おしっこ王子とうんこ大王(1)

1 おしっこ王子

 朝、僕は目覚めると、ふとんを跳ね除け、慌ててトイレに駆け込んだ。おしっこがもれそうだったからだ。トイレはベッドから十五歩。待って、待って、と、パジャマの上からおちんちんをなだめすかし、小走りで駆けて五秒。ドアを開け、便器の前に立って一秒。慌ててズボンと一緒にパンツをおろし、おちんちんを取り出す。今だ。僕の号令よりも早く、おちんちんの先から、勢いよく水しぶきが飛び出す。まるで、便器の中が火事で、火を消すほどの勢いだ。
 ふっー。ため息。あやうく、パンツやパジャマのズボンを濡らすところだった。だけど、おしっこの勢いが強すぎて、水しぶきが跳ね上がる。噴水だ。後ろに下がれば、おしっこの放物線が便器からずれてしまう。爪先を立て、高く背伸びして、おしっこの跳ね返りから逃れる。おしっこは、自分の体の中から出てきたものだけど、やっぱり、ばっちい。やっぱり、汚い。最後のひとしずくがポトリと落ちると、僕の頭とおちんちんも安心したのか、一緒にうなだれた。
 僕は、膝まで下りたパンツとズボンをひき上げ、便器にたまったおしっこを流そうとした。その瞬間、「待って」、という声がした。辺りを見回す。狭いトイレの中。誰もいない。外で、お父さんややお母さんが待っているのかなと思い、ドアを少し開ける。立っている姿はない。格子窓を開ける。ここは、二階だ。誰だって覗けないはずだ。まさか、泥棒?でも、泥棒が、住んでいる人に声を掛けるはずはない。カラスやハトがおしゃべりするわけでもない。気のせいだと思い、再び、水洗レバーを回そうとした。
「ここだよ、ここ」
 声がしたのは、便器の中だった。中を覗く。たまり水の中から、じゃじゃじゃーんという音とともに、水柱が上昇し、人間の姿になった。ひゃあひゃあひゃあーん。僕は相手に負けないくらいの大きさで、驚きの声を上げた。
「びっくりしなくてもいいよ。僕は、君のおしっこさ」
 びっくりしなくてもいいと言われて、びっくりしない奴なんていない。でも、びっくりするだけでは、話が前に進まない。勇気を奮うほどではないけれど、僕は、その水の妖精、それとも妖怪に向かって話し掛けた。
「僕のおしっこだって?」
「そう、君のおしっこさ。さっきまで、君の体の中にいたじゃないか」
「そうだね」
 証拠はないものの、僕は黄色い液体の妖精の言うことを無理やり信用した。
「それで、僕のおしっこの君が僕に何のようだい」
「ははははは。おしっこの君だなんて言い方はやめてくれよ。僕にはちゃんと名前がある。君にハヤテという名前があるように」
 確かに僕のおしっこだ。僕の名前を知っている。でも、おしっこに名前を呼ばれたのは生まれて初めてだ。お父さんやお母さんも、自分のおしっこと便所の中でおしゃべりをしているのだろうか?そう言えば、お父さんはトイレの中でよく鼻歌を歌っている。それは、僕には鼻歌に聞こえるけれど、本当は自分のおしっこと会話を楽しんでいるのかもしれない。だから、いつも上機嫌なのか。妙に納得。妙に安心。
「じゃあ、何て呼べばいいの?」
 便器に向かって声を掛ける。でも、自分のおしっこと話すなんて変な気分だ。
「おしっこ王子さ」
「おしっこ王子?」
「そう、人は、僕のことをおしっこ王子と呼んでいる」
 人って「どこの誰なの」と、思わず王子に突っ込みそうになったけれどやめた。それに、小さな子どもじゃないんだから、自分で自分のことを「王子」と呼ぶなんて、可笑しい。
「それで、その王子様が、僕に何の用だい」
「君と僕の仲だ。敬称は不要だ。「様」は省略してもいいよ。王子だけでも、十分に警鐘に値するんだ。覚えていた方がいいよ。それは置いておいて、実は、君に忠告しようと思って現れたんだ。君は、昨日の晩、ジュースを飲み過ぎただろう。オレンジジュースをコップに何杯も。おかげで、おしっこの量が増えたし、糖分も取り過ぎだ。何とか、朝まで持ちこたえたけれど、本当だったら、ベッドの中が、最初は生温たかく、時間が経つにつれて冷いプールになっていたところだよ」
 寝小便のことをプールとはおおげさだと思ったけれど、ジュースの件は、おしっこ王子の言うとおりだ。昨晩は、お父さん、お母さんが残業だったので、近所に住んでいるお母さんの実家、つまり、おじいちゃん、おばあちゃんの家で夕食を食べた、食事の後は、すぐ様、デザ―トが出てくる。食事の間は、もっと、ご飯を食べなさいと、うるさいぐらいに注意するのに、もうお腹が一杯だと白いシャツを脱ぎ棄てて、降参の意をあらわにすると、さあ、あなたが好きなシュークリームよ、と、デザートが出てくる。一体、ご飯を食べないといけないのか、デザートを食べないといけないのか、理解に苦しむ。でも、おじいちゃんやおばあちゃんの時代の人は、子どもの頃食糧難だったので、食べられるときに食べる、食べなければならないという習慣が身に付いているのだろう。
 とにかく、出された物は全て食べてしまわないといけない。お腹の中のご飯を無理やり隅に追いやり(実は、かなり余裕があるのだが)、大好物のシュークリームを口にほおばりながら、オレンジジュースも流し込んだ。一杯のつもりが、隣で晩酌しているおじいちゃんにつられて、もう一杯となり、また、もう一杯となった。後で、仕事から帰って来たお父さんとお母さんに、空きパックの証拠を見つけられて、お目玉を食らったんだっけ。
「そうだろ、そうだろ」
 おしっこ王子は、胸(そんなものがあるかどうかは知らないけれど)を張って、答えた。「わかったよ、夜寝る前には、ジュースの飲み過ぎには気を付けるよ」
 両親に注意されたら反発するけれど、自分のおしっこに言われたら、言い返す気がしない。僕はもう小学六年生。この年齢で寝小便したら、確かに恥ずかしい。穴じゃなくて、ベッドの下に隠れてしまわないといけない。
「わかってくれたらいいよ。それじゃあ、流してもいいよ」
「でも、水を流したら、君は消えてしまうんじゃないかい?」
 僕は奇妙に思い尋ねた。
「大丈夫さ。また、いつでも、一日何回でも君に会えるじゃないか。でも、ジュースの飲み過ぎには気をつけてくれよ。牛乳なら何杯でもいいけど」
 おしっこ王子はそう言って笑った。
「ハヤテ、早く、降りてらっしゃい。ごはんですよ」
 お母さんの声だ。僕は、水が溜まったタンクのレバーを回した。ぐるるるるるるる、ぐるるるるるるると渦となり、おしっこ王子は回りながら消えていった。
「さよなら、また、会おう!」
 おしっこ王子から、別れと再会を期してのあいさつがあった。僕は本当に会えるのかどうか疑問に思いながらも、王子の言葉の勢いに負け、急いで、流れゆく渦に手を振った。
「さよなら、また、会おう!」

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  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-02-01

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