ピェピェピェのアーチ!

ピェピェピェのアーチ!

第一話 面白い運命

十一月のある日のこと、曇った空の下を紺藤(こんどう) 弓影(ゆみかげ)は歩いていた。
雲が夕日を遮っているせいで薄暗く、今にも雨が降りそうだ。

紺藤 弓影は普通の高校一年生である。
確かに見た目に特徴があるわけでもないし、これといった特技も無い。
だが、性格とか内面の所を「普通」、と言いきってしまうのは間違いかもしれない。
しかし、少なくとも弓影は自身を「普通」だと思っているらしい。

弓影は学校からの帰り道で友達と別れたばかりであった。
早く帰りたい、という気持ちが足を急がせるーーが、

「いたっ」

何かにぶつかってしまった。

視線を下げると、小さな女の子が、尻餅をついていた。

「うぅ、お尻を思いっきり打ってしまったさ……」

お尻を擦りながら立ち上がる少女は一言で表すと「奇妙」だった。

地面につきそうなくらい伸びきった橙色の髪。
明らかにこの時代に溶け込んでいない水色の着物。

弓影はその少女を怪訝な目で見ていた。

「こら。何か言うことは無いのか」
「あ、ああごめん。前を見ていなかったんで」

突然少女に叱られ、弓影は素直に謝った。少女は弓影をきつく睨んだが、
「いいのだよ。僕も前を見ていなかったからね」
と言って、無邪気に笑った。

ならお前も謝れよ。
と弓影は思ったが、面倒なので言葉にはせず、じゃあこれで、と言い残しその場を去ろうとした。

「ちょっと待て」
後ろから服を引っ張られる。

「なんだよ、まだ何かあるのか?」

弓影は振り返り少女に言う。少女の真っ赤な色をした瞳は弓影を捉えていた。

「お前、面白い『運命』だね」


***

なんだったんだ、あのガキ。

何から何まで気味が悪かった。身形も行動も。
あれから、あの橙色の髪のガキのはすぐに何処かに行ってしまった。

「じゃあ僕はこれで」
そう言って、そいつは片足で地面を蹴って忍者のように一目散に駆けていった。

もしかすると、あのガキは人間じゃなかったのかも……
いや、何馬鹿なことを考えているのだろう。

人間じゃなかったら、あのガキは何だっていうんだ。

悶々と考え事をしていると、近くで機械の音が聞こえた。
顔をあげると、建設途中のビルがあり、建設機械が音を上げて動いている。
このビルがあるということは、俺の住んでいるアパートまで、あと少しか。あのガキに会ってから、知らないうちに随分歩いたようだ。

「お前、面白い『運命』だね」

あのガキは俺にそう言った。
運命なんて俺は信じていないし、感じた事もない。
それをあのガキは、何かを見透かすように言った。
ガキにからかわれた。そう考えてしまえば終わりなのだが、不思議とあの奇妙なガキの言葉は、適当に片付けてはいけない様な気がした。

俺は特に今まで面白い運命を感じたことはない。
なら、面白い運命は、
これから起こるのか――――

「……ん?」

足元が暗い。ただでさえ空は曇っているため暗いのに。俺の影を取り囲む大きな影は一体何だ?

上を見ると、何か大きな物が見えた。

物凄い速さで俺の上に、
落ちてこようとして――――

「危ない!」


何処からか声が聞こえたかと思ったら、俺の上に落ちてこようとしている物体はピタッ、と止まった。物体は空中に留まって浮いているような状態だ。
一体何が起こったんだ……?

「お怪我はないですか!?」

「え、あ……」

可愛らしい声が聞こえ、小柄な女の子が俺に駆け寄ってきた。

小柄な女の子は、中性的な顔立ちをしていて、着ている執事服(っぽい服)がまた少年らしさを引き立てている。だが、何故か俺は「コイツが女であること」を知っていた。

女の子は元々上げていた両腕を思いっきり降り下ろした。すると、俺の頭上にある物体は投げられたように吹っ飛び、地面にズドンと落ちた。

地面に落ちた物体は工事現場で使われる鉄骨だった。もしあのまま俺に落ちてきていたら……一気に血の気がひいていくのを感じた。

だが、未だに何が起こったのかがわからない。何故急降下していた鉄骨が空中で止まり、女の子の動きに合わせて吹っ飛んだのか。目の前にいるこの女の子が全てやったとでもいうのか。

「なぁ、鉄骨を止めたのは……」

「………………!!」

女の子は俺の顔を見ると、驚いた顔をした。目を見開き、口をパクパクしている。
俺の言葉は耳に入っていないようだ。

「おい、聞いてんのか」

「弓影様……」

「え」

どうして俺の名前を……

「弓影様……!!弓影様ですよね!?」
「ま、待ってくれ、お前は一体……げっ!」

女の子はぼろぼろと涙を流し始めた。これじゃまるで、俺が泣かしたみたいじゃないか。いや、マジで俺が泣かしたのか!?

「とりあえず落ち着け、泣くのだけはよしてくれよ。だから――――」
「弓影様」

女の子は俺の言葉を遮った。(というか、さっきから俺の言葉は聞こえていないのかもしれない)

そして、涙ぐんだ目で笑った。

「弓影様……ずっと、ずっと貴方を探していました。」

「探していた? ……っておい!!」

女の子は突然気を失った。フラッと倒れそうなところを、俺が抱き止める。

――――ぽつ

「あ……」

ついに雨が降ってきやがった。ぽつぽつと肌に落ちる雨は冷たくて、少し震えた。

俺の耳元で小さな寝息が聞こえてくる。この女の子は相当衰弱しているようだ。俺にかかる体重もすごく軽い。ちゃんと食ってるのかコイツ。
ということは本当に俺を探していたのか? こんなに体がボロボロになるまで……

でも、俺はこの女の子を知らない。


***

見慣れた風景。綺麗に整頓された部屋。
ここは、俺が住んでいる家だ。といってもアパートだけど。

あれから、気を失った女の子をそのまま置いていく訳にもいかないので、俺は女の子を連れて家に帰った。そして、今は俺の布団に寝かせている。
あっ!もしかして、こういう時は病院に連れていった方が良かったのか…?

家に帰っても特にやる事も無いので、俺は今もずっと、寝ている女の子の側に張り付いていた。
そういえば、ポニーテールが頭に当たっていて寝づらそうだな。ゴムを取ってやるか。
俺は、女の子のポニーテールをほどこうと、手を伸ばした。薄い金色の髪は、柔らかくて気持ちいい。柔らかくて、なんか、なんか……恥ずかしくなってきた。
しかし、ゴムを取ってやるかと思ったものの、俺は髪なんか縛ったことが無いので、取り方がわからない。思いっきり引っ張ると痛そうだしな。力加減が難しい。あぁ見づらいな。もう少し近くで――――

「ん……」

「あ」

女の子が目を覚ました。髪をほどくことに夢中で、知らないうちに顔を女の子に近づけていた俺は、かなりの近いところで目が合ってしまった。
一気に恥ずかしさがMAXになり、俺は女の子から跳び跳ねるように離れる。

「あ、あの弓影様……」

女の子は顔を真っ赤にさせ、手をモジモジさせながら、俺の名前を呼んだ。やばい、絶対勘違いしてるぞコイツ。

「起こしてしまってすまん。そ、その、今のはお前の髪をほどこうとしただけだからな。か、勘違いするなよ」

「……そうですか」

慌てて俺が説明すると、女の子は何故か少し残念そうな顔をして、シュンととうつむいた。でも、俺が中途半端にほどいて少し乱れてしまった自身の髪を触ると、うつむいたまま微笑んだ。
この女の子は無表情で何を考えているか分からないが、こうコロコロと表情を変えられると、逆に何を考えているのかが分からない。

「あの、ここは……」

女の子は部屋を見渡して言った。顔はもとの無表情に戻っている。

「俺の家だよ。急にお前が倒れやがったから、ここまで運んできたんだ」

「そうですか。ありがとうございま――」

ぐぎゅるるる。

女の子の言葉を遮ったのは、獣が今にも襲わんとする唸り声……ではなくて、女の子の腹の音だった。顔を真っ赤にすると思いきや、女の子はただ無表情で自身のお腹に手を当てるだけでいる。

「腹へってんのか」

「はい。ここ三ヶ月は何も食べていません」

「三ヶ月!?」

人間は水だけだと、一ヶ月程しか生きられないと聞いたことがあるが、コイツ……人間を超えてんじゃねーか。だが、さっきまで女の子は気を失っていた。もう限界に違いない。

「待ってろ。今何か食い物持ってくるよ」

俺は台所へ向かった。昨日の夕飯の煮物と味噌汁が残っていたので、それを温めてからご飯一杯と一緒に持って、女の子がいる寝室へ戻った。
女の子は、すうすうと寝息をたてながらまた眠りに就いていたが、俺の持ってきた食い物の匂いに反応したのか、俺が部屋に入った途端に勢いよく飛び起きた。女の子の目は食い物に釘付けになっており、口は今にも涎が出てきそうな程だらしなくポカンと空いている。久しぶりの食い物に感動しているのだろうか。
俺が「好きなだけ食え」と言って食い物を差し出すと、「ありがとうございます」と女の子は礼儀正しく一礼してから、がつがつと食いだした。

「食いながらでいいからさ、ちょっと俺の質問に答えてくれ」

俺がそう言うと、女の子は食い物を口に含みながら、こくんと頷いた。

「あの鉄骨を止めて、投げ飛ばしたのはお前がやった事なのか?」

「はい」

「そう……やっぱりか。なら、一体どうやってあんな事をしたんだ?」

あんな事――手さえ触れずに彼女は鉄骨を止め、投げ飛ばした。普通、人間ができる事ではない。

「弓影様はお忘れなのですか? 私は少し変わった力を持っていることを。」

「変わった力?」

「皆が“超能力”と呼んでいるものでございます」

「超能力だと!? 」

超能力っていうと、スプーンを曲げたりとかするアレか。それなら手を触れずに鉄骨を止められた事にも納得がいく。まあ、超能力の存在を完全に信じているわけではないが。

女の子は頬を赤くして、目線は食い物の方向にしたまま話を続けた。

「たまたま助けた方が弓影様だったとは。これが運命というものなのでしょうか? いやしかし、本当に助かって良かったです。もし弓影様があのまま事故にあってお亡くなりになっていたら、私は、私は……」

「気になっていたんだが、どうしてお前は俺の名前を知っているんだ?」

「…………え?」

女の子は俺を見た。さっきまで赤かった頬はとっくに青ざめており、目は「信じられない」と語りかけているように大きく開いている。

信じられない、といった顔のまま、女の子は俺に言った。

「何で知ってるって……弓影様が私に教えてくださったからでございますよ?」

「俺、名前を教えた覚えはないぜ。今日会った時から既にお前は俺の名前を読んでいたじゃないか」

「今日ではございません。あのとき、あのときに私に教えてくださったじゃないですか」

あのとき……?
俺は過去にコイツに会ったことがあるのか?

