確信の理由

事故で入院した三人の友人。見舞いに訪れた戸田は、彼らのカノジョに出会ってショックを受ける。

「おっと……」無遠慮にカーテンを潜った戸田が仰け反ったのは、そこに人がいたからだった。
 世話をしていた母親は一度郷里に戻ったと聞いていたので、誰もいないと決め付けたのは間違いで、目の前には大きな瞳を見開いた、びっくり眼の女性が一人、ブランドもののバックを小脇に抱えて立っていた。
「まさか有賀のカノジョ……とか?」左下に当人の寝顔が見えたので、戸田は声を絞って囁いた。
 彼女は二十代半ばくらい。長い髪がよく似合う、落ち着いた感じのなかなかの美人顔。
 有賀に女の兄弟はいないはずだし、仮に親戚だとしても若い彼女一人というのも不自然だから、これはもしやと思ったわけだ。
「えっと、あなたは?」バッグを胸に抱き直し、彼女も自己紹介を促した。
 考えてみれば、挨拶もせず、いきなり素性を問い質す自分は、実に失礼極まりない。互いに初対面なんだから、相手も不審に思って当然だった。
「驚かせてしまってすいません。僕はこいつの友人で戸田っていいます」
「あなたが戸田さん……。私は岩下といいます。彼とは少し前からお付き合いしてるんです」と、”彼”の方に視線を向けた。
「ホントに? ……なんて言ったら失礼か。でも正直びっくりです。こいつ、カノジョがいるなんてひと言も話してなかったから」
「それよりお見舞いにいらして下さったんですよね?」
「まぁ、半分冷やかしですけどね」肩を竦めておどけると、彼女はようやく笑顔を見せた。
「さっき検査から戻って来たんですけど、疲れたからひと眠りするって言って。せっかく来て頂いたのに本当、タイミングが悪いですよね。何なら叩き起こしましょうか?」
「そこまでしなくていいですよ。実は他にも見舞う奴がいるんです。そっちで時間を潰したあとで、もう一度寄りますから」
「渡辺さんと根岸さんのことですよね?」
「そうそう。僕は行けなかったんだけど、いつものメンバーでドライブに出掛けて事故ったんで、皆仲良く入院してるってわけです。その様子だと事情は知ってるみたいですね?」
「まあ、一応……」と頷きながら、彼女は腕時計をチラ見した。
「もしかして帰るところだったんですか?」
「ちょっと用事があるんです。申し訳ないですけど、今日はこれで失礼しますね」
 小さく頭を下げ合ってから、戸田は背中を向けた彼女の姿を見送った。
 なんだよ、クソ。カノジョが欲しい欲しいって騒いでた癖に、ちゃんと相手がいるんじゃないか。
 ぐっすり眠る有賀のだらしない寝顔をひと睨みしてから、戸田は次の見舞先である、五つ隣の病室へ足を向けた。

