愛しのマリン
このお話は小説を書きだして間もない頃でした。エリア3辺りまで書いて、そのまま一年ほど放置してつい最近完成しました。なので、途中から書き方が変わっているかもしれません。
誤字脱字等見つけたら、感想につけたしていただけると幸いです。
プロローグ
旅は目的地が存在するから、旅と言うのだろうか。
目的地がない宛の無い旅というもの存在するなら、旅という定義は一体どこにあるんだろう。
日常範囲から出ることを旅と定義付けるとすると、人は、よく旅をしていることになる。
出張もそう意味では、旅になるのだろう。
毎日出張なんて人はそうそういないから。いるかもしれないが。
ただ、気分的には、何かに乗って、行くのが現代の旅の気がする。
旅支度をする事が旅という説もあるけど。
とにかく、あたしは、旅を何かに乗って日常の生活から抜け出す事を、旅とよんでいる。
何かに乗って……それは基本的にあたしの場合はオートバイだったりする。
あたしは、宛のない旅がすごく好きで、走ってる間が旅だと自分では思っている。宛がないけど、宛がないまま走っていては、旅自体が成り立たない。どこかで戻ってこないと生活できないからだ。
お金持ちで、働かなくて良いのなら、宛のない旅は成立するだろうけど、あたしはお金持ちじゃないし、まあ、仕事をもつほど年齢を重ねてはいないけど、家がお金持ちでは無い事は言うまでも無い。
結局、宛のない旅と自分で命名してるだけで、実は宛があったりするのが殆どだ。お金もそうだけど、時間も無い!
オートバイに乗って、そうやって自分で付けた旅の名を「宛の無いツーリング」と呼んでいる。
もっとも、友達に言わせると単なる「貧乏旅行」とも言われる。
宛の無いツーリングと貧乏旅行は名前こそ違うけど、中身は同じ。でも気分が全く違う!だから、いくら友達が貧乏旅行と言い切っても、あたしはこの旅を宛の無いツーリングと呼ぶ。
エリア1
あたしの愛車は、実は兄貴のお古なのだ。しかも、やたら音がうるさい。この愛車の元の形たるものが、本当はどんな姿だったのか知らない。いや、写真では見たことがあるものの、写真といってもオートバイのカタログでの写真だけど、自分の乗ってる愛車の元の姿は未だかって見たことがない。
多分、もう見ることは無いとも思っている。
16歳で直ぐに免許を取りにいって、親にオートバイを買ってくれとせがんだが、うちは、お金持ちじゃない!とあっさり言われ新車は諦めた。じゃー中古ならとこれまたせがんだが、更に、うちはそんな余分なお金はない!とこれまたあっさり言われてしまった。
見かねた兄貴が少し前まで使っていたオートバイをあたしに、ただでくれたのは良いけど、やたら音がうるさい。
兄貴は夜中に走るには、これがちょうどいいと言うが、あたしは夜中になんか、走りたいわけじゃない。
兄貴の友達に頼んで、もっとまともなオートバイをとあたってもらったが、類は友を呼ぶというか、まともに元の形をしたオートバイをもってる人がいなかった。だから仕方なく、あたしは兄貴のお古を今も乗っている。
もっとも兄貴に言わせると、音が良いそうで、あたしは音もまったく気にしないから普通にと言ったけど、一言で返された「無理!」と。
あたしはこのうるさい音だけのオートバイに、「マリン」と名づけた。マリンは文句をよく言うけど、あたしの文句は聞いてくれない。
当然といえば当然なのだが。
まあ、ともあれ、あたしとマリンは一身同体!
いつもどこに行く時も、マリンと一緒、ただ、マリンは食欲旺盛なのだけは、たまにキズだった。
あたしから言わせると、貧乏じゃないけど、このマリンの食欲旺盛なところがあたしを貧乏にさせていると思っている。
お金がなくて時間がなくて…食欲旺盛なマリンがいて、あたしは毎日ぎりぎりで生活していた。
ここで少し、あたしはあたしの自己紹介をしておく。
あたしは、今年なんとかぎりぎりの現役で大学にすべり込んだ18歳の女子大生。希望してた大学は全ておちて、親に、働け!といわれたのだが、すべり止め、親にいわせるとすべり止めのすべり止めと言うが、まあ、そこになんとか、入り込めた。これで、とりあえずは4年間は、働かなくて済む!だが、世の中はそんなに甘くなかった。
元々、成績優秀ではないあたしは私立の大学に入っている。
うちの親は、決してお金もちではない。あえていうなら、中流にもはいるか微妙な状態。勿論、大学のお金は出してくれる。何とか交渉して、アパートの家賃も払ってくれている。でも、それだけなのだ。
生活費は?と聞くと、やっぱり、働け!と言われた。
仕方ないので、コンビニで働く傍ら、新聞配達もやっている。朝刊を
100軒程度配るくらいだが。オートバイは持ち込んでも良いと書いてあったのでマリンを連れて行くと、ダメです!ときつく言われてしまった。でも、あたし、マリンしかいないんです!と言ったが、それは、音がうるさい、世の中でいう、暴走族が乗る、乗り物ですと言われてしまった。兄貴は確かにそういう感じの集団にはいるが、でも、何の罪もないマリンがまるで悪人のように言われるのは我慢できなかった。でも、背に腹はかえれないと言う言葉通り、新聞屋さんのカブと言う名前のオートバイで、配達せざるを得なかった。カブ……まるで
どこかの魔法使いの弟みたいな名前だった。
こうして、あたしは昼間は学校に行き、夜はコンビニで働いて、朝方、新聞配達をしている生活になってしまった。
寝るのは、学校にいる昼から夕方にかけて寝ている。
つまり、午前中だけはしっかり勉強をして、昼間は寝ているという生活をしている。若いから寝なくても大丈夫とか、新聞屋の人は言うけど、寝なくて大丈夫なわけがない!!
いつか、魔法使いの弟のカブで、電柱に突っ込んでやりたいと考えている。
ともあれ、あたしは、お金がなくて、時間の無い子になってしまった。でも、マリンを養っていかねばならないから、お金が無くても、
時間がなくても、ちゃんとマリンに食事をさせないと、マリンは直ぐに怒る!怒るとあたしの言うことも聞かずに、ストを起こす!
おなかが減ると、マリンは直ぐに動かない。
食事を、与えると現金なもので、甲高い音で歌を歌うように、走り出す。でも、あたしはこのマリンがとても愛しい。
もっとも、友達に言わせると、マリンより、こっちのスクータが似合ってるよというけど、みんなはわかっていない!このマリンの可愛らしさを!マリンの素晴らしさを!
でも音痴で甲高い声で歌うのはだけは、止めてもらいたいけど……。
次の休み、休みは月に3回しかない。つまり10日に1回のペースだ。
その貴重な休みを使って、マリンと一緒にあたしは旅をする。
そう!宛のないツーリングに!
あたしは、このマリンと一緒に全国制覇するのが夢だった。
実家は、九州の大分県で、勿論高校までは大分にいた。そして、大分県の進学は片っぱしから落ちて、今の大阪に落ち着いた。
うちの家に余分なお金がないから、大分で大学に行くのが一番だったが、あたしの頭はまったく良くなったか。だからといって、大分県の大学より大阪が落ちているとはいわないけど、なんとかぎりぎりすべりこめた大学が単に大阪にあっただけだったのだ。
だから、あたしは旅の支度をして、マリンを連れて、ここ、大阪にやって来た。
あたしはマリンとの全国制覇は既に、始まっていた。
大分を出発地点として、福岡、山口、広島、岡山、兵庫、そして今の大阪は制覇済みだった。勿論、単に通過しただけとも言えるが、あたしの宛の無いツーリングは、走ることが目的でどこかに到着することが目的ではないのだ。
次の休みには、マリンと一緒に京都に行く予定にしている。
休みを利用してこの全国制覇を成し遂げようと目論んでいる。
それが、あたしが、大学に入るときに立てた、偉大なる計画なのだった。
宛の無いツーリングで宛があるのはおかしいと、友達は言うけど、宛のない京都にツーリングとあたしは、言ってのけた!
エリア2
今日は大学の午前中の講義も2次限目は、選択科目でとってない授業だったので、久しぶりに、アパートに帰ってからコンビニのバイトまで
布団で寝てやろうと計画していた。
友達は、たまには一緒にお茶でも飲みに行かないといったけど、とにかく、あたしにはお金と時間がない。
1次限目を終え、友達にまたね!と挨拶して、暖かいお布団、まあ今は別に暖かくても困りつつある季節になってきてるけど。つまりはその暖かくなくてもいいくらいのお布団で夕方まで久しぶり寝ようと考えていた。
駐輪所にいって、マリンとご対面!まあ、朝あってるからご対面というほどでもないんだけど。
マリンの口にキーを差し込んで、いざ!!
いざ!!あれ・・・マリンが・・・しゅるるるる・・・と声はいつもと同じように聞こえるけど、もう一回!しゅるるるるる・・・
マリンが!!マリンどうしたの?お願い返事をして!!マリン!-
しゅるるるる・・・ おなかは減っていないはずなんだけどと思ってマリンのおなかをみてみた。今朝、ご飯を食べさせたばっかりでマリンのおなかはさほど減っていない。
マリン!!あたしは、頭の中が真っ白になって、今来た道を泣きながら、教室に戻った。そして、2次限目の真最中に、泣きながらドアをあけて、友達に大きな声で、マリンが!!動かないのよ!!と泣き叫んだ。
マリンが・・・あたしはその場で泣き崩れてしまった。
そう、あたしは単にマリンが動かなくなってしまった事を友達に伝えただけだった。しかし、マリンとは・・・あたしと友達はそれがオートバイと解かっているが、周りの人からみると、マリンという名でだけで判断すると、人か或いはペットの名前のどちらかだと思うのは当然だが、ペットは大学に持ち込み禁止!は当然なわけで、普通で考えれば、人間!という解釈なるのも頷ける。
だから、どうなってしまったのかと言うと、講義をしていた先生は大きな声で「救急車だ!すぐに連絡をしろ!!」と叫ぶと、授業を受けていた、他の生徒は直ぐに、救急車を携帯から電話した。
今の携帯は119と押すと一応救急センターにつながり、状態に応じて、近くの消防署などに連絡がいく。勿論警察も同じで、110と押せばいいのである。
かくして、大騒ぎになった結果、救急車がきて、救急隊員が唖然としたのも頷ける。
だって、あたしのマリンはオートバイなのだから。
みんな一斉に、駐輪場に集まってマリンを探した。
みんなと一緒に、駐輪所に着ていたあたしに向かってみんな一斉に”マリン”はどこ?と聞いたのは当然だった。
あたしは泣きながら、指をさした。そこにはブルーメタリックのオートバイが1台あった。みんなは当然驚いていた!
でも、救急隊員の1人の男性ががマリンをみて、単にオイル切れだと言った。
オイル・・・マリンはもういつもの食事だけでは満足できなかったのだ。あたしはそう思った。
そして、先生と救急隊員と他の生徒からこっぴどく叱られたのはいうまでもない。
友達は、すでにその場にいなかった。
最初からマリンがオートバイと知っていた彼女達は、みんなが一斉に、駐輪場行く時に、別のところに避難?していたみたいだった。
あたしは、その救急隊員にお礼を言い、その救急隊員にドクターというあだ名を付けて尊敬した。
ドクターも同じくオートバイに乗って、よく旅をするらしい。
だから、マリンの様子をみて直ぐにオイル切れとわかったらしい。
ドクターは、携帯番号をあたしに渡してくれて、またマリンの事でなにかおかしいと思ったら、携帯に電話くれる?とドクターは言った。
あたしは、なぜか赤くなって、さらにドクターにお礼を言った。
それからドクターは続けていった。
「マリンの事で救急車を呼ぶのはやめようね!」と……
あたしは、ただ、ただ、彼の言葉に頷いた。
あたしは、結局あったかいお布団で寝る機会を失ってしまった。
近くのガソリンスタンのお兄さんを呼んできて、マリンにオイルという新しい、食事を与えた。この食事は、思ったより高くて、あたしは更に貧乏になってしまった。お兄さんは、たまにはオイルも入れてあげないとダメだよっといって帰って行った。
でも、マリンが元気になってちょっと嬉しかった。
みんな、もう少し、オートバイの知識がないとダメとか言うけど、あたしに、言わせて貰えば、じゃーみんな自分の体の内部のことまでわかっているのか!ってこと。自分の体のことも解からないのに、マリンの体の中身のことまでわかるはずは、ない!とあたしは思っている。
次の日、学校に行くと、友達に怒られた。
勿論、他の生徒達にも嫌な目で見られた事は言うまでも無い。
でも、あたしは、マリンが人間だなんて一言も言ってない!しいていうなら救急車もあたしが呼んだのではない。
マリンが動かなくて、あたしがどれだけ悲しかったか・・・みんな理解してくれない。友達に言わせると、当たり前!だと言った。
この薄情者!とあたしは友達に言いたくなったのをぐっと堪えた。
ともあれ、マリンはまた余計に元気なった。
嬉しいことが1つあった。オイルという新しい食事をマリンにあげてから、マリンの食欲がすこし減った気がする。
高い、食事をあげたのだから、それくらいは我慢してもらわないと、あたしの貧乏はひどくなる一方だ!
