おしっこ王子とうんこ大王(2)
二 うんこ大王
階段を降り、リビングに向かうと、テーブルの上には、朝食が三セット並んでいた。食パン、ゆでたまご、サラダ、それにバナナ。食パンにはイチゴのジャム。いつものワンパターンの朝食だ。たまに、ウインナーかハムが付くぐらいのバリエーションだ。僕はごはん食の方が好きなのだけれど、お父さんやお母さんはパン食の方がいいらしい。お父さんは、右手に新聞、左手にコーヒーカップ、口には食パンをほおばるなど、器用に朝食を摂っている。これで、一輪車に乗れば、サーカスの団員になれるだろう。
「おはよう」
お父さんからのあいさつ。新聞越しに僕の姿が見えるらしい。
「おはよう」
僕も新聞紙に向かって答える。でも、目はテレビ欄だ。二人が両側から同時に新聞を見ているかっこうになる。僕は新聞を持たなくてもいいから、楽ちんだ。夜の七時からは、毎週欠かさず見ているアニメ番組がある。今日は無事放送される。これからは野球のシーズンなので、よく放映が中止になるので困る。でも、お父さんは、野球の方が見たくてしようがない。同じチャンネルで、二つの番組を二つの画面に分けて放映してくれればいいのにと、いつも思う。今日の夜の番組を確認した後、椅子に座り、朝食を胃袋の中に流し込む。ぐるるる、ぐるるる。さっきのおしっこ王子との別れの時と同じ音だ。あっという間に、何も置かれていなかった白い皿に早戻り。だからと言って、お代わりを要求している訳ではない。
「もう食べたの?」
食卓に着こうとしたお母さんからの言葉。
「うん、ごちそうさま」
僕は、急いで、制服に着替え、歯を磨く。学校へ行く準備は整った。後は、友達が来るのを待つだけだ。ソファーに寝転がり、マンガの本を開く。今日は、月曜日。定期購読している週刊マンガの発売の日だ。学校から帰ってきたら、近所のコンビニに走る。連載マンガのストーリーを思い出すため、今のうちから、もう一度先週号に目を通す。抜かりはないぞ。その時、お腹の辺りが何だか重たく感じた。何かが出そうだ。お尻をソファーに押しつけているけれど、それも限界だ。小走りに、一階の便所へ一気に駆け込む。ズボンとパンツをおろし、便器に座る。ひやっとすることなく、ちょっと温かい便器。お尻にやさしく、気持がいい。間もなく、塊がお尻から噴き出た。快便だ。一日一回、毎朝、出ている。うーんと落ち着いた。お腹も少し引っ込んだ。この歳で、幼年ぶとりだなんて、僕の生き方に反する。ボタンを押して、お尻をシャワーで洗浄。おもむろに立ち上がり、水を流そうとしたら、声がした。
「少しは、あいさつしたらどうだい」
誰の声?外で、お父さんやお母さんが待っているのか?でも、そんな雰囲気はない。
「ここだ、ここだ」
声は便器からする。さっきのおしっこ王子なのか。それにしては、声が低音だ。言葉も威圧的で、ぞんざいだ。
「わしだ、わしだ」
便器の中を覗く。そこには、茶色で、人間の形をした固体が、たまり水の中で立ち上がっていた。さっきは、黄色。今度は、茶色。いつから家のトイレは、いろんな人形が登場するようになったのだろう。人形の出現に驚くよりも、不思議な気分が強かった。
「あなたは、誰ですか?」
君は誰?と言おうとしかけたが、あなたに言い換えた。怒られそうな雰囲気だったからだ。
「わしは、うんこ大王だ」
さっきは、王子、今度は、大王。自分のことを大王と呼ぶなんて可笑しいと思いながら、
「先程、二階のトイレで、おしっこ王子に会いました」
「あいつは、わしの息子だ」
おしっこが息子で、うんこが父親か。じゃあ、お母さんは、誰だろう?ちょっと尋ねてみたい。
「そのおしっこ王子のお父さんである、うんこ大王様が、僕に何の用ですか?」
「わしとお前の仲だ。様はつけなくていい。王様だけ敬称となるんだ。覚えておいた方がいいぞ。それに、用があるから呼んだんだ。お前は、わしの顔を見ることなく、わしを流そうとした。けしからん奴だ」
言われてしまえば、そのとおりだ。でも、まじまじと自分のうんこを見る人なんて、あまりいない。ほとんどは、いやな物、汚い物としてすぐに流してしまう。じっくりと直視するのは、年に一回。学校の検便検査で、採取するときぐらいだ。それでも、早く、うんことさよならしたくて、さっさと棒を突き刺し、二、三回ぐるりと回して、すぐに、容器の中にしまい込む。もちろん、臭いなんて嗅がない。息を止めて、瞬間勝負だ。そのことを話すと、
「何を言うか。わしは、さっきまで、おまえのお腹にいたんだぞ。お前が、昨日、何を食べたか全てわかっている。特に、昨晩の夕食の際、トマトとブロッコリーを一切れずつ残しただろう。おかげで、わしの体を見ろ。粘って、粘って、しょうがない」
うんこ大王は、手や足(うんこにそんなものがあったなんて不思議だが)を持ち上げようとしたが、なかなか動かない。
「ちゃんと、食物繊維を摂らないとこうなるんだ。ひどい時には固まってしまい、お前のお腹の中から出られなくなって、お腹を突き破ることになるぞ」
それは困る。いつもお腹がパンパンじゃ、体が動かない。それに、再び、繰り返すが、お腹ぽっこりの幼年ぶとりだなんて言われるのは嫌だ。まして、男の子がうんこを産んだなんて聞いたことがない。エイリアンじゃあるまいし、うんこにおなかを突き破られたら、僕の一生が、僕の家族が不名誉でべたべたになってしまう。
「わかったよ。ちゃんと、野菜も何もかも、出された物は残らず食べるよ」
「わかったんならいい。そのためにも、わしの様子がどうなのか、毎日、あいさつするんだぞ」
僕は大きく頷いた。
「それじゃあ、流してくれ」
僕は、大王の言うままに、トイレの水洗のレバーを回した。くるくると渦を描き、大王は流れて行った。
「また、会おう。遅くても、また、明日な」
「さようなら。ありがとうございました」
僕は、思わず、便器に向かってお辞義をしてしまった。
「いやいや礼などいらぬ。またな」
大王に別れを告げ、僕はトイレから出てきた。入れ替わりに、お父さんがトイレに入ろうとした。
「お父さんは、うんこ大王とおしっこ王子を知っている?」
「なんだ、それ?新しいマンガの主人公か?お父さんが小学生の頃、トイレット博士というギャグ漫画があったな。お父さんのお母さん、ハヤテのおばあちゃんからは下品な漫画だと言われていたけれど、お父さんは大好きだったな。それ以来、うんことおしっこを身近に感じているし、毎日、お世話になっているぞ」
「そうなんだ」
玄関のチャイムが鳴った。クラスメイトの義之君だ。
「それじゃあ、行ってきます」
「ああ、いってらっしゃい」
「いってらっしゃい」
トイレからはこもった低い声が、リビングルームからは甲高く、はっきりとした声がする。まるで、うんこ大王とおしっこ王子からのあいさつように聞こえた。僕は、すっきりした顔で、学校に向かった。
おしっこ王子とうんこ大王(2)