キャッチャーミット
耳を掻き回すアブラゼミの押し付けがましい音に、私は、ちょっとした違和感を感じている。家の裏手にある公園では、そろそろ陽が傾いて、辺りの空気が徐々に茶色味を帯びてきたことを全く無視して、夏休みを満喫する子供達のゴムボールのように弾む声。私の家と公園を隔てる幅十メートルほどの道を、どこかの花火大会にでも行くのか、喜々とした空気を辺りにまき散らしながら歩く浴衣姿の中学生らしき女の子。この情景のバックグラウンドミュージックとして、アブラゼミの音は、ちっともおかしくない筈なのに、何かが違うような、足りないような感覚に、私は襲われていた。
私は先刻からリビングに突っ立って、キッチンで夕飯の準備をする妻を見ている。どれくらいの時間こうしているのか、自分でも良く分からない。これから、少々バツの悪い願い事をしようと、身と心をじっと硬くしている私にとっては、この辺りを流れる時間の流れは、周囲の空気と共に寒天のように方立ってしまっているのだ。
妻の機嫌は、どうだろうか、朗らかだろうか、不機嫌だろうか、疲れてはいないだろうか。私は、キッチンで料理をするために、ずっと下をうつむいて、手元ばかりをみている妻の心持ちを、肩の揺れ方や首の角度から、なんとか推測してみようと、注意深く覗き込む。そう広くはない家なので、私の立っているリビングからでも、対面式キッチンに立つ妻の上半身は、よく見える。逆に言えば、妻も今、下を向いている顔をほんの少し上に向ければ、正面に、額に汗をにじませながら、固まった視線を自分に向ける夫が見える筈だ。私は、妻がそうして自分に気づいて、私と彼女の間で止まっている時計を彼女の方から動かしてはくれないかと願っているが、どうも、そうはなりそうにない。やはり、こちらから声をかけた方が良いようだ。
どこか、このバツの悪い話を切り出せるタイミングはないかと、改めて妻の作業をじっと見つめる。そう言えば、妻の姿を正面からじっくり見るのは、随分久しぶりのことだ。新婚の頃、その立ち居振る舞いの全てが私を魅了し、飽きさせることのなかった妻の姿は、今も、当時眩しかった肌の輝きが、少し落ち着いた程度で、それほど大きく変わってはいなかったが、恐らく、世の夫婦と言うもののほとんどがそうであるように、年月が立つにつれ、お互いにまっすぐ向き合うことがなくなり、最近では、妻が外出用のワンピースを新調しても、髪を切ったりしても、その変化には、殆ど気付かない始末だ。世の夫というものは、皆そうしたものなのかもしれないと、頭の中の弁護人に言わせてはみるが、やはり、妻に対する申し訳なさが、検察官となって、弁護人をやり込めている。これは、一度、妻の服か髪をしっかりほめてやらなければならない、という反省の弁が、私の心に浮かんできた。
よく見ると、以前より少し痩せたのかもしれない。今そこで、夕食用の肉の塊に胡椒を振りかけている腕や丸首のシャツの襟ぐりから、すっと伸びる首筋は、私の記憶する一番新しい妻の姿よりも、どこかスッキリして見える。こんなことにすら今頃気づくとは、我ながら、やはり酷い夫だ。一人息子のヒロキも大きくなった事だし、これからは、もっと彼女と向き合わなきゃいけない。と殊勝なことを、私は随分と久しぶりに考え始めていた。
妻は、肉の下ごしらえを一通り済ませると、今度は、野菜の千切りにとりかかった。もう、ベテランの域に達したと言っていい主婦の包丁捌きは実に見事で、トントントンと軽快な音が全く乱れのないリズムを刻み、みるみるうちに、にんじんやキャベツが、その原型を失って、こよりのような細い繊維になり、それらがよりあつまって、オレンジや薄緑の小さな山がいくつも出来ていく。その間、トントントントンという音には、一瞬の乱れもない。今までも、そしてこれからも、ずっと続くような錯覚に人を陥れるようなリズミカルな音だ。
