枯れた人形と魔女の招待状


「魔女から招待状を貰った」と言えば大人は笑いました。
大人たちは魔女など存在しないと嘲笑います。
大人たちは「自分が知らない」を「正当」と主張しました。
わたしは自ら無知を公言するような大人になりたくないと思いました。
けれど大人になるにつれてわたしは分からなくなります。
魔女とは何なのか。社会とは何なのか。世界とは何なのか。色々なことを教え込まれました。
大人は自分の世界を押し付けます。疑問に思ったことを口にすれば怒られました。
わたしは嘘をつきました。分からないのに分かったと言いました。
その日からでしょうか。嘘をつくのに抵抗がなくなったのは。
魔女はいつもわたしの隣に生きています。今も隣で呼吸をしています。
彼女は嘘を酷く嫌いました。けれど彼女は嘘をつきます。何故なら彼女は嘘を付かないと息が出来ないから。
模範的な解答をすれば褒められました。答えを間違えれば優しく教えてくれました。
わたしは彼女が好きでした。けれど彼女はきっとわたしのことが嫌いでした。
幼き頃に気付くことのできなかった問題は今になってふと思い出すものなのでしょう。
彼女は消えました。あの日、あの時、あの時間。
彼女が何を思って消えたのでしょう、彼女は何を恐れていたのでしょう。
過去のわたしに、それを知る方法はありません。
そんな意味のない自問自答を繰り返しながら、招待状をそっと取り出しました。

「白い人形、Invitation」

懐かしい名前ですね、とわたしは笑いました。側に彼女はいません。
白いテーブルクロスのかかった机の上には紅茶とお茶菓子。
柔らかな革の椅子に座るわたしの膝にのせられた、白い人形。
Invitationーーそれは招待状。
彼女から頂いた幼い招待状を、わたしは今でも捨てられずにいまあした。
枯れて日焼けした服も、薄く茶色のついた髪も、何もかもが彼女と同じ時間の経過を物語っています。
少しだけ悲しくなるのは筋違いなのでしょうか。
空は黄金色に輝いて。
もう子供は帰る時間。黄金色が終わればすぐ赤になる。
太陽にお別れを言うように「また明日ね」と窓の外の子供は告げました。
彼らの側にもきっと魔女はいるのでしょう。
窓の外を眺めていれば子供と目が会いました。
へこり、と会釈をして前を向き家へと帰る幼子は昔の自分のよう。
突然外が羨ましくなりました。何故でしょう、窓の外はわたしの心のように突然雲が陰り始めます。
部屋の中から空を見上げれば不思議な感覚を味わいました。
まるで箱庭。マジックアワーのように色を変える空の影響を受けない室内は雨が降ったかのように湿っています。
きっと直ぐに優秀なメイドの彼女が湿気を追い出してくれるのでしょう。そう思いながら冷めた紅茶に口をつけます。
紫色をした角砂糖は紅茶の中で溶けきることなく、カップの底でざらざらと暇を持て余して。
スプーンでグリグリと押し潰せばスプーンとカップがぶつかり、「チン」だなんて甲高い音が鳴りました。
子供が蟻を踏みつけるような残酷な行為。蟻が砂糖に置き換わっただけだというのに何故残酷なのかと大人は疑問に思うのでしょう。
小さな粒のついたティースプーンを口に含むと、甘い味が脳を襲い少しだけ気持ち悪くなりました。
テーブルの上に乗せられたまま放置されたベルを鳴らします。あと数秒後には新しい紅茶と除湿器を持って彼女はやってくるのでしょう。
外はぱらぱらと雨が降っていました。通り雨なのでしょう、晴れ間が覗く空では柔らかな太陽が顔を見せていました。

