神隠し

かみ‐かくし【神隠し】《「かみがくし」とも》
1 子供・娘などが、突然行方不明になること。山の神や天狗(てんぐ)などの仕業と信じられていた。「―にあう」
2 服喪中、神棚を白紙で隠すこと。

少女は何をやっても周りから一歩遅れている子どもだった。「他人と一緒」であることに安心する思春期が過ぎ去り、「他人とは違う」ことがステータスとなった青年期にさしかかった。少女は周囲の同年代の"オトナたち"を見下していた。それは強い劣等感の裏返しであり、年相応の顔をしたオトナに対しての羨望の念も強かった。色々なことを教えてくれるオトナがいなかったため、周りに比べて何も知らない自分に少女は小さなころから焦りを覚えていた。少女は、周りを羨ましく思いながら生きていくことは苦しいことだと悟り、今の自分を受け入れた時、やっと少し楽になった。

少女はとてもシャイな女の子だった。他人から見ると何てないことも、少女は思い悩み、そして周りのオトナたちに相談することができなかった。少女の自分に対する狭い許容範囲は自然と人間関係に映し出されていた。学校では友達が少ない方ではなかったが、誰一人として心を許せるオトナはいなかった。それは実の親にさえも。少女には、自分を苦しめているものが他人から見たらつまらないことだと自覚していながら、自分自身を開放することができなかった。

少女は中学時代と高校時代の二度、自殺をした。もちろんのことだが、少女は皆さんと同じように命は一つしかない。少女のなかで、命を絶つ絶たないに関係なく自殺を思い悩むこと=自殺なのだ。言葉の解釈は人それぞれの自由である。他人に押し付けたりしない限り。

少女は息を絶っている間、ずっと夢を見ていた。決して少女は眠っているわけではない。夢は眠っている間にしか見ないというのは単なる人間の思い込みで、もしかすると死んでいる間も見るかもしれない。事実、少女は死んでいたのだ。少女が見たのは深海へ沈んでいく夢だった。初めは抵抗するわけでもなく、ただ海の流れに身を任せて沈んでゆくだけであった。やがて少女は抵抗しはじめる。何度も這い上がろうと試行錯誤するが、その場から動けそうな気配はない。時々大きな流れがやってきて、少女はより深くへ流される。小さな光が差し込んで、少女は夢中でその方へ泳いだ。しかしすぐに深海へ押し戻され、結局は海の気まぐれだと知る。幾度か浮き上がったかのように思える感覚は全て錯覚で、その場しのぎの気休めだということを思い知らされる。それでも少女は一度たりとも抵抗をやめなかった。後からそれが少女の夢を長くしていたことを知った。抵抗をやめていたらどうなっていたか分からない。そのまま二度と息を吹き返すことはなかったかもしれない、はたまた逆に少女が息を吹き返す一番の近道だったかは少女には分からない。

一年ほど前に、三度目の自殺に手を伸ばしかけたが日が経つにつれ自然とその気は失せた。過去の二度もそのように、日が経ち少女は突然蘇った。蘇るには、死んでも死体を焼かなければよいだけの話だ。少女は自殺の動機をはっきりと覚えていたが、それを口外する勇気はなく、それ以前に誰も少女が死んでいたことに気付いていない。少女が自殺したことなど、死体を隠してるのだから誰も分かるはずがない。みなその死体と一緒に生活していたのだが。猫は死ぬ前に姿を暗ますというが、それに近いものなのかもしれない。ただ自分が小さな理由で死んだことを知られるのが恥ずかしいだけだ。自殺の理由を聞いたら理解に苦しむ人がいるかもしれない。それほどにちっぽけなことが少女にまとわりついて、離さなかった。

少女が中学1年生の頃に、初めて自分の命を絶った。自分が初めて死んだ日なので少女は今でもハッキリとその日を覚えている。十一月三日、文化の日。祝日のため学校が休みだった。夜、少女は風呂に入り体の泡を洗い流していた時、股間に薄らと産毛のようなモノが生えていることに気付いた。少女はその瞬間、血の気が引いた。少女は恐る恐るその毛に触れた。それはまだ頼りない細さだったが、引っ張ると頑なに抜けようとしない。これは何かの間違いだと思うのと同時に、見つけなければ良かったと後悔した。陰毛が生えてくるというのはオトナになるうえで誰もが通る道の一つだが、少女にはそれが耐えられなかった。当時の少女は自分のことをまだまだ子どものままだと思っていたいのに、体は着実にオトナへと近づいている。今までのように子どもだからという言い訳が通じなくなる。いつまでも綺麗な体のままでいたい。汚いオトナの体になんてなりたくない。少女は、年をとって今の美貌が崩れていくのを想像しただけで吐き気がした。今までと変わらず接してくるオトナ達に、違和感を覚える。自分はもう汚い体になってしまったのに、この人たちは変わらず自分に対して子どもを相手にするように接してくる。少女は自分の何もかもが許されないような気持ちになり、これからオトナとして生きていくことにひどく落ち込んだ。

