顔 (下巻)
東宝特撮映画といえば「ゴジラ」「モスラ」等の怪獣映画を
思い起こすだろう。物好きは8.15シリーズといわれる戦記映画を
思い起こすかもしれない。しかしそれだけではなく異常犯罪モノ
といわれるシリーズがあってだ。その中の一遍がこの「美女と液体人間」。
海外公開もされていてそのタイトルは「THE H-MAN」w
てなことで2009年の秋に書いた代物。
実際の事件にヒントを得て書いた・・当然ながらフィクション。
余りに有名な事件でもあったので、すぐお分かりになるか、と。
「顔のない」逃亡者ってあたりに惹かれたんですなぁ~。
平岩的には初めての三人称で書いた書き物で。
主な舞台を「取調室」の中だけで設定した、密室感の高いストーリー。
映画的な手法としては、フラッシュバックみたいな編集をかけたような
過去と「取調室」の移動を絡ませながらも、へんなカメラの動きを一切認めない
「長回し」風な、書き方を心掛けたつもりなんですがw
14 三日目 #1
その日は、朝から一之瀬は拘束衣を着用させられていた。
後ろ手に拘束された上、上腕部もベルトで拘束されていた。
逃走の危険性はないものの、両足首、両膝もベルトでしっかりと
拘束されていた。
「昨日の小山への暴行と、その後の独房での自傷行為に対応した。」
と大川と小山は説明された。
昨夜半、一之瀬は、全身を腕といわず脚といわず掻き毟り
血塗れになっていたのを当直の警官に発見された、というのだ。
一之瀬は、小山を見ると「おはよう」と挨拶をし、嘲った笑いを浮かべた。
小山は、激怒し、平手を加えた。
「なめんじゃねえぞ、この変態野郎!」
大川が小山を宥めると、一之瀬は卑猥に舌を震わせて見せた。
また、あんたたちに会えて、うれしいよ。
昨日までだったんだろ、あんたら。
あんたたちじゃなければ、オレ、オレもさ。
また喋る気もなかったんだ。
大川は、やる気の無い笑いを浮かべて見せた。
「あぁ、そういわれると、嬉しいよ。」
大川は、一之瀬の前に座ると、マジックミラーの方を眺めると。
「どうして、俺たちが相手だと話す気になった?」
大川は笑顔を浮かべて見せた。
一之瀬は、不思議な顔をした。
声を出さずに“エッ?”と顔をかしげるように傾けた。
そりゃぁ、誤解だな。
別にあんたたちだから・・喋る気になったわけじゃないさ。
さっきのは・・リップ・サービスさ。
ただ・・。
「ただ・・なんだ?」
一之瀬は、大川の顔に視線を向けて
珍しくなにか寂しそうな表情を浮かべたが
何も喋らなかった。
大川は、極めて事務的に神戸の二之宮の事件と
あいりん地区での一連の殺人遺体損壊事件について
説明した。
なんだよ、ソレ、オレ、オレがさ。全部やったってぇの?
勘弁してくれよ。
だいたい、そもそもさ。何故オレ、オレがさ。
取り調べられるのさ?
小山がボールペンを一之瀬の額に投げつけた。
「逆上せあがんじゃねぇぞ。」
午前中はそれが最後だった。
一之瀬は独房で、大川は食堂で昼飯を食べたが
小山は、駅前のマクドナルドで食事を取った。
大川は屋上で、冬の陽に当たっていた。
影を避け陽に当たれば、暖を取ることが出来た。
しかし冬の影は、すぐに長くなった。
午後には木枯らしが吹くとの天気予報は・・当たっていたようだ。
すぐに寒くなった。
気乗りのしない、延長戦・・しかも終わりがまったく見えない。
打たれても撃たれても、リリーフは望めない。
勝ち投手なんて雲の上。
敗戦処理投手として。
そういやぁ、ベイスターズ、今年もダメだったなぁ。
15 三日目 #2
小綺麗に直してあっても、ここは取調室だ。
無味乾燥な、コンクリートの壁に囲われた、取調室だ。
それは・・哀しい哉、私の職場、だ。
大川は、なんともやるせない気分になった。
そして、また。一之瀬が目の前に座らされた。
「ところでさ。ここのメシ・・美味いか?」
大川は雑談から入った。
一之瀬は、何も語らず、顔を揺すって一笑にふした。
「いやぁ、ずぅっとメシ喰ってなかったろ、逮捕されてから・・。」
一之瀬は、顔を下に向け、引きつっていた。
「そんなにここのメシ・・不味そうだったか?」
一之瀬が噴出して笑ったので、大川も笑った。
「オレはここのメシ・・結構、美味いと思ってるんだぜ。
栄養も考えられているしさぁ・・。」
一之瀬は、笑い声をあげて。
正直、ここのところ喰ってはいるが・・あれは酷いよな。