でも、マリンの音痴な歌声は一向になくならない。
やっと、待ちに待った、マリンとの宛のない京都のツーリングの日がやってきた。あたしはリュックサックを背負って、朝早く、大阪をでた。大阪に来て初の宛のないツーリングだった。
うれしくてしかたない。マリンはすこぶる機嫌がいいみたいで、音痴な歌をひたすら歌っている。
時折、あたしのマリンを追い抜こうとするスクータがいるけど、マリンの音痴な歌声にすっかりまいって、抜けないでいるみたい。
でも、あたしはこの宛のないツーリングで1つだけ符に落ちないことが1つある。それは、普通ツーリングというのにいくと、よくオートバイ同士で、前からきた人にピースサインを出している。あれは、オートバイを好きな人同士の挨拶だと兄貴から昔聞いた事がある。
あたしも、よくマリンと走ってる最中に、ピースサインをだすけど、
未だ誰一人、ピースサインを返してもらってない。
オートバイが好きな人同士の挨拶なら、あたしは当然マリンを愛してるから、ピースサインを返してもらえるはず・・・
まったくその意味が解からない。ピースサインの出し方が悪いのだろうかとか考えたが、その答えは未だ謎のままになっている。
今度、ドクターに電話して聞いてみようと思っている。
でも、多分、あたしの解釈でいくと、きっとみんなマリンの美しさに見ほれているんではないかと考えている。
きっと、そう!だって、あたしでさえ、マリンの美しさに見ほれてしまう事があるくらいだから。
そして、今日は天気がよく、マリンはもっとも綺麗に見える!
あたしのマリンは今日もご機嫌に、大阪から京都に向かって走りだしている。音痴な歌声と共に!
あたしは暫く走って、気がついた。マリンにおなかいっぱいに食事をあげたけど、あたし自身がなにも食べていないことに!
出発して2時間くらいたってから、初めて気がついた。
京都の手間くらいまできてたけど、あたしは、走ってる道路から見えるコンビニにマリンをとめた。
そして、マリンの横でオレンジジュースとサンドウィッチを食べていた。
数台のオートバイが、あたしのマリンの近くに止まった。
1人の男の人がこっちをみて、
「大分ナンバーの、なんだろう、この元のバイクは・・・」
と一緒にきた友達と話をしている。
もう1人の男の人が、
「このタンクの形からして、バンティッドだろう」と言っている。
バンティッド・・・そういえば、カタログでマリンの元の形をした写真を見た時にそんなことが書いてあったように思えた。
最初に言葉をだした男の人がこっちをむいて、
「このバイクってバンティッド?」と聞いてきた。
あたしは、マリンです!とはっきり聞こえるように、その男の人に言った。男の人は短く「はあ?」と返事をした。
はあ?って、さっきはっきり言ったじゃない!マリンだって!!
「キミ、大分からそのバイクにのってきたの?」
もう1人の男の人がそうきいた。
「はい!マリンはあたしの相棒だから、一緒にきました!」
あたしは、マリンと片時も離れない、離れたくない。マリンと一緒でないとあたしは、あたしじゃないように気がする。
「夜中にはしってきたの?」
「はあ?」こんどはあたしがはあ?という番だった。
「なんで夜中なんですか?」
「だってそのバイクって夜中仕様でしょ?」男性は笑いながらいった。
オートバイに夜中に走る専用のものがあったなんてこの時はじめてしった。「そうなんですか?」と尋ねた。
「キミ、見る格好はツーリングみたいだけど、バイクは改造車で夜中に走る仕様だよ!」と男性は言った。
「あたし、マリンを兄貴にもらったんです。だから、夜中にはしるのかどうかさえわからなくて・・・」
「お兄さんは、夜中によく走ってなかった?」
「はい!兄貴は夜中専属ではしっていました」あたしは答えた。
「そのバイクって暴走族のバイクだよ」その男性は答えた。
「オートバイに暴走族のオートバイってあるんですか?」
「うん、ツーリングのバイクは俺達が乗ってるようなバイクがほとんどだけどね、まあ、そういうバイクに乗ってる人もいないことはないんだけど、稀だよ」笑いながら言った。
あたしは、すこし、むっっとした。マリンを馬鹿にしているんじゃないのかと・・・
「燃費もわるいでしょう?」男性はあたしの気持ちにおかまいなしにさらに聞いた。
確かに、言われるように、マリンは食欲旺盛!おかないっぱいにしてあげても直ぐにおなかが減る。あたしはこのマリンの食欲旺盛のせいで貧乏かもしれない。
あたしは、思い切って、その男性にきいたみた。
「あの・・・マリンの音痴な歌声だけは、聞きづらいのでなんとかならないんでしょうか?」と!
「音痴な歌声?」
「はい!」
「あー集合管の音ね!」と男性は言った。
集合管?なんだそれは!とあたしは思った。
「ノーマルマフラに戻せば直るはずだけど」男性は言った。
ノーマルマフラ???
「なんですか?そのノーマルマフラっていうのは?」
「キミさーもう少しバイクの事しったほうがいいよ!」男性はみんなと同じような事をいった。
そして、「バイクはそれぞれみんな、自分のスタイルに合わせて乗るのが普通だよ。そのバイクは暴走族の夜中に走るバイク、俺達がのっているのがツーリング用だよ。レーサ仕様とかオフロードとか色々あるけど、自分がツーリングというスタイルなら、普通の改造してないバイクが良いと思うけど」と付け加えてくれた。
ふむーあたしは、オートバイがみんな同じだと思っていた。
どうも、男性の話によるとあたしは夜中に乗るオートバイで昼間走っているという感じだった。
夜中のおねーさんが、昼間みたら化粧もしてなくて、太陽がまぶしくてあまり綺麗な顔をしていないのが頭の中に浮かんだ。
あたしはマリンをみて、涙がでそうだった。
「マリン……貴方は夜の女だったのね!」
あたしは、宛てのないツーリングから帰ってきて、そして、マリンの音痴を治してもうらおうと、ドクターに電話した。
ドクターは最初誰か解からなかったみたいだけど、この前大学で大騒ぎになって救急車を呼んだものですと恥ずかしいそうに言うと、あーあ!と驚きながらもあたしとマリンを思い出してくれた。
どうしたの?と聞くドクターにマリンの音痴を治してほしいと伝えた。音痴・・・マフラーだね?とドクターはあたしに聞いたので、ノーマルマフラーってのがあるらしいのでそれにすると歌わなくなるとかならないとと言うと、解かった、友達に聞いて探してみると答えてくれた。あたしは、歌わなくなるマリンは嫌だけど、この甲高い音痴だけはどうにかして欲しかった。
それから、あたしは、コンビニのバイトにいって、朝方、魔法使いの弟のカブに乗って、新聞を配達した。
カブはよく走るし、静かだけど、速くなるためのペダルがたまに上手く押せない。変わってると思ったけど、カブは魔法使いの弟なんだからもっと、上手くできるようにして欲しいと思っていた。
でも、カブも良く見ると、かわいいと思えるようになってきた。
もっともあたしのマリンには勝てないだろうけど……。
エリア3
ドクターは次の日曜日にマフラーが見つかったと言って、電話がかかってきた。でも、ドクターはそのマフラーをマリンに付けることはできないから、少しばっかり費用がかかるけど、構わないかと聞いた。
あたしは、どのくらい?と聞くと、1万くらいでどうにか話を付けるといってくれたので、そのくらいなら何とか出しますと答えた。
それから、暫くマリンを預けてくれないかと聞いたので、どのくらい?とまた同じ事を聞くと2日間くらいでどう?とドクターは聞いた。
解かったとあたしは答えて、日曜日に、ドクターと待ち合わせをして、ドクターにマリンを預けた。
あたしはマリンの顔に頬擦りをして、良い子にしてるんだよとマリンにいって、ドクターにお礼を言った。
音痴が治るんだから、頑張ってね!とも。
マリンのいない生活はとても寂しかった。月曜日に大学にいくと友達はついに、あのマリンと別れたのね?と嬉しそうに言った。
あたしはマリンの音痴を治してもらってるだけと友達に抗議した!
あたしがマリンと別れるなんて事はありえない!
だって、あたしとマリンは一心同体なんだもの!
二日、待ちに待って、マリンが返ってきた。マフラという部分がギンピカに光っていて、前より一段と綺麗になって帰ってきた。
ドクターは、これで集合管の音はしないけど、それでも高回転までひっぱると甲高い音はでるけど、前みたいな音じゃないからと言う説明をつけてくれた。あたしは、なんの意味かさっぱり分からなかったけど、ドクターの言葉にただ、頷いていた。そして、ドクターが帰るときに、めいいっぱいのお礼を言った。
ドクターはまたマリンの事でなにかあったら電話してくれて良いよと言った。あたしは嬉しかった。マリンの事だけではなく、あたし自身が、なぜか嬉しくて、また、顔が少し赤くなっていた気分だった。
あたしはもう、嬉しくて嬉しく、久しぶりにマリンと遊んだ。マリンは確かにドクターがいうように、甲高い音痴の歌を披露することなく、走ってくれた。とても静かな声で。
次の日、大学に行くと、友達はまたマリンをみてがっかりした。そんな友達にめいいっぱい、マリンに変わってあたしは抗議した!
こんなに綺麗になって帰ってきたマリンをみてがっかりするなんて許せない!あたしは本気でそう思った。そして友達の見ている前でマリンに乗って走り出すと、その次の日に友達が、マリン普通になったのね!驚いた様子で、言う。あたしは、ふふん!と言ってなにか、自分の事のように嬉しかった。でも、どうせならシートも普通にしたら?と友人達は言う。シート・・・それくらいは分かる、あたしのお尻のある部分の事だ。あたしのお尻が乗っている部分がシートだという事は、オートバイ音痴のあたしでさえわかるけど、これが普通じゃないの?あたしは友人達を前にして言った。友人達はどこから持ってきたのか分からないけど、オートバイのカタログのようなぶ厚い本を持ってきて、あんたのマリンの本来の姿はこんな形よ!そう言った。その写真は以前、マリンをもらった時にみたカタログの写真と同じだった。それから友人はそのハンドルも元の形に戻したら?とあたしに言う。でも、でも、そこまでしたら、整形してるみたいじゃない!あたしは文句を言うと、元々この形で今の方が整形した方だと友人達は声を揃えて言う。あたしは、腕組みをしてふむ・・・と唸った。
そういえば、宛のない京都のツーリングに行ったときに、そんな事を言われた事を思い出した。
あたしは、またドクターに相談しようと考えていた。
シートとハンドル・・・いくらかかるんだろう・・・あたしはそれでもマリンが綺麗になるなら頑張ろうと思っていた。
綺麗さと愛おしさでは、今のマリンで良いけど、ツーリングと言う事を考えるとやっぱりカタログのマリンであるべきなのかと最近思う。
どんな形になってもあたしのマリンであることは間違いないし……
マリンである事に間違い……ありそう……マリンの言う名前が似合わなくなりそうだと思う……マリンがマリンじゃなくなる。
あたしは不意にそんな気持ちになった。バンティッド……可愛くない!あたしはマリンを見てそんな名前になっちゃ嫌だ!そう言いながら目にいっぱいの涙をためて、マリンを見ていた。
そもそも、友達が聞く。このオートバイをマリンと名前をつけた由来は?と。あたしは、マリンのおなかの部分を指差して、この色が海のイメージだったからと答えた。ブルーメタリックそれがマリンの由来だった。だったら、タンクだけこのままにしておいて、他を元に戻せばいいんじゃないの?友人達は声を揃えてあたしに言った。それもそうだ!あたしは思った。マリンの由来の部分だけを残して、他の部分をツーリングに行く格好にすれば、マリンと言う雰囲気は残る。海のカラーリングだけを残せば十分マリンとして認識できると思えた。あたしは、そのぶ厚いカタログを見ながら、どこがマリンと違うのかを探し出した。
そして解かったのは、シート、前にある風除け、ハンドルを元の形に戻せば、ほとんど見た目がツーリング用になりそうだと思った。
しかし・・・問題は、いったいその手術費がいくらなのかと言う事。
これは、やっぱりドクターに相談してみるのが早いだろうと思った。
あたしは、学校が終わる頃、ドクターに電話した。
「もしもし……」
あたしは恥ずかしそうな声でドクターに電話した。
「はいはい、マリンの事だね?」
ドクターはあたしが名乗る前にマリンの名前を出した。あたしの事より、マリンに惚れたのか……あたしは少し複雑な気分でドクターに
「そうです」
と答えた。
「今度はどんな相談?」
ドクターは少し笑いながらあたしに聞いた。
あたしは、さらに恥ずかしくなりながら、ドクターに
「ハンドルと前の風除けとシートをですね……元の形に戻してほしいんです」
小さな声だったけど、はっきりとドクターにその事を伝えた。ドクターはいよいよ、本格的に、ツーリング用にするんだね。とちょっとだけ嬉しそうに答えてくれたように思う。もっとも電話越しだから、ドクターの表情は見えないけど。
ドクターは言う
「部品あるかどうか探してみないとわからないから少し時間をくれる?」
ドクターに聞かれて、あたしは大きな声で、
「はいっ!」
と返事をした。ドクターは笑いながら、わかった探してみるねと言って電話を切った。あたしはお願いしますと切れた電話にむかって答えていた。
マリンを見て、あたしは、もっと綺麗になろうね。と言って、にっこり微笑んでいた。
