異動前面接の心得

 異動前面接の心得

「えっ! 面接ですか……」
 県立郷土資料館庶務課長の吉田邦夫は、し尿処理課長の要求に言葉を詰まらせた。
『そうです。お宅の木村さんは、ダメ人間だという噂があるので、受け入れ前に下水道部長が明日面接をします。面接を受け入れないなら、ご縁がなかったということで……』
「わかりました。木村をそちらに伺わせます」
 吉田は受話器を置くと深い溜め息を吐いた。
面接なんて、木村の受け入れを断る絶好の言い訳になるじゃないか……。
 郷土資料館施設係主任の木村平助は、吉田より5歳年上の57歳のベテラン職員だ。部屋の掃除や蛍光灯の交換など雑用業務は率先してこなすが、ベテラン職員に求められるような専門的な仕事は全くできない。
 吉田は、課長室を出て事務室に向かった。
「木村さん、居眠りしないで仕事をしてください!」
 木村の上司である西条智美が木村を注意した。
 西条は木村より18歳年下だ。西条は、女だと見下して反抗する木村の態度に手を焼いている。
「えっ! あのっ! 証拠があるのですか!」
 木村は瞼のない爬虫類じみた気持ち悪い目で西条を睨んでいる。
「木村さん、あなたが居眠りしているのは私も知っていますよ。口答えしないで仕事をしてください」
 吉田が木村を注意すると、木村は振り返った。
 木村と目が合うと、体に悪寒が走る。
「私は意図的に居眠りしていたわけではありません」
 木村はそう言うと、席を立ち、お尻を振りながら事務室を出ていった。
「西条さん、一緒に館長室に来てくれますか」
 吉田は西条と館長室に向かった。
「課長、何があったのですか?」
「他の人に話を聞かれるとまずいので、館長室に入ってから話します」
 西条は無言で頷いた。
「館長、大事なお話があります」
 吉田は、館長室の応接ソファに腰を下ろした。吉田の正面に、半沢俊之館長が座り、吉田の隣に西条が座った。
「館長、西条さん、先ほどし尿処理課長から、私のところに『木村さんを受け入れてもいい』と連絡がありました」
「課長、ありがとうございます!」
 隣の西条は、にっこり微笑んで頭を下げた。
 西条は、木村と同じ係で仕事をするぐらいなら辞表を出す、と何度も吉田のもとに来て、木村のダメっぷりを訴えていた。
「吉田さん、ご苦労様でした」
 半沢館長は、吉田に労いの言葉をかけた。
「いえいえ、これは館長の口添えのおかげです」
 吉田は半沢館長を持ち上げた。
「ただし、相手から条件を出されました」
「課長、それはどういうことですか?」
 西条が不安げな表情で吉田を見た。
「受け入れ前に木村さんを面接する、と言っています」
「木村さんを面接したら、あんな奴いらないと言われるのは火を見るより明らかじゃないですか!」
 西条は吉田を見据えて言った。
「西条さんの言うことももっともですね」
 半沢館長も冷静な口調で言った。
「私もこのままでいいとは思っていません。きちんと対応策を考えています」
 吉田は得意げな表情で言った。
「それはどんな策なのですか?」
 西条が不安げな表情で訊いた。目にはうっすらと涙が滲んでいる。
「これから、面接の練習をします。相手に断る口実を与えないようにします」
「そんな練習をするよりも、課長が面接についていって、〝囁き女将〟みたいに木村さんに喋らせない方がいいと思いますよ」
 西条が訝しげな表情で言った。
「私もそうしたいのはやまやまだが、木村さんを一人で寄こせと先手を打たれてしまいました」
「ああ、やっぱり……」と二人は納得したように頷いた。
「ということなので、館長には、下水道部長役をお願いします」
「わかりました。私も西条さんのために一肌脱ぎますよ」
 半沢館長はニヤリと笑った。
「西条さん、木村さんを呼んできてください」
 吉田はそう言うと、半沢館長の隣に座る場所を変えた。
 西条は頭を下げると館長室を出ていった。