ありゃぁ、メシじゃないぜ・・エサだ。
だが、点滴喰らうよりは・・マシかな。
大川は吊られ笑いをして見せたが、
わざとらしさは隠せなかった。
「点滴が嫌で・・メシ喰ってるのか?」
大川は噴き出した。
ふっと吹き出す一之瀬は笑い声を出すのをやめた。
そうさ。
点滴剤の中に、睡眠誘導剤のようなものが入ってるよな。
あぁぁ、眠くなるんだぁ・・ふぅぅぅぅっとな~。
すると・・奴らが現れる・・。
オレがさ。オレが眠り込むのを待っているんだ、奴ら。
壁の中とかさ、天井とかさ、床・・ベッドの中にも奴らは
入り込んでくるんだ。
大川は以前、こういう輩を見たことがある。
薬物にはまった若い青年だった。
妄想と幻覚、幻聴。
そして自傷行為。
「なぁ、違法な薬物に手を出したことあるかい?」
一之瀬は笑い出した。
ハハハ、そうきたか・・そうだよなぁ~。
なぁ、ここに来た最初の日に身体検査したじゃないか。
尿検査の結果・・出てないのかぃ?
小山は身体検査の結果書類を見直した。
「薬物の反応は・・ありません。
コイツ、変な演技してるだけですよ。」
「演技?」
訝しがった大川が書類を見ながら云った。
この言葉に、一之瀬は、顔を上げた。
演技ねぇ~。
云っただろ、オレはさ。オレは、他人の顔になることが出来る。
そうすると、その人間の演技を・・するわけさ。
なりきれるわけではないが、それっぽい雰囲気を出さなきゃ。
ならないわけさ。
それで、段々と演技の幅を広げていくとさ。
そのうち、いろんなことを考えるようになったんだよな。
どうして、こういう顔になったのか・・ってね。
例えば・・二ノ宮?
アイツはボンボンで、なに不自由なく暮らしてきた。
多くの人間が、今日明日のシノギの為に働いているのとは
違うんだよ、だから、あんな苦労の無いノーッペリした
面構えになるんだろうな・・とか。
喋り方からして関西弁なのに・・上品じゃない関西弁でさ。
悪ぶらないと・・周りにチヤホヤされて馬鹿にされるのを
恐れていたんだろうな。とかね。
オッサン・・あんた・・長いこと警察に勤めてきたんだろな。
さすがに年輪を感じるぜ。いや、ホント。
落ち着き方が、そこのねえちゃんの刑事とは違う・・よね。
こういう人と面と向かう仕事って疲れるよねぇ。
疲れが見えてるよ。だが、・・・事なかれ主義なんだな?
見て見ぬ振りさえ出来る・・ほら、まばたきのタイミングさ。
だからこんな取調べ・・オレには関係ない・・って思ってるだろ?
取調べよりは、舌で虫歯をいじってるだろ。
そっちのほうが気になってる。
左に曲がり始めた唇は、右側の・・下に
虫歯があるね・・しかも長いこと患ってるだろ。
そこを避けて食べてるだろ?え?
あと呼吸の仕方・・あんた、不整脈じゃないか?
イビキがウルサイってカミさん、一緒に寝てくれないだろ?
いや、それすらも無い・・長い間、いい女にあってないな?
独りモンだろ・・オッサン?
「悪かったな。」
大川は、冗談めかして答えたつもりだが
あまりに図星の一之瀬の言葉に、大川の驚きは隠せないでいた。
なんとか、平常心を。
冷静さを失ってはダメだ。
「顔を変えて生きていけるんなら・・
なんで・・捕まったりしたんだ?」
一之瀬は、物憂げな眼を、大川に向けた。
暫く天井を仰ぎ見ながら、いつもながらのにやけ顔を止めた。
一度目を閉じると、溜息をついて、ボソッとつぶやいた。
アイツが来たのさ。
16 三日目 #3
アイツは・・新世界の近くの安ホテルの部屋に、ふらりと現われたんだ。
ノックをしてさ。てっきりルームサービスだとばかり思って軽い気持ちで
ドアを開けたら。力づくで押し入ってきやがったんだ。
そのときアイツは、シルクハットを被り、タキシード姿で。
マントまでつけて、まるで売れない手品師みたいな井手達で、
頬がこけた皺くちゃな顔をした長身の痩せ男だった。
骸骨にでかいギョロ目をつけたような。
オレはさ。とっさに抵抗したんだ。
だが、アイツの妙な力が、オレのさ、体をベッドの上に弾き飛ばしたんだ。
金縛りってヤツ?体が動かないんだ。意識はハッキリしてるのにさ。
全身、冷や汗かいた。
声は出ていないのに、オレはさ。喋っていたんだ。アイツにさ。
「誰だ!」と。
アイツは声にならないオレの声にさ。軽く会釈して微笑みながら答えたんだ。
「名を名乗るようなものじゃない。」
いったいなんなんだ、お前は!