いや、それはない。俺はコイツに全く見覚えがないんだ。もし忘れていたとしても、再会したことで何か思い出すはずだろう。

「まさか……忘れてしまったんですか?」

「お前に全く見覚えがない。お前の言う『弓影様』っていうのは、俺によく似た別人なんじゃないのか? 」

「そんなことは……確かに貴方は弓影様でございます!」

そんなこと言われてもな。
確かに俺の名前は「弓影」だが、この広い広い世の中。俺に似た人など沢山いるだろう。
名前、顔、性格、あるいは全てそっくりな人だっているのかもしれない。それでも、「思い出」とか「記憶」だとかは、いくらソイツと似ていたとしても共有する事は適わない。俺がこの女の子にしてやれることは何もないんだ。

蓮歌(れんか) 瀬斗(せと)

「?」

「私の名前でございます。『蓮歌 瀬斗』、この名前に覚えはありませんか?」

「悪い……人違いだ」

女の子は俺の言葉を聞くと、顔を下ろした。ショックを受けているのだろうか。そりゃ落ち込むよな。探していた人をやっと見つけたと思ったら見当違いの別人。これは俺が慰めるべきか……ってどうやって?励ましの言葉とか言ったこともないし、他には何も思いつかな――――

「ふーーーーーーーーーーっ……!!

そうですか」

「!?」

突然、女の子は長い溜め息を吐いた。俺まで落ち込んでしまうようなこのどんよりとした場の空気の中、何故まるで気合いを入れるような溜め息を吐くのだろうか。
俺が女の子の行動に驚いていると、女の子は下ろしていた顔をまた俺の方に戻した。

「では改めまして。私の名前は蓮歌 瀬斗(れんか せと)。『セト』とお呼びください」

そう言うと、セトという女の子はふわりと笑った。それが少し可愛いなと思ってしまったのは内緒だ。

「弓影様、おかわりを頂けませんか?」

「おかわり?」

セトという女の子は持っていた茶碗を俺にずいっと差し出す。ああ、飯のおかわりか。

「いいよ。じゃあついてきな。……セト」

俺が彼女の名前を呼ぶと、セトは嬉しそうに俺についてきた。なんか、よく懐いた子犬みたいだな。
セトを台所に連れていき、ご飯の場所、おかずの場所を教えてやった。すると、コイツは結構世間知らずだということが発覚した。炊飯器を見たのは初めてのようで、俺が蓋を開けてやると、

「こ、米が入っている……!?」

と驚愕していた。
説明も一通り終えて、先に俺は居間へ行きテレビの電源を入れた。といっても夕方のこの時間は何もやっていないよな。でもテレビがついているだけで一人暮らしの寂しさは少し紛れる。

「弓影様、私もここで食べますね」

そう言ってセトはご飯が山盛りになっている茶碗と煮物と味噌汁と共に居間に入ってきた。いや、山盛りというレベルじゃないな。限界までご飯が盛ってあり、高さはエベレスト並み。エベレスト盛りだな。

「エベレスト盛りだな」

何故声に出した、俺。

「エレベスト? 何ですかそれ美味しいのですか?」

コイツはエベレストも知らんのか。

セトは俺の隣に座り、テーブルに持ってきた物を丁寧に置いて、またがつがつと食べ始めた。エベレストはあっという間に背を低くしていく。

「そういえば、セトは歳いくつなんだ?」

見たところ俺よりも年下のようだけど。セトは指を折り曲げて数えている。コイツは自分の年すら覚えてないのかよ。

「えっと、六歳から八年後で七、八、九…………十四。私は十四歳です」

「十四か。なら中学二年生か」

「いえ、私は中学校には通っておりません。小卒です」

「小卒!?」

小卒って有り得るのか!?義務教育だってまだ終わってないじゃないか。

「私は小学校を卒業した後すぐ家を出ました」

「何でだよ」

「弓影様を捜すためです」

つまり、小学校を卒業してから約一年間、ずっと『弓影様』を捜していたのか。だが、いくらなんでも子供一人で人探しの旅なんて無茶にも程がある。

「何でそこまでして『弓影様』を捜しているんだ?」

「理由は沢山あって一つにまとめられませんが、私は弓影様に沢山助けられて、救われました。あのときはすごく弱かったけれど、私は修行をして強くなったんです。だから、弓影様の力になりたい。今度は私が弓影様を守りたいんです。一番の理由はそれでございます」

「なるほどな。早く『弓影様』が見つかるといいな」

「…………。この家に弓影様の家族はいらっしゃらないのですか?」

「俺は一人暮らしだよ。高校が実家から遠いから俺だけ引っ越したんだ」

遠いといっても、県は隣同士だがな。

「何故わざわざ遠い場所の高校を選んだんですか? 別に実家から通える高校もあると思うのですが……」

「なんだっていいだろ。お前には関係ない」

俺はセトに冷たく言った。俺が遠い場所の高校を選んだ理由。それは親にだって、友達にだって、誰にだって知られたくない。セトは申し訳なさそうに謝ってきたが、無視をした。くそ、罪悪感が尋常じゃねえ。

「で、ではこのご飯も弓影様が作ったのですか? とても美味しいです」

気を遣っているのか話題を変えてきた。茶碗の中のエベレストはもう全滅していた。

「俺、家事はできないんだ。料理が得意な幼なじみが居てな、その人が作ってくれているんだ」

「へぇ。……それよりもお腹空きましたね」

「ああ、そうだな……ってはい!? お前今食ったばかりだろうが!」

「いやしかし、もう夕飯の時間ですよ」

セトが指差す時計を見ると、六時半。確かに夕飯の時間だった。セトはともかく、俺はそろそろ夕飯を食べなくては。
台所へ行き、ご飯をつぐため炊飯器の蓋を開けると、中身は空になっていた。

「セト……てめえ」

「おじいさまは言っていました。『米は一粒残らず食せよ』と」

「誇らしげに言ってんじゃねーよ! 味噌汁も煮物も全部きれい残さず食べやがって! あーちくしょう今日はハル姉来ないしな……」

「はるねぇ?」

「しょうがない、コンビニへ行くか」

「こんびに?」

セトは首を傾げた。
コンビニも知らんのかコイツは。


外はもう暗くなっていた。冬が近づいているのだろう。雨もさっきよりも強くなっていて肌寒い。ぶっちゃけこんな天候の中を出歩きたくないのだが、あの大食い少女が飯を食い潰してしまい、俺の夕飯が無くなってしまったのだから仕方がない。早いとこコンビニへ行こう。

「――で、何でお前もついてくるんだよ」

俺は歩みを止めずに言った。「お前」というのは言うまでもなく、俺の後ろを金魚のフンのようについてくるセトのことだ。
無言でついてくるので、少し気味が悪い。勘弁してほしいな。

「弓影様の護衛でございます」

「護衛?いらないだろ、そんなもん」

「そうはいきません」

セトの意味不明な提案を適当にあしらうと、セトは俺の前に回り込んできて、仁王立ちをしてきた。両手を腰にあてて、胸を張っているが、小柄な身体のせいか頼りなさそうに見える。
というか、前に立たれると邪魔なんだが。

「さっきの鉄骨のように、世の中何が起きるか分かりませんから」

「あのな、そんなに何度も事件が起こるわけがな――」

「きゃあああああっ!誰か……来てえええっ!!」

………………。

そんなに何度も事件が起こるわけがない。
そう言おうとしたら、女性の叫び声に遮られてしまった。

こんな雨の日、外を出歩いている人は数少ないだろう。助けを求める声だって、激しい雨の音で掻き消されてしまっていて、助けに来てくれる人はまず居ないだろう。

だが、俺は聞こえてしまった。助けを呼ぶ声が。面倒事は嫌いだが、聞こえてしまった俺にはその人を助ける責任がある。

「……今日は厄日だな」

「あの、弓影様。今女の人の叫び声のようなものが聞こえたんですが」

セトの言葉には答えず、声がした方向へ走り出すと、セトも慌てて走り出した。

傘を持ちながらなので走りづらい。それでもがむしゃらに走る。すると、道が三つに分かれているところに行き着いた。
どの道の先に女性はいる?確率は三分の一。とりあえず左の道を選ぶか。

「弓影様、そちらの道ではございません。おそらく右の道に女の人は居ます」

何故そんなことがわかるのだろうか。右の道を進んでから、俺はセトに聞いた。

「私は他の人に比べて少し耳が聞こえやすいようなのです。女の人はもうすぐそこにいると思います。女の人が移動していなければ、の話ですが」

「すごいな。方角とか何メートル先かとか明確にはわからないのか?」

「ほーがく? めーてる? それは高級料理か何かでしょうか?」

?マークを頭にたくさん浮かべてセトはこっちを見てきた。こいつの常識の無さは異常だ。
そんなセトに呆れて顔を前に戻すと、道路の端に座りこんでいる女性がいた。すぐに駆け寄り自分から話しかける。

「今さっき声が聞こえたんですけど、あなたですか?」

女性は左頬を手で擦りながら、コクリと頷いた。よく見たら女性は泣いている。そんな女性に戸惑っていると、女性は泣きじゃくりながら言った。

「さっき、突然男に鞄をひったくられたんです……必死に取り戻そうとしたら……ひっく、男に顔を殴られて……うっく」

女性が擦っていた手を離すと、左頬は痛々しく腫れていた。

「その男はどこへ?」

「あちらの方へ逃げました。追いかけようと思ったけど……また殴られるのが怖くて……」

「わかった。そのひったくりは俺が捕まえます。セト、お前はその女性を家まで送り届けてやれ」

「え、あ、はい! 了解しました!!」

なんだか煮え切らない返事だったが、信用して大丈夫だろう。
俺は、女性が指差した方向へ走り出した。

ひったくりを捕まえる、そう約束したものの、ひったくりがどこにいるかもわからない。それもそうだろう。女性が鞄をひったくられ、俺達が女性のもとへ駆けつけて話を聞いている間に、ひったくりの男は遠くに逃げてしまったはずだ。

「くそ……ひったくりの姿さえ見えないなんて」

ひったくりが、本当にこの先にいるのかもわからない道を走り続けるのはきつい。傘の重みで余計に疲れが倍増されていく。いっそのこと、傘を投げ捨ててしまおうかと思ったその時、

「弓影様!! 無事送り届けて参りました!」

後ろから大きな声が聞こえたと思ったら、すごい速さで何かが俺に近づいてきた。
あまりにも速くて、それがセトだということに気付くのに、一瞬遅れた。

「なんだ、セトかよ……って早過ぎじゃねぇか!?」

俺がひったくりを探しに走り出してから、まだ数分しか経っていないのに、セトはもう女性を家まで送り届けたっていうのか。普通ならあり得ない事だが、あのスピード――さっき俺のもとへ走ってきたあの速さなら、可能かもしれない。

「私は弓影様の為ならばベストを尽くすのです」

「そうか、ご苦労様」

そう言って、セトの頭をぽんぽんと軽く叩いてやると、セトは照れくさそうにして俯いた。

それにしても、一向にひったくりは見つからない。早くしないと、本当に逃げ切られてしまう。
隣を見ると、セトは無表情で俺と同じくらいの速さで走っていた。セトを見ていると、一つの考えが浮かんだ。

「なぁセト。お前超能力が使えるんだろ? 超能力使って犯人を見つけれたりとか出来ないのか? ほら、透視とかさ」

「それは出来ません」

あっさり否定されてしまった。我ながら良い案だと思ったんだがな。

「超能力といっても、様々な種類があるのです。私が使う超能力はサイコキネシスです」

「サイコ…キネシス?」

「えーと、簡単に言えば念力と呼ばれる力を自在に操れるのです。物体を移動させたり、持ち上げたり…念力で障害物を作ったりもできますね」

なるほど、じゃああの時はその念力とやらを使って俺に落ちてこようとした鉄骨を止めたということか。
だが、今はその素晴らしい超能力もひったくりを見つけるのには役には立たない。何か別の方法はないか……

「ん? 待てよ……」

俺はもう一度セトの方を見た。

何でコイツ、俺と同じ速さで走っているんだ?