 しばらくすると、ドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
 吉田が返事をすると、木村が部屋に入ってきた。
「ここに座ってください」
 吉田が、木村に半沢の前に座るように促した。
 木村はお尻を振りながら歩いてソファまで近づくと、静かに腰を下ろした。
「木村さん、あなたの四月からのご栄転先がほぼ決まりました。木村さんには、県庁下水道部し尿処理第三係長として頑張っていただきます」
 吉田が木村に人事異動の話を切り出した。
「私は係長としてやっていく自信がありません。できれば、郷土資料館で定年まで勤めたいと思っています。私のような人間が行けば、下水道部に迷惑がかかります」
 木村はそう言って、吉田を睨んだ。
 西条から、木村は狡賢い人間だ、と聞いていたがその通りの答えだ。木村が忙しい部署に行きたくないと考えていることは手に取るようにわかる。どうせ、郷土資料館で居眠りして給料をもらっている方が天国だとでも思っているのだろう。でも、西条に辞められないようにするためには何としてでも木村を下水道部に放出しなければならない。西条に辞められると、自分の責任問題に発展するかもしれない。
「木村さん、では、郷土資料館なら迷惑をかけてもいいのですか! 西条さんは、木村さんがろくに仕事をしないのでストレスでダウン寸前なのですよ」
 吉田は語気を荒げて、木村を怒った。
「えっ! あのっ! そのっ! 私は意図的に迷惑をかけているわけではありません。西条さんが勝手に怒っているだけです」
 そう言うと、木村は爬虫類じみた目で再び吉田を睨んだ。
 木村に睨まれると、背筋に寒気が走り、腕に鳥肌が立ってくる。
 こんな気持ち悪い表情の人間は、自分が面接官なら即不合格だ、と吉田は思った。
「木村さん、このまま郷土資料館で定年を迎えて、郷土資料館で再雇用になると日給3000円で働いてもらうことになります。もし、下水道部で定年を迎えれば日給5000円で再雇用です。それでもいいのですか?」
 吉田は定年後の再雇用について話した。
「わかりました。下水道部に異動します」
 木村はあっけなく異動を承諾した。
 西条が言っていた通り、金に執着のある人間だ。金で簡単に転びやがった。
「それで、木村さん、あなたが、下水道部の係長としてふさわしい人間がどうかを判断するため、下水道部長があなたを面接することになっています。面接は明日です。異動がスムーズに行くように、面接の練習をしましょう。では、館長お願いします」
 吉田はにやりと笑って、半沢館長を見た。
「木村さん、念のため部屋に入るところから始めましょう。一度廊下に出て。部屋に入ってください」
 半沢館長がそう言うと、お尻を振りながら木村は部屋を出た。
 部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞ」と半沢館長が言った。
「失礼します!」
 木村は部屋に入ると、お尻を振りながら近づきソファに座った。
「木村さん、その偉そうな、気持ち悪い歩き方は何ですか! やり直しです」
 吉田は、木村の歩き方に怒った。
隣の半沢館長は右手で顔を抑え、天を仰いている。
「えっ! あのっ! そのっ! どこが悪いのですか?」
 木村は、気持ち悪い目で吉田を見つめた。
「木村さん、自覚がないのですか? そのお尻を振る歩き方は、傍から見ていると蹴りたくなるぐらい気持ち悪いです。運動会の入場行進のようにきっちり歩くようにしてください」
 吉田は呆れて言った。
「えっ! あのっ! これは、社交ダンスの癖です。意図的にやっているわけではありません!」
 木村は立ち上がると、顔を赤くして必死に弁明した。
「木村さん、面接日までに歩く練習もしておきましょう。では、座ってください」
 半沢館長が諭すような口調で木村にアドバイスを送った。
「これからいくつか質問をしますので、私を下水道部長だと思って答えてください」
 半沢館長はそう言うと、吉田の耳に顔を近づけた。
「木村さんの顔が気持ち悪いです。私から言うとショックを受けるので、吉田さんから注意してください」
半沢館長は、木村に聞こえないように耳打ちした。
みんな木村に対して感じることは同じだ。吉田は唇を噛みしめて笑いを堪えた。
「木村さん、ここは面接のセオリーから外れますが、質問者の目は見ないようにしましょう。ネクタイピンの辺りを見るようにしてください」
 と木村にアドバイスした。
「えっ! あのっ! そのっ! 吉田課長、どうしてですか?」
 木村は吉田に訊き返した。
「木村さん、鏡で自分の顔を見て気分が悪くなることはありませんか? あまり言いたくはありませんが、面接に合格してほしいので、心を鬼にして言います。木村さん、あなたの目は爬虫類じみていてすごく気持ち悪いのです。目が合うと背筋に寒気が走ります。腕に鳥肌が立ちます。だから、相手と目を合わせないように気を付けてください」
 吉田は、笑いを堪えて、理由を説明した。
