服を脱ぐ人

服を脱ぐ人

また迷ったら戻ってくるよ、シスター

 T山駐屯地傍から出る三崎口行きのバスに乗り、三崎口から京浜急行で横須賀中央、金沢文庫を過ぎ横浜へ着く。意思を持つ肉物体の波に流され、休日にも拘わらず気だるげに出口方向へ歩みを運ぶ何人かの同期や制服姿の一年生。単体行動で、何処へ向かうのか分からない前髪に、哀愁ある背中の先輩を後目に鈍行へ乗り換え二三先の駅に降り立つ。
 高校時代も後半戦、私は一人横須賀から横浜は日ノ出町へ何をするでもなく足を運んでいた。大抵は与えられたリード付きの自由を古本屋の開拓か、居心地の良い場所を見つけては文庫本を読む時間へ充てていた、その時はたまたま丸めた諭吉が二名(ふためい)入った掌に収まる大きさのコインケースと身分証しか持たず外界へ出ていた。
 駅前の気持ちが良いほど開けた横断歩道を渡り、向い側の如何わしい個室ビデオ店が入る雑居ビル一階、ファーストフード店に落ち着く。女子高生の集団だろう。勉強が、恋愛がどうとか、ストラップやキーホルダーが付いたカラフルな携帯電話を世話しなく弄りながら(さえず)っている。器用なものだ。
 今思えば考えられない事なのだが当時は携帯電話を持つことを禁じられており、外部との連絡は手紙か公衆電話。時代錯誤も甚だしい。大人たちには何か思惑があったのだろうが、公衆電話は混むわ、手紙は検閲されるわで。我々からすれば本当に良い迷惑だった。彼女と別れ、涙していた者も何人か知っている、現状はもっと居ただろう。同室の者が落ち込んでいるのに自身は彼女が居ない為、嘲ってしまったが、心境を察することがどうして出来なかったのかと後悔の念に駆られている。
 さて、記憶に残っている範疇で説明するが、柵の中に居た我々が外出許可を貰うには基本的に個人の申請か部活の試合や遠征、職員と共に衛門を潜る「引率外出」という形が取られていた。後者は稀で外出申請書は必要無いのだが、前者はニ週間前に曜日ごとに升目の付いた喫食申請簿と併せて申請をする。喫食申請簿は糧食の調整上必要で(つまり余りを出さないため)駐屯地内で食べないという意思表示。つまりは外出したい休日の升目に×、外出をせずにそのまま駐屯地へ残るならば○をつけることとなる。
 喫食申請のミスもさる事ながら、外出申請書に至っては区隊(一般の学校で云う組に相当するもの)によってまちまちだが些細な規律違反や成績不良、連帯責任などで取り上げられ(=外出禁止、通称:外禁)最悪目の前で裂かれる。
 食べ終えゴミを分別し捨てる、ずれて重ねられたトレーを直し、ゴミ箱の上へ置かれていたゴミもついでに捨てようと手を伸ばすと、それを見ていた店員が慌ててこちらへ向かおうとする。手で制し片付ける。店員がお礼を言う、店を出る。帽子を深く被る、鍔の先はストリップ劇場へ向いていた。
 その頃十七、八でも給与を貰い財布に余裕のある我々はパチンコやスロットなどのギャンブルに興じる者も存在していたのは確かだが、ボーリングやカラオケ、買い物と一般的な高校生としての面を持ち合わせてはいた。が、なぜストリップ劇場へ行ったか分からない。そこに好奇心を掻き立てる平屋の、なんとも如何わしい建物に期待感と非日常を求めたからだろうか。
 のぼりが立っている。何と書いてあったかは失念してしまったが、大相撲の会場周辺にある風に靡く背の高い大きなやつだ。私はこれから始まるであろう“全裸場所”に期待で胸を膨らませていた。
 受付で4000円払う、まずカーテンをくぐると待合室のような空間に分厚いブラウン管テレビが一基、申し訳程度の台の上に乗っている。居室に置いてある官品にそっくりだ。放映されているのは競馬だ。競馬だろう。競馬だった。何人かがそれを食い入るように見ている。入ってきた私の方に視線が行く「…」直ぐに視線は戻る。競馬新聞を握り締めた汚れた白血球は、私を異物だとは思わなかったようだ。腕組みをして開演まで待つも中々呼び出しが無い、と思っていたら後から来た客の流れで奥のカーテンが劇場へ繋がっていることを知る。二枚目のカーテンをくぐる。席につく。既に開演している模様、ステージがあってスーパーモデルのshowというか、舞台から一本道ができていてその先の床がゆっくりと回るところで演技をするらしい。
「♪Oh happy day~」
 前の演技者が交尾の終った畜生のように、そそくさと舞台袖に引っ込むと音楽が流れ今度はシスター姿の女が出てくる。劇場側スタッフの起点で起こる拍手。考えを持たない金魚の様な顔の愚図共につられて拍手をする。