ドクターに電話して1週間が過ぎた頃、ようやくドクターからの電話が鳴った。あたしはどきどきしながら電話を取った。
「部品見つかったよ。今度は3箇所の改造するのと部品代込みで3万だけど、いける?」
ドクターはあたしに聞いた。3万……1ヶ月分の生活費だ。あたしは、暫く声が出なかった。その気持ちを察して、「じゃー分割にしてもうらか?」ドクターが聞いたので、あたしは、素直に「3回払いでもいいですか?」すこし恥ずかしかったが、ない袖は振れない。「OK!」ドクターは快くその提案を呑んでくれた。そして、こともあろうか、こんな言葉まで出していた。
「マリンがツーリングできるバイクになったら2人でどこか行こうか?」あたしの心臓はもうドキドキしていて、いつ爆発してもおかしくないくらいだったけど、上擦った声で「は、はいっ!」と叫ぶように返事をしていた。ドクターは電話の向こうでくすくす笑っていたけど、「じゃーどこに行くかまた相談しようね」またしても、その言葉にあたしは「は、はいっ!」と叫んでしまった。
「じゃー明日、マリンをこっちに預けてくれる?取りに行くから宜しくね!」また取りに行く時に電話すると言って電話は切れた。
あたしは、すごく、すごく心臓がドキドキして多分鏡を見たら顔が赤いんじゃないだろうかと思った。思った時に運が良いのか悪いのか、友達が来て、なにを赤くなってるの?と聞く。その言葉にやっぱり赤いんだとあたしは感じた。
次の日、ドクターは夕方あたしがバイトに行く前に電話してきて、今からでいいかな?と聞き、あたしは勿論ですと答えると30分くらいしてドクターがマリンを引き取りにきた。あたしは、よろしくお願いしますという言葉と共に、ドクターにマリンの鍵を渡した。そして、マリンにまた入院だけど、綺麗になって帰って来るんだよ。
そう言って、名残惜しそうにマリンに手を振って、もう一度、ドクターに宜しくお願いしますと頭を下げた。
今度の手術には日数がかかるみたいで、前みたいにさすがに2日とは行かないと言う事を前もってドクターから聞いていた。できるだけ早くするからねというドクターの電話に、あたしはお願いしますとだけ答えた。ドクターの次の電話がなったのはそれからまもなくしてからだった。明日、時間あいてる?ドクターがあたしに聞く。
あたしは空けます!と答えると、明日にマリン返せそうだからと答えた。明日という事はマリンを預けてちょうど1週間だった。もうマリンに会いたくて、会いたくて仕方なかった。
大学にいっても、いつもの元気が沸いてこない。友達達はあたしにたまにはマリンとだけじゃなくて、あたし達ともデートしなさいと言われるまま、3人で昼ごはんを食べに、大学の外にある喫茶店に行った。できるだけ安いものを食べないと、これから毎月1万づつ余計なお金が飛んでいく。でも、少しずつマリンの食欲が収まってるから、すこしだけいつもよりお金は浮いている。その浮いたお金で、あたしは、迷いに迷って、カツカレーを注文した。肉なんてもう3ヶ月ほど口にしていない。値段は780円とちょっと痛かったけど、肉を食べないと活力が出ない!あたしはそう思っている。だからマリンのご飯も大事だけど、マリンを養っていくためには、あたしも栄養のあるものを食べないといけない。値段を見ないように目の前のカツを頬張った。友達が横であたしに言う。すごく、幸せそうな顔してるよと・・・当然だ!肉なんて久しぶりだもの。あたしは女性らしくなくガツガツとカレーをおなかに埋めていった。
みんなが半分も食べ終わらないうちにあたしのカレーが入ったお皿は綺麗に空っぽになっていた。お水をしこたまおなかに流し込み、あたしの笑顔で至福の時間は終了した。幸せだった時間は約3分・・・この3分のためにまた3ヶ月頑張ろう!あたしは心の中で強く思った。友達2人は、ランチセットを頼んでいた。二人とも美味しそうに食べながら、食後の飲み物は?とあたしに聞いた。あたしは首を振ってとんでもない!と答えた。お肉だけで十分満たされている。これ以上の出費は泣ける。もっと、いつかお金持ちになったら、
食後に紅茶あたりがつけばうれしいと思う。なんて小さな夢なんだろうと自分で少し情けなかった。でも、マリンが傍にいてくれるから、やっぱりあたしは頑張れる!2人は、食事が済むと紅茶を頼んだ。来た紅茶は3つ・・・あたしは2人を見た。2人はくすくす笑いながら、マリンの手術のお見舞いとして今日のお昼はあたし達がご馳走してあげるよ。紅茶もつけてねと言った。あたしは、嬉しくて本当に涙を流しながら友人達に感謝した。ありがと、ありがとうと。友達2人は大袈裟なんだよ。笑いながらあたしに言う。でも、本当に今、お金があまりないからこの友情をあたしは生涯わすれないと誓った。
エリア4
友人の一人、中野真央ちゃんは、同じ大分県出身、勿論、この大学で知り合った。高校からの友達は今の大学には全くいなかった。
そしてその真央ちゃんは、いまあたしの横で少しうつむきながら思わぬ質問をしていた。
「ねえ?マリンを治してくれてる人って名前はなに?」
――名前……
あたしは首を少し傾けて考えた。
「ま、まさか……知らないの!?」
「ドクターって呼んでるけど……」
「それは、あんたが勝手につけたあだ名でしょう!」
確かに、ドクターと勝手につけて呼んでいるんだけど、それ以外の名前がどうも思い浮かばない。
「な、名前は知らないけど、携帯番号は知っている!」
少しだけ、あたしは胸を張って言った。
教えて欲しいと言う真央ちゃんの言葉の真意がまだ掴めていない。
「真央ちゃんも、オートバイ好きだったの?」
真央ちゃんは、黙ったまま首を横に振った。オートバイが好きではないのに、一体なんで電話番号なんて聞きたいのか、あたしはまたしても首を傾げた。
「鈍いわねっ!」
そこまで言われても、あたしはまだ解っていない。
真央ちゃんは、言い訳のような言葉をだす。
「マ、マリンの事を友達としてお礼が言いたいの……」
あんなに反対していたマリンのお礼を?真央ちゃんが言いたい?またしてもあたしは首を傾げた。
真央ちゃんの横に座ったもう一人の友人、柴田佳代ちゃんもこれまた大分県出身、あたし達は出身が同じということで大学ですぐに友達になれた。もっとも、真央ちゃんと佳代ちゃんはいつも一緒にいるのに比べて、あたしはバイトとマリンの世話で、二人と一緒にいる時間は少ない。
その佳代ちゃんが思わぬ発言をした。
「真央は、そのドクターが好きなの!」
一体、いつドクターと会ったんだろうと思った。あの騒ぎの時も既に避難していて見てないはずなんだけど……。
と、その時にあたしの携帯はなった。
「はいっ!もしもし……」
相手は、ドクターだった。明日、夕方にマリンを取りに来てほしいという連絡だった。
すかさず、真央ちゃんは自分も一緒にその場所に行きたいと言い出して、あたしは一応、ドクターの許可を取った。
「バイク好きな子なら歓迎さ!」
それから、あたしはまたしても左手に持った携帯におじぎをしている。
明日の夕方、マリンを迎えに行く。真央ちゃんも一緒に!
次の日の夕方、あたしと真央ちゃんは、あたし達の大学とあたしのアパートのちょうど中間地点付近にある、ドクターの指定した場所に向かって歩き出した。
「無理言ってごめんね」
真央ちゃんはあたしに言った。あたしは首を横に振って、この前の恩返し!といった。
真央ちゃんは、はっきり言って可愛い。あたしは……背は低いし、マリンにまたがるとつま先でかろうじて立てるほどの足の長さしかない。見た目、良く間違えられるのは中学生の男の子。
所謂、童顔と言うべきなのか、女らしくないと言うべきなのだろうか。並んで歩くと、大学のお姉さんと一緒に歩いている弟と言う風に見えるみたい……。
ドクターはと言うと、はっきりわからないけど身長は高い。筋肉質の若いかっこいいお兄さんと言った感じ。笑顔が凄く素敵な人だと思う。
大学を出て、電車の乗って二つ目の駅を降りてから暫く歩く。地図を片手に持って。
確か……この辺り。あたしはきょろきょろしていると、突然オートバイの音が聞こえた。音が聞こえた方向をみると、店の前に何台のオートバイが並んでいるところがあった。
あたしと真央ちゃんは、その店に向かって歩を進める。ずらっと並んだオートバイのちょうど真ん中あたりに店の中に続く通り道があった。中に入ると、ドクターがいた!
「こんにちは!」
ドクターは真っ白な大きなオートバイに跨り、こっちを見ると笑顔になって言った。
「いらっしゃい!待ってたよ」
あたしは、ポケットから一万円の入った封筒を取り出して言った。
「これ、今月分です」
ドクターはそれを受け取ると、店の奥で、ブルーのつなぎを着た人を呼んで、お金を渡した。
「確かに!」
そのブルーのつなぎを着た人もあたし達を笑顔で迎えてくれたように思えた。そして、親指を立てて、くいっくいっっと指さす。
一段と綺麗になったマリンがそこにいた!
あたしは嬉しくなって、マリンのおなかに頬ずりをした。
「マリン、迎えにきたよ!」
その傍で、おずおずと入ってきた真央ちゃんが、ドクターに聞いた。
「あの……名前なんですか?」
「あっ、隼です」
あたしは振り返り、隼君をまじまじと見た。
「マリン、隼君だよ。かっこいいねっ!」
真央ちゃんは、あたしの言葉など耳に入っていない様子で言った。
「あたし……中野真央と言います」
「へっ?」
あたしと、ドクターと店の人は一斉にその言葉をだした。
そして何かを思いだしたようにドクターは続けた。
「あ、あ……俺の名前?」
「えっ?」
今度は真央ちゃんが首を傾げる番だった。
「隼はこいつね」
オートバイから降りた、ドクターは乗っていたバイクを指さして言った。
真央ちゃんの目が点になり、隼君をまじまじと見つめていた。
ドクターは、暫く考えて答えた。
「俺、中島広樹って言います。真央ちゃんはバイクなにか乗ってるの?」
真央ちゃんは、黙って首を横に振った。
そんな気配を察して、店の人は肘で、ドクターをつついた。
ドクターもそれに気づいて、なにやらわけがわからない沈黙が発生した。
あたしは、そんな雰囲気に気づかずに、綺麗になったマリンをただ、ただ見つめていた。
あたしは、お店の人とドクターにお礼をしこたま言って、マリンを外に連れ出してもらって、マリンの口にキーを差し込んでエンジンをかけた。マリンの言葉が聞こえてくるように、あたしはまたしても、マリンを抱きしめて頬ずりした。
ドクターも凄く嬉しそうに微笑んで、あたしとマリンを見ている。
そして何かを思いだしたように聞いた。
「そう言えば……俺、あんたの名前しらないやっ!」
「マジかよ!!」
店の人は、ドクターに言った。ドクターはゆっくりと頷いた。
「あたし、山川久美って言います。マリンを治してくれてありがとうございました!」
マリンの事に話が飛ぶと、真央ちゃんは蚊帳の外って感じで黙って、ドクターを見ている。
「真央ちゃん、あたし帰るけどどうする?」
「あたし、もう少しここにいる」
それを聞いて少し安心した。だってあたしはまだ後ろに誰かを乗せて運転した事がない!
まして、ハンドルが前のと比べて位置が低くなっている。前の風よけもない。シートの座り心地はよくわからないけど、足はかろうじて、つま先が地面につく程度なのは同じだった。
そんな状態で、真央ちゃんを後ろに乗せる勇気などあたしにはない!
つま先立ちしているあたしを見て、ドクターも隼君を店の中から出してきた。
「途中まで送ろうか?」
あたしは、真央ちゃんがここにいる理由を知っているからそれを丁重にお断りした。
「そういえば、ツーリング何処にする?」
そう聞かれて、あたしはつま先でたったままちらっと真央ちゃんの方を見る。真央ちゃんの視線は、ドクターの方向をしっかり捉えている。
「また、今度電話していいですか?」
「勿論!」
ドクターはあたしに言って、あたしはもう一度、お店の人とドクターにぺこっと頭を下げると、ヘルメットをかぶってマリンをスタートさせた。
ドクターと真央ちゃんの事が気にならないのかと言えば、気になるが、今はマリンと一緒に走る事の方があたしには興味がある。
以前のマリンと比べてハンドル位置が下がっているから、最初はゆっくりなれるように運転するようにと、店の人とドクターが言っていた。
◇◆
あたしはめいいっぱい働いた。マリンの手術費を稼ぐために。
コンビニのバイトはそのままで、朝の新聞配達をもう五十件程増やしてもらった。
カブも張り切って、動いてくれる。カブは一体いつご飯を食べているのか……勿論、あたしはカブにご飯などやったことがない。カブはマリンと違って、怒ってストを起こすこともないし、ただ黙って黙々と走る。さすがは魔法使いの弟だと最近つくづく感心している。
そして、働いた分、これまた良く寝る子になりつつあった。昼までの授業を受けて、昼ご飯を食べた頃には瞼がかなり重くなり、大学のキャンバスの木陰の下にあるベンチは最近、あたしのお昼寝場所となりつつあった。
あれから真央ちゃんとはあまり会っていない。勿論、同じ選択科目では顔を合わせるけど、どうもドクターとうまく行ってない気がしないでもない。佳代ちゃんもその事について何も話さないし、あたしも敢えてその事に触れないようにしている。
あたしは、とにかく最近、休みを取らずに働く。次の日曜日は、新しくなったマリンと、今度は滋賀県の琵琶湖を見に行く予定。宛てのないツーリングは、徐々に宛てがあるツーリングに変わっていく。マリンと一緒ならどこにいても楽しい!