「では、次の質問に行きます。木村さん、あなたは郷土資料館でどのような仕事をしてきたのですか?」
「えっ! あのっ! そのっ! 西条係長に言われたことだけやっていました」
 木村は言い終わると、爬虫類じみた目を一瞬吉田に向けた。
「木村さん、あなた、何を考えているのですか! もう少しましな答え方をしてください」
 吉田は笑いを堪えて、木村を責めたてた。
 し尿処理課長には、「木村は嘘の付けない真面目な人間だ」と売り込んだのだが、あまりのバカ正直さに呆れてしまう。
「木村さん、面接で不合格になりたいから、わざと言っているのですか?」
「いえ、私は本当のことを言っただけです」
 木村は、自信満々に言った。
 さすが、関西では一番レベルの低いといわれている近畿電気通信大学を卒業しただけのことはある、と吉田は納得した。
「吉田さん、これから言うことをメモしてください」
 半沢館長が吉田に鉛筆とメモ用紙を渡した。
「では、木村さん、本番ではこう答えましょう。『学生時代に勉強してきた電気工学の知識を活かして、郷土資料館の電気設備の維持管理を頑張ってきました。また、お客様第一を心掛けて日々の業務に打ち込んできました』と言ってください」
 半沢館長はゆっくりとした口調で諭すように木村に言った。
「えっ! あのっ! そのっ! わかりました」
 木村は俯き加減で言った。
「木村さん、俯き過ぎです。私のネクタイピンの辺りを見るようにしてください」
 半沢館長はさらに木村を注意した。
「その、『えっ! あのっ!』とか言うのもやめてください。それでなくても木村さんは〝Fラン〟で頭がよくないのに、さらにアホに見えますよ」
 吉田が追い打ちをかけるように木村を注意した。
「……」
 木村は黙って頷いた。
「では、次の質問です。係長としての意気込みを聞かせてください」
「えっ! すいません……。 部下や上司に迷惑かけないようにします。居眠りしないように頑張ります」
 勝ち誇った表情で、吉田と半沢館長を見た。
「木村さん、そんな答えで面接に合格すると思っているのですか!」
 吉田は呆れた表情で木村を叱責した。
「木村さん、こう答えましょう。吉田さん、メモを頼みます。『係長としては未熟かもしれませんが、私には三五年の経験があります。その経験を後輩に伝えることができるように日々頑張っていきます』と答えてください」
 半沢館長は聞き分けのない子供を諭すような口調で木村にアドバイスした。
 木村は再び黙って頷いた。
 吉田は、半沢館長のセリフをメモした。
「最後に、何か質問はありますか?」
 半沢館長が再び木村に質問した。
「私は、神社が忙しいので、年末年始とゴールデンウィーク前後は休暇を取ります。宮司の研修もあるので、七月にも一週間年休を取ります。それでも、だいじょうぶですか?」
 木村は信じられない質問を半沢館長に浴びせた。
「木村さん、いったい何を考えているのですか! 今すぐ、あんたなんかクビにしたいぐらいだ」
 吉田は強い口調で木村を責めたてた。
「吉田さん、気持ちはわかりますが、少し言い過ぎですよ」
 半沢館長は、吉田をなだめて、
「木村さん、家業と休暇の質問はやめましょう」
 と、木村を諭した。 
「面接の練習はこれで終わりです。メモを暗記して明日の本番に臨みましょう。異動の話はまだ内密ですからね」
 吉田はそう言って、メモを木村に渡した。
「吉田課長、面接に行くときは、西条係長になんて説明すればいいのですか?」
 木村は、吉田に訊き返した。
「そうだな。当日の朝、風邪を引いた、と電話して休みなさい。もう自分の席に戻ってください」
 木村は、二人に一礼して、部屋を出ようとした。
「木村さん、その歩き方は気持ち悪いので、やめてください」
 吉田は、もう一度、木村の気持ち悪い歩き方を注意した。
「吉田さん、木村さん一人でだいじょうぶかな」
 半沢課長は不安げな表情で吉田を見た。

 翌日の午後、し尿処理課長から電話がかかってきた。木村の面接が終わったころだ。
「面接ありがとうございました」
『吉田さん、驚いたよ。係長としての抱負を語ってください、と質問したら、木村さんはなんて言ったと思いますか?』
「さあ、わかりませんが……」
 吉田は胸の鼓動が早まるのを感じた。
『私は、別にし尿処理第三係長を希望したわけではありません、と言ったのだよ。そんな面接の答えがあると思いますか! 確かに吉田さんの言う通り〝嘘の付けない人間〟だね』
 し尿処理係長は呆れ果てた口調だった。
「ご迷惑をおかけしました」
『まだ、下水道部長の最終判断は出ていませんが、あまり期待はしないでください』
 電話が切れた。
 木村への面接の練習は徒労に終わった。
 また別の作戦を考えなければならない、と吉田は深い溜め息を吐いた。

異動前面接の心得

異動前面接の心得

  • 小説
  • 短編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-01-14

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