おねえちゃんの彼氏

わたしのすきなコースケはおねえちゃんの彼氏、でもホントの彼氏じゃない、ロンドンの彼氏だ。おねえちゃんは日本にちゃんと彼氏がいるし、コースケだって彼女がいるって言ってた。まあ、わたしだってちゃんと待っててくれる彼氏がいるんだけどね。
 彼氏がいるのに他の誰かをすきになるって、おかしいことだと思うけど、だけど、ずっと離れていると彼氏のこと、頭から消えてるときがある。
ちゃんと彼のことはすきだし、別に不満があるわけじゃないのに。それに不満ならむこうのほうがあるんじゃないかな、わたしが突然お父さんの仕事でイギリスに来ることになって、彼そんなに海外とか興味ないひとだし、あんまりよく思ってないんだと思う。
大学もあるからわたしだけ残ってもよかったんだけど、こんな機会めったにないから、休学すればいいかって思って。そんなに迷わなかったな、彼だって行くなって言わなかったし。これで当分彼と離ればなれになるってそんなに感じなかった。それに一年で帰ってくるってはじめから決まってたし。

 この前彼氏がロンドンに遊びにきて、一週間だけだったけどそれなりに楽しかった。彼うちに泊まってたんだけど、一泊くらいはどっかホテルとか一緒に泊まるのかなって思ってたら、お金浮かす為にずっとうちに泊まってたの。彼はうちの家族にも何回も会ってるし、東京の家にも泊まりにきてたから、親とか公認っていうか、大学入って付き合いはじめたからもう2年くらいになるしね、それに一泊どっかホテルとるなんてちょっと親に言いにくいってのもあったし、だから彼、わたしの部屋に膨らませるベット置いてそこで寝てた。
狭いけどわたしのベットで一緒に寝てもよかったんだけどな、ひさしぶりに会ったんだし。彼だってさびしいみたいなこと手紙に書いてたくせに、となりが親の部屋だと気になるみたい。
そういうところ、わたしと似てるのかな。おねえちゃんと違ってわたしもそういうのけっこう気にするから。でも最後の日だけ明け方から一緒に寝たんだ。彼と別れる日、空港でちょっと泣いちゃったけど、少しすればまたずっと会えるからっていって、それでお別れしたんだ。
家に帰ってみると、さっきまでいた彼がいなくなって、いつも通りにもどっただけなのに、なんだか変な感じだった。楽しみにしてたことが終わっちゃったのに、ちょっとすっきりした気分。次の日からわたしも学校があったし、すぐにいつもの毎日に戻っていって、枕元には彼がロンドンズーで買ってくれたきりんのぬいぐるみがあるだけで、あとはもと通り、ちょっとふしぎな気持ちだった。

 コースケはあさって大阪に帰っちゃうから明日が会うのは最後、おねえちゃんとコースケはハイドパークに行くんだって。
先週おねえちゃんからそれ聞いた時、すぐ、わたしも行きたいって言ったの。
わたしはすぐになんか決めたりするの苦手で、いつもあとになってから後悔する、ああ言えばよかったとか、こうすればよかったとか。一回落ち着いて考えないと自分がほんとにしたいこと、わからないときがあるの。
だけどあの時、いつもならすぐに、行きたいって言えずに、結局行かないことになっちゃうはずなのに、なぜかすぐ、わたしも、って言ってた。
あとから考えてみると一応、おねえちゃんの彼氏なんだし、一緒に行きたいってまずかったかな、コースケと会うの最後の日だしさ、ほんとなら気をきかして二人っきりにしてあげなきゃって。でも自然に言っちゃったんだよね、わたしもって。だっておねえちゃんにとってだけじゃない、
わたしにだって最後の日だから。

 たぶんあの時、わたし自分がコースケのことすきだって気づいたんだ。気になっていたのに、わたし自分に彼氏がいるからって、そのことに気づかないふりしてた。
ずっと見てたくせに、コースケとおねえちゃんのこと。

 おねえちゃんは別になんでもない感じでわかったっていってたけど、最後の日くらい二人っきりで過ごしたかったんじゃないのかな。わたしだったらやだな、そんな空気読めない妹。じゃまものがひとりついてきて。
たぶんおねえちゃんはにぶい妹だって思ってる。本当はわたしそんなににぶくないんだけどね、ただ、考えるのに少し時間がかかるだけで。それに、実はめんどくさいからわざとにぶいひと演じる時もあるし。

 もしかしたらおねえちゃん、全部わかってるんじゃないかな。こどもっぽいわたしのことなんか全部お見通しで、わたしがおねえちゃん彼氏いるくせにって思ってることも、二人のこと見てたことも。
おねえちゃんは知ってたのかな、わたしが自分で気づかなかった私の気持ちも。
大人なおねえちゃんは気づかないふりしてるだけなのかもしれないし、そんなこと、どうでもいいことなのかもしれないし。

