私の渦

大学に授業で作った小説

ついでにこちらにも

読めばわかるのですが若干縛りの中で書いてます

磯の鮑の片思いを思わせる恋愛小説です

私の渦

私の渦


「かひなしと何嘆くらむ白波も君がかたには心寄せてむ」

初夏の穏やかな昼休み。予鈴ののチャイムをBGMに不思議な声が聞こえる。黒板消しを叩き合わせようとした僕の手がぴたりと止まる。ボロボロの黒板クリーナーが全く役に立たない為日直の僕は今時誰もやらないみんなが不快になる俗称黒板消しパンパンをやろうとしていた。グラウンドのサッカーバカに煙たがれないためにもわざわざ廊下を通り多目的教室の窓を開けて腕を広げた瞬間。同じクラスの相馬涼子さんんの詩が耳に飛び込んできた。
「あ…」
反射的に彼女が声を出す。今の僕はシンバル叩きの猿玩具よろしく間抜けに腕を広げた姿で余計に気まずい。彼女は先ほどまで音読していたであろう古典の教科書を広げたまま口をぽかんと空けている。
「あ、あの…」
どうにかこの気まずさを脱出しようと探すが言葉が見つからない。文学少女いいじゃないか。一人で教科書読むとか真面目だね、さっきの古典の復習なの。バカ丸出しの台詞がのど元に溜まっていく。ぶっきらぼうに汚れるからどいてというべきか。それとも予鈴になったよ。教室に行ったほうがいいよと優しさ全開でいうのが正解か。こんな小さな事でも僕の脳味噌は既にキャパシティオーバーだ。
「あ、それもしかして百人一首?僕も好きなんだ。百人一首」
君がためと続けようとしたところを若干食い気味で彼女が返す。
「あ、これ堤中納言物語です。」
それが僕と相馬涼子さんの初めての会話だった。

 夜、自室に手僕は布団にくるまりながら百人一首専用の単語帳をペラペラとめくる。一生の不覚。短歌イコール百人一首と考える私のあさはかさよ。中学一年生の百人一首大会では「むすめふさほせ、決まり字の大ちゃんと呼ばれ数々のコールド勝ちを飾ったたこの僕がなんと無様なことだろう。出だしをはずしてからはひどいもんだった。2、3言かわすと彼女はちらっと教室を見て僕は早々に話を切り上げた。
「貝が好きなんです。」
理科の先生が不機嫌そうに黒板消しをみながら授業を進めている中僕は去り際に彼女がいった言葉を反芻していた。涼子さんは僕の前の席で真面目にノートをとり続けている。窓からの風が彼女の長い黒髪を揺らし柑橘系のシャンプーの香りを運んでくる。僕は彼女が好きだった。ちょっと気になってたとかではなくて普通に一目ぼれだった。誰かに打ち明けたこともないしこれからもおそらくずっとかくしていくだろう。席替えで前後の席になれた時は何回もにやけそうになるのをかみ殺した。クラスで目立つような存在でなくいつも本ばかり読んでいるような子だったけど下手にアピールしてくる女子に比べたらずっと良かった。プリントを回す時にいつも目を見て軽くうなずいてくれる。そんな彼女のさりげない優しさがずっと前から好きだった。
単語帳を放り投げ鞄から古典の教科書を取り出す。堤中納言物語。まだ授業でやってないお話だった。
「ていちゅうなごんじゃないんだ」
僕は堤の所にルビをふる。涼子さんが読んでいたのは「貝あはせ」に登場する短歌だった。何となく頭から読んでみるが全く分からない。おそらく涼子さんは既に何度も読んでいて訳も完璧なんだろう。そう思うとどうにかして訳してやろうと思ったが僕は早々に諦めて横になった。

