萌え源氏物語「桐壺」
桐壺
萌え源氏物語
桐壺
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやんごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
「ねえ、また桐壺の更衣が呼ばれたの?」
「そうなのよ。困ったものよね。主上も何をお考えなのか」
「考えてなど遊ばしていないのでは?」
「考える暇もなく?」
「ほほほ……」
あちらこちらでそんな嘲笑が聴こえている。
桐壺更衣は大納言の娘だったが、その大納言が亡くなり、後見がいなくなったということでご寵愛争いからはすでに一歩退くはずの者だった。
しかし、帝は桐壺更衣をこよなく愛し、他の女御たちへの愛情を示さなかったため、奥殿は嫉妬渦巻く愛憎の坩堝と化していた。
その為、桐壺更衣が帝の褥に呼ばれた時には、打橋や渡殿のあちこちに動物の屍体などを置いて通れなくするなどの嫌がらせや馬道の戸を封鎖して翌朝開けられるまで一晩中真っ暗な場所に閉じ込めるなどの陰湿な仕打ちを受け、更衣はそれにじっと耐える日々であった。
更衣は男宮を生んだが、先に右大臣の娘の弘徽殿女御が一の皇子を生んでおり、その皇子が東宮有力候補となっていた。
弘徽殿女御側からすれば、帝の寵愛を一心に受ける桐壺更衣の存在は危険で、いつその男宮を担ぎだされて政敵になるかわからない。
――その前に消す。
帝はそんな状況を十分承知していた為、宮に親王宣下をせず、臣下として支えてもらうよう源氏姓を与えた。
それが、光源氏と呼ばれる男の誕生だった。
源氏は健やかに成長していったが、母、桐壺御息所(御息所は天皇の子供を生んだ人の称)は三歳の時に身まかってしまった。
帝は、御息所の死をなかなか乗り越えることができず、忘れ形見である源氏を抱えるように過ごす。
「そなたがいるから、朕はまだ現世で生きていくことができる」
しかし、夜毎に御息所を求める自分に耐えられなくなっていくのだった。
そんな帝を見かねて、先帝の姫宮、女四宮の面差しが桐壺更衣によく似ているので、お召しになったらいかがでしょうと言われていた。
帝は源氏を抱き寄せる。
「愚かなことよ。そなたの母の代わりなどどこにもおらぬというのに」
「おもうさま?」
「源氏……朕は毎日が辛くて……このままはかなくなってしまいたいほどに……」
「おもうさま!」
源氏がぎゅっと抱きつく。
「泣かないで。泣かないでください」
「……………源氏……」
女四の宮は入内した。
藤壺の局を与えられたことにより、藤壺の宮と呼ばれるようになった。
ただ、源氏は帝にぴったりとくっついたように生活しているので、閨も一緒にいることとなった。
「この子は、私以外に頼る者がいなくてね。突き放すようなことはしたくないのだよ」
藤壺の宮は少々恥ずかしく思いながらもそれを受け入れた。
「この子がこうして安心して寝ている姿を見ることができれば朕も安心できる。母代わりになってほしいと思っている」
「承知いたしました」
「藤壺」
荒い息を吐きながら、すやすやと眠る源氏の横で藤壺の宮の身体を弄ると優しい愛撫に応えていく。
帝は桐壺御息所との日々を再現しているような気がしていた。
これ以上の心の安寧はないだろうと思えるものだった。
そうして、藤壺の宮を源氏とともに可愛がり、源氏は藤壺の宮を母のように慕い、その仲睦まじい様子から、人々は二人を「光る君」、「輝く日の宮」と呼んだ。
数ヶ月経った後、藤壺の宮が庭先で花を摘み、それを源氏に渡す。
「わたくしは、亡きお母上、桐壺御息所によく似ているそうですね」
藤壺の宮は優しく微笑みながら言った。
「………………」
源氏はすぐ答えられなかった。
「……私は母の顔をよく覚えていません。なので、皆が似ていると言えば似ているのでしょうし……」
「ああ、そんな顔をなさらないで。ですからね、わたくしが、あなたの母になってさしあげます。どうかわたくしを母と慕ってほしいのです」
「……日の宮……」
源氏は藤壺の宮に縋り付いて泣く。
源氏としては大好きな藤壺の宮に嫌われたくなくて日々必死に過ごしていたのだった。
