鐘の音

田舎町にある山寺、その鐘の音は村の人々の生活に溶け込んでいる。その静かな町でフリージャーナリストが殺害された。

鐘の音

私の住む町のはずれには、小さな山が街を見下ろすようにそびえている。
その山の山頂には鎌倉時代に建立されたという古い山寺があり、毎日夕刻5時にきまって、鐘の音を街全体に響かせる。
子供たちは、その鐘の音を聞くと、慌てて家路を急ぐことになる。その鐘の音は、子供の頃から住民の心にしみわたり、老若男女問わず、この町の出身者であれば、この音色を聴くことで、自分が故郷にいるという実感を呼び戻すことができるのである。

その鐘を鳴らしているのは、寺守と呼ばれている夫婦である。寺の管理と、毎日夕刻5時に金を鳴らすことをその仕事としている。無論住み込みである。
今の寺守は、私の記憶では、私が中学に入る頃に、その前の寺守であった夫婦の内、男性が亡くなり、今の夫婦に寺守の仕事が引き継がれたと思う。私の中では、現在の寺守は二代目であるが、実際ははるか昔から続く伝統であり、何十代目ということなる。
寺守は必ず二人でなされる仕事であり、必ず夫婦でなければならないとの掟があるそうで、どちらかが亡くなれば、残った一人はすぐに、寺を去り、即座に次の夫婦が寺に引っ越してくるそうである。
明治時代の初期までは、残されたもう一人は、後を追って自害することが習わしだったという。今では考えられないことである。
現在この寺は町役場で管理されていて、次の夫婦が見つかるまでは、役場の担当が通いで、寺の管理をし、鐘を鳴らしている。
求人もまずは、町役場発行の冊子に小さくであるが掲載される。町から応募がなかった場合は、県全体にその範囲を広げるようである。
今までは、1月の期間を空けることなく、つぎの夫婦が見つかっていたとのことであった。

寺守になる夫婦は当たり前のことであるが、子供がすでに自立した夫婦となるので、だいたいが60歳近くなっている。したがて、ひと組の夫婦が寺守を続ける期間はだいたい15~20年程なのであろう。
さらに寺守になると、町の住民というよりは、別世界の住民になり、信者以外にはあまり関わりを持たなくなる。365日寺から離れず、休みなしに金を鳴らすため、いたしかたないのであろう。さらに、観光客もあまり立ち寄らないところである。10年もすぎると、鐘の音は忘れないのに、夫婦の姿は思い出せなくなる住民も多くなってしまう。
このような神秘性が、さらに鐘の音を神々しく感じさせる要因なのであろう。

以前この寺の鐘の音を話題にした地元のTV番組を見たことがる。
その時に、取材されていたおばあさん、確か年齢は90歳を超えていたが、その方が、
「私は、すでに4代の寺守が鳴らす鐘を聞いています。鐘の音は、鳴らす方によって、その音色が違うのです。ひとつとして同じ音色はありません。私は、今夫婦の内、男性が鳴らしているのか、女性がならしているのかもわかります」
そのようなことを言っていた。
私も、その話を聞いた後、鐘の音色を集中して聞いてみた。
そして、何度も聞いているうちにどちらが男性でどちらが女性かわからないが、確かに2種類の音色があることに気がついた。
絶対音感でもあれば、さらにその音色の違いが明確なのであろう。

本当に久しぶりに、寺守の求人が掲載された。噂によれば、旦那の方が亡くなったらしい。
改めて求人内容をみると、わずかな報酬なのに、その責任は重い。割に会う仕事とはいえないだろう。ある程度悟りの域に達した、男女がその残りの人生をなにかの意味を持って生きたい。そのように考える夫婦しか応募はしないであろう。
今回の求人にはなかなか応募がなかったようである。現代人にとっては、無理もないのかもしれない。
結局、2月もの期間を役場の担当が寺守し、県外の夫婦が採用されることとなった。
新しい、夫婦の写真が冊子に掲載された。60歳を少し超えた優しそうな夫婦であった。
そして、またその夫婦の鳴らす鐘の音が私の街に響き渡った。