私は少し深く息を吸ってから、そのリズム音が止まらないことを願いつつ、やや落とした声で話しかけた。
「あのさあ。」
声が小さすぎたのか、妻は、私の存在自体に気付かない様子で、まだ包丁の軽快なリズムを刻み続けている。私は、その様子に少しほっとしながら、次の言葉を考えていた。どう考えても必需品ではない、しかも、もうすぐ、長くても一年足らず後には、使わなくなって庭の物置の奥にしまいこまれる代物を、私は妻にねだろうとしている。ここのところ、家族を旅行に連れて行くのも、妻の誕生日のプレゼントを買うにも、「節約」、「倹約」を呪文のように唱えていた私にしてみれば、こうした無駄遣いを自分自身で口にするのは、なんともバツが悪く、どうしても小声にならざるを得ない。次もそっと話しかけてみようかと思った私だったが、リビングに広げられた新聞に掲載されたゴルフ用品店の大げさな広告が、偶然目に入った途端、少し気が変わった。何も、それほどの重大事でもない。
考えてみれば、大した話ではない。私が、ビクビクしながら、そっと話そうとしていることは、新しいキャッチャーミットを買いたい、という実に取るに足らない願いだ。確かに、最近のキャッチャーミットは、素人向けでも数万円するもので、家のローンもまだ、たんと残っている我が家の家計からすれば、無視し得るものではない。しかし、世間のお父さん達が、休みの度、高い高速道路料金を払い、使いこなせもしない“タイガーウッズモデル”のクラブを担いで、目にも鮮やかな緑の絨毯の上をお散歩するのに比べれば、なんのことはない。全くもって、小さなお願いだ。そんなものより、高校野球の秋の地区予選を間近に控えた一人息子のヒロキとキャッチボールをして、ピッチングの調子を見てやることの方が余程、意義深く、大切なことのはずだ。そうだ、必要経費なのだ。私は、そんな自己催眠を自分に施そうと試みる。ただ、それでも、やはり、調子がでない。今日、新しいミットが欲しいのは、古いものが、使えなくなってしまったからではない。古いミットをなくしてしまったからだ。確か、玄関の傘立ての脇に置いた筈なのだが、先程見に行くと、不思議なことに、こつ然と消えている。庭の物置や自分の書斎、息子の部屋や脱衣所まで探し回ってみたが、どうしても見つからない。普段から、それほど、物の管理が得意ではなく、なくし物も多い私だが、あれほどに大きく、我が家のなかで、その存在感を常に示し続けてきたキャッチャーミットが、こうもたやすくなくなるものだろうか。私は、不思議に思いながらも、そろそろ傾いて、オレンジ色を帯びつつある陽の光に気づき、捜索をあきらめたのだ。ヒロキが、この次の試合で、きちんと実力を出すためには、どうしても今日、ちゃんとピッチングを見てやる必要がある。そのために、キャッチャーミットは、どうしても必要なアイテムなのだ。私は、名まあたたくも心地よい夏の夕暮れの空気をすっと吸い込んだ。
実のところ、高校野球で、エースナンバーを背負うピッチャーに、五十も過ぎた父親が、教えることなど、今更あるはずもない。しかし、息子は、未だに、父親のキャッチボールの誘いを断らない。試合前の日などは、息子の方から声をかけてきて、今、子供達が奇声を発している公園で、軽くピッチング練習をする。一通り投げ終わると、近くの自動販売機で買って来たスポーツドリンクを飲みながら、私が、愚にもつかないアドバイス息子にするのが、習慣となっていた。実際に試合を見に行くと、息子が、私のアドバイスを守っていたことなど、ただの一度もないのだか、「もっと、球を深く握って、それと軸足の沈み込みも足りないから、もっと上体をまっすぐに保って投げれば、いいんじゃない?」などと私から聞くこと自体、彼にとって、一種の精神安定剤になっているのかもしれない。ヒロキの小学校時代から、ずっと続いている儀式だ。
