やさしい刑事 第一話 「蜃気楼の町」

やさしい刑事 第一話 「蜃気楼の町」

これは俗に言う『刑事ドラマ』ではありません。凶悪犯罪を解決する訳でも無く、アクション・シーンもありません。
あくまでも、非日常的な視点から『心の綾』と『命の絆』を捉えて描いたファンタジー・ドラマです。
従いまして、警察組織・その他の考察も曖昧です。実在する地域・団体・人物とも無関係です。

主人公:やさしい刑事
名前:不明。周りから「ヤマさん」と呼ばれているので「山田」とか「山本」とか、ありふれた名前と思われる。
年齢:不詳。どこにでもいる風采の上がらない中年男。独身。過去に婚姻歴あり。
所属:本庁(多分警視庁?)と思われるが、詳しい所属は不明。
特徴:人に見えないものが見える。なぜそうなったのかは、物語の中で明かす予定

やさしい刑事 第一話 「蜃気楼の町」(前編)

やさしい刑事 第一話 「蜃気楼の町」(前編)

 しなびた漁師町の丘の上に、ポツンと立つ停留所にバスが停まった。
 バスから降りて来た中年男は、上着のポケットからゴソゴソとタバコのケースを取り出した。
 そうして物ぐさそうに、くしゃくしゃになったタバコに火をつけて吸った。
「ふぅ~う」中年男はうまそうに煙を吐き出しながら、一息ついた。
 バス停の下には、港町・U市の風景が広がっていた。どこにでもあるような田舎の漁師町だった。
「あんた。旅の人かね~?」
 そこへ、杖をつきながら近づいて来た人の良さそうな老人が、中年男に声を掛けた。
「えぇ、まあ…」中年男はそう答えた。
「もしかして、蜃気楼を見に来なさったんかね?」
「蜃気楼?…ですか」
「あぁ、この町は沖に蜃気楼が出るんでな~。時々、よその人が見に来なさるんじゃわ」
「へぇ…そりゃあ、見てみたいですね~。せっかく来たんだから…」
「見れるとええの~…たまにしか出ないからのぉ」
 そう言うと、老人はとぼとぼと歩きながら、丘の向こうに去って行った。
 見送った中年男は、タバコの吸殻を無造作に捨てると、古びた旅行鞄を手に、町の方に下って行った。

 いかにも田舎町らしい、こじんまりしたU市の警察署。その署長室に若い刑事が入って来た。
「失礼します、署長。お呼び出しを受けてまいりました」
「あぁ、来たかね近松君。待っとったよ」
 大きなお腹を大儀そうに持ち上げながら、署長は椅子から立ち上がった。
 そうして、応接椅子に座っている風采の上がらない中年男を、若い刑事に紹介した。
「こちらは本庁から、例の広域事件の捜査に来られた刑事さんだ。土地に不案内だから、君が案内して差し上げてくれ」
「はい、了解いたしました。署長」近松はそう答えた。
「よろしくお願いします。近松刑事」中年男はいんぎんに腰を屈めて、近松にお辞儀をした
「いぇ、こちらこそ。ええっと…」
「ヤマさんでいいですよ、いつもそう呼ばれてるので…早速ですが、聞き込みに回りたいんだが」
「はい、いいですよ。車を回して来ますので、少しの間お待ち下さい」
 そう言うと近松は一礼をして、車を出すために署長室を出た。
(本庁の刑事って、もっとキビキビして恐いのかと思ってたけど、普通のおっさんなんだなぁ~)
 近松は何となく安心すると同時に、今会った中年刑事に何だか頼りなさを感じた。