 まだわたしが中学生の頃、おねえちゃんはよく彼氏とのデートにわたしを連れていった、遊園地とか映画とか。そんなとき、おねえちゃんは男の前で雰囲気変わるから、普段より大人にみえた。でも今思うと、あれは大人っていうよりも、女っぽいっていうことだったんだってわかった。

 おねえちゃんはわたしより女っぽいと思う。前にクラスのみんなでソーホーのパブに飲みに行った時、おねえちゃんがいきなり泣き出したことがあった。
その時わたしは離れて座ってて、コースケとおねえちゃんが向こうでなんか話してたけど、そんな深刻な話してるなんて思わなかった。みんなはふたりが付き合ってるの知ってるから、おねえちゃんが泣きだしてもそんなに驚いてはなかったけど、なかなか泣き止まなくて、酔っぱらってたんだと思けど、おねえちゃん、ちょっとかわいそうだった。

 おねえちゃんの気持ちはわからなくはないけど、でも、みんなの前で泣いたりしたらコースケを困らせるだけだよ。おねえちゃんはあの時、わたしはコースケのロンドンの女なの、って泣いてたけど、そんな自分だけ遊ばれたみたいなこと言って、自分だって日本に彼氏いるくせに、卑怯じゃん。そんなわがまま言って、コースケに甘えてるだけじゃん。
おねえちゃんは欲ばりだよ、どっちも傷つけないままで、なんて、そんなの無理なの本当は知ってるくせに。両方とも大事なのはわかるけど、おねえちゃんがどんなに大人の女だからって、どんなに男の人との経験があるからって、二人を同じくらい好きにはなれないし、二人ともに大事にされたいなんて思っても、いつかはどっちか選ばなきゃいけないんだし、おねえちゃんがほんとに二人のこと好きなら、嘘ついてることがつらくなる。
だから自分が傷つくことになっちゃうんだよ。

 わたしは絶対泣かない、いくら酔っぱらってもあんな風には絶対ならない。どんなにすきで、それが悲しくても、わたしはみんなの前では泣きたくない。あとから悲しくなって、その時泣けなかった分まで泣くんだろうけど、わたしはおねえちゃんより子供だから、彼の前で泣くのをがまんする。

 そう思うとわたしたちは全然似てない。似てないって思うのに、こっちの学校にきた時みんながわたしたちのこと、双子だと思ったって、顔だって全然違うのにね。たしかに姉妹だからすこしは似てるんだろうけど、同じ人に髪切ってもらってるからかな。おねえちゃんはあんまり気にしてなかったけど、わたしはちょっとやだったな、そんなこと初めて言われたし。

 それからすぐにクラスメートだったコースケと親しくなった。クラスに日本人はあまりいなかったし、わたしたちの他は中国とか韓国の人ばっかりだった。いつからおねえちゃんと付き合いだしたのかはわからない、いつの間にかそうなってた。わたしそういうこと、いつも気づくの遅いから。それにおねえちゃん、いつも気づくと彼氏が変わってるし、重なってる時期もあるんじゃないかな。そんなところ、わたしと全然ちがう。わたしは全然早くないもん、今の彼氏とだって結構時間かかったし。それが普通だと思うけど、だからって別におねえちゃんが軽いなんて思わない。ひとそれぞれだし、おねえちゃんは単純にそういうことが好きなんだと思う。
おねえちゃんと比べると、わたしはいい子、まじめだって、みんなの目にはそう映ってる。見た目は双子みたいなのにねって。

 おねえちゃんがいなかったら、わたしがコースケとそういう風になってたかもしれない、なんてね、わたしみたいなの、コースケはタイプじゃないかな、つまんないって思うかな。
わたしになんか興味ないのかな。

 コースケみたいな人、いままでわたしの周りにはいなかった。
いつも明るいし、一緒にいると安心する。授業の時とか、コースケがいるだけでクラスの雰囲気が変わるんだもん。いままでのおねえちゃんの彼氏とは全然違う。遊んでると思うのに、そんな感じがしない、ちょっと清潔感があるんだよね。バカみたいなこと言っても、やな感じがしないから、素直に笑っちゃう。いつも一緒にいたいと思う。
わたしたち姉妹は二人ともちっちゃいから、コースケとつり合わない。特にわたしなんか、となりにいると妹みたいに思われちゃうんじゃないかな。
あんなお兄ちゃんだったら楽しいのにな、背も高いし、かっこいいし。それにお兄ちゃんだったら、おねえちゃんとみたいに比べられることもないし。