 ***

「いててて。もっと優しくやってくれよ」
「こんなに元気なのに、なんで入院してるのよ?」とはひどい言われようだが、それにもめげず、渡辺はヒヒヒと下品な笑いを返して寄越す。
「ここは怪我してないからさ」
 カーテンからワゴンの角がはみ出しているところを見ると、どうやら看護師さんの処置中らしいが、いつの間に仲良くなったのか、どうにもやりとりが”親密”だ。
 いずれにしてもじきに終わるだろうと考えて、邪魔をしないよう抜き足差し足、戸田は向かいのベッドへ移動した。
 しかし訪ねてみればベッドはカラッポ。当然そこに寝ているはずの根岸の姿は見当たらず、戸田は渋い顔になる。
 まったく、突然来ても空振りばかりだな。
 ひとつ溜息。戸田はベッドの脇にある折り畳み式の椅子に尻を乗せ、カーテンを少し開いて光を入れた。
 ここは四人部屋だが、一昨日は埋まっていた窓側二つは住人不在。退院したのか、移動したのかは知らないが、仕切り用のカーテンは解放されて、荷物も片付けられている。
 これなら気兼ねなく話しも出来る。どうせなら有賀も同室にしてくれりゃいいのにな、などと都合のいいことを考えつつ、戸田はポツリと残された”忘れ物”に目を向けた。
 真正面にある移動式のテーブルには、陶器製の口広花瓶に活けられた白く可憐な花弁が五つ、渡辺のベッドの方を向いて咲いている。
 しかしいくら綺麗な贈り物でも、タブーを冒せば意味がない。戸田はそこに悪意を感じて、少しイヤな気分になった。
「待って! ちょっとタイム!」
 何やってんだか……。やたらと騒がしい渡辺のベッドの方をちらりと見やり、戸田は大きな欠伸に加えて伸びをする。 
 携帯を取り出して時計を確認、それからさらに手持ち無沙汰の時間を過ごすこと十五分。ようやくガタガタと片付けるような音がしたかと思うと、白い衣服に身を包む一人の女性と目が合った。
 しかし彼女の方は素知らぬ顔で、すぐに視界から消えてしまうと、もう一度渡辺と別れの挨拶。「バイバイ」などとやっている。
 まるでモデルのように左右に腰を振りながら、部屋を立ち去る後ろ姿を見送ったのは、細く開いたカーテンの隙間から。
 戸田はひとつ間を置き、ニヤつきながら立ち上がる。
 一見、看護師に見えた彼女だが、はやりそうではないらしい。なぜなら廊下を通り掛かった”本物”の制服と比べてみると、似ているだけの別物で、ワゴンも回収されていなかった。
「よう、元気か?」
「あのな、その挨拶はやめろって。元気じゃないからここにいるんだよ」戸田を迎えた渡辺は、右手を上げて応えつつ、前回と同じく苦笑した。
「それにしちゃ、やたらとイチャイチャしてたじゃないか?」
「……もしかして、お前、見てたの?」渡辺は大きく動揺し、そわそわと落ち着きを失った。
 お互い長い付き合いだから、興味津々のキラキラ眼に見詰められれば、口を開くまで解放されないと分かっているはず。
 案の定、嘘をつき通すのは無理だと踏んで、渡辺はオチた被疑者のように語り始めた。
「実はさ、あれはカノジョじゃないんだよ」
「じゃあ、親戚か? 結構かわいい娘だったじゃないか」渡辺は一人っ子で、やはり兄弟はいなかった。
「お前って、ああいう派手気味なのが好きだっけ? 何なら紹介してやろうか?」
「遠慮しとくよ。お前と親戚になんかになりたくないし……」と反論した傍から、ひょいと名刺が渡される。
 しかし淡いピンクの紙切れを見て、戸田は口を閉じるのも忘れてしまう。
「デリバリー……ヘルスゥ?」こんな怪し気な人間が自由に出入り出来るもんなのか?
 頭の後ろで腕を組んだ渡辺は、冷たい視線を遮るように黒い後頭部をこちらに向けた。
「お前はアホか! バレたら百パー追い出されるぞ」
「いいじゃねぇか。誰にも迷惑掛かってないし……」
「まったく、とんでもない奴だな」呆れ果てた戸田の右手はすぐに名刺を投げ返す。「それにしても、どうやって彼女を呼んだんだ?」
 後ろ姿の渡辺がそのままの姿勢で指差したのは、空きベッド。例の花瓶がある場所だ。「そこの人が教えくれたんだ。退院するからどうぞ、ってさ」
 確かに病院内は小さな社会。患者同士は同じ病を背負った連帯感も手伝って、妙に仲よくなるもんだ。
 もちろんよくなれば退院するんだから、常に人は入れ替わる。それでも隠れて喫煙出来る場所だとか、ちょっと抜け出して買い物を頼まれてくれる人だとか、便利でグレーな情報は引き継ぎ、交換されていく。
 それでも、こんなバカげたサービスが御法度なのは間違いない。大方訪ねて来る女の方も相当慣れているんだろう。
 戸田はカラのベッドに目を向けた。そこにいたのは、頭の薄いおじさんだったような気がするが、顔は全く記憶に残ってない。
 しかしなるほど、ならばテーブルにユリが活けてあるのも頷ける。きっと事情を察した家族の誰かが、嫌味のつもりで持ち込んだんだ。
「ところで根岸の姿が見当たらないぞ。どっか悪いとこでも見付かったんじゃないだろうな?」
「そんなんじゃないさ」早くも禊が済んだと勘違いしたのか、渡辺がごろりとこちらを向いた。「あいつは左手の骨折だけで他に異常はなかったから、じきに退院するだろうさ」
「それじゃ、売店にでも行ってんのか」
「違う違う。仕事に勤しんでるところ」
「仕事?」
「あいつは製薬会社の営業だろ? だから売り込みに行ってるんだ。
 せっかく病院にいるんだから、アタックしてみるって意気込んでたぞ。こんな大きな所で採用されれば、評価アップは間違いないとか言ってたな」
「熱心なこった。どっかの誰かさんとは大違いだ」チクリと毒を吐いたところで、腕を吊った当人が背後からのそりと現れた。
「やっぱり戸田の声か、いつ来たんだよ?」と声を掛けつつ、鼻をひくひくさせている。
「お前こそ、勝手にうろうろしてていいのかよ?」ひとつ親身になって忠告すると、「医者に会ってるんだから問題ないよ」と気に留める様子もない。
「それより聞いてくれよ。取り敢えず一度試してもらえることになったんだ。これは大金星なんだぜ」
「何も休んだ分をここで取り返さなくてもいいじゃない」
「妬くな、妬くな。これで管理職になれたら一杯奢ってやるからさ」
 そんなに簡単に出世するかよと思いつつ、妙に大人しい渡辺を見やると、なぜか盛んに咳払い。どうやら会話に入ってこないのは、戸田が余計なことを口走らないか、気が気じゃないからだと気が付いた。
 まったく、しょうもない。武士の情けだ。根岸には黙っててやる。……という意味合いで、戸田は右の掌をひらひらさせた。
 次の話題には加わってもらわないと、盛り上がりに欠けてしまう。
「そんなことより知ってたか? 有賀に正真正銘、本物のカノジョがいたんだぜ」
「いないよ」ようやく安堵したらしい渡辺は即否定。「同じく」と根岸も頷いた。
「だって、さっき病室で会ったんだ。彼女の方が付き合ってるって断言したし、お前らの名前も知ってたぞ」
「ないない、絶対ないよ。そりゃ担がれたんだよ」
「担がれたって、彼女にか?」
「そうそう」
「なんの為に?」
「そんなことは知らねぇけどさ。あいつにカノジョがいるなんてあり得ないだろう?」
 思わず戸田は天を仰いで、有賀を思う。
 理由もクソもありゃしない。要するにモテない男の四人組。抜け駆け出来るような大物は、ここにはいないと言たいだけだ。
 あいつもいい友達を持ったもんだ。戸田はちょっとだけ、有賀のことが気の毒になった。

