悲しい人形と壊れた人間の町2

悲しい人形と壊れた人間の町2

2 人形作り

 大輔はパン屋を出ると通りの先にある人形作りの家に行った。淡い色をした他の建物と違って、その家の壁だけは真っ黒だった。窓の内側には重そうな赤いカーテンが掛けられ、中の様子は全く見えなかった。
 大輔がコツコツと窓を叩いたが、中で誰かが動く気配は見当たらなかった。しかたなく道を眺めながら、その場で待つことにした。道にいる数少ない人は、特に目的も無い様子でゆらゆらと歩いていた。色あせたシャツを着たような建物は、一見明るいが良く見ると色の奥にたくさんのひびが刻まれていた。町には全体的にくたびれた印象があった。
 突然、窓の中にある赤いカーテンが下から持ち上げられ、眠そうな顔が現れた。
 人形作りはぼさぼさの髪を肩の上まで伸ばしていた。顔の部品は不気味な程形の良いものが揃えられ、それがきりっとした輪郭の中に最適に配置されていた。三十歳は超えていると思われる肌だったが、健康的な艶があった。人形作りは窓を開けると「こんな朝早くに来るなよ」と不機嫌そうに言った。
「何かあったらいつでも来いって、あんたが言ったんじゃないか?」
「例えば、『困ったことがあればいつでも言ってね』と近所のおばちゃんが言ったとするだろ」人形作りは大量の髪に手を入れ、頭をごしごしと豪快に掻いた。「寝静まった夜中に、そのおばちゃんに電話を掛けてみろよ。近所で悪口言われるぞ」
「でもさっきパン屋であった斉藤夫妻が『朝早くても大丈夫』って言っていた」
「じいさん達は別だ。老人達には全力で敬意を示すべきだ」人形作りは優しい目をした。「ところでお前は何の用で俺を起こしたんだ?」
「もらった人形があくびをしたんだ。どうゆう訳だか教えてくれないかな?」
 人形作りは大きくため息を吐き、ついでに「入れ」と言うと、入口の鍵を開けた。
 中は薄暗かった。完成した人形も、作りかけの人形も見当たらなかった。生活がなされている様子も一切なかった。八畳程度の部 屋の真ん中に、大きな木のテーブルが置かれているだけだった。人形作りはテーブルに沿って置かれた小さな椅子に腰掛けた。
「お前の人形があくびをしたんだな」
「そうなんだ」大輔も椅子に座り、手に持っていた人形をテーブルに置いた。
 木製の人形は純朴な顔をして大輔を見ていた。
「お前はあくびを取られたんだ」
「あくびを取られた……」大輔は無意識に首を傾げた。「人形に?」
「そうだ。人形にあくびを取られたんだ」
「ちょっと待ってよ。僕はもうあくびが出来ないってこと?」
 人形作りは楽しそうに頷いた。「お前があくびをすることはもうない」
「なんだって人形が僕のあくびを奪うんだ?」
「この町にいる人形は、持ち主が捨てたいと思った観念を引き取る。観念というというよりもっと人間の根本的なものと言ったほうが適切かもしれないが」人形作りは人形の頭を指で撫でた。「こいつらはいつも辛いものを受け取っちまう」
「ちょっとよく分からないんだけど」
「お前は疲れ果ててこの町に来た。体も心もぼろぼろに疲れていた。お前は心底『疲れ』を憎み、疲れを取り除きたいと思っていたはずだ。そして、人形はお前から『疲れ』という観念を取り上げた」
「それは『疲れ』という言葉に対するイメージが持てなくなったということ?」
「もう少し根本的なことが出来なくなったんだ。人間の脳は、体や精神が疲労した状態と『疲れ』のような大雑把なイメージを繋ぎ合わせて保持している。だから体や精神がある状態になると、それに繋がっているイメージが呼び起されて、何となく『疲れている』と人は感じるんだ。お前はその脳の処理そのものを失った。だからいくら体がずたぼろになっても、脳はそれを『疲れ』と認識しない。言っていることは分かるか?」
「たぶん」大輔は小さく頷いた。「僕は、何というか、体の疲れを『疲れ』と感じなくなった」
「そんなところだ」人形作りは小さく笑顔を作った。「ただその影響はもう少し大きい。つまり『疲れ』に連鎖する脳の指令が発生しなくなるんだ。お前、このごろ寝ているか?」
「寝ていない」
「つまりそういうことだ。人間の脳は『疲れ』を認識すると、体を休めるように、例えば寝ろと指令を出す。お前の脳は『疲れ』を認識しないから、寝ろと指令することもない」
「確かに数日前から寝ようという気分になったことがない」
