語りあい(3)
いい人達ばかり。困ったものだ…。
「君には理想はあるかい?」
そう言って彼女はいつもの調子で僕に問いかける。
「いや、さっぱり」
そう言って僕はいつもの調子で答えを放つ。
「そうか、それは寂しいな」
先程の質問を僕にぶつけるまでは、ただひたすらに読み、耽っていた文庫本からしばし目を離して彼女はそう言った。表情を見ると本当に残念そうだ。けど、彼女自身がそういう表情わざわざしてくれるほどに善良な人物であることを僕は知っているので、そういった分かり易くてありがたい同情を寄せられた所で嬉しくもなんともなかった。
「そもそも、理想ってなんですか?」
僕は問いかける。
「私も分からない」
にべもなく彼女はそう答える。
「分からないのに僕に聞いたんですか?」
「別にそれが何なのかが私には分からないとしても、君の主観としての理想を君自身が持っているかいないかという「君の」見解は知ることはできるだろう?私が知りたかったのはそこだけだ」
目を離していた文庫本を再び読みだす彼女を見つめながら、僕は「…はあ」という阿呆そのものの受け答えしかできなかった。
「…というか、知ってどうするんです、そんなの。僕がその理想とかなんとかを持っていて寂しくない人間かどうかを知って、あなたはどうするつもりだったんです?」
「どうもしないよ。ただ知りたかっただけだ。君は好奇心に理由なんてつけられるのか?「好奇心」自体が、その動機を説明する為の言葉だというのに」
言葉の後半はもはや低い呟きになり、その目は先程より一層鋭く文庫本に向けられている。話題に飽きた彼女はその終わり際、いつもこのように相手を煙に巻くようにしてその会話を打ち切ろうとするので、そろそろこの理想自体の実体に欠片も言及しない議論もお開きということなのだろう。何なのだ、一体。
「…部長」
「何?」
「部長って、ほんと詰まんない会話しかできませんよね」
溜息と共にそう告げた僕を見て、彼女は心底嬉しそうな表情でこう言った。
「それはこっちの台詞だよ」
語りあい(3)