「宮坂脩、大学生です。よろしくお願いします。」
一切自分を紹介する気のない挨拶を終え、改めて周りを見渡す。やはり皆無表情だ。

しかし内心“なんだこいつは?”と思われているに違いない。それくらい僕の挨拶が簡素過ぎた自覚はある。

とはいえ、これ以上の文章を出力するには、今の僕に内蔵されたOSではとてもじゃないが対応出来そうにない。


昔から人と話すのは得意じゃなかった。

高校へ入るまで(厳密には入ってから暫く)は、他人との距離感が掴めずにしょっちゅう頭のホワイトボードが真っ白に埋め尽くされていた。

頭が真っ白になる現象は、偏桃体という不安や恐怖を司る場所が、過去の失敗で蓄積された記憶に刺激されて活発になり、会話をする上で重要な前頭葉の働きを低下させる事で起きると言われている。

自分でもなんとかしようと思い色々調べてみたが、結論で言ってしまえば…


相手の求めている答えばかりを探すな。


という事らしい。

しかし、そんな事を言われても、相手の求めていた答えが出せなかったから会話が失敗してきたわけで、自分の話したい事だけ話してもダメだと言う矛盾がここに生じる(というか、世の中こういった矛盾が多過ぎて甚だ処理に困る)。

そこに自分の求めている物があったからその行動を選んだ訳で、結果その行為自体が間違いだと指摘されても、じゃあ元々自分の行きたかった所へ辿り着くにはどうしろと言うのだ。

だが、どんなに納得が行かなくても、哀しい程そういった理屈は正しい。

失敗を避ける、と言う観点においては。

自衛モードMAXで放った僕の言葉は、きっとこの場の人間に不愉快な物しか与えなかったろうが、それと引き換えに余計な事を話して失敗して、自分の評価を著しく下げる危険から自分を救う事ができた。

と、色々考えている間に次のターンはとっくに終了していたのだが、話が長い割に大した事は話してない僕で言う所の失敗パターンだったので良しとしよう。


思考の片手間で聞いていたのを簡単にまとめると、彼女の名前は樫村優希(かしむらゆうき)、年齢は三十で二児の母らしい。

見た目は実年齢よりも若く見える。おそらく男でなくても自然と目が行く程、その胸は豊満であった。…別に興味は湧かない。……本当に。

自営業で花屋を営んでいる事だとか、夫を数年前に亡くしているだとか色々話してはいたが、この短期間でそんな多くの情報を話せれても困る。…覚えきれないではないか。


「眞白蓮(ましろれん)と言います。今、中一です。正直言ってなんで自分がここにいるのかよくわかりません。」

僕の不毛な葛藤を無視して始まる眞白少年の自己紹介。

何故ここにいるかわからないと言う割に態度は落ち着いている。確かに中学一年と言われて納得する幼さはあるが、もう少し上の年齢かと思った。

第一印象で言わせてもらうと、典型的な優等生タイプと典型的な俺様タイプを足して二で割ったような感じ。…だったのだが、話している様を見ると少し気弱な要素も見受けられる。とにかくあまり悪い印象は受けない。


まぁ人の第一印象はあまり当てにならないから気を付けなければ。何せ僕らの頭は、見た目と声だけでその対象の八割を定義付けてしまうのだから。

きっと彼に対する印象も僕と周りの人間では色々と差があるのだろう。

特に、眞白少年の話が始まってから口を半開きにしたままでいる彼女とは相当な差がありそうだ。ただ、きっと本人は意識してない状態なので、真剣な表情なのに口だけ半開きなのがとてつもなくシュールで今にも吹き出しそうになる。


誰か言ってくれ。
“柳瀬さん、口半開きですよ!”って…。

CHAPTER3/sideY

(中…学生……だ…と…?)

目の前の少年から発する単語を理解するのに幾許か時間が掛かってしまった。

リムジンの時といい、なんでこうも簡単にフリーズするのだ。まるで私のスマホ並の処理速度だ。

(そ、そういえば、中学生になりたての頃ってランドセルが外れた小学生が制服着てるようなものだから仕方ないよね?うん。しょうがない、しょうがない。)

これって、一体誰に対しての言い訳なんですか…。私ですね、はい…。

「一応、この前試験の概要は説明してもらったので、ある程度理解はしています。ただ、さっきも言ったように僕が選ばれた理由が全然わからないので困惑しています。…よ、よろしくお願いします。」

(…あれ?話してるとなんか印象違うな…。)

