待ちきれないから愛してよ
ただ、ひたすら愛してほしかった。
それがどんな姿の自分に向けられたものでも。
これは、ある一人の人間に恋した、うさぎのお話。
「帰っておいで。ご飯の時間だよ。今日は君のすきなチーズつきだから」
チーズ。
その言葉に僕は鼻をぴくんと動かして、草むらから飛び出た。
さっきまで庭のたんぽぽの葉をたらふく盗み食いしてたけど、チーズは別腹だ。お腹が一杯でも食べれる。
短い脚を器用に動かして、跳ねながら僕はご主人様の傍へ近寄った。その様子にご主人様も優しく笑って頭を撫でてくれる。
「たんとお食べ。俺はこれからちょっと執筆に勤しむから、大人しくしておくんだよ」
僕のご主人様は小説家だ。現代の女子高生を中心にトキメキを贈る恋愛小説家。
いつもはもっさりとした髪の毛にジャージ姿のおっさんだけど、髭をそって、髪を整えて、ちゃんとした格好をすれば、それなりのイケメンだ。たぶん。
僕はチーズをポリポリと銜えて口に突っ込みながら、ふと空にある太陽を見上げた。
まだ昼前だし、今日は〝あの日〟だ。僕はご主人様の言いつけを言われた側から破って、チーズを頬いっぱいに頬張ると、家の庭から脱走した。
僕の毛は雪うさぎみたいに真っ白でふわふわ。眼は大きくてくりくりしてるし、爪だってちゃんと研いである。これでもまあ、見た目には気を使う方だ。
ミックスのうさぎだけど、誰もがかわいいって思うような姿を僕はしていた。
だけどそんな僕を見て、たった一人だけ初対面で「うわっ、大根みたい」といった奴がいた。失礼にもほどがあるし、プライドだって傷つけられた。しかもそれが動物好きな女の子だっただけに。
でも興味だって湧いたんだ。
それから僕は彼女のもとへ、ちょくちょく足を運ぶようになった。
「星野さーん。ちょっとそっちの肥料とってくれる? あっ、あと草の束とバケツも」
「はい、分かりました。ちょっと待ってください」
近所の高校の裏庭、動物飼育スペースから数人の声がする。
僕はそこめがけて突っ込むように走った。
「わっ!?」
「え、うさぎ……っていつもの子じゃない!」
「わー、また来たんだー! いつも来るからここが好きなのかな? こっちおいでー」
いきなり木陰から飛び出してきた僕を、その場にいた人間達は笑顔で出迎えてくれた。僕も耳を動かしながら、顔見知りのメンバーの足元へすり寄る。
頭や体をあちこち撫でられながら、僕は目線だけを動かした。ちょうど飼育小屋の向こう側に、会いたかった彼女が一人で黙々と作業をしている。
「星野さん、あなたもこっちに来なよ。ほら、いつも来るうさぎだよ」
「いえ、大丈夫です。それよりも肥料と草の束、バケツ、ここに置いておきますね」
「あ、う、うん。ありがとう」
興味のかけらも示さない彼女に、他の人は圧倒されたようにうなづいた。僕は少しだけしゅんと耳をまげる。
僕が会いたかったのは、触れてほしかったのは、あの子だったのに。
ここにいるのは高校の飼育委員達。週に一度、決まったよう曜日に飼育小屋の掃除をするのだ。そして初対面で千万無礼な言葉を投げつけてきた相手が、彼女、星野さんこと星野千夏ちゃんなのだ。
(千夏ちゃんはやっぱり僕のこと嫌いなのかな……)
出会った当初からの物言いに、全くの興味皆無。虚しくなるほどの存在感スルーだ。
だけど僕は心のどこかでそれに諦めをつけていた。
僕は「うさぎ」。彼女は「人間」だから。
「う~ん、可愛い!萌えー‼」
「分かる―! この愛くるしさは本当に天使なの!? ってくらいだよね。萌えー‼」
いきなり叫んだ飼育委員の子達に僕はびくりと体を揺らした。でも、少しだけ自信を回復する。やっぱり褒められるとうれしいもんね。