コイツはさっき俺の方へ走ってくるとき、尋常じゃないくらいのスピードで来たじゃないか。車も追い越せるぐらいのスピードだ。

俺の視線を感じたのか、セトも首を傾げて俺の方を見る。

「どうかしましたか?」

「セト、お前もっと速く走れるだろ。何で走らない」

俺が尋ねると、セトは顔を赤らめて言った。

「いや……弓影様を追い越すなんて私には出来ませんよ」

「そういうのいいから! さっさと犯人を探しに走ってくれ! ベストを尽くせ!」

「了解しました!」

俺が命令すると、セトは何故か嬉しそうな顔をした。そして、速く走り出したと思ったら、あっという間にセトの姿は見えなくなってしまった。
セトが走っていた先を見つめながら、苛立ちで乱れた呼吸を整える。

「はぁ、はぁ……何なんだアイツ」

***

「あ、見つけました」

無表情で呟くセト。
見つけたというのは、無論弓影達が探していたひったくりのことである。そう、見つけたのだ。他に人は居ないし、女物の鞄を持って不自然にバタバタと走っているので、その男がひったくりであることは間違いなかった。

ひったくりは、自分を追う者がもう近くまで来ていることも知らずに、犯罪を成功させた喜びで口角を上げ、気味の悪い表情で走っている。もう追ってこないだろう、そう思ってはいるが、のんびり歩くことはしない。男はすぐにでも自宅へ帰って、部屋の中をはしゃぎ回り、盗った金の使い道を考えたいのだ。
だが、突然ひったくりは何かに躓く。油断していた男の体はアスファルトに思い切り叩きつけられ、うつ伏せで倒れる。濡れたアスファルトと雨で衣服は湿っていく。
何に躓いたのだろう。

道には何も障害物になるような物は無かった。不思議に思いながら、男は体を起こそうとするが、何故か体が思うように動かない。金縛りのように体が固まってしまったわけではない。男の背中が何か壁のような物で押さえつけられているのだ。男は出来るだけ首を捻り、背中を見るが、何もそれらしい物は見えない。男は這いつくばって前に進もうとした。だが、それも敵わない。見えない壁は背中だけではなく、うつ伏せになった男の前後にもあった。既に男の体は見えない壁に包囲されていた。例えるなら男は見えない箱の中に入れられている状態だ。雨も男の体に落ちてきているはずなのに、体は全く濡れない。
明らかに何かおかしい。
男は怖くなり、必死にもがく。訳のわからない状況に男は叫んだ。

「くそっ……何がどうなってんだ!」

「何もどうなってもいません」

頭上から聞こえた可愛らしい声に、男は顔を上げる。そこにはセトが立っていて、無表情で男を見下ろしていた。

「貴方が悪いことをしたから捕まった。ただそれだけのことなのです」

「なっ……誰だお前!」

「私は弓影様の執事、蓮歌 瀬斗です」

「はぁ? 執事とやらが俺をどうするつもりなんだよ!」

ひったくりの問いにセトは首を傾げた。

「どうすればいいのでしょう?」
「え?」

「弓影様の命令は『ひったくりを探してこい』でした。ひったくりはもう見つけてしまいましたし……弓影様がいらっしゃるまで勝手な事は出来ません。ですので、弓影様がいらっしゃるまで、少々お待ち下さい」

「ええぇ!?」

ひったくりはセトの予想外の言葉で、すっかり抱いていた恐怖は忘れてしまっていた。

ひったくりはどうにかして逃げようと、初めはもがいていたが、観念したのかもう動かずに状況が一変することを待っていた。
そして数分後、それまでずっとひったくりを見つめていたセトが、何かを見つけたのか顔を上げた。その視線の先にはこちらに駆けつけてきている弓影の姿があった。

「これも、超能力を使ったのか?」

やっと立ち止まれて、息を切らしながら弓影は、這いつくばっているひったくりを見て言った。

「はい。念力の壁でございます」

「そうか、外せ」

「えっ?」

弓影の言葉に、セトもそしてひったくりの男も驚いた。だが、男は運が良いとも思った。――もしかしたら、逃がしてくれるのかも――そう思ったからだ。

「弓影様が仰るならば……了解しました。外しましょう」

セトがそう言うや否や、ひったくりの見えない壁に押さえつけられる感覚は、消え去った。自由になった。逃げられる。そう思った。だが突然、男は弓影に胸ぐらを掴まれ、そして殴りとばされた。

「ぐっ……」

吹っ飛ばされて、再び地面に叩きつけられた男は苦痛の声を漏らす。そこに追い討ちをかけるように弓影は男の上に跨がり、何度も殴った。

「逃がしてくれるとでも思ったか? セトの念力を外したのは、お前を殴るのに邪魔だったからだよ!!」

「弓影様!」

セトはも勿論弓影の行動に驚き、駆け寄ろうとしたが、弓影に睨まれて怯む。

「止めてくれるなよセト。コイツはそれだけの事をしたんだ。俺は、コイツのような弱い人を傷つける奴が大ッ嫌いだ!」

「……!」

セトは目を見開いた。まるで、弓影の言葉で何かを思い出したかのように。

「警察に渡す前に、自分の手で懲らしめないと俺の気がすまない!」

「……ですが弓影様。もうその男の人は気を失っています」

「え」

セトの言う通り、すでにひったくりは気を失っていた。しばらく起きることはないだろう。
さすがに弓影も罪悪感を感じる。

「悪い……ついカッとなっちまった」

「良いんです、これで良かったんですよ」

それから、しばらくして警察が来てひったくりを連行していった。
警察は鞄をひったくられたあの女性が呼んでくれたらしく、警察と一緒に女性も来ていた。

「ありがとう。捕まえてくれて本当にありがとね」

女性に礼を言われた弓影は少し照れくさそうにしていた。


***

女性に別れを告げて、俺とセトは本来の目的であったコンビニへ向かう。
雨はずっと降り続いている。セトは傘を持っていないので、俺の傘に入れてやろうとしたが、セトは遠慮して入らなかった。セトは俺の後ろをついて歩く。

「今日は……良かったです」

「ああ、良かったな。ひったくりを捕まえられて」

「いや、それも確かに良かったのですが……弓影様」

くいっとセトに服を引っ張られる。振り返ると、セトは頬を真っ赤にさせて微笑んでいた。その表情に不意にドキッとしてしまった。

「な、何だよ」

「やはり弓影様は弓影様でした。さっきのひったくりの件で、よくわかりました。弓影様は昔から変わっていないんですね。安心しました」

「何の事だ? 意味がわからんが」

「わからなくても良いのです。それも弓影様の良さです。これから、弓影様の執事として私も精進しますので、よろしくお願いします」

ペコリと礼儀正しくお辞儀をするセト。っていうか、はぁ!? 全く意味がわからん。執事って何だよ。「よろしく」って一体……

「では、今日は失礼します」

「あっ、ちょっ待て……」

セトは俺に別れを告げると、俺が止める前にものすごい速さでどこかへ去っていった。


それから俺はコンビニで適当に夕飯を買い、やっと自宅へ戻った。
テレビもつけずにボーッと考え事をする。そういえば、今日死にかけたんだっけ俺。なんか……

「今日は色んな事があったな」

「そうか、良かったさね」

「え……うわぁっ!!」

突然聞こえた声に驚く。目の前には何故か子供がいた。

「どうやって入ってきやがったんだ!? ってかお前あの時のガキじゃないか!」

「覚えてくれてたのかい? 嬉しいな♪ 不法侵入なんて簡単だよー。空間移動しちゃえば一瞬だもんね」

ご機嫌でペラペラと喋るガキは、俺が帰り道にぶつかった橙髪の少女だった。というかコイツの言ってることが普通じゃないんだが。

「空間移動? お前も超能力が使えるのか?」

「おいおい、あんな歪んだ力と僕の力を一緒にしないでくれよ」

「じゃあお前は一体……?」

「僕の名前は(かえで)(かえで)。まぁ何者かって言っても、お前は信じてくれないだろうから言わないよ」

「はぁ。そういえば、お前が言ってた『面白い運命』って今日の出来事のことか?」

今日の出来事――鉄骨が降ってきたり、セトという変な奴に会ったりしたことだ。確かに今日は普通ではなかった。

「うーん内緒♪ ただ、『今日限りではない』ってことは教えてあげる」

「何だよそれ。はっきりしないな」

「まぁいずれ分かるさ。じゃあ僕は帰るね」

楓はそう言うと、本当に一瞬で姿を消した。あのガキは本当に何者なんだろう。

しばらく考え事をしていたが、今日は色んな事がありすぎて疲れたのか、ソファーの上で寝てしまって、起きるともう次の日の朝になっていた。

今日は何事も無く学校も終わり、自宅に帰る。雨は今日も降っていて、登下校に傘をさして歩くのがだるかった。
学校の宿題をやっている最中に、インターホンが鳴った。こんな時間に誰だろう?疑問に思いながらドアを開ける。

「こんにちは弓影様」

「セト? どうして……」

ドアの先にはセトがいた。短いポニーテールで執事服。昨日の姿のままである。

「今日から弓影様のため尽くしますので、よろしくお願いします」

「いや、だから俺は『弓影様』じゃないって!」

「いいえ、弓影様は弓影様です!」

そう言いながらセトは俺の家にずかずかと入ってきた。なんかもう帰って欲しいんだが。

「そういえばお腹空きましたね」

「またそれかよ!」

お腹をおさえて言ったセトに、俺は盛大にツッコンだ。


*二話につづく*

第二話 奉仕と命令と即断

ピンポーン。
インターホンが鳴り響き、俺はビクッと咄嗟に身構える。
ドアは開けない。来客が誰なのか分かっているからだ。必ず午後五時ぴったりに訪ねてくるアイツに違いない。

ピンポーン。
また鳴らしてきやがった。だが、今日からは絶対にドアを開けないと決めた。アイツが帰るまで居留守を使ってやる。しかしこの状況、まるでよくあるホラー映画みたいだな。実際に今、心臓がバクバクしていて、俺の心境もそれに似た状態になっている。早く、早く帰ってくれ。