「質問するのはキミじゃない。一之瀬克也クン。」
オレはさ。正直、心臓まで凍りついた。
オレの顔は、そのとき二之宮のブオトコ面だったから。
なんで、オレのさ。名前ぇ、知ってんの?って。
「もっとも、私にしても質問などする気はないんだが。」
アイツはニヤニヤしながら、ヤニ歯を見せて。
「おまえさんの一連の行ないに、非常に迷惑しているものが沢山いてね。」
警察?探偵か何かか?・・・超能力・・・探偵?
「子どものままだな。そんなもの。いるわけないだろ。」
じゃぁ・・・いったい・・おまえは・・幽霊?化け物?
「化け物だと?」
アイツは、一瞬、大きな眼をギョロリと動かして。怒ったようだった。
深いため息をしながら、肩をガックリと落とした。
「なんとこの国の民も、落ちたものよ。
厚顔無恥にも程がある。
かつては世界に冠たる民族として。誇りと英知を併せ持った・・
いや、なんとも哀しい末路よ。」
「その昔、おまえたちの先達たちは我々のことをアヤカシと呼んだ。
どうだ、この畏敬と畏怖に彩られた言葉の響きは。真似すら出来んだろ。」
要するに妖怪?
「なんとも不躾な。」
そんなのいるわけないじゃん。
するとアイツは瞬時に、オレの元の顔に・・目の前で変わった。
オレが二之宮に変わるのに二日を要したというのに。
いとも簡単に。しかも笑ってやがる。
本当にコイツは化け物だ・・。
オレの顔をしたアイツは、ニヤニヤしていた。
「一之瀬克也、おまえはヒトとしての道を大きく外れた行ないをした。」
オレの顔をしたアイツがオレの声で話した。
そして二之宮の顔のオレが・・云った。
ヒトとしての道だと?
倫理の授業は、捕まってから受けるよ。
もっとも、捕まればな。
まして、ヒトでもないおまえに言われる筋合いはない。消えろ。
「倫理だと?笑わせるな。そんなものヒトが作ったものじゃないか。
私が云っているのは、ヒトと我々の境界の話だ。おまえはそれを著しく侵した。
よって、私が派遣された。おまえを我々の領域から追い出すために。」
なんだよ、ヒトが死ぬと、おまえらが出てくるのかよ。
人殺して隠れてるヤツなんか沢山いるぞ!
「馬鹿め。ヒトがヒトを殺そうが、まして何人殺そうが、
我々の知ったことではないわ。
事実、お前たちの世界では一番多く殺したものが
為政者になれるそうじゃないか。
ま、そんなことはどうでもいいことだ。」
アイツはタバコを一本取り出して、火をつけた。
紫煙が立ち上り、フィルターをヤニ歯で噛んだ。
「まぁ、ゆとり教育のせいかな。
ゆとりがあっても詰め込むものは詰めこまないとダメなんだよな。
我々と、おまえらヒトとの間には長い年月を掛けて結ばれた
不文律が存在してきた。共存共栄のためにな。」
共存共栄って、おまえらとか?
「なんだよ、そんなところから話さなきゃならんのか?
面倒臭いな。ま、これも仕事だ。
我々もお前らも八百萬の神々によって作り賜れたものだ。
そしてこの世は、これらすべてのものによって分割統治されている、わかるな?」
しらねえよ。
「要するに、おまえらと我々の世界の境界の話だ、面倒臭いやつだ。
例えば、大禍時と丑三つ時の間は、ヒトは外にいちゃいかん、とか」
コンビニは24 時間営業だ。
アイツは怒り出した。
「いちいちが、そうなのだ。ヒトは我々との境目を踏みにじってきた。
だが寛大なわれらは見守ってきたが、お前は著しく踏み外した。
一番重要な部分を。」
「どんな骸にしても、死者の骸は敬わねばならん。迷わぬ魂を作らんために。」
オレの顔をしたアイツは振り返ると、二之宮の顔に変わった。
「おまえは他人の姿形を盗んでしまった。目鼻があるものに魂は宿る。
宿るものをなくした魂たちは、トコヨにも行けずカクリヨに隠れることも
出来ずに彷徨うままだ。この先もずっとな。」
「そしておまえはコトもあろうに、魂の宿っていた骸を。
顔を・・・。なんと罰当たりな。
その骸を失ったものたちが。おまえらヒトの記憶にすら。
それほど長い時間は残ることのできない、その魂たちの無念が。
哀れでならんと嘆くものが多くてな。」
なんだよ、俺を殺すとでも云うのか?