新しい寺守が来てから、半年が過ぎていた。二人が鳴らす鐘の音は、すっかり町にとけこみ、私も、前の寺守りが鳴らす鐘の音との違いを楽しんでいた。
もちろん、どちらが男性で、どちらが女性かはわからなかったが、二つの音色も聞き分けていた。
ところが、ある日、明らかに二つの音色とは違う、三つ目の音色を聞いたのである。
私は、家業の酒屋を継いでいるため、家兼店舗である、自宅にいることが多い。
そのため、午後5時に店の中で、鐘音を聞くことが多いのであるが、その日は、たまたま配達があり、山に近い得意先の飲食店の近くで車を走らせていた。
夏が近づき、日も長くなり、その眩しい夕日に目を細めながら信号待ちをしているときに、丁度鐘が鳴った。なんとなく聞き逃すところであったが、鐘の響きの長さが明らかに違う気がした。
もしかするとほんのわずかな違いで、たまたまなのかもしれないとも思ったが、とても気になっていた。
その後は、三日に一度はその鐘の音を聞くこととなった。いつもの二つの鐘の音の次の日は決まって、新しいもう一つの鐘の音になるのである。
新しい三番目の鐘の音が加わったことは間違いがない。
私は、このことを誰かに話したがったが、きっと聞き間違いだろうと、相手にされないと考え、自分で謎を解明しようという気持ちになった。

その日は新しい三番目の鐘の音がする日である。私は5時少し前に、寺から一番近くにある空き地に配達用の軽バンを止めると、足早に山道を登って行った。
山寺は、その空き地から山を少しだけ登っていったところにある。歩いて10分程度である。
山寺の境内までくると私は、参拝者のふりをして、丁度視界が開け、街を見下ろす場所にある鐘突き台を見つめた。
やがて、手入れの域届いた薄茶色の作務衣に身を包んだ、初老の男性が、静かに鐘突き台に上がっていくのが見てとれた。
役所の冊子で写真を見ただけであったが、間違いなくそこに映っていた男性であった。
その男性は、一呼吸置くと、力強く鐘突き棒を引き、素早く体全体を使って鐘を鳴らした。
その音はやはり新しい音色であった。
この男性が新しい音色を出したということは、いままで聞いていた鐘の音の一つは、誰が出しているのであろうか?
今までの半年間は、別の人物が寺守としてこの男性の代わりに、入りこんでいたということであろうか?そして、今もその三番目の人物が存在するのであろうか?
私はその疑問を解明したくなった。
初老の男性は、鐘をつき終えると私の方を向き、軽く一礼をした。私も参拝を終えた信者のごとく、軽く会釈をし、その男性に近付いていった。
「いつもご苦労様です。お二人でお寺を守っていくのは、さぞ大変でしょう」
わたしは、そのように話しかけてみた。
「いえいえ、私も妻も楽しんでやらせていただいております。感謝の気持ちでいっぱいです」
そのように、優しい口調で答えてきた。またさらに、
「初めて、お顔を拝見いたしますが、この町のお方ですか?」
そのように尋ねてきた。
「はい、生まれも育ちもこの町です。今日はたまたま配達が近くであったので、久しぶりに参拝によらせてもらいました。まったく信心がなくお恥ずかしいかぎりです」
「また、新しく寺守になられたご夫婦のお顔も拝見したいと思いまして」
さらに、
「本当に素晴らしい鐘の音です。いつも楽しみに聞いています」
そのように付け加えた。
その後、たわいもない世間話を数分間し、私はお店に帰ってきた。
そして、明日も同じ時刻に寺に行ってみようと思っていた。