「というわけで秋の文化祭うちのクラスは展示となりました。」
ホームルームでうちの学級委員が申し訳なさそうにいう。その瞬間えー?と落胆のこえがあちこちから聞こえる。うちの学校の文化祭は模擬店、お芝居、遊戯、展示の中から一つを選ぶ決まりとなっている。一番人気がないのは勿論展示だ。中二の時うちのクラスが展示を引き当てて僕も受付を三十分ほど担当したのだがひどいもんだった。バルーンアートなんて誰もみもしない。家族連れが軽く一周するぐらいだ。二日目からはやけくそで椅子とテーブルを置いてみたら見事に休憩スペースと変わった。
「ま、まあ、気を取り直してみんなで頑張りましょう。」
そういって黒板に小さく展示の二文字を書く学級委員長の背中が寂しい。彼こそは去年展示室を休憩スペースへと変える英断を行ってくれた我がクラスの学級委員長、丸井くんだ。前に聞いたのだが彼は一年のクラスの時も展示を引き当てた展示王だ。
「丸井おめーどんだけくじ運ねーんだよ。」
クラスのお祭り役の文句をひたすら受ける彼に僕はこっそりとエールを送る。これで彼は演劇部の脚本担当だというから泣けてくる。中学時代の文化祭が展示一色なのだ。二年の時隣のクラスのお芝居で誰よりも早く立ち上がり拍手をし、一人スタンディングオベーションをした時の凛々しい姿を僕は忘れない。落胆ムード一色の中丸井君のチョークの音だけが響く。そんな中で隣の席のガリ勉が一瞬笑顔を見せたのを僕は見逃さなかった。杉村はクラス一の秀才だった。彼は表情を直し視線を黒板におくりながらも手は忙しそうに机の中を探る。そして手の中に隠しながら英単語帳を机の上においた。かれは五月の模試の為に一週間丸々学校を休んだ強者だ。授業中は聞かなくても分かるといった顔でせっせと内職にいそしむ。きっと彼は一刻も早く塾に向かいたいのだろう。学校行事なんてものは適当に流して受験に集中したい。そういうクラスのものはなんだかんだいってうちにも結構いて彼らは今頃展示王丸井先生のくじ運に感謝しているだろう。僕はただみんながやっているからという理由でしか受験勉強はしてないしまだみぬ高校生活にそこまでの努力を注げる彼らを若干うらやましくも思った。展示になろうが何になろうが、僕にはどちらでもよかった。
「丸井君」
芯の入った声と共にまっすぐ、選手宣誓のように手が挙がる。風紀美化委員長の松山千秋だ。
「展示品は貝がいいと思います。うち海近いし。
「へ?」
丸井君の間の抜けた返事のあとは何も続かなかった。

