ヘンゼルとグレーテル

継母の場合

「いやね、よそ様のお家じゃ口減らしなんて言って、自分の子供を捨てる犬畜生どもがいるけどさ、ウチは、俺はそんなことできないね。そんなことできるやつの気が知れないよ、本当に」
「…」
「実際のところね、もう明日からのパンもありませんよ。暮らしていけませんよ、これじゃあ。これっぽっちじゃ。この状況じゃ口減らしも仕方ないと思いますよ。でもね、俺には自分の子供を捨てるなんてことは…」
「捨てちゃおっか、子供たち」
「えっ」
「捨てましょう、森に」
「…」
「今日、森に行って、子供たちを捨ててきましょう」
 私から言うしかなかったの。あの人、自分からはそんなこと、言い出せなかったから。あの人、実の父親だから。だから私から言ったの。嫌な役回りだけどさ、継母の役割なんて、そんなものでしょう?

ヘンゼルの場合

「母さん」
「なあに、ヘンゼル」
「どうして僕が落とした白い石を、母さんはことごとく拾ってしまうんだい」
「うふふ、綺麗な石ね」
「いやそういうことを言ってるんじゃなくてね。さっきから僕が絶妙な距離感で石を配置していたのに」
「どうして絶妙な距離感で石を配置する必要があるの」
「それはその…アレさ。子供の無邪気さゆえにさ、母さん」
「まあ可愛い。無邪気なヘンゼル」
「僕の子供としての無邪気さが、家から石を絶妙な距離感で配置させたのさ」
「集めちゃお、ヘンゼルの無邪気。えいえい(石を拾う)」
「ああ拾われていく、僕の無邪気が」
「えいえい(石を拾う)」
「無邪気の回収業者だ」
「捨てちゃお、ヘンゼルの無邪気。ポイポイ(石を捨てる)」
「ああ捨てられていく、僕の無邪気」
「ポイポイ(石を捨てる)」
「無邪気の不法投棄」
「着いたわ」
「奥深くだね、森の。帰って来れないね、うん」
「じゃ私たちはこれで」
「待って母さん、僕らを捨てないで」
「お迎えは夕方頃になる予定です」
「どうして口調が事務的なの、母さん」
「では失礼します」
「待って母さん。僕たちを事務的に処理しないで。母さん。ああ(泣く)」
「お兄ちゃん、遊ぼう」
「グレーテル、軽率だ。この状況でその無邪気さは軽率だ」
「遊ぼう」
「無邪気って残酷だ」
「川で魚を釣ろう。燃えてきたね」
「燃えない。全然燃えない」
「ノリ悪いね、お兄ちゃん」
「おまえ父さんと母さんが話してたの聞いてなかったのかい」
「…聞いてたよ!」
「なぜウソをつく。見栄を張らない!」
「はーい」
「グレーテル、僕らは捨てられたんだよ」
「ウソつき!」
「ウソじゃない。家から目印に置いていた石も母さんに拾われた。拾った上で、投げられた」
「ウソつき!」
「ウソじゃない。そういう、水面下での駆け引きがあったんだ。だから家には帰れない」
「マジかよ!」
「マジだ。家には帰れない。食料もない。そして夜の森にはオオカミとか、そういう肉食な動物が僕らを狙ってる」
「うわあ」
「食物連鎖だよ、グレーテル。僕ら、いただきますもまともに言えない連中に食べられて死ぬんだ(泣く)」
「えーんえーん」
「えーんえーん」
「えーん…それはそうとお兄ちゃん、お腹空いた」
「うそぉ」
「ウソじゃない。食べ物の話してたら、お腹空いた」
「食欲がわいてくるような健康的な話ではなかったはずだけど」
「食べ物、探しに行こう」
「わかったよグレーテル。行こう」
 僕はこの状況に絶望していた。ちょっとおつむが遅れ気味な妹と一緒に、この森で死ぬのだと思った。せめて妹だけでも助けてあげたいと、でもまあ無理だろうなと思いつつも、僕はそう思っていたんだ。