「場合によってはな。だが、私も面倒は御免だ。
自分で死ぬなり、刑務所に入るなり、好きにしろ。捕まれば死刑は免れない。
殺しあうのは我々よりヒトの方が、その能力に長けているからな。好きにしろ。
ただ、お前はトコヨにもカクリヨにも行けない。
おまえの魂は彷徨うことすらも許されはしない。」
どうなるんだよ?、いったい?
「恐ろしくて、口にも出せんよ。」
二之宮のブオトコ面のアイツは、二之宮の顔をしたオレにオドケて云った。
「最後に云っておくがな、おまえが迷わせた魂たちが、狙っているぞ。」
アイツは元の顔に戻り、背を向けた。
「四六時中な。」
奇怪な笑い声をあげると・・アイツはドアから出て行った。
オレのさ。体は、一気に重力を感じて・・元に戻った。
タバコの煙と臭いが残った。
オレはさ。ただただ焦っていた。
次の瞬間、ドアをノックされたとき、思わず布団に隠れた。
キーをこじ開けられ、ドアが開くと。
入ってきた清掃員が私を見て驚いた。
「あれ?いま、チェックアウトされましたよね?」
オレはさ。気が動転しながら、深夜の西成に放り出された。
17 三日目 #4
大川は、正直、まともな神経の話では無いと、思い聞き流していた。
「おまえさん、精神鑑定でも狙ってんのかい?」
一之瀬は嘲り笑いをした。
笑い声は、取調室に響いた。
そうだよな。そう思われて、当然だよな。
それからのオレは。オレはさ。神戸の街を彷徨った。
しかし、追いかけてくるんだ、奴らが。
肩がぶつかった相手を見ても、通り過ぎる親子の顔を見ても。
金髪女や、藪医者に、二之宮や、そのほか・・・奴らの顔に見えるんだ。
いや・・そうじゃないな。まるで、顔の無い・・なにかに。
べつに何をしてくるわけじゃないんだ。
ただ有りもしない目で・・オレのさ、オレの方を見ているだけ。
ただ、見ているだけなんだけど・・段々近寄ってきて。
日に日に、オレとさ。オレとの距離感が近寄ってきやがって。
そして宅配便のドライバーを装い神戸を離れ、博多に行った。
だが、奴らはここでもオレを、オレをさ。追いかけてきやがった。
だから、沖縄に行こうって思ったんだが、え?言葉が通じるだろ。
けど、どうせ姿を眩ませるなら・・半島でもいいかなって思ったのさ。
北にでも行けばオレは。オレはさ。
誰にでも変身できる究極の人間兵器だぜ。
そう思ったんだ。博多の中州で抱いた朝鮮女がよかったこともあってね。
それには、パスポートが必要だった。
偽造パスポートを手配するという胡散臭いオヤジもいたが・・。
ま、いっか。
だってさ。本物のパスポートを持っているヤツになればいいんじゃん。
旅行屋の前で張ってたら、鴨が来た。
韓国旅行に行くという男だ。
飲み屋で半島女の体の話で盛り上がって泥酔させて。
パスポートを盗んだのさ。
大川は、小山に一之瀬の所持していたパスポートを確認した。
「コレか?三島欣治って書いてある。」
まさに、いま大川の目の前にいる男の写真である。
「で、三島は・・どうした?」
一之瀬・・・三島の顔をした一之瀬は下品に笑い出した。
コイツはさ。変態野郎だぜ、半島女のアナルにしか興味が無いんだ。
おっさん、アナルセックスしたことあるかい?
ねぇ、おねえさん、ケツの穴にぶちこまれたことあるかい?
三島に会ったのは、そのときだけだ。アトは知らん。
相変わらず性的なジョークを続ける一之瀬に嫌悪感をいだきながら
小山が切り出した。
「博多の中州の雑居ビルで顔を潰された男の死体が見つかったわ。
DNA鑑定の結果、三島欣治、44 歳。あんたが捕まる二日前にね。」
へぇ~、なんていえばいいの?
