クリスマスツリーも飾れない

一番かわいそうなのは私でもクリスマスでもなくてこの「うちにきてしまったクリスマスツリー」だ。

「せっかく買ったのに、もったいない。」

そう思いながらも、中途半端に箱から出されたクリスマスツリーは

再び箱にしまわれることになった。

クリスマスツリーとは見て楽しむものでもあるけど

私は飾り付けをする時が一番重要だと思う。

クリスマスソングをかけながら、誰かと一緒に

星の位置やリボンの位置をああだこうだいいながら

飾り付けるのだ。


去年は楽しかった。

11月のうちから、ニトリで180cmもあるツリーを買って

職場のみんなで飾り付けた。

これがツリーの醍醐味というものだ。


どうしてクリスマスは特別なんだろう。

日本の歳時記のほうがよっぽど理屈が通っていて

やるとこに意味があるというのに

私たちはケンタッキーや百貨店やケーキメーカーに踊らされているとしか思えない。

そんなことを思いながらも

私は一度開いてしまったツリーの枝を

丁寧に直して箱にしまうのだ。

一番かわいそうなのは私でもクリスマスでもなくて

この「うちにきてしまったクリスマスツリー」だ。

不運にも、クリスマス直前にも関わらず箱にしまわれている。

ひなまつり前の節分に雛人形を押入れの奥にしまってしまうようなものだと思う。

本当ならばこのツリーはうちじゃなくて他のニューファミリーなんかに買ってもらって

家に着いた瞬間にその家の子供たちに宝物のように大切に扱われ

飾ってライトまで付けてもらえたことだろう。

「ごめんね」

私はそう呟いてクローゼットにしまい込んだ。

本来ならこの時期に一番輝いているはずだったのに

真逆にしまい込まれている不運な私のクリスマスツリー。

飾っておいても25日にはプレゼントなんて置いてあるわけもなく

もっと世のため人のため

毎日を懸命に過ごしていればプレゼントのひとつも貰えたかもしれないのに

私は何も変わらず日々を、まるで蛇口を少し開けたままの状態のような

ぽたーん ぽたーん とした毎日を過ごしてきた罰だ。


子供のころは毎年楽しみだったクリスマス

クリスマスツリーの飾り付け

お父さんの買って帰ってくるクリスマスケーキに

お母さんの作った食べきれない量のから揚げ。

そして翌朝目が覚めると枕元にあるプレゼント


ああ、卑屈になってる自分がいました。

イベントに理屈なんてなくてもいいんじゃないか。

人と人のつながりになれば

日本の催事でもハロウィンでもイースターでも

なんでもよいのだ。

あのころは純粋になんでも楽しんでいた

今だって楽しみの種はそこここに転がっているはずだ。

それを見つけようとしなければ楽しいイベントなんてあるわけがない。


今すぐにまた箱を開ける気にはなれない。

どうしてかわからないこの満たされない感情も

コントロールできない。

でも明日になればまた

もう一度楽しく飾り付けができることと

祈っている。

クリスマスツリーも飾れない

クリスマスツリーも飾れない

「せっかく買ったのに、もったいない。」 そう思いながらも、中途半端に箱から出されたクリスマスツリーは、 再び箱にしまわれることになった。 クリスマスツリーとは見て楽しむものでもあるけれど、 私は飾り付けをする時が一番重要だと思う。

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更新日
登録日
2014-02-01

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