毒の薫り

カ・イ・ラ・イ・・・


 うず高く盛られたあの砂は白くさらさらと風に流れ、青空に光った。空に光と輝きを与えた。
 白い太陽はまるで色味だけで今は温度を感じはしない。
 ルチャロは足元を見下ろした。裸足に透明な水が流れて眩しい水の陰を白い肌に光らせている。生成りの衣服が風に吹かれて顔を上げた。
 遠くでは砂を盛る男達が「時間」という名の山をいくつも高く作っている。
 ここは「時間と間隔の狭間」であって、彼らはその従者だった。誰もが縦縞の生成り色の長衣の腰元に金色の懐中時計を下げている。それらは尺で砂を盛るごとに体が揺れて鎖も揺れた。誰もがそれぞれ違う進み方をした時計。それらは彼らが行うべき事柄の数であり、それが果たされたとき小山の白砂が男の上に降りかかり、この次元からぢつらかの世界へ旅立つのだった。
 ルチャロもその「自らの時間を狭間で成し遂げる男達」の一人。
 彼は柄の長い尺を置き、自らが盛り上げている山を見上げる。最終目的の高さは同じだが、彼には下に水が流れるのでさらさらと積み上げていく砂は浚われていきそれが時間が個人で違う過程のひとつだった。そして風、それもだ。
 額の汗をぬぐい、座るための小さなじゅうたんに腰を下ろした。金の時計を見ると、黒い影が出来て汗が雫となって少し遠くへ落ち風が浚うと焦げ茶色の視線を上げる。
 まだおろされないあの夜の帳は今はあがったままだった。その時をいつでも待ちわびた。少しでも今はあの声を聴き、そしてあの薫りを森で感じたい……恋してしまったあのジプシーの乙女。彼らロマから離れて彼女は森へ住処をうつし一人夜な夜なランタンを置き木の横で歌う。魂の優しげな唄を……。
 ルチャロは今日の勤めを全うするべく、柄に体重をかけ立ち上がった。
 「時間の砂」を見上げる。この場所でとどまっていたいから行き足が遅いのかもしれない。

 夜の幕は静かに訪れる。
 白い世界に淡藤色の空が上品に染め上げていき、プラチナに光る一番星がひとつ、光るのだ。
 誰もが作業の手を止め、ふと夕方の突風が吹かないかを懸念してあたりを腰を低くしてさっと見回す。
「………」
 どうやら、この山を気まぐれに崩していこうとする風は今日は吹く気はないらしい。
 誰もが背を伸ばし、尺を持って遥か向こうに棚引く濃い緑の森へと歩いていく。
 すでに聴こえ始めている。疲れた心を癒し体さえもすっと軽くするあの声と旋律。愛を歌う女の声が。
 森を歩いていき、彼らの影はまるで囚人が列を成して無言で夢を歩いていくようで、誰もが安堵したがっていた。

 訪れ
 路 風の通る
 情熱のふたりを取り巻いて
 さらわれたのは あの記憶のとき
 微笑をやさしくたたえた 瞳
 
 傀儡の君らよ
 情熱を帯びて思い出せよ
 あの記憶を呼び覚ませよ

 流離い
 花 薫るそれは
 彼らには毒……

 自然に彼らは膝を抱え彼女を囲い聴いていた。彼らにはここへ来る前の記憶などは無い。なぜ、自分達は小山を積み上げているのかだけは知っている。どちらかの世界へ行くためだ。それだけは知っていた。
 そして、彼女がどこから何故ここへ来たのかを知らない。ジプシーキャラバンは当の昔に去っていき、どこへ去っていったのかも、すでに車輪の跡は風に吹かれてしまった。

 情熱の振り
 絡まった指と砂と髪の間に潜む
 ああ 夜は宵を通り越し更ける前に

 時に、ふと音も無く男がランタンの影揺れる先で闇にさらさら消えていくこともあった。過去を思い出しでもするのか、彼女を見つめながらも火影に揺れて、こげ茶の目を光らせたままに消えていくのだ。それはすでに彼らには不思議なことでもなく、風景にも化したことだった。
 ルチャロはまた夜も唄と薫りにいざなわれ、眠りへ入っていく……。
 夢では思い出す。この場所へ来る前の記憶……傀儡になる前は、男は何だったのかを。
 ただ、愛を囀ったことの無いことだけは確かであり。 


 朝は薄薔薇色の夜明けであり、金の星がひとつ上品にあがっている。
 傀儡の彼らは目を覚まし起き出し、半数は消えていて少しばかりは新しい顔が目覚めたばかりの顔をしていた。すでに記憶も無く、腰にはあの金の懐中時計をつけ、見回している。そして尺を見ればそれを手に取り、誰もが歩いていく。
 夢で見た記憶を覚えていたものは、同じく消えていったらしい。どこへかなど、分からなかった。
 彼女はすでに朝にはいない。ランタンさえも、足跡さえも。どこへ去っていくものかも、分からない。
 
 「花の薫りは君らにとっては毒……」

 無我夢中に尺で砂を積み上げる。
 ふと、甘い薫りが強くなる時がある。森を振り返っても彼女はいない。
 何の薫りだろうか。それは、どこにも毒気など感じはしない薫り。
 ルチャロはただ佇み、風に吹かれていた。
「………」
 遥か遠くに陽炎が揺れる。
「………」
 それは、花を抱えた人間だった。ルチャロは風に吹かれ砂も崩され始めながら、陽に白く光る瞳を細めていた。
 花を抱えた人間は、笑顔だった。
 さらさらと、流れて行く。涙が。思い出……。
 甘く薫る。

 ……傀儡の君らよ……

 さらさらと、崩れていく。彼も、ルチャロも、思い出した毒の薫りに。
 ルチャロは金の時計に目を落とした。無表情に涙を流しながら。
 時計がさかのぼっていく。顔を上げると、そこには懐かしい情景が開いていた。白い花が舞い、そこから毒を浚っていく。
 愛など無い間に終わりを告げた、あの瞬間。笑顔を壊すそのために。
「………」
 時間を呼び覚ます罪を償えないままに、ルチャロは目を閉ざしていく……頬から、さらさらと崩れていく。

 ……情熱の振り……

 白い花びらが舞う。砂に変わり、白い世界で。甘く舞い、彼だけに見える花びらの嵐が彼とともにこの場所を去っていく……。



 -end-

毒の薫り

毒の薫り

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-01-27

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