正確な日付は、把握していないが、息子の試合は、来月早々の筈だ。折悪しく、明日から海外出張で、家を留守にする私としては、どうしても、今日中に儀式を済ませる必要がある。仕方ない、多少のお小言は、覚悟しよう。夏の長い陽も徐々に傾きつつある中、見つかるアテのないミットを探して、貴重な時間を費やすより、さっさと買って来た方が効率的だ。これは、絶対に通さなければいけない予算申請だ。私は、再度、心を固めた。
とは言え、交渉は、なるべく穏便に、“なんとなく”済ませてしまいたい。何万円もする「不要品」を買うことを、まともに頼んだところで、妻の快諾を得られそうにはない。出来る事なら、忙しく働く妻に横から話しかけ、ろくに話を聞きもしない妻が、「はいはい、分かったわ。」と生返事をしてくれるのが、一番望ましい。そんな姑息な思いを胸に描きつつ、私は、料理をする妻に再び声をかけた。
「キャッチャーミット買いたいんだけど、いいかなあ。今のヤツ、どこかへいっちゃったみたいで。」と、今度は、少し大きな声で、話しかけてみた。
忙しい妻が、手を止めずに、「ふーん」と聞き流してくれることを願ったが、残念なことに、その望みは、調子良く鳴り続けていた、包丁の音と共に消え去った。手を止めた妻が、こちらを見ている。まっすぐな視線を私の顔からそらさない。少し驚いているような様子だ。しまった。火を使っているときにすればよかったか、と愚にもつかない後悔をしている私を妻は、尚も無言で、見つめ続けている。私も、次の言葉の準備をしてはいなかったので、黙ったままだ。家の中に満ちている夏のもったりとした空気のように、私が、始めた会話で動き出した時間が、再び止まってしまった。アブラゼミの音は、相も変わらず私の耳を掻き回している。
どれほどの時間が過ぎたのか、はっきりとは分からない。もしかしたら、十数秒のことだったのかもしれないが、私には数十分にも数時間にも思えた。たかが、キャッチャーミットを買う事が、それ程の重大事なのだろうか。それとも、何か、私に言いたい事が、別にあるのだろうか。私が、ここのところの自分の妻に対する態度や行動を反芻しながら、何か妻を怒らせるようなことがあったろうかと、あれこれつまらない想像を膨らませていると、ようやく時間が動き出し、妻が口を開いた。妻は、思いの他小さな声で一言を発した。
「あっ居たの?」
先程までの驚いたような顔が、少し緩んで、いつもの、いや、気のせいかいつもより優しい顔つきに見える。“居たの?”とは、随分調子の狂う答えだ。こちらは、清水の舞台とまでは、いかないが、家の二階程度の高さから飛び降りる覚悟をして話しかけたというのに、随分とそっけないじゃないか。そんな憤慨を背中に追いやりつつ「あ、あぁ」と私は答える。答えながら、私は、自分が今妻の着ているシャツに全く見覚えが無いことに気付いた。妻は、白やパステルカラーの明るい色を好んでいた筈だが、今着ているシャツは、紺色の少し落ち着いた色だ。胸には、アルファベットのロゴが入っているが、小さい字なので、よくは見えない。新しく買ったのか、それとも、妻の服装に無頓着な私が、初めて気づいただけなのだろうか。私は、改めて自分が妻をちゃんと見ていないことを反省させられる。やはり、今後はもっと、ちゃんと向き合わないといけない。定年後、二人になっても会話に困らないようにしないと。と、また殊勝な思いが頭をよぎる。
よく見ると、鼻の頭が少し赤いようだ。泣いているだろうか。いや、赤くなっているのは、ほんの少しだ。タマネギでも切っていたせいか。
とにもかくにも、私は、妻が目を吊り上げていないことに安心して、次の言葉を切り出した。急いで話すせいか、舌がつんのめっている。
