かみさまのいた教室(1)

連続物の1話です。
その時のその場所の、温度とか匂いとか。空気感とか。
そういうものが体感できる小説がすきです。

ぼくとせんせい


クーラーの効いた教室。
右から4列目、前から二番目。

比較的せんせいから常に視線は与えられる席。クーラーの風が直に当たるこの席、嫌いではないけど、プールの授業の後はどうしても寒い。羽織るものなどもちろん、窓一枚外に出ればジリジリと焼けるような日差しの中、持ってくる方がおかしい。体育の授業後の算数というのもあって何人かはもう夢の中。
そんな中僕はせんせいの気をどうにかひこうと、外の太陽に負けないくらいつよくせんせいを見る。
「プールのあとじゃ、しょうがないかな」
困ったように笑ってそう言うせんせいはすごくかわいい。気がつけば黒板の台形をせんせい越しで見ているのは僕だけだった。
「相田くんは眠くないの?」
せんせいは教卓に寄りかかって聞いてきた。
「僕は算数が好きなので眠たくなりません」そう、かっこよく答える。
だけど、ノートには黒板の文字を記号のように書き写しただけ。僕が分かってるのはせんせいの目の下、ちょうど30センチ定規の5センチと同じくらいの場所にあるほくろがなんだか好きってことぐらい。
「そうなんだ。みんなは算数きらいっていうんだけどね。」
またちょっと困ったような下がった眉毛で笑った。そしてこう続ける。
「相田くんしか起きてないしちょっと休憩しようか。」
そういって窓を開けると苦しかった教室が息を吐いた。寒い空気は外に漏れ、暑く湿っぽい糖度の高そうな空気がなだれ込む。小さく、
「この温度差がすきなんだー」
と呟きながら窓のヘリに手をついて長い髪をなびかせるせんせい。僕はその後ろ姿を見ながら、ああ、みんなずうっと眠っててくれないかな。

算数の時間が、結子せんせいとぼくのこの休憩の時間がもっとずっとつづかないかなあ。

そんなちょっと悪いことを考えてた。



「1年3組、相田涼。」
「はい。」

4月10日。桜がコンクリートのロータリーの上にへばりつくこの季節。体育館からも見えるひらひら落ちる桜が視界を騒がしくしていた。散った桜の花びらは最後何処へ行くのか、誰かが処理でもしてるのだろうか、それとも自然と土へ帰るのかそんなことをぼんやり考えていた。
「以上、32名、着席。」
パイプ椅子の上に座る。右も左も前も後ろも知らない奴ばかり。まあ気に止めることでもない。
この春、そこそこ受験勉強も頑張っていた俺は県でも「おお、北原高校か、いいじゃない」といわれるくらいの学校に合格した。トップクラスというわけでも進学校というほどでもないが、文武両道、自主自立を校訓とする古く地元の人々にはウケのいい有名な高校だ。
ぼうっと外を眺めていたら始業式はいつの間にか終わっていた。まだ白い上履きをぺたぺたと鳴らしクラスメイトとなる人々と列になり教室へ向かう。あそこで桜を掃いている用務員さんはどんな経緯でここにいるのだろうか。先生になることができずしかし学校というものを諦めることもまたできず、日々桜とともにその悔しい怨念をゴミ袋に捨てる毎日なのだろうか。いや、あの笑い皺でくしゃくしゃになった顔はそんな感情なんかとは程遠そうだ。掲示板にはたくさんの部活勧誘のポスター。ストリートの落書きのような洒落た文字。いかにもバスケ部。黒のポスカででかでかと部活名、そして横に申し訳程度にパソコン….らしき絵。もうちょっとどうにかなったのではないだろうか。色々な部活動がそれぞれの色でこちらへ手を招いている。さすが文武両道といったところか。そして、ふわっと流し見をして掲示板をあとにする。階段を上る。教室へと向かう。そこで思考が止まった。
「あれっ?」
掲示板を見たとき何かにひっかかった。確かに、流し見した時なにか重要なものを見たきがする。記憶を巻き戻す。が、ビデオはイマイチ鮮明でない。絶対何か見落としてる。何を見落としたのだろう。しかし、今はこの列から一人出ることはできない。あとで行こう。確かめに。
しかし、この時点で自分の中では答えが出ていたのかもしれない。