授業を終えて僕はまっすぐ帰路につく。日は長くなり未だに空は青く暑い。本当は高速違反らしいのだが僕はワイシャツのボタンを一つ外す。結局うちのクラスの出し物はまさかのまさかの貝となってしまった。タイトルは「学校の周りで見つけた色々な貝殻」噴飯ものである。周りとかいっているが出所は砂浜だ。しかし展示で話題を独占するような一発逆転の名案が出ることもなく長い沈黙の後に各自一つずつ貝がらをもちよる事となった。毒を食らわば皿までといえばいいのだろうか、とことん退屈を極めた展示になりそうだ。僕は少し不機嫌だった。展示の内容以上にあの松本の案が通った事が許せなかった。僕はあまり人の用紙をとやかく言う気はない。自分が言われたら嫌なことは人にしない。当たり前だ。だがしかし生理的嫌悪感というものは誰にだってある。
「今日は美化点検の日です。皆様今日はいつも以上に気合を入れて掃除に励んでください。勿論普段通りで問題がないならそれが一番ですが。」
イントネーションを間違えることなく彼女の声で脳内で再生される。言わなくてもいい事を言い終えると彼女は無意味にあたりを見渡し席に着く。この間丸井君がいつもありがとうと軽い皮肉をつけた時僕は彼と心の友になれると確信した。毎週水曜日のこの美化点検という日はいつもただ流すだけの掃除を風紀美化委員が姑の十倍のいやらしさで細かくチェックするといったものだ。週の半ばにやるというのがまた姑息である。この時まさに今が私の生きがいですとプラカードを掲げるかのように教室内を闊歩する彼女。首を伸ばし顎を突き出して隅から隅を、いや敢えて隅ばかりを見ようとする彼女の姿は醜悪そのものである。僕は黒板の溝の拭き方が汚いと何度もやり直しをくらった。ついでになるが昨日理科の先生が黒板消しをみて嫌そうな顔を浮かべるとともに彼女の鋭い視線が僕に突き刺さった。重ねて言うが僕は決して彼女の外見をとやかくいうつもりはない。例え彼女がかわいい女の子BOTにレギュラー登場するくらいの容姿でも僕は同じように思うだろう。そして面と向かって言えないのも同じである。なんとか難癖をつけて彼女の貝がら展示会を潰す名案を考えたが頭には何も降りてくれなかった。こうなったらとことん流そう。前日に海で拾った貝殻をそのまま渡してやろう。うちの学校から近くの砂浜まではおよそ三十分程度の距離で僕の家はその狭間にあるたまに運動部がランニングで使うためかよく僕の家の前にも掛け声を交えて汗まみれの一団が通過する。ご苦労様ですと僕は部屋でだらけながら心の中でつぶやく。それにくらべたら貝がら拾う事なんてイージーイージー受験に専念しましょう。そう思い僕は足を速める。とにかくやる気を出そう。実体のわからぬものに向かい霧の中に飛び込むかのように僕は家路を急ぐ。危機感も必要性もはっきりとはわからない。偏差値からいけそうな高校を出してそこを受けるだけ。そんな事しか思えない。しかし頭の中を切り替えなけばならない。僕は頭の中でひたすら単語を並べる。
「貝が好きなんです」
ふと、あの時の涼子さんの一言が思い出された。僕は家を通り過ぎてそのまま砂浜に向かった。もしかしたらという期待を胸に。
家を通り過ぎてからおよそ15分歩くと千里浜に到着した。砂浜といっても海水浴場で有名とかではなくお年寄りが犬の散歩に使ったりランニングコースにされる程度の場所だった。砂浜にはゴミが点々と落ちており波が引いたあとには洗剤のような泡が残る姿を見ると泳ぐきなどは起きないのだろう。小学校の時ここで潮干狩りが行われたが僕はその時丁度波に乗って魚の死骸が流れご対面するというハプニングに見舞われた。今日も人は少なく時折運動部の一団が通過する程度だった。期待半分、暇つぶし半分で涼子さんを探してみる。まさか貝が好きだから探しにくるとか、そんな単純なことはないだろうし、そもそも本当に貝殻が好きなのかもわからないし。でも、もし会えたらちょっとだけ松本さんに感謝しよう。僕は鞄を肩にかけると。階段を下り砂浜に入る。一歩歩くごとに足が沈み足跡がくっきりと残る。どうせなら靴を履きかえてくればよかったと少し後悔をした。乾いた砂がさらさらと隙間に入ってくる。向かいからは丸刈り集団が走ってくる。うちの野球部だ。こんな中をわざわざ走るとはしかも長袖長ズボンここまでくると一種の尊敬の念を抱いてしまう。僕は敬意をこめてかれら会釈を送る。同じクラスの人は見当たらなかったのでまあいいだろう。特に反応もなく彼らは複雑な掛け声とともに駆け抜けていく。振り返ると既に日は沈みかけていてオレンジ色の光が彼らを包み込んでいく。
「おお、ドラマみたい」
思わず呟いてしまったこれで太陽の位置が海側で彼らが海に突っ込んでくれれば完璧なのに。そんな完全他人事の勢いでくだらない事を考えてしまう。そう思いながら視線をずらすとと一人の女性が波打ち際でしゃがみこんでいた。何かを拾ってるようだ。上はうちの女子の制服で白いワイシャツがオレンジ色に染まっている。もしやと思い一歩進み、落胆して二歩もどった。
松山だった。彼女はスカートの下に芋ジャージのズボンをはき熊手を片手に貝を掘り当てては箱の中にぶち込んでいた。完全な戦闘態勢である。僕は彼女の勉強優先で楽をしたいがために貝の展示を希望したのかと思っていたがどうやら全力で貝の展示をしたいみたいだ。まるで砂浜の貝という貝をとりつくすかのような勢いで拾っては投げ拾っては投げを繰り返す。何が彼女をそこまで駆り立てるかはわからないが僕はそれをみて涼子さんのことなどどうでもよくなりこの場から立ち去ることにした。見つかって話しかけられたらどんなめんどくさいことになるか。僕は速足で砂浜を後にし、階段を駆け登った。階段を上りきると同時に僕は足を止める
「あっ」
昨日と全く同じ状態でぽかんと口を開けた涼子さんの姿がそこにはあった。足が止まり、体が固まり、時間も止まってしまいそう沈黙が流れる。ちょうどその時浜辺の歌が流れだす。五時の鐘だ。僕は音楽の隙間に紛れるように
「ど、どうも。」
いうと同時に涼子さんの横をすり抜ける。二度目の会話はそれだけだった。彼女は学校帰りのまま砂浜に来たようで制服姿のままだった。いつもの黒髪はヘアゴムで束ねられているだけ以外は特に変わりなかった。涼子さんも貝殻を取りに来たのだろうか。僕は彼女が熊手を持っていないことを後ろから確認をし、少し安心した。貝がら拾いにきたのとひとこと声をかければ何か違った展開になったのだろうけどそんな気分にはなれなかった。また砂浜を覗いてみよう。そう心に決めて僕は家に向かった。