ピンポピンポピンポピピピピピピンポーン。
う、うるせー! アイツ非常識にも程があるだろ。インターホン連打しやがった。

帰れ帰れと念じていると、しばらくしてからタタタッと軽い足音が聞こえて、その音も次第に小さくなり消えていった。やっと帰ったようだ。

「ふぅ……」

緊張の糸が切れ、思わず息が漏れる。
アイツとは自称執事の蓮歌(れんか) 瀬斗(せと)のことだ。アイツに初めて会った日の翌日から、毎日午後五時丁度に俺の家を訪ねてくるようになった。
俺の執事と称するのだから、何をするのかと思えば、ただ一緒にテレビを見たり、コンビニに行って夕飯を買ったり(セトは無一文らしいので、俺がセトの分も買ってやっている)、買ってきた夕飯を食べたりするだけで、特に執事らしいことはせずに、午後九時になるとどこかへ帰っていく。
つまり、アイツは何もしない!
ただアイツの夕飯代(セトはかなりの大ぐらいなため、掛かる金が半端じゃない)がかさんでいくだけだ。
だから、もうセトは家にあげないことに決めた。これで、またいつも通りの生活が――――

弓影(ゆみかげ)様」

「え?」

声が聞こえた俺の真後ろにある窓の方へ、振り向くと同時に、その声の主であるセトが勢いよく窓を開けた。

「どうしてドアを開けて下さらないのですか?」

「うわあああああああ!!」

俺は思わず、まるで化け物を見たかのような声で叫んだ。いや、コイツは化け物みたいなもんだが。

そして、セトは軽い身のこなしで窓から俺の部屋へ綺麗に飛び込む。コイツは鉄骨を持ち上げる力といい、走るスピードといい、かなり身体能力が高いようだ。(鉄骨は超能力を使って手を使わずに持ち上げたが、セトから後日聞いた話によると、超能力は自分の身体の一部と考えて使うらしいので、身体能力はかなり関係するらしい)

「お前……どうやって、窓まで」

「壁をよじ登ってきました」

セトは俺の問いに無表情で答える。ってかこの部屋三階だぞ。よくもまあ、ダイナミックなクライミングをしてきて、息切れもせずにそんな澄ました顔ができるな。
そういえば、窓には鍵をちゃんとかけていたはずだ。外側からどうやって開けたんだ?
その事をセトに聞くと、セトは稚い笑顔を見せ、言った。

「サイコキネシスでございます」

「は?」

もちろん、セトが超能力が使えること、その力はサイコキネシスと呼ばれることも知っている。だが、思わず反射的に間抜けな声を出してしまった。
セトは何も言わず、自分が入ってきた窓の方を向いた。それにつられて俺も向く。窓は開いたままになっている。セトは窓の方へ腕を伸ばし、窓を閉めるような動作をした。無論、手は窓に触れていない。すると、窓はセトの手の動きに合わせて、ぴしゃりと閉まった。

「おぉ……」
超能力を見るのは初めてでは無いが、やはりその力は感心してしまうものがあり、嘆声を発する。

だが、閉まっていた窓がまた開いた。
――と思ったらまた閉まり、また開き、また閉まり、開き、閉まり、開き、閉まり、開き、閉まり、開き、閉まり……と休まず窓は動き続けている。
セトの方を見ると、セトは楽しそうに忙しなく腕を動かしている。

「遊ぶな!!」

「あっ……あー…………すみません」

俺が叱ると、セトはしゅんとして謝った。窓の開閉の何が楽しいのか。意外と無邪気な奴だな。

「第一、俺はどうやって窓の鍵を外側から開けたかを尋ねてたんだよ」

「それはですね、」

俺はもう一度セトに問うと、セトはまた窓の方を向き、手を窓の方に向け、立てていた人差し指を折り曲げた。すると、開いていた窓の鍵は勝手に閉まった。

「ね?」

そう言って、セトは俺に無邪気に笑いかけた。

「外からでも同じことができるのです」

「なるほど、その力で外から鍵を開けて、俺の部屋に入ってきたんだな」

ってことは……俺がドアを開けようが開けまいが、セトは俺の部屋に入ってこれるということか。なんだよそれ。ストーカーよりタチ悪いじゃないか。いや、コイツはストーカーみたいなものなのか。

「弓影様、そろそろ夕飯を買いに行きませんか?」

前言撤回。
コイツはただの無銭飲食野郎だ。

それからセトは、いつも通りの時間にどこかへ帰っていった。
そして、部屋にはいつも通り、俺一人だけになった。まだ寝る時間でもない。テレビでも見るか。

「さぁ、続いて登場するのは、14歳の天才手品師『弦川 悠斗』さんです」

バラエティ番組か? 14歳っていうと、セトと同い年だな。最近はよくテレビに子供が出るよな。なんだか子供ってだけで注目されているような子も時々いるが、これから出てくる奴はどうなんだろう。
司会者に紹介され、スタジオに入ってきたのは頭にシルクハットを被り、黒スーツを着た少年だった。顔も雰囲気も大人びていて、とてもセトと同い年とは思えない(まぁ、セトが歳より幼く見えるせいということもあるが)。少年はまるでモデルのように整ったスタイルと顔を併せ持っていて、観客席の女性の黄色い声が飛び交っている。コイツは人気が出るかもしれないな。
そして、少年は芸能人が選んだトランプを透視してみせるなどの芸を披露した。いつも思うことだが、どんな手品にもタネがあるなんて想像ができない。だから時々、もしかしたら超能力を手品に見せかけて、タネ無しの手品をやっているのではないかと思ってしまう。

しかし、これだけテレビで盛り上がるならセトをテレビに出したら儲かるかもな。本物の超能力者だし。スタジオで鉄骨を超能力で持ち上げているセトを想像した。なんだか野蛮だ。

気づくと番組は終わっていて、テレビも面白くなくなったので、また暇になってしまった。

何気なく携帯電話を開くと受信メールが一件。マナーモードにしていたから、気付かなかった。送信者は……ハル姉!?
ハル姉からメールが来るなんて、久しぶりだ。何かあったのか?

そんな事を考えながらメールを開くと、このような内容だった。

「ゆー君こんばんは♪
今日はすごく冷えるらしいから
風邪引かないようにあったかくしてね」

俺の事を気にかけたメールだった。それがちょっと嬉しくて、しばらくそのメールを凝視していたが、はっと我に返り急いで返信のメールを打ち、送った。

「ありがとう
ハル姉も勉強無理すんなよ
おやすみ」

ハル姉からの返信は思ったよりも早く着た。今、この時間ハル姉は勉強しているはずだ。ずっと携帯を気にしながら勉強してんのか? 送った俺が言うのもなんだが、メールしながら勉強ってのはどうかと思うぞ。
そんな事を思いながら受信メールを開く。

「うん おやすみ^^」

思わず顔が綻ぶ。さっきまでの保護者ぶった考えはどこへやら、だ。結局メールを見ると、嬉しい気持ちが隠せないでいる。
寝る前に、戸締まりをしている時に窓を見ると、雨が降っていた。セトに会ったあの日からずっと降り続いている。寒いのはこの雨のせいか。
俺はハル姉の言う通り、風邪を引かないように布団をしっかり被って寝た。

そして、翌日の夕方。
学校から家に帰ってきて、もうすぐ五時になるわけだが……どうしようか。セトは何がなんでも家に入ってくる。家に来ても何もしないくせに。だから、このまま五時になってしまえば、セトは間違いなくこの家にやってくるだろう。何か解決策はないだろうか。

ん……?
家に入ってくる?

そうか! じゃあセトが来る前に、「俺が外出すれば」いいじゃないか。
俺の居ない家にまぬけに入ってくるセトの姿が思い浮かんだ。

意外に簡単な解決策が出たので、俺はのそりと立ち上がり、適当な荷物を持って外を出た。

外では今日も雨が降っている。強めの雨で、傘に落ちた水は滝となって流れ落ちていく。

――人は、その人生の中で何度雨を見るのだろう。
それは、人生で出会う人々の数より多いのだろうか。いや、それはないか。
きっと、雨の数も、人々の数も、数えている人なんて大抵はいない。
数はどうでもいいんだ。大事なのはその中身。
忘れられない雨、忘れられない人、それを人は記憶していくのだろう。

セトは俺に、「自分のことを忘れてしまったのか」と聞いた。
一瞬、そうなのかもしれないと思った。が、自分をあんなに慕う少女を忘れたりなどするだろうか。
だから、俺は「弓影様」ではない。認めない。「弓影様」ではない俺が、アイツを家に入れる必要もない。

空を見上げてふと、そんなことを考えながら歩いていた。

俺が何処に行くかって?
行く当てはちゃんと考えてある。俺は携帯電話を取りだし、ある人に電話をかけた。

『おう弓影、どうした?』

都合よく、すぐに電話に出てくれたのは、國枝(くにえだ) 準平(じゅんぺい)。俺の親友だ。他県から越してきたせいで、学校には周りに誰も知り合いが居なかったなかで、高校に入学して初めてできた友達だ。

「準平、今からお前ん家行くから」

『はぁ!? なんだよ突然……』

「もう一度言う、俺を家に入れろ」

『何で命令口調なんだよ! まぁ良いけどよ、どうせ暇だったし』

「じゃあ、なんかおやつ用意しておいてくれ。……うん、メロンがいいな」

『頗る図々しい! メロンなんか家にねーよ!』

「……チッ」

『舌打ち!? 舌打ちしたよな今!?』

よし、さすが心の友よ。これで今日は準平と遊べるし、セトに会わずに済むしで一石二鳥だ。
何もかも上手くいくというのは気持ちが良いものだな。これで雨が降ってさえいなければ、最高なんだが。ついでに欲を言えば、路地裏に座り込んでいる少女を見つけなければ、もっと気分が上がっていたかもしれない。落ち込んでいるのか何か知らないが、金髪をポニーテールに結って、執事服を着ている少女は体操座りをして、顔を腕に伏せている。少女から漂うどんよりとしたオーラは、見ている此方も気が滅入ってしまう。

俺は、なるべく早く少女の近くを通り過ぎようと早足で、雨や少女のどんよりオーラをはねのけるように、わざとらしいくらい明るい声で続けた。

「とにかく、俺をおもてなししてくれよ。あとちょっとで着くと思うから――……ってあいつセトじゃねえか!!」

驚きのあまり俺は大声を出す。

『どうした? せと?』

「すまん準平。今の話無かったことにしてくれ!」

『え、何を? おもてなしのことか? それともメロン?』

「全部だ」

プツッ。
準平の返事を待たずに、一方的に電話を切る。そして、通り過ぎようとしていた路地裏に入り、体操座りの少女に呼び掛けた。

「セト、何やってんだよこんな所で!」

セトから逃れるための外出で、何故セトを見つけて話しかけているのか、疑問に思うかもしれないが、今は状況が違う。こんな寒い雨の中座り込んでいるなんて、絶対におかしい。