「や、この時期に新しいのってのは、む、無駄遣いかもしれないけど、でも、どうしてもいるんだ。アイツ、ヒロキとは、今しか、き、今日しか、キャッチボールできないから。」
我ながら、自分の言葉に説得力がないことを自覚しながら、私は妻の反応を伺った。鼻の赤みはが、やや広がっているように見える。どうしたんだろう。何かあったのか。訝る私に、妻は、一層優しげな声で答えた。
「もう、いいんじゃない?」
イエスかノーかの答えを求めていた私には、妻の言葉が少しピントのずれたものに思えた。
“もう、いいんじゃない?”いいって何が?妻の答えが、私の言葉のどこに繋がるのか、分からなかった私は、少し甘い期待をこめて、妻に聞き返した。
「もう、買ってもいい頃合いだってこと?」しかし、妻はゆっくりと首を振りながら、「そうじゃなくて、もう大丈夫ってこと。」と言う。
どうやら、答えは、ノーのようだ。だが、声はゆっくりとして優しい。「最近、毎晩飲んで帰ってくるけど。」とか、「今更買ったって、これから何回使えるの?」と言った文句なら、却ってスッキリする。これは、かなわないと見て、退散することもできるのだが、「大丈夫」という中途半端にポジティブでネガティブな言葉が、私をその場から去ることを許さなかった。気付くと、鼻に加えて、耳まで紅潮している。私が次のセリフが見つからず、その場に立ち尽くしていると、妻が続けた。
「今日ね、もうすぐ一年になるから、家の中色々片付けようと思って、そしたら、ヒロキの小さい頃のモノが色々でてきたの。」
もうすぐ一年って、何が?いよいよもって、意味が分からない。私は、混乱する頭を整理しようと、改めて、家の中を見回した。なるほど、押し入れや物入れから出したと思われる段ボールやカラーボックスが、無造作にリビングやそれに続く和室に置かれている。皆、蓋が空いたままだ。その中から引っ張りだされた、私の衣類や息子の小さい頃の玩具、野球用具などが、一面に広がり、ただでさえ、狭い部屋の床をすっかり覆い隠している。部屋を占拠する様々なものの中には、ヒロキの小さい頃のアルバムも広げられてあった。片付けを中断して、思わず見入ってしまったのかもしれない。広げられたページの左上には、小学校に入学したてのヒロキが写る写真。入学式が終わって、生まれて初めての教室というもの入ったヒロキが、どこか不安気な顔で座席についている。祖父母に用意してもらった真新しいブレザーに身を包んだヒロキの、窓から差し込む陽光とは対照的な暗い顔からは、幼稚園の頃、年中友達にいじめられ、泣きながら帰宅しては、母親の胸に飛び込んでいた彼の集団生活に対する不安とほんの少しの覚悟がうかがえる。
アルバムの隣には、少年野球のユニホームが、丁寧に畳まれて置いてあった。小学校三年生のとき、ヒロキが初めて身に付けたユニホームだ。まだ、背番号のないユニホームを着た彼の得意気な顔は、今でもはっきりと覚えている。夜になって、もう寝床へ入らなければいけない時間にたっても、ヒロキはこのユニホーム脱がず、いつまでも、丸めた新聞紙や真新しいグローブで、野球の真似事をしていた。
ところが、それから数ヵ月後、彼のその機器とした顔は、落胆に埋め尽くされる。一週間後に迫った試合前に渡された背番号は、「104」。チームに入りたてで、年齢も一番下のヒロキが、試合に出ることがないことは、本人も分かっていたし、大人数のチームだったため、背番号が大きいのは、仕方ないこととだったが、同学年の子達の多くが一応、二桁の背番号を喜々として背負う中、この番号は、大いに彼を落ち込ませた。妻が「1」と「0」と「4」をユニホームの背中に縫い付けようとしたところ、真ん中の「0」を彼が、机の引き出しに隠してしまい、大騒動になった記憶がある。
