いちごのショートケーキ
とある掲示板で「映画」のタイトルを借りながら、駄文を書くということをしていたんですが、
本格的に?_創作めいたものを書くのはコレが第二作目。
2009年の9月の日付が記録されておりましてな。
当初のタイトルが「いちご白書」。
タイトルと内容、関係ないですから。
以下、その頃の口上文です。
なんだかな、学生運動の映画らしいんだが、なしてそう持ち上げられたのか
よぅくわからんのよ。そもそも学生運動なんて興味もなかったし。
だいたいさ、ワタシが青春映画なんて見るわきゃァないじゃないの。
「いちご白書をもう一度」みたいな歌もあるんだけどな。
音楽のすべてのジャンルの中でフォークソングというのが大嫌いで
貧乏臭いメッセージなんて聴いてられるかい!
ただね、このタイトルがね。今回の話にシックリ来るモンで。
今回のオリジナルな作品なんだけど、やはり実話ベースなんですが。
創作な部分はやはり少ない。
なんとも奇ッ怪で、ワタシ個人としては、懐かしくも、だいじな話でね。
因みにワタシには、霊感はない。と思うんですがね。
1
「いちご白書」ver.2.4 清書版
「イチゴのショートケーキのどこから食べる?」
そんなことを聞かれたときに。ふと思い出したことがある。
私がほんの子供の頃。
幼稚園とか小学校低学年の頃のことだが。
家族とか親戚とか。
それだけでなくまだ人の善意の中だけで生きていた頃。
夏休みに田舎の母親方の実家に遊びに行くと
私は祖父の初孫と云うこともあって随分と大事にされていた。
母親に云わせれば、梅雨の声を聞くと「早く孫連れて帰ってこい!」と
催促の電話があって、母親も母親で
「洗濯物が大変だから洗濯機買ってくれなきゃ帰りたくない!」と。
どうも私をダシにして母親の実家は当時の“三種の神器“といわれた
テレビ、洗濯機、冷蔵庫を買い揃えた、らしい。
祖父が復員して大急ぎで建てたというバラックを元に
継ぎ足し、継ぎ足しで出来たボロいが、随分と大きな家で。
核家族の典型という我が家に比べれば、大家族が住んでいた。
その畑の向こうには、分家があった。
母方の実家には本家と分家があって。
分家のばあさんは「おばさん」と呼ばれていたので、
私も「おばさん」と呼んでいた。この「おばさん」というのが 百姓で。
いつもホッカブリして、真っ黒な顔して、
畑でよく働くんで「畑のおばさん」とも呼ばれていた。
真っ黒な顔で、目だけが大きく、白目もおおきいが黒目も大きいもので。
深く刻まれたシワが歪み、文字通りシワクチャになって笑うんで
言ってみれば、ちょっと見、結構えぐい顔していた。
その「おばさん」、私を随分可愛がってくれたもので。
私が分家に遊びに行くと、必ずといっていいほどケーキを買ってくれた。
ホッカブリして、モンペ姿で、リアカー引いて、通りの向こうの畑の帰りに
ケーキ屋でケーキを買う姿を、今、考えれば、かなり滑稽なものだが。
そこは「おばさん」。「かまうこっちゃねえよォ。」これが口癖だった。
そうして買ってくれたのが、必ずイチゴのショートケーキで。
静々と箱から出して。私の前に、ショートケーキを置く。
「お食べよぅ」と言うと。私の傍らに肘をついて見てるんだな。
私はフォークを手にすると、この「おばさん」甲高い声で言う。
「イチゴォ、おくれよぉ~」
え?
「その上に、乗ってるぅ、イチゴォ、おくれよぉ~」
なんとイジマシイ「おばさん」なんだろか。
んなことを、思ってるうちに「おばさん」イチゴをひょいと取って
パクリと喰っちまう。
「おばさん、酷いよ!」と文句を言うと、
「悪かった悪かったよ、こんど駅前の喫茶店連れてってやるから」
問題はこの喫茶店を「きっちゃてん」と云うあたりが明治の女。
そんなやりとりが何度かあって、本当にリアカーに乗って「きっちゃてん」
に連れて行ってもらった。
「おばさん」は、もちろん、ホッカブリにモンペ姿で。
「なんかぁ、恥ずかしいよォ」とかいうと。
ヘヘッと下品に笑って。
「かまうこっちゃねえよォ。」とキメ言葉を返す。
「おねえちゃん、ブルマンとショートケーキふたつね。」
今思えば、随分とツウなオーダーをしていたもので。
「ブルーマウンテンって言ってな、東京の青山でこさえたコーヒーよ。
日本一うまいコーヒーだよ。日本一美味いから英語で言うんだ。」
本当だか嘘だかわからない子供に、嘘ばかり教えて。
吸殻に楊枝を刺して火をつけて、煙を吐きながら。
「いいこと教えただろ?だからさぁ、イチゴォ、おくれよぉ~」」
と、やっぱりイチゴをひょいと取ってしまう。
へへっと捨てるような笑い声で、ニタっと笑う姿は。
子供心にも余り見てくれの良いものではなかったが。
憎めないひとで。帰りはリアカーを引いて。乗せてもらったものだ。
そんな「おばさん」の使っていたリアカーも徐々に姿を消していき
本家に行く回数も減り、「おばさん」に会うことも少なくなり
私は大学を出て、会社員になった。
2
会社員になりたての私は親と同居していたこともあり。
可処分所得がそれまでになく増えたこともあって、夜な夜な遊びまわっていた。
確か寒い夜で2 月ではなかったか。
その夜も、終電をギリギリに乗り込み、最寄の駅に着いたのは夜中の1 時過ぎ。
とぼとぼと歩き、コンビニによって、家の角に辿り着いたのは
深夜の2 時近くだったか。家の角の電信柱の街燈の下に。
黒い影があるのに気がついた。
黒いホッカブリをして。
ひょいと覗き込むと、大きな目がギョロリと遭い・・・。
「なんだよ、おばさんじゃねえか、懐かしいなぁ」
「おばさん」は、ヘヘッと笑い頷いた。
「なにやってんだよ、ウチに入りナァ、寒かろうに。」
「おばさん」は、ヘヘッと笑っていた。
呼び鈴を鳴らし、お袋を起すと不機嫌な顔で起きてきた。
「馬鹿息子!自分でカギ開けて入って来い!」
そりゃあそうだ。
午前二時過ぎの極寒の夜、叩き起こされば誰でも怒る。
「いやぁ、そこの電柱のトコにおばさんが立っててさ。ほら。」
ふりかえると、「おばさん」がいない。
あれぇ?