次の日は、初老の女性が鐘をついていた。聞き覚えのある鐘の音のひとつであった。
初老の女性は、昨日の男性同様、折り目のしっかりついた作務衣を着た品のある女性であった。
私は、昨日も参拝に訪れ、旦那様にお会いしたことを、話のネタに、その奥様とも会話をした。
奥様も旦那同様に物腰の低い話しぶりで、今の仕事の充実感を私に伝えてきた。
私は、明日もこの近くで配達がある旨を伝へ、店まで戻ってきた。
いよいよ問題の三日目である。
私はいったいだれが鐘を鳴らすのか、わくわくしながら、鐘つき堂を見つめていた。
そこにあらわれたのは、旦那の方であった。昨日、奥様に明日も来ることを伝えたので、三番目の人物は姿を見せなかったのか?
旦那は、私が今日もいることを見てとると、
「毎日、ご苦労様です」
と私に一声かけ、静かに鐘突き台に上がり、鐘を付いた。
その音色は、三日前に聞いた新しい鐘の音とは違い、いつもの鐘の音の内の一つであった。
私は複雑な気持ちになっていた。三つの鐘の音の内一つは、誰か新しい三番目の人物が付いるのであろうと思っていたが、実は旦那が、二つの音を付きわけていたのである。
私は、挨拶を交わすと、すぐに山道を下り始めた。
夕方というのに、真夏の日差しは、木々の間からでも、容赦なく地面を照らし続けていた。
蝉の声だけが、山の中に大きく、力強く鳴り響いていた。
私は、あまりの蝉の声の大きさに、今までにない不快な気持ちを感じて、耳をふさぎながら、小走りに車の止まる空き地まで走っていた。

その遺体が見つかったのは、昨日の夕刻、丁度鐘の音が鳴り響く時刻であった。
隣町につながる県道にある、今では廃墟となった元ドライブインの駐車場にその遺体は置かれていた。
死因は絞殺のことであったが、不思議なことに、遺体の上には、無数の蝉の抜け殻が、死体を覆うように、置かれていた。
まるで、土から出てきた無数の蝉達が、その男性によじ登り、その男性の命を奪うことによって、新しい生命を誕生させたかのようである。
めったに事件の起きない町である。噂は町中に広まり、誰もがカルト的な匂いをこの事件から感じ取り、蝉の祟りであるとか、地球滅亡の前触れあるとか、尾ひれをつけて、面白可笑しく話をしている。
殺された男性は、この町の人間ではなく、東京在住のフリーライターとのことであった。
フリーライターとはよくTVのサスペンスに出てくるが、どのような仕事なのであろうか?
この町に、男一人で観光にきたとは、思えない。
きっと、なにか事件を追って、この町にやってきたのであろう。
私は、鐘の音の秘密と、このフリーライターの殺害を重ね合わせ、一人でワクワクした気持ちでいた。
私の中学校時代からの友人に県警に勤める男がいる。
明日は彼に会いに行き、この事件の情報を少しでも仕入れてこようと思った。

友人の木下は、県警の刑事課に勤める、警部補である。
中学時代から、サッカーに命をかけるスポーツ人間で、女性からも良くもてていた。
私は、友人としてライバル心もあったが、そんな木下が自慢でもあった。
木下に、連絡をして県警の近くにある、そば屋で一緒に昼食を取ることとなった。
まず私は、三つの鐘の音がなる不思議を、木下に力説した。
木下はだまって、その話を聞いていたが、きっとその寺守の気まぐれで、新しい鳴らし方を楽しんでいるのであろう。別に、鐘の鳴らし方を、変えてはいけないとのルールはないはずだ。そのように、さらっと受け流していた。
そして、本題の今回の事件に関して、話題をふってみた。
さすが、友人とはいえ、守秘義務である。当然ながら、すでにマスコミがかぎつけている範囲の情報しか、話をしてくれなかった。
でも、やはり、殺されたフリーライターはなにか特殊な取材を続けていたらしく、その過程でこの町を訪れていたらしい。
特殊な取材とはなんなのだろうか。もしそれがなにか宗教的取材であれば、私の聞いた三番目の鐘の音とまんざら無関係とは思えない。
木下に、その話題はふっておいた。なにかひっかかることがあれば、必ず木下は、私にもう一度、鐘の音の話題をしてくるであろう。