父の場合

「帰ってこないぞ、子供たち」
「そりゃあそうよ。私たちはあの子らを森に捨てたんだから」
「捨てたのか、俺たちは」
「そうよ。私たちは、森の奥深くまであの子たちを連れて行って、で、捨てたの」
「もう日が暮れてしまったぞ。どうなるんだ、ヘンゼルとグレーテルは」
「食料がないから、餓死かしら。それとも、凍死するかもしれないわね。ホラ、いま冬だし」
「どっちなんだ。どっちで死ぬんだ」
「オオカミに食べられちゃうかもしれないわね。夜になったらよく聞こえるでしょ、オオカミの遠吠え。アオーン、アオーン、って。あいつらに、ガツガツ食われちゃうかも」
「ガツガツ食われるのか、ヘンゼルとグレーテルは」
「内蔵も食われるかもね。グチャグチャ、って」
「グチャグチャ内蔵を食われるのか」
「ガツガツ、グチャグチャ、アオーンアオーン、って。今夜も遠吠えが聞こえるかしら」
「やめろ!」
「あなたが聞いたのよ」
「やめてくれ」
「私たちがしたのはそういうことよ」
「違う、俺じゃない」
「あなたよ」
「俺じゃ、俺じゃない」
「じゃあ誰だって言うの」
「お前が言った」
「…」
「お前が『森に捨てろ』って、言った。お前が」
「そうね。私が言ったわね」
「お前が言った。あの子らが、前の女房の子だから。可愛くなかったから」
「可愛かったわよ。あの子たち、よく懐いてくれてたし」
「ウソだ」
「ウソじゃないわ」
「お前は二人をいじめてた、そうに決まってる」
「いじめてないわ。ヘンゼルは手のかからないしっかりとしたお兄さんだったし、グレーテルはいつも私の料理のお手伝いをしてくれたわ。本当に可愛い子供たちだった」
「だったらどうして捨てた」
「私は捨てたくなかったわよ」
「捨てたくなかったのなら、なぜ捨てたんだ。正直に言え。俺の子供が可愛くなかったんだろう。俺と前の女房の子供が。そうなんだろう。正直に理由を言え。それさえ聞ければ俺は納得するんだから」
「正直に、言ってもいいの」
「正直に言っていいさ。さあ言え」
「あなたがそうしたがってたから」
「バキッ(顔を思い切り殴る)」
「うっ!」
「デタラメ言うな、このアマ。この、この(二度顔を殴りつける)」
「デタラメじゃないわ。あなた毎日言ってた。『もう明日のパンはない』『口減らしなんて実の親ができることじゃない』『それにしてもあの子らはよく食べる』って。毎日毎日そればっかり」
「それはたまたま、思ったことを言ってただけだ。それ以上の意味なんてないんだ」
「あなたわかりやすいのよ。頭の中で考えてること、顔に出てるの。言動に出ちゃうの。私のせいにしないでよ。あなたが、アンタがあの子ら森の中に捨てて、殺したんだからね!」
「うおおおおお!!(頭をガンガンに殴りつける)」
「うっ(気を失う)」
「捨てるなら、捨てちまうなら、俺が捨ててやらなきゃいけなかったんだ。俺はあいつらの父親なんだから、俺からきちんと、正式に、あいつらを捨ててやらなきゃならなかったんだ。それを、お前が(殴る)、お前が先に言っちまうから(殴る)、俺が、血の繋がった俺が、『いいかお前たち、今からお父ちゃんお前らのこと捨てるぞ、森ん中捨てるぞ、恨むんならきちんと俺を恨むんだぞ、天国で神様にちゃんと父ちゃんに捨てられたって報告するんだぞ』って、言ってやらなきゃならなかったのに、それをお前が、寡婦だったお前が、出戻りで、買い手がつかなくてどうしようもないところを俺に拾ってもらったお前が、余計な口出しをするから、お前が、お前なんかが(殴る)」
 自分の女房をメチャクチャに殴りながら、俺は暗い森に残されたヘンゼルとグレーテルが可哀想で仕方なかった。寒くて暗い森に、お腹を空かせて、オオカミに怯えるあの子らを思うと、拳の痛みなんて全然感じなかったんだよなあ。