それから、また一月が経って、あたしはマリンの手術費を払いに、あの店に行く。
少しだけ、真央ちゃんの事が聞けたらいいなーと思っている。やはり友達だし、どうなったのかは気になる。
真央ちゃんは可愛いし、ドクターはかっこいい。だったら、多分二人は少しばっかり喧嘩して、真央ちゃんが元気がないんだと思っている。
実は、一か月前のマリンを迎えに来た日から、あたしはドクターに電話はしていない。真央ちゃんに悪いと思ったからだ。
ドクターには申し訳ないけど、あたしはマリンがいればそれで良い。だから次の日曜日はマリンと久しぶりのツーリングに燃えてる。
一か月前と違って今度はマリンを連れてあの店に行った。マリンの口からキーを抜くと、あたしは静かに、店の中に入って行った。
エリア5
「こんにちは!」
あたしは店の入り口から、奥に向かって大きな声で挨拶をする。奥から、ドクターが出てきた。
「久しぶり!」
その笑顔は一か月前に見たのと同じだった。
「はい、これ今月分です」
あたしが渡した封筒を受け取ると、店員さんを呼ばずにその封筒をポケットにしまいこんだ。
「ねえ?」
「はいっ?」
「俺を避けてない?」
あたしは、その言葉を言われて少しどきっとした。実は、そう真央ちゃんの事があってあたしはドクターに連絡を取らないようにしていたし、ドクターに見つからないように、マリンの置き場所も変えていた。
「気のせいじゃないですか?それより真央ちゃん最近元気ないですよ!喧嘩でもしたんですか?」
「なんで、喧嘩なんかするの?つきあってもないのに」
あたしはその言葉を聞いて、驚いた。絶対に二人は付き合っているんだと思っていたからだ。
あたしが驚いた事に、ドクターも驚いている様子だった。
「さては、俺と真央ちゃんが付き合っていると思って、俺を避けたんだな?」
あたしは大きく頷いた。友達の彼と個人的に会うのは、いくらマリンを治してくれたからと言って真央ちゃんに悪い。
あたしが頷いた事に少し、笑いドクターの次に言った言葉にあたしはさらなる驚きを見せた。
「悪いけど、真央ちゃんとは付き合えないし、本人にもそう言った」
「ま、まじで!?」
つまりは、真央ちゃんはドクターに失恋していた訳で、だから元気がなかったんだと解った。
あたしの驚きの言葉にドクターは、あたしを真似て大きく頷いた。
「で?来週の日曜日なんて晴れたらツーリングにいかない?」
来週は、マリンと二人で琵琶湖に行く予定にしている。
「来週は用事があります。マリンと二人で琵琶湖に行くんです!」
あたしがそう言ってのけたら、ドクターは言った。
「だったら一緒に行こうよ!」
「でも……」
そう、あたしは真央ちゃんの事が引っかかっている。そんな気持ちに気付いたのか、ドクターは静かな口調であたしに言った。
「真央ちゃんをなぜ、断ったのかを知りたいのかな?」
真央ちゃんとドクターって絵になるかならないかは解らないけど、お似合いのカップルだと思っていた。
もし、あたしが男なら、絶対に真央ちゃんみたいな女の子を彼女にしたい。それを……断ったなんて!
「真央ちゃんが、バイク好きじゃないからさ!」
「はぁ?」
つまりは、ドクターは今までに何人かの女の子と付き合ったらしく、その女の子達は、みんなオートバイには興味がなくて、付き合って暫くすると必ず言うのが”あたしとバイクのどっちが大切なの?”と聞かれると……。
あたしにもし、彼がいてマリンと俺とどっちが大切だ?と聞かれたらあたしは即答で答えるだろう。マリンにきまってるじゃない!と。
それと同じ気持ちなのかもしれないとあたしは解釈した。
「だからさ!今度の日曜日、琵琶湖に一緒に行こう!」
あたしはその言葉にただ、ただ頷いていた。
そして、あたしはドクターに聞いた。
「ドクターって名前なんて言うんですか?」
「ドクター?」
「はいっ!マリンを治してくれるから、あたしがつけたあだ名です」
ドクターは、おかなを抱えて笑いだした。
「ドクター…あははは……」
しゃがみ込んでおかなをかかえて、ドクターは更に笑っている。
暫く笑うと立ち上がってあたしに言った。
「名前は、この前真央ちゃんが聞いた時に、答えたの聞いてなかったんだね?中島広樹だけど、なんならドクターって呼んでもいいよ」
もう、今更中島さんなんて呼べないし、下の名前でも呼べない。だからあたしは、ドクターをドクターと呼び続ける事にした。
その時、お互いの簡単な自己紹介をした。初めて知り合ってからかなりの時間が経っているのに、何も知らなかった。
ドクターは、地元の大学を出て、今は救急隊員として働いているらしい。年齢は、あたしより六歳上の二十四歳。休みの日になると、この店でバイクのメンテナンスや、晴れたら一人でツーリングに行くオートバイ好き。乗っているのも、給料とボーナスをつぎ込んで買った、スズキの隼1300ccだそうだ。
あたしは、1300ccと聞いて驚いた。750が一番大きなオートバイだと思っていたからだ。
あたしのマリンは、スズキの250ccだから、その大きさは歴然だと思うが、体の大きさは少し大きくなったくらいにしか見えない。
オートバイの前を囲んでいる風よけみたいなものに”隼”と言う文字が似合う。マリンにも、おなかにマリンと書いてみようかと思っている。マリンは嫌がるかな?自分がおなかに書かれる事を想像すると嫌だなと思えた。でも、どこかにマリンという名前を書いてみたいと思った。
そして、前から思っていた疑問が最近、なぜだか解ってきた。
つまりは、オートバイ好きの仲間同士がやる、あのピースサインだ。
最近は、自分からしなくても他県ナンバーの人達にたまにピースサインをもらう事がある。
つまりは、マリンの外見に問題があったんだと今更に気付いた。
ツーリングに行くオートバイは今のマリンのような形なんだと気づかされた。
――そしてあたしはもう一つ大きな事に気付いた!
◇◆
次の日曜日、天気は快晴だった。朝から、すずめのちゅんちゅんと言う声に目覚め、あたしはアパートのお布団の上で背伸びをした。
お布団で寝るのも久しぶりだった。毎日が忙し過ぎてほとんど、大学のベンチで寝ている。
このアパートに帰ってきてまともに寝るのは、月に三回程度だ。
真央ちゃんや、佳代ちゃんは、よくそれで体がもつよね!と以前言っていた事がある。
アパートの家賃は、うちの親が払ってくれているけど、その役目はほとんどない。ただ、帰る場所があるというのは、なぜか安心出来る。
アパートはあたしとマリンの帰る場所であって、マリンが雨に濡れないように、マリンを守る場所でもある。
駐輪所にマリンを置いてはいない。夜中にいたずらする人がいるかもしれないし、誘拐されるかも知れないから、あたしは玄関の所にある台所の畳を剥いで、マリンをそこに上げている。
そんな、朝にドクターは事もあろうか、あたしのアパートまで迎えに来てくれた。勿論、隼君と共に!
「おはよう!」
ドアをあけていきなりの挨拶。
一応、あたしもレディーなんだが……でも、あたしは時間のない子だからパジャマなんて面倒なものは身につけていない。
いつもの事だけど、すぐに家を出れる格好で寝ている。だからと言って、ドクターを見ると満面の笑みをうかべているじゃないか!
「おはよう……ございます」
あたしは、目をこすりながらも朝の挨拶をしてみる。
「今日は天気も良いし、俺の隼もすこぶる機嫌が良い!」
台所にあるマリンを見ても、不思議そうな顔をしないドクター。
真央ちゃんや佳代ちゃんは見た瞬間に驚いていたけど。いくら愛しいと言えど、オートバイを家の中に入れる?と聞いたもんだ!なのにドクターはそれを目の前にしても驚いていない。
あたしは、すぐに出れる格好はしていても、流石に靴下を履いては寝ない。ごそごそと靴下を取り出すと、ドクターの見ている前でそれを履いて、顔を洗ってくると言っては洗面所に行き、歯を磨き顔を洗う。ごしごしとタオルで顔を拭くと、台所でドクターはマリンを眺めている。
だから、あたしもなぜか微笑む。あたしの相棒、マリン。それを治してくれるドクター。中々良い関係だとあたしはぼーっと見ていた。勿論、例に洩れずあたしは低血圧。だから、毎朝の出来事は殆ど覚えていない。でも、今日は低血圧もなんのその!あるいは、今日だけ高血圧になったのかもしれないくらいに、多分、あたしの頬は赤いだろうと思う。そして何気に洗面所に戻って鏡をみるとやはり赤い……。
いつものウェストバッグを腰に装備するとあたしの着替えは終了!
「準備OK!です」
ドクターはその言葉を聞くと、ポケットから缶コーヒーを取り出すと、一本をあたしに投げた。あたしはそれを左手で受け取って、プルタブを引く。ドクターも同じようにそれを引いてコーヒーを飲んだ。あたしはドクターの傍、つまりはマリンの横に行って座る。
「ごちそうさま!」
「さて、行こうか!マリンにも太陽の光浴びさせてあげなきゃね!」
ドクターもコーヒーを飲みほして、二人で台所の流しの所に缶を置く。マリンを押して、部屋を出ると、そこにはピカピカに光った隼君がマリンを待ち構えているように堂々といた。
「隼君、おはよう!」
あたしは、隼君にも朝の挨拶をする。マリンの口にキーを差し込むと、シュルルルルと言う音と共にバッババゥババッゥとマリンも朝の挨拶をした。マリンもすこぶる機嫌が好さそうだ。玄関のカギを閉めて、あたしはマリンに乗る。ドクターも続けて隼君に乗り、二人は間もなくそこから、出発した。
あたしは、マリンと知り合って初めて、本当のツーリングに行く気がする。宛てのないツーリングがしっかり宛てがあり、そして目的が存在してしまった。
ただ、行くだけのツーリングが楽しむツーリングに変わりつつある。
大阪を北上して名阪自動車道に乗る。あたしは高速道路に乗るのはこれが二回目だった。大分からここ、大阪に来る時に少しだけ乗った。名阪に乗ると、二人は時速を八十キロに合わせてゆっくりしたペースで、滋賀県は大津に向かって走る。
あたし達を追い抜く車はいても、あたし達に抜かれる車はいない。
ドクターは、きっともっと早いペースで普段は走ってると思われたが、あたしはこの八十キロが精いっぱいだった。
隼君が横に並び、ドクターはヘルメットのシールドをあげて、あたしににっこり微笑む。そしてうんうんと頷いていた。
無理しなくていいからねとそう言ってくれてる気がする。マリンも風を切って走れて気持ちよさそうだった。
いく台のバイクがあたし達の横を通り過ぎ、その度にみんな振り返ってピースサインをくれる。あたしもドクターもそれを返す。
途中、パーキングエリアで休憩をする。ドクターはあたしをサポートしてくれて、降りるまでつま先でたっているあたしの横でマリンを支えてくれる。
ヘルメットを脱ぐと、心地よい風が顔いっぱいに浴びる。空を見上げると、うっすらと雲が見える程度で、まだ都会の中にいる高速道路ではスモッグがかかっている。
ベンチに腰かけ、休憩しているとドクターが缶コーヒーを買ってくれた。
ドクターの格好を良く見ると、上から下までつなぎで統一されて、隼君のカラーに合わせた手袋とブーツとヘルメット。
正直にかっこいいと思わせるスタイル。あたしはと言うと、スニーカーにジーンズ、腰にはウェストバッグをつけている程度。でも、格好なんてどうでも良い。天気の良い日にマリンと一緒だし、なんといってもドクターと隼君も一緒だ!