なかなか顔を上げないので、名前を呼びながら、身体を揺する。それでもセトの反応は無く、人形のようにカクカク揺さぶられているだけでいる。
へんじがない、ただのしかばねのようだ。
嫌な言葉が頭を過ったが、

「ふにゃ……弓影様?」

そう言って顔を上げたセトは、いつにも増して、眠そうな目をしていた。寝ていたのか……なんか安心したというか、拍子抜けしたというか。

「セト、お前何でそんな所で座ってるんだよ」

「………………」

セトは俺の問いには答えず、惚けた目で俺を見つめている。
聞いてんのか、そう言おうと口を開いたが、その瞬間セトが俺の体にすがり付いた。

「弓影様ぁ……」

そして、切なそうに俺の名前を呼ぶセトに、不覚にもドキッとしてしまった。

「……弓影様はあの時の約束を忘れてしまったのですか?」

「え……?」

「それとも、あれは約束でも何でも無かったかもしれませんね。それでもその約束を信じていた私は……馬鹿ですか?」

「お前、何の話をして……」

「私は弓影様のおかげで、ここまで頑張れました。弓影様に会えなくても、約束があったから、私は変わらず頑張れました」

俺を無視して勝手に喋るセト。俺は気づいた。こいつの視点は俺を捉えていない。

「でも……もう限界です。弓影様の傍に居たい。弓影様が居ないと、やっぱり私は駄目なんです。こんな我儘いけないですよね……だから、確認しに私は捜しに来たんです。でも、見つからない……弓影様が見つからない。弓影様、弓影様、弓影様弓影様弓影様弓影様弓影様…………っ弓影お兄ちゃん……――痛ぁっ!!」

「お前まだ寝ぼけてんだろ! 起きろ!」

とりあえず頭を殴った。グーで。

「はっ!! あ、あれ? 弓影様!?」

今さら、俺を見て驚くセト。その目はいつもよりぱっちりしているから、今度こそ起きただろう。

「凄まじい寝言だったな」

「寝言?」

「それよりセト、どうしてお前はこんな雨の中、こんな所に座り込んでいる? 何かあったのか?」

「何もないです。ここは人通りも少ないので、落ち着いて眠れるんです」

質問の答えになっていないような気がするが。こんな寒い時に外で寝たら風邪をひくじゃないか……もしかしてコイツ、

「お前、家が無いのか?」

「恥ずかしながら……っくしゅん」

くしゃみ――そういえば昨日は冷えると、ハル姉がメールで知らせてくれた。セトはその夜も外で過ごしていたわけだから、風邪をひいてるんじゃ……

「でも大丈夫です。ずっとこういう生活をしながら、日本を歩き回っていたので慣れっこです」

慣れっこか……本当にそうだろうか? 子供が家も食料も無しで生きていくなんて、無茶にも程がある。さっきの寝言でセトが言っていた通り、セトはもう限界なんじゃないのか?

「あっ……申し訳ございません!」

突然セトはそう言って、土下座をして謝ってきた。俺には何を謝っているのか、さっぱりだ。
するとセトは腕時計を俺に見せて、申し訳なさそうに行った。

「五時を過ぎてしまっています。本当なら弓影様の御宅に伺っている時間です。しかし、つい居眠りをしてしまい、このていたらく……本当に申し訳ございません」

こいつ、やっぱり今日も俺の家に行こうとしたのか。

「何で毎日、毎日、俺の家に来るんだよ」

「弓影様にご奉仕するためです」

「あのな……」

「?」

セトはきょとんとした顔で首を傾げる。そんなセトに俺は容赦なく言った。

「誰が家に来いと頼んだ?」

「う……わ、私の、独断です」

きつめに言ったせいか、俺に怯むセト。俺は続けた。

「迷惑なんだよ、家に来られるの」

「迷惑、ですか……」

「ああ、そうだ」

明らかに傷ついた、という表情を見せるセト。罪悪感を覚えるが、言いたい事が言えてすっきりした、という気持ちの方が大きい。

それからセトは黙ってしまった。いや、黙ったというより、言葉をためらっている。口をもむもむと動かしていて、なかなか口を開こうとしない。

「なら、命令してください」

やっとのことで発した言葉は予想外のものだった。俺は反射的に聞き返す。

「……命令?」

「はい。『俺の前に現れるな』と。……本当は嫌です。ですが、弓影様がそう命じられるのであれば、私は二度と弓影様に御目にかからぬよう、遠くへ行きましょう」

別に、俺の前に現れるなまでとは思ってないんだが……。だが、こいつをこのまま放っておいたら、いつかは俺の周りの人に迷惑がかかるかもしれない。ハル姉にだって……それは避けたいな。

「命令なら、何でも聞くのか?」

「はい、弓影様の命令は絶対でございます」

なるほどな。確かにひったくりを捕まえた時も、セトは俺の命令に忠実(すぎるくらい)に従っていた。じゃあ最初から、命令してセトを追い払えば良かったのか。
それに、俺がセトが言ったような命令をだせば、セトはまた本当の「弓影様」探しの旅に出られるというわけだ。この路地裏のような場所を転々として寝泊まりして生きていくのだろう。

……………………。

「わかった」

決心が固まった俺は、ようやく言葉を発した。

「いいか、これは命令だ。
セト、『これからは俺の家に住め』」

「はい、承知しまし…………え?」

俺の言葉にセトは目を丸くする。そんな顔するなよ、俺だって自分で何言ってんだかわからないんだから。

「こんな生活無茶だぜセト。飯とかも負担してやるから、俺の家に住め。その代わりにお前は俺に奉仕をする。それで良いだろ?」

「本当に……よろしいのですか?」

「ああ。……だが、『弓影様』とやらを見つけるまでの間だからな。見つけたら、今度は『弓影様』に養ってもらうんだ。いいな?」
「…………」

「セト?」

また黙ってしまったセトの顔を除きこむ。……うわっ、こいつ泣いてる!?

「ありがとうございますっ……このご恩……ひっく……今までのご恩と共に、絶対返します……うっく」

セトは顔を真っ赤にして、大粒の涙をぼろぼろこぼして言った。
人の涙が苦手な俺は、そんなセトをハラハラしながら見ていた。

なかなか泣き止まないセトとは裏腹に、今までずっと強く降っていた雨は気づいたら止んでいて、空はだんだんと晴れ上がっていった。


***

「……で、『奉仕』って何してくれるんだよ」

自宅に戻り、俺とセトはテーブルを挟んで向かい合い、プチ会議を始めた。

「弓影様の命令とあれば、何でもします」

「何でもね……それは家事とかもやってくれるのか?」

情けないことに、俺は一人暮らしだというのに、家事が全くできない。いつもはハル姉が家事をしてくれているのだが、その負担をもっと軽くできないかと、前々から思っていた。

「家事……ですか、やったことないですが、命令とあればやります。じゃあまず、夕飯をお作りしましょう」

なんか嫌な予感がした。

「ま、待て、夕飯はコンビニの弁当をもう買ってきてあるから、それを電子レンジで暖めてくれ」

「了解です。
……電子レンジって何ですか?」

嫌な予感が的中した。

結局、弁当は俺が温め、俺とセトは一人分の弁当を二つに分けて食べた。

「お前に家事は無理だな」

「すみません」

「まあ、奉仕については後々考えればいいさ。今日はもう風呂入って寝よう」

「はい弓影様」


***

「弓影様、お風呂いただきました」

「おう……ってお前、服それしかないのかよ」

そう言って出てきたセトは、髪を下ろしていて雰囲気はいつもと違うものの、服はいつもの執事服(ネクタイは外している)のままだ。

「はい。服を買うお金も無くて」

「へぇ、で唯一持っているのがその執事服か」

勝手に執事服と決めつけているが、セトは俺の執事を自称しているから間違いではないだろう。

「はい。この服は貰い物なんです」

「ふーん……だが、服一着は不便だよな。洗濯もできないし。よし、明日は服とか日用品とかを買いに行くか」

「外出ですか!?」

「あ、ああ」

突然目を輝かせるセト。金無しで数年生きてきたセトにとって、買い物は久しぶりなのだろう。

「弓影様と一緒に買い物、嬉しいです!」

そっちかよ。俺と出かけることの何が楽しいんだか。

「なあ、セト」

「何でしょうか弓影様」

「その『弓影様』っての、止めてくれないか? 俺、様付けで呼ばれるほど偉くないし、なんか気持ち悪いんだよな」

第一俺は『弓影様』じゃないし。誰かに、様付けで呼ばれてるなんてバレたら、ちょっと恥ずかしい。

「そうでございますか……では『お嬢様』とお呼びしましょうか?」

「はぁぁ!? ちょ、ちょっ……待ってくれ! 俺女じゃねえよ!」

「駄目ですか? では『お嬢』はどうですか?」

「だから俺男だから!」

「? ……もしかして、男の人には『お嬢様』『お嬢』とは呼んではいけないのですか?」

「そうだよ! ビックリさせんな!! ……もう『弓影様』でいいよ、……全く」

「了解しました。 いやしかし、執事は主を様付けで呼ぶか、『お嬢様』と呼ぶものだと思っていましたが……『お嬢様』は女の人限定なんですね」

感心したようにセトは言うが、当たり前だろ。こいつの中の執事はどうなっているんだ。

「はぁ、もう寝ようぜ。疲れた。お前はこのベッドで寝な」

ベッドを指差す。このベッドはいつも俺が使っているベッドだ。

「あの……弓影様はどちらでお休みになるんですか?」

「ソファーで寝るよ。 まぁ気にすんな」

さすがに毎日ソファーは嫌だが。明日、セト用の布団も買わなくちゃな。

「いけません! 私がソファーで寝ます!」

「駄目だ。お前ずっとまともな寝方してないんだから、今日はベッドで寝ろ。体壊すぞ」

「弓影様こそお体を壊してしまいます!」

「そんな簡単には壊れるかよ。俺をなめんな」

何故か言い合いになってしまった。しばらくお互い睨み合っていたがが、突然セトはぽんと手を叩き、言った。

「では、二人一緒にベッドで寝ましょう!」

「え」

俺のベッドはシングルベッドだから、二人で寝たら窮屈だ。第一セトは女だ。男女が同じベッドで寝るのはちょっと……

「もしかして弓影様、私との間に赤ちゃんが産まれてしまうのを心配なさっているのですか?」

「な、何言ってんだお前!」

「私は……別にかまいませんが」

セトは頬を赤く染めて呟くように言う。

「間違っても、俺がお前に手をだしたりしねえよ!」

「ですが、おじいさまは言っていました。『男女が同じベッドで一緒に寝ると、赤子が産まれる』と」

「…………セト、それは間違いだ」

「えっ、じゃあ赤ちゃんはどうすれば産まれるんですか?」

「……その話は今度な」

保健体育で習わなかったんだろうか……あ、学校通ってないんだっけこいつ。

「では、尚更良いじゃないですか。一緒に寝ましょう弓影様。一緒に寝たほうが暖かいです」

うーん……まぁセトは何にも気にしてないみたいだし、俺がこんなに拒否するのも情けないよな。ガキにはこれっぽっちも興味ないし。

「わかったよ」

「やったぁ!」

俺はしぶしぶ了解する。するとセトは、異様に無邪気にベッドに飛び込んだ。

「弓影様も早くいらしてください」

パンパンとマットを叩くセトに促され、俺もベッドに入る。……が、やっぱりきつい。セトが小柄な体型じゃなかったら、もっとスペースが無かっただろう。

仰向けの状態だと、あまりにも窮屈なのでベッドの内側に体を横に向けると、俺と同じ格好をしたセトと目が合った。俺もセトも何も言わず、ただじっと見つめ合っていた。気にしないようにと思っても、お互いの顔が近いせいでどうしても意識してしまう。
すると、セトは突然体勢を変え、ベッドの外側に体を向けた。

「セト……?」

「な、なんか恥ずかし……です」

……意味がわからん。そっちから一緒に寝ようとあんなに言ってきたくせに、恥ずかしいだと?
と、苛立ちがふつふつと沸き上がってきたが、小さなセトの背中を見ているとこっちも恥ずかしくなってきたので、俺もベッドの外側に体を向けた。

そして、お互い背中を向けたまま、俺達は眠りについた。


*三話に続く*

第三話Shall we begin new life?