 近松が車を警察署の玄関に横付けにすると、その刑事はゆっくりとドアを開けて、助手席に乗り込んで来た。
「お世話になります。近松刑事」刑事は、またいんぎんに礼を言った。
「いぇいぇ、ヤマさんも大変ですね~。こんな田舎まで出張捜査って…で、いつ頃まで?」
 車を走らせながら、近松は助手席に座っている刑事に尋ねてみた。
「う~ん。捜査に先行きのメドが立つまでだねぇ…」
「そうですかぁ~。例の広域事件って、マルモク(目撃者)も手掛かりもないんですってね。この町に何か?」
 近松がそう言うと、刑事は少しばかり困った顔になった。
「あっ!済みません。余計な詮索を…まだ捜査中でしたよね」
 近松はしまったと思って謝った。捜査上の機密を聞くのはタブーだった。
「いや、いいんだ。しかし古い漁師町だねぇ、この町は…近松さんはここの生まれかね?」
 刑事は若い近松に気を使ったのか、わざと話の方向をそらせた。
「はい、この町で生まれました。ここは何でも室町時代くらいから続いている漁師町だとか」
「沖には蜃気楼が出るそうだねぇ~」
「あぁ、よく観光ガイドなんかに載ってるやつでしょ。でもねぇ~、たまにしか出ないんで、見れたら運がいい方ですよ」
「そうか~、たまにしか見えないのか。で…見たことはあるのかい?」
「えぇ、地元ですからね~。この町の沖合いで、南から来る暖流と、北から来る寒流が交わるんですよ。気象条件によって、出たり、出なかったりするんですがね」
「ふ~ん、蜃気楼もお天等さましだいって訳か」
「そうそう、この町には古くから伝わる伝説があるんですよ」
「ほう~、そりゃあどんな?」
「昔々、親を失くした少年と、竜宮から流されて帰れなくなった人魚が、磯辺で出会ったそうです」
「何だかよくありそうな昔話だねぇ~」
「淋しかった二人は、磯辺で逢瀬を重ねる内に恋仲になるんですが、人間と人魚じゃあ一緒になりようがない」
「まぁ、陸に生きる人間と、海に生きる人魚じゃあ、結婚はできないだろうなぁ」
「結ばれぬ恋をはかなんだ二人は、一緒に身投げしようとするんですが、どうしても二人一緒には死ねないんですよね」
「まぁ~、そりゃ二人して海に身を投げても、相手の人魚は死ねないわなぁ…」
「それで二人はどうしたと思います」
「さぁて、どうしたのかなぁ~?」
「少年は海に身を投げて死に、人魚は丘に身を投げて死んだ。つまり、二人はバラバラに死んだんですよ」
「う~ん、何だか可哀そうな話だねぇ…」
「蜃気楼は、最後まで一緒になれなかった、二人のさまよえる魂が見せている幻だとか」
「近松さんはその伝説を信じているのかい?」
「まさか…子供の頃はよく親に聞かされて信じてましたが、もう大の大人ですからね~」近松は苦笑いした。
「そうか~、でも、案外その話は本当かも知れないよ」刑事はそう言って微笑んだ。

 ニ、三軒の聞き込みを終えて、港に差し掛かると、浜辺に人だかりができていた。
「あれぇ?事故でもあったのかなぁ~。地元の駐在が来てる」それを見た近松が言った。
「行ってみるかい」
「えぇ、よろしければ」
 刑事と近松は、道路脇に車を止めて浜に降りて行った。
「お~い、土左衛門が上がったらしいぞ~!」
「吉行のやつが網に引っ掛けちまったってよぉ~」
 漁師たちが口々にそんな事を言いながら、辺りから集まって来ている。
 人だかりの真ん中には、ブルーシートに覆われた―どうやら溺死体らしいものがあった。
「えらいもん引っ掛けちまったよ~!縁起でもねぇ…」
 ブルーシートの側では、一人の若い漁師が何も手につかずに、おろおろしていた。
「駐在さん、見てくれよ~!二人とも手ぇつないだまんま離れねぇんだ」
 困惑しきった若い漁師は、傍らにいる駐在に、何かを一生懸命訴えている。
「ちょっと失礼」
 刑事は人だかりをくぐって、覆われている溺死体にスタスタと近づき、いきなりブルーシートをめくった。

やさしい刑事 第一話 蜃気楼の町(下)へ続く
  

やさしい刑事 第一話 「蜃気楼の町」(後編)

やさしい刑事 第一話 「蜃気楼の町」(後編)