担任の自己紹介、クラスメイトの自己紹介、そしてもろもろの連絡事項。定例通りの新学年の1日目だった。記憶に残ったことと言えば、なんか盛大に自己紹介をしてすべった奴がいたこと。初日では浮いた印象になるが、クラスが慣れ始めたころにこういう奴は結局人気者になる。素直にすごいと思う。人生楽しく過ごせるよ、お前なら。自信持っていいぞ。えっと、大村くん。そして帰りの会、ではなく、高校ではSHR(ショートホームルーム)というらしい会が終わった。教室では皆、出遅れまいとLINEを教え合っている。なかにはtwitterで元々知り合いの者同士もいるようだ。プリクラの補正された顔写真しかしらない間柄で知り合いと呼べるのだろうか。そのあたりはこんなご時世騒ぐところではない。そんな初々しくも策略深い教室をそそくさとあとにする。目指すは一階の掲示板。緑色の銀額縁の比較的大きな掲示板。そしてそこで足を止めた。また、色と青春臭さの洪水。うん、嫌いじゃない。    
そして、ドキドキしながらあの名前を探す。
そう、何にひっかかったなんて分かりきっていた。この5年間何度その名前だけを追ってきたのだから。見落とすはずなんてなかったんだ。体感は10年だ。人生の半分以上その人のことを思っていたんじゃないかと思うくらい重く長い。そして視界には一枚の勧誘チラシ。白い紙にりんごのデッサンがポツンと書いてあって左下にちょこんと書かれた「美術部・部員募集中」の文字。
そしてその横に彼女の髪を思わせる細く脆そうな美しい文字でこう書かれていた。


顧問 数学科 野沢結子

始業式、よそ見をしていたのも、一度は見間違いだと思いたかったのも。どこか臆病な自分がいたからだろう。



そして、あの日よりも少なめの糖度を含んで風が目の前を通り過ぎていった。



ぼくとせんせいは今、再会した。

先生が、小学校の教師をやめたと聞いたのは中学2年生の時だった。
いつものような帰り道だった。学校の周りを走る運動部を横目に、幼馴染の前田(まえだ)亮(りょう)太(た)が、いつものようにたわいもない話をするのと同じように話しをしてきた。「そういえばさあ、小6の時の担任いたじゃん。」久々にでたあの人の話題にドキッとした。「あ?ああ・・・。」なるべくいつもと同じように、抑揚なんかない。それとなく答える。「教師やめるらしいぜ。母さんが言ってた。」亮太は、150ml多い、長いカルピスの缶をずずっとすすりながら話す。「へえ・・そうなんだ。」俺はコカ・コーラの150ml増量缶をすする。「ていうかさ、今日の現国の時間にさ・・・」亮太は何か話をしていたが、俺の意識はあの夏の、算数のあの時間へと遡っていた。
「おい、涼ち、聞いてる?」
亮太が顔を覗かせてくる。「えっ、あ、ああ。ごめん、ぼうっとしてた。」現実に引き戻された俺は、家の前にきていることさえ気づいていなかった。亮太は笑いながら「聞いとけよ。じゃ、今日もそっち行くわ。首洗って待ってろ。」笑うとクシャっとなる亮太の顔は物心ついた時から知っている。「おう、たまには菓子の一つでももってこいや。ザコが。」いつものやり取りを終えそれぞれ家へと入る。
亮太の家と俺の家はいわゆるお隣さん。俺たちが生まれる前から両親同士仲が良かった。そして、できた子供はどうやら同い年という、なんとも運命づけられているのかはたまた、腐れ縁なのか。若い仲良しの親たちにはこれとなくテンションをあげる出来事であった。その弊害が、俺たちの名前。「前田 亮太」と「相田 涼」ただでさえ苗字が似ているというのに、限りなく下の名前まで近い。別にこれに対しとやかく何か思うことはないが、たまに亮太と性格の相性が最悪だったらどうしていたのだろう。と考えることがある。しかしそれはいつも、兄弟のように生きてきたふたりには問題になりもしないという結論に至る。
部屋に戻り、ベッドに突っ伏す。はあーーーー、疲れた。何をしたわけではないが疲れた。長い息を吐き、天井を仰ぐ。「先生、先生やめるのか。」ぽつりとつぶやく。なら、自分の中での呼び方を変えなければ。野沢先生?いや、先生はやめるのだ。野沢・・・自身のなかで野沢の印象はなぜだか少ない。じゃあ、結子・・だめだ。先生を呼び捨てにするなど、なんだか先生が「女の人」のようで。いや、女の人なのだが、先生は先生であって・・。先生を結・・なんと呼ぶのは先生が汚れてしまうような、そんな、きがするのだ。先生・・せんせい・・。
思考の海へ沈んでいこうとしていると、ドアが無遠慮に開かれる。「なあ、今日ちょっと賭けしようぜ涼ち。」彼との間ではこのいきなり具合も、気にとめるところではないのだ。この前は夜中急に来て、俺はシャワーを浴びているにもかかわらず「涼ち、モンハン貸して」とドアを開けてきた。「はっ?!い、い、いいけど・・」しかしこれは今思えばさすがに男子中学生同士、心の底から気持ちが悪いと思う。「で、何を賭けるわけ?」亮太はPS3の電源ボタンをつけてわざとらしくこちらにニヤリと笑った「今日は勝てる気がする。明日のジュース代、どう?」そうドヤ顔で見てくるが何がキメ所なのかイマイチわからない。「ザコが。弱ぇえからってそんなちっこいもんで賭けとか言ってんじゃねえぞ。」「ほほーう。じゃあ涼ちはなにがいいわけ?」「からあげ1パック。」購買で売られている一つ200円のパックだ。「涼ち、攻めるなあ!。ふふふいいだろう」そして、キックオフ。放課後の定例行事ウイイレ大会。。戦績は、何戦したか覚えてないが8割俺の勝ち。そして、今日もそのデータ通りの結果になりそうだ。未だに亮太はゲームの最中奇声をあげる。うるさい。「からあげ!からあげ!」・・・・・うるさい。そして試合終了のホイッスル。「はい、かわあげ。」コントローラーをベッドへ投げ捨てる亮太。「今日はいける気がしたのに!カガワー!カガワー!」「香川は何も悪くない。お前が悪い。」「涼ち一人で特訓してるんだろー!PS3があるからって!」負けたらうるさいし、こいつは勝ってもうるさい。退屈はしないが。
ちなみに遅れたが、亮太の言う「涼ち」はこいつだけが呼ぶあだ名だ。小さい頃お互い「りょう」と周りに呼ばれ育ったためそれを区別する必要があった。そこで俺は「涼ちゃん」亮太は「亮くん」と呼ばれるようになった。今思えばなんて不公平だと愚痴を言いたくなる。亮太が「亮太」と呼ばれればいい話ではないか。そして、成長した俺はどうもちゃん付けが嫌だった。呼び捨てにしろと言ったのだが「なんか涼ちゃんは涼ちゃんなんだよなあ。じゃあ、お互い間を取って、涼ちにしよう!いい!」訳がわからない。何も良くない。しかしこれが彼の中で傑作だったのか現在に至る。勝手なやつだ。この話になると悪口の一つも言いたくなる。