 衣服を脱ぎ捨てたと思ったら人間の雌が正常位で求めるのと同じく、座り込む。無論下着など邪魔なものは一切着けてはいない。
 と、見る者に劣情を覚えさせた透き通る肌色の足がステージから離れ飛行機の離陸を髣髴させる緩やかな動作で開脚、絶頂に達したかのようにピンと張る。
 世界で一番卑猥なV。繰り返す、世界で一番卑猥なV。以上連絡を終わる……。
 シスター以外の演技もじっと座って見るが、普段男の裸しか見慣れておらずあまりに日常とかけ離れた冒涜的でアンモラルな事象に私は放心状態であった。感想を言えば、見せ場毎に沸く誘導され作られた拍手がただただシュールで。最後は女優全員が出てきて挨拶から、ファン(耽溺者)の写真撮影(サイン付き)に個別で応じる。何枚も買っている客も居りこれで結構な興行収入になるのだろうか。
 改めて見るにスタイルは最高に良く、ライトで映える滑らかな肌、作り物と見間違うほどの均整の取れた体躯。劇場外ではこのような女性達に出会う事は先ずないだろう、流石プロだと感心させられた。
 細い腕から無粋で角張った黒いポラロイドカメラを手渡され、構えたファンが「じゃあ下をずらしてもらえますか?」「もうちょっと捲って!」などと指示を出す。業務的な会話のやり取りの中にも笑顔で答える演技者は狂気を感じさせられる。
 遠足は帰るまでが遠足の精神に則って、ポラロイドまでが一セットという考え方が妥当なのだろう。しかし一枚千円のそれを得たところでどうにもなる訳でもなく、且つ、もしも居室の貴重品ロッカーが襲撃されたとき班長を納得させられるだけの嘘が思いつかなかったので、私はただただフラッシュに眼をしばしばさせながら頬の内側を噛んでいた。

「先輩、笑顔が素敵です」
「ありがとう」

「お前、あまり喋らなくなったな」
「口は災いの元ですから」

「反省しているのか!『猿でもできる反省』を何故しない?」
「サルは反省をさせられているんですよ」
 
 当時ストリップへ行くまで自己嫌悪と謂うものをあまり覚えたことはなかった。
 ストリップは迷走する私を没気させ、肥大した自我から、不遜な振る舞いをしていた自身を戒め、知力を与えた。ストレス等皆無だと思っていたぼくにとってストリップは差し詰め、エデンの園の『禁断の果実』だったのだ。
 無知無能を見せ付けて大目に見てもらおう、そんな打算的通念は通用せず、ただ信用を失うだけ。我々が存在し、続ける事が出来るのは互いに許容しているからだ。ストリップはぼくに大切なものを教えてくれた。
 そもそもこんな記憶に埋もれた出来事を思い出したのは、何のことはない。
 電話ボックスに貼られていたピンクビラの一枚にhappy dayという店の名前のものがあったからだ。粘着物質に一点を留められ風になびくのを指で摘まみ、引きはがし地面へ投げる。松毬の種子の様にヒラヒラと螺旋を描き緩やかに落ちていった。支えるものも無く一度宙へ放り出されれば後戻りは出来ず、自ら望んだ自由に本当の自由は無い。
 古本屋も文庫本も全て嘘。自身も同じくして7を揃えること、躍起になっていたっけ。正常が故に異常を装う責任逃れの回胴遊戯、箱を積み上げれば積み上げるほど現実をシャットダウン出来ると思っていた。ストリップ劇場へ行ったのも実は、ピカピカ光る楽しい機械の間の地味な機械が、何度も諭吉を「レー」と吐き出し、まるで私自身が拒絶されているような感覚へ見舞われ気が変わったからだ。光に集まる蛾もゴミカスも本質的には変わらない。
「また迷ったら戻ってくるよ、シスター」

服を脱ぐ人

服を脱ぐ人

3382文字

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 成人向け
更新日
登録日
2014-01-18

Copyrighted
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