「おぃ、おぃ、君ぃ~!勝手な事をされちゃ困るなぁ」駐在はあわてて止めようとした。
「心配ない。U署の者だ」傍らにいた近松が、駐在に警察手帳を見せた。
「はっ!失礼いたしました」駐在は即座に敬礼をして引き下がった。
「若い土左衛門だなぁ…しかも、一人は日本人じゃあない」溺死体をのぞき込みながら刑事が言った
「手をにぎったままで…こりゃあ、心中ですかねぇ~?」近松は、刑事に尋ねた。
「う~ん。ホトケはまだ子供にしか見えない。そんな歳で心中するかねぇ~」
「ともかく、すぐに鑑識を呼びます。事件かも知れないし…」
「あぁ、そうした方がいいだろう」
 近松は署に連絡するために、道路脇に停めてある車に引き返した。
 刑事は胸の中に、何かしら奇妙なものが湧き上がって来るのを感じた。

 U市の警察署に設けられた『心中事件捜査室』では、捜査官たちが死んだ二人の身元を洗っていた。
 そこへ、やっと手掛かりをつかんだらしい渉外課の刑事が、資料を手に捜査室に入って来て言った。
「ホトケの男の子の身元が割れました。鞍出隆宣。10歳。島根県警に照会した所、叔父夫婦が殺人容疑で取調べ中です」
「じゃ、やっぱり殺人事件か!?」捜査官一同は色めき立った。
「いぇ、隆宣君が失踪する一週間前に、姉が不自然な交通事故で死んでまして、叔父夫婦にその容疑が掛かっているようです」
「叔父夫婦だとぉ~!?それと、心中した男の子との間に、今回のヤマ(事件)との関係が…」捜査官が言った。
「義父夫婦と言うのが食わせ者で、元々、資産家だった父親から、兄と分割して遺産を相続したんですが、自分の分は遊んで散財してしまい、金に困っていたようですね。実は三年前に、その兄夫婦も、死んだ姉と隆宣君を残して交通事故で亡くなってるんですよ」
「待てよ!事故死した兄夫婦の遺産は、当然、死んだ姉と隆宣君が相続した…と言う事になるわな~」
「その通りです。兄夫婦の死後、隆宣君と死んだ姉は、叔父夫婦に引き取られたんですが、姉の交通事故死は、遺産目当ての偽装事故ではないか?と、島根県警では叔父夫婦を疑っているようです」
「じゃ、やっぱり隆宣君は、叔父夫婦に殺された可能性があるって事だなぁ~」
「う~ん、部外者が捜査に口を出して申し訳ないが、違うんじゃないかなぁ~」
 議論に加わっていた近松の傍らで、じっと捜査官たちのやり取りを聞いていた刑事は、ぼそっと言った。
「そうですね~。確かに鑑識の結果では外傷はないし、毒物の痕跡も見当らなかった。二人とも…」別の捜査官がそう断言した。
「そう言やぁ、外人の女の子の方の身元はどうなんだ?二人の接点がはっきりしない事には、どうにも捜査の進めようがない」
 焦りを募らせて来た捜査官たちは、渉外課の刑事を問い詰めた。
「多分、ロシア人だと思うんですが、取りあえずサハリン警察にでも行方不明者の照会をしてみるしかない。時間が掛かりそうだなぁ~」
 渉外課の刑事が困り果てた顔をしているところへ、おもむろに刑事が助け舟を出した。
「サハリン警察なら知り合いの警視がいるから、非公式に問い合わせる事はできるるよ」
「ヤマさん。サハリン警察に顔が利くんですか?」驚いた近松が、刑事に尋ねた。
「あぁ、だいぶん前に、ある国際事件の捜査で顔見知りになってね」刑事は事もなげに言った。
(ただのおっさんかと思っていたけど、この人はとんでもない人なんだ)近松は、さすがにそう思った。
「じゃぁ、お願いできますか?本庁にはなにとぞ内緒で…」渉外課の刑事は頭を下げた。
「あぁ、いいだろう。聞いてみよう」刑事は承諾した。