光陰矢のごとしとはよくいったもので夏休みはあっという間であった。僕は親の指示で塾に通いだしひたすら塾に通う毎日であった。テキストのページ以外は特に変化もなく。遠出するとしたら模試の時くらい。近所の夏祭りも誘われたが特に行く気もおきなかった。ただ受験に集中したというわけではなく、ただ周りと同じルートを流れるまま進むだけであった。問題集で頭を埋め尽くして余計な事を考えないように僕は中学最後の夏休みを過ごした。唯一の楽しみは同じクラスに展示王改め丸井君がいたことだ。文化祭を不完全燃焼で終えた彼は白紙になった予定を全て塾で埋め尽くしたようで僕らはほぼ毎日顔を合わせた。演劇のお話をふると彼はあのスタンディングオベーションの時と同じような顔を浮かべて話しだす。彼は口癖のように
「僕はお芝居で命を燃やしたいんだ。そしてその姿をお客さんに見てほしい。」
と言っていた。かっこつけるわけでもなく自然にその言葉を選んでしまった。等身大の姿に僕は元気をもらいもし彼が演劇を引き当てたらどうなったのか少し残念に思った。
 残暑に突入し、いよいよ夏休みもあと一週間という所で丸井君が夏バテに陥った。勉強でも命を燃やしてしまったのかなんて冗談交じりに思いながらも、僕は実質一人ぼっちで教室にいた。ただ黙々と授業を受けているだけだが不思議と苦には感じなかった。このまま淡々と受験当日と過ごせるのだとしたらそれも悪くないのかも。クラスメイトが時計をちらちらと確認する。もうすぐ授業が終わる。ふと外を見ると窓に涼子さんが映った。あの時と同じように髪を束ねて。また、時間が止まる思いがした。
「おーいそこの、聞いてるのか」
先生が黒板をチョークで叩く音で再び時が動き出した。ゆっくりと確実に心臓の音が大きくなる。チャイムが鳴ると同時に僕は立ち上がりそのまま砂浜へと向かった。つまらない言い訳はやめよう。僕は結局彼女と話したかったのだ。無機物な塊で埋め尽くされた僕の心の奥で何かが燃えた。告白とかそういうのはどうでもいいただ、彼女と話がしたい。それだけの事を何故こらえていたのだろう。気づいたら僕は走っていた。思えば夏休みに入って初めてだったかもしれない。アスファルトを踏みしめてスニーカーが熱くなる。丸井君の命を燃やすという言葉の意味が少しだけ理解できた気がした。
 砂浜には涼子さんが一人ぽつりと座っていた。僕は息を整えながらゆっくり彼女のもとに向かう。彼女は手で撫でるように砂を掘り、何かを拾っては海に投げている。その旅に小さな水しぶきが舞う。何を投げているのだろうか。僕はゆっくりゆっくり近づいて行った。
「貝を、投げてるの?」
自然と口から出てしまった。彼女は驚いて振り返りいつものように口をぽかんとあけていた。
「ど、どうも。」
僕もいつも通りに返し沈黙が流れる。続けなくては。喋らなくては。
「あの、なんで貝を投げているの?」
僕は改めて問い直す。彼女海に視線をもどしゆっくりと答えた。
「貝を海にもどしているんです。海は貝にとって初恋の人だから。」
不思議な間が流れ、僕はもうどう反応していいかわからなかった。
「いきなりすみません」
涼子さんがフォローをくれる。
「あ、でも貝好きだって言ってたよね。ほらあの時。」
反射的に僕は答えてしまう。
「あの時、ああ校舎裏の時のですか。」
覚えてくれてたのかと僕の心が跳ねる。
「そう、なのになんで貝を海に捨てちゃうの。」
「捨てるんじゃなくて戻しているんです。」
いつもの柔らかい口調と違って凛と答えると僕の目の前に一つの貝を差し出してくれた大きな渦を巻いていて、内側の光沢が日光を浴びてまぶしく光る。
「この貝。どうして渦を巻いていると思います?」
問いかけの意味が分からない。僕はとにかく間をあけないようにこたえる。
「え?それはいったい」
時間稼ぎの言葉は即座にさえぎられた。
「ですからどうしてこういう形になったと思います」