「イヴ様、新しい紅茶をお持ちしました」
「ルーコちゃん、ありがとうございます」

流石プロ、音もなく部屋に入り紅茶を淹れるとは。
びっくりした気持ちを表に出さずに微笑めば、ルーコちゃんは微笑み返し部屋を後にします。
やはり忙しいのでしょう。少し話し相手になって欲しかったのだけれど、と口には出さず紅茶で言葉を押し込みました。
かちゃり、とカップとソーサーのぶつかる音が響きます。一人で居る時に音をたてないよう気を使えるほどわたしは大人ではありません。
齢11の王女様が大人も何もあるか、だなんて誰かの声が聞こえた気がしました。その言葉にある大きな矛盾には気付かないのね、なんて少し寂しいこと。
王女という立場でのわたしは大人、でも今は魔女に魅せられた11歳の少女よ。
一人の主張は虚しく部屋に残りました。窓際に飾られたととさまとかかさまとの写真が笑ったような気がして椅子を立ちます。
寂しいかと聞かれたらそれは答えられません。けれど、飢えているかと聞かれたら答えはYes。
わたしはなんて贅沢なんだろう。王たるものがこんな我儘だなんて。
くっと握りしめた手には薄く爪の跡が残ってしまいました。ああ、なんて言い訳をしよう。
過去の感情に押し潰されそうだなんて、二人が聞いたら笑うでしょうか。
「ねえ」なんて居るはずのない彼女に語りかければ今度は涙が溢れそうになります。
彼女が何故消えたのか、彼女が何故わたしのことを嫌っていたのか。過去という膨大な歴史の一部を埋めるわたしの記憶は、ボロボロで読み取るのすら難しい。

わたしはあの日から「大人」になった。自分の世界を確立し、支配する権利を手に入れた。
ゲームのように住民を操作し、権利を振りかざし、従者すらろくに扱うことの出来ない最低の王。
それでも、慕ってくれた国民たち。
「大人」になるのを自覚してからわたしは、自分の空想世界を捨てた。
優しいお花の香り、柔らかな草木、暖かなハーブティーや紅茶、カラフルなお菓子。
優しくて、大好きだった筈の「魔女」すらも、わたしは捨てて現実に没頭した。
だって、現実は目が覚めても消えることがないから。そう思いわたしは、消えることのない世界に安心して溺れていった。
恐らく、人として大人としてはそれが正しい選択なのだろう。けれどわたしは「大人」であり「子供」の存在。現実がどちらだなんて、ハッキリとした自覚が出来なくて。

白い招待状は、その古すぎてくすんでしまった瞳でわたしを見つめます。
どちらが現実なのか、何が幸せなのか、そのまま生きても許されるのか。
時間は止まり、凍りついてしまった大時計を見上げると世界は動き始めました。
おかえり、おかえり。そんな声が至る場所から聞こえてきます。
わたしは帰ってきたわけではないのよ、と残酷な言葉を告げれば皆は一斉に黙ってしまいました。
「何故」だなんてそんな、一番知っているくせに。誰がどちらがそんな事言ったのでしょう。
泣いている草花や、側に寄ってくる蝶や鳥をあしらいながらわたしは何処かに向かいます。
何処かに、だなんて変な言い方。自覚済みのそれは、無意識にまっすぐ彼女のいる場所へと向かっていました。
「捨てないで」なんて言う彼らはきっとこの世界の結末を一番分かっているのでしょう。今更戻ることなんて出来ません。

「貴方も、分かっているのでしょう?」

花畑の奥深く、二人きりでお茶会を楽しんだ小さなガゼボ。
カラフルなお菓子と、甘い香りを漂わせる紅茶を用意して「今のいままで」二人で会話を楽しんでいたかのような雰囲気。
魔女、もとい「白い招待状」は紅茶を啜りわたしを歓迎した。

「嗚呼、イヴ。おかえりなさい」
「おかえり、なんて言われてもわたしはもうこの世界に帰ってくることはありませんよ」

勧められた紅茶のカップを落とす。ガシャンと不快な音が響いたが、互いに気にする素振りは見せなかった。
凛と前を向き、きちんと立ち向かう。それが、彼女のためであり自分の為。
くすんだ瞳は何を考えているのか読み取ることはできない。
それでも、それでいい。肯定してほしいと望んだのはわたし自身だから。