高校二年生の初秋。日付までははっきりと覚えていないが、土曜日だったことは覚えている。英語検定を受検するため休日の朝早くに学校へ行く。ただ日頃から部活が忙しく休日はあってないようなものなのでそれほど苦痛でもない。少女は指定された席につくと、左隣には同じクラスの人気者の男子、右隣には学年のなかでも一、二を争う美青年が座っていた。少女は周りに対する劣等感から、周囲から所謂「イケてる」という認識を持たれている同級生には無意識に強い苦手意識を持っていた。まもなく時間になり、テストが始まる。最初は何も考えず、適当に試験の問題を解き進めていた。すると突然、少女は腹痛に襲われた。時間は流れ、少女のお腹から、グゥ、と下品な音が鳴った。少女は一気に頭がパニック状態になった。少女は人に恥ずかしいところを見られるのが苦痛で仕方ない。あまりの恥ずかしさに消えてしまいたいと思った。結局お腹の痛みは治まることなく、そのテストの時間中、少女のお腹が穏やかになることはなかった。試験終了のチャイムが鳴った瞬間、やっと少女は地獄から解放された。だが自分の醜態を長時間において、しかも両隣の苦手な同級生に晒したという事実からくる羞恥心は、少女の少女自身に対する狭い許容範囲ではとてもじゃないが収まりきらなかった。あとで前の席にいた顔見知り程度の仲の女が、「すごい腹鳴ってたな」と声をかけてきたのがダメ押しだった。こんなにも醜い自分はこの世にいてはいけない存在なのではないかとさえ考えた。午後からの部活にも身が入らず、月曜日から始まるテストのことを考えただけで、「またあの静かで残酷な空間に追いやられる...」と想像して気分が悪くなった。

それから少女はパニック障害になり、「またあの地獄の時間がきたらどうしよう」と考えてはお腹の調子を壊すことを繰り返した。このまま学校にいては自分はダメになってしまうと思い、何度も登校拒否になろうと思った。しかしもしも登校拒否になったとして、学校の顔見知りたちに噂話をされるのが怖くてイヤでたまらなかった。逃げ出したくても逃げたあとの他人の目線が怖くて、我慢して毎日学校に行っては心がボロボロになって帰ってきた。何をしていても、またあの時間がやって来ると考えただけで気分が上がらない。少女はずっと誰かに完全に息の根を止めてもらうことを願っていた。この先何度も来るであろう静かで冷たい空間(他人から見れば全くもって少女の被害妄想である)に、少女は生きる希望を感じることができずにいた。

高校を卒業するまでの一年半もの間、少女は苦しめられ続けた。少女が大学へと進学し、「別にお腹が鳴ってもいいや」とそれまで何度も考えようとしてきたことが、スッと自分の中に染み込み、最後はあっけなく治った。少女は、今までで最も辛く長く感じた経験がキッカケで自分自身を深く知ろうとしはじめた。

少女は人間のことが何より好きで、何より嫌いだ。少女は一人でいるのは楽で最も好きだが決して独りは好きではない。しかし気が付けば少女はいつも独りになっている。人の視線が怖い、陰口を叩かれているのではないか?口に出さずともそう思われているのではないか?あらぬ心配は常に少女の中にあり、自分を全く表に出せない。出したこともないから本当の自分を少女自身も分からないし、分かることを恐れている。

行動力に欠け、考えるより先に動くことが大切だと頭では分かっているが、それでも行動に移せない面倒臭がり。そのくせ直前ギリギリになって焦るからタチが悪い(間に合わなくて諦めるのが大抵)。マイナス思考で自信がなく、何事もやってみる前から失敗を恐れアレコレと思い悩み(すべて起こりもしない事態を心配している)、そんな姿勢で良い結果が生まれるはずもない。他人と比べる必要などないのに常に他人を意識して自分より下のものを探す悲しい生き物だ。成るようにしか成らないと分かっているのに人様に怒られるのを恐れて出来るように見せようとし、結局あとで失望される。そんなクズのくせにというか、そんなクズだからなのかおしゃべりは大好きで自分のことは棚に上げて平気で人を悪く言う。自分が言われるとすぐに悲劇の王様気取りのくせに他人には上から目線で人の気持ちも考えないで喋りまくる。言っている当の本人は情けないほどに不器用でとてもじゃないが人に口出しできるような人間ではなく、ただ自分の評判を落としているだけである。言っていることも常に客観性のカケラもないから浅い浅い。悪いクセで物事の表面だけしか読み取らず、知らないのに知ったかぶる。自分の尊敬する人が反対の意見を言うとそれがそのまんま自分の意見にすり替わってしまうから個性なんてあったもんじゃない。普段から何も考えないでぼーっとしている証拠である。

少女は少女自身が、自分の最も嫌いな人種に近い自覚がある。だが当たり前のように治す努力はせず、ただいつまでも赤ん坊のように我儘な自分に対する自尊心だけはとても高い。時間の経過であったり環境の変化でこんな自分も変われるはずだとどこかで期待していたが、自分から変わろうと行動しなかった結果、面白いほどに小さかったころの少女のままなのである(そもそも自分から変わろうとして変われるとは限らないが)。