ゴメイフク?をお祈りいたします?で、あってたっけ。
朝鮮女のケツの穴をしつこく責めて殺されたんじゃないの?
どうだい、この顔。ごついだろ。
苦労したんだ。この顔になるのに。
顔、変えるのには凄い集中力が必要なんだ。
しかし。奴らが取り巻きやがって、集中できなくて。
頬は凹むわ、鼻はでかくなるわ。修正するのにまる一日かかったんだぜ。
おかげで、この出来さ。よくできてるだろ?
ほら、パスポートの写真と比べてみろよ。
大川は、尊大な一之瀬の態度に辟易とし始めた。
「じゃぁ、何故捕まったんだ?!」閉じ込めていた怒りを面に出した。
「パスポートを得て、顔を変えて。
国外逃亡するには充分な時間が合った筈だ。
捜査陣が手配した写真がマスコミに載ったとしても、そぅ。
一日以上時間が有ったはずだ。
釜山行きのフェリーに乗れば数時間だ。なのに、おまえは逮捕された。」
「狡猾で頭の優秀なおまえが。
捕まったのには・・理由があるはずだ!」
大川は立ち上がった。
そのまま、数分の無言の緊迫感が流れて。
三島の顔をした一之瀬は、そのとき顔が引き締まった。
悟ったんだよ、逃げられないって。
警察ぅ?笑わせんなよ。
奴らからさ。
奴らは何処にでもいた。
旅行屋にも、博多の売春宿にも、逮捕されたときだって、すぐ横にいた。
だから警察に保護してもらおうって思ったのさ、いや、オレ。
オレのさ、精神的な部分がさ。限界に来ていたんだ、ホント。
でなきゃ、捕まることないだろ。どうかしていたんだ。
そしたらさ。
奴ら、警察署にも、この刑務所にもいるんだ。
だからさ、なんでも喋る気になったのさ。
牢屋の中にも・・入ってきてるしな。
最初は、ここにもいるんじゃないかって。
飯も喰えなかった・・・。
オレ、そういやぁ、逃げ始めた最初の頃は
やっぱりメシを喰えなくて2 週間ぐらい喰わなかったしさ・・。
だが、今度は逃げ場所が無いじゃない・・。
「いったい・・誰が?・・入ってきてるんだ?」
骸骨面の化け物野郎が・・・独房の天井に出やがった。
他の奴らも・・なんだかオレのさ。オレの知らないヤツらも。
やつらに見つかっちまった・・・。
オレのさ。オレの命を狙ってやがるんだ。
昨日の夜は・・・小さいヤツが腕に喰いついてきやがった。
追っ払うのに必死で・・眠ることも出来なかった。
大川は、刑務官の日誌に目をやると
確かに、夜中にずっと一之瀬は喚き散らしていた。とある。
意味不明な言動を繰り返し、隣りの独房から大声で怒鳴られた。
が、止むことは無く、あまりの半狂乱な状態のため
気味悪がった隣りの被疑者は恐れをなし、下着泥棒を白状した・・・。
骸骨野郎がさ、天井にぶら下がって笑いやがるんだ。
そして、マントを広げたら・・・
ヤツはさ、たくさんのさ・・顔の無い小さいヤツになって
オレのさ、オレの体の上に落ちてきてさ・・・。
「そんな、のっぺらぼぅみたいなものがいるわけがないじゃないか。」
小山が不思議そうな顔をして大川を見た。
「のっぺらぼぅ_って?」
「顔の無い・・妖怪さ。狸かなんかにばかされたって・・知らないのか?」
のっぺらぼぅ?・・・ハハハ、なるほどな。
そぅか、なるほどな。まさにそんな感じだよ!
その、のっぺらぼうのひとつがオレのさ。オレの顔の上に落ちてきてさ。
一瞬、ロザンナの顔が見えたんだ。
他は・・なんともどす黒い・・顔の無い・・なんだかわからないよ。
ロザンナだけはわかった・・あぁ、もう一度、骨の髄まで
犯してやりたい・・・って・・オレ、オレさぁ、夢精しちまった・・。
なのに・・オレの喉元に喰いついてきやがって・・・。
“キチガイ“
大川はその言葉が脳裏に浮かんだ。
同時にその言葉を聞いている自分にも置き換わるような怖さを感じた。
「おまえは本当は一之瀬じゃなくて三島なんだろ?」
大川は自分がなにを云っているのか、正直、わからなくなっていた。
だが、理性的に振舞うには・・その結論しかなかった。
「顔を変えるだと?そんなことが出来るわけがない!」
小山が、大川を制して。
「大川さん、コイツのDNA鑑定の結果みたでしょ、一之瀬本人ですよ!