「酒かっくらって馬鹿言ってんじゃないよ!」
お袋の逆鱗に触れたようだ。
あ?
「明日は葬式だよ!さっさと寝な!」
「葬式?誰の?」
「おばさんだよ、畑のおばさん!」
へ?
したたか酔っていたのか、定かではないが。
そのときは。別に、なんとも思わず寝てしまった。
翌朝、叩き起こされ、喪服を着て、葬式に向かって。
飾られた遺影の写真を見ると。奇怪な出来事を思い出した。
間違いなく、「おばさん」だったよな、アレは。
「最後のご対面です」と言われたとき。
御棺の中に横たわった「おばさん」の顔は、
まるで別人のように、静かに、白かった。
「元気にしておったのですけどね。
急に倒れられてね、そのまま召されましたわ。
長く苦しまなかったのが、せめてもの救いですわ。」
それから久しぶりに顔を合わせた親戚たちとの語らいがあって。
口々に言うには。「昨日の晩、おばさんが来たみたいなんだ。」
「枕元にな、立っていたんだ」とか「夜中にコーヒーすすっていた」とか
「赤ん坊あやしていた」とか「子どものお菓子食べてた」とか。
その数たるや、ひとりふたりではなくて。
私を馬鹿にしたお袋のように、逆に見なかった人のほうが少ない。
そして会った誰もが恐怖ではなく、むしろ懐かしい感情がこみあげて。
ここ10 数年会っていなかったという「おばさん」の娘、
つまりは私の伯母などは。
「もうね、驚いてねぇ。夜中まで葬式に来る準備してたでしょ。
そんなときにさ、突然、来てくれたのよ。
抱き合って泣いちゃったよ。
いままで会いにいけなくてごめんねって言ったのよ。そしたらね。」
「なんか云ったの?」
「かまうこっちゃねえよォ。
って笑ったんだよ、いつもみたいに。」
「あれねぇ、夢だったのかねぇ、夢でも温かいんだねぇ」
ああ?
「実は、私も昨日の夜中に・・・。」
「そうか、おまえんとこにも行ったか・・・。」
「おまえんことも心配してたんだな」
私はなにか言葉を失ってしまって。
「最後のお別れに皆のところを回ったんだな。」
「最後まで働きモンだったんだねぇ。」
「おばさん」が焼き場に入って。待合室に集められた。
皆に配られたのは、ショートケーキだった。
親戚のものが立ち上がった。
「前々から皆揃ったら、ショートケーキご馳走してやってくれと、
故人に言われてましたんで。」
なんとも粋なことするじゃないか!
と、同時に湧き上がる記憶。
皆、口々に言い出した。
「そういやぁ、昔ぃ、ケーキのイチゴ取られたっけなぁ」
え?あんたも?
「自分で買ってきて、イチゴだけ喰っちまうんだ。おばさんは。」
「イチゴォ、おくれよぉ~、ってな」
葬儀場の待合室は思い出し笑いの声に包まれた。
「しかし、ショートケーキ食べるのも久しぶりだよなぁ」
そのとき。
私は、思い出したのだ。
そのときはじめて。ショートケーキの上のイチゴを口にすることを。
そのイチゴを口にしようとしたときに。皆、手が止まった。
どこからともなく声がしたのだ。
「へへっ、みんなぁ、イチゴォ、おくれよぉ~。」
完。
いちごのショートケーキ
ノスタルジー路線の第二弾であります。身内を妖怪あつかいしてしまうのは、さすがに気が引けたのですが
基本的には事実でありますので、「おばさん」のキャラなどは一切創作の部分はありません。
今回は「過去」と「現在」の二幕モノ。