パーキングエリアは結構混んでいた。県外ナンバーのオートバイがいく台も止まり、中には数十台のチームらしきものまである。
まあ、県外ナンバーで言えば、あたしも県外ナンバーなんだけど。ドクターは勿論、大阪ナンバーだ。
「うれしそうな顔してるな!」
「だって、こんなに良い天気で、ドクターも一緒だし、マリンも隼君と一緒で嬉しそうだしね」
ドクターはウェストバッグからデジカメを取り出し、写真を撮ろうと言いだした。
そう言えば、あたしはいつもマリンと一緒だから、マリンと一緒に写った写真がない。
近くを歩いている、やはりツーリングしている一人の女性にドクターは声をかけて、四人での写真を撮ってもらった。あたしから言わせると、マリンも隼君も人間扱いなのだ。
写真を写してもらい、それを確認してからドクターは、この後のコースについて簡単な説明をしだした。
京都までは、このまま名阪を乗り継いで、そこから下の国道を通り、京都を通って、滋賀県に入るコースを決めていた。
あたしも、一応なりに地図は見ているが、ドクターの決めたコースで良いと思った。
それから、あたしはマリンとドクターと隼君と琵琶湖につき、マリンと隼君を二人っきりにして、琵琶湖の遊覧船に乗ったり、お昼を食べたりとまるで、デートしてるようにその一日をめいいっぱい楽しんだ。
また、明日から時間とお金のない子に戻る。
このツーリングで凄い発見をした。マリンの食欲がすこぶる減ったのだ。
ドクターは言った。
「長距離を一定の速度で走ると燃費はよくなるんだよ!」と。
またひとつ、マリンの事が解ってあたしは嬉しかった。
エリア6
ツーリングから帰ってきて、五日が経った午前中。もう少しでお昼の時間だと思い、授業が終わりあたしは鞄に筆記用具を直している時に、後ろから声をかけられた。
佳代ちゃんだった。
「お久しぶり!」
あたしも、久しぶりに佳代ちゃんを見た気がして、笑顔で挨拶を返す。
「ちょっと、時間ある?」
佳代ちゃんは、あたしに言って来た。
「お昼、一緒にどう?」
毎月の支払は後、一回を残すだけだし、マリンの食欲が減ってあたしの財布の中身に珍しく一万円札が入っている。
この前、お金がない時にお昼を御馳走になったし、あたしは佳代ちゃんにお昼を奢る覚悟を決めた。
借りは返さねばならない!勿論、真央ちゃんにもだ。ただ、その時は、真央ちゃんが傍にいない事に気付いた。あたしの首は右に三十度ほど傾いて聞いた。
「真央ちゃんは?」
「その事なんだけど……」
その事ってどの事?あたしの頭の中には、はてなマークが並んでいる。あたしのきょとんとした顔を見て、佳代ちゃんは笑った。
「相変わらずねっ!久美のそんなところ可愛いよ」
思わず赤面するような言葉を佳代ちゃんは言ってのけた。
まあ、男性に言われた事はない!この方生まれて一度も。子供の頃はあるかもしれないが、それはきっとお世辞だと思っている。
「とりあえず、立ち話もなんだし……この前のお返しに今日は奢るよ!マリンの食欲も減ったしね」
「その事も含めてなんだけどね……」
その事も含めて?あたしの頭の中のはてなマークが増殖していくのがはっきりわかる。あたしの首は右三十度から六十度位までさがって顎に指を宛てて考える。
でも、考えても考えても佳代ちゃんの言いたい事が解らない。
「とりあえず、行きましょう!」
あたしは慌てて鞄を持つと、佳代ちゃんの後について教室を出た。
佳代ちゃんの話がなんであるのか、全く解らないし、真央ちゃんがいない事も気がかりだった。
あたし達は、前に来た喫茶店に入り、佳代ちゃんはお昼のランチを注文して、あたしはまたしてもカツカレーを注文した。三か月を待たずに、カツカレーが目の前に置かれるとは……。友達の助言に感謝しきれない。
喫茶店に入るまでに、最近の近況報告など済ませた。
アツアツのカツカレーを頬張ろうとした時に佳代ちゃんは言った。
「真央の事なんだけどね……あれから塞ぎ込んでいて」
佳代ちゃんは変な所で言葉を切った。塞ぎ込んでいて?お見舞いに来てほしいのかな?と思った。その考え方は半分当たりで、半分外れだった。
アツアツのカツカレーに目線をずらしていると、佳代ちゃんがあたしの方をじっと見ている事に気づく。
「佳代ちゃんもカツカレー食べたいの?」
佳代ちゃんはくすっと笑って首を振る。
「本当に、久美って色気より食い気だね!」
あたしは、カツカレーを目の前にして、佳代ちゃんの言葉に大きく頷く。
「食べながら聞いて」
あたしは、スプーンを持つと、カツを頬張った。この前真央ちゃんに言われた言葉を今度は佳代ちゃんが言った。
「凄く、幸せな顔してるよ……」
当たり前だ!肉なんてそうそう口に出来ない。毎日、コンビニのお弁当を食べている。しかも、賞味期限が切れたものばかり……。
マリンには新鮮なご飯を食べさせる傍ら、あたしは毎日コンビニの賞味期限切れのお弁当なのだ。アツアツのカツなんてものは、この前食べたカツカレーを最後に食べていない!
「それで、話って一体なに?」
思いだしたように佳代ちゃんは言った。
「言いにくいんだけど、広樹さんと真央がうまく行くように手を貸してくれない?」
「広樹さんって誰?」
あたしの頭の中に広樹、ひろき…ヒ・ロ・キと出てくるがそれが誰なのかさっぱり解らない。
「ドクターって言わないと解らない?」
佳代ちゃんはまたしても笑いながら言った。
それを聞いて、あ、はいはい、ドクターってそんな名前だったと気づく。
「真央、広樹さん……ドクターに本気みたいなの」
あたしは、この前ドクターがなぜ真央ちゃんと付き合わないかを佳代ちゃんに話してあげた。
佳代ちゃんはその話を聞いて、なるほどと頷いた。確かに、もし自分がドクターに恋をしてもきっと同じ事を言うだろうと……必ずぶちあたる壁というか障害みたいなものだろうと、佳代ちゃんはため息まじりに言った。
「真央ちゃんがオートバイ好きになれば、自然とうまく行くと思うよ」
あたしは自分の意見と、ドクターが好きな子のタイプを教えてあげた。まだ、あたしは自分の気持ちに気づいていない。嫌、本当は気づいているのだ。あたしもドクターを好きだと言うことに。
でも、ライバルが真央ちゃんならあたしに勝ち目はない!オートバイが好きって言うより、あたしはマリンが好きなんだ!
勿論、マリンがオートバイである事に違いはないわけだけど、他のどんなオートバイでも好きかと聞かれたら、それは”NO”だと思う。
ただ、自分の愛車を大事にする気持ちだけは理解できる。だってあたしもマリンに惚れまくっているのだから。
しかし、佳代ちゃんは少し困った顔をしている。
「簡単に言うけど、真央は久美より更にバイクの事なんて知らないわよ!」
あたしはその言葉に胸を張って答えた。真央ちゃんよりあたしの方が知識があるわけないと!ただ、単にマリンがいるだけなのだ。
知識は共にない!だって、他のオートバイを見てもどこのメーカーなのかさっぱり解らない。更に付け加えるなら、どこのメーカーだか教えてもらってもさっぱり解らない!!
自慢する事か!と佳代ちゃんは大笑いしたけど、あたしは自信満々に答えていた。
朝、新聞配達をしている時に乗っている、魔法使いの弟カブでさえどこのメーカーなのか、果たして国産なのか外車なのかも解っていない。ただ、昔、懐メロの番組で見たカブは、日本語を話していたから、多分日本人なんだろうと解釈している。
あたしは、佳代ちゃんの言葉に考えて、考えた。そして出た言葉は自分でも考えていない案だった。
「じゃー一緒に、オートバイの勉強を始めましょう!」
「あたしも協力するねっ!」
佳代ちゃんも協力を惜しまないと誓った。
これは……ドクターに相談してみないと……あたしは不意にそんな考え方が浮かんだ。
その夜、あたしはドクターに電話をした。あたしは、とても単純。
良いように言えば純粋、悪く言えば馬鹿なのだ。
あたしのこの時の行動は後者に匹敵する。でも、あたしはこの時、後で起こる事態に全く気付いていなかった。
「もしもし……」
あたしは、今までマリンの事で電話はした事があってもそれ以外の用事では電話した事がなかった。
ドクターはすぐにあたしの声に気づいて聞いた。
「久美ちゃん、今度はマリンの何処を治すの?」
いきなり名前で呼ばれてあたしは焦った。焦って多分顔が赤い気がしたが、一々鏡を見るのも面倒なので、多分赤いだろうと想像した。
「えっと……マリンを治すのではなくて、もっと……オートバイの事を知りたくて…ですね」
あたしは、しどろもどろで言葉を繋いだ。
「知ってどうするの?今まで解らないままだったのに、いきなりどうしたの?」
マリンをもっと理解したくて…とあたしは何か言い訳じみた言葉をその時だしていた。
ほんの少し前まで、友達に言われても自分の体の事が解らないのにマリンの体の事など解らなくて当然と言ってのけたあたしが……。
はっきり言ってあたしはメカ音痴。加えて元々勉強は苦手。大学の勉強でさえ手に負えないのに、これ以上の知識はあたしには無理だと思う反面、マリンの事と思えば覚えられるかもしれないと考えた。
真央ちゃんの事も、佳代ちゃんも大事な友達だ。友達が困っている時は助け合うのだ!と兄貴に教えられた事がある。
友達が困っていて、なおかつその知識が自分にないのなら、すんなり諦める事だが、マリンが一枚噛んでいるなら話は別だ。
無い知識を共に手に入れよう!とあたしはこの時別の解釈に頭が飛んでいた。
ドクターはふむ…と言う短い返事を出して、あたしに言った。
「解った!なら、俺が直接、初歩から教えるから日曜日の午後にあの店に来れる?」
あたしは、携帯を握りしめてただ、ただ頷いていた。
日曜日の午後、あたしはコンビニの店長に頼んで、勉強があるのでこれから日曜の午後だけはお休み下さいと頼んだ。
コンビニは、日曜日はバイトがたくさんいるので、店長は快くその願いを聞き入れてくれた。
あたしは、コンビニから直接店に行く事を佳代ちゃんに伝え、佳代ちゃんと真央ちゃんは一緒に電車で来る事になった。
店の前でなくて、一応はその手前、正確には五十メートル手前に小さなスーパーがあったのでそこの駐車場で待ち合わせをする。
真央ちゃんの意見のようで、この前はっきりと断られて自分達が先に行くと嫌な顔をされるのを避けたいとの事だった。
あたしは、真央ちゃんにドクターがそんな顔しないと思うと伝えたけど、真央ちゃんは彼に嫌われたくない!と強く言った。
予定の時間にあたしは、真央ちゃんの指定する駐車場に行った。佳代ちゃんが手を振りながらあたしを待っていてくれた。真央ちゃんを見ると少し緊張した趣で、ひきつった笑顔が痛々しい。
「じゃー早速行こう!」
あたしはいつにもまして陽気だ。元気だけが取り柄なのだから仕方ない。
マリンを押して五十メートルも歩ける程、あたしは逞しくない。だからと言って、人が歩くスピードでマリンを調整できるはずもなく、あたしは先に店の前にいた。
後から女子大生にしっかり見える佳代ちゃんと真央ちゃんが続く。
店の前にマリンを止めると、あたし達は縦に並んで、あたしを先頭に佳代ちゃん、真央ちゃんと続いて店の中に入って行った。
「こんにちは!」
またしても、あたしは女子大生らしからぬ大きな声で店の奥に向かって叫んだ。
直ぐに、ドクターが顔を出したが、あたし達を見ると笑顔が一瞬にして消えて難しい顔であたしに質問した。
「なんで、三人なの?」
「友達も、一緒に勉強したいって言うから……」
あたしの質問にドクターは困った顔で黙ったまま、隼君に跨った。
隼君のおなかに肘をついて、左手に顎を載せて、こっちをじっと見つめている。何を考えているのか、あたしには全く理解できない。
「三人じゃ駄目ですか?」
あたしの間抜けな質問に、ドクターは答えた。
「三人でも良いけど、本気でバイクの事勉強する気持ちがあればね」
「あります!」
あたしは、手を挙げて直ぐに返事をしたが、真央ちゃんは黙ったままだった。
「多分だけど、趣旨が違うと思うんだ」
ドクターはあたし達を見て答えた。あたし達と言うよりは真央ちゃんを見て答えたように思える。
「趣旨?」
あたしと佳代ちゃんが同時に言葉をだした。
「例えば、久美ちゃんはバイク全体を理解したいと言うよりはマリンの事を知りたい。でも、マリンもバイクだからある意味趣旨はあっている。でも、真央ちゃんは違うだろう?」
そう聞かれても、真央ちゃんは俯いたまま顔を上げる事ができない。代わりに佳代ちゃんが答えた。
「単に順番が違うだけだと思いますけど」
「キミは?」
「あ、あたしは真央や久美の友達で柴田佳代と言います」
ドクターはまたしても難しい顔をして右手の中指で頭を掻いた。
「うーん……どうも、この前の話だけでは通じてないみたいだね……」
「あたし……広樹さんの事、本気なんです!」
顔を上げたと思ったらいきなり告白ってのを真央ちゃんは言いだした。そもそも、オートバイの勉強会で来たのになんでこんな話になっちゃったんだろう。あたしの首は横に横に傾きが激しくなっていく。
ドクターはいきなり佳代ちゃんにちょっと裏に来てほしいと言いだした。佳代ちゃんは少し身構えた。
「違う!キミは第三者だから、その辺を踏まえてちょっと話がしたいんだ」
ドクターの言葉に、佳代ちゃんは何かを考えて頷いた。二人は奥に消えていく。あたしと真央ちゃん二人が店の中で残った。
暫くの沈黙の中、あたしは考えていた。第三者という言葉に。第三者と言うならあたしも第三者と言うべきだろうと。なのに、なぜ佳代ちゃんなのかと言う事を、必死になって考えていると真央ちゃんが、消え入りそうな声であたしに言った。
「ごめんね……」
あたしは、大きく首を振っていた。
奥から突然、佳代ちゃんの叫び声が響く!