 翌々日『心中事件捜査室』に入って来た刑事は、他の捜査官と一緒に詰めていた近松に言った。
「『有力な証拠をありがとう』って、お礼を言われたよ。サハリンの刑事が女の子の遺体確認に来るそうだ」
「サハリンでも何か事件があったんですか?」近松は尋ねた。
「女の子の名前はシレーナ・ドゥーシャ。14歳。一週間前から行方が分からなくなっていたそうだ。現在、継母がサハリン警察に売春斡旋容疑で取り調べられている」
「何ですって!?」他の捜査官たちも、驚いて立ち上がった。
「シレーナの実の母親は去年亡くなった。父親は船乗りで、今の継母と再婚したんだが、この女が相当のワルで、売春組織に関係していたらしい」
「おぃおぃ、サハリンは花屋(売春)がらみかい。どうなってんだこのヤマは?」捜査官たちには訳が分からなくなった。
「父親が航海に出ている間に、シレーナを売春組織に売り飛ばそうとしたんだろうなぁ。それからシレーナは行方不明らしい」
「もしかして、嫌がったシレーナは継母に殺されたとか…?」近松は刑事に聞いた。
「いや、違うな~。多分、いたたまれなくなっての自殺だろう」
「じゃ、二人の接点は?…メル友だったとか?フェイス・ブックで知り合ったとか?」
「いや、二人には接点などないね~。それに、シレーナにはロシアから出国した形跡が無い。仮に密かに国を出たとしても、わざわざU市までやって来て、見ず知らずの隆宣君と手をつないで一緒に死ぬ理由が無いよ」
「そうですよねぇ~…でも、恋仲でもないのに、何で手をつなぎ合ってたのか?」
「たった一人の姉を失くした男の子。母を失い継母に裏切られた女の子。二人はバラバラに死んだ。それぞれ、別の場所で海に身投げしたんだ…んっ、待てよ!」
 刑事はしばらくの間、顔を上げて宙を見つめていた。何か思い当たる節があるようだった。
「近松さん、二人の遺体はどこに安置されているんだっけ?」やおら刑事は、近松に尋ねた。
「U市の漁協病院です。この町じゃ、遺体を安置できるのはそこだけなので…」
「すまんが、車を出してくれないか。もう一度、二人の遺体を確認したい」
「はい、了解しました」
 刑事と近松は車に乗り込むと、U市の漁協病院に向かった。

 刑事と近松は漁協病院の遺体安置室に着くと、離れ離れに安置されていた二人の遺体を検死台の上に並べた。
 刑事は随分長い時間、二人の遺体を眺めていたが、ふと顔を上げて近松を見た。
「何か分かりましたか?」近松は刑事に尋ねた。
「遅くなるといかんから先に帰っていてくれないか。僕は後でタクシーでも拾って帰るから」
「はぁ…いいんですか~?それじゃ、お先に」
 すっかり焦れていた近松は、そう言うと、遺体安置室から出て行った。
 二人の遺体をじっと見つめていた刑事は、おもむろに上着のポケットから手錠を取り出した。
「少年と人魚か……もう、絶対に離れるんじゃないぞ」
 刑事はそう言いながら、死んでから海で出会って一緒になった〔淋しい二人〕の手を手錠でつないでやった。
 それが、刑事にできるせめてものやさしさだった。

 U市での聞き込み捜査を終えた刑事は、町の丘の上にある停留所でバスを待っていた。
 そこへ、杖をつきながらひょこひょことやって来たあの老人が、刑事に声を掛けた。
「あぁ、旅のお人、蜃気楼は見れましたかなぁ~?」
「えぇ、見れました」
「そうか…そりゃあ来た甲斐があった」
「えぇ、確かに…」
 そう言いながら、刑事は老人にお辞儀をして、やって来たバスに乗り込んだ。
 そして、刑事を乗せたバスは、蜃気楼の町から遠ざかって行った。

第一話 蜃気楼の町(完) 次回 第二話は(http://slib.net/28318)にて公開

やさしい刑事 第一話 「蜃気楼の町」

やさしい刑事 第一話 「蜃気楼の町」

未解決事件の捜査に、とある田舎の漁師町にやって来た「やさしい刑事」。 そこで彼が聞いた蜃気楼伝説が、幻の様な現実となって… 見るからに風采の上がらないヤボな中年刑事。名前も、年齢も、所属も、一切不明の彼には、ある秘密があった。 それは“人に見えないものが見える事”そんな「やさしい刑事」が織り成す幻想の世界を綴った物語です。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • サスペンス
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-01-14

Copyrighted
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  1. やさしい刑事 第一話 「蜃気楼の町」(前編)
  2. やさしい刑事 第一話 「蜃気楼の町」(後編)