藤壺の宮は、そんな心情をよく理解しており、何より美しい源氏が可愛くてたまらず、ずっと手元に置いておきたいと願っていた。
ひしと抱き締めるのだった。
*********
しかし、いつまでも藤壺の宮と源氏が仲良く過ごすということはできなかった。
十二歳で元服をして稚児だった源氏は髪を結い、立派な公達姿となった。
その姿を見た藤壺の宮は、あまりに美しい若者に変わった源氏に恋心を抱くようになる。
夫である帝は、随分と年上であり、もともと桐壺御息所の身代わりとして愛されているだけに、自分として愛されているわけではない。
それについて寂しさを感じてはいたが、いつしか源氏がそばにいることでそのことが帳消しされていた。
そうして今は、変わってしまった心をどうすればいいのか、困惑するばかりであった。
元服と同時に源氏の左大臣の姫との結婚も決まった。
皆が祝福の言葉を述べる中、藤壺の宮は居たたまれなくて笑みが引きつったものとなった。
「寂しいか?」
帝にそう尋ねられ、必死に心を殺す。
「なにやら感無量で、うまく言葉にすることができません」
――左大臣の姫と……。
「これから光には男子として立派に務めを果たしてもらいたい」
「はい。わたくしもそう望みます」
母親としての言葉を言わなければならなかった。
心の中に宿った恋情は不倫の恋であり、その先、思いを遂げようとすれば道ならぬものとなる。そして決して誰にも悟られてはいけない大罪であるとよくわかっていた。
元服の儀を終えた源氏が藤壺の局にやってきた。
だが、藤壺の宮は御簾の内側には入れさせない。
成人した男子とともに御簾の中にいることはできない。
それができるのは恋人か夫婦である。
源氏が動揺した様子で立っている。
「……お顔を見せてはいただけないのですか。日の宮」
その言葉に藤壺の宮は揺れる。
……今日だけ、今日だけならいいのではないか、明日からはきちんと御簾越しでの対面にし、今日くらいは……。
「……光の君はご成人されたのですから……」
「けれど! 日の宮と私の間であれば、そのようにしなくともよろしいのではないですか」
御簾越しでなければ藤壺の宮はその源氏への思いが止められなくなる気がした。
その姿はもう立派な男だった。
男であると意識すればするほど、身体が熱くなってくる。
幼い頃、寝所でよく寝ているようでも、帝に抱かれている時、源氏が寝たふりをしていることに気づいていた。
自分がどのようになるのかを知っているのかと思うと顔が紅潮する。
どう思っていたのか聞いてみたくなる。
わたくしの声も聴いていたのでしょう……。
「これからは左大臣の姫とお過ごしになるのですから」
一番言いたくないことが言葉として出てきていた。
「それは! 親同士が決めたことで! 私がそうしたいと望んだことではなく!」
「それを言うならば、わたくしとて同じことです!」
源氏がはっとする。
「光の君がご成人された今、私の御簾のうちに入ってもよいのは……、帝おひとりだけです」
そう言いながらも藤壺の宮は身体が疼いていくのを感じていた。
光の君に抱かれたい……。
光の君を抱きたい。
光の君と深く繋がりたい……。
……光の君が欲しい――!
帝に乱された自分よりももっと激しく求めてしまうかもしれないと浅ましい思いが湧き出てくる。抑えられない。せめて言葉で縛らなくてはならないと唇を噛む。
「光の君は、殿方なのですから」
「そんなことはどうでもいいではありませんか!」
「だめなのです!」
「日の宮の顔が見たい、ただそれだけなのです! それすらも叶わぬというのですか」
源氏に熱く訴えられればそれに応じてしまいたくなる。
……わたくしも、あなたの顔が見たい……。
「ええ。今後、わたくしたちが会うことがあったとしても、御簾越しのみとなります」
……口づけを交わし、
「何とかならないのでしょうか!」
……熱く抱き合いたい……。
「私は帝の妃なのです! ご自覚なさい!」
声を荒げる藤壺の宮に源氏が動きを止める。
「……………」
源氏は様々なことを考えようとしたが、何も思いつかなかった。
「………わかりました……では…失礼申し上げます」
二人とも涙が止まらなかった。
互いがどれほど思い合おうとも、道はなかったのだった。
萌え源氏物語「桐壺」