魔女の場合

 外で何か声が聞こえたのよ。小さい子供たちの声。それも、すっかり日も暮れた夜遅くに。何かと思って、最初は窓から様子を窺っていたの。
「グレーテル!見ろ!お菓子の家だ!」
「普通の家よ、お兄ちゃん」
「いいや、お菓子だ。ガブリ(噛み付く)」
「お兄ちゃん、それは壁よ。レンガよ」
「固いな、このチョコ(歯が折れる)」
「レンガよ」
「石の味がするな」
「レンガだからね」
「チョコってのは甘いと聞いていたのに。きっと高級チョコなんだな。うん、大人の味だ」
「レンガよ」
「鉄の味もする」
「お兄ちゃん、歯から血が出てるよ」
「そこで何をしてるの」
「うわ、魔女だ」
「魔女じゃありませんよ」
「普通のおばあちゃんだよ、お兄ちゃん」
「魔女だ、魔女だ」
「魔女じゃありませんって」
「全国的に平均的なおばあちゃんだよ、お兄ちゃん」
「こんなお菓子の家で、僕らを誘いだして。ガブリ(レンガを噛む)」
「普通の家よ」
「レンガよ、お兄ちゃん」
「歯が痛むぞ、魔女め」
「とにかく入って。寒いでしょう」
「お兄ちゃん歯がなくなっちゃうよ」
 最初はわけがわからなかったんだけど、もう夜も遅かったし、とにかく子供たちを家に入れたのよね。
「やっぱり魔女なんだな。こんなイスに縛りつけて。僕らを食べる気だな」
「ごめんなさいね。でもこうしないとあなた、家にあるもの何でも食べちゃうから」
「お兄ちゃん、木でも鉄でもお構いなしだもんね」
「魔女に食われる。ああ(頭を抱える)」
「いま温かいスープ持ってくるから」
「やったね、お兄ちゃん」
「ああ、太らせてから食う気だ」
「グレーテルちゃん、ちょっと来てくれる?ヘンゼルくん、少し待っててね(部屋の扉を閉める)。グレーテルちゃん」
「なあに、初見のおばあちゃん」
「こんな夜遅くに、二人で何をしてたの」
「私たち捨てられたから、食べるもの探してたの」
「まあ」
「だけど見つからなくて。冬だから木の実もなっていなくて」
「まあまあ」
「最終的に芋虫みたいなのしか見つからなかったんだけど、お兄ちゃんが、確か南の方の大陸の人たちは幼虫を食べるんだ、って。それがわりかし栄養があって、味もそれなりにいいらしい、って」
「あら」
「だからそれを二つに割って食べよう、ってことになったんだけど、いざ割ってみるとその芋虫の体から、緑色のイヤーな液体が出てきて」
「あらあら」
「きっとお兄ちゃんそれ見て、私たちこれからずっと、こういう緑色のイヤーなもの食べて生きていくんだろうな、って想像したと思うの。ああいうイヤーなものを栄養にして生きていくメンタルの図太さは、お兄ちゃんにはないの。それで、人の家のレンガを食べるようなお兄ちゃんになってしまったんだと思うの。人の家のレンガ食べて、『チョコだあ、チョコだあ』ってはしゃいでしまうような兄になってしまったんだと思うの」
「あらー」
「以上が、妹としての見解です」
「大変だったわね、二人とも」
「いえいえ」
「はい、温かいスープよ」
「…あったかい。美味しい」
「かぼちゃのスープよ」
「ありがとう、おばあちゃん」
「二人とも、しばらくここにいていいのよ」
「いいの?」
「おじいさんがいなくなってずっと一人でこの家で暮らしてたから、おばあちゃん寂しいのよ。こちらこそ、お願いします」
「お願いされちゃったぜ、エヘヘ」
「お願いしちゃったぜ、エヘヘ」
 そうして二人の子供たちを預かることになったんだけど、しばらく一緒に暮らしてるとすっかり情が移っちゃってね。もう二人とも、可愛くてしょうがなくて。でも私も、もう老い先短いからね。いつまでも老人の道楽に付き合わせるわけにもいかないと思ってね。私が死んじゃったら、またあの子たちは途方に暮れちゃうだろう?だから信頼できる人を見つけて、二人がちゃーんと暮らしていけるようにしてやらなきゃ、って思ったの。それが神様に与えられた私の最後の仕事なんだって、年甲斐もなく張り切っていたのよね。