「取り憑かれたのはわたし自身。肯定してほしいと望んだのもわたし自身。
全部気付いたんです、貴方がわたしのことを愛してくれたのも、この世界から出て欲しくなかったことも」

だから、貴方がわたしに執着する必要性はもうないんです。そう続ければ彼女は、泣いて。
ああ、涙すらも綺麗に流す人なんだな。そんな場違いな感想を抱いてしまった自分が少し恥ずかしい。
遠くで何かが壊れる音が響いた。
創造者の否定による拒絶反応だろう、恐らくこの世界は壊れてしまうんだ。
それを望んでいたとしても、寂しいと感じるのは仕方のないこと?

「おめでとう!」

彼女の力強い声が世界に反響した。この世界の端まで届くような響きで、強く強く発した短い言葉。
さあ、お行きなさい。世界は見守っているわ、貴方のために。
強い風がふいて、鳥たちは遠くへと消えてゆく。もう戻れない何処かへ。
大きく腕を広げて、世界を肯定する儀式のように彼女は言葉を紡いだ。

「イヴ、貴方は世界を捨てた裏切り者だ。おめでとう!
貴方はこの世界へと迷い込む権利を失った、これで私たちと会うことはもうできない!」

「権利」「裏切り者」
理解できない単語が多すぎて混乱してしまう。わたしの作った世界なのに、何故?わたしが裏切る?違う、「裏切ったのは」
言葉を吐き出す前に大きく風が吹いた。ティーカップやお菓子は全て風で何処かへ飛んでしまい、ガゼボの中央に置かれたテーブルにはなにもない。
花畑の花は風により花びらが散ってしまい、見るも無残な姿となっていた。
まるで何かを忘れているような気持ち悪さが露見していて、不気味で仕方が無い。

「全部思い出しただなんで嘘じゃないか。約束を忘れたお前にこの世界に立ち入る権利はない。さあ帰ってくれ、『小さな大人』よ」

嘘、とは一体なんなのだろう。わたしは嘘をついた覚えもないし何か約束をした覚えもない。
わたしは何を忘れている?考えても考えても、出てきてくれない答えは少しづつ「不安」から「不満」へと変化してゆく。

「わたしが何を忘れたというのですか?貴方は何を知っている?説明もなしにそんなこと言われたって!」

『この世界の崩壊』
わたしの望んでいた結末なのに、何故?
こんなにも胸が苦しくて、頭が痛い。先程までの考えは確かに肯定された。
では今は?否定も肯定もされない苦しさで、押し潰されそうだ。
この世界を愛していたかと聞かれれば答えはYesなのだろう。けれど今のこの世界はあまりにも我儘で、ふざけている。

「お前が思い出したらまたおいで。
今度はクッキーを用意しておこう。時間はいくらでもあるのだから」


大きく風が吹いて、わたしの身体は飛ばされる。
ゆっくりを目を開けば、そこはいつものわたしの部屋で。
そういえば今日はお休みを貰っていたんだ。
今ひとつはっきりしない頭を無理やり動かして椅子から立ち上がる。座ったまま寝てしまったのか、と少しだけ後悔した。
チェストの上に座っている白い人形は、わたしを監視しているようで少し気味が悪い。
普段は気にならないのに、何故か今だけは妙に気になって・・・何故だろう。
それにしても隣に置かれた紅茶はすっかり冷めてしまったではないか。
お気に入りの、紫色の花の詰められた角砂糖も切れてしまっている。
ベルを鳴らす前に少し動こう。
開かれた窓の外は、パラパラと疎らな雨が降っていた。




Witch's Invitation /Mili
: http://wish-japan.co.jp/hag-mili/index.html

枯れた人形と魔女の招待状

枯れた人形と魔女の招待状

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-01-13

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