雪ん子の里
雪虫、という虫を知っているだろうか。
私の里ではそれらを「雪ん子」と呼んでいた。
冬が近づくとどこからともなくやってくる、丸くて、白い蓑をまとった小さな小さな虫である。
私の生まれは北国の山里で、それはそれは雪深い土地であった。
私は冬が嫌いであった。
幼き頃から気管が弱く、ススキが枯れ落ちるころにはヒューヒューと喉笛が鳴った。
雪ん子が飛ぶ頃には決まって誰より早く熱を出し、いよいよ雪が降り積もろうものなら外へ出ることを固く母に禁じられた。
「ケンちゃんは、体が弱いのだから。」
真っ赤な頬で鼻水を垂らしながら雪の上を駆け回る級友たちを、私はいつも、ガラス一枚隔てた家の中から見つめていた。
ストーブの上で、薬缶がシュンシュンと湯気を吹いていた。
地理が教科に加わったのは、小学校三年の時であった。
世界の国々というページに、ケニアだのエチオピアだの、それまで聞いたこともない国が載っていた。
肌の黒い美しい人々の写真に目を奪われながら私は、世の中には冬のない国があるのだと、大変な衝撃を受けたのだ。
私の土地は、一年のうち半分以上が冬である。
「ケンちゃんは、体が弱いのだから。」
母のその一言で私は、一年のうち半分以上を外へ出られずに過ごさなければならぬのだ。
そんな訳だから幼い私は切に願ったのである。
暖かい土地へ行きたいと。
誰にも止められず、外へ出られる土地へ行きたいと。
私の父の祖父は、庄屋であった。
時代は変わろうとも、土地や、そこに根付く人の心は変わらない。
私の生家は小高い丘の上にあり、他の子らの家よりも遥かに大きかった。
六つ違いの長兄は「庄屋んちのボン」と持て囃され、行く先々で干菓子や落雁なんかをよく貰っていた。
兄と私の間にいる三人の姉たちは、「庄屋んちのコマドリたち」と呼ばれ、綺麗な着物を身に着けた彼女らを大人たちは目を細めて可愛がった。
私は、「庄屋んちのバッチ」であった。
大学受験のため戸籍謄本を取り寄せたとき、私はある事実を知った。
その事実は、たった一つであったが、様々なことを私に理解させるに足る事柄であった。
村の者の私を見る目。
兄たちと私の違い。
母をなじる兄や姉。
私のみを隔絶し、愛を注ぐ母。
母は、後家であった。
このような村は早く出ねばならない。
強迫観念、とでもいうのであろうか。
難関とされた大学に、長兄が二浪の末諦めた大学に、私は一年で合格した。
十九の春の旅立ちの朝、もうこの村へは帰らぬと決めた。
私の里は、春が来るのがとても遅い。
その日も、鈍色の空から大きな雪がグシャグシャといつまでも降っていた。
あれから三十年。
父が死んだ後は、兄が家を継いだ。
その兄も、七年前に脳溢血で逝った。
庄屋んちのボンは若い頃むちゃくちゃしたからバチがあったったのだと、葬式の鯨幕の裏で口さがない誰かが言った。
声から察するに、郷田んちの親父ではないかと思われた。
誰がそんなことを言うのかと姉たちは目を三角に釣り上げたが、詮索することに果たして意味はあるのだろうかと私は思った。
言うか言わぬかの差こそあれ、皆が思っていることではないか。
兄の嫁さんと子どもらは、兄が亡くなるやすぐに、取るものだけ取って実家へ戻っていった。
姉らは既に嫁いでいたものだから、あの大きな家に、私の母だけが住まうこととなった。
そうして昨日、母が死んだ。
庭先で固くなっているのを、新聞配達にきた昌ちゃんちの息子が発見したのだ。
大学を出た後そのまま、私はその土地に根を下ろした。
役場へ入り、そこで知り合った女性と結婚した。
ふたりの女の子を為し、誉められもせず、しかし苦にもされない生活を送っている。
私は母に何度も、何度も、こちらへ出て来いと、一緒に住もうと申し入れたが、母は一度も首を縦には振らなかった。
上の姉にいびられ泣き面を見せていた母の、私が大学へ行く朝に駅のホームで泣き崩れた母の、一体全体どこにそんな芯の強さがあったのか舌を巻いたほどである。
これが後家の勤めと言わんばかりに、たった一人で、あの家で死んでいった。
棺の中の母の手は冷たく、私は今さらながらに、幼い頃熱を出した私の額に置かれた掌の温もりを偲んだ。
「あ、雪。」
「え、どこどこ?」
窓から外を見ていた私の子らが、歓声を上げた。
私が根を下ろした土地は、雪が降らない。
「すごいね。」
「うん、寒そうだね。」
そうか。彼女らは知らぬのだ。
雪の降る夜が、暖かいのだということを。
理屈は分からない。
しかし私は、こみ上げる涙と嗚咽を抑えることが出来なかった。
終
雪ん子の里