最近気になることが、もう一つある。私は仕事柄、この町の住人をよく把握している。
昔から住んでいる住民は、皆が親戚のような関係になる。
その上、車で年中町中を走っているので、街でおこる変化には敏感である。
その結果、最近不思議に思うことができたのである。それは、この町に新しく住み着く住人が増えたことである。
最近まで空き家だった、マンションやアパートに新しい人が住んでいる。
ベランダで、洗濯物を干す姿を見ることがあるが、まるで次の寺守にでも応募するような、初老の夫婦が多いようである。
私は、役所に行き、最近の人口変動に関する資料を閲覧した。
あきらかにこの半年で、住人が増加している。約100名近い住民が他県より引っ越してきていた。個人情報は保護されているが、統計資料からは、60歳以上の夫婦が多く引っ越してきていることが見てとれた。
役所にも友人がいるので、その友人にも聞いてみたが、やはり最近半年で、県外から多く年配の夫婦が引っ越してきているとのことであった。

大下に会ってから一週間、案の定、大下から私に会いたいと連絡が入った。
今回は、彼が私の行きつけの店にやってきた。夜、ゆっくり飲みながら話をしようということになった。
彼も元々この町出身で、今は結婚し、県警本部近くにマンションを購入しているが、この町の住人と同じく、あの鐘の音を聞きながら大きくなった人間である。
寺守のルールも良く心得ているはずである。
思ったとおり、大下は私に例の三番目の鐘の音のことについて、もう一度尋ねてきた。
「本当に、寺守の男性が、意図的に違う鐘の音を鳴らしているのだな。それも最近になってからか・・」
大下は、なにか意味を含みながら、言葉を濁している。
大下の話によれば、殺されたフリーライターは宗教の取材を得意としていたらしい。
それもカルト的な新興宗教というよりは、古くから地方に根付いていた宗教や今ではすでに廃れてしまった小規模な宗教などを取材していたらしい。
どうもこの町にそのような宗教が存在していたらしい。
かといって、この町の寺院は曹洞宗が主流で、いくつか存在する他の寺や神社も、無論あの山寺も歴史的にその流れは明確で、これといって珍しいことはなにもないはずである。
若干、寺守の制度は話題性があるのかもしれないが。
それ以外の、地場信仰みたいな話も聞いたことはない。
大下によれば、その隠れた宗教の取材中に、なんらかのトラブルに巻き込まれて、殺害された可能性が高いとのことだった。
今日は、大下はよくしゃべる、私にこのような情報を伝えて大丈夫なのだろうか。
多少気になりながらも、自分も捜査活動に参加しているような気分になり、なにかワクワクした気持ちになっていた。

今日は得意先に頼まれて、夜も8時過ぎだというのに、しかたなく配達のために車を走らせていた。
その時、山寺に続く小道に入っていく、ワゴン車を見かけた。
こんな時間に山寺に参拝に行く住人はいない、無論観光客などが、いるわけがない。
私は気になり、配達を終えると、山寺に向かうことにした。
参道手前の駐車場には、先程見かけたワゴン車以外に数台の自動車が暗闇の中に止まっていた。
この山寺は由緒あるものの、恒例の祭りなどは執り行われていなく、集会といっても、年に数回、檀家があつまる程度のはずである。
それも、休日の日中におこなわれているはずだ。
私は、探偵気分になり、真相を突き止めるべく、山寺への山道を登りだした。
山寺には集会場と言える場所はない、本堂にあるご本尊前の広間が集会場の代わりとなる。
やはり、本堂には明かりがついており、入口にはいくつかの靴が無造作におかれていた。
さらにそこからは、かすかではあるが、お経を唱えるような声が聞こえてきた。
私は物音を立てないように本堂に近付き、中の様子を窺った。
本堂では、数名の男女が、なにか呟いている。顔は良く見えなかったが、その最前列で立ちあがっていたのは、あの寺守の男性であった。
驚いたのは、ご本尊の姿である。そこにはいつも見かけた、ご本尊ではなく、古びた木造らしきなにかの像が置かれていたのである。
私は、少し身震いをすると、そのまま静かに今来た道を引き返した。
ここは一旦詮索を終了し、大下に相談しようと思ったからである。

