THE BEATEN DOG
首輪は着けられていたがそこにリードの一本は存在しなかった
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
ぶたれた犬のような怪訝顔をしたお前は、抑揚無いくぐもった声で学生へ挨拶を返す。長らく精神を患っていたお前はこの度、形式だけの理事長面談を経て職場復帰を果たしたばかりである。
三年前、ストレスから来る不眠を機に精神科へ通うようになった。当初「人を殺したい」「死ぬところを見てみたい」等の非道徳的思考で脳が支配されていた。しかし、次第に「死にたい」「殺してくれ」ネガティブな妄想へとシフト。気付けば有って無いような木綿地のT字帯一丁でベッドに拘束されていた。
自らの意志を伝えられ動けるようになった頃、尿道カテーテルが看護師の手により引き抜かれるが、入院中、オムツを取り替えてもらう赤子のような格好で座薬をぶち込まれたり、マゾヒストが喜びそうな一通りの恥辱行為を受けてきたので恥ずかしさは微塵もなかった。自由に動き回ることが許された退院までの数日間は、トイレに立つ度、空気と尿が入り混じった水棒が尿道口から放出され、痛みと切れの悪さに苦しめられたりもした。
中高大とエスカレータ式で進学後、大学院において倫理学を修め二十数年。現在では大学そのものがライフワークであり、お前は教授として母校に席を構えている。物心付いた頃から学問の道を志していた為か、独身貴族で職業柄金にも余裕があるのにもかかわらずセンスは絶望的。平生からくたびれた背広姿のお前は、療養明け半年振りのキャンパスに可能性を感じつつ、職員棟へ歩を運んでいた。
お前は学生が嫌いである。今日日の学生は学力や学習意欲の低下もさることながら、『他人を相手にしたコミュニケーション能力』の欠如が顕著だと憂えている。たとえば大講義場にて自身と学生。一対百の講義を行う場合もある訳で、「教授に見られている」という自覚は熱意の無い学生であればあるほど希薄であろう。室内なのに帽子や上着を取らない者が散見される。講義が続いても終業の鐘が鳴ればそそくさと帰る準備をし、仲間と談笑を始める。一番驚いたのは中途入室をした学生が目の前を横切ることだ、尊重すべき存在を彼らは認識すらしていない、お前は怒りを露わにしていた。
大学を高校時代勉強しなかった自分への救済の場だと勘違いしている輩の多いこと、彼らに送る命題に「親の脛は何味か」と問いたい。神経質な性格のお前だが、これでは精神に変調を来たしても可笑しくは無いのではなかろうか。思えば準教授から昇進したのも三年前だった。
お前は元来、講義の受け持ちが少なくおおよその時間、論策に費やす日々だった為、運転免許証で言うペーパードライバー並に『コウドウ』で上手く奔る自信が無い。それも学生嫌いに拍車を掛ける一因なのだと自らの至らぬ点を認めるが、無理に受け入れようとすれば精神衛生上大変宜しくない。お前は学生と、言い開きをする自身が大嫌いだった。
お前は教授室にて助教及び若い非常勤講師へ労いの言葉をかけ、申し送りを済ませるとコーヒーを飲みながら世間話などをする。
「勉強させていただきました」
最近結婚し、妻が身籠ったという非常勤の若者は、病み上がりの精神的不安が残るお前が、事実上引導を渡すことになる。お前が死ぬか、入院後そのままフェードアウトすれば正規雇用の話もあっただろう。明日にも失業者へと成り代わる講師には申し訳ないが、一人の人間として、守る者こそ居ないが生命を保つ為、職という宝を易々と手放す訳にはいかないのだ。何処の教育機関が好き好んで精神障害者を新たに受け入れてくれようか。知識だけ積み上げた、頭でっかちで陰気なお前にメリットが見出せようか。代わりになる健常者など幾らでも居るこの世界、安寧を得るにはスタートから寄り道無しの継続が定石。この場所こそが全てでありそれ以外は全くの無知なのだから、つまりお前は死ぬまで大学に強くしがみ付く事が正答なのだ。他人の人生に影響を与えようと、法令または規範に適いあくまで合法の範疇に納まるのならば、仕方ないと納得せざるを得ない。社会のルールや権利、規則にお前は守られていた。首の皮一枚で保証されている。
非正規雇用者のような正規の門から入らざる者や、城壁の外で行き倒れた者ならばそうはいかないだろう。それ以上は再び不眠を誘発させる恐れがあるので、お前は思考を停止した。心機一転、講義台に立つ自身の為に。
Y子はミュージシャンでも目指そうかという奇抜なファッションの学生や、日本人として好ましくない毛色の学生と一線を画していた。タオル地のぬいぐるみのように無垢な存在、ただその一言に尽きる。上品な物腰からは旧家のお嬢様がごとく、何の疑問も持たず、全てに恵まれ幸せにここまで来たのだろうと、見るものに好感を与えた。