「ひっ……や、やめ」

情けない男の声。その懇願も虚しく、

「ギャアアアアアアッ!!」

男は叫び声を上げ、激痛に悶え地べたを転げ回る。

「な、何が起こったんだ」

「どこに武器を隠してやがった!」

「こ、こいつヤバイ……」

今もなお、叫び声をあげている男の様子に青ざめ、仲間である男達は口々にざわめきだす。
男達は地域一帯を縄張りとする不良集団である。そんな怖いもの無しであったはずの男達は、揃いも揃って怯えていた――たった一人の少年に。少年はジリジリと男達に詰め寄る。その度に男達は後退りをしていたが、やがて焦れったくなった一人の男が声をあげた。

「に、逃げるぞっ……!」

「逃がさねぇよ」


***

道路には、気絶した男達がごろごろと転がっている。そんな所にただ一人、少年は辺りを見渡す。
男達全員が気絶したのを確認すると、少年はその場を立ち去ろうとした。

「……絆栖(はんす)君?」

場違いな少女の声。少年はそれまで無表情だった顔を驚愕に変える。声の先には、温和しそうな少女がいた。

「あなた……私と同じクラスの、逢久崎(あいくざき) 絆栖君……よね? どうしてこんな怖そうな人達と喧嘩なんて……それにどうやって倒し……きゃっ」

少年は少女に近付き、少女の首に腕を回した。少女は短い悲鳴をあげ、体を震わせる。
――自分もあの男達の様な目に合うかもしれない――そう感じ取った。

だが、

「女の子がこんな夜遅くに出歩いていたら危ないですよ。すぐ家に帰りなさい」

予想もしていなかった言葉、そして、学校で見るいつもの優しい表情に戻っている少年に少女は驚く。

「あと、今あなたが見たことは誰にも言わないでくださいね」

そう言葉を付け足すと、少年は少女の額にキスをした。

「俺のキスに免じて。それでは!」

そう言って、少年はあっという間に姿をくらまして、その場に少女は取り残された。

少女は未だに何が起こったか頭が整理出来ず、ただキスの感触が残った額に手を触れた。密かに恋心を抱いていた相手に、まさかキスされるなんて。少女は先程までの出来事を思い出し、赤面した。


***

「はぁ……」

一方、少年は家路を辿りながらため息を吐く。

「この街も潮時だな。同級生に見られちまった」

少年は空を見上げて呟いた。

「また街を出るか」

「簡単に言うわね」

突然、少年の背後から女性の声が聞こえ、少年は即座に振り向くと顔をしかめた。

「旭……あんたか」

少年が旭と呼ぶ女性は風変わりな格好をしていた。帽子を深く被り、色鮮やかな和服を着ている。少年よりは低いが、背は高めですらりとしている。

少年は女性を敵意剥き出しの眼で睨み付けるが、女性はそれを全く気にしない様子で続けた。

「ついこの間引っ越してきたばかりだと言うのにね」

「何か問題でも?」

少年と女性はお互いを深く知り合っているようだが、決して仲が良いわけじゃないようで、口調が刺々しい。二人の間に荒んだ空気が張り詰める。

「引っ越しは大変よ。お金もいっぱいかかるし」

「金ならいっぱいあるよ。無くなったら稼げば良いしな」

「人間関係も作り直しよ。友達との別れは悲しいしー」

「くくく、相変わらず意地悪だねぇ。俺にそんな友達がいないって知ってんだろ?」

愉しそうに笑う少年とは裏腹に、女性は少し顔を歪める。

「じゃあ、そういうことだから、旭もまた協力してよ」

少年はそう言うと、女性に背を向け手をひらひらとさせながら、その場を去っていった。女性は何も言わずにしばらくその場に立っていたが、少年が見えなくなってから、ぽつりと呟いた。

「私は……信じてる。次の街こそ、絆栖の運命を変えられたら良いわね」


***

ガチャリ、という聞き覚えのある音で目が覚めた。

ピピピチュンチュン。鳥のさえずりがどこかから聞こえてくる。

「朝か……」

土曜日の朝はより清々しく感じるのは俺だけだろうか。ベッドから体を起こそうとしたが、何故かベッドが窮屈で起き上がりづらい。隣を見ると、セトがすうすうと寝息をたてて寝ている。
……何で?
何でセトが俺の横で寝てるんだ?

一瞬戸惑ったが、昨日のことを思い出し納得した。そうだ、これから一緒に住むんだったな。

「ゆー君、その子……誰?」

聞き覚えのある声が背後から聞こえた。ぞわっと、冷や汗が全身から出てくるような感覚に襲われる。おそるおそる振り返ると、今のこの状態を一番見られたくなかった、幼なじみがいた。

まるで絶望を見たような目をして震えている幼なじみの側には、食料やら何やらが入ったレジ袋が二つ落ちている。この光景を見て、ショックのあまり落としたのだろう。
って、そんな事を考えてる場合じゃない。早く説明をしなくては。

「は、ハル姉。こいつは……」

「いい、やっぱり言わなくていいよ。ごめんねゆー君。言わなくてもわかるから」

「違う! ハル姉は勘違いを……」
「ゆー君はもう年頃の男の子だもんね。彼女くらいできるよね……連絡も無しに家に来ちゃってごめん。私、帰るね」

そう言って幼なじみは俺に背を向け、部屋から出て行こうとする。勘違いをされたままだと厄介だ。誤解を早く解かなくては。

「ハル姉! 俺の話を聞いて――――」

「むにゃ…弓影(ゆみかげ)様おはようございます」

「あ……彼女さん。ゆー君を、弓影君を幸せにしてあげてね」

「了解しました」

「了解すんなバカ!」

タイミング悪く起きたセトの声に気付き、また振り返った幼なじみはセトにそう言って、再び部屋から出て行こうとする。
どうしよう、どうにかして俺の話を聞いてもらわなくては。隣を見ると、まだ眠そうなセト。そうだ!

「セト、命令だ! ハル姉を止めろ!!」

「了解しました」

そう言ってすかさずセトは両腕を幼なじみの方へ伸ばす。すると、幼なじみは見えない壁(セトが念力で作ったものだろう)にぶつかり、尻餅をついた。

「きゃっ……え、な、何で?」

幼なじみは自分が何にぶつかったのかが理解できず、動転している。

「ハル姉、お願いだから俺の話を聞いてくれ」

「ゆー君……」

幼なじみは、やっと俺の声に耳を傾けてくれ、困ったような顔で俺の方へ振り向いた。

***

俺の幼なじみ、沙々城(ささしろ) 深春(みはる)。俺はその人を「ハル姉」と、その人は俺を「ゆー君」と、愛称で呼びあう仲だ。実家が近所で、物心がついた時からずっと一緒にいた。ハル姉の大学と俺の高校が同じ県にあるということで、同じタイミングで引っ越しをして、その後も住むアパートは違えどお互い協力しながら生活している。

普段はほぼ毎日俺の家に来てくれるのだが、最近は資格をとるための勉強に集中するため、俺の家に来ない日が続いた。なので、ハル姉はセトの事を全く知らない。

セトについて、一通り説明したものの、ハル姉はまだ理解できないでいた。

「……つまり、セトちゃんはゆー君を恩を返しに来たってこと?」

「俺じゃねえよ。俺と同姓同名のそっくりさんだ。そいつと勘違いしてるんだよセトは」

「でも、それって本当に勘違いなのかな? ゆー君が忘れてるだけじゃないの?」

「ハル姉だって、セトのこと知らないんだろ? 俺もハル姉も知らないってことは、やっぱりセトに過去会ったことはないはずだ」

さっきも言ったように、俺はずっとハル姉と一緒にいた。だから、セトに昔会っていたのなら、その時はハル姉も会っていたはずだ。

「そう……だね」

ハル姉は何故か煮え切らない返事をした。それに不思議がる俺に気づいたのか、話題を変えてきた。

「あ、あとセトちゃんが超能力者って本当なの?」

「さっき見えない壁にぶつかっただろ? あれはセトが超能力で作ったものだ」

「ゆー君の命も救ったんだよね。実際に見せられちゃったら、信じるしかないなあ」

そう言いながら、ハル姉はセトを見つめる。セトはビクッとして、俺の背中に隠れてしまった。こいつ、ハル姉に警戒してんのか。
俺はハル姉に聞こえないように小声でセトにささやく。

「セト、この人は俺の幼なじみだ。すごく親切で優しい人だ。だから人見知りする必要はない。あとな、……………………………。いいか、これは命令だからな」

「了解しました」

セトはこくりと頷いた。
ハル姉は俺とセトのやり取りに首を傾げる。だが、ハル姉は詮索はしない。この人はそういう性格なのだ。

セトは顔を洗いにいく、と言って洗面所へ行った。ハル姉は朝御飯を作るため、台所へ移動する。俺も台所についていった。

「でも、セトちゃんが探していたのはゆー君ではないんでしょ? 何で一緒に住もうなんて考えたの?」

「あいつ、家も金も無いんだよ。ほっとけないだろ」

「ふーん……あははっ」

突然、ハル姉が明るく笑いだす。ハル姉が持つ包丁が、軽く弾みキャベツを切っていく。

「何笑ってんだよ」

「いやー、やっぱりゆー君は困ってる人がいたら助けちゃうんだね」

ニコニコとハル姉は笑う。それが可愛いと思いながらも、俺の口からはひねくれた言葉しか出てこない。

「悪かったなお人好しで」

「ううん、悪いなんて思ってないよ。私はゆー君のそういうとこ、好きだよ」

そう言ってにこっと満面の笑みを見せられた。
「好き」という言葉を思わず勘違いしてしまいそうになるが、即座に振り払う。

「そ、そういえばハル姉さ、今日どうせ暇なんだろ?」

「うん。どうせ暇だよ」

「なら、買い物付き合ってくれ。セトの生活用品とか色々買いたいんだ」

「いいよー。ゆー君に任せるのも不安だし」

「どういう意味だよそれ」

「よし! ご飯出来たよー」

華麗にスルーされた。まぁ、いいか。今日は久しぶりのハル姉の料理だ。セトを呼び、俺達は食卓に着き、朝御飯を食べる。
ハル姉の料理は本当に美味い。美味いといっても、高級料理とかそういうのではない。家庭的で温かみのある味。俺はこの人の作る料理が一番好きだ。
まぁ、そんなこと一度も口に出したことは無いんだけど。