ゼリーやらリンゴやらを山積みになるほど貰って、僕はぼーっと木の下で飼育委員の作業を見つめてた。けどやっぱり千夏ちゃんは一度もこっちを振り返ってはくれなかった。
(これを切ない恋心っていうのかなあー……)
ご主人様がよく熱烈に語っているものだ。その要素がないと恋愛とは呼べんとかなんとか。ご主人様の小説はとにかく共感できるものらしいけど、見たことがあるけど「なんじゃそりゃ?」と思うようなオトメゴコロが詰まってた。
それじゃあきっと、ご主人様の言葉を借りるとすれば、これは「片思い」で、しかも「失恋間際」だ。
(あーあ。もし僕が人間の男の子なら、この状態が少しでも変わってた……かな)
考えても仕方ない事だけど、考えずにはいられなかった。
空が真っ赤に染まって、カラスがうるさく騒ぎたてる頃。僕は散々、飼育委員の子達に撫でまわされ、抱きしめられて、半分ずたぼろだった。
この前も今日も彼女の目に僕は映らなかったな、なんて考えても寂しい事を思いながら学校の校門を出ようとしたとき、後から走ってくる足音が聞こえた。
「待って、そこのうさぎ!」
動物の条件反射で脱兎のごとく道路側へ逃げてしまったが、追いかけてきた人物が千夏ちゃんであったことに僕は眼を見開いた。
この場にうさぎであろうものは僕しかいない。
それじゃあ僕に用事なのか? え、でもなんで。僕に興味なんてナッシングだったのに。
「あ、あの、これ」
うさぎ相手なのに突っ張りながら彼女は何かを差し出した。
それはチーズじゃないか!
(え、なんでチーズ!? 僕、好物を千夏ちゃんに教えたことあったっけ? いや、そもそもうさぎだから話せないし、教えることもできないんだけど)
なんでこれを? というのが僕の瞳から伝わったのか、彼女は眼を横にそらしながらぶっちょう顔で答えた。
「以前に……飼育委員の人たちがチーズの入ったお菓子を上げてるのを見て、あなたがあまりにもおいしそうに食べるから、もしかしたらって……」
そんなところを見られていたのか、恥ずかしい。
けれどそれよりも彼女の瞳に僕の姿がしっかりと映っていたことの方が驚きだった。
「あとね、うーん……覚えてるかな。私が初めてあなたに会った時、大根みたいって言ったでしょう。あれから考えてみて失礼な言葉だなって思ったんだけど、本当はすごく可愛いって意味なの。私の祖父が大根作りのプロっていうか、大根大好きで。それで影響を受けて私もすごく心が惹かれるものを見ると大根みたいだなって言っちゃうの。理解しがたいよね」
へへっと笑う彼女は、今までの無表情だったときとはまるっきり別人に見えた。
(なんて不器用で分かりにくい子なの、千夏ちゃん)
僕は少しだけ苦笑したい気分になった。みんなと一緒に和みながら話せばいいのに、自分に与えられた仕事を最優先して。実は動物が大好きなのに、接するためにはタイミングが必要で。
それでも、うさぎである僕に真正面から、まるで一人の人間として話しかける姿はすごく嬉しいものだった。
やっぱり人間は自分たちより小さいものや弱そうなものを見ると、同じ視線ではあまり話さなくなる。いくらか上目線。僕自身もう慣れきってしまっていたけど、こうやって対等に接してくれるのは珍しいし、嬉しいんだ。
(ああ、だから僕は彼女が好きになったのかな)
なんとなく納得した。
うさぎだとか関係ない。
うさぎでも恋をする。
でもやっぱり、一方通行の想いはつらいな……。
(そのためには僕も、本当に対等な生き物にならなくちゃ)
僕は決心した。
いつか生まれ変わって、次は彼女と同じ人間になる。そこから再スタートだ。
「覚悟しといてね」
言葉は通じないけれど、なぜか彼女は頬を赤くした。僕はその頬に自分の鼻をちょんっとあてた。
それはうさぎのキスの仕方。
待ちきれないから愛してよ