「そしてここからがお前の質問の答えになる」人形作りは椅子の背もたれに体を預けた。「人形は人から辛いものを受け取り、代わりに不必要になった人間の機能をもらうんだ。お前の場合、人形はお前を苦しめていた『疲れ』を受け取り、寝なくなって不要になったお前の『あくび』をもらった。そういうことだ」
「僕は『睡眠』という機能も失ったのかな?」
「それはたぶん失っていない。お前にとって『睡眠』は不要なわけではなくて、脳がお前に睡眠をさせていないだけだ」
「それにしても」大輔は息を吐いた。「何かを無くすことは少なくとも良い気分ではないね」
「それは身勝手な発言だ。人形がお前から取り除いたものは、お前を楽にさせた」
テーブルに腰掛けた人形の口が大きく開き、ゆっくりと閉じた。
「これが僕のあくび……」不思議と笑いのようなものが小さく込み上げた。「ちなみにパン屋の定雄さんや斉藤夫妻も何かを失ったの?」
「ああ。パン屋は『時間』の観念を失くした。時間を感じなければ焦りも無い。そして終わりもない。店を閉められないから、客が来ない夜中も店を開けている」
「そういうことだったんだ」
「斉藤夫妻の人形は『悲しみ』を受け取り、泣くことを奪った」
 大輔は自分の人形の顔をじっくりと覗き込んだ。薄暗い光が照らす人形の顔は、よく見ると疲れている様にも見えた。それでも単なる物であることに変わりはなかった。
「あんたはこの町の人達を楽にするために人形を作って渡しているのかい?」
「それは違う。この町の人間にとって人形は一部なんだ。鼻みたいなものだ。俺はそれを与えている」
「この町の人達は、人形が無ければ生きられないということ?」
「もう少し軽いものだ。例えば、お前が鼻を持っていないとする。お前は匂いのない世界で生きる。すると世界の感じ方がだいぶ違うだろ。それと同じで、人形が無ければこの町を正確に感じることが出来ないんだ」
「その人形が、何のために人の観念や機能を奪うんだい?」
「人形は人間を調整している。つまり人間を町に適したものにするんだ。人形によって住民は町を正確に感じることができるし、町にとって適切な人になる。なんとなく分かるか?」
「なんとなく」
「お前は人形のあくびを見ても腰を抜かさなかっただろ」
「確かに。何か変だと思うのに時間がかかった」
「それはお前が町を正確に感じているということだ。人形のおかげでな」
「今ようやく気付いたんだけど……」大輔は人形作りの目を覗いた。「なんだかずっと違和感があったんだ。その正体がようやく分かった。あんたは町に馴染んでいない」
 人形作りはふっと笑った。「そうだ。俺は自分の人形を持っていない」
「なぜこの町にいるんだ?」
「ここは町じゃない」人形作りは大輔に見せつけるように大きなあくびをした。「俺はもう少し寝る。お前と違って俺は疲れるし、眠くなる」
 人形作りは奥の戸を開けて、別の暗い部屋へと消えていった。
 大輔は取り残された部屋でぼんやり部屋の細部を眺めてから外に出た。視界に入ってきた町の景色は、霧がかかっているわけでもなく、焚き火の煙を風が運んで来たわけでもないが、白みがかった幕を町に被せたように微かにぼやけていた。その景色の中にいる人はどれも何かを欠いていた。石畳の道を歩く人も、道沿いにある石のベンチに腰掛けている人も、見た目はごく普通だが人間が持つ雰囲気にしては何か物足りなかった。
 ぼやけた町に比べると、人形作りの家にあった物や話されていた言葉はくっきりし過ぎていた。全てにしっかりと存在感があった。町を覆う空気とあの家の中に詰まった空気は、どこか明確に違うように感じた。

悲しい人形と壊れた人間の町2

悲しい人形と壊れた人間の町2

大輔の人形が突然あくびをした。街の人形作りの家を訪れると、人形作りは街の人形が果たす秘密の役割を話し、大輔はあくびが人形によって奪われたことを知った。人形によって奪われたものを取り戻すために、大輔は老夫婦と共に街を出る。そして、バスに乗って辿り着いた街で、大輔は壊れた過去と鉢合わせた。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 青年向け
更新日
登録日
2014-01-15

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