「マジでー!!」
「馬鹿っ声が大きいよっ」
とドクターの声が聞こえてくる。
一体なんの話をしてるのか、あたしにはさっぱり解らない。奥に入って既に二十分が経過しているが、一向に出てきそうな気配がない。
真央ちゃんは、顔をまっすぐに上げて、隼君を見ていた。
「ねえ?バイクのこの前のタイヤの横についてる棒って何のために有るの?」
いきなり、あたしに質問してきた。そもそもその棒の名前さえ解らないあたしが何のためにあるのか……なんて知る由もない。
「し、知らない…えへへへ……」
あたしは情けなく苦笑いをした。
「最初はね、広樹さんに近づきたい一心で勉強って言葉に賛同したんだけど、今はこうやって良く見ると、確かにあたしはバイクについて何も知らないし、広樹さんを好きなんだから彼の好きなものを理解したいと考えているの」
一途な真央ちゃんは、やはり可愛い。一途じゃなくても全然可愛いんだけど。それに比べてあたしは、どう見ても自他とも認める中学生の男の子だし……。ただ、あたしはマリンさえいてくれればそれで良いと思っている。
「とにかく、一緒に勉強しようよ!あたしもマリンの事、少しでも理解したいし」
真央ちゃんは笑顔になってうんうんと頷いた。その時にやっと裏から話が終わったのか、二人は出てきた。
出てきた佳代ちゃんは、かなり難しい顔をしている。その横で、ドクターは心配そうな顔で佳代ちゃんに、頼むぜ!としきり言っている。一体、どんな話で、どう決着がついたのか……。
ただ、難しい顔をした佳代ちゃんからは、なぜか聞き出せない気がした。
「じゃーせっかく来たんだし、今日はバイクについて色々教えてもらいましょう!」
佳代ちゃんは突然張り切った声で言いだした。
勿論、あたし達はそれに大きく頷いた。
あたし達の質問は至って単純なものばかりだった。つまりはそれほどにオートバイと言うものがさっぱり解っていないって事だ。
ドクターはそんなあたし達に、嫌な顔せずに丁寧に教えてくれた。
真央ちゃんは、さっきあたしにした質問をドクターに聞いていた。
「フロントサスペンションと言って、バイクのうーん…まあクッションみたいなものだと考えれば良いよ」
真央ちゃんはそれを聞いてなるほどと唸って見せる。あたしもその横でなるほどと唸ってみた。
あたし達の質問の殆どは各部の名称。そしてその役割だったりするんだけど、あたしはマリンをじっとみて言った。
「結構複雑なのね!」
◇◆
あれから毎週日曜日になるとドクターの所に通い、あたし達は少しずつオートバイと言うものについて知識を高めていった。
佳代ちゃんは、あの時のドクターの話をやっぱり聞かせてくれなかった。
真央ちゃんは、バイトしてオートバイを買う!と言っている。良い傾向なのかどうかは別にして、あたしはマリンの友達が増える事には賛成だ。でも、オートバイを買う前に免許だ!
いつかは、あたしとじゃなくてドクターと真央ちゃんは一緒にツーリングに行くかもしれないが、元々あたしはマリンと一緒に走るのが目的だ。そこにドクターがいようがいまいが……いようがいまいが……いや、これ以上考えるのはよそう!
あたしにはマリンがいる。それだけで十分なのだ!
ドクターと真央ちゃんはかなりお似合い。それだけに、ドクターがオートバイを好きな子に拘る理由は聞いたにしても、彼女にしてから、オートバイ好きにさせれば良いんだと思うんだが……。
なぜに、そこまで拘るんだろうか!
それに、あの時の佳代ちゃんとの話合いについてもだ。あたしだって第三者なんだから聞く権利はあるはず。
なのに、いまだかってそれがなぞのままだ。真央ちゃんは何か聞いているんだろうか???
ある秋の昼下がり、お昼御飯を食べ終わったあたしは、例の如くいつものベンチで昼寝をしかけている時に、ベンチの後ろの木の更に後ろあたりから、佳代ちゃんと真央ちゃんの話声が聞こえてきた。
気にならないはずもなく、あたしは寝たふりを決め込んで、悪いとは思いながらも耳は、二人の会話に集中していた。
「嫌よっ!」
いきなり、真央ちゃんの叫び声が聞こえた。
「真央、聞きなさい!」
「誰よ!その相手っていうのは!?」
一体、なんの話をしてるのかまだあたしにはさっぱり解っていない。ただ、仲良く世間話をしている雰囲気ではないようだ。
真央ちゃんの泣き叫ぶような声でされた質問に佳代ちゃんの返事はまだ聞こえてこない。
「ねえ、一体誰なの?」
少し、声のトーンが下がったものの声はまだ涙声のようだ。
「誰でも、良いんじゃない?」
「良くない!あたしは、広樹さんが好きだから広樹さんの好きなオートバイを理解しようとしている。あたしなりに精いっぱいの努力はしているつもりよ!だから、知る権利はあるはず!」
あたしは、はっとした。広樹さん……ドクターの事だ。ひょっとしたら、この前のドクターとの話し合いを今、まさに真央ちゃんに話しているのではないだろうか!と、あたしは考えた。
「まだ、付き合ってもないんだし、広樹さんが気になる子がいるって言っただけで、真央の事を否定してるわけじゃないんだよ」
ド、ドクターに、好きな人がいる……。真央ちゃんを断る理由はそこにあったのか!しかし、真央ちゃんを断るなんて罰あたりものめが……真央ちゃんを断ってまで好きな人がいると言いきれるその相手とはどんな人だろう?あたしは凄くその人がどんな人か気になった。
「気になる子って好きって事じゃない!」
「どうとるかは、真央が決めれば良いことだけど。これだけは言っておく。なぜ、あたしを呼んでそんな話をしたかってこと!そこんところよく考えてみなさい」
「ま、まさか……」
「こらこら、あたしを疑いの眼差しでみるんじゃない!」
「だったら、誰なの?」
「だからそこを気にするな!真央は真央が出来る努力をすれば良いんじゃない?何も、あたしは真央に諦めろ!とは言っていない」
気になる人は好きな人?気になる人は単に気になるだけ?あたしの思考回路がパンク寸前で好きと気になるの区別がつかなくなっていった。
「だったら、あたしは、あたしは……」
真央ちゃんの泣く声が聞こえてくる。あたしはここを起き上がって二人の所に行くべきなのか、それともこのままの方が良いのか。それが今の一番悩める所だ。
二番目に悩めるのは、なぜ、佳代ちゃんを呼んだのかって事。それは真央ちゃんも気づいていない。勿論、あたしも未だにさっぱり理解できない。
この話をまとめてみると……きっと、ドクターは気になる人がいるから真央ちゃんとは付き合えないと言ったんじゃないかな。
なら、あの時の佳代ちゃんの驚きの声は納得できるが……ドクターの、その後の台詞と、二人で出てきた時に頼んだぜの言葉の意味が通じない。気になる人がいるだけなら、別にドクターが佳代ちゃんに何かを頼むのは意味が違う気がする。
佳代ちゃんはドクターに一体何を頼まれたのだろうか。そこが未だに大いなる謎だ。
そもそも、あたしはこの手の話には疎い!自慢する事じゃないが、この方男性とは付き合った事などない。チビで、童顔だけど男の子に間違えられるあたしには、彼氏なんて夢のまた夢なのだ。
佳代ちゃんも、真央ちゃんほどでないにしろ、結構綺麗な顔だちをしている。三人の中でいつもお姉さん役をしている佳代ちゃんは、三人の中で一番頼りになり、大人だと思っている。
最も、佳代ちゃんにその事を言うと、案外、あたしも自分の事になると慌てるわよ!との事だが、慌てた佳代ちゃんを見てみたいものだなんて思ってたりする。
あたしと真央ちゃんは、結構ぼーっとしている。だけど、あたしのぼーっとは天然らしい……。
真央ちゃんのぼーっとは意外に演技かもしれないと佳代ちゃんが驚くべき発言をした事がある。
男の子がほっておけないと思わせるための演技か……あるいは、久美とおんなじ天然かもしれないと。
あたしはその話を聞いて、天然仲間の真央ちゃんの方が嬉しいと思っていた。
エリア7
あたしの、大学在学中にやり遂げる計画は未だに進行中だ。近畿も後残すところ、和歌山県と奈良県だけになった。
ホントは三重県もと思っていたのだが、三重県は、中部に属して近畿ではないらしい。なので、後、和歌山県と奈良県を制覇すれば、近畿完全制覇となる。そして、その運命の時が、明日に迫った。
海沿いを通って和歌山県に入り、帰りに奈良県をまたぐ道のりを選べば明日で近畿完全制覇の目標は達成する。
月に三回の休みには、雨が降ろうと風が吹こうとあたしはマリンと旅をすると決めている。最も、台風と地震には少し怯える。後、雷にも弱い。
明日の天気予報は一応、曇りのちにわか雨となっている。前の日に雨具をリュックに入れて、あたしはマリンのおなかに頬ずりをしてから、お布団に入る。
最近は夜のコンビニのバイトも一日置きになっている。今晩は休みの日だ。当然ながら明日、和歌山から帰ってくると、夜バイトに行かねばならないのだが、久しぶりにお布団で寝れるからそれはそれで良しとする。
次の朝、目覚めると玄関の方でオートバイの音が聞こえてきた。
近所にそれらしきオートバイを乗っている人がいるとは聞いていない。その音はしっかりと自分の部屋の前でなりやんだ。
あたしは、眠っている脳みそで首を傾げながら考えているとドアが開いて、ドクターの笑顔が飛び込んでくる。
「おはよー!」
「な、なんで!!」
「さあ、和歌山に行こう!」
「ちょ、ちょ……なんで知ってるの?」
「なんでも良いから早く、靴下を履いて、外は晴れて太陽が出ているぞ!」
そう言って前と同じく缶コーヒーをあたしの方に投げる。あたしの左手は反応はするものの、脳みそは寝ている……。
左手をかすめてお布団にダイブする缶コーヒー。慌ててあたしはお布団の中でもがいている缶コーヒーを救出した。
あたしは言われるままに靴下をだして履く。そして前と同じく顔を洗いに洗面所に向かう。なぜか缶コーヒーを左手に持ったままで。
ウェストバッグとリュックを背負うと準備完了。そして缶コーヒーのプルタブを引いてごくりとコーヒーを飲み、またしてもドクターの横でマリンを見ながら頬ずりをして出発なのだが……何か可笑しい!
「ねえ?なんであたしが今日、和歌山に行くって知ってるの?」
「秘密!」
「ねえ?なんでよ!」
ドクターは笑いながらもその答えは返してくれなかった。
ドクターと一緒に行けて嬉しいはずなんだけど、真央ちゃんの事を考えるとかなり複雑。
でも、真央ちゃんが免許を取って、ドクターと二人でツーリングに行くのも、それもそれで嬉しいけどやっぱり複雑。
それに、ドクターはなんて言っても好きな人がいると、この前佳代ちゃんと真央ちゃんの会話を盗み聞きしてしまった後だけに、余計に気まずい。
あたしは、自分が納得できる方法を、無い知恵を絞って一生懸命に考えていた。
気づけば、マリンを外に出して、玄関のカギをかけてあたし達は出発していた。
男の人に縁がなかったあたしに、魔法使いの弟、カブがいままで新聞配達をして苦楽を共にした御褒美に、シンデレラみたいな役を演じさせてくれているんだ!
ガラスの靴じゃなくて、それがマリンなんだとあたしは納得しようとしていた。
いつか、魔法が解けて夢は終わる。でも、それでも良いと思っている。楽しい一時が今、自分に与えられている。
カツカレーのカツを頬張る自分を見て、友達は凄く幸せな顔をしていると言ったけど、だったら今はどんな顔をしているんだろう……。
解ける魔法と解っていても、多分、生まれて初めて一番幸せな顔になっているんじゃないだろうか!
などなど、頭の中にそんな言葉がぐるっと渦巻いている。それだけ、今幸せな自分を認めたい反面、信じられない事態になっている。
お昼は、和歌山の白浜で海が一望できるレストランで取った。
あたしは、和食と言うよりも洋食派。なのでレストラン系の方が好きだ。しかし、メニューが豊富にあると言う事はそれだけ悩むと思いきや、あたしが選べるメニューは限られている。
しかも、大概決まってこういう店は高い。
マリンと行く気楽なツーリングならば、コンビニのおにぎりか或いはサンドウィッチで済ませるが、ドクターといるなら自分の都合だけでは、食事は取れない。
あたしは、迷いに迷って焼き飯を注文する。お肉系を食べたいが贅沢は厳禁!マリンの食欲が減ったにしても、まだあたしは貧乏で時間の無い子には変わりはない。
ドクターも意外に質素なメニューを注文していた。カレーライスなのだ。しかもカツは乗っていない。
あたし達は、おかなを満たした。ドクターは奢ってあげると言ったが、あたしは丁重に遠慮した。
あたしにとって食べ物は釣り道具の餌なのだ。食事を奢って貰えるだけでその人が天使に見えてしまう。
これ以上ふわふわ浮いたら、いつか事故に有ってしまいそうなので、あたしは財布から五百円玉と百円玉を取ってレジで支払う。
先に出ていた、ドクターからまたしても、朝、投げてもらった缶コーヒーを投げられてあたしはそれは、あり難く貰って、二人して自販機の横のベンチに腰掛けた。
「ねえ?ドクターって好きな人いるの?」
あたしはその言葉を口にだした瞬間に、かーっと赤くなった気がした。
ドクターはちらっとこっちを見たら、青い空を見上げて短い返事を返してきた。
「いるよ」
佳代ちゃんの言葉は本当だったんだと、改めて気付かされた。
「いるのに、あたしなんかと貴重な日曜日を使ってたら勿体ないでしょう!」
そう言うと、ドクターは意外な言葉を語り出した。
「その子はね、とっても自分のバイクを大事にしていて、バイクの事なんにも知らないけど、本当に一生懸命にバイクの面倒を見ている子なんだ。最初はね、変わった子だなって思ってたんだけど、いつの間にか、俺の心の中にすっかり入り込んじゃってね」
高い、青い空を見上げていたと思ったらあたしの方を見てにっこり微笑んだ。
あたし???思わずそう思ってみたけど、そんな事は聞けない。世の中にはあたしに似た人、勿論性格だけど。がいても不思議ではない。ずうずしく考えてみれば自分かなと思えるどっきとする発言でも、あたしは昔から男の人にモテた事がない。つまりは余計な期待を持たずに済むと言うありがたいのかありがたくないのかは別として、それで納得できる。
「そうなんだ?ドクターが好きになる人ってどんな人か見てみたい気がするけどね」
ドクターは、ウェストバッグから鏡を取り出して、はいっとあたしの前に差し出した。
「はぁ?なんの意味?」
「その人を見てみたいんだろう?どうぞ、鏡で見て下さいな!」
ドクターは笑いながらあたしに鏡を手渡した。
「あ、あたし……真央ちゃんみたいに可愛くもないし……どこから見ても、自他とも認める中学生の男の子だよ」
「自分でそう思わない方が良いよ。少なくとも俺には、一人の可愛い女の子に見えるよ」
ドクターのその台詞で、あたしの目には涙がうるうるとしてきた。
「今まで生きてきてそんな事言われた事がない……」
「久美ちゃんのアパートで俺が、マリンを見て驚かない事に気づいている?実は俺も、マンションの台所に隼を上げているんだよ!」
その言葉にあたしはびっくりした。だってこんな事してるのはあたしくらいだと思っていたからだ。
ドクターはその後、続けて言った。
”俺の相棒だからね!”と……。
あたしは、その言葉を聞いて……
――同じだ!