家に戻り、大下の携帯に電話をかけた。大下は、私の話を興味深く聞くと、
「今日の鐘の音は三番目の音ではなかったか?」
そのように尋ねてきた。
そういえば、確かに今日の鐘の音は、新しい三番目の鐘の音であったのである。
「鐘の音は、今日の集会となにか関係があるのか?」
私は大下に聞き返してみた。
「今は捜査中のため、詳しくは言えないが、その集会に一人で近づかない方がいいぞ」
そのように言うと、電話を切った。
私は、その言葉からただならぬ気配を感じ、この件にはこれ以上深入りするのはやめようと誓った。
その後、事件のことはなるべく考えないようにし、平常の生活をおくっていた。

犯人が捕まったとの連絡が大下から入ったのは、それから1月程度過ぎた頃であった。
私が予想したとおり、やはり寺守の夫婦が犯人であった。
大下は、彼にしては珍しく、少し興奮気味に、事件の概略を説明してくれた。
二人は、とうの昔に廃れたはずであった宗教の信者であり、その宗教を復活させるために、この町の寺守の求人を見て、応募してきたのであった。
その後、他の信者達もこの町に移り住み、あの第三の鐘の音を合図に、山寺に集まって密儀を取り行っていたのである。
特殊な宗教を取材していたフリーライターの男は、取材をほぼ終え、いよいよ雑誌社にその取材内容を送るつもりであったらしい。
この宗教は極端に公に公開されることを嫌う、隠密性の高い宗教であったため、フリーライターを呼び出し、殺害にいたったらしい。
なお蝉の抜け殻が置かれていたのは、この宗教の習わしで、死者は土に帰り、7年の年月を経て、蝉となって生まれ変わると伝えられているための行為であったとのことである。
蝉となり、一週間の生命を終え後に新しく人として蘇るそうである。
あくまで宗教を守るためとの意思を残したかったのであろう。
さらに驚いたことに、役所の課長もこの宗教の信者であったらしく、現在警察で取り調べを受けているとの話である。
人はわからないものである。表面では他人には理解できない内面を持っている。
全ての人がそうだとはわからないが、今も新しいなにかが生まれ、動き出そうとしているのかもしれない。
自分も自分の内面を振り返り、もう一度生き方を考えてみようと思った。
新しい、なにかを生みだすことができるかもしれない。

それからまた平凡な日々が続いていった。あの事件も時間の経過とともに、すでに人々の記憶からはかき消されているようであった。
寺守も新しい夫婦に代わり、今日もきちんと鐘の音が小さな町を駆け抜けている。
普通が一番、平凡が一番とは良く聞く話だ。でも何を持って普通というのだろうか。
あの事件以降、そのように考えるようになった。
別になにか特別な観念にとらわれているわけではないのだが。
私は、夕暮れにその姿を消そうとしている、古ぼけた山田寺を見つめている。
手元には、あのフリーライターの書いた本が1冊置かれていた。

鐘の音

静かな町の鐘の音に隠された秘密。人にある別の一面です。

鐘の音

小さな町の山寺を守る老夫婦。鐘の音が三種類あることに気付いた主人公の心の動きを表現しています。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-10-25

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