 ***

「安田さん、安田さん。至急、C4病棟三階へお願いします」天井のスピーカーから流れたアナウンスは少し切羽詰まった感じがした。
「知ってる? これ、病院内の隠語なんだぜ」と根岸が指差す先はその天井。二つの顔はすぐに続きを促した。「”安田さん”ていうのは”安全関係”、つまり警備員のことなんだよね」
「へぇ、さすがは病院通」
「きっと何かあったんだ」
「何かって、何?」と戸田が訊き返した時、急に廊下の方が騒がしくなった。
 考えてみれば、C4病棟三階はこの真上。
 右足を吊って身動きが取れない渡辺を一人残して、戸田と根岸が廊下を覗くと、あちらこちらから顔を出した患者の瞳に晒されながら、女性が二人、小走りでこちらに近付いて来る。
「ああっ! あの人だよ。あれが有賀の彼女だよ!」戸田が右側の女性を指差すと、目の前を通過するタイミングを見計らい、根岸がひょいと足を出す。
 するとまず有賀の彼女が引っ掛かり、巻き込まれたもう一人もつんのめり、宙を舞った二人の背中を、根岸の無事な右手がひと払い。
 訳も分からず、根岸の顔を見詰めていると、まるで彼女らの後を追うように三人の警備員が現れて、慌てて立ち上がろうとする二人の周囲をぐるりと取り囲む。
「何なの、これ?」戸田が根岸に囁くと、「病院泥棒さ」という返事。「患者が部屋を離れた隙を突いて、財布なんかを盗むんだ。戸田だってどこでも自由に出入り出来ただろう?」
 そう言えば、廊下の掲示板にも注意を促すポスターが貼ってあったっけ。
 立ち上がるよう促された二人は、その場で身体検査を受けている。それは新たに加わった女性警備員が行った。
 しかし上から下まで終えたところで、証拠は何も出てこない。
「持ってないみたいだね」戸田が再び囁くと、根岸は肩を竦めて背中を向けた。
「そこまでは責任取れないよ」
 二度の検査で誤認が明らかになると、二人のしおらしい態度は一変し、烈火のごとく怒り狂った。もちろん矛先は困惑を隠せない警備員たちに向けられる。
「どうしてくれんのよ? いい恥晒しじゃない!」何か怪しい素振りを見咎められたにせよ、こうなっては怒りが収まらなくて当然だ。
 いたたまれなくなったのか、耳を塞ぐようにベッドへ戻ろうとした根岸はしかし、例の花瓶へと歩み寄る。
「なぁ、この花って、お前が持ってきたの?」根岸は野次馬を続ける戸田の腕を引っ張った。
「まさか……。前からあったんじゃないのか?」
「いや」ひとつ首を捻った根岸は、「僕のいない間に誰が来てた?」と続けた。”が”の部分に力を込めて。
「さあ、俺は知らないけどね」まだ、”武士の情け”は生きている。
「そう……」明らかに信じていない様子の根岸は、片手で花瓶の縁を掴んで何度か振ると、中の花束を抜き取った。
 戸田が不思議に思って眺めていると、そのまま中を覗き込み、次いで右手を突っ込んでいる。
「これって僕の!」自分の財布を手にした根岸は、器用に花瓶をひっくり返す。
 出てきたのは、財布が五つとブローチが一つ。そこには有賀と、さらに渡辺のものと思しき二つの財布も含まれていた。
「触らない方がいいよ。きっと警察が指紋を取るだろうからね」戸田の手首は寸でのところで止められた。
「それより警備の人を呼んできてくれないかな? 多分これで逆転出来るだろう」