少女は、今までの経験から気付いた考えであったり、受け売りのくせにそれをさも自分の意見のように話していた付け焼刃の考え方は、ただの知識にすぎないと気付いた。少女の根っこにある本質は全く変わっておらず、そしてこのまま変わりたくても変われないと知っている。もしも再び少女を海底へ引きずり下ろすことがあっても、知恵が少女の本質に溶け込まない限り、少女はまた同じ出口のない迷路をさまようのだろう。

今、少女は二十歳になった。表舞台で輝く人たちの姿を見て無い物強請りをするが、相変わらず行動する勇気を持てない毎日が続いていた。ただどこかでまだ変われるのではないかと限りなく願望に近い期待を今も持っている。

少女は考えることだけは相当好きになった。しかし始めの一歩さえ踏み出してしまえば、考えるよりも動いた方が早いことを後になって感じる。見つけてしまえば、限られた人生の時間のなかでそれに触れられる時間が長い方がずっといい。あとは止まらなくていい。一度立ち止まってしまうとクセができてまた動き出すのが難しい。そうして少女は何よりも時間が大切なことを知り、今こうして物語の主役になった。

少しでも気を許せば持前のネガティブ・シンキングで激しい追い風に曝される。少女はまだ何がしたいかよく見えない。だから自分の頭に素直に動きはじめた。どうやったって成るようにしか成らない。でもどうせなら一度きりの人生、この可愛くて仕方のない自分を幸せにしてやりたい。いまだに人を妬んでいる、それでもいい。少女はまだ若い。周りの人なんて誰も認められなくてもいい時期だ。年をとれば変わる?それはその時だろう。少女は人に嫌われるのが怖いために、自分が我慢すればいいのだと今までずっと自分を抑えてきた。周りの笑顔が重たくて、少女はずっと顔を埋めていた。ずっとそれが嫌でたまらなかった。周りに嫌われるのが怖いことは自然だ。でも自分に嫌われる方がもっと嫌なのだ。自分とは一生付き合っていくのだから自分のことを好きなほうが得に決まっている。今の自分にとっても、未来の自分にとっても、納得できる自分でいたい。我慢ばかりの人生なんて、何のために生まれてきたのか分からない。お金はなくても取り戻せる。時間は取り戻せない。自分の好きなことで悩んだ間は、少女はちっとも無駄だと思わない。

人生は、大半はうまくいかないことの連続である。しかしその沈んでいる時間を楽しめなかった場合、人生を振り返ったときに辛かったことしか残らない。少女は怯えてる。仕方がない、変われなかったのだから。これではトントン拍子でうまく成功したとしても苦痛が一生、少女について回るのが目に見えている。しかし逃げ続けて傷一つないままで生きていくことのほうが少女にとっては苦痛なのだ。常に思い通りの景色を見続けられたら楽だろう、少女は傷つくことへの恐れから人が作り出したルートを歩こうとした。その作られたルートは果たして正解なのだろうか。自身の手で先の見えない道を作って、たくさんの回り道をすることの方が大切だったりしないだろうか。険しい道を渡れば、そこには本当に不幸しかないのか。そんなものこそオトナたちが作り出したくだらない”常識”ではないか。道行く人による捉え方次第で、お金持ちでも不幸な人はいるし、貧乏人でも幸せな人はたくさんいる。お金はあくまでも幸せになるための一つの手段にすぎない。それに、何をやってもうまくことを運べるような人生に、少女は少しも魅力を感じない。

周りを見渡せば何でもあるような便利な時代に生まれて、少女は少し悲観的になった。そして未来はおそらくもっと悲観的な想像ができる。しかしそう言う人はどの時代に生まれても不平不満タラタラに決まっている。そのくせに年をとるにつれ「昔は良かった」なんて言うのだ。反吐が出る。しかし少女は常に今が一番いいと心の底から思いたい。こうも周りに何でも揃っているとなかなか新しいものも出来にくい。ほとんどのオトナたちはせっかくの若い頭脳を使う機会を与えられない。流れてくるものに対して何でも食いついて安心してる人だったり、流行モノというだけで完全に無視する人たちがいるがそれはやってることは正反対のようで同じだ。それを見極めることが大切だということを少女はやっと理解した。自分にとっての正しいことを仕分けるフィルターに自分自身が存在しないことは悲しいことである。

洗脳されている人は自覚がないものだ。オトナたちはたくさんの形のない宗教に囲まれ、無意識に自分の世界を縮めてる。よく考えてみてほしい。彼らの言っていることは本当に正しいのか。そもそも人の作り出したものに正解も不正解もあるのか。本当かどうかも分からない安い情報に操作されて自分を安売りしていることにいつ気付くのか。そんなオトナたちに何を言われようが少女は本当の自分を安く見積もったりはしない。少女はお金より自分の価値を大切にしている。

だがどうにもならないことは考えたところで仕方のないことなので、考えるだけ無駄である。何も考えずに勇気だけを持って一歩を踏み出したとき、少女はやっと少しだけ自分自身のことが好きになれる気がして、嬉しくなった。

Fin.

神隠し

神隠し

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-01-28

Copyrighted
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