お前が彼女を見止めたのは、復帰から一ヶ月経ち、身も心も憔悴し切った二月の頃だった。聞いた事も無い長い名前の専門学校を出た三年次からの編入生だそうで、年齢も他者と比べ、一学年分離れており、浮いた存在ではあった。
重ね着したセーターに丈の長いスカートを着こなす、純朴で落ち着きのある彼女は、いつも定位置の、入り口から遠い前列の一番奥でノートに忙しなくペンを走らせては、時折悩ましい表情をしたかと思うと、何か閃いたような顔をする。
彼女が顔を上げる度、茶色がかった猫っ毛のエアリーボブがゆれるのを見て、お前は長くも短くも無い、洗ったままの斑白が無造作に置かれた自分の頭を恥じ、髪を整えるようになった。また、彼女の試験結果は予想に反しあまり芳しいものでは無かったが、提出されたレポートは文学的な言い回しで物事を解釈。是非を正しており知的に感じられる。また他の学生には見られない、読み手を労わる丁寧な文字に固有の優しさが伝わってくる。Y子に好意を抱いていたお前は、ついつい『A』を付けてしまうのだった。
常時彼女に見られているような気がしてならない、身が引き締まる思いだった。否定的で消極的なお前はいつしか、積極且つ肯定的な自信に満ちた人間へと変貌を遂げていた。今までとは人が変わったようなお前の講義に、影響を受けた学生も少なからず居たが、当のお前はY子一人に夢中だった。
充実した時は過ぎ行き、初夏を迎えた。単位数から考え、彼女が出席する最後の講義。その頃にはお前の嫌う学生の形をした魑魅魍魎は大人しくなっており、噂が噂を呼び、聴講生が幾人も来るという程の盛況ぶりだった。終業の鐘が鳴り講義は終わる。
ノートへまだ書き込みをしていた彼女は、人気が少なくなったのに見切りをつけ、荷物をまとめ席を立とうとした。するとそこにお前がゆっくりと歩み寄り言った。
「私の講義でこんなにも熱心にノートを取ってくれたのは君くらいだよ」
「拝見させてくれんかね? ノート」
困惑した表情で彼女は眉をハの字にして「すみません、見苦しい文字なのでお見せする事が出来ません」ごめんなさい。頬を桃色に染め、視線を逸らすように頭を下げた。
見苦しい文字である訳が無いではないか。レポート用紙にもあんなに綺麗に、そう口に出しかけるもお前は短く。
「そうかね」
今まで受講してくれて有難う。手を差し出すと、「社会に出ても大学で学んだことを生かして云々」月並みな言葉で握手を交わす。余計な言葉は何も言わなかった。言わなかったというのは語弊があり、本当は加齢により水分を失った自分の手が、彼女の瑞々しい柔らかな手に触れた瞬間、どうしようもない気持ちになって言葉が出なくなってしまったからだ。
心なしか微笑を浮かべた彼女は、軽く会釈をすると講義場を早足で後にし、あとには太陽光を吸い込んだ衣類にも似た爽やかな香りだけが残った。今頃は講堂の昇降口辺りだろうか、追えばあるいは……お前はその場へ立ち尽くした。頭の中で、正門から帰路につく彼女を見送り終えると、これでいいのだ。自分へ言い聞かせ明かりを落とす。
以後、直接彼女を見たのは卒業式での晴れ着姿。その日だけ真新しい背広で身を包んだお前だが、Y子が意外にも仲間たちと嬉しそうに手を振り合うのを見て、皮膜一枚空間に隔たれたかのような不思議な感覚に見舞われ、遠巻きに眺めるほか無かった。
所詮お前はY子を中心とした“世界”という箱の中の緩衝材の一つに過ぎなかったのだ。
都市銀行に内定が決まっていた彼女は入社早々職を辞め、有名出版社の新人賞を受賞し、作家デビューを飾る。
処女作「ぶたれ犬」は官能小説としては異例の、芥川賞候補となり物議を醸し出した。また出版不況の中、五十万部を見事に売り上げ、後に『THE BEATEN DOG』として英訳された。作中で語られた日本を愛する者誰もが潜在的に持つマゾヒズムが世界へ浸透する足掛かりとなるのだった。
「女学生がケージに飼われた主人公へ自らの排泄物で炊いた米を食べさせ、性的快感に打ち震え自慰に耽る場面にはたまげたなぁ(ゲス顔)」
「私は後書きの『お手』が感慨深かったです。まるで恩師との堅い握手のような。ケージとは何かの暗喩に取れるのですが、どーうでしょうO沢さん?(迫真)」
「喝だ、KATUUUUUUUN!!!(憤怒)」
「えー、続きまして源氏と平氏の深まる対立について(無表情)」
「天晴れだな」
家でワイドショーを見ていたお前はテレビを消し、ラップの巻かれたリモコンを静かに置くと洗面所の鏡の前に立つ。
ぶたれた犬みたいな顔しやがってーー首輪は着けられていたがそこにリードの一本は存在しなかった。
THE BEATEN DOG