「……深春殿は料理がお上手なんですね」

呟くような小さな声でセトは言う。まだ人見知りしているようだ。だが、セトの目の前の料理はものすごい勢いで減っている。

「ありがとう。セトちゃんは料理するの?」

「こいつは駄目だ。電子レンジすら知らない奴だからな」

「えっ……でも、誰でも最初は知らないことばかりだよ。セトちゃん、今度一緒に作ってみる?」

「……良いんですか?」

ハル姉がうん、と言って頷くと、セトは頬を赤く染めた。こいつは人に優しくされるとすぐ顔を赤くする。無表情に見えて、案外分かりやすい奴だ。

朝御飯を済ました俺達は、電車を使い、デパートへ向かった。俺やハル姉が住んでいる所は、実家よりも田舎で、近くに大きな店があまり無い。車が運転できる人がいれば、もうちょっと楽なんだがな……

デパートは、休日なだけあって人で賑わっていた。賑わっていたと言っても、かなり込みあっているわけではなく、ゆとりがあって心地がいい。

色々な店を見回っていると、ハル姉が突然ニコニコと笑いながら聞いてきた。

「ねぇゆー君。端からみたら私達ってどんな風に見えるのかな?」
「どんな風って……」

友達とか?
あるいは恋び……うっげほげほ。

「友達とか兄弟とかじゃねぇの?」

ハル姉に、頭に過った愚かな思考がバレないよう、平静を装って俺は(むせながら)言った。顔が赤くなっているかもしれない。俺は店の商品を見るフリをして、ハル姉から顔を背けた。

「兄弟かぁ。なら私が一番年上のお姉ちゃんで、次がゆー君で、で末っ子の妹がセっちゃんだね!」

楽しそうにハル姉は言う。この話題の、何がそんなに面白いのかは理解できないが、女子はそういうものなんだろう。何の取り留めの無い話でも盛り上がれるのだ。
それにしても、気付かないうちにハル姉とセトは仲良くなっている。初めは人見知りをしていたセトがハル姉とよく話すようになったし、ハル姉はセトの事を「セっちゃん」と呼んでいる。仲が良い人にハル姉はよく、あだ名を付けて呼ぶのだ。

少しして、今までずっと黙っていたセトが口を開いた。

「深春殿、私は妹ではございません。私は、弓影様の執事です」

セトは右手を胸にあて、そう言った。そんなセトに、ハル姉は何の嫌な顔もせずに答える。

「例えばの話だよーセっちゃん」

セトには冗談が通じない。頭が弱いせいか理解が出来ないのだろう。そして、自分の信念は絶対に曲げない。ということが、数日間コイツと関わって分かった。良く言えば、正直者でまっすぐ。悪く言えば、融通がきかない。
だが、今時こんな少女がいるのだろうか。14年間も生きていれば、例え話や冗談の一つや二つ、普通に言えるはずだ。
もしかすると、セトは小学校は通ったとは言っていたが、その当時からほとんど人と関わりを持っていなかったんじゃないのか。

「ゆー君ゆー君」
「弓影様?」

「はっ、え、な、何?」

「あはは、ボーッとしてたね。私達さ、セっちゃんの服とか買いに行くから、ゆー君は別の物買いに行ってくれる?」

突然話しかけられて驚き、マヌケな顔をしている俺の顔を確認するかのように、ハル姉は俺の顔を覗きこむ。
ハル姉の提案、それは俺とセト両方に気を利かせたものだった。服選びは、女子同士の方がより良いだろう(人それぞれかもしれないけど)。俺だって女の服には興味は無いから、二手に分かれて買い物をした方が利口だ。

「わかった。じゃあ何か買ったらセトにレシートを預けておいてくれ。俺は生活用品とか適当に買い揃えておくよ。セト、お前の好みって何だ?」

「好み……ですか?」

「好きな色とか柄とかだよ。ハブラシとかコップとかも買いたいからな」

「私は、弓影様がお選びになった物でしたら、何でも嬉しいです」

セトは胸に手を当て、いつもお決まりのポーズで微笑みながら言う。

「あのな、『何でもいい』が一番困るんだよ! 何か一つは言え」

「え、ええと……」

セトは眉をヘの字にして、困り果てた顔をする。咄嗟に好きな色も出ないのか。ちなみに、俺の好きな色は紺色だ。覚えておいてくれ。

「俺は、お前の事もっと知りたいんだよ。いいか、これは命令だ!」

焦れったくなって、セトに怒鳴ると、何故かハル姉は少し悲しそうな顔をした。理由は知らないし、気のせいかもしれないが、なんとなくそんな感じがした。
セトの方はしばらくもじもじしていたが、やっと口を開いて言った。

「私……お花が好きです」

「花? じゃあ花柄が好きなんだな。参考にするよ」

そう言って俺達は別れた。セトの好みが聞けたのは良かったが……なんだろう。あの時のハル姉の表情、俺を見る目……それがすごく気になった。


***

「セっちゃーん。他の服は買わないの?」

「他の服?」

深春の方を振り向くセトの手には、すでに購入した衣服の紙袋――その中身はシャツやネクタイなど、執事が身につけるような物しか無い。

「せっかく買い物に来たんだから、もっとカジュアルな服も買おうよ」

そう深春は言って、セトにたくさん服を選び買ってあげた。セトは恥ずかしがっていたものの、試着したその姿を鏡で見ると満更でも無さそうだった。

そして、ショッピング袋が二人の両手いっぱいになった頃、深春はセトに言った。

「ちょっと休憩しようか」


***

セトと深春はデパート内のベンチに腰かけている。二人はそこで他愛もない話をしていた。
――だが、

「夏名市は良いところですか?」

「え?」

セトのこの一言で深春の表情は固まる。深春のぱっちりとした大きな目が、驚愕によってさらに大きく見開かれたが、セトはその様子には気付かない。

「弓影様と深春殿の実家は、そこにあるんですよね。いつか私も、行きたいなと思っておりまして」

「……違うよ。
私とゆー君の実家があるのは世田市。間違って覚えちゃったのかな?」

「あっ、そうなんですか。何年も前に聞いたことだったので……すみません」

セトはぺこりと頭を下げる。

「謝らなくてもいいよー。『何年も前』って……いつのこと?」

「八年前です」

「な……っ!?」

どさり、と深春の持っていたショッピング袋が床に落ちた。
深春は分かってしまったのだ。この時、誰よりも一番に深春は、弓影とセトの事――この物語の真相に気付いてしまう。何故深春が一番に気付いたのか、それは、深春が弓影を誰よりも知る人物だったからだろう。

「深春殿、大丈夫ですか?」

心配したセトが深春に手を差し延べる。その手を深春はぎゅっと、しっかりと、両手で包み込み、セトを見つめた。真剣な眼差しにとらえられたセトは息をのむ。

「セっちゃん、お願いがあるの……」

「お願い……ですか?」

「そう、お願い。あのね――」


***

「こんなもんかな」

食器や布団、その他細々としたものなど、思い付く物は全て購入した。ハル姉達はまだ服見ているのだろうか。まぁでも、そろそろ合流するか。
そう思い、携帯を取りだしハル姉に電話をかけようとした。が、ポケットから携帯を取りだした瞬間、着信音が鳴り響いた。なんと、ハル姉からだ。偶然……いや、奇跡か! 柄にもなく、ささいな奇跡に薄笑いを浮かべながら、電話に出る。

「おう、ハル姉。偶然だな、ちょうど俺も電話を――」

「ゆー君、どうしよう、大変な事になっちゃって……ゆー君、助けて!」


***

「ハル姉!」

電話で聞いたハル姉達の居場所へ急いで向かうと、そこにはかなり人が集まっていた。野次馬だろうか? ざわざわとしていて、好奇の目で何かを見ている。そんな人だかりの中に、一人だけおどおどとしているハル姉を見つけ、すぐに俺は駆け寄った。

「ハル姉、一体どうしたんだよ」

「ゆー君、あのね、セっちゃんが……」

青ざめた顔のハル姉は、人だかりの中心――ぽっかりとそこだけ人がいない所――を指差した。

ギュン!
俺がそこを見ると同時に、何かがものすごい速さで上空にあがり、そのままデパートの壁に叩きつけられた。
叩きつけられたそれは、見知らぬ若い男性だった。その壁の付近には同じく壁に叩きつけられたであろう見知らぬ男性が、複数ぐったりとして倒れている。男性達はピクリとも動かない。まるで、平和的なデパートのそこだけが、殺伐とした戦場で、男性達はその戦場に転がっている死体のように見えた。
というか、どうして男性が物のように簡単に壁に叩きつけられるのか。普通では有り得ないことだ。漫画やアニメならよく見るが、現実の世界でそんな事ができる奴はいない。

…………いや、一人だけ俺は知っている。こんな超人的な技が使える奴を。
もう一度、人だかりの中心を見ると、そこにいたのは案の定、セトだった。

俺は人混みをかき分け、セトの方へ駆け寄る。セトの目は狂気を孕んでいたが、俺に気付いて「弓影様!」ときょとんとして言った時には、既にそれは消え去っていた。

何をしているんだ、と言おうとしたが、セトの周りの人だかりを見てはっとする。
――こんなに人が集まっていて、こんなに派手に暴力事件を起こしているんだ。もしかして……いや、絶対警察に通報されるんじゃないか?(もう通報されている可能性もあるが)
とにかく、面倒事は嫌だ。ハル姉も巻き込んでしまうかもしれない。

「すぐ、この場を離れるぞ」

「了解しました」

そう言って、人混みをかき分けながら俺達二人は駆け出した。そして、人混みの外側にいるハル姉にも声をかける。

「ハル姉も、早く!!」

「えっ……う、うん」

ハル姉は状況がうまく掴めていない様子だったが、言われるまま走り出す。だが、運動神経が悪いハル姉は、明らかに俺達に遅れをとっていた。呼吸が既に荒くなっており、これ以上走らせるのは辛そうだ。