先程まで、随分怖そうな顔つきに思えたのだが、いざ話しているのを聞いているとなんてことない普通の少年だ。単純に警戒心が強いせいで表情が強張っていたのだろうか。

「理由なんて私もよくわかってないよ?多分、ここにいる皆そうなんじゃないかな?」
怯えてる少年に母性本能が擽られたのか、樫村さんが優しく話しかける。

「あぁ、俺もなんで自分がここにいるのかよくわからん。」
これに律儀に答えてあげるのは、イケメン江葉さん。

「あ、そうなんですか。てっきり僕だけ何もわかってないのかな、って思ってました。」
「まぁ、周りは知らない大人だらけだもんね。でもきっと皆あなたの味方よ?えっと…、蓮君って呼んでもいいかな?」
「…え?あ、はい。大丈夫です。」
「ありがとう。じゃあこれからよろしくね、蓮君。」
「は、はい。よろしくお願いします。」
 
(やっべぇ…鼻血出そう。いいなぁ、ああいう絡み。)

樫村さんに話しかけられる度、胸部に目線が行ってしまい頬を赤らめる蓮きゅん、を見てほくそ笑む私。

…最低だ、私って。
しかしそんな自分は嫌いじゃない。


「じゃあ、自己紹介も終わった事ですし、次の項目に進んでもらいましょうか。」
ああいうやり取りを見て何も感じないのか、少しイラッとしたのか、藤峰さんが先へ進もうとする。…んー、彼は呼び捨てでいっか!

「そうは言っても、この後の指示って何も無いですよね?今の所。」
あ、ちょっと待って。君は暫く喋らないで!
男の子(普)って言い続けるの結構しんどいんです。せめて誰か名前を…

「それなら彼の見ていた用紙に何かあるんじゃないか?」
私の思考が追い付かないまま、藤峰は江葉さんが手に持っている紙を顎で指示す。江葉さんはもう一度紙を見返して、少し困った表情をしながら、

「いや、この紙にはその後の指示は書いてないな。」
と、言うのにすかさず藤峰が切り返す。

「念の為、その用紙を見せてもらってもいいですか?」
「あぁ。」
江葉さんと藤峰の席は近いので、江葉さんが立てばすぐに手渡せる距離にある。

「…確かに、特に何も書いてないですね。しかし、この空欄の部分が気になるな…。少し余白が多過ぎやしませんかね?」
藤峰の席は私の隣にあるので、軽く身を乗り出して書かれている内容を覗こうとしてみた。

「…あ!」
部屋中の視線が一同に集まる。私…ではなく佐倉さんへ。彼女の席は江葉さんと藤峰の間に位置するので、どうやら私と同じ事を考えていたらしい。

「その紙の裏側、薄っすらと文字が見えませんか?」
そう言って藤峰の手にしている用紙を指差す。

「…お、本当だな。どれ…んー、これはどういう仕組みだ?」
紙の表裏を交互に見ながら藤峰がぼやいていると、

「ちょっと貸して下さい。」
そう言って紙を掻っ攫う男の子(普)。

(お!ここで“おい、ちょっと○○君!”みたいな感じで名前を言ってくれぃ‼)

「おい、ちょっと君!」

(…うん。まぁ、そうなりますよね。)

「これ、紙の上から紙が貼られているだけですよ。」
話しながら男の子(普)は、余白の部分に重なっていた別の紙を剥がしてみせた。

確かに、別の紙が剥がれた途端見えづらかった箇所がはっきり見える。

「…えっと、皆さんが座っている椅子の裏側に、それぞれの対象者に向けた質問の書いてある用紙が貼ってあるそうですよ。……あ、これですね。」
「…ちょっ、なんで私の席から取るんですか!?」
「え!?あ、ごめんなさい。一番近かったのでつい…。」
「…え?あ、それは…そうですよね。こちらこそ…すみません。」
「い、いえ…。」

(…な、何してるの私ぃ!!)

自分で“アホな事してるなぁ”って感じる時は既に何度かあるが、先のそれは今日一である。

勝手に名前を聞き逃して、勝手に喋らないでくれと念じ、勝手に彼の行動へ文句を垂れてしまった。…最低だ!私って!!

「そ、それじゃあ、他の方々も自分の席を確認してみ下さい。それで、とりあえず指示通り行動してみましょう。」
「………。」
「な、なんですか?…あの、柳瀬さん…でしたっけ?」
「…そうです。柳瀬茉優です。」
「は、はい。」
「………。」
「な、なんでしょうか?」
「…さっき聞き逃しちゃったので、もう一度…教えて下さい。」
「……はい?」
「…お名前。」
「……はい。」


これで暫く、彼の顔をまともに見られそうにない。

UNINSTALL

UNINSTALL

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • 成人向け
更新日
登録日
2014-02-09

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. UNINSTALL
  2. CHAPTER1/sideM
  3. ACT1
  4. CHAPTER2/sideM
  5. CHAPTER1/sideY
  6. ACT2
  7. CHAPTER3/sideM
  8. CHAPTER2/sideY
  9. CHAPTER4/sideM
  10. CHAPTER3/sideY