六年生の頃だったか、プロ野球を見に行ったときにもらった有名選手のサインボールも転がっている。球団のオーナーだった取引先の社長が、営業マンとして出入りしていた私と息子を試合に招待してくれ、練習中の選手からこっそりもらってきてくれたのだ。サインの脇に「成田宏樹君へ」と書かれていたことが、息子を狂喜させた。そうか、あのミットは、このときのファールボール対策に買ってもって行ったものだった。通常ならグローブを買うのだが、会社で草野球を始めた私のポジションがキャッチャーだったので、ミットにしたのだ。
結局、その試合では、私達のいる客席近くに飛んでくる打球もなく、活躍することがなかったが、ミットは、その後、私たち父子の大切なコミュニケーションツールとなった。少年野球では、結局最後まで、レギュラーになれなかった屈辱を晴らしたかったのか、中学校でも野球部に入ったヒロキは、週末の度、私を近くの公園に誘い、ピッチングの練習をした。まだ、体が小さかったせいか、球速もコントロールも並以下で、部員数60名を超える大所帯の野球部で出場機会を与えられる望みは、三年生になっても殆どなかった。それでも、彼は投げ続けた。定期試験の前日も、小雨の降る中も、反抗期に入り、母親との口喧嘩が絶えない日々の中でも、殆ど、毎週必ず投げ続けた。私には、これがとても貴重な息子との会話の場になった。実際のところキャッチボールをしながら、大した話をするでもなかったが、中学二年のころからか、家では、部屋に閉じこもってゲームばかりをやっているヒロキの心情や言いたいことが、投げる球筋や独り言に近いつぶやきから感じ取ることができた。彼が、どんなに努力をしても結果の出ない野球にいらだっている事、勉強もスポーツも全くうだつが上がらない自分を蔑み、思うように友達もできないことに悩んでいること、それでも両親からの励ましに答えて、頑張ろうとするが、先生もクラスメイトも、そんな自分の努力を認めてくれないこと、彼のぼつぼつとした散文的な言葉から、そんな思春期の悩みを、色々と読み取る事ができた。
親にとっては、有意義なキャッチボールも、そのときのヒロキにとっては、空しいものだったのかもしれない。中学校の最後の試合、彼がやっとのことで勝ち得た背番号は「21」。朝からしっかり弁当を用意して、電車を乗ついで、試合会場に向かい、もしかしたらと期待する両親とヒロキの淡い期待は、最後の打者が三振に倒れたとき、降り始めた夕立と共に流れ去ってしまった。試合後、とうとう三年間公式戦に出られなかったヒロキの顔は、下半分が力なく笑い、上半分が、悔しさに引きつった妙なものだった。私は、そのとき、彼の三歳の誕生日にビニールのバットとスポンジを買ってやったことを、ひどく後悔した。
最後の試合が終わって、高校受験の準備を始める時期になっても、公園でのキャッチボールは続いた。野球部を引退し、伸ばした髪を彼が白く染めるようになっても、この習慣だけは変わらなかった。中学生だというのに、どこをほっつき歩いていたのか、深夜に帰宅し、閉じこもった部屋には、タバコの吸い殻さえあった。母親とは、毎日喧嘩が絶えず、私とも口をきくことが、極端に減ったが、それでも週末に私が声をかけると、のそのそと公園についてきて、くずれたフォームでピッチングをしていた。