死体のDNAの結果も三島のものであることが判明しています。」
大川は、なにか胸に詰まったものを吐き出すようなものを
吐露するのを止めることはできなかった。
「DNAだと?!
そんなもの!
間違って冤罪事件を起しているようなものを、
まだ、信用しろっていうのか?!
見ろよ、この男の顔を!パスポートの写真どおりじゃないか!
日本国政府が証明した三島の顔だぞ!」
フッと、軽く噴き出した一之瀬は。
「面白いものを見せてやるさ。」
胸を張り出すと一気に息を吸い込み、
胸板を突き出すと女性のような乳房が膨れ上がった。
「小山さんよ、あんたのBカップだ。あん?いやCカップはないな?」
此処に来てからわかったんだ。オレの、オレのさ、能力は、顔だけじゃないんだ。
ヤツの手術のせいじゃなかったんだ。オレ、オレはさ。体も変われるんだよ。
ハハハ、どうだい、凄いだろ!」
小山は驚嘆し、自らの胸を押さえた。
驚愕する二人を前に。一之瀬は不適に笑った。
机に伏し、呻き声をあげると、嗚咽を漏らし。
顔を持ち上げると。
大川は自らの眼を疑った。
と、同時に狂ったように喚きたい気持ちをなんとか抑えようと
息を呑んだ。だが、驚きのあまり、口を塞ぐことは出来なかった。
一之瀬は笑った。
「初日にじっくりとあんたの顔を観察させてもらったんだ。」
大川は、自分の目の前にいる男が、
自分の顔に変わっていることが信じられなかった。
18 三日目 #5
驚愕の現象が起きた割には取調室は、静かで緊張感で張り詰めていた。
鉄格子のはまった窓の外は木枯らしが吹いているのか
冷たい冬の風が、窓ガラスを叩いていた。
陽は傾き、オレンジ色の弱々しい陽光は、来るべき逢う魔が時が
とても暗いことを暗示しているようだった。
大川は目の前で起きたことがまだ信じられず
鏡があるわけでなし、なのに目の前の男は自分と同じ顔をしている。
自分が発狂寸前なのを、感じるほど・・客観視もしていた。
そうでなければ、狂っているだろう・・。
口の中の乾きが気になった。
舌がざらついていて、しかし唾液も干上がってしまったのだろうか。
エアコンが壊れているのか、妙な寒気を感じた。
窓の外は、もぅ暗くなっていた。
大川は理性が保たれる言葉を探した。
何か言葉を見つけねば。
中井は何をしているんだ?
早く来いよ!
大川は、無理矢理、言葉を捻りだした。
「もう一度聞くが・・・奴らってなんだ?」
なんだろな、影っていうかぁ~。染みっていうかぁ~。
なんか薄ら暗いんだよな、ボゥーっとしてやがって。
顔が無いくせに、嘲り笑うように、じっとこちらを見てやがるんだ。
四六時中、無い筈の目に見張られているってかんじかな。
「それが誰だかわかるのか・・ロザンナさんだとか、二之宮だとか、三島だとか」
あぁ。わかるよ。
「なぜ彼らが。“奴ら”になったのか?」
気まずい空気が流れていた。
冷たい冬の空気より、さらに冷たい冷気が流れ込んだような
ピンっと張り詰めた緊張感が漂った。
「おまえが、“奴ら”にしたんだろ?」
大川の一言に、一瞬ひるんだ大川の顔をした一之瀬は、一度瞬きをすると。
笑い始めた。
そんなこと、ささいなことだ。
肉体を遊離したあいつ等が、オレをさ。このオレをさ。
殺そうとしているんだぜ?
だから、保護してくれよ。
ハハハ、どうせこんな話、誰も信じやしないさ。
よくてオレ、このオレはさ。精神病院送りだ。
そうさ。オレはさ。
オレは、責任能力なんて微塵も無いキチガイなのさ。
たまたまスケベな金髪女が逝く寸前にクビを締めて!って
ねだっただけじゃないか!
闇医者は、オレにてめえの女房を抱くように強要しやがった。
あのボロ雑巾みたいな。
あの女ぁ、オレの元の顔知ってやがって、
オレを売るとか言い出しやがったんだ。
他のヤツぁ、ジロジロオレをさ。
オレを見る目が、いちいち気色悪かったのさ。
奴らとの・・
化け物との境界線を踏み違えた現代人の罪穢れとやらを!
一身に背負う気なんて無いね!
