芽吹く季節

芽吹く季節

とある人の一言から、こんなお話が生まれました。
春という生命力を持つ季節には、伸びてゆく枝葉や咲き乱れる花々が似合うように、
人間にも人生の春を無条件に謳歌する時期が有っても良いでしょう。

生まれ育ち、さらに自分の遺伝子、子孫を後世に残すこと。
少子化の時代に、あえてそんな生き物の基本的な部分を
書いてみました。

自分でもお気に入りの恋愛小説です。

この季節になると、体がだるく感じる。
世界が一斉に自己主張を始め、より高く、より広く、伸び広がろうとしている。それに一歩出遅れると、取り残された感が生まれ、自分の存在までが、否定されるように想えるのだ。
芽衣は春の光を浴びながら、そんなことを鬱々と考えていた。そんな芽衣のわずかな苛立ちを見透かすように、祐一は声を掛ける。
「春って猥雑な季節だよな。花が咲いたり、葉が伸びたりして。」
「どうして。カラフルな色が揃って、綺麗な季節じゃない。」
自分の考えてる事を言い当てられたようで、思わず芽衣は反発してしまう。
「だって、花って生殖のための器官なんだよ。雄蕊と雌蕊を見せびらかして、子孫を繁栄させるために、受粉を待ってるんだよ。」
「そう言えばそうだけど。まったく祐一って、綺麗な花を見ても、そんな事考えてるのね。」
祐一は、芽衣の言葉に楽しげに微笑んだ。二人で歩いている公園は、数組の親子が遊んでいるだけで、人影もまばらだ。

平日の昼さがり、こんな時間に公園を散歩しているカップルは、世間からどんな目で見られるのだろう。芽衣はふとそんな事を想う。
幼稚園児くらいの子供を連れた母親は、二人に遠くから視線を送っている。
「あの母親だって、そうやって妊娠して子供を産んだんだろう。そんな事知りませんって顔していても、証拠を連れてるんだよ。」
「それが生き物の自然な姿だから、恥ずかしがって隠す方が不自然なのかもね。」
芽衣は、その母親の姿に、自分の将来を重ねて言う。
芽衣が祐一と付き合うようになって一年になる。この人は優しい。いつも穏やかな表情で芽衣に向き合ってくれる。話す内容はこういう風に取り留めも無かったり、意外だったり、辛辣だったりするが、芽衣が否定すれば、微笑んで頷くばかりだ。


祐一と初めて会ったのは、病院だった。
外科病棟の看護師の芽衣は、見舞客の祐一に病室を訊ねられた。ちょうど行き先が同じだった芽衣は、祐一を連れてエレベーターに乗り、病室まで案内したのだ。
祐一が見舞いに来た細谷は、バイクの事故で足を骨折した患者で、祐一の同僚だった。芽衣は見舞いの品を見て、くすっと笑った。
「こんなお見舞いはおかしいですか。」
「いいえ。そんな事は無いですけど、ちょっとかわいそうかなと思って。」
祐一が持っていたのは、バイク雑誌とバイクのプラモデルだったのだ。
「あいつが事故ったのは、僕のバイクだったんですよ。当分バイクも乗れないだろうから、ちょっといじめてやろうかと思ってね。」
「こんなの見せたら、退院してすぐ再入院になりそうね。」
「大丈夫。あいつのバイクはもう無いから、まず、金を貯めてバイクを買わなきゃならない。乗りたくてもしばらくは無理ですね。」
「事故で壊れたのは、あなたのバイクだったんでしょう。」
「だから、弁償の意味であいつのバイクが僕のものになったんですよ。それに、あいつのバイクの方が高いバイクだったから、その差額が入院費になったんです。」
そう言えば、入院している細谷は、愛車は1200ccなのに、250ccで事故を起こしたと、自嘲気味に笑っていた。
「じゃあ、あなたは自分のを壊されて、入院費まで払ってあげたっていう事なのね。」
「そうですね。その分良いマシンが手に入ったんで、しばらくはそれで遊んでますよ。」
そんな話を交わして、病室に案内した。
その後も何度か見舞いに来た祐一は、その度に芽衣に遭遇し、声をかけるようになった。そして、細谷が退院する時に、芽衣にプライベートで会ってくれるように申し込んだのだ。

患者でなく、見舞客と付き合うなんて珍しいと、同僚には呆れられた。
看護師をしていると、世間では良い先入観を持たれる。逆に、看護師なのに優しくないなどと言われ、男と喧嘩した話なども聞く。
「どうして、看護師は白衣の天使なんていうイメージが拡がっちゃったんだろうね。痛い傷口を開いて薬を塗り込む商売なんだから、もっと冷血な人間に見てもらわないと、ギャップが厳しすぎるよ。」
同僚は時々そんな愚痴を言う。

それにこの仕事には、当然夜勤なども有る。普通の仕事をしている人とは、すれ違いになる事も多い。そういう面でも、祐一との付き合いは気が楽だった。祐一は電機系の工場で、生産ラインの変則勤務をしている。自分の勤務が世間と合わない事も知っているし、芽衣も同じようなものだと、きちんと解っている。だから、平日の昼間にこうやって会う事も出来るのだ。