グレーテルの場合

「グレーテル」
「なあに、お兄ちゃん」
「だまされてはいけないよ」
「だまされてなんかいないよ」
「あの人は魔女だよ」
「あの人は、ただの優しいおばあちゃんよ」
「いいや、魔女だね」
「お兄ちゃん、あれ、何に見える」
「チョコレート」
「残念。壁でした。レンガでした」
「チョコだよ、チョコ」
「お兄ちゃんの言うことも信じてあげたいけど、レンガがチョコに見えるうちは、悪いけど、私はおばあちゃんのほうを信じるよ」
「お母さん、優しい人だったよな」
「そうね、優しい人だったね」
「でも、僕らを捨てたね」
「そうだね」
「あの魔女、優しいな。優しい魔女だな」
「魔女じゃないけど、優しい人だね」
「あの魔女は、僕らを捨てるよ。食うよ。なんだかひどい目にあわせるよ。お兄ちゃん気ぃ狂ってても、それだけはちゃんとわかるよ。毎日温かいスープ作ってもらって、お兄ちゃんそれをちゃっかり飲んでるけど、わりと楽しみにしてるとこあるけど、それはね、わかるんだよ」
「あれ、なに」
「チョコ」
「…レンガをチョコって言ってるうちは、私はお兄ちゃんのこと、信じないよ」
「お兄ちゃん気ぃ狂っちゃったけど、グレーテルのことはちゃんと守るよ」
「あれ、なに」
「チョコ」
「…」
「グレーテルちゃん」
「あ、魔女」
「おはよう、ヘンゼルくん。グレーテルちゃん、ちょっとおでかけしてくるからお留守番お願いね」
「どこに行くの?」
「町に知り合いの神父さんがいてね。その人に、ヘンゼルくんとグレーテルちゃんを養子にしてもらえないか頼んでみようと思ってるの」
「おばあちゃん、私たちを捨てるの?」
「とんでもない。その神父さんはね、とってもいい人なんだよ。お金もたくさん持ってて、今よりぜいたくな暮らしができるのよ」
「いいよ、そんなの」
「だめよ。それが二人のためなんだから。おばあちゃん、がんばってお願いしてみるからね」
「がんばらなくていいよ」
「だーめ。おばあちゃん、二人のためならどこまでもがんばっちゃうんだから。無理しちゃうんだから」
「無理なんて、しないでよ」
「無理、しちゃいます。おばあちゃん、無理しちゃいます。それじゃあね」
「…」
 私はこのとき張り切って出かけていったおばあちゃんを見て、なんだかすっごく寂しかったんだよね。からっぽな気持ちで、おばあちゃんが帰るのを玄関でずっと、待ってたんだ。
「ただいま!」
「おかえりなさい、おばあちゃん」
「聞いて、グレーテルちゃん!神父さん、二人を養子にしていいって!もうひもじい思いをする必要ないのよ!教育だって受けられる!」
「そうなんだ」
「よかった、本当によかった。今夜はお祝いね」
「よかったんだ。よかったんだね」
 おばあちゃん本当にうれしそうな顔で、よかった、って言ってた。そんなよかったらしいことの記念に、今夜はごちそうを作ることになった。だから私もおばあちゃんを手伝ったんだ。
「私は本当に安心したよ。これでいつお迎えが来たっていいよ。あ、グレーテルちゃんそこの人参取ってくれる?」
「…うん」
「ありがとう。本当にね、このままじゃ蓄えもいつか底をつくし、いつか私が死んじゃったとき、二人とも困るでしょう。私はもうとにかくそれだけが心配でね。よかったよかった」
「そうだよね、迷惑だったよね」
「なにを言ってるの。私のほうこそ、いい生活をさせてあげられなくてごめんね。蓄えが足りなくてごめんなさいね。私一人なら問題ないから、心配しないでね。いざとなったら、おじいちゃんとの結婚指輪、売るから。ちょっとかまどの火を見てくるね」
「私ね」
「え?」
「私ね、お兄ちゃんと私が捨てられた理由、ずっと考えてたんだけど、私たち、そんなにお母さんに嫌われてなかったと思うの。むしろお母さんも私たちのことは、どっちかというと好きだったと思うの。でもね、ウチ、貧乏で。もう明日のパンもない、ってお父さんいつも言ってて。それでもなんだかんだ、明日も明後日もパンは出たから、私たちはただその日のパンを食べてたんだけど、本当はいつ、その日が来てもおかしくなかったんだよね。私たちは子供だからそんなこと考えなくてよかったんだけど、お父さんとお母さんはそのことについて考えなくちゃいけなかったんだよね」
「グレーテルちゃん」