ゴツゴツと窓ガラスを叩く音がした。
なにかとても冷たい空気を感じ鉄格子のはめられた窓の外を見た小山が、
悲鳴を上げ椅子から転げ落ちて。
大川は、カッと目を見開いたまま。
口を空けたまま。
無言のまま。
唾液が口から垂れていくのがわかるが、身動きも取れない。
ここは建物の三階だ。
なのに・・窓ガラスの向こうに・・無数の視線の無い視線が。
窓ガラスに張り付いて・・こちらを覗きこんでいる・・・。
いや、窓ガラスをコツいている・・・。
大川は、それでも事態を冷静にとらえようと
必死に正気であろうとしたが。
ゴツゴツと窓ガラスを叩く音は次第に強くなり
拘束衣で包まれた大川の顔をした一之瀬も、只ならぬ気配を感じた。
「どうしたんだよ!なにがおこっているんだよ!」
大川は何も言い出せなかった。小山は動転していた。
大川の出来ることといえば。
必死に声を上げようとしたがそれすら出来ない。
体は硬直し、感じたことも無いような冷気に、凍えるばかり。
小山は、床で気を失うのを必死で耐えている。
一之瀬は大声で叫んでいる。
「いったい、何が起こっているんだ!おぃっ!」
体を拘束衣で拘束されてなお、大きく体をゆすりながら
背後に近づいている脅威を感じていた。
「オレを殺しに来たのか?誰だ?」
身動きの取れない一之瀬は、天井を仰ぎ
気が触れたかと思われるほど高らかに笑った。
「誰だ?オレを殺しに来たのは?おまえか?」
違うのか?!
誰だ!
いったい誰なんだ!
一之瀬は、今度は大声で泣き喚かんばかりの叫んだ。
誰に向かって話しているのか、大川にも小山にもわからなかった。
「じゃぁ、誰がオレ、このオレを!」
「やめろ!やめてくれ!」
「顔を盗んだのはオレ、オレだけじゃないだろっ!」
次のひとことは、最後までつづかなかった。
マジックミラー越しに見ていた中井は、
取調室に入ろうとしたが、ドアが開かない。
ドアの取っ手の冷たさに、驚き、必死に開けようとしたとき。
中から、ガラスの割れる音がして。
刑務所内にサイレンが鳴り響いた。
中井はドアを蹴破って取調室に入ると。
流れ出す冷気と、堪らなく鼻を突く異臭がして。
あまりの異臭で、臭覚どころか視覚までも奪われ
中井はその場で倒れた。
駆けつけた刑務官たちも、あまりの冷気と悪臭に、
すぐには取調室には近寄れなかった。
ようやく10 分ほどして、刑務官のひとりが取調室に入り、
その合図をしてサイレンが止められた。
取調室は、鮮血に塗れていた。
老刑事も女刑事も、鮮血を浴びていた。
女刑事は床で気を失っていたため、担架で運び出された。
老刑事は取調室中央の机の前で、椅子に座り、
眼と口を大きく開いたまま失禁していた。
気がついた中井が、大川に声を掛けるが、
大川は震えるばかりだった。
「いったい何がおこったんだ?」
其の問いかけよりは、大川の前の机、
そして其の背後に広がっている多量の鮮血。
そしてその鮮血の上に横たわる“モノ”に驚嘆した。
拘束衣を身に着けていたソレが、強引な力で。
まるで雑巾を絞るように捻りつぶされたような、
肉隗が横たわっていたのだ。
顔などは頭蓋骨が、なにか特殊な力で変形させられているような捩じれ方で。
それが、もとは人間の体だということを
察したとき、中井は吐き気がこみ上げるのを覚え、溜まらず吐いた。
しばらくして、ようやく其の眼に、生気を取り戻した大川は。
やはり、あまりの異臭のためか、別な理由からか
腹の虫がなると、腹筋が痙攣し、もどした。
吐くものが無くなると、黄色い胃液を吐いた。
それすらなくなると、なんだかわからない白い液を吐いた。
しかし、それに伴なって流れ出た熱い涙が、冷たく凍えた頬をつたうのが
まだ、自分が生きている証拠のように思えたが、
其の涙も冷気ですぐに冷たくなった。
19 エピローグ
その後、取調室の様子を捉えたビデオが回収され、
鑑識に回され、その内容について、捜査本部は上層部にある報告をし、
異例な幹部会が行なわれた。
即座に、警察庁、法務省の官僚たちが招集され、
その驚愕の内容について検討した。
警察庁の上層部がマスコミのトップを集め報道統制を強いた。
強行に反対するものもいたが、そのビデオの内容を見たものは一様に沈黙した。
捜査本部は解散、関わったものすべてに緘口令が敷かれた。
