野分風 (4)
「お前、し、死ぬぞ」
「死なないよ。大丈夫、大丈夫。馴れたら全然寒くないし、もうすぐ入れると思うし」
えりはガチガチ歯を鳴らしながら、それでも、本当に何でも無いみたいに笑って言って、ぷいと前を向いてしまった。
おれには、全く、訳がわからなかった。同じ待つにしても、コンビニに行くとか、どっか、屋根のある所に行くとか、あるだろう。なんで、こんな嵐の日に、わざわざこんな所で待つのだ。あてつけか?でも、えりの笑顔に悪意は感じられなかった。えりの笑顔は、全く不可解であった。おれはえりの後ろ姿を見た。言葉は何も、見付けられなかった。
部屋に帰って、扉を閉めて、どんっとドアにもたれかかったら、急にぷつぷつ怒りがわいてきて、おれは右手を力一杯握った。拳がぶるぶる震えるまで、力一杯握って、そして、ぱっと離し、縮んだ血管が伸びて、だんだん、だんだん赤くなるのをじっと見た。また、右手を握り、ぱっと離す。それを、何度か繰り返すと、怒りが弱まる。おれだけのまじないみたいなものだった。なのに今日は、怒りが次第に悔しさに変わっていって、ほんの少しだけ泣きたくなった。手の皺がぐしゃっと歪んで見えたその時、ドアがノックされた。誰かはわかっていた。かまわずおれはドアを開けた。
「ちょっと隠れさせてくれない?旦那が心配するか見てみたいから」
気持ち悪いくらい、えりはびしょびしょだった。顔も唇も、真白だった。入れないわけにはいかなかったし、もともと、そのつもりで声を掛けたのだが、
「だ、旦那、おれの部屋、知ってんちゃうん、ここ来たら、どっ、ど、どないすんねん。おれ、まきこまれたあ、ないで。迷惑や」
しかしえりは、さっさと部屋に上がりこんでしまった。
迷惑。
どうしておれは、えりが部屋に入る度、その言葉をぶつけなければ気が済まないんだろう。迷惑なんかしていない。むしろ、ほっとしてる。えりが部屋に入ると、嬉しい。えりが、ずっと笑うんやったら、おれ、旦那のこと殺したってもええで?優しく、そう、言ってやりたい。でも、いつも思ってることと、逆なことを言ってしまう。不器用なおれ、素直じゃないおれ。でも、ちょっとかわいいやろ、えり?おれら、お互い素直になれたら、後は幸せしか無いと思うねん。おれ、えりがずっと笑うんやったら…
「ねえ、タオル貸してくれない?」
玄関で、ぼんやりしているおれに、えりは言った。慌てて濡れてないタオルを探した。
旦那のこと殺したろうか?
今日、言ってみようか。
野分風 (4)