いつもと違う彼女の姿に戸惑いながらも初めてみる彼女の姿に僕はもう海へと飛び込んでしまいそうだ。僕は手をうしろに回し、ゆっくり人という字を三回書いた。
「それは、外敵から身を守るためとかかな。違うかな。「
彼女はゆっくりと渦の中をみつめながらこたえる。
「違います。一番好きな音をそこの渦の中に残すためなんです。ほら」
彼女は立ち上がり僕の耳にやさしく貝をあてる。
「波の音が聞こえますか。」
心臓の音しか聞こえなかった。
「あ、うん波の音だね。」
彼女は再び渦の中を見つめる。
「そうです。これは海の声なんです。全ての貝は海に恋をしているのです。ですからどんな時もその声を聴いていられるよう。残したくて、渦を巻いたんです。でもこうやって波に打ち上げられた貝はもう海に帰れないんです。だからこうやって海に戻してあげているんです。」
そういって彼女は貝をやさしく海へと投げた。いやもどしてあげた。小さな小さな水しぶきがとぶ。
「すみません変な事いっちゃって」
そういって急に恥ずかしそうな照れ笑いを浮かべて僕に横顔を見せる。いつものようにそこには優しい彼女がいた。
「優しいんだね。涼子さんは」
おそらくこういうのは言わないのが恋のテクニックなのかもしれないがつい出てしまった。
「そんな事ないですよ。私がやりたいからやっているんです。」
そういって彼女は再び海をへ投げる。胸のポケットには小さなミルク色の一枚貝が入っていた。
「それは?」
僕は彼女の指をさす。あくまでも胸ポケットをさしたのであって胸をさしたのではない。と自分に言い聞かせながら。
「ああ、これは文化祭のやつです。巻貝は持っていきたくないので。」
ポケットから取り出しながら彼女は言った。
「じゃああの企画には反対なんだ。」
彼女は貝を再びポケットにしまい。砂浜を見渡しながら答えた。
「それはもう嫌いですよ。わざわざ文化祭でやることはないと思いますし、おかげで掘り出された貝がそこら中に散らばっていますし。まあ、でも言ってもしかたないですし。でも貝殻だって生きているんですよ。ただの殻じゃないんです。」
貝が好きだと答えた彼女の真意がはっきりと分かった。おそらく彼女は度々砂浜にきてこうやって貝を海に帰していったのだろう。貝が渦の中にこもらないために。僕は足元の転がっていた巻貝を一つ拾い、渦を見つめた。飲み込まれそうな渦の中でこの貝はどんな音を聞いているのだろう。
「あ、貝合わせってわかります。」
はっと意識が涼子さんに戻る。
「ああ、堤中納言物語のやつだよね。拾った貝の綺麗さを競い合うやつ。」
学校ではまだだったが塾の方でやっていたのだが多少は覚えていた。
「そうです。あの貝たちは勝負が終わったあとどうなったでしょうね。そのまま捨てられてしまったんでしょうか。海に帰れずただ勝負ごとに使われたとしたら残念です。
彼女は巻貝を拾うとそれ優しく手で包み込んだ。そして再び海に投げようとした。
「まって」
彼女は驚いたようにこちらをみる。
「相馬さん、よければなんだけどこの貝とその貝は文化祭に出してみない。」
彼女は少し不機嫌な顔をして答える。
「なんでですか。話聞いてましたよね。」
僕は少しひるみそうになるがそのまま言葉をつづける。頭の中では丸井君の顔を思い出していた。
「だってさ、折角こんな形になってまで声をきき続けようと命を燃やしているのならその姿をお客さんに聞いてもらうのも悪くはないんじゃないかな。折角の機会なんです。」
一人でスタンディングオベーションを送った丸井君のように僕はおそらく休憩室と化すあのエリアで拍手を送る覚悟でいた。彼女は口をぽかんとあけたままだった。
「ああ、勿論終わったら海に帰すからさ」
涼子さんは胸ポケットに一枚貝を砂浜に置き。巻貝を見たまま答えた。
「まあ二個だけならいいですよ。」
そういって大事そうにしまうと彼女はただただ海を見つめていた。僕はそんな彼女の横顔よりも渦を巻いた彼女の耳を僕はずっと見つめていた。