と思った。自分と同じように自分の愛車を相棒と考えてる人がこの世にいた事が、なんか途轍もなく嬉しかった。
あたしは、ついでに佳代ちゃんとどんな会話をしたのか、どんな話合いをして決着をつけたのかを聞いてみた。今なら、どんな事も聞けそうな気がしていた。
「佳代ちゃんに言ったのは、気になる子がいる。だから真央ちゃんとは付き合えないと言ったんだよ。そしたらそれは誰?って聞かれたから、久美ちゃんだって正直に答えた」
なるほど!だから、佳代ちゃんは驚いて、マジで!!と叫んだ訳だ。
あたしが反対の立場でもきっと驚く。
「だったら、最後の頼むぜ!って言葉はなんだったの?」
「久美ちゃんの予定をね、佳代ちゃんに教えて欲しいと頼んだの!佳代ちゃんは冷静な子だよね。真央も友達だけど久美も大事な友達だから、公平に行くけど、あたしは真央に諦めろとは言わないわよ!とだけは言われたけどね」
そこまで聞いて、佳代ちゃんと真央ちゃんの会話が蘇ってきた。確かに、すべての辻褄があう。
今日のツーリングにしても、昨日学校で、佳代ちゃんに明日、和歌山に行って帰りに奈良に寄って帰る。そしたら近畿制覇だって嬉しそうにあたしは言ってのけた。
そしてあたしのうるうるは頂点に達して、声をあげて泣き出してしまった。慌ててうろたえるドクターの横で、あたしは段々声のトーンがあがる始末。そして泣きながら言った言葉にドクターは一瞬、きょとんとした顔になった。
「カブの魔法が解けてしまっても、凄く嬉しいよー!」
カブ……
「カブって誰?」
泣きながら鼻声のあたしは、カブが誰なのかを説明すると、暫くまたきょとんとした顔からいきなり噴き出して笑いだした。
新聞配達している時に乗っている魔法使いの弟カブはすっかりあたしの中で魔法使いにされていた。
そして、ドクターはあたしに言った。
「カブの本名は、スーパーカブだよ!」と……。
スーパーがつくとは知らなかった。きっと偉大なる魔法使いなんだとあたしは泣きながら強く思った。
◇◆
あたしは、あの運命の日の昼ごはんの後、ほとんどを泣いていた気がする。ドクターはそんなあたしを優しく包み込むように抱きしめてくれたけど、あたしの涙は枯れなかった。
ドクターは、魔法使いはカブではなくて、マリンじゃないの?とあたしに聞いた。
あたしとドクターが知り合ったきっかけからドクターがあたしを好きになってくれたのは、総てマリンがいたからだと言っていた。
確かにそうだ!マリンがいてくれたから、あたしはドクターと知り合えたし仲良くもなれた。
マリンこそがあたしにとって魔法使いなんだと思った。
あたしは、帰ってから台所に置いてあるマリンを見て小さな声で呟いた。
「――マリン……あなたは、魔女だったのね!」
あたしはその夜、ようやく泣きやむ頃に、コンビニのバイトが始まる時間だと知って慌ててマリンを連れてコンビニに行くと、泣いていたので目が真っ赤になっていて、店長は何を勘違いしたのか、あたしが寝不足で目が真っ赤だと思ったらしく、今日はもう人もいるし良いから、帰って良く寝なさいと言った。
あたしは、ただただ、店長の言葉に頷くと、またマリンを連れてアパートに戻ってきた。
台所にマリンをあげて、タオルでマリンを拭いてやる。そして、マリンのおなかに頬ずりをして、小さな声でありがとうねと囁いた。
マリンの隣の部屋で、あたしは二日連続と言う凄く幸せな布団のぬくもりを感じていた。
大学に入ってから、二日連続、お布団で寝た事はない。あたしは、元気が取り柄だから風邪も滅多なことでは引かない。
記憶をたどれば、小学校の時に冬川に嵌って風邪をひいたくらいでそれ以外は風邪など無縁の世界で生きてきてる。
朝、目覚めると昨日の夢のような出来事を思い出すより、なぜか真央ちゃんの顔が浮かんでくる。
――泣いている真央ちゃんだ……。
昨日の出来事は総てにおいて嬉しい!だからと言って真央ちゃんの泣いている顔は悲しい。
いつも足取り軽く、マリンに乗って大学に行くのだが、今日の足取りはなぜか重かった。
朝の一発目から佳代ちゃんと真央ちゃんと同じ授業がある。当然ながら昨日の結果を聞きに来るはずだ。土曜日にあれだけ宣伝したんだから当然だろう……。
困った!どんな顔で真央ちゃんに話せば良いのか、あたしの思考回路はパンク寸前だった。
それでも、学校に行かないわけにはいかない。あたしは、マリンを外に連れ出すと口にキーを差し込んでエンジンをかけた。
昨日と同じく、マリンはすこぶる元気が良い。あたしの気持にお構いなくマリンは心地よい走りであっという間に大学のいつもの駐輪所についた。マリンにしばしの別れを言ってあたしの重い足取りは、教室に向かってあるきだした。
ぽんっと叩かれた肩に目をやると後ろに佳代ちゃんが、これまたニコニコしていた。
「ど、どうしたの?なんか、嬉しそうだよ?」
「おめでとう!ドクターに告られたんでしょう?」
あたしは、異様に驚いた。
「ど、どうしてそんな事知ってるの?」
「昨日ドクターが電話してきて、そう言ってたよ。あんた、昨日泣きっぱなしだったそうじゃない」
佳代ちゃんは、笑いながらあたしにそう言った。
「でも、でも真央ちゃんが……」
「真央はそんなに弱い子じゃないよ。真央も嬉しそうだったよ」
「ま、まじで!!」
佳代ちゃんは、友達の恋が実った事が実に嬉しそうだ。真央ちゃんは、佳代ちゃんに言ったらしい。久美を選んでくれて良かったと。
「真央は最初、広樹さん…ドクターの事が好きでバイクの事勉強してたけど、今は本当にバイクを好きになりつつあるよ。久美みたいに自分のバイクをこよなく愛したいってさ!」
いつか、いつになるか解らないけど、真央ちゃんと二人でツーリングに行けたら楽しいなとあたしは考えていた。
それまでに、後ろに佳代ちゃんを乗せれるくらいに上手くなっていないといけないかもしれない。
その時はドクターにちょっと遠慮してもらって女三人でツーリングに行ってみたいと考えていた。
エリア8
あたしは、大分からマリンを連れて大阪にやってきた。あたしの野望はまだまだ続く。
でも、マリンと二人で全国制覇を狙ったつもりだったけど、これからは四人で全国制覇を狙う。
予定は変わってしまったけど、嬉しい誤算だった。
真央ちゃんもすっかりオートバイと言うものが解りつつある中、あたしは一向にマリンがまだ理解できていない。
マリンは魔法使いだったなんて、あたしは改めて感心していた。
でも、マリンが魔法使いになれたのもきっとドクターのおかげだと思っている。
いつも、おなかを空かせているマリンを養うため、あたしの貧乏街道はまだまだ続くけど、実はドクターも貧乏街道を進んでいる事が判明した。隼君も結構な食欲で、あたしとドクターは、マリンと隼君を育てる為、やはり貧乏は治らない。
もっとも、隼君がおおぐらいなのは距離を走るからだ。ドクターはあたしと知り合う前までは、一人で月に二回度程、遠出をしていたらしい。時には大阪から一日で九州まで行ったり、東京まで隼君を連れまわしていたと聞いた。
マリンのおおぐらいとは大違いだ。でも、マリンも元の形に戻ってからは食欲が減り、あたしの貧乏は少しましになったのかもしれない。
真央ちゃんはと言うと、今、免許を取りに教習所に通っている。
あたしと同じ中型を取るらしい。そんな真央ちゃんに佳代ちゃんは小型で十分じゃないの?と言っているけど、真央ちゃんはあたしもマリンみたいなバイクを乗るんだ!と言っている。
あたしは、こうやって毎日を楽しく幸せに暮らしていた。でも、幸せって長く続かないんだって事を嫌ほど知らされたのは、ある冬の明け方の事だった。
それは、ドクターと付き合いだして一年が少し過ぎる頃、ドクターのマンションよりあたしのアパートの方が、ドクターの勤務先に近い事から、ドクターは夜勤の時だけ、あたしのアパートに隼君を置いて、仕事に行く時があった。
それが――事件の発端だったみたいだ。
寒い日だった。朝からドクターは、あたしのアパートに帰ってきて寝ていた。あたしが、帰ってくる頃には、既にドクターは仕事に行っていなかった。
あたしは、マリンを台所に上げて、隼君の横に並ばせて寝ていた。
明け方近くに、玄関の方で物音が聞こえた。
あたしは、その物音に気付いて起きた。物音はどうも自分の部屋の前でなにかごそごそと音を立てている。
あたしは、ドクターなのかと思い、部屋に電気をつけて玄関のドアを開けた。開けてしまったと言うべきだろうか。
いきなり、知らない人が襲いかかってきた。
その人はあたしを蹴飛ばして、隼君を連れ去ろうとしていた。あたしは、蹴飛ばされながらも、必死に隼君にしがみついた。
その知らない人が、振り下ろした鉄の棒であたしは頭をしこたま殴られ、それ以外にも肩や腕を殴られ、おなかは蹴飛ばされたがそれでも必死になって隼君にしがみついていた。
あたしの悲鳴と叫び声で、アパートの住人がいち早く、警察に電話をしてくれたおかげで、その知らない人は警察が取り押さえてくれた。あたしは、ぐったりしていたようだ。
直ぐに警察から救急車に手配が行き、救急隊員がついた時にはもう意識が混とんとしていた。
その救急隊員はドクターだったみたいで、あたしの名前を何度も呼ぶ声が聞こえたが、あたしの意識はそこから定かでは無かった。
◇◆
目を覚ますとそこは白い壁に覆われた一室だった。ミイラ男みたいに、体中に包帯を巻かれ、あたしは目覚めた。
見知らぬ男性が、あたしを心配そうにみていた。見知らぬ男性が二人と、どこかのおじさんと叔母さん、若い女性が二人ほど、あたしをじっと見ている。
「目が覚さめたみたいだ!」
一人の見知らぬ男性があたしの方に向かって言った。
「久美?大丈夫?」
またしても、見知らぬおばさんが、あたしに聞いた。
「おばさん、誰?」
あたしの言葉にその場にいた人全員が驚きの声を発した。
あたしは、あたりをぐるっと見渡して首を傾げた。見た事もない人達が自分を取り囲んでいる事が不思議でならなかった。
「記憶喪失です」
多分、お医者さんだと思われる白衣を着た男性があたしを見て言った言葉だった。
あたしは、あの事件で病院に運ばれ、一週間もの間、意識不明のまま寝ていたらしい。
勿論、自分で寝ていた時間など解らないが、傍にいたお医者さんがそう言っていた。
自分の名前と年齢と血液型は、病室のベッドの枕の横にある名札で解った。でも、自分が誰なのかを思いだしたわけでもなく、傍にいた人達が誰なのかさっぱり解らなかった。
お医者さんは、あれだけ鉄パイプで殴られ、意識を取り戻しただけでも奇跡ですと言っていた。
それから、この病院で二か月以上も過ごすはめとなる。二人いた男性の優しそうな人は、二か月間毎日、お見舞いに来てくれた。
もう一人の男性は、強面ではあるが、心の優しい人のようで、その男性と見知らぬおじさん、おばさんはどうも、あたしの両親と兄だと教えられたが、あたしにはさっぱり思い出せなかった。
二か月の間に解った事は、あたしは大阪の大学に通う十九歳で、目が覚めた時にいた女性二人は、あたしの友達だと言う事だ。
そして、毎日お見舞いに来てくれる男性は、友達の話によるとあたしの彼氏らしい……。
こんな良い男が彼氏?あたしは、不思議で仕方なかった。自分をどう贔屓目に見ても、あたしは美人ではない。可愛いというか幼い顔立ちではあるが、多分、街を歩いていると中学生か或いは高校一年の男子生徒みたいな顔と姿だ。身長も156cmと決して高くない。そんな、あたしにこんなにかっこいい男性が彼氏になるとは到底思えなかった。
怪我をしたから、みんなが同情して、彼氏のフリをしてくれているんだとあたしは解釈した。
二か月が過ぎると、脚や腕に巻かれていた包帯は外され、静かにベッドから立ち上がった。少しふら付くもののしっかり床を踏みしめて歩き出す。
担当医は、脳の障害はありませんとだけ言っていた。
あたしが歩ける事に、毎日来てくれている偽彼氏は、大いに喜んでいた。涙が出てる程に。
それから、暫くすると、あたしの両親と言う人が再び大阪にやってきて、あたしを大分県に連れて帰ると言いだした。