「でも、お父さんとお母さんは捨てられることはないから、捨てられたことについて考える必要はないけど、私たちは捨てられるから、捨てられたことについては考えなきゃいけなかったんだよね。おばあちゃん、私、お兄ちゃんがあんな風になっちゃった理由、芋虫のイヤーな液体のせいだって言ってたけど、あれ、ウソなの。冬だからね、芋虫もいなくて、あのときは結局食べ物なんて見つからなかったんだよね。見つからなくて、疲れて、寒くて、二人でくっつきながら腰掛けてたの。寒いからお互い寝ないように、なにかしらお話してるようにしてたんだけど、そのとき、なんで私たち捨てられたんだろう、って話になったんだよね。結論としては、お父さんとお母さんは私たちの今日の分のパンを、明日の分にとっておいたんだよね、って。お母さんは今日の分のパンを私たちに出すよりは、それを明日のお父さんの分のパンにすることを選んだんだよね。しょうがないよね。でも、それならそれで、ちゃんと説明してほしかったよね。そりゃあ、私たちが捨てられる理由を親から論理的に説明されたら悲しいし、きっと泣くし、面倒くさかったと思うけど、でも私たちお父さんもお母さんも好きだったから、最終的には納得したと思うの。だからなんか悔しいよね。ところで実際のところ、あとどのくらいパンはもったんだろうね。一週間ぐらいだったら、私たちを捨てた意味、あんまりないよね。今頃二人とも死んじゃってるもんね。かといってあと一年分くらいの余裕があったら複雑だよね。思うんだけど、私たち、パンをいつもの量の半分ずつで食べれば、もっと四人で過ごせたと思うの。四分の一ずつで食べれば、もっと。でもこんなこと言われることすら、面倒くさかったんだろうね。なんならパンは出なくても、家に置いてほしかったよね。私たちはパンがほしくてあの家にいたわけじゃないんだから。で、こんな話をしてたらね、お兄ちゃんは狂っちゃったんだよね」
「グレーテルちゃん、違うのよ」
「おばあちゃんは、なんで?」
「ねえ、聞いてちょうだい」
「なんで私たちを捨てるの?」
「違うの」
「なんでよ!」
 私はそのとき、初めておばあちゃんにわがままを言おうとしてたんだよね。初めておばあちゃんに近づこうとしてたんだよ。私、おばあちゃんと離れたくなかったから。家族になりたかったから。だから少しだけ手を強く伸ばしたら、おばあちゃん、よろけちゃって、足をすべらせて、かまどの中に飛び込んじゃって、そしたら、中の火がものすごい勢いで燃えて、瞬間、聞いたことのないような叫び声、なんか、グッチャグチャの絶叫が聞こえてきて、思わず、耳をふさいで、怖くて、私は、目を閉じて、息も止めて、それが、終わるの、待ってたんだ。そうしてずいぶんと長い時間がたった後、お兄ちゃんの声が聞こえてきたんだよね。
「グレーテル」
「…お兄ちゃん」
「どうだ、お兄ちゃんついに大発見したんだぞ。イスに縛られたままでもほら、立って歩けることに気がついたんだ」
「…うん」
「どうだグレーテル。お兄ちゃんのイス人間っぷりは。座ったまま歩くぞ。走るぞ。疲れたら、座るぞ」
「…よかったね」
「グレーテル、お前、一人で逃げろ」
「…」
「僕たち大飢饉の時代に生まれて、ド貧乏の家で育って、その親にまで捨てられて、それでもまぐれでここまで生きてきたんだ。お前一人ぐらいならまた、まぐれで生き残れるさ。考えたんだけどさ、気ぃ狂いながらも考えたんだけどさ、お前、町に行け。教会に駆け込め。んで、精一杯、同情ひけ。かわいそうな話、いっぱいしろ。親から虐待受けてたことにしろ。母さんからはいびられて、父さんからはいたずらされてましたって、そう言え。お兄ちゃんは頭殴られすぎておかしくなって死んじゃいましたって、言え。そういう話が好きな人、いるから。そういう話で泣いて、お得な気分になる人がいるから。つけこめ。その人のお得感に、つけいれ。そうしたら、なんとかなるから。お兄ちゃんイスに座りながら、頭の中でシミュレーションして、大丈夫だったから。な?そうしろ」
「なんで?」
「んあ?」
「なんでお兄ちゃんまで、私を捨てんの」
「へっ?」
「気ぃ狂ってんなら、せめて、離れんなよ。裏切るなよ。そばにいろよ。イスに座ってろよ」
「イスにはもう、座ってるぞ」
「私はね、知ってたんだよ。おばあちゃん、お風呂に入るときもあの結婚指輪だけは外さなかったから。あの指輪だけは外さないって、知ってたの。私たちのためにあの結婚指輪は売れないって、知ってた。あの指輪には勝てないって、わかってたんだよ」
「うん」
「それでも聞きたかったんだよ。直接聞きたかったんだよ」
「うん」
「わかったふり、やめなよ。むかつくよ」
「わかったから、グレーテル。わかんないけど、わかったから。だから、一人でそんな顔すんな。ひどい顔は、二人でしよう」
「それ、約束だからな」
「うん、約束な」
「捨てんなよ、私を」
「うん、捨てない」
「聞いてよ、私にも」
「捨てないで、僕のこと」
「うん。捨てないよ、お兄ちゃん」
「逃げよう、グレーテル。町に行こう」
「うん。でもお兄ちゃん、その前に、寄って行きたい場所があるの」