漏れ伝わるところによれば。
「アメリカ女が映っていた。」とか
「闇医者が映っていた」とか
「口に出来ヤシねえようなもんがいっぱい」とか
取り留めの無いものばかりだったが、皆、口をすぐに閉じた。
一之瀬は獄中自殺と事務的に処理された。
その後、クリスチャンを自認する法務大臣が
健康上の理由から突然、辞任した。
公安部は、取調室のビデオについて「開封厳禁」とシールを貼り
東北地方の山岳地帯に掘られた秘密の倉庫に保管した。といわれる。
その際、異例なことに僧侶とか神主とか民俗学者が大量に招かれたという。
小山は警察のとある研究所で事務の仕事を得ていたが
トラウマ状態が酷く精神科で治療を受けていた。
ある日、ある医者の影に怯え、錯乱状態に陥った。
その日以後、彼女は入院生活を送っている。
駐在勤務となった大川は、山間部の部落の駐在所で、
後任の駐在に引継ぎをしていた。
「ここは、安全で平和なところだから」
と若い後任者に告げると
後任者は「あまり何もないと鈍っちゃいますよ」とおどけるが。
大川はつぶやいた。
「あんまり大きなヤマは・・やめといたほうがいいよ。」
そういうと、手荷物ひとつ下げて、駐在所を去っていった。
大川は、思い出すのを避けてきたが。
一之瀬が、ただ何かによって殺されたのではない、と思っていた。
きっと死だけではない、想像もつかないような、途方も無い責苦に
それも恐らくはながいこと・・永劫という字が
あてはまるかはわからなかったが。
苦しめられ続けるのだろう、と。思うことにした。
通常では考えられないものが、この世のどこかに。
いや、すぐ後ろにいて。
だが、触れてはいけない。見てもいけない。
ただ、そういうものが、確かに・・あるのだ。
と思うことにした。
町へ向かう最終バスの客は、大川だけだった。
漆黒の闇の中を走るバスはトンネルの前にさしかかると
女の客を乗せた。
女は大川の隣の席に座った。
さしこむオレンジ色のライトの光の中
大川は女の顔をみると、視線を逸らして云った。
最初に見たときは心臓が止まるほどのショックを受けたものだが。
いまでは、その女の顔を見るのにも慣れていた。
「また来てくれたのか。でも、今日で警官は終わりだ。
もうわざわざ来てくれなくてもいいよ。」
だが、大川は新たな戦慄を感じた。
女の向こうに日本人ではない老いた夫婦がいたのだ。
そしてこの夫婦は、いや家族は。
心からではないにしても、優しい微笑を大川に向けたのだ。
例え事件が解決しても。
例え犯罪者が捕まっても。
例え犯罪者が刑期を終え、更生できたとしても。
犯罪被害者遺族の心の傷は癒えることは無い。
まして、日に日に重なる喪失感に、傷は更に深く深刻になる。
そして、心の傷が、時に最悪の結果を生むこともあることを。
大川は経験上、知っている。
何度か目には、それらは余りに辛く
大川は精神科に掛かったこともある。
そして、いま女の向こうで微笑む老夫婦達が現われたことは
最悪の結果になってしまったことを物語っているではないか。
警察官として。
いや人間として。
そんなことは、どうでもよく、ただひとりの年老いた男として。
込上げる自責の念。後悔の念。
そして図らずも係わってしまった自らの不運を。
大川は嗚咽を上げて、うずくまった。
すると女はThank you と言い残し、一家は消えた。
他の言葉を理解する英語能力は、大川は持ち合わせていなかった。
大川は、バスの中でひとり涙に暮れた。
20 エンド・クレジット
この文章を書くにあたり、実際の事件をモチーフにしましたが
完全なフィクションです。
不肖・平岩この書き物を書くにあたり以下の方の作品に
多大な影響を受けまた感謝の意を表したいと思います。
本多猪四郎 (映画監督)
馬淵薫 (脚本家)
ジョン・カーペンター (映画監督)
ロブ・ボッテイン (SFXアーティスト)
水木しげる (漫画家)
ケン・ラッセル (映画監督)
エンニオ・モリコーネ(映画音楽作曲家)
いかりや長介 (コメディアン)
小林桂樹(俳優)
敬称略
顔 (下巻)
お読みいただきありがとうございます。
初めて三人称の小説を書きました。初めて長編小説を書きました。
初めてづくしでございます。
しかもワザと読みにくくした部分もありましてご迷惑おかけいたしました。