繰り返されるチェス
「勝負はまたチェスでいいのね?」
夕暮れの部室。チェス部の部長である空野亜希(そらのあき)先輩がチェスの駒を並べ終えるとそう尋ねた。
「ポーカーで勝っても意味がありませんから」
「負けず嫌いね。で、あなたが勝ったときの条件は?」
「同じですよ。来週の買い物に付き合ってもらいます」
「懲りないわね」
空野先輩は柔らかい笑みを浮かべた。もう何戦したかわからないのに、嫌そうな素振りをちっとも見せない。
「ちなみに先輩が勝ったら」
「缶ジュースを奢ってもらうわ」
「またですか……」
俺はチェス盤の隣で山となっている缶を眺めた。先輩の連戦連勝の証はすでにピラミッドのようになっている。
財布のためにも、そろそろ勝たなくてはいけない。
「では、お願いします」
俺は黒のポーンを動かした。
勝負はまたしても一進一退だった。ポーンの数は俺の方が少なく、しかもビショップとナイトを一つずつ失っている。しかし、チェスの駒をそれぞれ点数化した場合、総合点は俺の方がわずかに高い。
戦況は全体的に見れば有利であるが、これは今までの対局とほぼ同じ状況だった。まるで先輩の手のひらで踊らされているようである。
だったら。
俺はクイーンを五手後、先輩のナイトに取られてしまう位置へ動かした。
これは前の試合で打った手だった。もしクイーンを失ったとしても、先輩のキングの近くにあるルークとナイトを駆使すれば、どうにかチェックメイトできる算段である。
あまり知的な理由とは言い難いが、前に見せている手である以上、先輩はきっと『違う攻め方をする』と考えるはずなのだ。
俺はその逆を突く。つまり、前回の試合と全く同じ手を使うのである。
「ううん……」
先輩は初めて長考した。次の駒を動かすのに十秒もかけていなかったが、ここに来て俺の考えを探っているようだった。
大丈夫と自分に言い聞かせる。クイーンを目の前に差し出されたら、多少無理をしてでも取りに行くのが普通だ。クイーンはチェスの駒の中でも最強。あるのとないのとでは戦況が段違いになってくる。問題はない。
予想通り、先輩はナイトで取りに行く手を打った。二手、三手、そして四手目も俺が思っていた通りの展開となった。
そして五手目。
「あれ?」
俺は間抜けな声を出した。
先輩はナイトでクイーンと取れるにもかかわらず、いきなりクイーンでルークとナイトの動きを制限しにかかったのである。
ああ、くそっ! これじゃさっきと同じ二の舞じゃないか!
すぐにルークを逃がそうと試みたが、時すでに遅し。あっさりとルークはポーンに取られてしまった。続けてクイーン、そしてビショップも失ってしまい、 俺のキングはとうとうチェックをかけられてしまった。
「さっきの繰り返しになっちゃったわね」
「なっちゃいましたね」
さすが部長である。俺の作戦をまたもや見破ってしまうとは。
「これで私の連勝記録は更新ね」
「わかりませんよ。チェスにはスティールメイト(引き分け)があるんですから」
「絶対にさせない」
そう言うと、先輩はクイーンとルークで挟み込むようにして、俺のキングを追い詰め始めた。引き分けなんてさせてもらえるはずもない。
そして。
「チェックメイト」
先輩はクイーンを動かして、俺のキングを逃げられないようにした。
「ゲーム終了ですね」
俺は盤上を眺めながら溜息をついた。
「落ち込まないでよ。あなたの捻くれた作戦は、まあ、面白いと思うわ」
「うへぇ、その台詞もう聞き飽きましたよ」
「これでも褒めてるんだから嫌そうにしないの」先輩は微笑を浮かべながら俺の額を押した。「で、どうする? もう一戦する?」
「してくれるんですか!?」
ちょっと俺は驚いた。
「何度言わせるのよ。日が沈むまで手合わせしてあげるわ」
先輩の頬がわずかに赤い。たぶん夕日のせいではないだろう。
「はい、よろしくお願いします!」
次こそは勝つ。
何度目になるかわからない決意であったが、勝負を投げるつもりはさらさらない。
俺はチェスの駒を並べ始めた。
それが終わる頃を見計らって、先輩は口を開いた。
繰り返されるチェス
思いつきで書いてみました。
オチといたしましては、本文の最後から最初へ繋げることができるというものです。