そして、当然の如く同じ高校だ。「涼ちー。おーいこら馬鹿野郎。」後ろから声がする「なに、部活はいるの!」背中ごしに聞いてくる。「いや、どんなものがあるのかなって思って。」「ふーん、そうなのかー。」そして俺は亮太と二人で掲示板をあとにした
「てゆうか、まさか涼ちと同じクラスになるとは。やったな。」ペタペタと足を鳴らしながら下駄箱を目指す。「今度からは通学路、家だけじゃなくクラスでも一緒なのかよ。きっつ。」「えーひどいなー」ローファーに桜の花びらがひっついている。新しい通学路を二人で歩く。受験の時期はさすがにお互い忙しく毎日家に通うということにはならなかった。同じ高校でも亮太はサッカー部、体育委員長、明るく人懐っこい性格のおかげで、いわゆる面接内申点等が優遇される前期入試で先に合格している。そのあと、一般試験入試、いわゆる筆記試験であとから俺が合格した。二人の試験が終わった頃亮太はうちに遊びに来るようになった。と言いたいところだが、こいつは自分の合格が決まったと分かったら次の日からうちに来るようになった。本当無神経というかなんというか、だ。しかし、ゲームを誘う事はなかった。勉強をしている俺のその後ろで、ウイイレをやっている。そして息抜きをしたいと思った俺が亮太に話しかけたり少しゲームをする。そんな感じだった。ま、とりあえず二人共受かって良かった。本人には言わないが。
「思ったより、レベルは高かったな。」川沿いの桜並木を二人、歩きながら亮太が聞いてくる。「え、何の。」「女子だよ女子!」「あー。」覚えていない。誰も印象には残らなかった。「また、そんなかんじかよ。なんなの、もしかしてゲイなの」「違うわ、アホ。」まあ、変に思われても仕方はないだろうな。中学生の間もずっとせんせいを思い続けたんだから。それを言わずにずっといたわけで、ましてや好きな女の子なんできるわけないし。「でもそういうお前も、可愛い可愛い言うくせに行動に移したことないじゃんか。」「いーの、俺はヘタレだから。」浮かれてるやつだが、浮いた話は一度も聞いたことがない。まあ、彼女を作ったとしても別に俺に関係はないのだが。
ああ、せんせいに会いたい。いつものような光景だが、思い焦がれていたせんせいが前より近くにいる。この気持ちが先生と生徒だとか、ずっと想い続けてるとか、久しぶりに会うだとか、そういうの何も考えずに。素直な根っこは、せんせいに会いたい。それだけだ。生ぬるい風が吹いた。桜が舞う。どこかで聞いたことがあった。桜の落ちる早さは、秒速5センチメートルだと。

かみさまのいた教室(1)

続きます。

かみさまのいた教室(1)

生徒みんなが寝てしまったプールの授業のあとの算数。ここで、僕は恋に落ちた。 月日は流れて、高校生になった相田涼。 桜の舞う中見つけたあの名前は派手にキラキラしているわけでも、こちらに主張してくるでもなかった。 ただ静かにあのころのままなにも変わらずそこに佇んでいる。 細くだけど強く。文字を見ただけで、あの姿が蘇る。 そして3年間が始まる。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-01-19

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