公園の芝生に面したベンチに二人並んで腰を下ろす。新緑の季節とは言うが、日々の寒暖の変化が大きく、体調を崩す人も多い。今日も病院には沢山の患者が訪れているだろう。
「看護師っていうのも大変な仕事だよね。」
祐一はそんな事を突然言い出す。
「患者は一人一人状況が違うし、どんなに頑張って治そうとしても、結局は死んじゃう人だっているんだし。」
芽衣が何日か前に、看取った患者のことを言っているのだろう。
「まあ、看護婦って世界最古の女性の職業の三つの中の一つだって言うから。今は男も居るけど、やっぱり女性向きの仕事かな。」
「あとの二つは何なの。」
「巫女と娼婦だって。啓示を与えて導く者と、癒して慰める者と、世話をして看取る者のどれかに分類されるっていう事らしいよ。」
「そうかもしれない。呼び名は看護師になったけど、世間ではやっぱり看護婦さんっていうイメージは大きいしね。」
どこからそんな雑学知識が出てくるのだろう。祐一の言葉には、ときどき驚かされる。

「芽衣ってさ。五月生まれで、名前も英語の五月なのに春は苦手なんだ。おかしいよね。」
「そういう祐一だって、二月生まれなのに寒がりじゃない。」
「それは生物の仕組みで仕方ないだろう。体温を一定に保つためにエネルギーを使ってるんだから。寒いよりは暖かい方が生きるのに楽だからね。バイクにも良い季節だし。」
「エネルギーレベルの話をするの。夏は暑い暑いって言うくせに。」
芽衣はそう言って笑う。
祐一は暑いのにも寒いのにも、芽衣よりおおげさに反応する。
「エネルギーって言えば、エントロピーって知ってる。物理学なんかの用語らしいけど。」
「言葉くらいは聞いた事が有るけど。」
「乱雑さって言うのかな。熱が高い方から低い方に流れて、均一になる事らしいけど。」
「それがどうしたの。」
「エントロピーが高くなるっていう事は、エネルギーが低くなるんだ。水の中にインクを一滴落とすと、だんだん拡がって薄くなる。整頓された部屋は次第に散らかる。そして人も生き物も死んで分解されて土に還る。エントロピーに逆らうのは大変なんだよ。エネルギーレベルを高くしなきゃいけないからね。」
そんな難しい話をしながら、祐一は空に浮かんだ雲と樹の梢を眺めている。
「でも、エントロピーに逆らえるものも有る。生き物はそうだ。太陽の熱を受け取って、それを凝縮させて、自分自身を成長させる。さらに、それを食べて大きくなる。それどころか、自分の遺伝子を複製させて、個体まで増やしてしまう。」
そう一息に語った後、祐一はしばし沈黙する。
芽衣は、祐一の次の言葉を待った。

その雄弁さと不似合に、祐一ははにかんでポケットから何かを取り出す。
「あのさ、細谷がやっぱり自分のお気に入りのバイクに乗りたいって言ってさ。あのバイクを買い戻すって言って来たんだよ。」
「そう、良かったじゃない。細谷さんもすっかり元通りね。で、あなたは前のようなバイクを、また買うの。」
「それなんだけど、どうしようかと思ってね。元のバイクが新車で買える金額なんだけど。」
話題が一転して芽衣は戸惑う。
「それで、バイクじゃ無い物を買ったんだ。」
「何、新車のバイクくらい高いものなの。」
「バイクよりも、もっと大事なもの。」
「何を買ったの。教えて。」
祐一は不意に芽衣の耳元に顔を寄せて囁く。
「二人でエントロピーに逆らおう。木の芽や花のように、成長して子孫を繁栄させよう。」
そして、芽衣の目の前にさっきポケットから出したものを差し出す。
小さな箱の中は、碧色の石の付いた指輪だった。芽衣の誕生石のエメラルドだ。
「受け取ってください。」
祐一は真剣な表情で、芽衣の顔を覗き込む。

芽衣は思いがけない展開にあっけにとられる。自然に涙が湧き出し、ただ頷くだけだ。
祐一は芽衣の右手を取り、指輪を嵌める。
「良かった。誕生日にしようかと思ったけど、こんなに良い天気だったから。」
「買っちゃったら、それまで待てなかったんでしょう。」
「うん。だから今度の誕生日プレゼントは、勘弁して。」
「じゃあ、おいしいご飯だけで良いわよ。」
「だったら、部屋で二人きりの食事にしよう。ワインと手料理で。」
「そうね、それも良いかもね。」
微笑む芽衣の目からは、まだ涙が泉のように湧き出して止まらない。そう言えばスプリングっていう単語には、春っていう意味の他に、泉っていう意味も有ったんだっけ。芽衣はとりとめもなくそんな事を想っていた。

芽吹く季節

ヒトも動物の一種だし、植物も動物もその遺伝子を後世に伝えることが
生存する目的であり意義である。
生物学などでは、そう教わります。

ヒトが人間として独自なものに定義されると、「我思うゆえに・・・」などと言いだし
「生きるべきか死ぬべきか」などと、難しい思考に陥ったりします。

生きる事を難しく考えず、エネルギーを蓄え、枝葉を伸ばし、花を咲かせ
実を結ぶことに夢中になる方が、生き物として正しい姿のように思えます。

これを読んだ人がどう思いどう行動するか。
少しでも、人生の意義や使命を思って、自分と周囲の人の為に
生きようとしてくれたらと思います。

芽吹く季節

看護師の芽衣は、職場でふとしたことから見舞い客の祐一と知り合い、付き合い始める。 祐一と芽衣は、それぞれの思いをシンクロさせながら、やがて良い関係を作りあげる。 そして、春の公園で、芽衣と過ごす祐一は・・・

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-02-04

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