リビングの真ん中にあるソファには、白の真新しいユニホームが置かれている。中学とは異なり、地区予選で一つ勝つことも珍しい高校の野球部のものだ。少人数故の必然とはいえ、今までの人生で、およそ「主役」と名のつくものに縁のなかった彼が、二年生にして、背番号「1」をつけて、マウンドに立つ姿は、私たちの一番思い出となった。経緯は、どうあれ、責任感は人を成長させる。ヒロキは、ようやく大きくなった体で、今まで見た事のない快投をみせた。準々決勝で、地域の強豪校にコールド負けこそしたものの、地区予選ベスト8は、その学校始まって以来の快挙で、地方紙のスポーツ欄でも大きく取り上げられた。試合で、彼の投げた一球一球は、私の頭にしっかり染み付いている。今でもスコアブックを再現できるほどだ。だが、試合に集中しすぎたせいだろうか、そのとき、隣にいたはずの妻とどんな話をしたのか、弁当に何を食べたのかなど、野球以外のことは、さっぱり思い出せない。そう言えば、あの時の新聞、大切にしまっていたはずだが、どこへいったのだろう。
「あなた」
食事の準備を終えた妻の、相変わらず優しげな声が、私を思い出から引き戻した。
「キャッチャーミット、いらないわ。もう、大丈夫、大丈夫よ。」
決して大きくはないが説得力のある声だった。高校に入ってから、徐々に立ち直ったヒロキを毎日見て来た自信がそう言わせるのか。ほんの少しだが、彼の小学校時代から今までを振り返った私の思いも妻と同じものに変わっていた。
「そうか?そうだな。もう、俺がいなくても、そうだよな。」
野球でも、それ以外のことでも、少しずつ自信をつけ始めた一人息子。もう、儀式なんてしなくても、アイツは、立派にやっていける。そんな確信に近い思いが、私の心を徐々に支配していった。胸の中に温かい何かが、ふわっと、広がっていくのを感じながら、視線をもう一度妻に戻そうとしていたとき、私は、自分の体が、ふっと軽くなるような感覚に襲われた。正確には体の重さと言うより、存在自体を頼りなげに感じた、と言うべきか。
同時に、私は、先ほどからずっと感じていた違和感の正体に気付いた。セミの音についての違和感だ。その音には、あるべきものが欠けている。ヒグラシの音がないのだ。今は、八月の後半、ヒロキの試合が終わって、一月程経った頃のはずだ。アブラゼミだけがやかましい夏が、そろそろ終わりを告げ、どこか淋しい秋が迫るこの時期、公園の木々から聞こえる夕刻のバックグラウンドミュージックは、ヒグラシでなければならない。しかし、今聞こえるのは、アブラゼミの押し付けがましい声だけ、これが、先ほどからずっとおかしく感じて来たことだ。その違和感に気付くのとほぼ同時に、今までピンと来なかった妻の応対の意味も徐々にわかってきた。正確には思い出して来た、と言った方が良い。私の頭には、徐々に、ある淋しい仮説が持ち上がってきた。理屈というより、軽くなった体がそれを教えてくれる。
「ヒロキは?」
自分の考えの正しさをどのように確かめて良いのかわかなかったが、何かの糸口になれば、と妻に聞いてみた。答えは、私の想像を超えて的確なものだった。
「明日が、最後の大会の初戦なの。今年は、絶対に見に行かなきゃ。あなたの写真も持って行くわ。」
妻の耳と鼻が、更に赤みを帯びていた。”明日が試合”、毎年予選は、七月の中旬からだ。今は、大会の終わった八月ではない。
”今年は絶対見に行く”、”あなたの写真”。
先ほどから感じている体の異変やアブラゼミの声への違和感が、これらの言葉と見事に組合わさって、私は自分に起きていること、いや、起きたことをはっきりと理解した。「なあ、ヒロキの勝ったときの新聞ないか?」
妻に尋ねると、「去年の?なら、ここにあるわ。」
妻の目がいつもより輝いて見えるのは、夕陽が涙に入り込んで乱反射している為だ。
そう、去年、ヒロキの勝った試合は去年だった。妻が、テレビ台の引き出しから、取り出してくれた地方新聞を私は、手に取る事ができない。それに気付いた妻は、震える手を一生懸命に押しとどめながら、私の前でスポーツ面を広げてくれた。少し黄ばみ始めた紙面には、ヒロキの投球する姿が大きく出ている。「城東高校 15年ぶりの勝利」との大見出しの脇に少し小さな見出しが見える「エース成田 父の死乗り越え好投」、さらに、同じ紙面の左下には、「球児の父、交通事故死。球場前の交差点で」とあった。