あたしは、なにか心残りがあった気がするが、自分が誰なのかさえ解らないのでその人たちに従う事にした。
偽彼氏がやってくるのは、毎日夕方から夜にかけてだ。あたしの両親は、その事を多分看護師に聞いていたのか、偽彼氏にさよならも、ありがとうも言えず終いに、あたしは無理やり大分県に連れて帰られた。
大分の実家に連れて帰れても、あたしの日々は変わらない。何もする事が無く、ただ、自分の部屋の自分のベッドだと言われた場所に静かにしているだけだった。
「気分転換に、少し散歩でも行ったら?」
母だと名乗る人があたしに言った。
実家に戻って、さらに一ヶ月が過ぎた頃の事だ。確かにあたしは記憶というものが無い気がする。
「じゃーちょっと行ってみる」
あたしは答えて、玄関で靴を履こうとする。母と名乗る人はあまり遅くならないようにねとだけ付け加えた。
実家から少し離れた場所から、実家の周りの風景を確認する。でも、全く感動すらない。懐かしいとも何ともない無感情に自分自身がイラついてくる。
実家の裏から少し離れて歩くと川が流れている。その川沿いに歩道があり、あたしはそこをゆっくりと下っていく。その道さえ歩いていれば、家が何処にあるのかを見つけやすいと考えたからだ。
ただ、ゆっくりと周りの風景や、川の流れを見て歩き、歩道の横に広がる緑の絨毯のような田んぼを眺め、近くから聞こえてくるどこかの学校の校歌らしいきものに耳を澄ませ、歩き出して三十分程すると、川沿いの歩道に石でできたベンチがあり、あたしはそこで一休みをする。
ただ、ぼーっと視点があってない虚ろな目で何か遠くを眺めている。と…その時、川の下流からこっちに向かって走ってくる一人の男性が目に飛び込んだ。
――大阪にいた偽彼氏だった。
「久美!」
偽彼氏は、あたしの名前を呼び、あたしの座っているベンチの前で、はあはあと息を切らしながら、両膝に両手をついて俯きながら呼吸を整える。
「あの……大阪では毎日、お見舞いに来てくれてありがとうございました。急な事で連絡も取れずに申し訳ありません」
あたしは、大阪での事を偽彼氏にお礼を言った。
偽彼氏は、悲しそうな目をしていた。そして、首を横に振って、あたしの横に腰掛けた。
「何を見ていたの?」
「ただ、ぼーっと何かを見ている感じで、自分でも何を見ているのか解りません」
「何か思い出した?」
あたしは首を横に振るばかり。自分の名前すりゃ思い出せない。
「あの……お名前はなんて言うんですか?」
少しだけにこっとした顔で偽彼氏は言った。
「中島広樹って名前だけど」
なかじま……ひろき……
「大阪での事は大変、嬉しかったです。でも、ここまで来ないで下さい。誰に雇われたのかは解りませんが、あたしはもう元気です」
「雇われた?」
「あたしを元気づけるために誰かに頼まれて彼氏役になったんじゃないんですか?」
中島広樹と名乗る男性は、悲しそうな目で、今にも涙が零れ落ちそうな大きな瞳で首を横に振る。
「俺は……本当に、久美の彼氏なんだけど!」
あたしは、その言葉を素直に受け取れない。
「あたしは、どうみても美人じゃないですし、身長も低くスタイルも良くないです。あなたのような男性が好きになれる相手でない事は、自分が一番よくわかります」
中島広樹は、大きな目からぽろぽろと涙を流して震える声で言った。
「久美は、凄く優しい子なんだよ。俺は……そ、そんな……久美を好きに……なったんだよ」
あたしが優しい???いつ優しくしたんだろう?全く覚えていない。まあ、これだけかっこいい人なら女性は誰でも優しくなるんじゃないかと、あたしは思った。
「いつ、いつ優しくしたんですか?」
「久美は俺が大事にしているものを守るために怪我をしたんだよ……」
中島広樹の大事なもの……。
――大事なもの
「それは一体なんだったんですか?」
「隼という名前のバイク」
――隼…はやぶさ……。
あたしは首を傾げる一方。その首は最初に曲げた角度からかなり曲がりきっている。
あたしは、こめかみを押さえ目を閉じて考える。考える。
一向にあたしの頭の中にそれが出てこない。
「直ぐに思い出す事はない!ゆっくりで良いから。また、俺、毎日久美に会いに来るから!」
「大阪から?」
「大分に転勤にしてもらったから」
あたしは、明日から毎日、中島広樹が来る事をなぜか心の中で喜んでいた。なぜなのかは、まだ解らないけど。
多分、彼に恋をしたのかもしれない。少しだけ心臓がドキドキしている自分に気付いた。
彼は約束した通りに毎日、実家にやってきた。両親や兄はどうも、彼が好ましくない様子だった。
彼がバイクをあたしの部屋に置いて行った事がどうも原因らしく、犯人は近くから、彼がアパートから出て行くのを確認して、明け方を待ったとの事を警察から聞いていた。
彼は毎日やってきては、両親や兄に詫び、そして記憶が治るまでの間だけでも良いから、面倒を見たいと申し出た。
勿論、両親や兄は反対したが、あたしがその事を彼にお願いすると、両親は渋々でありながらなんとか許可がでたようだ。
ただ、兄は頑なに反対した。お前がいなければ、妹は怪我などしていない!と言い切り、もし、来るなら俺のいない時に来い!と言っていた。彼は、頭を何度も下げ、兄や両親に謝った。
でも、あたしは彼が悪いとは全く思っていなかった。記憶が戻った訳ではないが、なぜかそう思えた。
彼は救急隊員として、日夜、病気や怪我で苦しんでいる人たちを病院まで搬送する仕事をしていた。
仕事が大変な時でも、彼は少ない時間でも必ずあたしに顔をみせに来てくれた。
あたしの、その頃の決まってやる事は、週に一回、火曜日に病院に行って検査を受ける事だけで、その他の曜日は、家の近くの川べりや公園で一日を過ごす事が多かった。
日曜になると、朝から彼がやってきて、色んな所に連れ出してくれた。それが何よりの心のよりどころだった。
彼は、いつも来る時は、車でやってきていた。あたしはそれが不思議でならなかった。
彼の大事なものを守ったおかげであたしは怪我をしたわけだから、彼が車で来る事に違和感を感じていた。
そして、それから春が終わり、夏が過ぎる初秋の頃、あたしの記憶は一向に戻らない事に苛々していた。
彼は優しく、いつまでも待つよと言ってくれるが、彼が優しければ優しいほど、あたしの心は苦しくなってくる。
そんな苛々を彼は気づいていた。あたしが苛々すると決まって優しく抱きしめてくれた。そして、焦るな!とだけ言葉をかけてくれる。
毎週通っていた病院は月に一度の通院となり、あたしはその秋の始まりの頃、病院に行った後、病院内にある公園で彼と待ち合わせをしていた。
いつもの彼なら車で来るが、その日は急な仕事が入り、少し遅れると携帯に連絡が入った。
あたしが、公園のベンチで待っていると、彼はオートバイに乗ってやってきた。急いでいて車に乗り換える時間が無かったらしい。
公園の入り口近くのベンチにあたしは座っていて、彼はその公園の入り口にオートバイでやってきた。
ブルーメタリックのオートバイだった。
あたしは、不意に立ち上がり、そのオートバイに呼ばれたようにのろのろした足取りで、彼の元に近寄った。
彼は、いつものあたしで無い事に気づいていたようだった。
あたしは、オートバイの横でじっとそのオートバイを見ていた。
どこかで、見た記憶がある気がする……。
ふっと、アスファルトを見ると天気が良いのに、ヘッドライトの下に一滴の濡れた跡が見えた。あたしは不意に空を見上げる。初秋の空は青く、高い。雲は殆ど見えない。そしてもう一度、アスファルトに目をやると、ヘッドライトから一滴の滴が流れ落ちた。
「――マリン……」
あたしは小さく呟くようにその名前を呼んだ。
彼はあたしの言葉を聞いていたらしく、驚いた顔であたしの両肩を握りしめた。
「い、今なんて言ったの?」
あたしは、急にめまいを起こしてその場にうずくまった。そして、頭を抱えるようにして彼に言った。
「あ、頭が……痛い!頭が……ドクター助けて!」
彼は慌てて、近くにいた看護師に助けを求めたようだった。意識が朦朧とするなか、彼の叫び声だけが木霊していた。
あたしはその場に倒れ、再び昏睡状態となった。
三日間意識がない状態だったが、三日目の夜中にあたしは目覚めた。ベッドで腕枕をするようにドクターが眠っている。
あたしは、一年近く記憶を失っていたが、やっと記憶を取り戻した。
「ドクター!」
あたしはドクターのほっぺをつんつんしていた。
ドクターは寝ぼけながらもあたしが目覚めた事に気付いた。
「ごめんよ。俺がバイクなんて乗って行ったばかりに……」
あたしは首を横に振りながら、彼に言った。
「ドクターありがとう!」
その言葉に彼は、満面の笑みを浮かべて言った。
「き、記憶が戻ったんだね!」
あたしもドクターの笑みに誘われるように微笑んで頷いた。
直ぐに担当医が呼ばれ、検査をした。担当医は、多分、記憶が一気に蘇り頭の中で溢れかえって頭が痛くなったんだろうと。そして眠っている間に、溢れかえった記憶の整頓が出来たから目覚めたのだろうと言うことだった。
両親が、車でやってくる間にドクターはこれまでの事を教えてくれた。そして、あたしの人生が変わるような言葉まで……。
「なあ久美、俺と結婚してくれないか?」
「あ、あたしで良いの?」
「記憶が戻ったばっかりの時にいう言葉じゃないかもしれないけど、もう久美を離したくないんだ!」
あたしは涙を流しながら、声をあげて泣き出した。ドクターはそんなあたしを優しく抱きしめてくれた。あたしも彼にきゅっと抱きついた。
そんな時に、間が悪く両親が病室に入ってきた。
唖然としてぽかんと口を開けている両親と兄……。
あたし達はすっと離れた。
「心配かけてごめんなさい。あたし記憶が戻ったみたい」
あたしの声で、はっと気がついたように両親もうれし涙を流していた。
兄はあたしとドクターの肩をぽんと叩いて、さっきのは見なかった事にしてやるとにやりと笑った。
マリンのおかげで、あたしは記憶を取り戻した。
マリンの涙があたしがあたしを思い出させてくれた。
あたしは、誰にも聞こえないような声で呟いた。
「――マリン、あなたはお医者さんだったのね!」
エピローグ
あたしは、今彼とマリンと三人で夢の続きを追いかけている。
ドクターに隼君もと言ったが、お金のかかる扶養はマリンで十分だと笑い、あたし達の結婚資金にと隼君を手放した。
あたしが命を賭けて守りとおした隼君だったが、これからの二人の為にと、ドクターは隼君を手放し、俺には久美とマリンがいるからそれで充分だと笑った。
笑ったドクターの顔は清々しかった。
勿論、ドクターの運転であたしがリアシートに乗り、マリンは、あたしのマリンになって初めての二人乗りを許可したのだった。
あたし達は、あの後、一年が過ぎる頃の晩秋に籍を入れて、晴れて夫婦となった。
あたしは、その一年で料理を覚え、少しはマシな手料理が作れるようになったが、まだまだ苦手な分野だった。
ドクターはそんなあたしに、何事も焦らずに!とだけ言った。
マリンはと言うと、前と変わらずにおおぐらいだったけど、今はあたし達の大事な足となって、各県の色んな風景を三人で見ている。
もうすぐ、二人の大事な赤ちゃんが生まれてくる。子供が手のかからない年齢までは、マリンは少しお休みにしておく。
ドクターは一生懸命、働いてあたし達は小さな赤い車を手にした。
あたしは、その車にも、勿論名前を付けるつもり!
マリンと同様にあたし達を乗せてくれる家族として、これから先も大いに活躍してもらわねばならない。
あたし達の子供も、きっとマリンを好きになってくれるだろう。
そして、何かを大事にしてくれる子供にきっとなるだろうと思う。
だって、あたし達がそうだったように、その血を引き継いでいるのだから。
マリンが庭の真ん中に置かれている。
誇らしげに、あたし達をずっと見守ってくれるようにと、ドクターと相談して置き場所を決めた。
倉庫の中にいれてしまうと忘れてしまうかも知れないから。
あたしは、縁側からマリンに向かって叫んだ。
「マリン!大好きっ!!」
end
愛しのマリン