たまたま近くを通りかかった百姓の場合

 いやー、たまげたね。幽霊でも出たかと思ったよ。なんせあそこの家、子供捨てたっていう噂だったのに、その子供たちが玄関の前、立ってんだもん。しばらくしたら父親の男が出てきて、んで私つい、聞き耳立てちまったんですわ。
「ヘンゼル!グレーテル!生きてたんだな!会いたかった、会いたかったよ!」
「お父さん!お母さんは?」
「お母さんな、飢えて、死んじまった。残念だけど、仕方なかった。ま、上がれ」
「そっか、じゃあお母さんにはもう、聞けないのか。じゃあお父さん。お父さんに一個、聞きたいの」
「なんだいグレーテル。お父ちゃんいまうれしいから、何個でも答えちゃうよ。ガンガンきてよ、ガンガン」
「どうして私たちを捨てたの?」
 それ以上はもう、こっちも怖くて聞けなかったよお。関わらないようになるべく早く通り過ぎようって、その場を離れたんだよ。しばらくして振り返ってみると、あの子たち、どこに行くんだろうねえ、家には入らずに、どっかに行っちゃったんだよ。二人で手ぇつないでね、大手を振って、どっかに歩いていったよ。その日は妙によい天気でねえ。綺麗な青空で、風が気持ちよくて。だからなんだろうねえ、あんな話の後なのに、あの子らの後ろ姿がなんか能天気に見えてねえ。あの子らの名前、なんだったっけなあ。ま、なんでもいいか。無駄話はもうやめにして、貧乏百姓は、そろそろ働かないとな!

ヘンゼルとグレーテル

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
さらに感想などいただけたら、今後のためにありがたいです。
貴重なお時間いただきまして、本当にありがとうございました。

ヘンゼルとグレーテル

童話「ヘンゼルとグレーテル」を、登場人物それぞれの立場から描いてみました。会話中心、小説というよりはシナリオになってます。原作とは内容を少し変えています。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青年向け
更新日
登録日
2014-01-30

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 継母の場合
  2. ヘンゼルの場合
  3. 父の場合
  4. 魔女の場合
  5. グレーテルの場合
  6. たまたま近くを通りかかった百姓の場合