 ***

 病室に花を飾る人がどれくらいいるものなのかは知らないが、特にものが食べられない人には、目の保養という意味で贈る人もいるだろう。
 多分、共有の洗面所で手入れをする見舞客を演じながら、彼女たちはあちらこちらと病室を巡って、犯行に及んでいたに違いない。
 つまり花瓶は目眩まし兼収穫物の仮置き場として、重宝していたんだろう。
 では、それがなんでこの部屋にあったのか?
 理由はおバカさんの行動にある。
 渡辺が”おねえちゃん”を呼び込んだのは、当然、根岸が不在の間。病室を占有出来る時間を見計らったはず。
 そこに目を着け、活動拠点としていた彼女たちが花瓶を持ち帰れなくなったのは、アクシデンントがあったから。つまり根岸のベッドから”お邪魔虫”が覗いていたからだ。
 もちろんあとで取りに戻るつもりだっただろうが、その前に二人はミスを犯して、追われる立場になってしまう。または中身を回収して、撤収する途中だったのかもしれない。
 いずれにしても彼女たちには、誰かに持ち去られない自信があった。
 なぜなら”有賀の彼女”の相棒は、渡辺のお相手、あのおねえちゃんだった。
 髪型とメイクを変えていたので、戸田は同一人物と気付けなかったが、根岸に依れば、香りが部屋に残されたものと同じだったという。
 花瓶は”相棒”がしっかり見張っていた。そして本当は、渡辺へのサービスを終えた時、一緒に持ち出すつもりだったに違いない。
 戸田とのバッティングも難なくやり過ごせるだけの情報を頭に入れていた彼女たち。
 多分、四人の関係は渡辺から聞き出したんだろう。後ろめたい人間は周囲に余計なことをしゃべらないから都合がいい。
 もちろんそれだけじゃなく、病室やナースステーションでの会話に聞き耳を立て、検査の時間や人間関係も調べてはいただろうが……。

 二人は周到に下調べをして、時々化けて関係者の目を掻い潜りながら、じっくりと獲物を狙う常習犯。戸田の頭にはそんな彼女たちのイメージが浮かび上がっていた。

 ***

 まだ物証になるとは言い切れないが、花瓶を見せられた”有賀の彼女”は明らかにうろたえた。
 さっきの勢いはどこへやら、再び大人しくなった二人の女。
 そんな彼女らが別室に連行されるその様を、多くの瞳が固唾を飲んで見詰めている。
 こんな刺激的な出来事は、ここではなかなか味合えない。明日からしばらくはこの話題で持ちきりだろう。
「根岸はさ、どうして二人が泥棒だって確信したの? そこまで怪しそうな素振りじゃなかったと思うけど?」容疑者の姿が角を曲がって見えなくなると、戸田は気になっていた疑問をぶつけた。
「そりゃ、お前。あんな美人が有賀のカノジョだなんて、絶対あり得ないからさ」
「それだけ? それだけなの?」どうやら続きはないらしい。
 そんな詰まらない理由で犯人と決め付けられた彼女たちは、実に運が悪かった。
 そしてここにも運の悪い男が一人。戸田は背中を振り返る。
 お手柄と違反行為。秤はどちらに傾くだろう? 調べが進めば、全貌が明らかになるのは避けられない。

 果たして、最初に”退院”するのは誰なのか?
 四人の”事件”もまた、終わりを告げてはいなかった。

確信の理由

確信の理由

事故で入院した三人の友人。見舞いに訪れた戸田は、彼らのカノジョに出会ってショックを受ける。

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-01-22

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