「もう、一年、経っちゃったのか。」そう言いながら私は、自分の体が、さらに、宙に浮き上がっていることを感じている。耳や鼻の赤みが、顔全体に広がった妻は、「戻って来たのね。でも、明日は駄目なの?」と、涙声で尋ねた。
「ああ、どうしても心残りなことをキミが解決してくれたから、行かなきゃいけないみたいだ。でも、安心したよ。」宙に浮きかけた体は、その色も失い始め、両脚は、すでに消えてしまっている。
「苦労をかけたんだろうな。」
妻は、ゆっくりと首を振りながら、「大丈夫、大丈夫よ。ヒロキも随分しっかりしてきたし。」私は、妻が痩せた理由を想像し、その半分が既に消えかかっている胸が苦しくなった。妻は、もう一度、私の目を真っすぐ見つめた。「私、いつか、あなたが、こうして来てくれるって思ってた。だから、その時までに、ちゃんとしようって。あの子のことも、ちゃんとしようって。」妻の両目から、大きなしずくが、いくつもいくつも落ちだした。「心配しないで、これは会えて、会えて嬉しかったからだから。」触れる事はできないが、きっと妻の涙は、温かいだろう。少しの淋しさと嬉しさ、そして大きな決意が、この涙を温めているに違いない。私は、思わず妻を抱きしめたかったが、そうしようにも、もう私には、両腕がない。
「ただいま」玄関から、聞き覚えのある、がさつな声が聞こえた。ヒロキが帰って来たのだ。私たちが対峙するリビングに入って来たヒロキは、私の消えかけの体を通して、妻の顔をじっと見つめた。「どうしたの?泣いてる?」問いかけるヒロキに妻が、「タマネギ切ってたら、これ、新しいからかしら、どんどん目が痛くなっちゃって。」と答える。少し安心した様子で、「ふーん。タマネギは、切れ端を一つ口にくわえて切ると、目にしみないって言うぜ、大会が終わったら、俺がなんかつくってやるよ。」と言ったヒロキは、くるりと背を向けて、廊下に出ると、自分の部屋のある二階にトントンと上がって行った。たった一年で、随分とたくましくなった。
「あの子には、見えないのね。」妻が、再び、私を見て言った。
「ああ、あの子の中では、もう整理がついているんだろう。」
「そうね。私も、そろそろかしら。」
「かも知れないね。それを感じるから、俺は今、消えかけてるんだと思う。」体が更に高く宙に浮き、肩から下は、すっかり消えている。徐々に色を失いながら、それでもうっすらと残った私の頭は、部屋の天井近くまで達していた。「もう、限界みたいだ。」
苦しい訳ではない。むしろ心地よい喪失感が、私を支配していた。力を抜いて目をつぶれば、このまま、すっと消えて上って行けるのだろう。しかし、私には、そうする前にもう一つだけ、聞きたい事があった。
「俺の古いキャッチャーミット、あれ、ないみたいだけど。」
妻は、驚いた顔で「あら、あなたのところに届かなかった?」と聞き返す。
「俺のところ?」
妻は、少し首を傾げながら、「あなたに、あちらでも使って欲しいって、ヒロキが棺に入れたのよ。」と言った。
「そうだったのか。じゃあ、もう一度、向こうで探してみる。」
「そうしてね。きっと見つかるわ。」
もう、頭も薄くなって、殆ど残っていない。妻からも私の顔がはっきりとは、確認できなくなっているだろう。
「行っちゃうの?」
「上で、キミが来るのを待ってるさ。あと五、六十年かな、それぐらいすぐだ。」
「そうね。そうよね。」
それが私の聞いた、妻の最後の言葉だった。妻の涙と同じ温度のものが、私の胸を覆い尽くしたが、私にはもう、涙を流す目も残っていなかった。
アブラゼミの音が、相変わらず、押し付けがましく真夏の赤い夕陽のなかで鳴り続けてていた。
キャッチャーミット