 文化祭は散々だった。丸井君は机を初日からならべ展示室は休憩室と化しさらに飲み物までふるまいだしたので最早喫茶店であった。手抜きだらけの内装の中松山さんの作った貝殻のアクセサリーだけが常に光っていた。ただ一つ、涼子さんが僕の拾った巻貝にそっと耳を当てている姿が印象的で僕は彼女の巻貝を同じように耳にあてた。
「ごめん貝たちをゴミ捨て場に捨ててきてもらっていい?」
若干かすれた声で丸井君が僕に言う。彼は三年の演劇でカーテンコールを何回も希望し一人で百人分にも匹敵する歓声をあげてボロボロになっていた。貝たちを入れた袋を持って学校を抜け出した。既に閉会式を終えて何人かは帰っていたので誰にも断らず砂浜に向かった。隣には涼子さんがいた。
 クラスメイトが持ち込んだ貝にも巻貝はいくつかあり僕らはそれらを海に戻した。周りかみたら非常に馬鹿げたことかもしれないがそれでも僕らは貝たちの恋をかなえようと必死だった。ふと僕は自分が拾った巻貝を手にとった。そして渦を見せて彼女に話しかける。
「ごめん、この貝だけは僕が持ってちゃダメかな。」
この貝は僕だった。貝の中には波の音と共に涼子さんのあの優しい声が入っている。文化祭の時貝に耳を当てた彼女をみて僕はそんなことを思っていたのだ。結局僕はただ自分に都合のいい解釈をしているだけなのかもしれない。しかし
「私もそうします。」
彼女はそんな僕の解釈に付き合ってくれた。彼女は僕が同じように耳を当てた貝を見つけ出すとそれをハンカチで包んで鞄にしまった。

 冬、受験に向けて最後の追い込みの時期。僕はたまにあの時の貝を耳にあてる。波の音色に混ざり、あの時の会話がよみがえる。丸井君みたいに僕はどんなものに命を燃やせるか。まだわかっていない。でももし出会えた時あの時の恋心はまだ見ぬ僕の夢を後押ししてくれるだろう。僕は彼女の優しさが好きだ。そしてその思い出はこの少し汚れた貝と私の耳の渦にはっきりと残り続けている。

私の渦

私の渦

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-01-16

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