「ハル姉、辛いよな? おんぶするよ」

「えっ……おおおおおんぶ!?? だだ駄目だよ! わ、私重いから……」

そう言ってハル姉は断るが、さっき以上に顔が赤くなっている。もう走るのは限界なんだろう。

「重いわけねーだろ。いいから早く乗って……」

と言いかけて、横で俺と一緒に走っているセトを見て、俺よりよっぽどセトの方が力持ちだということを思い出す。

「セト、ハル姉をおぶって走れ」

「了解しました」
「えっ」

セトはハル姉の元へ駆け寄り、ハル姉をお姫様だっこをして走り出した。俺は「おぶれ」と言ったはずだが……まぁ、おんぶも抱っこもさして変わらないか。

たまたま、さっき居た場所がデパートの入り口に近かったおかげで、案外早くデパートを出ることができた。それでも俺達は足を止めず、最寄り駅まで突っ走りそのまま勢いで電車に乗り込んだ。発車間際ではないというのに、駆け込んで入ってきたのが奇妙だったからだろうか。乗客にじろりと見られた。何よりも注目されたのは、未だにセトにおんぶされたままのハル姉だった。セトは相変わらずの無表情だったが、ハル姉は多くの視線を浴び、羞恥のあまり顔を真っ赤にさせ湯気を出していた。

「女の子にお姫様だっこされたのは初めてかも……あ、セっちゃんありがとね」

ハル姉はセトから降りながらそう言った。「女の子」にお姫様だっこされたのが初めて、ということは「男」にはお姫様だっこされたことがあるのだろうか。気になる。すごく気になる。俺はしたことないのに。(ガキの頃に、ハル姉をおぶったことはある)だが、そんな事を聞いたら変に思われるだろう。俺は頭の中の疑心と不安を吹き飛ばすために、頭を振った。

「どうかしましたか弓影様」

「な、何でもねぇよ。お前こそ大丈夫か? 悪かったなハル姉を任せちまって」

「いえ、私を頼って下さるのはとても嬉しいです。私は他の人よりも、少しだけ力持ちらしいですから。なんなら弓影様も抱っこできますよ」

「それは止めてくれ」

そんなセトとの会話をしながら、座席に着く。乗客の人数は極めて少なく、俺達三人は一緒に座ることができた。座ると、座席の心地よさに疲れがため息と一緒に抜けていく。
そしてまもなくアナウンスがかかり、電車が動き出した。

「…………で?」

俺の声に、一斉に二人はこちらを見た。

「セト、何であんなことしたんだ?」

落ち着いたところで、事情聴取を始めようか。

「私は、弓影様の御命令に従ったつもりでしたが……ダメでしたか?」

申し訳なさそうに俺の顔を除き混むセト。俺の口調が強かったせいか、俺が怒っていると思っているようだ。まぁ、事情次第で怒るけど。
「男を超能力で吹き飛ばせ」なんて命令、俺したっけ? だが、セトは嘘をつかないしな……
セトはさらに続けた。

「あの男の人達は、深春殿を突然取り囲んで、迫ってきたんです」

「! ハル姉、それは本当か!?」

「正確に言うと、ナンパなんだけどね。困ってたのは本当だけど……セっちゃんには、私が襲われそうになってると思ったんだね」

なるほど、そういう事か。確かにセトは、俺の「命令」に従ってくれたんだな。
俺は未だに申し訳なさそうな表情をしているセトの頭をくしゃりと触り、なるべく優しい口調を心がけて言った。

「ありがとうセト。今日ほどお前を、頼もしいと思ったことはないよ」

「え、え? 私、役に立ちましたか? 私、弓影様に、褒められてるんですか?」

俺が礼を言った事にセトは小さなパニックを起こした。言葉はかんでばかりで、その様子はなんだか滑稽だ。

「ああ、役に立ったよ。だからすげー褒めてる」

「えへへ、そりゃあ私は弓影様の力になるために、弓影様の元へ参りましたから。これからも、ドンと私に任せてください!」

あ、少し調子に乗りやがった。

「あのー……」

ハル姉が気まずそうに、声をかける。

「私だけ状況が掴めてないんだけど……。『命令』って何のこと?」

「い、いや、ハル姉は知らなくていいんだ。気にすることな――」
「弓影様が私に、今朝こう命じたのです。
『深春殿の身に危険が迫ったら、全力で助けろ』と」

「何勝手にペラペラ喋ってんだコノヤロウ!!」

「ひぎゃっ!!?」

セトの頭を、さっきまで撫でていた手で勢いで殴った。
反射的にやったので、力加減ができなかったが、まぁセトだから大丈夫だろう。

「痛いです……」

両手でセトは頭を擦る。そりゃあ痛いさ。思いきり殴ったからな。
そんなことよりも、どうしてくれるんだよ。確かに俺はそういう命令をした。けれど、それをハル姉に知られちゃいけなかったんだ。「気持ち悪い」と思われるかもしれないし、数年間ずっと隠してきた俺の気持ちがバレてしまうかもしれない。


***

「セト、この人は俺の幼なじみだ。すごく親切で優しい人だ。だから人見知りする必要はない。あとな、
……ハル姉の身に危険が迫ったら、その時は全力で助けてほしい。
いいか、これは命令だからな」

「了解しました」


***

ナンパしたから、そいつをぶっ飛ばして気絶させた。やり過ぎだと他人はそう思うだろう。ハル姉もそう思っているかもしれない。
でも、俺はナンパでさえ我慢ならない。だって、だって俺は……

「ゆー君」

ハル姉の声に体が強張る。
咄嗟にその後に続く言葉が思い浮かんだ。

 何変な事考えてるの。
 気持ち悪い。
 自惚れないでよ。
 私を守りたいなんて気取らないで。

悪い言葉が沸々と浮かび上がる。手足から熱が消えていく。どんどん体が冷えていく。ハル姉の反応が怖い。どんな表情をしているか、怖くてハル姉の顔を見ることが出来なかった。
だが、早くこの状況から解放されたいという気持ちもあり、意を決して俺はハル姉の方へ向いた。

「その話は本当なの?」

ハル姉はすごく穏やかな表情をしていた。迷子に話しかけるように、優しく。何でだろう、この人は何でそんな表情をしているんだろう。

「あ、あぁ」

そんな疑問を感じながら、放心状態で答えた。

「そっか……」

ハル姉は照れくさそうにそう言ったきり、何も言わなかった。
ハル姉の頬は桜色に染まっており、車窓からもれる夕日の朱色と調和して綺麗だった。
俺もセトも、駅に降りるまで何も喋らなかった。居心地が悪かったわけではない、むしろ良くて、この雰囲気に酔い痴れていたかった。セトは……おそらく空気を読んだんだろう。

***

「わあ! 布団です! 私の布団ですー!!」

ハル姉とは途中で別れ、家に帰ってきた。セトはショッピング袋を漁ってはしゃぎ、そして今、まだ夜も更けていないのにセトは自分の布団を敷いて、じたばたと寝そべっている。物静かで落ち着いているように見えて、結構無邪気な奴だ。

「弓影様、今日はですね、洋服をいっぱい買ったんですよ! 深春殿に選んでもらいました!」

「そうか、良かったな。なんなら、買った服試しに着替えたらどうだ?」

「はい、そうします!」

セトはそう言うやいなや、布団から飛び起きて、ショッピング袋を漁る。
これにしましょうか。いや、これもいいなあ。でもやっぱりこの服が……
と、呟きながら袋を漁った後、服をいくつか持ち出して、部屋から出ていった。

「アイツも女の子なんだよなぁ」

服を見て目を輝かせるセトを見て、しみじみ思う。部屋に取り残されたショッピング袋を覗くと、確かに多くの衣服が詰まっていた。普通の服もあるが、セトがいつも着ているような執事服も結構買ったようだ。私服と執事服、アイツはどう着分けるのだろう。

「弓影様、着替えてきました」

照れながら部屋に戻ってきたセトは、白いワンピースを着ていた。ノースリーブで肌の露出が多いからか、普段よりも女の子らしく、色気があった。

「っ!!」

突然頭に鋭い痛みが走った。思わず手を頭に当てたが、今度は胸が苦しくなった。何だろう、この感じ。切ない、なんで、どうして――――


「今日も来てくれたんですね」


―――!!

今の……何だ?

「弓影様、どうかしましたか?」

セトの声で現実に引き戻される。うっかり、ボーッとしていたようだ。

「別に何でもない。その服似合ってるよセト」

「ありがとうございます」

セトは無邪気な笑顔を見せた。その表情とワンピースがまたよく似合って可愛い。だが、セトはハッと何かを思い出したような素振りを見せ、すまなそうな顔で言った。

「あの、今日はすみませんでした。深春殿に『命令』のことを言ってしまって……反省しています」

「あぁ……まぁ、いいよ。お前は忠実に俺に従ってくれたし。ハル姉を守ってくれたこと感謝してるよ」

さっきみたいに、セトの頭を撫でる。執事服を着ていないからか、まるで妹みたいだ。

「ですが、弓影様。どうしてそんな命令をしたんですか? 深春殿を守りたい理由があるんですか?」

「……人を守るのに理由がいるかよ」

「それもそうですよね。変なことを聞いてすみません」

なんて、嘘だ。無差別に人を守りたいわけじゃない。ハル姉だから、俺は全力で守りたいし、超能力で俺の命を救ったセトにも任せたいと思った。守りたい理由は至って簡単だ。

ハル姉が好きだから。

もちろん、異性として。いつから好きになったか分からない。けど、何年間もハル姉を想い続けている。正直、もう辛い。「好きだ」の一言が言えたら、どんなに楽だろう。でも、もし想いを伝えて、ハル姉にフラれて、この関係が壊れたら?……それが怖くて、それならこのまま「幼なじみ」で良いと、思うようになった。ハル姉と恋人になれなくても、ハル姉が幸せならいい。俺はそのそばにいればいい。そう思っている。

あのさらさらの髪が、
あのパッチリと大きな目が、
あの魅力的で女性らしい身体が、
あの可愛い声や仕草が、
そして、あの優しい心が、

好きだ。

そう想うのは心の中にとどめておけばいい。誰にも言わず、ずっと隠していればいい。

「そういえばセト。その服とか買った時のレシート持ってるか?」

「はい、深春殿から預かっています」

今度ハル姉に会った時に、今日使わせた金を返さないとな。一応、俺はセトの保護者(のつもり)だし。
そう暢気に構えていたが、手渡されたレシートには驚愕な数字が書かれていた。
――――あれ……服ってこんなに高かったっけ?
いつも俺は安い店で買っていたから、服の値段を甘くみていた……一度に沢山買ったからっていうのもあるけれど。
今日、セトの物しか買ってないはずなのに、すごい出費だ。そして、これからずっとかかるであろう、コイツの生活費(特に食費)のことを考えると、このままだと金が底を尽きそうだ。今までは、実家の親からの仕送りで遣り繰りして生活していた。だが、仕送りをもっと増やせなんて言いたくないし……

はぁ……バイト探そう。

*四話に続く*

ピェピェピェのアーチ!

ピェピェピェのアーチ!

超能力者。並外れた身体能力。そして自称執事。 そんな少女との出会いから始まる物語。 いや、物語の始まりはもしかして………… *** 超能力などの要素を含む、日常系の小説です。ほのぼのとした話の中に、微量の伏線を混ぜております。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-02-01

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 第一話 面白い運命
  2. 第二話 奉仕と命令と即断
  3. 第三話Shall we begin new life?