 もうすぐ寝なくちゃいけない時間だ。明日は学校みたいには早くないけど、わたしたちの家はロンドンまで列車で行かなくちゃいけないから早く出なきゃいけないんだよね。まだ眠くないのに、今ベットに入っても絶対すぐに寝れないのに。
こんな時にはなんとなく、タバコを吸いたくなる。わたしがタバコ吸ってるなんてまだ誰も知らないよね、部屋の窓開けてこっそり吸ってるし、それにたまにだしね、まったく、これってコースケの影響だよ。

 クラスが始まって間もないころに、みんなでクラブにいったんだけど、わたし最初に誘われた時、断ろうと思ったんだ、だって一緒に行くのがコースケの他はおねえちゃんと、あとそんなに仲良くない韓国人の女の子だったからめんどくさそうでさ、でもなんか断るタイミングはずしちゃって、それに実はわたし日本でもクラブなんて行ったことなかったから、ロンドンのクラブなんて、ってちょっと不安だったんだよね。でも、みんなそんなの全然平気で、なんか馴れてる感じだったからわたしも内心びびりながらもみんなみたいに、わたしだって馴れてますよって感じよそおってた。
そのクラブはすごい広くて、何フロアーにもなってて、それなのに暗くてすごい混んでて、わたしみんなについて行くのに必死だったんだよ。途中でおねえちゃんとその韓国人の子はイギリス人の男の人に声かけられてどっかいっちゃうし、わたし、はぐれたらどうしようって、そのことで頭いっぱいになっちゃって途中から、クラブの中をぐんぐん移動するコースケの服のすそ、ずっとにぎってた。そしたらコースケ、わたしがおどおどしてるのわかったみたいで、ちょっと休もうかって、音楽がうるさくても聞こえるように、耳もとでどなってくれたの。
あの時、ソファーに並んで座って、そこでわたし、はじめてコースケからタバコを貰って吸ってみたんだ。コースケがタバコ吸うの見てたらすごくおいしそうで、わたしもって言ってみた。それまではわたし、あの匂いが苦手だったのに、あの時はやっと落ち着いたのと、コースケがそばにいるって安心感もあったのかな、すごくおいしいって思った。

 そういえばこの前、コースケの寮のシャワーが壊れて何日も身体洗ってないっていってた日、となりにいるだけでコースケの匂いがすごいわかって、わたしこっそり嗅いでたんだ。彼氏があんまり匂いがない人だし、友達の男の子の匂いなんて普段気にしたことないから、コースケの知らない部分を知っちゃったみたいで、ちょっとドキドキした。
この前ひさしぶりに嗅いだ彼氏のとか、思い出しちゃったよ。
おねえちゃんはいつもコースケの隣りでこの匂いを嗅いでるんだよね。
付き合ってるんだから当たり前なんだけどさ、
あの後から、二人を見る目が変わってきちゃった。

 あの時のコースケの匂い、あれからわたしたまに思い出すの。ひとりのとき、部屋にいるとき、ベットの上で、眠る前に、頭の中で、思いえがく。布団を頭からかぶると、ピローケースに染み付いているわたしの匂い、それを感じながらコースケの匂いを思い出したら、ふたりの匂いが重なって、まるでふたりで布団にもぐってるみたい。わたしの匂い、コースケ知ってるかな。さっき使ったボディーソープがうっすらと匂う、リンスの匂いも、それに熱くて湿っぽいわたしの吐く息が、布団の中で充満する。おねえちゃんはコースケと、どんな風にしてるの、彼氏とのことなんて、今、思い出さしたくない、もしこのわたしのベットに、もし、コースケが、なんて、思い描く、そうすると、たまらなく恥ずかしくて、コースケの顔、見れない、もし、こんな近くで、見つめ合ったら、なんにも言えなくなる、バカみたいだよう、おねえちゃんの彼氏、なのに、コースケ、日本に彼女がいるのに、こんなこと想像してるなんて、いけないことだって、そんなこと、わかってるけど、どうしようもないの。もし、コースケとわたし、ベットの中で、鼻と鼻がつきそうなほどくっついたら、コースケの固い腕で、身体が折れそうなくらい抱きしめて、わたしも、あの大きい背中に両手をまわして、ねえ、わたしだって彼氏、いるんだよ、それなのに、こんなことして、いいよね、秘密だよ、ね、秘密ならいいよね、わたしたち、だけの中で、誰にも言わないで、今、わたしが泣いてることも、わがままいってることも、こんなせつない気持ち、はじめてだってことも。
そう、もっとぎゅってして、おねえちゃんにしたよりつよく。
わすれないように、わたしをわすれないように。

 コースケは帰ってしまう。わたしたちと明日過ごして、あさっての飛行機で大阪に帰って、大学にいったり、就活はじめたりして、もとの生活に、いままでのコースケの毎日に戻っていくんだ。
わたしたちもあと少ししたら帰る。あの東京の家に帰って、大学に復帰して、バイトしたり、友達や彼氏と会ったりしてるうちに、こっちでのことなんて、すぐに昔のことみたいになっちゃうんだと思う。
おねえちゃんはあの日本で待ってる彼氏と結婚するのかな。日本に帰ってからコースケのこと、ロンドンの時の彼氏だったって、あんなこともあったなって、そういう風に、今までの彼氏と同じように、思い出すのかな。
わたしは、わたしはコースケのこと、どんな風に思い出すの。友達として、おねえちゃんの彼氏として。
なんか、そんなの、つまんない。
わたしは、コースケのこと、ロンドンですきだった人として、思い出したい。
でも、思い出に残ってることといえば、クラスの人達と一緒の時の思い出とか、みんなとどっかに行ったりしたこと、そんなことばかり。そんなの、ふたりの思い出じゃない。好きな人としての思い出なんかじゃない。そんなつまんない思い出だけしか持ってないと、すぐに忘れちゃうよ。このままじゃ、すきだった気持ちも、薄れていって、そのうち消えてなくなっちゃう。
このままじゃ、つまんない。いい子のわたしのまんまじゃ、つまんないよ。
だってコースケは日本に帰ったら、わたしのことなんて、ただの友達だったって、ロンドンの時の彼女の妹だったって、それしか、思い出さないよね。コースケはもてるから、いっぱい女の子と付き合ってるから、わたしの名前だってすぐにわすれちゃって、もうわたしのことなんて、思い出さなくなっちゃうんでしょ。
そんなの、いやだよ。 


 さっき、わたしはうそをついた。わたしたちの待ち合わせは3時、ハイドパークコーナーで。わたしが一番のりで、駅の外で二人を待ってると、おねえちゃんから、少し遅れるって連絡があった。午後のクラスが長引いたから、少し遅れるけど駅で待ってて、おねえちゃんのその言葉をわたしは、少し遅れて来たコースケに言わなかった。そのかわりに、おねえちゃんは今日、これなくなったって、具合が悪くなっちゃったみたいって、ごめんねってあやまってたよ、そうコースケに伝えて、わたしは自分の携帯の電源を切った。コースケの携帯はもう解約してあるから、これでおねえちゃんはわたしたちに連絡ができない。


 昨日まで降り続いていた雨は明け方頃にはやんで、灰色の雲の隙間からいく筋も差しこむ光が、芝生をなぞっていくのが見える。風が、重い雲をおしながして、空全体が動いていくみたい。
前にみんなでここに来たのは夏頃だった。ハイドパークはすごく広くて、夏に来た時とは反対側から入ったから、まるで初めてきたみたいだ。それに、こうやってコースケとふたりっきりで並んで歩くのも、こんなにふたりでおしゃべりするのも、初めて。初めてなのに最後の日。どこまでも続く原っぱを、ずっと歩いていても、雨上がりの公園には人影がなくて、まるでこの世界にはわたしたちふたりだけしかいないみたい。コースケは足が長いから、ちびのわたしはついていくのに、普段よりもはやく歩かなくちゃなんないんだね。わたしがコースケを追い越しそうになったり、くっつきそうになったりしてるから、コースケのコートのフックがわたしのコートのボタンに引っかかっちゃったよ。糸がほつれてたボタンだったから、わたしがちょっとひっぱったら、そのまま取れて、どっかに飛んでっちゃった。ボタンを探そうとするコースケにわたしが、いいよ、もういらないよ、って言ったら、まったく、って笑ってた。鼻にしわを寄せて笑うコースケの顔、すき。コースケの笑ってる顔を見て、わたしも今笑ってるんだってわかった。


 向こうのほう、芝生が続く広場に、だれかが忘れたサッカーボールがころがってるのが見えた。それを見つけて走り出すわたしに、コースケはなにか言ったみたいだったけれど、その言葉は聞こえなかった。
あの濡れて汚れたサッカーボール。あれを思い切り蹴飛ばそう。芝生の上を全力で走る。この湿った草たちは晴れてきた青い空からの光をあびて、すぐに乾いてしまうんだろう。
 あのサッカーボール、わたしが蹴っ飛ばしたら、そのまま、この青い空に吸い込まれて、小さくなって、ずっと遠くまで、わたしの気持ちといっしょに、どこまでも飛んでいって。

おねえちゃんの彼氏

おねえちゃんの彼氏

わたしの好きなひとはわたしのおねえちゃんの彼氏

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-01-20

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